カテゴリー別アーカイブ: その他

ベンジャミン・クレーム美術館

特集記事:ベンジャミン・クレームの芸術(5)

オルガ&スコット・チャンピオン

 

 ベンジャミン・クレーム美術館は、南カリフォルニア地域、および広く全米、そして全世界からの訪問者に、ベンジャミン・クレームの絵画を紹介できることを光栄に思う。固定的な美術館にすることを避けたいというクレーム氏の希望を叶えるべく、訪問者はクレーム氏のオリジナル絵画30点を鑑賞する機会があり、そのうち20〜22の作品が常時展示されている。世界教師の出現を知らせる先駆者としての彼の役割について知らない初めての来館者のために、美術館はその中心に「タンカ–到来するマイトレーヤ仏陀」(1965年)を置いて、クレーム氏のより大きなメッセージが伝えられるように展示している。
 美術館にとって、秘教絵画と到来するアバターである世界教師マイトレーヤの教えを合わせて、大勢の参加者に対して定期的に講義するのは楽しく発展的な時間である。これらの講義は好評を得ており、一般大衆のクレームの絵画とメッセージに対する反応を見ることは、心が温まる。これまで、アメリカ国内から来た大勢の人々の他に、イギリス、フランス、ドイツ、ポルトガル、ルーマニア、インド、中国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、グアテマラ、メキシコなど、世界中からの訪問者が訪れた。
 オープンしてから2年間にベンジャミン・クレーム美術館は、初めてやって来た来訪者の反応について、一つの非常に一致した反応を私たちは経験している:つまり、この新しいジャンルの秘教絵画に対する肯定的で、驚きに満ち、勇気づけられる反応である。来館者は、美術館にやって来ると、突然立ち止まって、「一体これは何だ?」「大きいね!」と声を上げるのが、いつものことである。多くの人は、「われわれはどうしてこの人のことを知らなかったのだろうか」と尋ねる。訪問者たちはクレームの高度に熟達した技巧–力強い色、通常ではないが美しいシンボル、美術館を満たしている容易に感じられるエネルギー –についてコメントする。画家やアーティストたちがやって来ると、彼らは独自の方法で反応する。また他の芸術家を一緒に連れて来て、クレームの革新的な絵を見させ経験させる。
 特に記したいことは、数カ月前に美術館を訪れた二人の芸術関係のプロたちの反応である。美術館に入ると、そのうちの一人、美術館の管理者(キュレーター)、が声を上げて、入り口のホールにかかっている感動的な抽象画、Embedded(1968 年)という作品を見て、「この絵はすごい!」と言った。もう一人は、世界でも大きく有名な商業的なギャラリーの一つで展示部門の主任だったが、この訪問から間もなく、ベンジャミン・クレーム美術館に連絡して来て、間もなく行おうとしているロサンゼルスでの展示会に、幾つかのクレーム氏の絵を貸してもらえないかと尋ねてきた。タンカ(1965 年)は美術館に残さなければならないが、メディテーション(1964 年)、ソーラーエンジェル㈽(1990年)は貸し出せると同意した。これはクレームの作品の優れた展示例となるだろう。この主任は、ソーラーエンジェルⅢについてこうコメントした。「これこそ私が探していたもの–エネルギー、いのち、そして光です」。
 これと同様に、シェア・インターナショナル誌の購読者に興味があるのではないかと思うのは、ベンジャミン・クレームが19歳の時に書いた初期の作品で『シブリーン・フィギュア(Sybilline Figure)』(sybilとは一種の神託者の意)が、スコットランド国立近代美術館に最近展示されている。この作品は現在、フランシス・ベーコンの2作品の他、クレームの初期のころの師であったヤンケル・アドラーと同時に、プルネラ・クロー、ロバート・コルクホーン、ロバート・マクブライド、ウィリアム・ターンブルらの当時の同時代の画家たちの作品と共に展示されている。
 ベンジャミン・クレームは美術界で広く認められるようになると私たちは信じており、またいずれ彼は世界の偉大な画家たちの中で認められた地位を占めることになるとも確信しているが、この美術館の目的は単に彼の絵画を展示する以上に、より広い役割を持っている。それは、クレームが彼の人生を完全に捧げたメッセージ–世界教師と知恵の覚者方の再臨–にも関係し、そしてクレームがこの深遠な経験の準備のために世界に提供した膨大な情報の体系に関係する。この美術館の任務を遂行するために、クレームの秘教絵画は「不朽の知恵の教え」として知られる広範な秘教文献に含まれる情報についての導入口として、また大衆の認識の拡大へ通じる道として用いられている。主にクレーム自身の絵と教えに焦点を当てながら、マダム・ブラヴァツキー、アリス・ベイリー、ヘレナ・レーリッヒの秘教文献にも焦点を当てている。美術館についてのクレームとの最終段階の話し合いの一つで、彼はこう述べた。「それは、本当は、マイトレーヤについて、彼の世界教師としての役割について、そして知恵の覚者方と彼らの人類へのアプローチについて、関係するのです」。

このことは、美術館についての以前の話し合いに続いていて、私たちにはその時ベンジャミン・クレームの師が参加してきて、美術館を現在の進路に導く情報を提供されたように感じた。彼は言った。「美術館は単にベンジャミン・クレームの絵に関わるだけではなく、彼の生涯に関係する:彼の仕事、彼のメッセージ、彼の書物と教え、彼のグループ活動、彼の絵、彼が行ったすべてに関するのである。彼は真理を語っている者である」

 

(より詳しくは、benjamincrememuseum.orgをご参照されたし)

2017年度 石川道子日本講演レポート

石川道子の講演ツアーは今年も5月と6月に行われた。5月6日の福岡での講演を皮切りに、東京──朝日ホール(5/14)、名古屋(5/17-18)、東京──読売ホール(5/20-21)、大阪(5/27-28)と続き、そして6月2〜4日のシェア・ジャパン研修会で終わった。今年の講演会のタイトルは「桁外れの時代に突入した──世界教師の出現と70億の目覚め」であり、各会場とも、このタイトルに興味を持って来場された方々が多く見られた。日本のグループは広報活動を統合、調整して、朝日新聞の全国版への全面広告をはじめ、各地域の新聞への広告、列車内や駅貼りのポスターなど、大々的に広告をした。加えて、チラシや長型ハガキが合わせて 200万枚以上も印刷され、各地のグループのポストインやポスター貼りの活動は非常に活発であり、ワーカーたちの志向と活動のレベルはこれまでになく集中したものであった。このような大々的な広告をするグループの資金源に興味をもった質問が2〜3の会場で聴衆から寄せられ、このグループの特殊性について、雑誌の発行から本の翻訳、制作、出版に関わるすべてが無報酬で行われている現状、各人の自由意志による自発的な寄付によって運営されていることなどの説明がなされた。

