カテゴリー別アーカイブ: 編集長への手紙

肯定的な反応

編集長殿
この夏(2016年)の7月に、私たちはカリフォルニアのロサンゼルスで数日滞在し、パシフィック・パリセーズ地区にあるベンジャミン・クレーム美術館の宣伝をしました。私たちはウェストウッド地区にあるUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の中の店を訪ね、人々に美術館への来場を呼びかけました。ベンジャミン・クレーム氏による『タンカ(チベットの伝統的な仏画)』の絵と、美術館の情報が書かれた10×15cmのカードを、店の人や店内で興味を持ってくれた人に手渡していました。どの人からもとても良い反応と温かな笑顔を向けられました。店の営業主たちは、店の中の掲示板にカードを貼り、カウンターや従業員の休憩室にも置くことを請け合ってくれました。美術の学生たちはとても興味を示してくれて、秘教美術についてもっと知りたがっていました。彼らは他の学生に渡すための追加のカードまで求めてくれました。
二日目にはサンタモニカのサード・ストリートの遊歩道沿いを歩き、商店主たちからの反応は、UCLA地区での最初の日と同様に並外れていました。人々はとても熱心で、美術館を宣伝する私たちの努力にとても協力的でした。
その日の終わりに、私たちの手元にはほとんどカードが残っていませんでした。帰ろうとしていた時、道沿いの商店街の真ん中の売店に腰を下ろした、カジュアルな服装の紳士が、宝石やペンダントを売っているのに気づきました。その男性は中東の顔立ちで30代後半か40代前半のように見えました。私たちは彼にも美術館への来場を勧めました。会話の間、美術館の主要作品であるタンカの絵のカードを渡し、さらに美術館についての情報を伝えました。
すると彼から、「これはマイトレーヤについて話をしている同じベンジャミン・クレームですか?」と尋ねられました。私たちは「はい、そうです」と言いました。それから彼はタンカの絵をじっと見つめて、ためらいのない自信に満ちた様子で、「この絵は覚者と弟子との関係を描いています。頭の天辺の周りの円形は、意識のレベルを表します。バラ色のカーブした線は宇宙の愛のエネルギーと全宇宙の相互連結性を示しています」と言ったのです。絵についての彼の即座の解釈に、すっかり驚いてしまいました。
その男性と目を合わせると、彼の瞳は非常に鋭く、強烈でした。彼は一人のシャーマン(まじない師、一種の宗教指導者)と南米で仕事をしていた時の、ある体験を話し始めました。彼は、「私がそこにいた時、とてつもなく影響を受けたキリストとの出会いがありました。それはキリストの圧倒的な愛の、ものすごい体験でした。私は泣けてきて、泣き止むことができませんでした」と語ってくれました。
彼の体験の話を聞き終えて、私たちは「間もなく人類すべてが、大宣言の日に同じような体験をするでしょう。その時マイトレーヤが全世界にご自身を現わされるのです」と言いました。
その店主は微笑みながら、美術館への招待のお礼を言ってくれました。
私たちはその紳士が特別な方だったのだろうかと思っています。
A.D.、D.D.
米国、ジョージア州マリエッタ
【ベンジャミン・クレームの師は、その店主がマイトレーヤの代弁者であったことを確認した】
洞察力

編集長殿
英国がヨーロッパ連合に留まるか離脱するかを決める、2016年6月23日の悪名高いEUの国民投票の前日、私は英国の空港にいました。
私のフライトが遅れていたので、込み合ったカフェのエリアで座って待っていました。一人の若い男性が同じテーブルに座ってよいか尋ねてきて、楽しい会話が始まりました。「楽しい」のは仲間という感覚や一体性、お互いに話をする喜びがあったからです。世界は変わる必要があるということで意気投合し、私たちの政治や経済、社会構造は時代遅れで、私たちは世界全体が公正な社会と、持続可能な生き方を創造する必要があることにも賛同していました。
彼は英国北部に住んで仕事をしていましたが、移民で、彼の両親はシリア人とポーランド人でした。私たちの会話は国民投票にも及び、人々はEUを離脱する方へ投票するだろうという憂鬱な思いがしていましたが、努めて物事の肯定的な面を見るようにして、世界には正義や分かち合いという考えに、積極的に反応する十分な人々がいるというようなことを思っていました。国民投票について、彼は悲しそうに首を振って、人々はわがままで怖がりだと言いました。彼は警告を与えているように思えました。
彼が去っていく時、仕事でソフィアに行く予定だと言っていました。ソフィアというのは智恵を意味しますので、私はこれをヒントだと思いました。彼は代弁者でしたか。
匿名希望
【ベンジャミン・クレームの師は、彼がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

 

宇宙全体のために歌う

編集長殿

2016年8月6日の朝、夫と私がフランス南部の地元のキャンプ場からディー・センターまで、日課の散歩に出かけた時、ディーのノートルダム大聖堂の、教会の鐘の音が聞こえました。

歩きながら、私たちはたとえ他の人の考えや期待に沿えないとしても、人生で正直であることや、人生の道のりに真に全力を捧げることについて話し合っていました。生まれ変わりやマイトレーヤのこの世界への出現、地球外生命の存在のような話題は、他の人々との会話に持ち込むことがしばしば困難なもので、大抵はバカにされているように感じるのです。

私たちはマイトレーヤの教えや、真に自分自身であることの必要や、適応のための行動の中で仮面を被らないことについて議論していました。その週の初めに、私は助けを求めて祈りを捧げ、この混沌として不安定な現代世界で、霊的ハイアラキーの光の仕事の枠組みに、つながりを保てるようにお願いしたのです。

