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クール・エフェクト: 気候変動との闘いを援助し、一度に1トンの二酸化炭素を削減

モンテ・リーチによるマリサ・デ・ベロイ氏へのインタビュー

クール・エフェクト(Cool Effect)は2016年に設立されたカリフォルニアを本拠とする非営利団体であり、団体のウェブサイトによると、「気候変動を緩和するための具体的な即時の行動を起こす」ための手段を個人や団体に提供している。cooleffect.orgに掲載されている科学的に実証された二酸化炭素削減プロジェクトの1つに寄付することで、サイトの訪問者は1トン当たりわずか6ドルで二酸化炭素の排出を削減することができる。世界中から選ばれたプロジェクトには、低所得地域の共同体を援助したり、植物や動物の絶滅危惧種を保護するなどの付加的な恩恵もある。マリサ・デ・ベロイ氏はクール・エフェクトの最高責任者である。モンテ・リーチが本誌のために彼女にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以降SI): クール・エフェクトとは何か、どのような活動をされているのかを教えていただけますか。
マリサ・デ・ベロイ:クール・エフェクトは、二酸化炭素排出量の削減プロジェクトのためのクラウドファンディングの基盤です。私たちの科学者チームは、私たちがベストと考える、二酸化炭素排出量を削減する最も効果的なプロジェクトを世界中から選びました。
ウェブサイトでは、このようなプロジェクトに関して、背景、地域、良い点と悪い点、適正評価文書など、できる限りの情報を提供しており、興味を持ったプロジェクトを援助できるようにしています。
基本的には、私たちは気候変動に関心を表明している1億4,500万人のアメリカ人と世界中のさらに多くの人々に焦点を当てています。それは、リサイクルを行い、肉食を減らし、旅行を減らし、二酸化炭素の排出量削減のために可能なことをすでに行っていて、さらに何かをしたい人々です。これは何か行動をするための手段です。気候変動との戦いにおいては、あなた自身の排出を相殺するか、何かを行うかのいずれかです。

SI:クール・エフェクトは、このような各プロジェクトをどのようにして見つけたのでしょうか。
ベロイ:私たちは、炭素クレジットを発行した数多くのプロジェクトから始めました。それらは世界中に約1万あります。これは、各プロジェクトが、カリフォルニアのGold Standard、Carbon Action Reserve、Verified Carbon Standardなど、炭素クレジットの主要な国際標準の要件の1つをすでに満たしていることを意味します。これはクール・エフェクトから完全に独立しています。
そのプロセスの一環として、各プロジェクトは第三者によって検証されています。プロジェクトは、最初に彼らが行っていると主張していたことを継続して行っていることを証明する文書を毎年提出する必要があります。
すでに述べましたが、私たちには科学者や実務担当者のチームがいて、このような科学的に証明されたプロジェクトのうち、どれが最良の活動をしているかを判断します。プロジェクトの詳細な適正評価を、財政面からだけでなく科学的にも実施します。私たちはプロジェクトを訪問し、彼らが主張している活動を実際に行っているかどうかを調査します。
こうした各プロジェクトに関して、第一の目的は大量の二酸化炭素の排出を削減することです。しかし私たちのプラットフォーム上のすべてのプロジェクトには、補助的な恩恵(co-benefits)と呼ばれるものがあります。それには、ウガンダでの調理用コンロのプロジェクトなど女性や子供の健康を改善することから、ペルーの林業プロジェクトでの希少動物と希少植物の保護活動や、アメリカ先住民保護区における雇用の提供、コロラドでの私たちのメタンの分離プロジェクトまで、様々なものがあります。

ホンジュラスで
クリーンな調理用コンロを提供する

SI:クール・エフェクトのウェブサイトに掲載しているお気に入りのプロジェクトについて、お話しいただけますか。
ベロイ:その一つは、ホンジュラスのミラドール・プロジェクトでしょう。彼らはホンジュラス地方部の地元の家族と共に活動し、伝統的な調理用コンロと比べて薪を半分しか使用しない改良型の調理用コンロを開発しました。クリーンな調理用コンロは薪を節約し、家族の時間とお金を節約し、家庭から有害な煙をなくします。そして森林を保護し二酸化炭素の排出を削減することで、地球を守ります。
ミラドール・プロジェクトは、このような調理用コンロによって人々の生活を劇的に変えます。以前、女性は小さな小屋のような住居でむき出しの火の上で調理していました。女性は信じられないような割合の呼吸器疾患や他の病気に苦しみ、お母さんが料理するときに傍らにいる子供たちも同様でした。女性が効率的な調理用コンロを手にし、煙が屋外に排出されるようになり、それは過去のことになりました。
コンロはレンガとモルタルで作られており、煙突を持ち、より多くの料理をより速く作れるように設計されているため、薪の購入を減らしたり薪を集める時間を節約することで、家族はお金を節約できます。
ミラドール・プロジェクトはコンロを製造し、その使用をモニターする組織も持っているため、地域に雇用を提供しています。コンロの材料は、家族が負担します。組織としてのミラドールは、コンロを作り、家族に使い方を教え、彼らと連絡を取り続け、正しく使用されメンテナンスが行われるようにします。
2004年にミラドール・プロジェクトが開始してから、14万5,000個所以上でクリーンな調理用コンロを作り、65万人に恩恵を与え、約100万トンの二酸化炭素の排出を削減しました。コンロで調理する際に使用する薪が少なくてすむため、毎年約9平方マイルに相当する森林が守られています。継続した援助により、私たちは、ホンジュラスで次の年に少なくとも2万の調理用コンロを新しく作りたいと考えています。

寄付金の追跡

SI:ウェブサイトでは、削減する二酸化炭素のトン数を指定して寄付できることに気がつきました。これはどのようにして機能するのですか。
ベロイ:クール・エフェクトで寄付するには、2つの方法があります。最も基本的な方法は、プロジェクトに直接寄付することです。サイトを訪問し、プロジェクトの一覧を見て、最も興味のあるプロジェクトを選び、次にトン数を指定して寄付します。1トンは1炭素クレジットに相当します。炭素オフセットは、炭素クレジットを表す別の用語です。ここでの考え方は、炭素クレジットが国際規格と私たちの両方から検証されることにより、1トンの二酸化炭素の排出が実際に削減されるというものです。
私たちのウェブサイトを訪れ、何トンでも良いのですが、「よし、1トン削減しよう、5トン削減しよう」と言うことができます。平均的なアメリカ人の炭素フットプリント(二酸化炭素排出量)は、1年に17トンです。そのため、17トンの削減を指定する人もいます。サイトを訪れ、「私は毎年恒例の夏休みを取り、フライトは約2トンの二酸化炭素の排出と見積られるので、2トンの二酸化炭素を相殺します」と言う人もいるでしょう。
また私たちは、プロジェクトに直接寄付できる機能も実現しました。寄付をサイト上のプロジェクト数によって分割し、その寄付金をプロジェクトに直接送ります。

SI:クール・エフェクトのすべてのプロジェクトの中で、1トンの二酸化炭素の排出を削減する平均のコストはどの程度でしょうか。
ベロイ:1トン当たり平均で約9ドルですが、それより安いプロジェクトと高いプロジェクトがあります。現在最も安いプロジェクトは1トン当たり6.04ドルで、最も高いプロジェクトは1トン当たり13.18ドルです。

SI:私がクール・エフェクトのプロジェクトに寄付した場合、私の寄付金は実際にどのようにして恩恵を受ける人の元に渡るのでしょうか。
ベロイ:クール・エフェクトのウェブサイトで寄付すると、私たちは9.87%の手数料を差し引きます。その中の3%から4%がクレジットカードの手数料であり、そして他に何種類かの管理手数料があります。このように、とても安い手数料です。残りのお金をプロジェクトに直接送金します。
プロジェクトの側からは、私たちは送金した際にプロジェクトにお金が戻ることを検証し、お金がどこに行くのかを正確に知ります。私たちは、各プロジェクトの経過、お金の使用状況、プロジェクトのストーリーなどに関しての季刊のニュースレターをすべての寄付者にお送りしています。
炭素クレジット1単位に相当する金額が設定されており、プロジェクトにどの位のお金が行くのか、どこで使われているかを正確に伝えることは、炭素クレジットの世界では本当に革新的なことです。すべての人がそれを知りたいと思われるでしょうから、それはばかげていると思われるかもしれません。私たちが知る限り、私たちはそのレベルの透明性を提供する唯一の炭素クレジットや炭素オフセットの提供者です。