すべての会場で、真剣に、熱心に講演を聞く聴衆の姿がことさら印象的であり、初めてこの講演会に来られた人々が非常に多かった。今年は、東京で、例年の会場が予約できなかったため、朝日ホール(660席)と読売ホール(1100席)の二か所での講演会となった。朝日ホールは満席になり、一週間後の読売ホールも800名近くの来場者を迎えた。特に印象的だったのは、朝日ホールでの講演はちょうど、ウエサク祭にあたる日曜日(5月14日)であり、午後3時には、マイトレーヤからの祝福が世界中のシェア・インターナショナル・ネットワークのワーカーたちに送られる日であった。石川氏は、マイトレーヤのメッセージの抜粋を読み上げているとき特に強いエネルギーを感じ、感動で涙をながしている聴衆の姿が何人も見られたので、ちらっと時計を見たら、3時20分であったと、言われた。おそらく、マイトレーヤの祝福が聴衆にも届いたのではないかと思われる。会場全体が非常に静かな緊張の雰囲気であり、途方もないエネルギーに包まれていたようであった。

シェア・ジャパン研修会には全国から166名のワーカーが集い、グループとしての和合、個人としての奉仕の重要さを強調されたクレーム氏のメッセージを受けて、真剣な話し合いが行われた。また、研修の初日にクレーム氏を偲ぶ時間が企画され、1985年から2010年まで、毎年日本に来日し、講演と伝導瞑想の指導をしてくださった記録から抜粋したビデオが紹介され、何人かのメンバーがクレーム氏の思い出を語った。とても有意義で、楽しい研修会であった。

以下は、石川道子の講演会場で見られた尋常ならざるお客さまについて寄せられた手紙である。

最後!?

5月14日、朝日ホールでの講演会の終わり頃、受付に70代くらいの男性が一人でやって来ました。荷物なのかゴミなのか分からないものが詰まったレジ袋を3つほど持ち、ややくたびれた感じの背広に、ビジネス用のシャツは、胸のあたりに汚れがついていました。二日酔いのような、お風呂に入っていないような臭いもありました。

その風貌にして、笑顔が美しい人、という印象を持ったのは、これまで出会ったことのないような瞳に釘付けになったからだと思います。透明な黒色をいくつも重ねたような瞳で、瞳のふちは青味がかっているように見えました。

その人は開口一番、「これは宗教でしょ?」と言い、スタッフが「宗教ではなく、情報を伝えているだけです」と答えました。そのあと、こちらを試すような質問が投げかけられたのですが、その内容が思い出せません。どうしよう、答えられない、試されてるかも、と思っているうち、「この話はずーっと前から知ってたけど、今回初めて来たんだよ」と言われました。

その後、他の受付スタッフと会話をしていましたが、私はその場には交じらず、黙って立っていました。しばらくして、彼が私の目の前を横切りながら、こちらを見ることもなく、唐突につぶやきました。「これが最後だからね」何かの会話の続きでなく、突然発せられた言葉でした。

これが最後って何? ついにその時!? 思わず胸の中で小躍りしてしまいました。ワーカーにとっては、特別に思えてしまう一言。これが特別な意味を持つのか、そうでないのかは分かりませんが、迫っている「最後」に向かって何ができるのか、私たちの姿勢はこれでいいのか、一度立ち止まって考えたいと思うきっかけとなった一幕でした。

K.T.(東京)

完全なマッチ

5月20日の読売ホールでの講演会の時です。休憩の時間中にロビーにいた中年の男性に目が止まりました。というのは、その方は上から下まで、真っ黄色の服装をしていたからです。(私たちが講演会の広告のポスターの見出しに使った同じ色の黄色だったのです)。黄色のシャツ、黄色のズボン、そして床までの長い黄色のコートを着ていたのです。その服装の奇抜さに驚いて、私は数段上の階段から見とれていました。すると彼は角を曲がって歩きだしたと思ったら、突然見えなくなったので、私は驚いて後を追いかけたのですが、もうどこにも彼の姿は見えませんでした。

O.F.(東京)

明るい未来

東京の読売ホールで私が担当していた、クレーム氏の本の閲覧コーナーが混み合い、真剣にクレーム氏の本を読む方々が多く、椅子をたくさん補充しなければならないほど盛況でした。その場を切り盛りしながら呆然と眺めているときに、私のそばに立っていた男性に突然話かけられました。「人類の未来は明るい」という帯のついたクレーム氏の本を指さして、「これです、これです、」と言い、「私たちはすでにこの明るい未来にいるんですよ」と話されました。「皆さんは長いあいだ働いてこられたけど、もう大丈夫です。今がその明るい未来にいるんです」と続け、私は嬉しくなり、「本当にそうですよね」と同意すると、「ほとんどの人は貧しいですからね」と言われて、突然泣き出されました。高揚感と大きな喜び、希望と深い悲しみの混じった感じを受けました。

その方は60歳代の精彩を欠いたサラリーマン風の男性で、講演を聴いて高揚し、希望を見いだしたかのような明るい顔をしていました。

B.R.(東京)

『叡知の種 覚者は語る(Ⅱ)』

シェア・インターナショナルからの記事


シェア・インターナショナル誌の読者は、『覚者は語る』の待望の続編が出版されたことを知り、うれしく思うだろう。

『覚者は語る(Ⅱ)』は、ベンジャミン・クレームの師である覚者によって伝えられ、2004年1月から20165月までにシェア・インターナショナル誌で発表された記事をまとめたものである。本書はベンジャミン・クレームの協力と承認のもとで企画され、作成に長い時間がかかった。

高度に進歩し啓明を得て、人類の進化を導いておられる知恵の覚者方の弟子の一人として、ベンジャミン・クレームはこれらの記事をメンタル・テレパシーで受け取った。この雑誌の目玉であるこれらの記事は、シェア・インターナショナル誌がベンジャミン・クレームを創刊編集長として1982年に創刊された時からほぼ毎月発表されてきた。記事は非常に幅広い話題を扱っており、その中には「人類同胞愛」「戦争の終焉」「多様性の中の和合」「惑星の救済」「明日の都市」などが含まれる。本書はまた、ベンジャミン・クレームがメディアでのインタビューや講演、会合の終わりに時折受け取ったマイトレーヤからの短いメッセージも多く収録している。

こうした記事の目的は、覚者ご自身の言葉を引用すると、「この雑誌の読者に未来の人生を描き、その未来に対して楽しく積極的にアプローチ(接近)するように鼓舞し、日毎に彼らの途上に持ち上がる問題に正しく対処するための知識のツール(道具)を用意することであった。わたしの経験と洞察に基づく有利な視点から、わたしは“見張り番”として、守衛として働くことを求め、近づきつつある危険について警告し、あなたたち読者が大計画への奉仕に勇気と確信をもって行動することができるように努めてきた」。

