裂開の剣

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 多くの人々は、世界にマイトレーヤが臨在されるにもかかわらず、すべてがこれまでより、いっそう険悪で不安定になりつつあると信じる。今日のさらに高まった緊張のために彼らを恐れさせ、対処する用意のない多くの問題や困難を緩和するために、ハイアラキーは何をしているのかと不思議に思う。

 本当のことを言えば、世界は用意されつつあるのである。大いなる緊張と変化の時には、人々は社会の本当の状態について限られた見解──必然的に持つのだが──で問題を見る。

 人類は、これらすべての出来事が将来に対して同じ影響と重要性を持つと思うのだが、本当の見解は、それは覚者たちのみが見ることができ、全く異なるのである。覚者たちは様々な出来事をあたかも平面上(界)で起こっているものとして見、それらを単なる可能性として見るのである。あるものは凝結して〔現実のものとなり=訳注〕世界の変化に影響を及ぼすが、あるものは全く凝結せずに、ただ立ち消えになるということを知っている。人類はその限られたビジョンで、これらの出来事すべてを彼らの将来に関連するものとして見るが、そうではないことは確実である。覚者たちの見解からすると、人類が、これほどまでに、将来がもたらすだろう新しい世界を迎える用意を整えたことはかつてなかった。これほどまでに、共通の福利のためのインスピレーションと用意の整うときに近かったことはかつてなかった。

 キリストが(われわれが想像しないほど早い時期に)戻ると言われたとき、彼は、見せかけの平和という心地良いことばではなく、剣を、「裂開の剣」をもたらしたのである。それは父と子を、兄弟と兄弟を引き裂く剣である。今日われわれが目撃しているのは、まさに「裂開の剣」の働きである。マイトレーヤの愛のエネルギーはすべての者を刺激する

 ──正義と分かち合いを愛し、そのために働く者も、世界に不和と分離を引き起こす者も同様に刺激する。このようにして、「裂開の剣」によって産み出される明確な対比を通して、人々は将来についての本当の選択を──すべての人間、貧しく飢えたる者たち、そしてマネーの男たちや世界の平和の破壊者たち、の未来のための選択を──することができる。われわれ一人ひとりがこの分割のどちらの側に真実を見いだすのかを選択しなければならない。

(シェア・インターナショナル誌2014年10月号)