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『主はアメリカを歩めり』第二部

ルシル・テイラー・ハンセン著

ベッティ・ストックバウワーによる書評

 1918年、『主はアメリカを歩めり』の著者ルシル・テイラー・ハンセンは学生で、夏休みをミシガン州のチッペワ・インディアン族と共に過ごしていた。彼らの言語や舞踏、文化や宗教は、彼女の魂の琴線に触れ、調和した調べを与えた。酋長のダーク・サンダーは、部族の知識の多くを彼女と分かち合った。彼はある日、遠い昔に部族を訪れた聖なる人物について彼女に語った。この人物は、インディアンの帝国が統一され、巨大な都市が何マイルにもわたって広がっていた時代に現れた。彼の行くところすべてに奇跡が起こり、彼は常に「父の御国」について語った。
 第一部は、偉大な聖なる教師が訪れた古代文明の素晴らしい光景を想起させるものだった。この教師はイエス覚者であった、とベンジャミン・クレームの師は確認している。第二部では、「奇跡の主」と共に中央アメリカ、メキシコ、カナダ、そしてさらに遠くへと旅することになる。彼はこうしたあらゆる地域の種族を訪問し、知恵と驚くべき未来のビジョンを授けた。

 名声が高まるにつれて、さまざまな名前が広まることになった。彼は常に、自分をどう呼んだらよいかを人々に選ばせていたからである。彼は「ワケア」または「ワカン」という、水への支配力を讃える名前で呼ばれていた──「ワ」は水を意味する。ホピ族にとって、彼は「ター・コ・パー」(治療者)であり、セリ族にとっては「トラゾマ」(奇跡の働き人)であった。チェロキー族は「イー・メ・シー」(風の神)と呼び、パパゴ族は、「エ・シー・コトゥル」(偉大な治療者)と呼んだ。アルゴンクィン族は、独自の名前を付ける代わりに、彼が海の向こうで暮らしていた頃の幼名で呼んでいた──「チェー・ズー」(夜明けの光の神)と。
 中央アメリカでは、彼の愛称は「カテ・ザール」だったが、最も祝福された名前は「ケツァルコアトル」(羽毛で飾られた蛇)であった。「ケツァル」は珍しい生き生きとした緑色の鳥のことで、「コ」は蛇、つまり水の象徴を表し、「トル」は「主」を意味する。したがって、彼は「風と水の主」として知られていた。教えを伝えたそれぞれの高僧も、彼の名前を同じように推測した。
 彼はカナダを通って太平洋のヤキマまで、西へと旅した。彼は非常に尊敬されていたので、人々は彼の名前「トラ・アコマ」(奇跡の主)を讃えるために、自分たちの最も高い山を「タコマ」と呼んだ。南に向きを変えて、彼はヤクイ族とズーニー族、ハヴァス族とアコマ族を訪れた。バハ・カリフォルニアのセリ族はいまだに、トラゾマがまぶたの上に濡れた砂を置いて盲人を癒した時のことを語り伝えている。彼らは一体となって彼を崇拝した。

トゥーラへの入場

 預言者が中央メキシコにあるトルテク帝国の首都トゥーラにやって来た時、彼の名声はすでに知れ渡っていた。「すでに至るところで人々は待っていた。人々は山の上まで埋め尽くし、道路に列をつくり、歌を歌っていた。数々の物語が何千マイルも離れたところから大衆を引っ張り出し、すべての町や村は空になった」
 「彼が花を好んでいることを人々は以前から知っており、今や花々の香りが空気を満たし、雨のように彼の上から花が降り注がれた。彼がトゥーラに近づくにつれてこの雨の勢いは強まった。厚い花のじゅうたんが道路を覆った。……彼が花びらの上を歩くやいなや、人々は走り出し、一瞬でも彼の体の重みに耐えた花びらを得ようとして奪い合った」
 「……彼は入口の門の前で、その素晴らしい美しさを見つめるために立ち止まった。それから、真珠やエメラルドで飾られた重々しい鉄の門をくぐった。君主が彼の前に低く頭を垂れ、彼を黄金のトゥーラに付き添い導いた。そうすると、100万人の群衆から海鳴りのような叫び声が上がった。トルテク人の口からその声は沸き起こった」
 「……彼が話し始めた時、一つの奇跡が起こった。トルテク人に語りかける美しい音楽的な声は、丘の上から街の向こうまで、壁や山の上まで響き渡ったのである。一人の人間の声がかくも遠くまで伝わったことはなかった」。彼は自分の旅について語った──自分の得た友人たち、そして愛と理解を通じて和解した自分の敵たちについて。彼は指導者たちに向かって、奴隷制と人身供養を放棄することによって聖なる道を守るよう訴えた。トゥーラでの最初の日にこのように語り、人々はその高慢な頭を一つひとつ垂れた。トルテク人の間での滞在は何年も続いた。テオティワカンにある太陽の寺院とチョルーラにある聖なるピラミッドは彼の特別な神殿であり、そこで僧たちに古のイニシエーションの儀式を教えたと言われている。彼の言葉と奇跡はその地の思考と習慣を通じて一つの共通のパターンに織り込まれた。
 平和と和解の中で、トルテク人は国家としての真の力を見いだした。彼はトゥーラを去り、ユカタン半島を通って東に向かい、この半球における最後の日々をコスメル島で過ごした。壮麗なアカスギの船に乗って日の出に向かって漕ぎ出し、海の向こうにある自分の故郷、トラパリャンに向かった。

アメリカにおける伝説

 彼は去ったが、彼が残した伝説は多くの形を取った。それを神話と呼ぶ者たちもいるが、彼の歴史的実在を確信する者たちもいる。ハワイの学者、故フランク・バック博士は、彼の衣装と彼が乗っていた船の型は紅海に起源を持つと考えた。バック博士は、中国やインド、日本の伝説の中の青白い皮膚の教師についての同様の物語を引用した。日本のワコヤマ(Wakoyama)山は、そこで教えを説いた白い神にちなんだ名前であると言われている。
 『モルモン書』*は紀元前600年から紀元421年までのアメリカにおける出来事を記録している。その中には、キリストの再臨の予言と磔刑後のアメリカでの出現についてのいくつかの章が含まれている。聖書やインド教典のように、彼は奇跡を起こし、自分の仕事を引き継ぐ12人の弟子を選んでいる(第三ニーファイ第28章)。
 ハンセン自身は、この教師は初期キリスト教時代の宗派であるエッセネ派のメンバーであると思った。エッセネ派の人々はトーガに似た衣装を着て、常に「我が父」としての神について語った。彼女がインタビューをしたアメリカ先住民はエッセンという言葉を知っており、彼らがこの預言者に付けた名前、「エ・シー・コトゥル」と「エ・メ・シー」は、この派生語とも考えられる。