『覚者は語る(Ⅱ)』は、ベンジャミン・クレームを追悼して出版される。告別の書と見なすことができるものであり、彼の師との生涯にわたる仕事の終わりを告げている。この仕事の遺産はこの新刊の中に生き続けており、彼らの密接な関係を証明するものとなっている。

 

ベンジャミン・クレーム監修、石川道子訳『叡知の種 覚者は語る(Ⅱ)』(シェア・インターナショナル誌からの記事)シェア・ジャパン出版、324頁、20174月初版発行

 

編集部より

編集部より最近の数カ月間にシェア・インターナショナル誌に関して受け取った多くの肯定的で励みになるコメントに対して、私たちは感謝の意を表したい。皆さんの支えをありがたく思っている。

私たちはベンジャミン・クレームが肉体として存在しないことを痛感しているが、私たちの仕事に対する彼の支援と導きが続いていることも同じくらい痛感しているということが、読者にとって歓迎すべき知らせとなることを期待する。

当然のことながら、大きな変化の時代には疑問が持ち上がり、支持者も批判者も一様に答えを望んだり期待したりする。ベンジャミン・クレームの師である覚者の記事は、難しい問題を取り扱う際にはしばしば優れた洞察の源となっており、書かれてから何年も経過して再掲載された場合でも、その途方もない適切さを証明している。

新たな状況においては、この出版物の目的と機能を再考することが重要だと思われる。シェア・インターナショナル誌は、マイトレーヤとベンジャミン・クレームの師のアイディアやインスピレーション(ひらめき)、洞察を伝える媒体である。今日の世界にマイトレーヤと知恵の覚者方がおられることを知らせる主要な手段の一つである。覚者は過去について説明し、現在を光で照らし、輝かしい未来の文明の輪郭を描かれた。私たちがマイトレーヤの優先順位を実施する措置を取るならば、その文明は人類のものになるだろう。

覚者の記事やマイトレーヤからのメッセージ、読者の質問に対するベンジャミン・クレームの回答、覚者方やその代理人との出会いについての記述、マイトレーヤと知恵の覚者方によって顕された奇跡── これらは皆、世界に希望とインスピレーションを与えてきた。

必要とされる変化が詳細に述べられ、実現可能な解決策が指摘され、困難が浮き彫りにされている。賢明な助言が与えられ、公正で良識ある世界のビジョンが掲げられている。そうした世界においては、すべての人の必要が満たされ、分かち合いと正義が普通のこととなり、私たちが潜在的にそうである神聖な存在へとすべての人が進化することが可能になる。

しかし、シェア・インターナショナル誌のもう一つの機能は、こうしたアイディアが直観的な反応を引き出すときはいつでも、メンタル界層に影響を及ぼし、敏感で創造的なマインドを持つ人々によって取り上げられるということである。アイディアは実施され、そのようにして文明は進行する。同様に、マイトレーヤと覚者方の出現についての情報が公開講演で提供されるとき、アイディアがメンタル界層へと出て行くことになる。

私たちの仕事のさらなる側面は、事実以上のものを提供し、新しい考え方の発達に寄与することであった。心(ハート)の変化によってこそ、世界が必要とする変化を人類は成し遂げていくだろう。

この雑誌の精妙な機能は次のとおりである。覚者の記事とベンジャミン・クレームによる質問への回答の中に、読者はリアリティ(実在)の性質とその偉大な生命の不可欠な部分としての自分自身の性質についての理解を深める手段を持っている。これは直観の成長と意識の拡大を促す。

覚者による記事の選択

覚者方は時間の外で生きておられる。ベンジャミン・クレームの言葉を引用すると、「覚者方は時間が全くない中でリアリティを見ます」。ベンジャミン・クレームはまた、私たち人類が時間に支配されていることについて語った。シェア・インターナショナル誌への覚者のまさしく最初の記事は、時間とは心(マインド)の状態だという事実を扱った。特定の出来事や歴史上の特定の瞬間についてのものでない限り、覚者の記事は時間を超越している。それらは私たちの視点よりもはるかに広い視点から書かれた。それらは歴史の流れや予想される人類の反応に対する洞察を含んでいる。そうした記事を改めて読み、研究するよう勧めるとき、私たちには何の躊躇もない。

特定の月や世界情勢にふさわしい記事を選ぶ際には、編集を行っている時期に世界に効果を及ぼしている主要な要因を注意深く考える必要がある。関連する現在の問題に対処するという観点から選択はなされる。幸いなことに、ベンジャミン・クレームの師は大量の記事を提供してくださった。私たちがどのようにして、なぜ特定の記事や様々な報告を提示しているかに関するより詳しい説明については、それぞれの欄の導入部をご覧いただきたい。

マイトレーヤの優先順位

マイトレーヤの優先順位── 十分な食物の供給、適切な住宅、普遍的権利としての健康管理と教育── は私たちの仕事のもう一つの主要な焦点であるが、私たちは専門家でないため、多くの著名な人物の専門的な見識を取り入れている。

編集チームは、現在の出来事とハイアラキーの洞察に沿った突破口について調査する。私たちはマイトレーヤのアイディアに最も近いアイディアを抱く専門家を選ぶ。このようにして、非常に希望に満ちた発展に注意を引き付けることができる。そうした発展は、人類がマイトレーヤの存在とインスピレーションに反応していることをはっきりと示している。

ベンジャミン・クレームの師は以前に、シェア・インターナショナル誌は将来教育的な役割を担うようになり、覚者は同誌との関わりを持続するだろうと示唆した。ベンジャミン・クレームはまた、購読することによって同誌を支え続けてくれるよう好意的な人々に訴えかけた。

ベンジャミン・クレームの遺産

何年か前、ベンジャミン・クレームはあるジャーナリストから、彼が死んだとき彼の仕事はどうなるだろうかと聞かれた。彼の答えはユーモラスで明快だった。「私が長年にわたって一緒に働いてきた何千人もの人々がおります。世界中のグループの人々です。彼らは何をすべきかを知っています。この情報を知っています。マイトレーヤと覚者方の間近に迫った出現について一般大衆に知らせるというこの仕事を続けていくでしょう。彼らはそれほど幸せでないかもしれません ── 私の冗談をもう聞くことがないでしょうから。しかし、この仕事をやり続けるでしょう!」