SI:個人によるクール・エフェクトのプロジェクトへの寄付は大切ですが、あなた方は、非常に大きな影響力を持つ財団、企業、他の団体とのつながりをお持ちですか。
ベロイ: はい、持っています。例えば、私たちはセールスフォースの公式なオフセット・パートナーでした。セールスフォースは、2017年にスケジュールを33年前倒しで、企業としてカーボンニュートラルを達成しました。私たちは、彼らがそれを達成するためのオフセットを提供しました。私たちは、他の企業とも一緒に活動しています。私たちは、マーチ・フォー・サイエンス(March for Science)などの団体とも一緒に活動しており、2017年にワシントンDCへの科学者のデモのためのフライトを援助し、彼らの旅行を相殺しました。私たちは、全米オーデュボン協会(National Audubon Society)や他の環境団体のパートナーになりました。私たちの中心となるモデルは、個人が何かを行う手段を提供することです。しかしながら私たちは、より大きなグループと共に活動する力を理解しています。

SI:何か他に付け加えることはありますか。
ベロイ: クール・エフェクトに関して素晴らしいことは、それが説明可能であり、検証可能であることです。私は個人的に、数多くの環境団体に寄付をしています。しかし、こうした団体について、どのような影響を与えているかを知るのは難しいです。それは、彼らに寄付すべきではないということではありません。しかし、クール・エフェクトに寄付することは、説明可能で測定可能な行動を今すぐ起こす手段なのです。
1日の終わりに、クール・エフェクトはプラットフォームを通して19万トン弱の二酸化炭素の排出を削減したと、私たちは言うことができます。それは大変なことです。気候変動を解決することは、重要な課題です。私たちは何トンもの二酸化炭素を毎日大気中に放出しています。そして、その量を常に削減する必要があります。これは、あなたが何か役立つことをしたと確信できる方法です。

詳しくは次を参照:cooleffect.org

 

新しいパラダイム

イスラエルの女性が現状に挑む

シェリーン・テイルズによる

ビビアン・シルバー氏へのインタビュー

 

平和を遂行する女性(Women Wage Peace=WWP)は、様々な民族的、社会的、政治的、宗教的、地理的背景を持つイスラエル女性の草の根運動であり、2018年までにイスラエル・パレスチナ紛争の「 高潔で双方で受け入れ可能な政治的合意」を達成することを目的としている。

彼ら自身の言葉では、この運動は、イスラエルがガザ地区で開始した『境界防衛作戦』として知られる20147月の軍事作戦の後の「深い落胆と批判から生まれた」。 その結果、ガザ地区とイスラエルの両方で多くの犠牲者を出し、ガザ地区の広い地域が荒廃することになった。この運動の目的は、両者の間で平和の希望を再び呼び覚ますことであった。

WWPは非常に活動的であり、急成長しており、イスラエルに28,000人以上のメンバー、全世界でさらに50,000 人の後援者がいる。WWP はイスラエルとパレスチナの指導者に対して、実行可能な和平合意に向けて動くように圧力をかける活動を定期的に企画している。シェリーン・ テイルズが、本誌のために、WWPの中央委員会の一員であるビビアン・シルバー氏にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI: あなた方の大義に気づきをもたらすために、どのような活動を始められたのですか。

ビビアン・シルバー:まず第一に、私たちは階層的な運動ではありません。それはフラットな組織構造であって、完全にボランティアによって運営されています。私たちは、18の専門チームと60の地理的な区域に分かれています。私たちは運動を成長させることで、政治家や政府に影響を与えられるような必要最小限の勢力になろうとしています。

私たちは、色々な都市でパーラー・ミーティングを開催しています。お話ししましたように、60 の地区があり、各地区でパーラー・ミーティングを開催しています。各会場ではアビゲール・ディズニーの映画『悪魔よ地獄へ帰れ(Pray the Devil Back to Hell)』を上映しています。これは、内戦を止めたリベリア女性の役割についての映画です。また私たちは、類似性や違いに関するディスカッションを開催しています。女性を活動的にするための、そして「彼女たちが酷い状況でそれをできたのなら、私たちもここで同じようにすることができる」と言うための勇気づけの映像として使っています。 私たちが誰であるかを説明したり、より多くの女性を私たちの仲間にお誘いしようとしているのです。

毎月、木曜日の午後に、私たちはイスラエル中の交差点に立ちます。約80の交差点やショッピングセンターに立ち、エジプト・イスラエル間の最初の和平合意のときのメナヒム・ベギン氏、アンワル・サダト氏、ジミー・カーター氏を示すカードを掲げています。これらの肖像は、これが党派対立問題ではないことを示しています。なぜなら、ベギン氏は極端な右派の政府から出た右派の首相だったからです。そしてそれが私たちのメッセージなのです。つまり、これは左翼運動ではなく、すべての政治的見解を対象とする運動です。和平はすべての人にとって最優先の問題なのです。それが交差点に立つ私たちのメッセージです。信仰を持っていても持っていなくても、右派でも左派でも、主流派でも、ロシア系移民でも、エチオピア系移民でも、現地生まれでも、これはすべての人に訴えかける問題です。

私たちはまた、毎週月曜日に国会に行きます。私たちの地域チームが、誰が国会に行くかを決めます。私たちはイスラエル国会の総会に参加し、平和運動として非常によく知られ無視できない存在になりました。私たちは国会に行き、委員会の会合に参加し、総会に参加します。国会で演説した政治家たちが、私たちと話してくれます。彼らは、白い服を着て青緑色のスカーフをした私たちを認めてくれて、私たちはどこに行っても非常に目立ちます。

 

SI:あなた方のグループは、今までのところ、和平プロセスに影響を与えましたか。

シルバー:実際の和平プロセスではまだですが、和平について話をすることを、希望を思い描き、現状を揺さぶることを、私たちが再び正当なものにしたと、政治家たちは言いました。つまり、私たちが70年の間教えられてきた戦争のみが和平をもたらすというパラダイムは明らかに真実ではなく、政治的な合意のみが安全保障をもたらすと言えるようにパラダイムを変えることです。安全保障は私たちすべてにとって実存的な必要です。私たちがユダヤ人であってもアラブ人であっても、イスラム教徒であってもキリスト教徒であっても、パレスチナ人であってもイスラエル人であってもです。世界中のすべての人が安全だと感じたいのです。女性であることによって、私たちの安全保障の考え方は、単なる防衛の安全保障よりも幅広いものになりました。私たちが話をしているのは、教育、福祉、雇用、経済における持続可能な人間の安全保障のことなのです。安全保障は、より深い方法で見る必要があります。

 

SI:運動の成功の要因は何だとお考えですか。

シルバー:私たちは、イデオロギー的な運動とは異なり、実際的な運動です。ほとんどの平和運動が非常に小規模にとどまる理由は、彼らが非常に狭いイデオロギーに固執するためであり、そのため、大きなグループがイデオロギー的な偏向にしがみつく非常に小さなグループに分かれてしまうのです。私たちは、最初から単一問題の運動にしようと決めただけなのです。そして私たちは、いかなる特定の政治的解決も支持しません。それは、私たちにとって実際には重要な意味を持たないからです。それが二国間のものであり、双方に受け入れられるものである限り、本質的には、それは双方にとって賞賛に値する合意となるでしょう。そうでなければ、受け入れられないでしょう。ですから、私たちは、どの和平合意かには立ち入りません。私たちが主張しているのは、あなた方は合意に達するのであって、合意に達するまではテーブルを離れないと決心する必要があるということです。

他の成功の要因は、多様性へのアプローチです。私たちは、すべての政治的見解の、すべての宗教の、すべての社会経済的状態の、すべての民族集団の人々を対象とすることを強く主張しています。そのように広く多様なメンバーがいることで、私たちはより多くのメンバーに対して話ができるからです。私たちは女性として、新しい言葉づかいをしています。非難したり侮辱したりするパターンから離れ、実のところ、キャロル・ギリガン教授が「急進的な傾聴」と呼んだものを私たちは採用しようとしています。そこでは、他の人の話を聞くことに一生懸命取り組み、全く異なる意見があり、それを受け入れる必要があるという事実を受け入れます。

