編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

予言者を期待する?

編集長殿
 2021年5月9日日曜日、私はリヨンでの気候マーチに参加しました。行進では、主催者によると7,000人近くの人々が集まり、ソーヌ川岸に沿って行列が広がって、楽しく陽気な雰囲気に包まれていました。
 ある時に『レポーター』がマイクと録音機器を持って、私に近づいてきました。彼はカメラを持っていませんでした。彼が来るところも帰るところも見ておらず、どこの会社で働いているのかもわかっていないのです。
 私たちは隣り合って歩いていました。会話は思いも寄らないもので、彼の最初の質問では、「あなたは未来について楽観的ですか?」と聞かれました。私は、はい、楽観的ですと答え、この現象は世界的なものであり、私たちは人類が一つであることを理解しなければならないなどといったことを話しました。
 「あなたはどこからそうした情報を得たのですか? どうしてそう言えるのですか?」と聞かれました。
 私は進化には資源の分かち合いが欠かせないのであり、今の危機は環境の問題であるだけでなく、社会的、経済的、そしてとりわけ霊的な問題であると指摘しました。
 「それではあなたは予言者を期待しているのですか?」
 そこで私はすべての時代の変わり目に、およそ2,000年ごとに偉大な教師がやって来て、仏陀やキリストのように人類を教え、助けることを伝えました。
 「でもそれは誰ですか? 私たちに見ることはできますか? 今まで会ったことはありますか? その人は今日ここにいますか? 彼の名前は何ですか?」。彼は熱心に食い下がってきて、私に矢継ぎ早に質問してきました。私はまさに核心へと押し進められている感じがして、ついに彼の名前はマイトレーヤだと伝えました。
 「どういう綴りですか?」。エム(M)、エー(A)、アイ(I)、ティー(T)、アール(R)、イー(E)、ワイ(Y)、エー(A)です。
 すると彼は去っていきながら、「私に希望を与えてくれてありがとうございます」と言ったのです。
 私はそのイベントを幸せな気持ちで終えて、こうしたことすべてをこのような驚くべき方法で言えたことは私にとって喜びでした! 予想もしていなかった言葉の数々について、いまだに考えていて、その若い『ジャーナリスト』の見通すような黒い瞳と、私に次々と質問を浴びせた様子を思い出すのです。彼に希望を与えたことに対する彼の感謝に励まされています。
 その時のためだけに私は参加したような気持ちになりました。
ジュヌヴィエーヴ・ジャコベリ
フランス、リヨン

予期せぬ大歓迎の訪問者たち

編集長殿
 2021年5月8日土曜日の午後3時30分、9人のグループメンバーが、私たちの施設であるニューカレドニアのヌメアのインフォメーションセンターに集まりました。何カ月も準備をしてきて、6月に「平衡と幸福」フェアで発表することになっている、伝導瞑想についてのスライドショーのことを話し合うためでした。
 私たちが(スライドショーの)知恵の覚者方についてのパートを始めた時、女性と男性の二人の訪問者が、午後4時にインフォメーションセンターを見学しにやって来ました。私たちがこの来訪に驚いたのは、いつもならオープンハウスは月の第一土曜日に開かれていて、それは先週の5月1日に予定されていたからでした。
 それでも私たちは彼らを招き入れ、発表の準備に参加してもらいました。彼らはとても感じが良く、議題にも興味を示していました。発表の最後にその女性が「すべて明快でしたね」と言い、それから私たちに「マイトレーヤについてもっと教えていただけますか? マイトレーヤについて聞くために、私たちは来たのです」と尋ねてきました。
 私たちはこの質問を予期していませんでした。質問に答え終えて、やりとりがあってから、スライドショーにはマイトレーヤの名前が出てこなかったことに、私たちは気づいたのです。
 それから私たちは短い伝導瞑想をすることを提案し、15分ほど行いました。11人が参加しました。その女性が「エネルギーがパワフルでした」と言いました。
 会議を終えるに当たって、メンバーの一人がマイトレーヤのメッセージ第82信を読みました。読み始めるとすぐに、その女性がとても感動して、すすり泣き始めました。メッセージの終わりの時にも、同じようになっていました。
 私たちはその日の出来事の特別な性質を感じました。
シェア・インターナショナルグループ
メンバー 一同
ニューカレドニア、ヌメア

忘れ難き人

編集長殿
 20年前に、妻と私はカリフォルニア州パサデナにある、小さな公園に隣接したアパートに住んでいました。土曜日にはいつもどおりに、公園で寝泊まりしていた、あるホームレスの男性に会って、少しお金を渡すことになっていました。12月だったので、私の母から手作りのクリスマス・クッキーの詰め合わせが届いていました。母は大変料理上手で、それが届くのをいつも楽しみにしていました。公園に持っていくために、いくつかをコーヒーの缶に詰めました。けれどもいつものホームレスの男性はいませんでした。それでも別のホームレスの男性が公園の向こう側にいるのが見えました。彼に近づいていくと、彼が食料品店のカートの中に服を入れていたのが見えました。公園のベンチで彼は注意深く服をたたんでいました。彼は耳にかぶさる長さの茶色の髪に、血色の良い顔色で、たくさんの時間を太陽と風の中で過ごしている人のようでした。彼が服をたたんでいた時、彼の服がとても清潔で、しわ防止加工されていたかのように見えて驚きました。私は彼に挨拶をして、少しお金を渡して、それから母から送られたものだと伝えながら、クッキーの缶を渡しました。彼は「ありがとう。あなたのお母さんの手作りなら、とてもおいしいに違いないね!」と言ってくれました。この時にもまた、彼のことが頭から離れませんでした。
住所氏名非公表
米国
【ベンジャミン・クレームの師は、そのホームレスの男性がマイトレーヤであったことを確認した】