未来のビジョン

 旅行全体を通じて、カテ・ザール──中央アメリカではこう呼ばれていた──は時々、この地の人々の残酷で悲惨な未来を予言した。彼は、トゥーラの上にあるポポカテペトゥル山でしばしば祈った。ある日、この白い雪に覆われた山の上で見たビジョンのため、彼自身の髪が白くなった。
 下方の平野を見つめている時、幕が開き、彼は未来を見た。奇妙なお祭り騒ぎが街路を満たし、寺院では不浄な儀式が行われていた。美しい花々や珍しい羽をつけた鳥たちはもはやいなかった。人々の微笑みは消えていた。儀式の際には詠唱していた、彼が注意深く教えた僧侶たちもいなくなっていた。カテ・ザールは忘れ去られ、彼の教えはほのかな記憶でしかなかった。
 彼が見つめていると、力強いポポ山自体が揺れ始めた。大地震が大地を裂き、黄金のトゥーラはよじれて死に絶えた。猛火が生命の最後の痕跡までも焼き尽くした。もう一つの幕が開き、移民の広大な波が大地を覆い、略奪者たちが到着して王国を荒廃させた。これらの侵略者たちは、戦争を持ち込んで寺院を汚した。それぞれの軍隊はその前の隊よりも強力だった。人身供養が彼らの文化と信条の土台となった。
 彼が恐怖のうちに見つめていると、もう一つの周期が開いて、彼は日付をはっきりと見た。それはテ・テク・パトゥルの年──1519年──であった。東岸には、武器に身を包んで遠くから人を殺すことのできる杖を持った白い肌の男たちがいた。彼らは十字架を持っていたが、愛しているのは武器と戦争だけであることが彼には明らかであった。これらの者たちが非常に素早く残酷に広がってこの土地の表情を永遠に変えてしまうのを彼は悲しく見つめた。五つの周期の間(520年間)、侵略者たちがかつてないほど破壊的な武器を作り、神々にさえ挑戦しているかのように貪欲のままに振る舞うのを彼は見た。これらの光景を見ながら、自分が築いたものすべてが無駄で不毛なことのように感じた。色彩豊かに輝く彼の都市はどこに行ってしまったのか。彼の法に喜んで従った人々、彼の一触れに喜んだ幸せな子供たちはどこに行ってしまったのか。嘆きの叫びと共に、彼は民衆のために祈った。
 トゥーラを去る時、カテ・ザールは自分のビジョンについて人々に語った。未来の世代がその言葉を見つけだすことができるように、隠れた洞窟の中に神聖な書き物を保存するよう人々に警告した。ポポ山が来るべき大崩壊の時を告げるであろうことを子供たちに伝えるようにと語った。これらの災害を避けるために彼の道に忠実であるように訴えた。
 それから巨大な岩をつくり、「夜明けの星」の未来の周期を複雑に彫りつけた。その上に警告の時を記し、すべての者が白い皮膚の略奪者たちに気づくことができるようにした。
 これらのことを信じない者もいたが、信じて泣いた者もいた。すべての者が、自分たちの周りの美しいものがかくも容易に失われるかもしれないことに当惑した。しかし、ポポ山の頂で預言者にはさらなる未来の周期が明かされた。その年は2039年で、彼が谷を見下ろした時、生まれ変わった土地を黄金の太陽の光が照らしたのである。ついに人類の試練の時は終わり、その幼児期の戦いから脱却した。彼の前にあるものすべてが美しかった。
 あらゆる国々の書物を学ぶ大きなセンターが点在していた。彼の言葉がすべての者に見えるように壁に刻まれていた。彼の神聖な寺院は美しく復興されていた。再び僧たちは「神聖なる道」を守っていた。こうした周期についても、彼はトゥーラで明らかにした。その日は招待の日であり、来るべき年月の贈り物であるという彼の最後の言葉を与えた。
 「この未来の時代を私と共に歩きなさい。未知の物質でできた輝く建物と新しい輸送形態を見なさい。鳥や花に囲まれた公園をわたしと共に歩きなさい。もはや恐怖に脅えてはおらず、わたしの光に輝いている人々の顔を深く見つめなさい。人類が胸を張ってその運命に向かって──学びの黄金時代へと──歩む時代として、この時代を見なさい。時代時代を通じてこのビジョンを語り継ぎ、預言者カテ・ザールを常に覚えておきなさい」
 アメリカの砂漠の村落の中には、これらの言葉を忘れない人々がいる。というのは、彼は遠い将来に再び戻って来るとも約束したからである。彼らは辛抱強く待ち、毎夜、彼の再来のためにろうそくを燃やしている。「もしあなたたちがわたしの教えに忠実であり、毎日を正しく生きていることを示すならば、わたしが『夜明けの光』の中で戻って来るまで、夜に光を燃やし続けなさい。そうすれば、汝らを『我が父の王国』へと導こう」
 ユカタン半島の深いジャングルの中には、聖なる僧たちが隠れ住んでおり、彼の道を何世紀にもわたって守り続けている。彼らの寺院の中でも、預言者が最初に炎をつけた日から2,000年間、絶えず光が燃え続けていると言われている。

L. Taylor Hansen, He Walked the Americas. Amherst Press, Amherst, Wisconsin, 1963.(現在も入手可能)
(ベッティ・ストックバウアー氏の許可を得てシェア・インターナショナル誌1994年8月号の記事を再掲載[日本語訳は表記等を一部変更して再掲載])

【編註:ベンジャミン・クレームの師は、イエス覚者が実際に6世紀と7世紀において長年にわたり、ポリネシアと、北、中央、南アメリカで教えを説いたことを確認した】

[*『モルモン書』──末日聖徒イエスキリスト教会や他のモルモン教会において、聖書に加えて聖典として受け入れられた書物。ニューヨーク州パルマイラで1830年に初めて出版され、その後、広く転載され翻訳された。信奉者たちは、本書がこの宗教の創始者ジョセフ・スミスに対して啓示され彼によって翻訳された、神の霊感を受けた書物であると考えている。britannica.comより]

編集部のコメント

 今月号が印刷に回される頃には、2月24日に近づいているだろう。1年前にウクライナでの戦争が開始された日である。世界の世論をさらに分断させた死と破壊の1年、いわゆる「核兵器の使用」が現実味を帯びる恐怖だけでなく、一層の国際的な不安定さがもたらされた1年であった。
 「裂開の剣」は、私たちが認知するしないにかかわらず、すべての人に選択を迫るという働きをし続けている。かたくなな意見もまた家族やグループを分断させる──それぞれの側が自分は英雄を支持していると確信するからである。

