私たちは極端な偏極化の時代に生きている。その影響を免れる者は、たとえいたとしてもほんのわずかである。現代のこの傾向を、やがて必然的に訪れる顕著な善と変容の徴として体験する者たちがいる一方、他の者たちにとって未来は不確かなように思える。
シェア・インターナショナル誌は希望や着実な励まし、インスピレーション(鼓舞)の源となることを目指している。私たちの信念はまた、一体性と和合の重要性を、単に理想としてではなく、根本的なリアリティ(真実)として広く知らせることであり、そのリアリティはあらゆる生活領域で表現を求める人間性質の一様相として明らかにされる必要のあるものである。和合の達成には個人と集団の双方によって行われる努力と、ファシズム(全体主義)と光が対峙するこの時代において油断を怠らないことが求められる。ファシズムを抑制する社会の最も重要な基準や防壁の多く──国連や司法等の機関、法の支配や基本的人権のような原則、さらには真実そのものさえも──が攻撃にさらされている。商業至上主義は社会の仕組みの中に食い込み、社会を結合させている多くのものが破壊されつつあり、競争と貪欲が普通のこととして考えられている。しかしながら、覚者方と至るところにいる「意識的な(woke)」※ 人々の協力により、簡素さと社会正義という新しい規範へと移行するにつれて、はびこる物質主義はほとんどその自然な経過をたどっている。
前向きな思考をし、自分も他の人間も神聖であることを知り、ベンジャミン・クレームによる覚者との仕事を通して情報と知恵を身につけたすべての者の前途には、多くの教育的な仕事が横たわっている。クレーム氏の独特な貢献は、不朽の知恵の教えを今日の世界にとって現実のものとし、古代のものと新しいものとを融合させたことである。私たちの目標は、耳を傾ける人々にとって身近であり関係のあるものとしてこの情報を提示することである。こうした方法により、すべての人にとってより健全でより良い世界を創造するのを(個人でも共同でも)手伝うと同時に、自分自身の内的発達に積極的に関与することにもなる。
(不朽の知恵の)教えは、本物であり、適応可能であるためには、内面的にも外面的にも、体験されなければならず、開けた世界を創造するために主観的なものと客観的なものとを一つにしなければならない。この冒険的事業はハイアラキーの計画の一部であり、それ自体の推進力を持つ。マイトレーヤと覚者方はいまだに、彼らの存在について、関与の継続、助けと慰めが提供されているという明らかな証拠を与えておられる。クレーム氏にしても同様である。本誌の「徴と奇跡」の欄がこの主張を裏付けている。シェア・インターナショナル誌はまた、弟子道に積極的に取り組む人々への支援を提供することも目指している。内的な発達と認識を知らせるために与えられた指針として本誌を見なすこともできる。
覚者方は人間の、惑星の、そして宇宙の影響力の広がりと流れ、実現可能な未来の形に気づいておられる。世界の情勢と可能性を読み取ることによって、状況が要求し許す限りにおいて彼らは反応し進路を変える。クレーム氏がよく言っていたように、「覚者方は楽観主義者」であり、終わりは始めから知られているにもかかわらず、その時点での機会や課題に応じて計画を調整される。もちろん、変化は恐ろしかったり不安を招いたりすることもあるが、私たちがこの仕事を続けていくとき、結晶化と独断的姿勢を避けることが大切である。
私たちが、76億人すべてにとってより健全な未来を確かなものにしようとするなら、社会正義を確立することが必要不可欠である、と認識する人々がますます増えている。同様に、地球の健康は、私たちが行動を起こし自分の声を届かせることによってのみ保証されることを私たちは知っている。これは比較的新しい現象であり、覚者方自身によって支持され刺激されている。クレーム氏の覚者が言われたように、人類は成年に達しつつある。至るところにいる男女が責任を負い、意識的にせよ無意識にせよ、霊ハイアラキーとの協働者になろうとしている。多くの活動家、政治思想家、著作家が同じ結論に達しようとしている。つまり、現在のシステムは破綻しており、社会全体で新しい方法を創造しなければならないという結論である。
先頭を切って行くのはしばしば若者(そして心の若い人々)である。奉仕と進化の継続性は、その時代の課題に対処する能力を備え用意を整えた世代が次々に転生するように取り計らう内的な仕組みによって保証されている。また、このようにして、成熟した洞察力と知恵は、沸き起こる革命への情熱にブレーキをかける働きをし、着実な進歩がなされることを可能にする──覚者が助言されるように、革命というよりはむしろ進化だからである。
シェア・インターナショナル誌の手紙の欄で描写された体験はそれ自体、奇跡であり、癒し、慰め、教え、未来についての示唆、そして覚者方との、覚者方のための、訓練を目的とした継続的なコンタクト(接触)や仕事についての描写など、範囲と内容は限りなく多様である。この手紙の欄を維持することは難なくできる。尋常でない体験を描写する手紙は受信箱に届き続けているからである。読者からの反響により、覚者方とのコンタクトが続いていることを示すこうした証言がいかに大事であるかを私たちは知っている。
手短に言えば、未来は明るいが、いまだに勝ち取る必要がある。助けは、導きやインスピレーションとともにいつも手近にある。マイトレーヤは「褒美から目を離さない」ようにと言われた──褒美とは人類のことである。2018年が、私たちが「意識的(woke)」になる時として、「振り子が揺れ動く年」として、やがてすべてのいのちに空間と場所と意味をもたらす変容につながる年として知られるようになることを期待しよう。
シェア・インターナショナル誌は好意的な人々やクレーム氏、覚者方、そしてマイトレーヤ御自身に支えられながら、こうした目標に向けて働き続けるであろう。
「わたしにあなた方を助ける機会を与えてください。そのためにわたしはここに来たのである。もしあなた方がわたしを受け入れてくれるなら、あなた方をあなた方の運命へと導こう、この世の始めから定められている、その運命へと。
すべてはあなた方にかかっている。あなた方がそれを可能にする歩みを踏み出さなければならない。
兄弟姉妹たちよ、わたしたちは自分たちをひとつと見なければならない、そしてすべての者のために共に働かなければならない。
私たちは表面的にどう見えようと、別々な存在ではない。わたしたちはひとつのグループであり、わたしはその一員である。わたしはそのために、わたしのいのちのすべての瞬間を捧げている。
今この瞬間も、わたしの祝福があなた方の上にあることを知ってほしい。わたしの祝福を受け入れ、シンプルに愛をもって生きなさい。
これらの特質はわたしのハートに通じている」
(フランス・パリにおいてRadio Ici & Maintenantとのインタビューの最後に伝えられたマイトレーヤからのメッセージ。シェア・インターナショナル誌 2010年5月号掲載)
※「意識的な(Woke)」は社会的認識の代名詞として使われることが多くなってきている。stay woke(意識的であれ)は、自己意識的で、支配的なパラダイム(枠組み)を疑問視し、より良いものを求めて苦闘するアフリカ系アメリカ人の地域社会の一部で警句となっている。活動家たちは意識的(woke)であり、他の人々に意識的になる(stay woke)よう求めた。本流へと取り込まれた多くの他の新語と同様に、wokeはますます幅広く使われるようになってきている。それは今、意識的な人々が親しく語り合う場所を指す形容詞としても使われている。「意識的なツイッター(woke Twitter)」はつい最近、ソーシャルメディア活動家を描写する簡略表現として使われ始めた。