私は大聖堂へ行って、キャンドルに火を灯すように強く促されたように感じました。内部に入ると、とても美しく感動的な音楽が、大聖堂を満たしているのが聞こえて驚きました。キャンドルに火を灯すと、気持ちが高揚したのを感じ、まるで私のハートに染み込む音の中に融合したかのようでした。私は立ったまま音楽のエネルギーに夢中になりながら、その音楽の源を見て驚きました。一人の男性が最前列の椅子の前の、石の床の上に足を組んだ蓮のポーズで座っていたのです。彼は体の前側にインディアン・ハルモニウム(携帯オルガン)を持っていて、完全に没頭して演奏していました。彼はとても自然な感じで、心を込めて歌い、演奏をして、まるで彼の存在全体が演奏の中に浸されているかのようでした。彼の演奏の強烈さがそれ自体を特別で馴染みのないものにしていました。それは全く美しいのですが、その独特の性質がどこか地球的でない感じでした。外の通りにいるミュージシャンたちのように聴衆もなく、お金を集めてもいませんでした。彼は自分の歌と完全に同調していたのです。

私は自分の個人的な状況について考え、食べ物や子供たちの面倒を見ること、請求の支払いやその他の義務、世界のニュースなど日々の関心事に、いかに簡単に心をかき乱されてしまうかを思いました。このミュージシャンが完全な注意と真の集中状態にあることと、どれほど異なっているでしょうか。言葉もなく、マントラもなく、彼はインディアン・ハルモニウムを伴奏しながら、心から歌っていて、それはまるで宇宙全体のために歌っているかのように感じられ、彼の存在が全くの奉仕の仕事の中に溶け込んでいるようだったのです。その音楽のエネルギーは、伝導瞑想中のマイトレーヤからのオーバーシャドウの時のエネルギーのようでした。この人はマイトレーヤなのだろうかと思ったのです。

それから礼拝者のグループが聖堂内に入って来ました。彼らはそのミュージシャンが歌っているのを聞いて、予期せぬ状況について意見を交わしていました。しばらくすると、聖具保管担当の人が彼らのところへやって来ました。私は腰を下ろして、その担当者がミュージシャンに美しい演奏を続ける許可をして、その特別な音楽を楽しんでくれたらと望んでいました。私はこの世界にもっと愛と寛容が必要だと思いながら、このディーの街で寛容の象徴的な行為を受け入れることになるなんて(!)と思ったりしていました。

私は一人で笑ってしまったのですが、もしこの男性がマイトレーヤならば、ご自身が完璧に状況を把握することができたのですから! その担当者はミュージシャンを数秒間眺めてから、演奏を続けることを許可しました。

私の夫のヤンは、この美しい活動が人生の道のりであるなら、何より深い敬意が示される必要があると思っていました。このことで彼は、私たち皆が、自分自身の人生の道のりをたどらなければならないと感じたのです。ヤンはそのミュージシャンの写真を撮り、お金をいくらか渡しました。「(フランス語で)あなたはとても気前がよいですね」と彼は満面の笑みでヤンに答えました。ほんの一瞬、彼は演奏を止めました。私たちは、10 代の私たちの娘を迎えに行かなければなりませんでした。

ミュージシャンが演奏している間、私たちは彼の前を歩いて通り、演奏を邪魔したくはありませんでしたが、彼の喜ばしい音楽に感謝の気持ちを示したかったのです。

「(今度は英語で話し始めて)私の音楽は純粋なインスピレーションによるもので、私のハートから、フィーリングから演奏しています」と話してくれました。

そのミュージシャンはインド人の風貌で、黒っぽい瞳で、彼の瞳は愛と優しさに溢れていました。私たちはマイトレーヤに出会ったかのように感じていました。私には他の写真を見ても、伝導瞑想の時でも、その瞳やエネルギーが分かっていました。私たちはうなずくだけで、何か口が利けない感じがして、強烈な愛と至福の喜びに満たされていました。

二人一緒に黙ったまま大聖堂を出て、日に照らされた人通りの多い市場のある広場に戻ると、マイトレーヤによる音楽とエネルギーで祝福を受けたのではないかと、二人ともが思っていたのです。

マリヤンヌ・ラエフェン、ヤン・カールハト

オランダ、フォーレンダム

【ベンジャミン・クレームの師は、その『ミュージシャン』が変装したマイトレーヤであったことを確認した】

 

クリスマス物語

編集長殿

2015年12月18日に、プレゼントのためのクリスマスの買い物中に、私はスロバキアのトレンチーンにある大型の電器店で息子に出会いました。私たちが別々のノート型のパソコンを見ていた時、一人の男性が店にやって来ました。即座に彼に注意を引かれました。彼は上機嫌で楽しそうに通路を歩く間、親しげな打ち解けた様子で人々に挨拶をしていました。彼は楽しそうな様子のサンタクロースのように思えました。彼の長いあごひげはあらゆる方向に向いているように見えました。彼の瞳はきらめいていました。彼の格好はとても変わっていました。ホームレスのような服装だったのです。長い丈の明るい青色のコートを着て、頭には毛糸の玉がてっぺんに付いた、クリスマスツリーの形のグレーのウールのキャップを被っていました。私は、コンピューターを比べることに忙しくしていた息子に、彼のことを教えました。彼の楽しげな様子は、私を笑顔にしてくれました。しばらくすると、警備員が彼を店から連れ出してしまいました。あの男性はマイトレーヤだったのではないかと思うのです。