 空想じみているかもしれないが、裂開の剣は鋭さを増しているようである。人類に突きつけられた選択肢は一層はっきりしたものになっている。世界は選択することを求められている。最高の公共の利益、80億人全員のための協力的で健全で公正な未来を選ぶことや、正しい人間関係を創造し維持するすべてのものとそうした本来の在り方を分割し破壊するあらゆるものとを区別することが求められている。神の大計画に沿った未来、すべてのものが繁栄し地球の健康が保証されるような未来を望むならば、あらゆるものを変えるべき時であることは確かである。非常に商業化された生活様式の間違った価値観とそのあらゆる破壊的な影響を見限るべき時である。

 私たちは選ぶことを求められている。あつれきを招くひどい物質主義から抜け出せずにいるか、あるいは、すべての事柄を正しく和解させる解決策へ向けて働くか。そうした決定的に重要な選択をするとき、どちらかの「側(サイド)」を選ぶのではなく、「一つたること(ワンネス)」を、「和合」を選ぶことを目標とすべきである。平和を確実なものにするためには、多様性という現実を受け入れ、協力し交渉する方法を探ることが不可欠である。
 歴史や論理、常識といったあらゆることは、この惑星と私たち自身を含むすべての種の生存を第一の優先事項にすることが急務であり、戦争を終わらせなければならないことを示唆している。交渉が、永続的な平和への唯一の方法である。

 今月号の内容と、過去42年にわたって発行されてきたシェア・インターナショナル誌の全般的な目標や論調が、「いのち」への畏敬の念を呼び起こし、この惑星や人類同胞への愛を喚起し、さらにマイトレーヤと覚者方への、そして「神の摂理」という事実への愛と感謝の念をかき立てるのに一役買い、そのようにして私たちが和合を選択し多様性を受け入れ始めることを期待したい。

 ベンジャミン・クレームの師はそれを次のように表現しておられる。
「賢者は分かち合いが永続する平和の唯一の基盤であることを予見し、そして若者たちの英雄も、彼らの人気ある声を添える。
 これは未来のために良い前兆である。なぜなら、それは人間が彼らの前にある選択──分かち合うか死ぬか──にやっと気づき、同胞愛と愛の精神で行動する用意があることを示しているから。人間はもはや彼らの運命を他人の手に──盲目で年老いた男たちの構成する政府に──任せておくことに満足せず、彼らの未来と彼らの世界を守るために直接に参加する必要を感じている。

 多くの者はいまだ恐れている。しかし『新しい時』の光は刻々と輝きを増す。多くの者が新しい時代の夜明けを希望と期待をこめて待ち、奉仕し、そして成長する機会を自覚している。彼らは自分たちが独りではなく、彼らのビジョンを分かち、同胞愛と平和を同じように待ち望む者たちに囲まれていることを知る。
 分かち合いを通してのみ、あのビジョンは実現されるだろう。分かち合いを通してのみ、あの平和は勝ち取られるだろう。それが今のこの時のメッセージである──分かち合って、神の反映となる存在へ成長しなさい。分かち合って、平和と愛の時代の幕開けをしなさい」

臨死共有体験のベールを剥ぐ──第一部

ジェイソン・フランシスによるウィリアム・J・ピーターズ氏へのインタビュー

ウィリアム・J・ピーターズ氏は、心理的精神的な進化の手段としての終末期、悲しみ、死別を専門とする有資格の心理療法士である。2011年、カリフォルニア州サンタバーバラを拠点に、非営利団体「シェアド・クロッシング・プロジェクト」を設立した。これは、臨死体験と似ている「臨死共有体験(SDE)」の啓蒙活動に取り組む団体である。人が死後の世界へ旅立つときに、その人の最愛の人たちや介護者たちがこうした共有体験をすることになる。この団体は、死と臨死に対する既成概念を変え、SDEがその体験者に与える癒しについて教えることを目指している。また、ピーターズ氏は「シェアド・クロッシング・リサーチ・イニシアチブ」の理事も務めている。『天国のドア──死後の世界への旅を共有することがよりよく死によりよく生きることを教えてくれる』(2022年)の著者であるピーターズ氏が、シェア・インターナショナル誌(以下SI)のためにジェイソン・フランシスによるインタビューに答えた。

SI:臨死共有体験に興味を持たれたきっかけは何ですか。

ウィリアム・J・ピーターズ:私は、成長期に霊的体験と呼ばれるものをいくつも経験しました。最初の臨死体験は、17歳のとき、高速スピードスキーで事故に遭ったときです。その体験は、ある意味深遠なもので、衝撃のあまり私は体から飛び出してしまったのです。

最初は何もかもが暗かったのですが、暗闇に気づいていました。というのも、私には意識があり、自分には闇を見たり感じたりするという面があると気づいたからです。すると突然、光が明るくなり始め、自分が動いていることに気づきました。地球から遠ざかる重力の動きが感じられたのです。スキー場が見え、そして私がいたタホ湖──パリセーズ・オリンピック・スキー・センター ──が見えました。その後、コロラド・ロッキー山脈とサンフランシスコ・ベイエリアが見えたのです。私はすっかり魅了されました。

それから、地球が見えました。すべてが心地よく、荘厳で心を奪われるようでした。そして同時に、私は人生を振り返っていました。自分のこれまでの行動がすべて何らかの形で記録されており、それが重要であることに気づきました。私の行動は波及効果をもたらしていたのです。まさにカルマの体験でした。

また、宇宙の美しさに驚きました。その後、自分がトンネルのようなものに入り込んでいることに気がつきましたが、それでも、宇宙や太陽系を見ることができました。そのとき、遠くで美しく脈打つ光を見て、〔ゴシック:「ああ、私は死ぬんだ」〕と分かり、動揺したのです。死にたくなかったので、憤りを感じていました。私はその光に対して、今世に転生した目的はまだ完了していないのです、と懇願したことを覚えています。

しかし、結局、私は完全に光の中に入り、無上の喜びを終始感じていました。この時、「私は死にたくありません。まだ、この人生ですべきことをしていません。お願いです、生き返らせてください」と神に語りかけていました。懇願していたのです。そして、神は力強く、愛に満ちた光のような存在でした。「力」という言葉だけでは通用しません。それは純粋な知性であり、神性であり、神聖さでした。それは万物の背後にある力でした。