 

SI:異なった背景、政治的見解、宗教を持つあなた方のメンバーは、一つの大義のためにどのようにして集まったのでしょうか。

シルバー:私たちは、二つだけの目標を持つ、一つの大義に集中しています。目標の一つは外交的な合意に達することで、もう一つは国連安保理事会決議1325号に定められたように、女性を和平交渉の不可欠な部分とすることです。この決議は2000年に採択され、世界のあらゆる場所でのすべての和平交渉と和平を築く努力において、女性は不可欠な部分でなければならないと定めています。各国はそれを法律に採用することが期待されており、イスラエルはそれを実際に採用しました。

 

SI:和平プロセスにおいて、何が問題だと思いますか。

シルバー:起こらなければならないのは、両方の側で選挙で選ばれた指導者が、現状が両方の側にとって良くないと判断を下すことです。パレスチナ人は、そのことを明確に繰り返し主張してきましたが、イスラエル側は現状を受け入れるつもりでいるようです。ネタニヤフ首相は、私たちは剣によって生きる運命なのですと言いました。私たちが主張しているのは「違います。私たちは剣によって生きる運命ではありません」ということです。私たちは変化を起こすことに責任を持つ必要があります。それが私たちの目標です。そのような影響を及ぼし、現状は受け入れられないと主張することです。

 

SI:活動地域に住んでいない女性は、あなた方の大義をどのように援助することができますか。

シルバー:世界中に、私たちを援助しようと希望し、私たちの活動を確認しながら地元で活動をする女性たち──Women Wage Peaceの女性大使がいます。例えば、昨年( 2016年)10月の希望の行進(March of Hope in October)の間、サンフランシスコでゴールデンゲートブリッジのデモ行進がありました。シカゴでは、次の年に大規模なイベントを開催することを検討中です。ブラジルでは大きなイベントを行ったばかりで、イタリアやスペインでは、大きなイベントをつい最近行いました。世界中で何かが起こっています。

Prayer of the Mothers』を書いた歌手のヤエル・デッケルバウムさんが、色々な国でWWPの援助によって開催されたイベントに招待され、歌を披露しています。YouTubeでは、彼女が様々な国々で歌うのを見ることができます。それは本当に素晴らしいものでした。彼女は彼女自身のアンサンブルを持っていますが、彼女と私たちの運動の間には相乗関係がありました。なぜなら、彼女は自分自身で曲を作り、私たちの活動がきっかけで世界的名声を得ることになり、運動は彼女の歌によって恩恵を受けました。それは本当に良いことであり、何か特別なことでした。

 

SI:何か他に付け加えることはありますか。

シルバー:私たちは2017年の9月と10月に、2週間の活動のイベントを成功させたばかりです。国中での2週間のデモ行進の最後の日には、死海の湖岸に作ったテントにパレスチナ人とイスラエル人の女性が集まりました。テントは『サラハとハガールのテント』という名前で、私たちが解決しようとしている長年の紛争を象徴するものでした。実際には、2,500人のパレスチナ人の女性が参加しました。それは、両方の側にパートナーがいることを示す大きな印でした。本当に長い間、私たちにはパートナーがないと言われてきて、あちら側に求めていたパートナーに、まず最初に自分たちがなる必要があると主張しています。彼らはそこにいました。パレスチナには、私たちが求めていたように同じことをしたいと考える男性や女性がいたのです。

 

詳しくは次を参照:

womenwagepeace.org.il/en/

 

シェリーン・ テイレルズは、カナダ、エドモントンに居住するシェア・インターナショナルの協働者である。

 

憎しみを乗り越え共感を選ぶ

ジェイソン・フランシスによる

アントニー・マクアリア氏へのインタビュー

SI:暴力的な極右運動はどのようにして人に狙いを付け、その理念に勧誘するのでしょうか。そして彼らのメッセージに最も脆弱なのは、誰でしょうか。

マクアリア:彼らはしばしば、他のイベントに便乗します。例えば、最近はガン・ショーに参加しています。オンライン・ベースのもっと新しい現象もあります。ソーシャル・メディアを通して勧誘することは、より簡単です。

しかし、暴力的な過激主義の核心は、実際にはイデオロギーに関するものではなく、有毒な罪悪感に関するものです。つまり、私たちが自分に関して持っている、自分は不十分で、賢くなく、愛嬌がないといった考えであり、多くの場合、私たちはそれを家庭や学校や教会で獲得します。それは空虚さや、アイデンティティー、目的、帰属や地域社会への切望を生み出します。罪悪感の反対は何でしょうか。それはプライドです。つまりこのような運動は、しばしばプライドの強烈な表現なのです。なぜならその人はそれを持っておらず、罪悪感を抱いているからです。深い心理的な原動力がそのような脆弱性をつくり出し、そのようなイデオロギーがそれを利用できるのです。

 

つながりの体験

 

SI:あなたが関わりを持っていたヘイト集団から離れ、共感と許しの人生を送り始める動機となった精神的な旅について話していただけますか。

マクアリア:それは離脱と呼ばれているものです。私は運動を離れ離脱しましたが、魅力的であったものを最初に扱いませんでした。その精神的な旅の最初の部分は、私の二人の子供が私に及ぼした影響です。私の子供たちがしたこと(そして共感により起こったこと)は、鏡を持って、自分自身に見えない姿、その人の人間性が映し出されるようにしたことです。

私の思考に基づく事実によると、私が扉を開けその精神的な側面を見るためには、量子物理学が必要でした。私は量子物理学、つながり、精神世界、心理学の探求を始め、数多くの成長や自己啓発のワークショップに参加しました。私は他の人や物事とのつながりを体験できる実習を開始し、ある意味では、以前は考えたり経験したりできなかったようなエネルギーで活動しました。

このような分離の過激主義イデオロギーの基盤は、私たちは分離しており、すべての物や人から切り離され孤独であるという、自分に関して信じている信念であり嘘なのです。もしあなたが、そのようなもっと深いレベルでつながりを体験するとき──共感はそれを行う一つの方法ですが、他の多くの方法があります──そして私たちは皆つながっていることを体験的に理解するとき、私たちは分離しているという信念であるそのイデオロギーの基盤が崩れます。私が瞑想を紹介されたのは、ヴィパッサナー瞑想合宿に参加したときでした。何も読み書きせずに10日間の瞑想漬けの日々を送りました。私は自分自身がどこに入って行こうとしていたのか、分かりませんでした。それは私にとって深遠な体験でもありました。

 

ライフ・アフター・ヘイト

 

SI:あなたは何をきっかけとしてライフ・アフター・ヘイトを共同で設立されたのですか。

マクアリア:自分自身や自分が誰であるかを発見するための内的な精神的な旅を経験するうちに、最初はどうしても人前に出るのが怖かったです。私は自分のキャリアや友人や社会的立場に対する危険を感じました。何よりもリアリティの性質、その中での自分の役割、自分がそこにいた理由の探求を始めたとき、そして自分自身に対する許しと共感を発達させたとき、私は説明責任の感覚も発達させました。それは、行った行為に対して自分自身の説明責任を持ち続ける私の方法でした。それは、私にとって浄化でした。

しばらくして、もっと人前に出なければと思いました。少しずつ前に進み、攻撃を受けやすくなり、リスクを負いました。私は、恐怖に満ちた自分の予想とは現実が異なっていることを発見しました。この旅で私が辿ったあらゆる段階が、人生をより豊かに、より良いものにしてくれました。ある意味で、私は、自分の人生を霊的な意味で改善し豊かにすることに打ち込んでいたため、後戻りできなかったのです。開かれ、脆弱になり、私の体験を分かち合うことで、他の人々はそこから学ぶことができるのです。私は、以前の自分のような立場の人を援助することができます。この人生での私の使命は、人々を共感と許しの場所へと、彼ら自身のため、すべての人々のために、鼓舞することです。

 