私たちにはベンジャミン・クレームという、地に足がしっかり着いた、ユーモアあふれるお手本があったので幸運である。彼は仕事を真剣に受け止めたが、自分自身を「リーダー」にすることは決してなかった。彼は決してそうではなかったし、現在も誰もそのような立場にはいない。以下は、ジュワル・クール覚者による『秘教心理学 第二巻(下)』(AABライブラリー、258頁)からの引用である。リーダーに過度に依存するパイシス時代のグループと、もっと自己方向性を許容し、グループのメンバーが大人の弟子として責任を負う新しいアクエリアス時代のグループとの違いが描写されている。これによって仕事は確実に続いていくことになる。ジュワル・クール覚者はまた、リーダーがその死後も関与することについて述べている。

「新時代において、へその緒は[アクエリアスの]グループの生涯の早い時期に切断されるであろうが、リーダーとリーダーたちの集団は長い間、(子供の母親のように)導くインスピレーション、愛に満ちた保護する力、指導と教えの源であり続けるであろう。このような場合、リーダーが彼岸に渡ったり……したときでさえ、グループは自らの道を歩み続け、自ら方向づける媒体として自分の考えに従って生きることができる」

残された短期間に私たちが何とかやっていくことができることを覚者方は知っておられる。私たちが── ベンジャミン・クレームによってもハイアラキーによっても── 見捨てられてはいないことを私たちは知っている。大計画はマイトレーヤと覚者方の手の内にあって安全である。

 

ゲラード・アートセン著 『ディスクロージャーの前に──憶測の霧を晴らす』

今日、「UFO」という言葉をグーグルで検索すると、地球外の現象についてインターネット上で見つかることに終わりはないように思える。その大部分は恐ろしいものか空想的なものである。地球外の存在が私たちの惑星を訪れる真の意味と目的を解明し識別するには、どこから始めたらよいのか。ゲラード・アートセンは、『ディスクロージャーの前に──憶測の霧を晴らす( UFO研究とエクソポリティクスを学ぶ人々のための入門書)』という新しい簡潔な本を書いた。この本は、人の目を欺くような、いまだに広まっている偽情報の霧を見通し、地球外の存在の根底にある真理を読者自身が識別するのを助けてくれる。アートセンが説明しているように、そうした真理は、人類が共有する知恵の伝統と最新の科学の洞察に裏付けられている。

地球外からの訪問者を十分に理解するためには、実質的に現代のUFO研究の時代の端緒となった 1950年代初期の一連のコンタクトから始めることが必須であると、『ディスクロージャーの前に』は助言している。ジョージ・アダムスキーやウィルバート・スミスのような初期コンタクティーは、肯定的なコンタクト体験しか伝えていない。スペースピープル(宇宙人)によって伝達するよう依頼された明快なメッセージは、アートセンによると、「第二次世界大戦の惨禍のわずか数年後であり、人類が核戦争の新たな脅威に直面していた時期であったので……人類を勇気づけるものでした」。「人類の一体性の表現として」、すべての人の基本的な必要を確実に満たしながら、人類が国際協力を通して平和な未来を創造するように彼らは助言した。アートセンが言うには、こうした証言は「信頼できる出発点となっています。とりわけ、彼らの説明はすべて、多くの顕著な一致点を示しており……当時の世界各地のコンタクティーだけでなく、その後の数十年間に似たような体験を報告した多くの人々による裏付けもあります」。

アートセンが言うには、証拠があるという主張を信頼すべきかどうかを見極めるためには、その主張は「厳密に主観的な体験を越えて一定レベルの真理やリアリティ(現実)を反映していなければなりません。……時代、活動分野、さらには社会階層の違う人々による幾つかの、あるいは少なくとも一つの観点から裏付けられているかどうかも確認する必要があります」。これが特に UFO研究との関連で必要とされるのは、公のコンタクトがなされた後でなければ、有形の証拠は明らかにならないからだと彼は書いている。数十年にわたった偽情報キャンペーンにより、各国政府やその機関によるいわゆるディスクロージャー(情報開示)についても疑問視した方がよい、彼らは地政学的意図のために国民の支持を当てにしているからだと、アートセンは警告している。ひいては、「秘密実験室で働いたことがあったかもしれないし、なかったかもしれない『政府の内部関係者』や『内部告発者』を通して私たちに届く……情報を受け入れることについても十分注意すべきです」と彼は述べている。「これは、その情報が国民の恐怖や混乱をあおったり助長したりするために意図的に植え付けられたかどうかを、決して確信することはできないという単純な事実のためです」

アートセンの以前の著書と同様に、『ディスクロージャーの前に』は、私たちが点と点とを結んで全体像をつかむのに役立つと同時に、「……『真理』とは知覚の問題だ」ということを私たちに思い起こさせてくれる。知覚は、その人の意識の進化段階に依存する。彼はこう書いている。「もし体験に普遍的な価値があれば、その人が人間の努力のどの分野で活動的であろうとも、それは認知され、様々な角度から確認されるでしょう」。彼はそれを「分野横断的な裏付け」と呼んでいる。「この場合は科学と宗教であり、それぞれのリアリティは天文学者カール・セーガンの有名な発言、「私たちは星と同じ物質でできています。私たちは、宇宙が自らを知る一つの方法なのです」を引用している。また、深い洞察に基づいて、「わたしと父とは一つである」という、すべてのいのちの源との同一化を表現したイエスの発言とも関連付けている。アートセンはさらに、ジョージ・アダムスキーがこれと同じ真理を1958年に表明していたことにも言及している。「〔人間は〕自分が万物と一体であることを理解しなければなりません。また現在の肉体中で振動している原子が、物質の創造に際して幾度も利用されており、そのためにその原子が最低の段階の物から大昔に空間へ吸収し返された巨大な惑星の地殻に至るまで、あらゆる物質界の形成に参加したことがあるということを知る必要があります」

アートセンが指摘しているように、人類の霊的進歩と意識の進化は、初期コンタクティーの間で繰り返し取り上げられたテーマである。コンタクティーたちはよく、人類の科学知識は社会的、人間的な発達を上回っているという訪問者たちの懸念を伝えていた。アートセンはこう説明している。「宇宙からの訪問者たちは、意識の進化──ひいては、私たちの道徳的発達──は、技術的進歩に遅れずについていくべきだということをしきりに私たちに伝えたがっています。この方向における最初の一歩は、現在の危機の原因を根絶するために、人類が同胞の人間を包み込むほどに意識を拡大させることです。私たちの分離主義の究極の表現としての競争と貪欲に基づく現在の社会構造は、そうした危機を重大な局面に至らせようとしています」