ペテル・ヴァイス

スロバキア

【ベンジャミン・クレームの師は、その陽気な男性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

 

保護

編集長殿

2014年12月30日、冷たく暗い夕方の午後6時45分の道路で、ラッシュ時も終わりかけていて、ほどほどのスピードで運転でき、所々凍った郡の道路には適切に思えていましたし、車線上の亀裂にタイヤがはまったとしても十分に乾燥していましたが、車線の外側は凍結状態が残っていました。

ボールダーの伝導瞑想メンバーである私たち二人は、近隣のコロラド州ロングモントにあるコニー・シェイファーの家での伝導瞑想に参加するため、毎週のドライブ中でした。私たちが追い越し車線にいた時、1台の車が突然、右の車線から私たちの方へ曲がってきて、ほとんど助手席の私にぶつかりそうになりました。私の自動反応機能が働き、「ああ、神さま」と叫んでいました。メンバーのザック・キャッスルマンは衝突を避けるために、道路の左端へとハンドルを切りました。道路の凍結のために、車は制御できなくなり、後部が左右に振れたり、何度も前後に曲がったりしながら、180度回転すると、私たちの車に向かって進行してくる車線に対して後ろ向きに走っていました。

車は後ろ向きで進み続けましたが、左側の北方向の車線から、道路の一番右端へと移動しました。この逆向き運転はゆっくりとなっていきました。車の後ろ向き進行はとても深い溝の脇に沿って進みました。それから車の後部が溝へと向かっている感じがして、その溝は夜の暗がりの中で果てしなく深く見えたので、横転するのではと思いましたが、その後、車は後部から溝の中をゆっくりと進み、驚くほど穏やかで、幾分唐突に止まったのです。

車の流れは途絶えていませんでしたが、私たちの車の前部はその流れから逸れていました。車は道路に対して鋭角に止まっていましたが、私たちは安全でした。私は助けを求めて電話をしましたが、要請が多いため3時間待ちになると言われました。それほど時間が経たないうちに、小型のトラックに乗った二人の若いヒスパニックの男性が車を止めて、私たちの車を溝から引っ張り上げることを申し出てくれました。彼らが何の苦もなく私たちの車を引っ張り出した様子には、本当に驚きました。私たちは心からお礼を言い、面倒をかけたことへのいくらかのお金を、彼らはためらいながら受け取ってくれました。その間に、私たちに衝突しかけた運転手が、私たちの車を探して謝罪してくれました。その人が言うには、私たちは彼の『死角』にいて、バックミラーでも見えていなかったということでした。私たちはそのままドライブを続け、ほんの 30分しか遅れず、その体験に少し動揺もしていていましたが、どこにも悪い所もなく、無事でいることをとても幸せに感じていました。

特別な方が車を安全に移動する手助けをされましたか。二人のヒスパニックの若者は特別な方たちでしたか。

ロン・ルークス

米国、コロラド州ボールダー

【ベンジャミン・クレームの師は、あらゆる面でイエス覚者の弟子たちによって助けられたことを確認した】

 

 

ペンテコステの訪問

編集長殿
 ペンテコステの翌日の月曜日は、オランダでは祝日です。2016年5月16日のペンテコステ・マンデーに、センターは公式には閉まっていましたが、数人がそこで仕事をしていたので、「オープン」の看板をドアに出しました(ちょうど前日に私たち数人が冗談で、ペンテコステの大宣言の日にマイトレーヤに会うのを希望しているとか、期待しているという架空の話をしていたのですが、それはペンテコステが弟子たちのオーバーシャドウの象徴だからです)。
 まさに私たちが閉めようとしていた時、お馴染みの姿の、スリナム人の風貌の男性が、中をのぞき込んできて、『生きる術』の本をちょっと見てみたいと言いました。ほんの二言三言で彼は私たちをよく知っていることがわかり、普通の訪問者ではないことが早々に判明しました。
ここからは、その時彼が語ったいくつかのことです。「私たちは皆ひとつで、すべてがつながっているのです」
 「あなたたちはここで瞑想をしていますよね? いつもは何人が来ますか?」。それは2人から大体12人くらいの間だと、私たちは答えました。「人々はまだ瞑想が恐ろしいと考えています。忙しく行動しているのが好きなので、静かにして瞑想をするのを好みません。内省的であることを好みません。でも人々は自身の魂とつながる必要があり、瞑想をする必要があるので、そうしなければ完全にバッテリー切れを起こしてしまうのです」。彼は魂の接触との関係における創造性の話をしました。「私たちは魂と接触していれば、創造的なのです」
 「機械的になることを、どうしたら避けられますか?」。彼が意味したのは、新鮮な気持ちを保つことと、自発的に出現について話をすることだと、私たちは理解しました。私たちはハートから語ることが大切で、聴衆が何に興味を持ち、何を自分たち自身と関係があると思うかを観察することも重要だと答えました。
 彼はまた私たちが惑星の状態をどう考えているか尋ねてきました。私たちの惑星は最悪の状態にあると答えると、彼の反応は「そうは言いません」というものでした。私たちがそれは事実であり、そのことについて完全に正直であると感じていると伝えると、私たちの非常に親密な会話の中で、彼は「そう、本当に私たちは現実的でなければなりません」と言いました。
 そして彼がとてもあからさまに、私たちがこれまでマイトレーヤに出会ったことがあるかどうか尋ねてきました。テレビでという意味ですか? 「いいえ、彼自身にです」。いいえ、でも様々な扮装をしたマイトレーヤには会ったことがあります。「本当に会ったのですか?」。はい、扮装の姿で。「彼はいくつですか?」。彼は全盛期です。「それはいくつですか?」。彼は全盛期ですよ、あなたのように。「そう、それはいくつですか? 知っているに違いありませんね、会ったというのですから、私に会っていますね」。50歳くらいです。「ああ!  私は49歳です」と彼は言いました。
 会話を通して、彼が主導していて、穏やかでユーモラスで、尊敬に値する人でした。彼が帰る時、私たちに投げキスをしました。もしかして彼は穏やかでフレンドリーな訪問者の姿をした、マイトレーヤでしたか。ありがとうございます。
シェア・オランダ・インフォメーションセンターのグループメンバー
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、その素朴で尊敬に値する訪問者が、扮装したマイトレーヤであったことを確認した】