SI:何が暴力的な過激主義運動のメンバーをライフ・アフター・ヘイトに導いたのですか。

マクアリア:疑念の思いです。現実はファンタジーに沿うものでありません。ハネムーンの時期は終わります。私たちはアイデンティティーや、受け入れや承認のために仲間になりますが、これらが必ず得られるわけではありません。過激主義運動の時期には、人生は流れに逆らって泳いでいるようだったことを覚えています。すべてが大変でした。いつもあのように怒っていることに、とてつもないエネルギーが必要でした。あの運動では人々に囲まれていましたが、私が関わっていた15年間で、日常的に喜びを体験している人は唯の一人も思い浮かびません。あの運動である程度の時間を過ごすと、個人的な良い人間関係は築けません。あなたの人間関係は傷ついてしまうでしょう。あなたの人生のすべての要因が、ある時期に、ある程度、失敗するでしょう。

私の涙が止まらなくなった質問が、映画「アメリカン・ヒストリーX」の中にありました。アフリカ系アメリカ人の教師が刑務所にいるデレクという名前の登場人物を訪問し、人生をより良くするために、それまでに何かしたことがあるかと彼に質問しました。彼は泣き崩れ、頭を振り「いいえ」と答えました。映画のこのシーンは私にとって大きなきっかけとなり、私も同じく泣き崩れました。なぜなら、私が人生でしてきたことで、自分の人生を良くしてきたことは何もなかったからです。私は奮闘に疲れました。

SI:ライフ・アフター・ヘイトは、暴力と過激主義の生活から離れたいと思う人と、どのようにして一緒に活動するのですか。

マクアリア:それは、ただ聞くことから始まります。例えば、イラク戦争とアフガニスタン戦争を経験した退役軍人がいました。彼はイスラム教徒に対して嫌悪感を抱いていました。彼はイスラム教徒に対して暴力行為を行い、イスラム・センターを銃撃することを実際に考えていました。私たちは彼と話をし、私たちがしたことの一つはイスラム・センターのイマームに彼を紹介することでした。ほとんどの場合、このような人々は、彼らが嫌うであろう人々と決して会うことはありません。私たちはセラピストではありませんが、コーチでありメンターであり、この混乱から彼らを救うために必要な援助が得られるように人々を援助しています。彼らを脆弱にし、引き入れるのは、より深い心理的な原動力なのです。それが、彼らを外に救い出すために私たちがしていることです。イデオロギーは、それに比べると二次的なものです。私たちはイデオロギーに気を配り、イデオロギーを扱いますが、より深い問題を最初に扱う必要があります。

 

SI:ライフ・アフター・ヘイトには、どのくらいの人たちが援助を求めて来ますか。そして全体では、どのくらいの人たちがグループで援助を受けたのでしょうか。

マクアリア:その人数は増え続けています。現在では、毎週およそ5人から10人の人が訪れています。私たちは100人以上の人を援助しました。

 

SI:地域社会が暴力的な過激主義の原因を理解し、それに対して取り組むことを援助するライフ・アフター・ヘイトの教育プロセスについてお話しいただけますか。

マクアリア:私たちは、この問題で苦しむ地域社会に私たちの洞察を伝えています。このような集団が得意とする論争や暴力などがあり、彼らが好まないこともあります。避けるべき、ありがちな落とし穴があります。私たちは、このことに関して地域社会を教育し、どのようにして回復力を持ち、彼らが得意とすることを絶っていくのかを示そうとしています。

 

SI:ドナルド・トランプ氏のキャンペーンと大統領就任は、アメリカの暴力的な極右過激主義運動にどのような影響を与えましたか。

マクアリア:昨年の大統領選挙以来、この国で両極化が強まったことに私たちは気づいたのではないかと思います。一方では、極右勢力が成長しています。もう一方では、友人や家族のメンバーで私たちに助けを求める人が増えていることに気づきます。ある意味で、両方の側が動員されています。

 

SI:あなたの意見では、若者が人生で暴力、過激主義、民族アイデンティティーの罠に落ちないようにするため、和合と帰属の感覚や自尊心の意味を育むうえで、社会はどのようにしてより良い仕事をすることができるのでしょうか。

マクアリア:私たちは共感に戻る必要があります。人生の中でどのような場合に批判的になるのかを見る必要があります。いかなる理由であれ、誰かの人間性を奪おうとすれば、平和を得ることはできません。最も難しいことの一つは、共感を持たない人に共感することですが、このような人は共感を最も必要としている人です。そして、見過ごされがちな若い人々にもっと気を配る必要があります。

数週間前に、あるお母さんから次のようなメールをもらいました。「私の息子は18歳で、アスペルガー症候群です。彼はこの白人国家主義者の資料にはまってしまいました」。彼女が最も恐ろしかったのは、彼女の言葉によると、「この団体は、彼がこれまでの人生で経験したことがないような方法で、彼を包み込み、受け入れたことです」

私たちは、まさに深い心理的な原動力について話をしているのです。その子は、受け入れてくれ、承認され、友達ができるようなことは何でも信じようとしているのだと私は思います。ですから、ちょうど学校で子供たちが他の子供たちを仲間はずれにするように、少しだけ違う人々を私たちがどのように扱っているのかを見る必要があります。もし私たちが、子供たちが仲間はずれにされたり、「外側」にいると感じたりしないような環境をつくり出すことができれば、これが起こることを防止できます。

 

詳しくは、lifeafterhate.orgを参照してください。

 

 

 

 

分かち合いが可能にすること

難民を支援しようとするドイツ市民の寛容な努力
エリッサ・グラーフ

大多数がシリアにおける過酷な戦争から逃れてきた100万人以上の難民にドイツが国境を開けたのは、2年前のことであった。ドイツのアンゲラ・メルケル首相が2015年8月に、難民がたどり着いた最初の安全な国で難民申請を行うことを義務付けた、2003年に成立したEU政策「ダブリン協定」の適用を停止したとき、政治生命に汚点を残す危険に陥った。しかし、彼女のこの時の決断によって、難民はドイツ入国前の国に追放されるかもしれないとおびえることなく、ドイツでの避難所に迎え入れられることになった。最近ドイツでの選挙の結果、メルケル氏の勇気ある決断がポピュリストたちの非難の的になった。そして、難民の流入を恐れる人々の恐怖心のために、ナショナリストや反移民を掲げるAfD(ドイツのための選択肢)が支持を得て、国会に席を占めようとしている。もしそうなれば、ドイツ政府が過去60年間許さなかったナショナリストの党がはじめて公的な地位を得ることになる。

メルケル首相はドイツの開かれた国境を宣言した時に地方の人々の恐れを鎮めようとして、「私たちはできるのです」という楽観的なメッセージを伝えた。すると、様々な村や町の何千人ものドイツ人が難民に宿泊所を提供し、衣類や食料を供給し、言葉を教えるコースを作り、難民を自分たちの地域社会に受け入れた。シュピーゲル・オンラインによる最近の報告によると、2015年〜2016年に1万5,000人の難民受け入れ計画がドイツで実施された。新しい入国者たちへのドイツ語習得支援に焦点を合わせて、ボランティア講師が雇われ、難民のそれぞれの状況に合わせる支援がなされた。このような努力がメディアによって報道されると、かつて英国の政治家であった国際救済委員会のデイヴィッド・ミリバンド委員長は、「ドイツではこの状況を何とかし得るというメルケル首相の信念が発動され、何千というドイツ国民が入国者たちの支援に結集し、ドイツ国民は適切で公正なことを行っているという誇りを抱いている」と、ニューズウイーク誌に記した。

たいていのドイツの小規模な村のように、南部サクソニー地方の人口5,262人の村シュタイアーベルクは、2015年秋に、約100人の難民が到着することを知らされた。村長が召集した会議が地方の小学校で催された。出席した80人の村民は、職員から、ドイツの移民局が難民に関する可能な限りの工程を行ってきたが、にもかかわらず一般村民の支援を絶対的に必要としていると告げられた。村民たちは、やってくる難民のために、自分たちで住む場所を用意し、ドイツ語学習クラスを作ってほしいと要請された。