ある時点で、私は光から遠ざかり、地球へと戻り始めたのです。私は、自分の願いが叶ったという感覚を得ました。「ああ、ありがとうございます」と言いました。その光は私に「あなたの人生を活かしなさい」と言いました。その言葉はとても印象的でしたし、実際、今でも忘れられません。私は、はるか太陽系を通り抜け、そこに行くために通ったのと同じ道を戻ってきました。スキー場にある私の体に自分自身を引き戻すエネルギーのライン上にいたのです。

その13年後くらいに、また臨死体験をすることになります。他にも経験がありましたが、この二つが私にとって非常に重要な体験でした。

臨死共有体験の紹介

SI:それらの体験が、どのようにして臨死共有体験の仕事をすることにつながったのでしょうか。

ピーターズ:サンフランシスコでエイズが流行したとき、私はHIVに感染したゲイの男性を支援することが多かったのです。彼らはコミュニティーから、場合によっては医療制度からさえも、ほとんど疎外されていました。そのため、コミュニティーで愛する人たちに囲まれて亡くなるということがよくありました。私は、こうした故人の家族が、死にゆく人たちの旅立ちを手助けするという、素晴らしく壮大で、超自然的な話を聞いていました。彼らは、死の間際にいる人が、あの世で健康で幸せそうにしている姿を見ることができたのです。

ブラッドに関する話を一つ紹介します。彼は私の常連客でした。私はサンフランシスコのテンダーロインという地区でソーシャル・ワーカーをしていたのですが、そこはスキッド・ロウ[多くの貧しい人々が暮らす社会の末端]だったのです。

ブラッドは死の助産師のようなもの──今日では〔ゴシック:死のドゥーラ〕と呼ばれる、[死の間際の]人々が死んでいくのを手助けする人──で、兄弟たちを助けていました。ブラッドは、HIVに感染した男性たちのコミュニティーをよく兄弟と呼んでいました。実際には、儀式的、精神的、心理的感情的に、兄弟の誰かが死んでいくための「場所を確保する」手伝いをしました。

ある日、彼は窮地に陥り、疲れ果ててやってきました。ランディが昨夜死んだと言いました。私はとても残念だと言いました。彼は〔ゴシック:「私もだ、だがその死はとても美しかったんだ」〕と言ったのです。なぜそう思ったのか、彼に教えてほしいと頼みました。彼の説明では、ランディは死の瞬間、自分の体から抜け出して光の筒を上がり、自分を支えてくれた兄弟的なコミュニティーであるこの野営地の真上に止まったということでした。ランディは兄弟たち全員に頭を下げて感謝を述べた後、移動して光の筒を上っていき、姿を消したそうです。

しかし、ランディはより若く見え、とても健康そうで、HIVの兆候もなく、幸せそうだった、とブラッドは言いました。だからブラッドは、彼自身が言うように、ランディがどこかで元気に生きていて、あの世でもうまくやっているのだということをとても強く感じ、知ることができたのだそうです。そして、その経験が私に大きな感動を与えてくれました。

このとき、私は自分の臨死体験について誰にも話していませんでした。ブラッドの体験は、私が最初に臨死体験をした後、そして2回目の臨死体験をする直前に起こりました。ですから、この時点で私は死と臨死にとても魅了されていたのです。

その後、サンフランシスコにある「禅ホスピス・プロジェクト」で働きました。そこは仏教の理念に基づいており、とても先進的な所です。当時も今も、私は仏教の教えを実践しています。ボランティアである私の仕事の多くは、死の間際にいる人のベッドサイドに座ることと、その愛する人たちをサポートすることでした。そこは病院の開放病棟に24床を備えた大規模な入院ホスピスでした。そのため、死の間際にいる人たちと接する機会が多くありました。彼らに必要なものは非常にたくさんありました。この公立病院に入院している人たちのほとんどが生活に困窮しており、社会の片隅で暮らしていて、多くのサポートを受けられなかったためです。他のボランティアと同様、私もホスピス病棟で多くの人と接し、すぐに関係を築くことができました。

2000年のある日の午後、私はロンにジャック・ロンドン著『荒野の叫び声』を読み聞かせていました。ロンは冒険小説が好きだったのです。そして、彼にちょうど読み聞かせているとき、私は体から飛び出して、自分の頭頂部と自分自身をずっと下に見ることができました。私は、ベッドに横たわって何日も意識がなかったロンの頭上にいました。彼がこのように無反応の状態にあるとき、何日も一緒にいたのです。

自分の身体とロンの身体を見下ろしたその瞬間、私は心地よく、安らかな気持ちでいました。そして再び、このように自分をしっかり観察し

目撃しており──意識が肉体から遊離した状態で──、誰ともつながっていないことに気づいていました。そのとき最も印象的だったのは、私が右を向くと、そこにロンがいたことです。彼も体から抜け出していました。大きくて美しい顔をして、目は幸せに輝き、安らいでいました。まるで彼が私をこの空間に招き入れてくれているようでした。私はそこで彼と一緒にいられることをとてもありがたいと感じました。

最初は驚きましたが、そのとき、臨死体験で私自身、体外離脱したことがあったので、以前ここに来たことがあることに気づきました。体験が終わった後、私は自分の体に戻りました。その後すぐに、そのことを上司に相談しました。彼は敬虔な仏教徒であったので私が体験したことはそれ以上追究しないようにと言い、私はそのとおりにしました。しかし、同じような体験を何度もすることになったのです。このようにして、この仕事に心底のめり込んでいったのです。

継続的な探求心

SI:当時、そうした経験が書かれたり、広く知られたりしていましたか。

ピーターズ:その時点では、まだこの臨死共有体験に名前はありませんでした。2009年までなかったのです。そんな時、ある学会でレイモンド・ムーディ博士[医師、精神科医、作家で、死後の世界の体験について先駆的な研究を行っている]に出会いました。ムーディ博士は、臨死体験と非常によく似た「臨死共有体験」について説明したのですが、「体験者」側が死と隣り合わせになることを除いては、臨死体験と同じでした。体験者は、一般には、介護者や故人が愛する人ですが、場合によっては、何らかの医療従事者というただの第三者だったこともあります。私は本当に魅了され、感銘を受けました。

そして、こうした体験についての認識を高めるために、シェアド・クロッシング・プロジェクトの立ち上げに取りかかりました。終末期の神秘的で超越的な体験を知ることで、人々の死と臨死への関わり方を、恐怖や不安から、少なくとも驚嘆と好奇心に変えることができると期待したからです。そして、もしかすると(可能な限り)死と臨死に対して本当に前向きな視点を持つことすらできるかもしれません。