安全な道のり

編集長殿
 2016年5月3日の午後2時40分くらいに、ウィックロー州のキルマカヌージから家まで車を運転していた間のことで、私の住むブラックロックへ向かうために、中央分離帯がある道路から外れなければならなかったのですが、左手側の車線へ移った時、背後からスピードを出して近づいてくる車に気づいていませんでした。私の車は移る前の車線へと、強制的に押し戻される形になりました。そのような見えざる手の力による助けがなかったら、車は二つに折れ曲がっただろうと思います。このことすべては瞬きほどの間に起こりました。最初のショックの後で、私は起こったことへの計り知れないほどの感謝を感じ、驚きと喜びに満たされていました。恐ろしい衝突は避けられたのです。それはこれからずっと感謝し続ける、信じられないような体験でした。このことがどなたのおかげなのか、お尋ねしてよいでしょうか。
あなたのすべての素晴らしいお仕事に感謝します。
ノラ・ハート
アイルランド、ダブリン州ブラックロック
【ベンジャミン・クレームの師は、彼女がイエス覚者によって助けられたことを確認した】

思いやることは分かち合うこと

編集長殿
 7月3日の早朝から、私たちはルーツ・フェスティバルに私たちの例年のブースを出しました。
私たちは大抵ブースの前に立って、人々をブースに引き付けるために資料の文章を読み上げているのですが、私がそうしていた時、若々しい中年の二人連れが私たちのブースにやって来ました。彼が着ていた服装はあまりにも古めかしく、女性の方は手作りの「パディントン・ベア」風の、紙でできた非常に風変わりな形の帽子を被っていたのです。
 それで私は「あの方たちだ!」と思いました。
 男性が大声で「マイトレーヤ」と言って、テーブルの上の読書用資料を指差して、「彼のなさることすべてはちゃんと見てきました」と言いました。
 彼は特に、「分かち合い=正義=平和」と書かれた私たちの大判の旗に注目してくれて、「本当に思いやるなら、分かち合うものです」と言っていました。彼は続けて民衆の力について語り、それがいかに論理的で自然な次なるステップであるかを話して、もし関心を持っているなら、通りへ出かけて、そうした正義や平和をもたらすための変化を要求するだろうと言いました。私たちは皆心の底からそのことに賛同しました。私たちはそれを言い続けることを伝えました。
 ドゥウェインとその男性は大変改まった様子で会話を交わしていて、彼らは会話の前に握手をしていて、その後一緒に奇跡の写真の展示を見ていました。
 しばらくしてその二人が幸せそうに帰っていき、女性の方が私と握手をして、彼女の名前はソフィと言っていました。即座の歓びの感覚がありました! 彼女の瞳は言葉で表現できないもので、まるで最も優しい言い方で「あなたたちのしていることは、すべてとても素晴らしい、けれども題目についてもっと語ることができる」と言ってくれているかのようでした。はっきりとしていながら、とてつもなく優しいものでした。彼らは有名なカップルでしたか。ありがとうございます。
アルベルト・アリバサー、ドゥウェイン・アルバス、
アムステルダム伝導瞑想グループ
オランダ
【ベンジャミン・クレームの師は、その紳士がマイトレーヤで『ソフィ』もまたマイトレーヤであったことを確認した】

 

日本講演レポート

本誌監修者、石川道子講演会は、仙台、東京、大阪、名古屋の4都市で開催され、いずれも盛況のうちに幕を閉じた。
最初の講演は、5月15日に仙台で開催され、2011年の大震災後6年ぶりの開催であった。聴衆は非常に熱心にこの希望のメッセージに聞き入っていて、そのほとんどが初めてこの話を聞く人々であった。収容人員180名の会場は220名ほどの人であふれ、別室が用意され、大画面のスクリーンを通して熱心に講演を聞いていた。途中で音声の不具合が起こったが、人々はホールに移動して、帰ることなく、4時間もの間、ホールに設置された画面をとおして熱心に講演に耳を傾けていた。
東京講演にはおよそ1,000人、大阪と名古屋では、600~700名の聴衆がやってきたが、名古屋では特に若い人々の姿が目立っていた。
どの講演会場でも、ワーカーたちが街中にポスターを貼って歩いたり、電車内ポスターを使ったりして、熱心に準備活動を行った。70万~100万枚のカードやチラシが撒かれ、大阪で産経新聞に掲載された全頁広告はことのほかこのグループの活動と情報を端的にわかり易く知らせる物だったことから、後にチラシとして各地でも使われた(以下の手紙参照)。そして、これはどの講演会場でも共通していたことであるが、聴衆の方々の姿勢がとても真剣であった。一言も聞き逃さないといった態度で、質疑応答を入れると4時間あまりになる講演に熱心に耳を傾ける姿がとても印象的であった。
各講演会主催地では伝導瞑想会も催され、100~300名の人々が参加した。講演旅行の最後に滋賀でワーカーのための研修会が開催され、179名が参加、熱心にこれからの活動について話し合った。研修会では土曜日の瞑想が始まる前に、ロンドンのクレーム氏とスカイプでつながって、マイトレーヤからの祝福のエネルギーを受けた。