100名ほどの村民が素早く立ち上がり、ボランティアのリストを作成した。通信するためのフェイスブックを立ち上げ、寄付される衣類や日用品を収集したり分配したりする組織をつくり、やってくる人々へのドイツ語学習クラスを用意した。難民が社会に溶け込んでいくための手助けとして、村民たちは個々の難民や家族の世話を行った。自転車を見つけたり、医療サービスを受けることができるようにしたり、教育を受ける機会や働く機会について調べたり、言語力を高めるための訓練を行ったり、悪名高い複雑なドイツ語の書類に記入したりした。

これらボランティアたちの恩恵を受けた二人の子供がいる。もろいゴムボートに乗って、危険きわまりない海を渡ってヨーロッパにたどり着いた、アフリカの象牙海岸出身の18歳のアボウライエ・フォファナ君と、パレスチナのシリア難民で5歳になるイブラヒム・フヤッド君とである。

10歳の時からストリート・チルドレンであったフォファナ君は、モロッコからスペインへの危険をはらむジブラルタル海峡横断を試みる友達に、何もわからずに従って航海しスペインにやってきた。彼がドイツのへき地の村にやってきたとき、初めはおろおろしていたが、シュタイアーベルクで彼の母語であるフランス語を話す住民たちに出会った。村人たちが味方になってくれて、家を開放して、家族の中に向かえ入れ、食事を分かち合ってくれたので、彼は家庭的な雰囲気の中でくつろぐことができた。まだ未成年者であった彼が公的支援を受けることができるよう、地方の人々が掛け合ってくれた。また、シュタイアーベルクのサッカーチームが彼を招いて、一緒に練習する仲間に入れてくれた。彼はわずか4年間の小学校教育しか受けていなかったが、ドイツ語クラスに入れてくれたうえ、職業訓練学校に連れて行ってくれ、彼が選んだ配管工事の訓練を受けることになった。彼を世話する教師は、彼が自立的でしかも献身的であることを認め、彼を地域の配管工の会社に斡旋した。彼はここで3年間の訓練時期を送り、現在はそこで働いている。

イブラヒム・フヤッド君は中流家庭に育った。父のマハモウンド氏は数学の教師であり、18歳の兄カレッド君と10歳の姉ハディルさんと数年間、戦争が終わるのを待ち続けた後、ダマスカスから逃れた。暴力が激しさを増したとき、彼らは自分たちの持ち物すべてを置いたまま、食べ物の確保に苦しみつつ、トルコへと逃れた。それから、最も過酷な航路である地中海ルートでギリシャに渡り、そこで半年足止めされた後、最後にドイツにたどり着くことができた。

シュタイアーベルクの住民であるリサ・フリーリングさんは、オアセ・カフェでフヤッドの家族に会って、隣人のクラウディア・エレスさんの手を借りて、難民たちと地域の住民たちがお互いに交流できる場所として地域の教会を提供した。フリーリングさんは、彼らがこの地域に到着して以来間もないのに、フヤッド家の子供たちがドイツ語を話し始めたのに驚いて、「年長の子供たちが、まだアラビア語しか話せない難民たちの通訳をしているのです。とてもすごいことです」と述べた。

フリーリングさんはまた、難民を支援している家族を知った。難民を支援するために住み続けてきた家を難民家族に譲り、ほかの2家族と共に自分たちが所有するアパートに引っ越した家族である。ほかの地方の住民は、移ってきた人たちに家具類を提供した。村民たちは、イブラヒムの兄であるカレッド君を村の会社で専門的職業訓練を受けさせるためのコースを設けた。難民の子供たちは地域社会に溶け込み、地元の学校に通っている。支援に参加してきたフリーリングさんは、「難民支援はやりがいのある仕事です。わたしたちは比較的豊かな地域に住んでいますが、今回のことで、第二次世界大戦についての私の両親の話を思い出しています。支援を求めるのは自然な反応です。それに同情と悦びと技術と忍耐力と非利己的なチームワークとをもって応える必要があります」と語った。

メディアが、移民危機によって生じる問題や不和を取り上げ報道する傾向にある一方で、ドイツ市民は分かち合いによって可能になることを明らかにしている。ナイナ・バジェカル氏は、「ヨーロッパの別なところでは、難民危機が厄介な問題をもたらしているが、これまでのところ、ドイツでは非常にうまく行われている」とタイム誌に記したところ、2015年にアフガニスタンの家族を引き受けたベルリン住民のテイム・フローリアン・ホーン氏は、この記事に反応して、「この危機がヨーロッパを引き裂いているように見えますが、避難所を必要とする人々にそれを提供することこそが、真の意味での連帯するヨーロッパです」と述べている。   

newsweek.com; time.com; Spiegel.de
 

 

核兵器の脅威のない世界のために働く

メリル・ティハニーによる

ポール・イングラム氏へのインタビュー

 

英米安全保障情報協会(BASIC)は、1987年に設立された英国と米国のシンクタンクであり、核軍縮と非拡散を促進するために包括的で非党派的かつ対話ベースのアプローチを用いている。ポール・イングラム氏は、2007年から団体の事務局長を務め、2002年から数多くのBASICの報告書やレポートを書き、核と非核に関する多様な題材を扱っている。イングラム氏はまた世界的安全保障に関連する問題に焦点を置いたIRINN(イラン・ニュース・ネットワークのイスラム共和国)のプログラムを組織し、英国政府の国立学校で上級公務員のリーダーシップ研修を教えている。メリル・ティハニーはシェア・インターナショナル誌を代表して彼にインタビューした。

シェア・インターナショナル(以下SI):BASICの仕事について論じる前に、北朝鮮の現在の状況と、この状況を平和的に解決するためには何ができるかについてコメントいただけますか。

ポール・イングラム:北朝鮮は現在、すでに韓国を荒廃させる能力のある既存の軍備に加えて、新たに効果的な核抑止力を保有しているように見えます。他の国家は、北朝鮮とは抑止力に基づく関係があることを認め、当面は戦略的安定性を求める必要があるでしょう。

しかしこのことはまた、北朝鮮の軍事力の発展に対して、アメリカが威嚇と戦争の脅しという戦略を捨て、その代わりに双方向に何らかの安全をもたらす目的で対話を始めなければならないことを意味しています。北朝鮮はこの数十年、そのような対話を求めてきました。今こそ彼らとこの前提で席に着き、脅して屈服させることができると考えるのをやめるときです。

 

SIBASICの仕事の主な焦点は何ですか。

イングラム:BASICはアジェンダ(優先事項)を持つシンクタンクです。それは核軍縮への障害を克服するために、政府や他の利害関係者と協働して、核軍縮に向けた進歩を達成することです。

私たちは、核兵器は理由があって保有されていることを理解した上でこれを行っています。すなわち、政府は現在の核ドクトリンに囚われていると感じています。つまり彼らが国家の安全保障にとって不可欠であると信じている兵器への固執を放棄することを妨げる巨大な恐怖が存在します。そしてそれに加えて、それらのもたらす力と共に、核兵器は国際社会における究極の通貨形態──権力の通貨──であるという地位と感覚があり、それへの強い執着があります。

私たちが行おうとしているのは、責任感とか多国間協力のようなコンセプトを状況の中にもたらし、政府が核軍縮に向けた状況をつくる緊急性があるという感覚を持つようにすることです。

私たちはこれを対話によって、そして政府が囚われている複雑な次元をよりよく理解することによって行っています。私たちは特定の解決法をもって講演したり現れたりすることを避けています。それは複雑さを増し、私たちが目指すものへの不同意を生むだけだからです。むしろ私たちは政府が優先事項とプロセスへの信頼を築き、進歩のための機会に扉を開くための信頼を築けるようなやり方を求めています。

 

核の脅威を減らすために

世界規模で働く

 

SIBASICは誰と協働し、これらの議論にどうアプローチしているのですか。

イングラム:私たちは国連の中で働き、様々な国との関係を築き、彼らの現在の位置、政策、アプローチを査定し、彼らの核兵器への執着度合いを軽減しようと努めています。

英国と米国、さらにロシアや他のヨーロッパ諸国とも共に働いています。中東と南アジアでも働いています。英国と米国とは、幾つかのレベルで働いており、外務大臣や国務長官と、核兵器外交へのアプローチを見ています。段階的な軍事制限アプローチを促進するよう努め、到達点を評価し、その到達点をさらに推し進めるよう促進するための提案を求めています。防衛関係の高官とも働き、核兵器システムの配備の意図せぬ結果を見て、それらの配備に関連した危険の幾つかに注目を置いています。

