──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
世界は待っている。かたずを飲みながら待つのではないが、様々な出来事が危機に向かって動いており、その結果は明確ではないという感覚が増大している。どのような成り行きになるのか、誰も知らない。専門家も政治家も経済学者も等しく、対立する流れの中で無力にもがいている。彼らは相反する方向を取ることを余儀なくされて、計画を立てることができない。日ごとに新しい問題が生じ、最も啓発された者たちの善意は試され、他方、舞台の背後では、投機という冷酷な貪欲が国家を屈従させる。
そのような状況が生じるときはいつでも、人は恐れる。そして恐怖の中で、彼らは怒りをこめてなぐりかかってくる。かくして今日、世界の多くの部分でそれが起こっている。生活水準は下がり、安全が脅かされるにつれて、避難民や外国人に対する偏狭さが増大し、民主主義のプロセスを変色させる。舞台脇で待機している政治的過激派が彼らの機会をつかみとり、無思考の若者たちを過去の模倣に導くために台頭する。
市場のフォース(エネルギー)が人間の生活を牛耳り、押しつぶしていくにつれて、混乱に向かって滑り落ちるのを止めることはできない。競争と貪欲に基づくこの文明を救うことはできない。古い秩序は死滅しつつある。いや、すでに死んでいる。マモン(物欲の神)の別名である商業至上主義は法を濫用し、世界中で国家の宗教となっている。
もし人間がこの大渦巻きの中に孤立していたならば、彼らの窮状はみじめなものであり、彼らの運命はまさに悲しいものであっただろう。彼らはどこへも助けを求めることができず、誰にも援助を頼むことができない。人間のコントロールを超えた力が、彼らを仮借なしに戦争へ追い込み、人類の地球上における生活に大きく「終わり」と記されたであろう。
しかしながら、人間は孤立した存在ではない。孤立していたことはかつてなく、人類の兄たちによって絶えず支えられ、補強されて、兄たちの監督と指導のもとに旅路を歩むのである。人類は独りではなく、彼らの前に同じ道を歩み、その道をよく知る者たちに伴われて安全な旅路を歩むのである。
この嵐の中心に、人類の兄たちの一団が戻りつつある。一人ずつ、彼らはあなた方の直中に位置を占め、忠告と援助を求められる時を待つ。何世紀もの間、彼らは人間世界の中で直接に働くこの機会を待っていた。今、彼らは智恵と愛の贈り物を携えてやって来る。リーダーであるマイトレーヤのもとに、彼らは人類を自己破壊の寸前から引き戻して、人類の歴史に新しい一章を開くだろう。過去の遺跡の中から、新しい文明が、マイトレーヤと彼のグループの鼓舞のもとに、人類の手によって築かれるだろう。恐れることはない。終わりはすでに知られている。人類はこの危機の時を克服し、人類自身との、地球との、そしてその本源との新しい、より良き関係を築くだろう。マイトレーヤはすべてを新しくするために来られたのである。知ろうが知るまいが、世界は新しいものを待っているのである。
(1992年11月号)