ハイアラキーの援助

編集長殿
2016年 5月28日、石川道子氏の講演会がクレオ大阪で開催されました。当日は非常に熱心なお客さんが多く、石川氏のお話はとてもすばらしいものであり、みんなシーンと聞き入っていました。
講演会の広告に関して、4月30日の産経新聞大阪版に掲載された全面広告について、これまでとは全く違った流れがあったことについてお尋ねしたいと思います。
3月末ごろ、まだ講演会の2カ月前なのにいつもの産経新聞の広告代理店から何回も電話がかかり始めました。それは、講演会に向けて新聞の全面広告をやりませんか……というものでした。私はまだ早すぎると思ったので、適当に流していました。しかし、4月になっても何度も電話があり、だんだん次のような提案に変わっていきました。担当者は、「今までに出した全面広告はポスターのようなものだし、書籍を載せているけれど分かりにくいし、もうこれからは読者に伝えたい話の内容をもっと分かりやすく、そして読んでもらえるように提供した方が良いです。そうでなければ全面広告の意味がありませんよ」と言ってきました。
そして驚くことに、担当者は、「……講演の内容まで踏み込んで、このような講演会ですというように話される内容がわかる広告で、……また今までの視点とは違うバージョンをこちら(広告会社)が作ってみたいのですが、どうでしょうか」と言いました。私は内心そんなことは想像もしてなかったので、びっくりしました。また担当者は、「たとえ当日の講演会に来られなくても、読者がこういう話なのかと思ってもらえるものを、今、提供する必要があるんです! それを今、準備することが絶対に必要なのです! もうそういう時期に来ているんです! 石川講演会に向けての全面広告で伝えるインパクトが最も効果的です。今は早いと思っているかも知れないけど、全然早くないですよ! 作るのにも時間がかかるし、後になって、きっと早めに作っておいて良かった! ……と絶対に思いますよ! ……だから今、すぐやりましょう!」と、力説されてしまいました。
私は担当者のすごいパワーに圧倒されたので、本当にこの人が言っているのだろうか、と思ってしまうほどでした。
それから担当者は、「私が知っている範囲ですが、全面広告をやって読者からクレームが一件も来ないのはこのグループだけですよ。だから私は安心して勧められるんです。これまで、あなたたちの広告はいつも審査は一回で通るし……けれどこれは稀なことなんです。大手のメーカーでさえも審査が通らず、何回もクレームが来るんです、全面広告となると本当に難しいんですよ!」と言いました。
最初、私は毎日のように電話をかけてくる担当者に熱意を感じつつも、今までの原稿はこちらのグループで作っていたこともあり、まずグループと相談する必要がありました。講演者である石川さんにもお話すると、「すばらしいニュースでうれしい、思っていることをズバリ言ってくれた担当者に感謝したい……」とも言われましたので、私たちのグループは前向きに検討することにしました。
その旨を担当者に伝えて、パンフレットや石川さんのインタビュー記事、2015年度の石川講演のDVDを含めた数点の資料を渡しました。
そして1週間後に初稿が届きました。石川さんは、「見事な出来栄えで、伝えたいことが一枚にすべて網羅されており、大変すばらしい……」と感心されました。翌日、担当者から電話がかかってきました。「……どうですか。原稿は見ていただけましたか……」と静かに言われた瞬間、私はいつもの担当者とは違う雰囲気を感じました。私が、「……もう王道ですね……」と言うと、染み入るような声でゆっくりと「……王道で作りました……、言いたいことをすべて書きましたよ……」とやさしく言われました。それから担当者は、「自分は少しだけアドバイスをしただけです。私と製作者が決めたのは、クレーム氏がこういうことを言っているという流れでいきましょう、ということだけで、後は製作者が資料をしっかり読み込んで作ってくれました……」と言いました。
「この広告のタイトルの『分かち合いが世界を救う』については、製作者と私はすぐ一致しました。ここが大きすぎる字のように感じるかも知れませんが、これでインパクトを与えるのです。読者の目をここに集中させるのです。ここにはその力が集まっています。そうすると読者はどんどん引き込まれて読んでいくのです。それから、あなたたちはすばらしいボランティアグループだし、しかも、世界中にネットワークとしてつながりをもって活動しているということも分かるようにした方がいいのです……」
次に私は、たくさんのクレーム氏の著書(15冊)の中からよくぞこの2冊を出してくれましたね、と言うと、「この2冊は、今、非常にタイムリーなんです。今出す本はこれなんです。製作者がそうしたんです。これを今、前面に出さなくてはならないのです! ……ここを読めば伝えたいことがすべて書いてあります。それをここに書くのです。最初に書くと最後まで読んでもらえないのです。この場所でいいのです……」とだんだん熱く話してくれました。私はこんなにも真剣に私たちの活動について考えてくれていた担当者に驚いてしまいました。
全面広告は新聞社の審査も問題なく通り、4月30日の大阪版に掲載されました。関東のグループは、石川氏の講演会のお知らせ部分だけを東京、仙台、名古屋のものに変えて、この同じ広告を東日本エリアの産経新聞に全面で出したいということになり、担当者にその旨を伝えました。何度も電話のやりとりをしているうちに、2~3時間たったころ、急展開になり、「もう時間がないのでその原稿を使ってください、時間がないからいいですよ。もう好きなように使ってください!」ということになり、東京オフィスの審査も無事に通り、この全面広告が東日本全域で掲載されました。そして今後もこの原稿は全て自由に使ってもいいと言ってもらえました。
講演者の石川さんは日本全国のワーカーに向けて、今回の全面広告が出来た経緯を説明し、各人がその広告原稿の内容を読んだ上で、是非これを分かち合いたいと思ったら、講演会の案内と一緒にこのコピーを配布することで、情報の内容をより詳しく伝えることができる旨、呼びかけました。全国のワーカーは直ちに反応し、コピーの注文と寄付の申し込みが次々と入りました。すごい勢いで全国のどの地域も、この広告原稿を使って、もっと広報したいという意識になり、全国的に活気づいてきました。広告原稿を大量に印刷するにあたって、石川氏の最初の講演会である5月15日の仙台に間に合わせるためには、(しかも、5月の連休が始まる直前であり)、まさに超特急で印刷の手配が必要になりました(広告を作るのにまったく“早すぎる”ことはありませんでした)。
結果的に、新聞に掲載された他、この広告原稿のコピーは70万枚印刷され、全国のワーカーがそれぞれの地域で活動し、配られました。
石川氏は講演会での質疑応答の部で、情報を人に伝えるためにどうすればよいか、という質問に答えるときに、この広告のコピーについて話されたので、聴衆は帰り際に何枚も持っていく人々も多く、用意されていたコピーは各講演会場とも、あっと言う間になくなってしまいました。
全面広告に関するこれら一連の体験は日本のワーカーたちの広報活動をさらに活発にし、6月10~12日の週末に開かれたシェア・ジャパン研修会において、全国から集まった179名のワーカーはこの情報を伝え続けていくことへの決意を新たにし、今後の1年間を通して、このコピーを使用する方法などを討議しました。
この広告の作成に関して、マイトレーヤか覚者のお助けがあったのでしょうか。
U.M./滋賀県、日本
【ベンジャミン・クレームの師は、日本のグループがハイアラキーからの援助という贈り物をいただいたことを確認された】