それから、死と臨死に関するありとあらゆるグループやワークショップ、コースを運営するようになり、その中には、臨死共有体験やその他の神秘的な終末期体験についての考察が含まれていました。実際、心理療法士として臨床に携わる中で、様々な終末期体験があることを知りました。なぜなら、私が死と臨死、そしてそれに関連する超自然的な体験について進んで話そうとしていることを知った人々が、私のオフィスに押し寄せるようになったからです。

私は、クライアント(顧客)から、彼らが経験したことについてたくさん学びました。文献調査を行い、このような終末期体験は確認されているものの、文献全体を見ると、様々な名称が使われ、表現が非常にバラバラであることが分かりました。様々な分野で、これらの体験の断片と、それに対するいろいろな解釈が提示されています。しかし、学会や医療関係者のこうした終末期の体験に対する取り組み方には、まとまりがありませんでした。

医療関係者の場合、説明できないから本当は扱いたくないというように、終末期体験を少し横目で見ていました。物事を説明できないとき、それこそが医療関係者における問題なのです。終末期体験は、昔も今も意識は脳の産物であるべきだという彼らの意識に対する考え方にそぐわなかったのです。脳が死ぬと、こういう体験はできないはずです。つまり臨死共有体験は、臨死体験と同じように、人間の死を切り抜けて生き残った意識に関する報告であるため、医学的に受け入れ難いものなのです。それに、医学はそのように考えていません。臨死共有体験に対する見解を裏付けるデータはありませんが、経験上、臨死共有体験は人間の死を超えて意識が存続することです。なぜなら、故人の愛する人が、亡くなった大切な人を別の次元で体験しているからです。彼らはもはや人間界で生きているのではなく、どこか別の場所で生きているのです。

詳細については次のサイトをご覧ください。
www.sharedcrossing.com

ウィリアム・J・ピーターズ『天国のドア──死後の世界への旅を共有することがよりよく死によりよく生きることを教えてくれる(At Heaven’s Door: What Shared Journeys to the Afterlife Teach About Dying Well and Living Better)』(サイモン& シュスター、2022年)

今月号の内容概説

 この合併号(日本語版は1月号と2月号に分けて発行)の目次は、シェア・インターナショナル誌が、読者を未来へ連れて行くための「早送り」ボタンを押したかのような印象を与える。
 「ブラジルでのルーラ政権復帰に安堵のため息をつくアマゾン」は、広大な熱帯雨林を回復するための即座の変化を示唆している。これは惑星の肺を救うための、正しい方向における緊急に必要な一歩である。
 「私たちは今、かつてないほど平和を必要としている」という平和への訴えかけは、今こそ平和が必要だという緊急の叫びである──人類を救うために。
 「人間の役割」は、人類の将来の仕事についての覚者の助言であり描写である──人類自身と地球を救うために。
 「未来の青写真」は、持続可能な明日についての実行可能なビジョンである──すべてのもののために。
 「アメリカの運命と役割」は、マイトレーヤと覚者方の導きや教えに正しく反応できるように、アメリカの当面の、そして将来の任務を描写している──人類のために。
 「ユニバーサル・ベーシックインカム」は、霊的な運動である──万人のための社会的正義をできるだけ早く実現するために。
 「脱成長とコミュニズムの出会い」は、資本主義の終焉と自然界へのその影響を描いている──経済的正義が確立されることを期待して。
 「意識の拡大」は、魂との接触を通して私たちの本性を深く感得することにより、いつの日か死の恐怖がなくなり、遍在しかつ超越する神と整列することになると説明している──神の大計画の成就のために。
 こうした不確かな時代にあって、休暇シーズンはずっと昔のことのように思えるかもしれない。しかし、ますます多くの人が立ち止まって、11月には何に感謝を捧げていたかを熟考し、イエスの誕生を記念するクリスマスの意義について考え、私たちが2025年に近づくにつれて、この新年に対して希望を抱き、計画を立てたはずである。2025年は重要な年である。各世紀の最初の25年の終わりに、すべての覚者方が特別な秘密会議のために集まり、過去を評価し、現状を検討し、未来のために計画を立てるからである。
 新世界にイエスが姿を現した場面がベッティ・ストックバウアー氏の書評「主はアメリカを歩めり」で明らかにされており、過去と現在と未来、そして私たちのこの時点は、いっそう鮮明に見えてくる。多くの読者が知っているとおり、イエス覚者は、いま現代世界にいる覚者方の一人であり、マイトレーヤと密接に働いている。「……イエス覚者が主要な役割を果たすだろう。彼の任務はキリスト教のグループを、より実りの多い線に沿って再建させることであり、教育と治療のセンターとしての彼らの役割に向かって準備させることである。これについてイエス覚者はキリストと密接に働くだろう。しかしマイトレーヤの使命は、人間の生活のすべてを包含するだろう。マイトレーヤのエネルギーとインスピレーションはすべての分野を刺激し、人類は彼を本来の姿である世界教師(ワールド・ティーチャー)として知るだろう。彼の指導のもとに、人類は世界をより正しい霊的な線に沿ってつくり直し、このようにして達成の山頂へと登り始めるだろう」(ベンジャミン・クレームの師、「マイトレーヤの使命」より、1985年)〔この記事は1989年発行のシェア・インターナショナル「特別情報号」にも掲載〕
 この合併号では、現在と今後数十年間の世界のウェルビーイング(幸福)におけるアメリカ合衆国の決定的に重要な役割と運命についても注目している。「マイトレーヤの教えがアメリカ合衆国の理想主義的魂を目覚めさせ、喚起させるだろう。そしてアメリカの最良の市民たちを、彼らがいつも心(ハート)に抱いてきた光に向けさせるだろう。彼らは世界中の兄弟姉妹たちと協調して、マイトレーヤに鼓舞されて、一致して、待っている世界に正義を、したがって平和をもたらすだろう」(ベンジャミン・クレームの師、「待っている世界」より)[2003年]
 シェア・インターナショナル誌は、2023年が読者にとって心を鼓舞させるような、インスピレーションを受ける年になることを願っている。私たち人類が共に、自分たちの役割を果たし、最高の志向を現実のものにすることができますように。