地球外からの訪問者によるコンタクトの背後にある主要な目的は、人間は宇宙の至るところにいることを実証し、人類の認識を拡大させることであったのは明白である一方、一部のコンタクティーは、地球外の存在が人類史のこの特定の時期に訪れていることの別の、もっと顕著な理由についてほのめかしてきた。アートセンはチリのコンタクティー、エンリケ・バリオスの次の言葉を引用している。彼は1985年にこう言われた。「君たちは地球の進化の決定的な瞬間に近づいているんだよ。団結して『水がめ座の時代』と呼ばれるものをもたらすか、あるいは、自分自身を破壊してしまう、そのどちらかの時点にね」。このメッセージと同じ考えは、イタリアのコンタクティー、ジョルジョ・ディビトント、ジョージ・アダムスキー、ベンジャミン・クレームの言葉にも見られる。クレームは次のように確認した。「われわれが UFOと呼ぶもの(高位の惑星からの宇宙人の乗り物)は、キリスト・マイトレーヤのために霊的な場をつくり、この時のために人類に準備をさせるために、非常に確実な役割を持っているのです。事実、大戦以来、この惑星を保存するのに主要な役割を果たしてきました」

アートセンは、コンタクティーであったウィルバート・スミスの次の言葉を引用している。これはおそらく、訪問者たちが自ら、彼らがここにいる理由を私たちに教えてくれる日を約束したものである。「やがて特定の出来事が起こり、別のところから来た人々を受け入れる用意ができたとき、彼らは相互理解と信頼という共通の基盤に立って私たちと自由に会うでしょう。私たちは彼らから学び、至るところにいるすべての人が心の奥深くで望んでいる黄金時代をもたらすことができるでしょう」

 Before Disclosure(ディスクロージャーの前に)』のPDF版(英語)がゲラード・アートセンのウェブサイト、www.bgapublications.nl. から無料でダウンロードできる。

印刷版も入手可能である(ISBN 978-90-815495-6-17)。

 

 

ベンジャミン・クレーム──奉仕の生涯

追悼記

 ベンジャミン・クレーム(ベン、または彼の若い頃にはベニーとして知られていた)は、1922 12月5日にスコットランドのグラスゴー市で、ロシア系ユダヤ人移民の息子であるモーリスと、アイルランドのローマカトリック教徒のエリザベスの間に生まれた。彼は一人息子であり、姉と妹が一人ずついた。彼の子供時代は極めて屈託のないものであり、至福と創造性の感覚で特徴づけられた性格であり、それは彼の生涯を通じて、顕著な特徴であった。彼は子供の頃、毎日、“ベニーの 30分”ショウで家族を楽しませていたことを、そして10歳の頃から、ひとりでオペラを見に行ったことを、追憶していた。

幼年時代、彼は親切そうな年寄りの姿を繰り返し見ており、サンタクロースだと思い込んでいた。クリスマス毎に、その姿が彼の家の窓に現れていたのである。サンタクロースに関する彼の夢が破られた途端に、その姿は消えてしまった。後になって、あの微笑みを浮かべた善良そうな年寄りの姿は、事実、彼の師(覚者)であったことを知ったのである。

彼は音楽と絵画の両方を愛しており、師である覚者の微妙な介入によって絵画の道を選ぶようになるまで、音楽家の道を選ぶことを考えていた。彼が10代の頃、学校に行く途中の道に、短い2Bの鉛筆が落ちていたのを見つけたのだという。その(柔らかい)鉛筆の感触、それで描いた素描の素晴らしさ、その喜びが彼に画家としての道を選ばせたという。後々になって、あの鉛筆は、彼が見つけるように意図的に置かれていたのだということを知ったのである。

画家になることを決意した彼は、16歳のときに家を出て、絵を描くことに専念した。彼の生涯の友であった俳優のダグラス・カンベルと共に、地方の労働組合のホールを借りて、展覧会を行ったとき、それを現代ヨーロッパ絵画派のポーランド人の画家であったヤンケル・アドラーが見たのである。後に、アドラーは彼のメントール(良き指導者)となったが、それ以外には、クレームは独学で学び、20歳の頃から、顕著な、後世に残る作品を描き始めたのである。第二次世界大戦の終了後、彼はグラスゴーを離れて、彼の最初の妻ペギーと共にロンドンに移った。その後、彼は生涯、ずっとロンドンに住み、80歳代で視力を失うまで、絵を描き続けた。

彼は、まだ若いときに、神智学と東洋の宗教に興味を持った。そして広範囲にわたる書を読み、エーテル界やテレパシー(思念伝達)、霊的治療や宇宙の兄弟たち(スペース・ブラザーズ)について学んだ。1950年代にはUFO現象に興味を持つようになり、1958年から短期間、スペース・ブラザーズとの密接なコンタクトを持ち、彼らと共に、また彼らのために、働いた。

H. P. ブラヴァツキーとアリス・ベイリーの書で不朽の智恵の教えを学び、彼は霊ハイアラキーの覚者たちの存在について知るようになった。1959年に彼は、彼自身の師である覚者からテレパシーによるコンタクト(連絡)を受けた。そしてマイトレーヤと覚者方の降臨の計画に、彼が一つの役割を果たすことができることを告げられた。そして1972年に、師による集中的な、厳しいトレーニングの期間が始まったのである。その間に、

「……私の師がそれを通して働くことのできる一つの『道具』をつくりあげたのです──私が見聞きするものすべてを、師は見たり、聞いたりするのです。師が欲するとき、私が見つめることが彼からのまなざしであることができ、私が触れる手が彼のものであるというように。ですから、最小限のエネルギーの消費で、私の師は日常世界への窓を、彼の意識の前哨を、持つようになるのです」。

覚者とのこの密接な関係によって、クレームを通して、マイトレーヤと覚者方の出現についての情報が一般に伝えられ、さらに人生についての並外れて深遠な、そして広範囲な洞察が提供されたのである。何にもまして、師との関係が、彼が知ったことを公に伝える勇気と確信をクレームに与えたのである。

師のインスピレーションは、クレームの絵に深遠な変化をもたらし、現象世界の底にある霊的リアリティを表現するもう一つの方法となった。この仕事はシェア・インターナショナル誌の読者にはよく知られているように、雑誌の表紙に彼の“秘教的”な絵画の多くが使われた。2015年に米国、ロサンゼルス市で、彼の絵画とその不朽の智恵の教えとの関係の両方を示すことを目的としたベンジャミン・クレーム美術館がオープンした。

クレームはマイトレーヤと覚者方のために、1977 年にマイトレーヤがロンドンにお入りになったときに始まって、彼らの日常世界への出現についての希望と歓びのメッセージを広げるために、惜しむことなく働いた。1974年に、ロンドンで小さなグループに、新しいグループ瞑想である「伝導瞑想」を紹介した。覚者方が彼らのエネルギーを世界に送り込むことを可能にする瞑想である。それは現在、世界中で実践されている。1975年に、彼は、最初、英国で、その後、非常に間もなく、ヨーロッパ、米国、日本、その他の世界中の国々で講演を始めた。1979年から2012年にかけて、彼は16冊の本を出した。また1982年に、シェア・インターナショナル誌が創刊され、秘教的、霊的な領域と政治・経済の領域の間の関連を検証し、そして、彼の師である覚者とマイトレーヤの教えをさらに提供してきた。