(以下は同じ人物に関する3人の体験です)

特別な見守り

編集長殿
2016年5月15日、宮城県仙台市のメディアテークで、東日本大震災から6年ぶりに、石川道子氏の講演会を行いました。講演が始まる時間には180名の会場が来場者で満員になり、満員時の予備室として講演の様子をプロジェクターで実況していたスペアルームも一杯になるほど、講演会は盛況でした。ところが間もなく、スペアルーム(予備室)で実況していた講演音声が聞こえなくなるという機器トラブルが発生ました。スタッフは、機器の調整、お客様への説明と、想定外の事態に皆大わらわで対処していました。そのとき私(M.M.)もスタッフの一人として、状況を係に連絡するために走り回っていました。が突然、来場者の一人から声をかけられたのです。
「Mさんのことは、よく知っているよ。大丈夫だから」と、突然、私は名前で呼ばれました。
中背、40~50歳位の男性は、短髪で根元が白髪、整った顔立ちをしており、親しげな笑顔で話しかけてくるのです(服装は白か水色のアウトドア系のジャケットを着ていたような記憶がありますが、こちらも慌てていたので記憶が定かではありません)。見知らぬ人から自分の名前を呼ばれた私は驚きましたが、「あれ?  どこかで上映会をした時に会った人かな? それとも知人か親戚かな?」と考えましたが、思い当たりません。見覚えがないはずなのに、どこかで会ったことがあるような気もします。明るくて快活、言葉は東北弁で訛っていますが、とてもさわやかな印象で、周りの人と異なる雰囲気がありました。その男性とは、その後2回遭遇しました。
スペアルームでは音声が聞こえないからと、来場者たちは廊下設置のTVモニターへと移動していました。彼らは廊下のTV前に人だかりをつくり、座り込んでモニターを見る人もいました。が、これに対して会場側から、「防災上、廊下での立ち見・座り見はやめさせてほしい」という注意が出されました。しかし、音声がなかなか回復せず、スタッフはかなり焦っていました。
慌てていた私の後ろから、また彼がニコニコして現れ、「会場にいくつか空席もあるし、立ち見もできっから(できるから)、俺建築士だからよく知ってっから(知っているから)」と威勢よく言ったかと思うと、「立ち見はできません」と呼び止めようとする私を置いて、ピューっと走り去ってゆきました。かなりのスピードで追いつけないくらいでした。
その後、音声も復旧し、第2部の質疑応答のときには、(休憩時に途中で帰った人もいたので)スペアルームにいた人も全員会場内に座ることができ、スタッフもやっと胸をなでおろしました。
プログラム終了後、他のお客さんに混じった先ほどの白髪の男性とすれ違い、(今日はこのおじさんと何回も出会うな)と思いつつ、「先ほどは、ありがとうございました」とお礼を申し上げた所、彼は目でニコッと笑い返してくれましたが、周りのお客さんの様子を見守っているような感じでした。
人なつこくて活気があり、さわやかで確信にあふれた様子で、大工の棟梁さんかお祭りの仕切り役のような感じの人でした。席に座り講演を聴こうとする来場者の中で、なぜか彼だけが来場者の流れや会場全体を見守ってくれているように目立ち、「スタッフなみの活躍をしてくれて不思議なお客さんだな」と、とても心に残りました。(気仙沼市 M.M.)
講演会直前までたくさんの問合せ電話があり、また、やるべき広報は全てやりつくしたという想いから、私(M.M.)は晴れ晴れした気持ちで当日を迎えました。
第一部の講演後の小休憩の時、私は質問用紙を石川さんに届けようと7階フロアを足早に歩いていました。すると、突然男性から声をかけられました。その男性は白髪の短髪で中肉中背、年齢は40~50代くらい、ベージュでポケットのたくさんついているベストを着ていました。その方は、とてもピュアな明るい、生き生きとした目をされていて、とてもいいお顔をされていました。とにかく明るい雰囲気の方で、私を待っていたかのように、素敵な笑顔で片手を上げて「よっ!!  来たから」と言われたのです。突然だったので、私はどのような対応をしたか忘れましたが「ありがとうございます」と言ったのか、「どうも」と会釈したのか定かでありません。が、驚いたのは、その男性の挨拶の仕方が、私のことを昔からよく知っていて、親友のような旧知の知り合いのような、とてもフレンドリーな挨拶だったのです。私もどこかでお会いしたかもしれないと思うのですが、記憶をたどっても全く思い当たりません。今でもとても不思議な方でした。
あとで夫(M)と話していたら、夫に声をかけた人は私に挨拶された男性と同一人物だと思いました。
スペアルームでのモニターテレビのトラブルにもかかわらず、怒って帰られた方は2名だけで、その他の方たちは熱心に残って話を聞かれていきました。数日前に、電話の問い合わせをされてきた70代の講演者と同じ「道子」というお名前の女性が最後に「当日は、いい日になりますよ」とおっしゃった通り、とてもいい日になりました。(気仙沼市 M.M.)
当日はスペアルームでのトラブルがあり、スタッフは慌ててバタバタしているところで、スペアルームに出たり入ったりしている一人の来場者がいるのに私(U.C.)は気づきました。その方の動きはまるでスタッフのような動きをしていました。その方は、あとで聞いたらスペアルームの来場者を廊下にある大型テレビモニターの所に誘導した方ということでした。スタッフ以上に適切な動きをされて、誘導されたその男性が、普通の方とは思えなかったのです。ベージュ系のジャンパーを着た中肉中背の方でした。(仙台市 U.C.)
これらの男性は、来場者でしたか? それとも、トラブル対応のために助けを与えられたのでしょうか?
【ベンジャミン・クレームの師である覚者は、この助け舟をだしてくれた男性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

