編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

光のハート

 マニュエル・マガリャエスさんが撮影したハート形の写真(本誌2021年8月号)を見て、この写真をシェアしようと思い立ちました。この光でできたハート形は、2016年7月19日に自宅の居間の天井に現れました。1977年にマイトレーヤが現代世界にお入りになって以来、毎年その日には、いつも『記念日のお祝い』をしてきました。
 光の源を見つけようと両腕を振り動かしてみても、どこから来た光なのかわからないままでしたが、その時間にまだ太陽は出ていました。時折それが再び現れるので、私はいつも見るのを楽しみにしています。

アン・サリバン
米国、ニューヨーク州ロングアイランド

帰還の旅

 (1)1944年10月4日、ソビエト軍の侵攻のために私の家族はラトビアからドイツへ逃れ、ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルにある難民キャンプに連れて行かれました。そこにいた間、工場で勤務する人もいました。私は電気通信の訓練を提供されました。ちょうど15歳の誕生日を迎えるところでした。ドイツで2週間経つと、他の女の子たちのグループ(約20人)と共に、ドイツ東部のバルト海岸にあるリューゲン島に送られました。そこに到着すると、どのような訓練も受ける予定になっていないことが分かりました。私たちは溝を掘るか、あるいは同様の骨の折れる他の仕事をすることになると噂されていました。私はとても落胆して心配になったので、翌日、キャンプの司令官に会いに行きました。私は彼に自分の気持ちが変わったこと、まさにその日に15歳になったばかりで、家族と離れたくないことを伝えました。言い争いになると思っていましたが、そうなりませんでした。彼は私に、翌日キャンプを離れることができると言ったのです。
 翌日、私はシュテティーン鉄道駅に連れていかれ、移動用の食事のサンドイッチとブランデンブルクへ戻るための旅費を渡され、道順を教えられました。夕方になる頃、列車はベルリンに到着しました。私はベルリンで列車を乗り換えて、ボツダム駅でブランデンブルク行きの列車に乗らなければなりませんでした。車両はもう満員でしたが、身なりの良い年配の紳士の隣の席だけが空いていました。彼はネイビーブルーのギャバジンのコートのボタンを留め、ベルトも付けていて、黒いシャツとネクタイに黒い帽子を被り、黒い靴に黒い革の手袋という格好でした。列車の旅の間、私たちは会話を交わし、私がどこから来て、どこへ行くのかなど、その他のことについても話をしました。私たちはドイツ語で会話していましたが、彼はしばしば「知っている、知っている」と言っていました。
 彼は生き生きと輝く瞳をした優しい人で、実業家という印象を受けました。ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルに近くなると、すでに外は暗くなっていました。彼が「どうやってキャンプに戻るつもりですか?」と尋ねてきました。私は「分かりません」と返事をし、おそらく歩くことになると思っていました。彼が「いいかね、駅にリムジンと運転手を待たせています。あなたをキャンプまで送ります」と言ってくれました。それは完全に大丈夫だと思えて、車に乗せてもらうことに何の心配もありませんでした。駅の外に出ると、運転手の乗った黒のリムジンがその人を待っていました。私が車に乗ると、すぐに難民キャンプに送ってもらえました。その男性と運転手は、私が入り口を通るまでそこにいて、それから車で去っていきました。私の家族は、ブランデンブルクのもう一つの難民キャンプに移動したことが分かりました。翌日、私は家族と再会し、私が帰ったことで皆が大喜びでした。リューゲンから逃げ出して、ブランデンブルクに到着すると、すぐにリムジンで駅からキャンプまで戻れたなんて信じられないくらいだったのです。
 これでお終いとなるところでしたが、彼との話にはまた別の展開があります。54年後の1998年の誕生日に、私はドイツでの私の15歳の誕生日と、私を助けてくれた素敵で親切な男性のことを考えていました。終戦時には彼に何も悪いことが起こらないようにと願っていました。その日の夜遅く、私はベッドに入って少し読書をしようと思っていました。夜の静寂の中で、優しい足音が家の中を通って、私の寝室へ近づいている気配を感じました。どういうわけか私はパニック状態にもならず、恐ろしくもありませんでした。足音が近くなり、私が列車で出会った男性が歩いて入ってきました。彼が近寄ってきてベッドの端に腰を下ろしました。私たちはただお互いに見つめ合い、私は驚きのあまり何も話せなくなりました! しばらくすると彼は立ち上がり、壁の中へと消えていきました。彼が消えてしまったので、イエス覚者だと分かりました。彼が去って行く時に、わずかに顔に微笑みを浮かべていて、彼に気づいたことを知ってもらえたのだと分かったのです。
(1)それはイエス覚者だったのか確認していただけますか。(2)リューゲンから脱出する時に、助けていただきましたか。(3)運転手はどなたでしたか。

【ベンジャミン・クレームの師は、(1)その『列車の男性』がマイトレーヤであったことを確認した。(2)そのとおり、マイトレーヤからの助けであった。(3)イエス覚者であった】

アストリダ・カニェプス
ニュージーランド、クライストチャーチ