2023年の表紙の絵

「均衡」

 「画家が求めるのは調和であり、作曲家が求めるのも調和です。画家や作曲家によっては、その芸術はそれほど調和があるようには感じられないかもしれませんが、彼自身は、絵画や音楽の中で創造したものが彼にとって調和があり、生命があり、その本性の法則に従い、完成し、もう一筆加えたり、音を追加したりすれば、それが損なわれ、均衡が乱されてしまうというところまで追求するのです。常に均衡を求めます。意識的に求めてはいないかもしれませんが、良い画家や作曲家であれば、無意識的に求めます。この直観の感覚が、色や形を適用する中で彼を導きます。なぜなら他に誰もいないからです。彼を導くものは彼の直観しかありません。直観に従うならば、彼は完全性を目指し、その完全性は和合です。一見していかにバランスを欠いているように見えても、彼は均衡を生み出さなければなりません。すべてを静的な状況に置くことで和合を生み出すことはできません。静的でない状況を生み出し、それに均衡をもたらすことによって和合を生み出すことができます。その均衡が絵画や音楽作品の生命であり、あなたが働いている共同体の生命です。

 人生のあらゆる側面に均衡を生み出すことができるとき、人類は正しい人間関係が生まれていることを知るでしょう。正しい人間関係は無害と均衡です。均衡とはバランスを取ることです。人生には多くの要素があり、絵画や彫刻と同じように、あなたはそれらを統合しなければなりません。死んだバランスではなく、最終的には均衡が生み出されるような方法でそれを創造しなければなりません。このようにしてあなたは生きた仕組みをつくり出すのです。色彩の調和が欲しければ、すべてを一つの色で描くこともできます。しかし多くの色、多くの面、多くの音に表現を与えたいならば、一生懸命働き、それらすべてに均衡状態をもたらすために、直観を用いなければなりません。均衡は静的なものではありません。人生に均衡があるときに真の人生と言えます。均衡がないとき、破壊的か静的であり、それは死にかけています。静的な人生が静的であるのは一瞬の間だけです。現状維持とは過去の一瞬ですが、すでにその瞬間は終わっています。だから現状維持というようなものはありません。存在するのは常に動きであり、その動きは安定を求めています。それは和合を求めており、言い換えればそれは均衡です」

(シェア・インターナショナル誌2006年1月号。ベンジャミン・クレーム
『生きる術』も参照)

今月号の内容概説

 年末はしばしば、じっくりと考える時期である。また、私たちが今年に関して祝ったり悔やんだりすることをもとに、次の12カ月の目標を設定し始める時期かもしれない。私たちの目標が、ベンジャミン・クレームの師の記事「暗闇の終わり」で提示されたアイディアのいくつかに沿っているなら、徐々に「正気を取り戻し」、「政治家や他の人々の中に良心の目覚め」があることを期待できるかもしれない。そのように理性を取り戻すことが是非とも必要であることが、今月号の視点の記事(「一人の億万長者は……」)で強調されている。大勢の人々とこの惑星の健康を犠牲にして消費し蓄積する少数者の日常生活が、信じられないくらい異質であると論じられている。これはまさに、社会的不正義の度合いを測るもう一つの方法である。あらゆる機構を直ちに徹底的に変革することをもはや先延ばしすることはできない。第27回気候変動枠組条約締約国会議(COP27)の活動家たちが明らかにしたように、私たちは自分自身の貪欲と、この惑星の豊かな資源の誤用の犠牲者である。

 世界中の活動家が化石燃料産業と、この惑星のいっそうの破壊を支持する政治家を批判してきた。ヴァネッサ・ナカテさんはこう述べている。「あなたたちが石炭、石油、ガスの種を撒いている一方で、最前線にある地域社会は、大惨事、荒廃、破滅という実を刈り取っているのです」と。主要メディアはようやくのこと、気候危機を深刻に捉えているようであり、これは大きな転機である。ほとんどすべての大陸の国々の30を超える主要メディアが、化石燃料関係の巨大企業に対して超過利潤への課税をするよう11月15日の社説で各国政府に呼びかけた。貧困国が気候変動による壊滅的な影響に直面し、世界中の人々が自宅を暖め家族を養うのに苦闘する一方で、そうした企業は何十億ドルも儲けてきたからである。

 現在のエネルギー危機と化石燃料への依存を解決することのできる無限の「フリーエネルギー」に関する先駆的な研究が、ある若い科学者へのインタビュー記事「豊富なエネルギー」で検討されている。これは(数名を挙げるとヴィルヘルム・ライヒやテスラを含めて何百人もの人々によって取り組まれ、ジーン・マニングによって書かれてきた)研究のさらなる突破口であり、それによって私たちの生活と自然界との関係が変革されることが待たれる。

 「未来への青写真」の第一部は、私たちの手の届くところにある未来のビジョンを提示している。そのような未来の文明がいかに現実的であり可能であるかを強調するために、「時代の徴」という選集を掲載することにした。この選集では、マイトレーヤと覚者方によって提供される美や導き、慰めに焦点が当てられている。秘教徒のアート・ユリアーンスは、私たちの神聖なる潜在的可能性という概念を次のように提示している。

 「これまでのところ、霊的王国は主に内的な主観的世界に──つまり覚者方や完成した人間や天使がいるハイアラキー的な界層──にその座を占めてきた。しかし、地上にある魂を吹き込まれたすべての人間は、魂の王国の年少メンバーでもあり、そのため、この王国を人間が努力を行う世界によりしっかりと固定する役割を担っている。人々の間には常に神の王国の前哨部隊がおり、ハイアラキーを物質界につなぐ役割を果たし、愛ある理解、善意、奉仕の流れのための経路として働き、人間の霊的進化に対して責任を負う人々がいた。これらの人々はあらゆる国に存在し、『キリスト意識』を吹き込まれた人々だった──この意識がどのような名前で知られていたかはともかくとして。

 このような魂を吹き込まれた人々は、現在、天上の領域と人間の世界をつなぐ重要な『魂の橋』を構成している。この橋はすでにしっかりと架けられ、日々、新しいメンバーたちによって拡張され、強化されている」

 2023年には何が私たちを待ち構えているのか、と世界はきっと考えているだろう。今月号に集められたすべてのものは人類の手の届くところにある。「20年にわたる労苦の成果が実り始めている。マイトレーヤの慈悲心に富むエネルギーがその魔法のような働きをしており、新しい精神が力を強めつつある」