 

グループ体験

編集長殿
2016年春にドイツで、私は講演者として瞑想と気付きについての会議に参加しました。私の話題は瞑想研究と、幼稚園や学校、大学での瞑想の活用でした。300人以上が集まり、そのほとんどが教育の分野で働いている人々が講演に来ました。私の講演の途中で、思いやりの瞑想について実演しました。人々が皆目を閉じていました。瞑想の間聴衆を導いていた時、会場内の強力なエネルギーに気づきました。瞑想後、人々は瞑想が大変効果的だと言いました。一人の女性は後日になって、瞑想の最中に自然と涙が流れたと言っていました。
今私は不思議に思うのです。直接再臨について語っていなかったにもかかわらず、おそらくマイトレーヤか覚者方のエネルギーが、この思いやりの瞑想の間に流れていたのでしょうか。
匿名希望
【ベンジャミン・クレームの師は、そのエネルギーがイエス覚者から送られたことを確認した】

光の出現

編集長殿
2016年5月28日はどんよりとした曇りの日で、私が瞑想をしていた時、突然まるで頭上の屋根が開け放たれたように感じ、強烈な陽の光が注ぎ込んできたのです。目を閉じていたのに、それが見えていました。あまりに明るい光だったので、日光が分厚い雲を突き破って差し込んだのか、目を開けてみましたが、そうではありませんでした。目を閉じると、再び同じことが起こり、さらに何度か続いて起こりました。あまりにはっきりとしたことだったのでお尋ねしたいと思います。それは想像にすぎませんでしたか。その光は魂からのものでしたか。
匿名希望
【ベンジャミン・クレームの師は、それが想像ではなく、覚者方の一人によって意図的に与えられた体験であったことを確認した】

先見の明

編集長殿
仙台での石川道子氏講演会の数日前に、郵便受けにあった私たちのチラシを見つけた女性から、電話がかかりました。その方の名前もみち子さんで、みち(名前の前部分)は同じ歩く「道」という字です。その女性はとても元気でパワフルな人で、東北弁の訛りのある大きな声で話をしました。
彼女は私に、チラシがあまりにも難しく、分かりにくくて理解できなかったので、どのような講演をするのか尋ねてきました。私は現在の困難な社会情勢と、私たちを導く偉大な教師の到来について説明しようとしました。その女性はしばらく話を聞いていましたが、さっと話題を切り替えて、自分のことについて話し始めたのです。その女性は、私たちというのは、私たちのこの体が神の宿るところだから、皆が愛と感謝を持って生きるべきだと言っていました。
そして石川さんがいくつなのか尋ねてきたので、答えると彼女は驚き、「難しくて込み入ったことを話す若い人だと思ったが。若くて、きれいで、前向きな人だ。自分は70だけど、青春だ」と言っていました。その女性から石川さんに、まだまだ青春だから、長生きするように伝えて欲しいと頼まれました。
その女性から私の名前と年を尋ねられました。彼女の夫は彼女が55歳の時に亡くなり、それからは、自分の人生だと思って自分らしく生きていると言いました。彼女から「M(私の名前)は良い名前だし、あなたも素晴らしい人だ」と言われました。彼女は私に素晴らしいボランティアの仕事を続けるように励ましてくれました。最後に彼女がまるで予言でもするように、「(講演会の日を指して)きっと良い日になりますよ」と言ってくれました。
私たちは20分間話をして、会話の間、心の中にこみ上げるものを感じていました。東北地方のどこにでもいる田舎の年配の女性が、自分のことについて話しているのに、私や石川道子さんのことをとても良く知っているという感じがして、私に励ましと講演会の日への祝福を伝えてくれたようでした。彼女の声がまだ私の耳に残り、彼女を思い出すと胸がいっぱいになるのです。
講演会当日は本当に良い日になりました! この女性は特別な方だったのでしょうか。
ありがとうございます。
M.M.
日本、宮城県
【ベンジャミン・クレームの師は、その女性がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