クレームは自分をグル(指導者)として位置付けることをいつも拒否した。彼はあらゆる階層・分野の人々と協調することができ、ロンドンで、家族と共に極めて質素な生活を送っていた。彼は、世界中で彼の教えと仕事を取り入れた人々を「信奉者」として見たことは決してなく、「共働者」として扱った。伝導瞑想に参加し、マイトレーヤのメッセージを伝え広げる仕事をすることを通して、非常に多くの人々の人生が変化した。彼らによって、この仕事が継続されていくことは保証されるだろう。

ベンジャミン・クレームは20161024日にロンドンの自宅で、家族に囲まれて、安らかに息を引き取った。彼は数年の間病気だったが、勇気を奮い起こしていた──弱っていたにもかかわらず、彼は最後まで、不動であり、親切で、ユーモラスであった。後に残されたのは、1968年に結婚した第二の妻のフィリスと(ペギーは1965年に亡くなった)、子供たち、ジュリアン、ルーカス、ターラと、三人の孫たちである。

彼の目がもはや見えなくなったので、2014年の彼の誕生日に、妻のフィリスに自分の進化段階を口授して、彼の死後に公開するように指示した。彼の光線構造と進化段階は以下のとおりである。

 

魂2;パーソナリティー4(7);メンタル体1(4);アストラル体4(2);肉体3(7)

2014 125日現在の)進化段階は3.46

 

ベンジャミン・クレームの家族は、世界中の共働者と支持者から、クレームへの感謝と愛に満ちた心温まるたくさんのメッセージをいただいたことに感謝している。この深い悲しみのときにあたって、それは大きな慰めであった。

 

編集部からの手紙

読者の皆様へ

シェア・インターナショナル誌が創刊以来35年目を完了するにあたって、私たちは、創刊者であり編集長であったベンジャミン・クレームの参加を失いました。40年以上もの間、ベンジャミン・クレームは彼の師である覚者とマイトレーヤに、そして彼の仕事に協力した共同者のグループと世界に忠実に仕えてきました。この雑誌は、ベンジャミン・クレームが彼の師との密接な関係とコンタクトを通してわれわれに提供してくださった計り知れない洞察と智恵のおかげで、希望とインスピレーションと情報を皆さまにお届けしてきましたし、これからもそうしていくでしょう。

私たちは、過去にそして今も続けて、この雑誌のために働き、貢献してくださった方々すべてに感謝します。さらに、この機会を利用して、初期の頃に、雑誌の基盤をしっかりと定められたコースに置き、その継続を可能にしてくださった方々の重要な貢献をあらためて認知したいと思います。

私たちの決意は減少しません。実際、この新しい状況は、これまでの仕事を再評価し、さらに努力を倍増して責任を全うしていくための新しい機会を、私たちに提供してくれました。

ベンジャミン・クレームは、彼と共に長年働いてきた人々の手に、この仕事を委ねることができることを知りながら、亡くなられました。

彼はマイトレーヤの「移動大使」として、自分の仕事を成し遂げるためにできる限りのことすべてを成したという自信を持って、安らかに旅立ちました。彼の生涯の仕事は完了しました。マイトレーヤの完全な、公の出現は間近であり、したがって、私たちが、彼なしにその役割を果たしていくことを、彼は期待しました。彼は、物質界で「大宣言の日」を迎えることはできないけれど、その日を他の界において体験するために、「近くにいるよ」と言っていました。

マイトレーヤと覚者方の出現はすでに起こっているのです。マイトレーヤと覚者方は1977年以来、何十年間も現代世界に臨在しておられるのです。マイトレーヤは、ご身分を隠してではありますが、すでにテレビやインターネットを通して、何千万の人々に見られています。私たちは今、マイトレーヤが公に認知された存在として世界の前に出現するのを待っています。ベンジャミン・クレームと覚者からの情報によれば、その時はもう遠い先ではありません。

覚者は以前に、シェア・インターナショナル誌は覚者の支持を受け続けていくことを、そして将来、一般民衆を教育する役割を持つことを示唆されました。そのような保証を得て、私たちは、ベンジャミン・クレームが、彼の並外れた生涯を捧げたこの希望のメッセージを伝えていく仕事への決意を再確認するものであります。

編集チームより

新しいアプローチ

多くの読者や支持者は、私たちがどのようにして雑誌の刊行を続けていくのか、疑問に思っておられることと思う──特にベンジャミン・クレームと覚者の情報を必要とした雑誌のセクションに関して。幸いなことに、私たちはベンジャミン・クレームと覚者によってすでに検討された資料をまだたくさん保持しています。毎月の雑誌に掲載しきれない以上の資料をいつも持っていました。これは以下のセクションに該当します。

ベンジャミン・クレームの師である

覚者の記事

今日の状況に関連する記事(いや、それが最初に出版されたとき以上に、今日に、より当てはまる記事)を再掲載し続けるでしょう。

編集長への手紙

シェア・インターナショナルは過去何年もの間に処理(確認)されていながら、まだ掲載されていない「編集長への手紙」を非常にたくさん保持していますから、それらの手紙を掲載することができます。中には、かなり以前に受け取ったものや、ごく最近のものもあります。広範囲にまたがる個人的体験を含み、それらはすべて、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であることが確認されていたものです。私たちは体験に関する読者からの手紙をこれからも歓迎したいと思います。それを確認したり、どの覚者が関わっていたかを示すことはできませんが、それらの体験が希望やインスピレーションや慰めを提供してくれて、体験そのものが“物語っている”ような手紙は、掲載したいと思います。

質疑応答

ベンジャミン・クレームは、世界中で講演会の度に、そして日常、ほとんど毎日のように、非常に広範囲にまたがる数え切れない質問を受けてきました。今、世界中でグループは数え切れないほどの質疑応答の記録を書きとる作業に忙しくしています。その厖大な資料の中から、何年にもわたってクレームと覚者から提供された答えで、いまだシェア・インターナショナル誌に掲載されたことのないものを選んで掲載するつもりです。

徴の部分に関して、私たちの新しいアプローチを説明する文章を添えて、以下のようにして提供するでしょう。

端的に言えば、私たちから見て、「希望の徴」であり「時代を表す徴」だと思われる現象を掲載し続けるでしょう。幸いにして、すでにクレームの覚者によって確認されている現象のストックをかなりたくさん保持しています。将来の、確認されない徴に関しては、それぞれの“奇跡”または“徴”について可能な限り調査するつもりであり、ベンジャミン・クレームの師によっていつも提供されていた確認やさらなる情報をもはや得ることができないので、その信憑性に関しては読者の判断に任せるようにして、提供するでしょう。各々の部分についてのさらに詳しい説明は、各部門への紹介文に記すでしょう。