中東では、WMD(大量破壊兵器)ゼロ地域への障害を克服するための方法を長年探し求めてきました。湾岸諸国の高官とも働き、核安全保障をイランとの地域対話を確立するための方法と見なす国際的アプローチにおける信頼の構築に努めています。イラン高官と一緒に、現在の恐怖と反応を激しくするだけの核技術の開発に基づくシステムとは違う方法をつくり上げ、別の技術と戦略を選ぶよう努めています。

ロシアとは、モスクワで何度もラウンドテーブルを設けて、核兵器使用をめぐる問題や西側との対話を築くための別のアプローチについて考慮しています。私たちはまたヨーロッパ全土でNATO同盟国と円卓会議を主催し、アメリカのヨーロッパへの関与を保証し、ロシアが国家安全保障の脅威とならないための手段としてのヨーロッパにおける戦術核兵器の配備への固執をどうやって減らすことできるかについて話し合っています。

そして私たちは地雷に関するフィンランドの議論についての報告書を出版しました。これはロシアとの関係で国家安全保障に不可欠であると彼らが考えている防衛能力を放棄した国家の事例としてです。究極的に彼らは、国家安全保障はより強い、より一致団結した国際社会によってよりよく保障されると信じています。その中で大半の国家は地雷には役割がないと信じています。

ですから、私たちは各国や各地域の核兵器の領域を調査する中で、核兵器が安全と力をもたらすという確立された考え方に挑戦しています。国際的安全保障を過小評価したり軍備競争に陥ったりせずに目的を達成する別の手段を見いだすために私たちは政府高官と共に働いています。

 

核兵器禁止の合意

 

SI:最近国連で、核兵器禁止の国際的合意が署名されました(核兵器禁止条約、201777日—禁止条約)。その主な意味と、核兵器のない世界に向けた動きの中でこれがどのような重要性を持つかを教えていただけますか。

イングラム:国連で合意されたステップは、2017920日に署名される条約への前哨でした。

条約の各加盟国は核兵器を開発し配備することを止め、核を研究せず、核兵器の存在を支援するいかなる活動にも関わらないことになっています。その適用範囲は広く、どの批准国にとっても防衛政策として核兵器に頼っていることを明らかにしている国やグループと同盟していながら、批准することは挑戦となるでしょう。

この条約は核兵器のない世界に向けた長い道のりの一つのステップです。一夜にして達成することはできません。核兵器保有国が手を挙げて核兵器を除去することはないでしょう。しかしそれは核抑止力に固執している国に外交的圧力を必然的に与えます。あまり強力で強制力のあるものではありませんが。条約は、国々がそれを不満の象徴と見なすならば最も効果的に働くでしょう。

核兵器それ自体は、国家が受け入れ難いレベルの脅威にすすんで関わることの象徴です。それは安全を得るためのテロリズムに匹敵するでしょう。核兵器保有国は他の国家を消滅させるという脅威によって国家の安全を強めようとしているのです。それには多くの矛盾があります。

核兵器禁止条約を批准する国家は、それが21世紀には受け入れ不可能であるというシグナルを送ろうとしています。それは核兵器保有国に対して、その罠から逃れるよう招くものであり、安全を築くために他の手段を見つけ、相互消滅を通して安全保障を確立しようとすることは内的矛盾であり持続不可能であることを認識するよう求めるものです。

 

障害とその克服

 

SI:核兵器のない世界を達成するための主な障害は何だとお考えですか。

イングラム:最大の障害の一つは、大半の関連する政府が進歩は不可能だと考えていることです。例えば、中東の深い対立を克服してWMDのない地域を達成するのは不可能だという大きな信念があります。可能性についてのより強い信念があり、戦略的障害を克服するより強い政治的取り組みがあれば、もっと大きなチャンスが生まれるでしょう。

それは、私たちがナイーブであるべきとか、人の心をただ変えることが可能だと考えることではありません。なぜなら、それに加えて多くの客観的な障害があるからです。政府が信頼を発達させ、国家が核兵器を開発しておらず、その兵器を十分に廃棄したことを確かめるための査察プロセスを見いだすためには、制度的な障害が存在しています。

突発的なことが起こり得るという恐怖があります。すなわち、核兵器を獲得した国が最初にそれによって大きなアドバンテージを得ることです。しかし実際には、非常に少数の核兵器を持つ国家は、国際社会はそのような状況に寛容ではなく、その国を引き下がらせるために他の手段を用いることを知るでしょう。

にもかかわらず、制度的な欠陥や欺瞞の誘因があれば協調した行動は困難であるという感覚があります。協調した行動の方法はありますが、それは容易ではありません。それらは効果的な査察制度を開発し、時間をかけて信頼を築き、国が法の支配を守ることが可能であり望ましいことを信じることに関わっています。制度が効果的に機能するためには、利点を見て制度でごまかしをしないことが重要だと認識することが大切です。

 

進歩の実例

 

SI:希望と前進の感覚を与えるような近年の核軍縮の進歩の実例はありますか。

イングラム:軍縮と国際的合意の実例はあります。

■ 南アフリカは核兵器の兵器庫を武装解除し、IAEA(国際原子エネルギー機関)の査察を招きました。

■ 前ソビエト国家は彼らの国境に核兵器を配備していましたが、冷戦が終わるとすべてロシアに運ばれました。それにはウクライナも含まれます。

■ 核兵器開発計画を持っていた国の多くがそれを放棄しました。その中にはスウェーデン、スイス、ブラジル、アルゼンチン、台湾、韓国が含まれます。

■ 核兵器のない地域が地球の多くを占めています。そこには、核兵器を獲得しない取り組みや、信頼造成のために国家間での検証プロセスも含まれます。

■ 核兵器非拡散条約(NPT=核兵器規制の国際条約)のレビュー会議が2010年に開かれ、さらなる核軍縮、非拡散、そして核エネルギーの責任ある利用を促進するための64点の計画が全会一致で合意されました。私たちは過去に数多くの軍備コントロール協定を結び、その一番最近のものは、START㈼(戦略兵器削減条約)で2011年にアメリカとロシアの間で発効しました。戦略兵器と輸送システムを制限し、検証プロセスにも合意しました。冷戦に遡れば、一時は深い不信感と敵意を持っていた者同士が広範囲の武器制限手段に合意できたことは途方もないことであり、交渉には信頼は不可欠ではないこと(もちろん助けにはなりますが)を示しました。

次のステップ

 

SI:世界的な核兵器禁止のために次に計画されている取り組みは何ですか。

イングラム:(反核兵器)キャンペーン・グループは、禁止条約の署名と批准を可能な限り多くの国に働きかける予定です。間接的に核抑止力に関係する国々──同盟国その他──にとりわけ着目するでしょう。

核保有国に対して、この条約に調印するのではなく、軍備統制と核に対する態度の変化を促すよう努めるグループができるでしょう。一つの例として、先に核兵器を使用しないと宣言したり、極端な状況を除けば核兵器を使用しないことを他の国に強く保障したり、さらなる軍備制御や核兵器の削減に努めるとか、特定の不安定な核兵器システムを廃棄するなどを国が宣言することです。核保有国が取り得る様々な手段が存在します。

21世紀において核武装した責任ある国家であるとはどういうことかについての対話を多くの核保有国と行います。地域的な観点から緊張を検証する行動があるでしょう。

しかしNPT2020年のレビュー会議に向けて、注目の大半は禁止条約に注がれるでしょう。何カ国が調印したか、そして次に何が起こるかということです。

 

SI:さらに付け加えることはありますか。

イングラム:私は核兵器を人類の状況の闇の奥の一つと考えています。それは極端な恐怖心と権力と支配への欲望という場所から来ています。もし私たちがこの問題に取り組むことができ、核兵器によって表現された危険を避けることができれば、そしてこの問題を回避し抜け出す方法を見つけることができれば、私たちは共存の重要な方法を見いだすことができるでしょう。それはそれ自体重要なことですが、さらに重要なのは、より肯定的な存在の方法へと動く道を見つけるということなのです。

 