もう一頑張り

編集長殿
2016年4月25日、ちょうど(アムステルダムの)インフォメーションセンターを閉めようとした時、二人の中年の紳士が入ってきました。私たちは何かお手伝いできることがあるかを尋ねました。彼らの一人が笑みを浮かべながら、「そう、だぶん僕たちがお手伝いできるかもしれないね!」と言いました。彼らは「光の勢力の集合」について、どこかでチラシに書いていたのを読んでいて、実際的な事柄としての意味を尋ねてきたのです。
彼らには静けさと愛ある威光というような雰囲気がありました。彼らは「光の勢力の集合」が何を意味するのか、どのように実際的なものになるのか、そしてこのグループの活動の意味について尋ねてきました。彼らの一人はさらに、チラシにあった「暗黒」という言葉と、多くの人々にとっての困難な時期であることを引き合いに出し、もう一人の男性はこのグループの仕事がどのように助けになっているのか尋ねてきました。私たちは30分ほども話をし、彼らはマイトレーヤの優先順位と、今日の世界の問題を解決する方法をよく知り、賛同しているかのようにずっとうなずいていました。
私たちは人類の分離性と強い個人性に対して、関係における魂の質としての和合について話をしました。男性の一人は変化への抵抗もあると言ったので、私は続けて「無知のために(それが私たちの仕事の一部であることを伝えながら)、人々は個人性と自由を失うことを恐れていますから」と言いました。覚者方の例が頭に浮かんだので、「覚者方はいまでも個人性を持っています」と言うと、それに対して一人が微笑んで「おお、やっと注目の発言が出ましたね」と言いました。また男性の一人は一滴が大海の一部になるという例えを話してくれましたが、これに対しては私が「でも(ある人たちには)やはり個人性を失う恐れを思い起こさせますね」と言うと、彼は答えて「ああ、私はそれで大丈夫だけどね」と言ったので、私たちは笑いました。彼は「緑の鳥が緑の木の中を飛んでいるという喩えもあるよ。それはまるで木と一つに見えるけれども、やはり鳥なのだから」と言いました。個人性の喪失(という恐怖)は必ずしも意識の喪失を意味するわけではないことを、絵に描いているような表現でした。
彼らは伝導瞑想についても知りたがって、背景となる情報を伝え終わると、短い瞑想をしてもらえるかと尋ねてきて、それが終わると心からのお礼を言って帰っていきました。
(1)この男性たちは、以前の場合と同じく、ちょうど帰ろうとしていた時にやって来たのですが、「特別な」方々でしたか。(2)最近多くの代弁者の方たちが、講演やワークショップの終了や開始直後にセンターに来られるという事実に、何かメッセージがあるのでしょうか。それは現在のこの途方もない時期に、私たちにより多くが求められている、ただほんの少しでも多く、より一層のエネルギーや努力を、これまでにないほど注いで仕事をする必要があるということへのヒントなのでしょうか。
インフォメーションセンターのメンバー 一同
オランダ、アムステルダム
【ベンジャミン・クレームの師は、(1)彼らがイエス覚者の代弁者であったことを確認した。(2)そのとおり!】

次の2通は同じ人物からのものです。

帰郷

編集長殿
(1)大体20年以上前に、私はフランス南部のニースとその後のムージャンで、数年間、非常に困難な状況にありました。ついにはその地域を離れて、健康を取り戻すために父親の家に帰りました。私がペリグーで列車から降りるとすぐに、一人の年配の女性が通路で近づいてきました。当たり前のように、彼女が私に向かって、治療のために自然療法医を訪ねるように言ってくれたのです。彼女は並外れた存在だという気がして、すんなり聞き入れられました。彼女は覚者でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』がイエス覚者の代弁者であったことを確認した】

クリスマスの出会い

編集長殿
(2)20年以上前に、私はガールフレンドに招待されて、フランスのオブジャで彼女の家族とクリスマス休暇を過ごしました。私たちが通りを散歩していた時、子供のための回転木馬の前を通り過ぎました。一人の男性が立ち止り、人々が行き交うのを眺めていました。
私はほとんど彼を見る暇がなかったのですが、突然、不思議な興奮を感じたのです。まさしく並外れた人物に出会ったのではないかと考えました。彼はほんの二言三言、おそらく「こんばんは」とかを話したようで、私はその状況にあまりに気持ちが動転していて、わかっていませんでした。友人たちは何も気づいていませんでした。彼は覚者でしたか。
パスカル・ブラシェ
フランス、トゥールーズ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が覚者方のお一人の弟子であったことを確認した】