今月号の内容概説

 私たちは毎月、述べる必要のあるあらゆること、注目を要するすべてのことについて書くことができればと思っている。すべての人が認識すべき問題が非常に多くあるからである。早急に解決策を必要とする危機や状況、問題を省くのは困難である。世界の全領域は、善意の人々がそれぞれ適切な行動を取ることを求めている。この11月号も例外ではない。良い点や問題点、解決策、後退、進歩が提示されている。非常に多くの奉仕の機会に関して述べるべきことは非常に多い──そのため、今月号は通常よりもページ数が多くなっている。
 ベンジャミン・クレームの師である覚者は、問題の核心を突いている。つまり、古い秩序の崩壊と、何がそれに取って代わるかという論点である。覚者はこう述べている。「今は激変とストレス、不調和と葛藤の時である」と。しかし覚者は、絶望が入り込む前に、正義や自由、平和という美しい規範を持った未来の概略を描いている。「未来に備えて」という同じ記事で、マイトレーヤがいかにして働かれるかを覚者は明らかにしている。マイトレーヤは「権力と富を持つ人々の思い上がりに挑戦するだろう。マイトレーヤは声なき何千万の人々のために、日々苦悩の中に生きる貧窮し飢えた人々のために、彼らの“上位”の者たちの勅命にあえて挑戦し獄中で衰えている人々のために、語るだろう。マイトレーヤは、正義と自由を愛する者たちのために語り、彼らの大義の声を高らかに上げるだろう。彼は、戦争によって支配する者たちの激怒を和らげるだろう。そして人間の王国を汚す戦争が入り込む扉を永遠に閉ざすだろう」
 フランスの通信員の一人、ルーク・ギオリーは、アメリカの低迷──民主主義や国の諸機構、国の未来に対する寡頭制の悪辣な影響──についてのトム・ハートマン氏の分析に脚光を当てている。別の書評(『あなたが思っているよりもあなたは重要』)では、ノルウェーの通信員、アナ・ビエが、相互に結び付いた世界において、肯定的な変化の連鎖反応に寄与するためにそれぞれの人が果たすことのできる役割に焦点を当てている。紛争の継続に対するフラストレーション(不満)の高まりが世界中で見られ、それに付随した核エスカレーション(深刻化)に反対する運動が盛り上がりを見せている。
 瞑想とは何か、なぜ瞑想をするのか。ベンジャミン・クレームと彼の師、そしてマイトレーヤが、人を奮い立たせるような選集の中で説明している。
 ケニア農村部での遠隔治療の進展についての記事は、新興国が健康管理などの基本的権利のためにいかに苦闘しなければならないかを明らかにしている。教皇や国連事務総長、世界中の若い気候活動家、ジェフリー・サックス教授らは皆、私たち──人類──に正気に返って、私たちの惑星と生命を救う解決策を見つけるよう促している。彼らの訴えは緊急性を帯びている。
 現在の危機にもかかわらず、マイトレーヤは人類を通して、私たちが長らく待ち焦がれてきた未来を成し遂げられるということを、シェア・インターナショナル誌の読者は知っているだろう。マイトレーヤは今でも働いておられ、「人間が受け継ぐべき黄金の未来」に備えておられる。

今月号の内容概説

 私たちのシステムのほとんどが壊れているため、社会を組織する新しい方法を早急に創出する必要があることを、私たちは皆知っている。今月号の記事は、構造内の亀裂を浮き彫りにし、前方への新しい道を指摘しているが、現代の経済や政治、産業、教育、生態系に関わる規範の誤りと内在する弱点を特定することから始めている。シェア・ギルモア氏による『限界とその先』の書評は、過去には耳を傾けられなかったが今は理解されなければならない警告を、実に良いタイミングで思い出させてくれる。視点の記事「ウォール街の責任を追及する」はまさしくそうした警告を発しており、巨額の利益と資本主義体制の極端な例を非難している。
 今月号はまた、混沌とした時代に対する人類の生来の霊的・心理的な反応──高位の力に対する私たちの本能的な訴えかけ──を明らかにしている。しかし、私たちの行動は依然として恐怖と不安によって駆り立てられている。ベンジャミン・クレームの師は次のように述べている。「大計画が成就されるのを妨げる最大の要因は、疑いもなく人間の恐怖心である。人間は自分たちの周りに敵意ある世界を見、あらゆる側において貧窮と欠乏に脅かされている。核の脅威は、すべての者の上に重くのしかかっている」。クレームの師はさらに続けて次のように述べ、私たちを安心させている。「マイトレーヤは、人間は彼ら自身の恐れ以外に恐れるものは何もないことを勧告されるだろう」。必要な変化を成し遂げる方法は極めて単純である──自分たちが望むような世界、共通の利益に奉仕するような世界を創造しなければならない。
 マイトレーヤ御自身が『モリヤの庭の木の葉 Ⅰ』(アグニ・ヨガ協会刊)で伝えられた言葉の一部が転載されている。マイトレーヤはその中で、御自身の臨在について読者に安心感を与える一方、新しい世界を建設するための行動へと人類を促している。「この重苦しい日々には、君は労役により、無罪放免されるだろう。そして行動により、君は高められるだろう」。自分の環境のせいにして自暴自棄になることも容易であったはずだが、そうはならずに自分自身と近所の人々がより良い生活を築くために働くよう3人の若者たちを動機づけたのは、彼ら自身の労役と社会正義の追求であった。この過程は「民衆の力が生活を変革する」という記事で描写されている。
 万人への奉仕のために自分の人生を捧げ、マイトレーヤのアイディアに対して敏感であり、世界規模の途方もない変化の火付け役となったのは、ミハイル・ゴルバチョフ氏であった。その生涯を追悼するために、1990年代にベンジャミン・クレームによって伝えられた情報が掲載されている。次の言葉はゴルバチョフ氏の幅広い包括的なアプローチをよく示している。「平和とは、類似性の中の和合ではなく、多様性の中の和合に、様々な違いを認めて和解することにあります」
 意識の特性についての(アート・ユリアーンス氏の)短い論文、教育に関するミニ選集、国連世界人権宣言第26条、和平交渉の必要性の強調は、もしこの惑星が繁栄し危機を乗り越えようとするなら学ばなければならない他の教訓を明らかにしている。「徴」と「手紙」のページは、私たち──人々と惑星──は独りではなく、マイトレーヤや覚者方、スペース・ブラザーズ(宇宙の兄弟たち)からの助力を当てにすることができるということを多くの読者に確信させる。

今月号の内容概説

 「人類の問題の核心は何でしょうか」という質問に対する要約された簡潔な答えとして、ベンジャミン・クレームと彼の師はいつもこう返答してきた。分離という間違った認識と、霊性は宗教的な文脈の中に属するものであり、そうでない場合は避けるべきものであるという誤った考えである、と。そうだとすれば、私たちの生活のほんのわずかな部分だけが霊的と見なされることになる。こうした態度のせいで、利己的で貪欲で競争的になることはより容易になる。