さらなる情報は: basicint.org

国連は、核禁止条約を締結する
2017
77日、国連に加盟する122カ国は、拍手喝采の中で、20年間にわたり交渉されてきた核廃絶へ向けた正式に法的拘束力を持つ初めての多国間条約を採択した。国連総会の指示のもとで交渉されたこの条約は、核兵器およびその他の核兵器関連装置の開発、テスト、生産、製造、取得、所有、貯蔵と同時に、これらの兵器を脅し文句に使うことを完全に禁止するものである。条約への加盟を望む核保有国にとっては、貯蔵された兵器の破棄へ向けたプロセスを概説し、核を持たないという約束を維持できるように援助する。核保有国がこの歴史的条約をボイコットしたことは際立っていたが、条約に賛成する諸機関は、幅広い賛同がついには大衆の圧力とそのような破壊的兵器使用の画策と脅迫への恥辱感を増大させて、保留国に対してその立場を再考させることになるだろうと期待している。

条約の交渉を行った会議の議長を務めたコスタリカのエレイン・ホワイト・ゴメス大使は、「現在と未来の世代の希望と夢に応えているのですから、感無量に思います。……私たちは……子供たちに、核のない世界を受け継ぐことは可能なのだ、と言っているのです」と語った。核廃絶条約の誕生の原動力として、被爆者国連核兵器禁止条約の功績を上げて、「彼らが体験したことが、人間の魂に触れたのです」と語り、話し合いは理性と心情の協働によるものだったと付け加えた。

 

死後の人生を巡る旅

ジェイソン・フランシスによる

レスリー・キーン氏へのインタビュー

 

レスリー・キーン氏は、調査ジャーナリストで著者である。彼女はニューヨーク・タイムスのベストセラー、「UFOs: Generals, Pilots and Government Officials Go On the Record」(2010)(UFO:将軍、パイロット、政府高官たちが記録に載る)(SI誌、2013年2月号)の著者である。彼女の最新の著書は、

「Surviving Death: A Journalist Investigates Evidence for an Afterlife」(2017)である。ジェイソン・フランシスが本誌のために、レスリー・キーン氏に、死後の人生に関する彼女の調査についてインタビューを行った。

過去世の記憶

 

シェア・インターナショナル(以下SI):あなたが調査の過程で出会った再生誕の印象的な事例について、幾つかお話しいただけますか。

レスリー・キーン:本の中で、2つの事例を詳しく取り上げました。ジーナリストとして私にとって最も決定的な事例は、幼児が関連したものです。その子供たちは具体的な記憶を持ち、過去世であったと言う人物に関して調査により見つけることができ、正確であると確証できるだけの詳細な情報を提供できたのです。もし誰かが確証できない記憶を持っていたとしても、あまり意味がありません。しかし、過去世でその人だったと主張する人物を特定でき、その子供の知識がその人物の人生について正確であれば、非常に説得力があります。

ある事例は、ジェームス・レニンガーという名前の2歳の男の子のものです。彼は2歳になる前に(過去世の)記憶を持ち始めました。彼が取り憑かれたように飛行機で遊び、第二次世界大戦の飛行機の知識を披露するようになると、約2年間にわたり一連の多くの出来事が起こりました。ジェームスは、飛行機の墜落を追体験する悪夢を見始めました。彼は怯え、ベビーベッドの中で泣き叫びました。最終的には、彼は何が起こっていたかをちゃんと話し始めました。彼は悪夢を見ている間、こう叫びました。「飛行機が火を吹いて墜落する!小さな男の人が出られない!」あるとき彼の両親が、何が起こっているのかを彼に尋ねました。彼は自分が日本人によって撃墜されたパイロットであったことを、徐々に話せるようになりました。彼の両親は、2歳の息子がどのようにして「日本人」という言葉を知ったのか分かりませんでした。

ジェームスは、飛行機に乗っていた小さな男の人がどうして自分であったのかを話しました。彼はコルセアという機種の飛行機を操縦していたことと、それがナトマという名前の船(後に空母ナトマ・ベイであると確認された)から飛び立ったことを語りました。さらに具体的には、彼にはジャック・ラーソンという名前の親友がいて、ジャックの飛行機は硫黄島の近くで墜落したと、彼は語りました。ある日、ジェームスの父が第二次世界大戦に関する本を彼と一緒に見ていると、その中に地図がありました。ジェームスは地図を指し示し、そこが彼の飛行機が墜落した場所だと言いました。

ジェームスの父はキリスト教を信仰しており、これは絶対にあり得ないと確信していたので、この件すべてに関して大きなトラウマの中にいました。それは、彼の宗教にはありませんでした。彼は息子が間違っていることを証明しようと決心しましましたが、息子の記憶を調べたときは、いつでもそれらが正確であると分かりました。ジェームスの父は、実際には私の本で抜粋を幾つか執筆しました。内容は、この件による彼の精神的な進歩について、それがどのようにして信仰と矛盾するものではないと最終的に認識するに至ったか、そしてそれを受け入れることができたかについてです。それが、多くの親たちが関わりを持つ、この事例の興味深い部分です。ジェームスの父は、最終的には空母ナトマ・ベイ関係者の同窓会に何度も参加しました。彼は息子の過去世での友人、ジャック・ラーソン氏を見つけました。多くの調査を行い、多くの第二次世界大戦の退役軍人と話した結果、彼は、ジェームスが過去に生きていた記憶を持っていた人物が誰であったかを見つけることができました。彼の名前はジェームス・ヒューストン・Jr でした。彼は、ジェームス・レニンガーが説明した通りに亡くなっていました。

ジェームスは3歳位になると、飛行機が燃えたり、爆弾の雨の中の恐ろしい状況で墜落する絵を描くようになりました。彼は絵に必ず「ジェームス3」とサインしました。彼の両親がその理由を聞くと、彼は「僕は3番目のジェームスだからだよ」と答えました。彼の父は、パイロットの名前がジェームス・ヒューストン・Jr だと知り、衝撃を受けました。なぜなら『Jr』は、今のジェームスが3番目のジェームスであることを意味していたからです。彼らは、当時84歳だったジェームス・ヒューストン・Jr の姉にも会いました。彼女は、小さなジェームスと非常に仲良くなりました。そしてジェームスは、2人の子供時代のことについて彼女に詳しく話し、その内容は彼が知るはずのないことだと彼女は言いました。彼女は、ジェームスが本当に彼がそうであったと主張する人物だったと確信するようになりました。

これは、私たちが記録を持っている、特定の(過去世の)記憶を持つ小さな子供の強力な事例の一つです。このような記憶のすべてが、ジェームスが過去世で誰であったか判定できる前に彼の父親により記録されており、それは重要な要素です。

体外での意識

SI:体外で意識を持つ体験をした場合、何が起こるのですか。

キーン:このような体験には、2つの側面があります。真実の体外体験と臨死体験です。ジャーナリストの立場では、体外体験の方が証拠として重要です。重要な事例は、心不全などの場合に、脳の活動や心臓の鼓動もなく、本質的に臨床的な死亡状態のときに体を離れる人々の体験です。彼らは体に戻ったとき、体外にいたと主張する間に物理的環境で見聞きした特定の事柄を報告することが可能です。

彼らはしばしば、自分が天井近くにいたと説明します。彼らは、医師が話していた内容や使っていた道具、機械の音といったことを正確に説明することができます。そしてこれは、体がテーブルの上に横たわっていて、目が閉じられていて、何も知覚できないとされているときに起こったのです。このような事例は、その人が言ったことの正確性を医師や看護師が検証できるので重要です。したがって、どうして彼らがこのようなことを知覚できたのかを説明する必要があります。考えられるのは、彼らが臨床的に死亡状態の間に、彼らの意識が実際に体とは独立して機能していたということです。

臨死体験は、類似の状況で一度体を離れ、崇高な次元の別の現実を旅してから体に戻り、それを説明する人々の体験です。それは、トンネルの中を通り、ある種の神秘的存在と会い、亡くなった親戚や友人と話す場合が多いです。それは、高められた現実であると説明されます。彼らは良く、それは現実の生活がそうであるよりも現実感があったと言います。生き生きとして、美しく、恍惚とした体験です。普通、彼らは戻りたくないと思いますが、戻らなければならないと、しばしば告げられます。