新しいアプローチ

多くの読者や支持者は、私たちがどのようにして雑誌の刊行を続けていくのか、疑問に思っておられることと思う──特にベンジャミン・クレームと覚者の情報を必要とした雑誌のセクションに関して。幸いなことに、私たちはベンジャミン・クレームと覚者によってすでに検討された資料をまだたくさん保持しています。毎月の雑誌に掲載しきれない以上の資料をいつも持っていました。これは以下のセクションに該当します。

ベンジャミン・クレームの師である覚者の記事

今日の状況に関連する記事(いや、それが最初に出版されたとき以上に、今日に、より当てはまる記事)を再掲載し続けるでしょう。

編集長への手紙

シェア・インターナショナルは過去何年もの間に処理(確認)されていながら、まだ掲載されていない「編集長への手紙」を非常にたくさん保持していますから、それらの手紙を掲載することができます。中には、かなり以前に受け取ったものや、ごく最近のものもあります。広範囲にまたがる個人的体験を含み、それらはすべて、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であることが確認されていたものです。私たちは体験に関する読者からの手紙をこれからも歓迎したいと思います。それを確認したり、どの覚者が関わっていたかを示すことはできませんが、それらの体験が希望やインスピレーションや慰めを提供してくれて、体験そのものが“物語っている”ような手紙は、掲載したいと思います。

質疑応答

ベンジャミン・クレームは、世界中で講演会の度に、そして日常、ほとんど毎日のように、非常に広範囲にまたがる数え切れない質問を受けてきました。今、世界中でグループは数え切れないほどの質疑応答の記録を書きとる作業に忙しくしています。その厖大な資料の中から、何年にもわたってクレームと覚者から提供された答えで、いまだシェア・インターナショナル誌に掲載されたことのないものを選んで掲載するつもりです。

徴の部分に関して、私たちの新しいアプローチを説明する文章を添えて、以下のようにして提供するでしょう。

端的に言えば、私たちから見て、「希望の徴」であり「時代を表す徴」だと思われる現象を掲載し続けるでしょう。幸いにして、すでにクレームの覚者によって確認されている現象のストックをかなりたくさん保持しています。将来の、確認されない徴に関しては、それぞれの“奇跡”または“徴”について可能な限り調査するつもりであり、ベンジャミン・クレームの師によっていつも提供されていた確認やさらなる情報をもはや得ることができないので、その信憑性に関しては読者の判断に任せるようにして、提供するでしょう。各々の部分についてのさらに詳しい説明は、各部門への紹介文に記すでしょう。

編集部からのお願い

追悼文をコピーして個人のウェブサイトやソーシャルメディアに絶対に載せないでください。シェアインターナショナル誌の他の記事や情報について知らせたければ、シェア・ジャパンのウェブサイトのアドレス、sharejapan.orgへリンクを貼ってください。

 

平和の吟遊詩人

ジェイソン・フランシスによるジェームス・トワイマン氏へのインタビュー

ジェームス・トワイマン氏は、アメリカ人の音楽家であり、世界中で「平和の吟遊詩人」として知られている。彼は、18枚の音楽アルバムを録音し、15冊の本を著し、6本の映画を制作または監督した。トワイマン氏は、紛争中の国へ旅し、世界の各宗教の平和の祈りを分かち合い、地球規模の平和の同期瞑想を組織し、それに参加している。ジェイソン・フランシスが、本誌のためにジェームス・トワイマン氏にインタビューを行った。

重大な決定

シェア・インターナショナル(SI): あなたは何をきっかけとして、平和の使者となる旅を始めたのですか。

ジェームス・トワイマン:1994年3月、私はある友人から一枚の紙を受け取り、それが私の人生を変えました。その紙には、世界12の主要宗教の平和の祈りが書かれていました。これらの祈りは、ローマ教皇やダライ・ラマなど、世界の指導者たちがイタリア、アッシジに行き、共に祈りを捧げたときに使われたものです。各指導者は、自身の宗教の平和の祈りを捧げました。私が各宗教の祈りを読んだとき、それまでにない驚くべき体験をしました。音楽を聴いたのです。私はヒンドゥー教の祈りを読み、音楽を聴き、それを演奏しました。仏教徒の祈りを読み始めると、同じことが起こりました。私は次から次へと祈りを読み、それらの音楽を演奏しました。1時間以内に、私は12のすべての祈りに曲を付けました。これは、私が分かち合うことになっていた贈り物だと分かっていました。そのときから「私は平和の吟遊詩人である」と決めました。最初は、私は旅をする一文無しの吟遊詩人で、コンサートを開き、そこで祈りを分かち合っていました。1995年に、自分は平和が最も必要な場所に行くべきだという思いを持ちました。そのため私は、紛争中のクロアチアとボスニアに招待してもらい、難民キャンプや他の場所で演奏しました。それは驚くべきものでした。あるとき私は、ボスニア・クロアチアの国境上の山の上に招待されました。そこには「光の使者」と呼ばれるワーカーの秘密結社や共同体があると告げられました。彼らは人里離れた森林の中に住み、私はそこで12日を過ごしました。私はこの経験を、自分の著書『光の使者』の中で書きました。ちょうどそのときから、私はイラク、北アイルランド、南アフリカ、そして最近ではシリアや他の国に招待されるようになり、平和コンサートを開催し続けています。私にとってすべての中心には、この平和のメッセージを分かち合いたい、特に人々を団結させたいという望みがありました。しばらくして、それが活動の焦点になりました──私がその国にいる間、人々が自分の平和の祈りをある状況に集中させる世界規模の瞑想を組織することです。今ではそれが、私がただ一つ集中している活動です。つまり、平和の吟遊詩人の仕事をすることです。

聖なる遭遇

SI:1999年9月、シェア・インターナショナル誌は、ベオグラードとメジュゴリエでの、そしてその当時のブラズド難民キャンプでの聖母マリアとあなたの遭遇に関して掲載したレポートを再印刷しました。その遭遇について、そしてそれがあなたの人生にどのような影響を与えたのかについて、お話しいただけますか。