 ベンジャミン・クレームの仕事を通して響き渡っているアイディアが一つあるとすれば、すべてのものが本質的に霊的であり、徐々にそのように見なされるようになるということである──そのため、彼は他のグループとの協力を促進しようと努力した。今月号(*)には「世界政府のための議員連盟」のメンバーとの興味深い往復書簡の断片が掲載されており、ベンジャミン・クレームは社会の各方面で提携を推進する必要について語っている。このことが意味するのは、生活におけるあらゆるものが霊的であり、政治や気候変動対策、経済、教育、医療制度などすべてがそうした霊的なものとして扱われるべきだということを認めることである。こうした書簡は、霊的な志向を持つグループへのクレームの公開書簡とあわせて、世界中のグループが考慮すべき新鮮なアプローチを提供しているかもしれない。

 ベンジャミン・クレームの師は「新しい文明」という記事で未来を垣間見ている。「新しい文明を構成する要素の特性を考慮してみよう。新しい時代の顕著な姿勢は、正しい関係を創造し、善意を表現するための試みであろう。個人に強調を置くことから集団(グループ)に強調を置く方向に大きく移行し、それが人類をより実りの多い線に沿って再教育するだろう。そしてそれが、神の大計画により一層沿う機構を創造していくなかに反映されるだろう」

 クレームはこれと同じ傾向──和合と融合の必要性──を強調している。これは将来の関係の特色となる特質である。さらに、彼は課題を提示し、実際的な解決策と新しい取り組み方を提供している。「私たちが新しい時代に入る用意を整えるにつれて、統合をもたらす偉大な力が地球に作用し、より大きな和合と融合をもたらしているということが多くの人にとって明白になるでしょう。現代は、あらゆるグループが自分たちの活動方法と、一般大衆および他のグループへの接近の仕方を見直してみることのできる時代です。私たちはまさか、分離主義と排他主義という長い間に深く染み込んだ習慣に従って働き続けることにより、時代の必要に適切に反応することに失敗しようとしているのでしょうか。こうした融合と統合の偉大な力に備わる特質を現し、目指すべき社会の方向性にもっと効果的に影響を及ぼすために、あらゆる分野にいる霊的な志向を持つグループはどのような手段を取ることができるでしょうか。活動の調整不足が現在、主な障害になっている、と私たちは考えます。この国の霊的な運動は、広まってはいますが、バラバラです」

 こうした統合的なアプローチを取ることにより、今月号の記事の収まりが良くなっている。「すべての人に公正な賃金を」という運動は、飢きんや洪水、干ばつに脅かされている人々を救えという呼びかけと結び付いている。秘教的な観点から歴史と心理学を考えたり、私たちは奉仕するためにここにいるのだということを認識するよう呼びかける若くて聡明な自閉症の女性について読んだりすることを、読者は楽しみに思うかもしれない。この号の記事の中では、「普通のお父さん」が気候チャンピオンになったり、若い女の子が社会と気候の正義を呼びかけたりする。

 世界中で活動家やジャーナリストが逮捕され、殺害されている。パレスチナ人の活動家、シリーン・アブ・アクレ氏の事例を考えていただきたい。しかし、世界にあるその同じ場所から、トリノの聖骸布の年代についての新たな研究という形で、イエスの生涯に関するさらなる証拠が出てきた。次々と現れる「徴」や奇跡、尋常でない体験を記した読者からの手紙は、今月号の内容にそれぞれの独特な響きを加えている。

(*) 英語版は7・8月合併号であるが、日本語版は7月号と8月号に分けて発行される。

今月号の内容概説

 私たちの世界の多くのことは短期主義の結果であるように思える。緊迫した状況の圧力を受けるため、時間がなく、十分な情報がなく、洞察力を欠くことになり、非常にまずい判断をしがちになる。脅威が感じられると、私たちは短期的な解決策を選ぶようであり、日々のニュースの見出しはその明らかな結果を示している。
 こうした問題において繰り返し登場するテーマは、長期的なアプローチという知恵である──世界はその反対のものから生じる問題に対処しているが。ベンジャミン・クレームの師による今月号の記事は、「戦争の危険と地球の生態系の不均衡の加速」を踏まえて、賢明に考慮した上での緊急の行動の必要性を強調している。「時間は切れつつある」と覚者は書いておられる。私たちは是が非でも、長期的な解決策を選択しなければならない。気候科学は証拠を提示すると共に、未来を確かなものとするための解決策も提示している。
 ジェフリー・サックス氏は「ウクライナでの消耗戦を終わらせる」という記事の中で、和平交渉に向けた実現可能な解決策の概略を描き、「ウクライナで平和を構築することはまだ可能である」と指摘している。私たちは消耗戦──長い戦争──に時間をかける用意はできているが、解決策を見いだすためには時間をかけていない。同じテーマに関して、ルーク・ギオリー氏は(「混乱と希望」という記事の中で)決定的に重要な要因について力説している。長期にわたる継続的なプロパガンダと国民に対する条件付けは、特に他国への偏見が重要な要素となっている場合、将来の紛争の種を宿しているということである。
 「核兵器廃絶国際キャンペーン」のベアトリス・フィン事務局長へのインタビュー(「世界から最悪の惨劇をなくす」)では、もし私たちが未来を欲するなら、核兵器はなくなる必要があるという主張がなされている。サンジェルマンの複数の生涯について詳述する伝記の最終回では、覚者方がいかに非常に長い期間にわたって活動するかが強調されている──「長期的な視点」という語句がほんの一瞬のように聞こえてしまうような事実である。サイババについてのパトリシア・ピッチョン氏の記事によって提供された情報を例にとってみよう。万人の利益のために長期にわたって影響を及ぼす多くのことが、サイババの2回目の転生で成し遂げられた。ベンジャミン・クレームはサイババの次の転生についても指摘している。これは数百年にまたがる世界への奉仕である。
 世界中の人々は、自分たちがこの惑星上の出来事の行方に影響を及ぼすくらい強力だと考えるようになるだろう──持続可能な未来を確かなものにし、共通の善のためになるよう政治に変化を起こし、短期主義とそれが引き起こす混乱を避けながら、活動家と政治家が一緒に働くよう促すだろう。
 「この惑星地球が毎日被っている変質を停止させるために残された時間は切れつつある。すべての男女が、子供が、この仕事に彼らの役割を果たさなければならない」と、ベンジャミン・クレームの師は緊急の要請をしている。一見矛盾しているように思えることは、覚者方は時間に拘束されておらず、世界の出来事を「永遠なる今」以外で起こっているとは見なさないが、考えられる限り最も長い期間にまたがることは確かな「大計画」のために働いておられるということである。
 今月号においては、こうしたアイディアやその他の多くのものを、ベンジャミン・クレームによる質疑への応答に加えて、マイトレーヤもしくはイエス覚者との出会いについての読者の話の中にも見いだすことができる。