意識の連続性

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 今日人類の中に、意識の連続性を達成し、したがって睡眠中の体験を保持できる人々が次第に増えている。これは、情報が頭脳にまで浸透してくるのを待つ時間の浪費がなく、したがってより急速な進化を伴う。それはまた、情報のより正確な受信を保証し、より正しい行動と結果につながる。
 これが人類にとって前進への道である。目覚めている状態と睡眠中の状態の間の意識の断絶は、これまで人類が大規模に向上する障害となってきた。何にも増して、それは人類をリアリティ(実在)の本質について無知なままにとどめ、したがって迷信と恐怖の中に置いた。
 人生の3分の1近くが睡眠に費やされ、その間に多くの情報・知識が提供され、そして受信される。得ることができ、知ることのできるかもしれない体験はたくさんあり、それは各人の人生を豊かにする。意識の転移が徐々に起こる機会が大規模に提供されたことはこれまでにかつてなかった。意識の連続性を達成する用意がすでに整っている大きな集団が存在し、彼らはただそれを達成する実際的なテクニックを欠くだけである。
 このテーマについてすでに提供されている情報がより広く知られ、そして入手できるようになる処置が間もなく取られるだろう。多くがすでに授けられており、人々の学習と応用を待つ。これまでに記録され、出版された数々の教えの宝箱に気づく者は、今日ほとんど存在しない。
 この達成の鍵は、意識のメンタル(識心)体への偏極である。アストラル(感情)体と肉体の正しい整列がメンタル偏極を徐々に築いていく土台を提供する。これが達成されると意識の連続性が自然に生じる。もちろんその達成の度合いはさまざまであり、その過程はかなり長期にまたがる。
 霊的無執着の必要性について多くのことが書かれている。この特性こそが、睡眠状態から持ち越された現象や情報を正しく解釈するための場をもっとも容易に提供する。それがなければ、意識の連続があっても、多くの歪みが生じ得る。
 霊的無執着は、非自己集中の結果として生ずる。奉仕と正しい瞑想を通して、弟子の意識の方向は、限度ある自己自身から自己でないものへ転移する。これが神聖なる無執着の状態を産み出し、欲望は静まり、裡なる真の霊人が顕現することができる。
 この顕現とともに、意識の連続が始まるための道が開かれる。肉体を離れて得た体験を安全に、正確に記録し、知ることができ、弟子の人生に新しい一章が開かれる。(進化の)道の上における弟子のレベルによって、学びの殿堂か、あるいは智恵の殿堂が、彼の知識の意識的領域となる。
 これまで、睡眠状態と目覚めた状態の間の意識の連続性について語ったが、さらに大きな意識の拡大が、生と死と呼ばれる二つの大いなる体験の領域の間の溝に橋を架けることができる弟子を待っている。
 いのちのみが存在するのである。死は、いのちのもう一つのレベルの体験を指す名前であり、人間の限られた意識を除けば、いのちは連続し途切れることがないのである。われわれが死と呼ぶ体験と、その間(生と死の間)の体験と、外的顕現への復帰を、完全に覚めた意識で思い起こすことのできる時が訪れつつある。そうすると、人間は死の恐怖をなくし、神の子としての本当のアイデンティティー(正体)を完全に認識するなかで、知識と至福の内界の収穫を刈り取るだろう。

(シェア・インターナショナル誌1987年11月号)