トワイマン: それは、私が3度目にバルカン半島に戻ったときのことでした。私は、戻って来るようにとの神秘的な呼びかけを感じていたことを覚えています。なぜならそれは、セルビア人が政府に対して立ち上がろうとしており、紛争の平和的解決を要求していたときだったからです。私はそれに、ただ参加したかったのです。私がベオグラードにいる間、平和デモの最中に路上でマリアという名前の若い女性と出会いました。彼女には何か注目すべきものがあると分かりました。約1週間後、私はメジュゴリエという町に行きました。そこは、何年もの間、7人の子供たちに聖母マリアの幻影が出現していた有名な場所です。私がそこに行ったのは、丘に平和のポールを立てるためでした。人里離れた地域にあるその丘に私がいると、ベオグラードの路上で見た女性が道を歩いて来たのです。通常の意味で彼女が同一人物であることは、文字どおり不可能でした。なぜなら、私がベオグラードで会った女性は、明らかにセルビア人であったか、または、少なくとも私はセルビア人だと思ったからです。そして私が滞在していたボスニア・ヘルツェゴビナ地域では、セルビア人は歓迎されていませんでした。そのため私は、何かが起こっていることを知っていました。そして私は、その地域にいるときはいつでも、このような素晴らしい出来事が起こることにすでに慣れていました。彼女と交わした会話は、聖なる女性の重要性と、地球に平和をもたらす上での聖なる女性の役割についてでした。この若い女性は、たとえごく普通に見えていたとしても、通常の若い女性ではないと私は悟りました。彼女はとても美しい人でした。彼女は普通の人と同じようにジーンズを履きブラウスを着ていましたが、何か特別であり、再びそのような体験の真っただ中にいるのだと、私には分かりました。私はこの体験を自分の著書『愛された弟子の秘密(The Secret of the Beloved Disciple)』の中で書きました。私にとってそれは実に、人生で聖なる女性の影響が目覚めた瞬間でした。それ以来それは、私の人生の大きな部分となっています。

人々の力

SI:世界同期瞑想についてお話しいただけますか。

トワイマン:1998年、私はロンドンで書店巡りをしていました。当時、アメリカとその同盟国は、イラク人に対する空爆を開始する準備ができており、サダム・フセインは問題を起こしていました。私は、サダム・フセインからの個人的な招待で、イラクに来て欲しいとの手紙を受け取りました。私は明らかに非常に興奮しており、また少し緊張していましたが、これはしなければならないことだと知っていました。私の友人が、実際には私の代理人ですが、たまたま約300人の電子メールのリストを持っていました。私たちはバグダッドでコンサートが始まる時刻を知っていました。そのため彼女は私たちが知っている人々にメールを送り、その状況に対して、祈るか、肯定的な意図を集中するように依頼しました。そのときは、平和的な解決の可能性は全くないように思えました。それでも私たちはメールを送り、それは一気に広まりましたが、そのときは、私はそのことを知りませんでした。それは、電子メールが広く拡散した最初の例の一つでした。私がそのコンサートを行ったときまでに、何百万人もの人がそれを知りエネルギーと祈りを送っていました。それは実際には、肯定的なエネルギーが降り注ぐように感じられました。お話ししましたとおり、これ以前に平和的解決の可能性は全くありませんでしたが、徹夜祭の後で何かが変わったと感じていました。次の日に、コフィー・アナン国連事務総長が到着しました。徹夜祭の3日後、平和協定が調印されました。少なくともそのときは、死亡者は一人もおらず、爆弾は一つも落ちていませんでした。それが、私が非常に多くの人が一堂に会し、状況に対して意図を集中することに力があると認識した瞬間でした。後にも先にも、この力を実証する研究がなされてきました。そのときから、私はこれをますます行っていきたいと思うようになりました。人々が共に集い、特定の状況に対して肯定的な意図を分かち合うように鼓舞することです。そしてさらに多くの徹夜祭がありました。最近では、2016年2月にシリアの国境に行き、大規模な徹夜祭を行いました。そのときは本当に多くの参加者がありました。今では私は、祈りの徹夜祭に集中するために、毎月どこかに行くことを計画しています。人々は、ただ単に6カ月ごとや何年かおきに起こることではなく、何か一貫性のあることを求めていると分かりました。人々は解決策に参加したいと一貫して思い、自分たちは力を持っていると、何か自分たちにできることがあると感じたいのです。ひと月に15分間自分の時間を割き、世界の危機や私たちの注目を必要とする状況に集中する、というようなことです。このような祈りの徹夜祭にとって、来年は非常に大きな年になると私は思っています。多数の人々が共に集い注目を集中するとき、それは、『  』の強力な力であるだけでなく、宇宙で『  』強力な力であることが実証される、と私は信じています。

SI:瞑想の結果として起こった奇跡について、お話しいただけますか。

トワイマン:ほとんどの場合、それが本当の現象であることを示す何かが起こりました。お話ししましたイラクに加えて、最近の例はシリアでのことです。シリア内戦の悲劇は、その時点で3年間も続いていました。確かに、変化のいかなる希望もあるようには見えませんでした。しかしながら、何百万人もの人々が肯定的な方法で集中し、平和の祈りと瞑想を一緒に行った1週間後、ミュンヘンで和平交渉が始まりました。私は、これらの出来事に関して責任を負っているわけではありませんが、ある状況に対して肯定的な方法で集中したときに生まれる具体的なエネルギーが存在すると信じているのです。

私たちの前にある選択

SI:世界の食物や資源を世界中の人々の間で公平に分かち合い、世界平和の基礎として必要な正義をつくり出すことに関して、あなたはどのようにお考えですか。

トワイマン:私たちが食物や水の分かち合いや暴力の停止について話すとき、意識の移行が必ず起こらなければなりません。アメリカのバーニー・サンダース氏のように、肯定的な移行を鼓舞し、より一層の経済的正義を呼びかける声もあるような興味深い時代に、私たちは生きています。同時に、全くの逆もあります。多くの人が感じる恐怖や偏見や憎しみを利用するドナルド・トランプ氏のような声もあります。このような両方の声が同時に存在する事実は、私たちは重要な機会の真っただ中にあることを示しています。私たちの目前には明確な選択があります。究極的には、私たちは愛と恐怖のどちらを選択するのか、ということです。いずれの側に動くこともありますが、私たちは最後には愛が勝たなければいけないことを知っています。私たちのより多くが角を曲がり、愛が唯一の明確な選択だと認識しています。なぜなら、恐怖を選択することは、本当に何も選択しないことだからです。この進行中の意識の変化は、私たちが想像し理解することができないかもしれませんが、進行中であると感じられる解決策に最終的に導きます。私たちが個人また全体として誰であるかという全くの中心の部分で何かが移行しています。問題は、食物や水や富ではなく、これらの物事をどのように考えるかです。現在私たちが、愛と恐怖のどちらを選択するのかを決めるという実に明確な選択肢を持っているという事実は、新しい解決策がすぐそこにあることを意味しています。そして意識が変化したとき、これらの問題は自動的に解決されるでしょう。

詳しくは次のサイトを参照: worldpeacepulse.com

シェア・インターナショナル誌2016年3月号の質問に答え、ベンジャミン・クレームは、シリアでの世界同期瞑想は覚者方の霊的ハイアラキーによって支持されていると述べた。