このような体験は、世界中の様々な文化や背景を持つ人々に起こっています。多くの研究が行われていますが、それがどのようにして起こるのかを誰も説明することができません。多くの懐疑論者は、脳内で何かが起こっていると信じています。しかしながら、これを研究している人々は、このような体験のすべての側面を説明できるモデルを何も持っていません。

それらはまた、経験した人にとって人生を変えるようなものです。彼らは死後の世界だと信じるこの別の領域にいた後で戻ると、死をもはや恐れなくなります。彼らはしばしば、生活を劇的に変え、他者への奉仕にもっと集中するように、より霊的志向になります。多くの場合、それは人に深い影響を与えます。

SI:子供が過去世の記憶を持つ場合、過去世と今の人生の間の時期を覚えていることはありますか。そしてそれは、臨死体験をした人の体験と似ていますか。

キーン:私の本には「幕間の記憶」という章があります。この人生で生まれる前にどこにいたかを話す子供たちに関して、研究が行われてきました。前世の記憶を非常に多く、鮮明に持つ子供は、人生の間の時期をより記憶している傾向にあります。しかし『幕間の記憶』は、検証がさらに困難です。なぜなら彼らは、別の次元にいたことを話しているからです。彼らがその現実で体験したことを説明している内容は、臨死体験をしている人が説明している内容と類似した特徴があります。

ですから彼らは共に、おそらく同じ次元間の領域、あちら側、何と呼んでも良いのですが、そこに入っていたと言うことができます。ジェームス・レニンガーとライアン・ハモンズ(Ryan Hammons)(本の中で詳しく取り上げている過去生の記憶の別の事例)は共に、彼らが生まれる前の記憶を持っていました。彼らはのちに、生まれる前のその領域から目撃した両親が関わった特定の出来事を、両親に正確に説明します。両方の出来事は、まさに受胎近くの時期に起こったのです。このような事例は他の事例ほど多くはありませんが、非常に魅力的です。バージニア大学の児童精神科医、ジム・タッカー博士は、おそらく子供の再生誕の記憶に関する世界的な権威ですが、彼は幕間の記憶について興味深い研究を幾つか行いました。

科学の役割

SI:再生誕と死後の意識の問題に、心理学はどのように取り組んでいるのでしょうか。

キーン: 残念ながら、それは非常にまれなことです。タッカー博士は、過去世の記憶を持つ子供の事例調査の先駆者であったイアン・スティーブンソン博士(バージニア大学の精神分析医)の仕事を受け継ぎました。スティーブンソン氏は何十年もかけて世界中を旅し、何千ページもの調査結果を著書や論文の形で発表しました。ジム・タッカー氏は、スティーブンソン氏の人生の最後に向けて一緒に活動しました。そして10年ほど前にスティーブンソン氏が亡くなったとき、タッカー博士は彼の仕事を引き継ぎました。これはまれなことです。この話題を扱う精神分析医は、確かにアメリカでは多くないと私は思います。そのことに関心を持ち、執筆した精神分析医はいますが、彼らは少数派です。奇妙な記憶を持ちながら精神分析医のところに行き、過去世の記憶を持っていると認識されなかった子供たちは、どれほどいたことでしょうか。私たちの文化は、それを受け入れないのです。

私たちには、訓練された精神分析医のジム・タッカー氏がいて幸運です。彼は子供と上手く接し、実際に子供に何が起こっているかを理解し、子供がこのような体験を話したときに、実際に何が起こっているかを識別することができます。私は、もっと多くの精神分析医がこの話題に興味を持つことを期待しています。それは私たちすべてにとって役立つでしょう。

SI:再生誕を含め、死後の人生を科学的に受け入れることにより、人生の理解の方法や他者との関係性にどのような影響があると、あなたはお考えですか。

キーン: それが普遍的に受け入れられている文化があります。例えばインドや、仏教国であるミャンマーです。しかし、このような国では、信念体系は基本的に宗教的であり、科学的ではありません。問題は、このようなことが真実であると、少なくても現在の手段で説明できるとは思えないことです。もっと多くの科学者がこれを真剣にとらえ、情報を調べ、実証し、それが不可能だと決め付けるのを単に止めるだけでも、私たちは皆恩恵を受けるでしょう。仮にそれが、私たちが物質世界に関してどれだけ知らないかを再認識させたとしても、まだどれだけの神秘が存在し、どれだけさらに発見する必要があるのでしょうか。それは、奇跡を促進する疑問へ私たちの目を開き、私たち自身の本質をもっと深く探るように私たちを励ましてくれるでしょう。

私たちは、単に物質的、ロボット的で、脳に支配されていて、死によってすべての人生が終わるような生き物である場合と比べ、人生に対する責任がより大きいことを認識するでしょう。それは人生により多くの意味を確かに与え、物質的な日常の経験を超えた体験の領域にもっとつながっている感覚を与えるでしょう。それは、肯定的な影響しかないでしょう。私の場合は、確かにそうでした。このような探求を始めたとき、私は懐疑的でした。それはより大きな目的の感覚や、世界や周囲の人々、物事の神秘へのつながりに私を開いたという意味で、私には素晴らしい影響がありました。

仮に私たちが死後も生きることが証明されれば、人はより広い目的の感覚を持ち、他者を害することはなくなるでしょう。なぜなら、死後に別の現実に移行するのであれば、それまでの人生を受け入れる必要があるからです。それは、おそらくより平和な世界をつくり、表面上は異なっている信念体系を巡って文化や宗教が争い合うことを防いでくれるでしょう。

詳しくは、次を参照: survivingdeathkean.com

 

共感 ──平和への架け橋

ヴィクトリア・ゲーターによる

ジョー・ベリー氏へのインタビュー

1984年、アイルランド共和軍(IRA)*がイギリス・ブライトンのグランドホテルに仕掛けた爆弾により、ジョー・ベリー氏の父、アンソニー・ベリー卿が死亡した。ジョーは、自分には選択肢があることを知っていた。嫌悪と怒りの感情を抱くか、理解を求めて自分の人生に平安をもたらすかである。彼女は平安を選択した。爆弾を仕掛けた罪で有罪となった男性、パトリック・マギーは、それが地域社会で目撃した抑圧や苦しみに対処する唯一の手段だと考え、熟慮の末にIRAに参加した。彼が刑務所から釈放されたことを受け、ジョーは彼と面談することを求めた。その面談以来、彼らは共感と尊敬に基づく不思議な友好関係をつくり上げ、世界中を旅して平和と理解のメッセージを広めた。

2009年にジョーは慈善団体「平和への架け橋」を設立し、世界中で暴力を理解し、非暴力的に紛争を解決するために活動している。共感は紛争を終わらせるために私たちが持つ最大の武器であると、彼女は主張する。地球規模や地元の出来事が進展すると共に政治的、宗教的、人種的な分断が深まるとき、彼女の言葉は希望のメッセージを与え、私たちすべてが他の人の中に人間性を見るように勇気づける。ビクトリア・ゲイターが本誌のために、ジョー・ベリー氏にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下 SI: あなたは、いつごろから平和について考え始めたのですか。

ジョー・ベリー:私は十代のころ、平和についてよく考えていて、どのようにしたら貢献できるのだろうかと思っていました。私は戦争や暴力的な紛争が起きていることに悩んでいました。平和をもたらすことに貢献できる職業を探しており、それを見つけられなかったことを覚えています。次に私は瞑想によって内なる平安を見いだし、それが平和をもたらす方法であるように考え、ヒマラヤに数年住み、そのことに集中しました。私は世界から完全に切り離され、それが良いことだとは全く思いませんでしたが、他に何をしてよいか分りませんでした。そして爆弾が炸裂し、それ以上、世界から切り離されていることはできなくなりました。

SI:そのときのことを、詳しくお話しいただけますか。

ベリー:私の父は国会議員で、19841012日にブライトンで保守党の党大会に参加していましたが、IRAがホテルに爆弾を仕掛け、父を含め5人が死亡しました。私は片道の航空券でアフリカに向けて出発する直前でリュックサックの荷造りをした後でしたが、爆弾がすべてを変え、私の感情の旅が始まりました。私は数日後、ロンドンのピカデリーにあるセント・ジェームス教会に行き、信者席に座り、この出来事から何か肯定的なものを探して行こうと決めたことを覚えています。つまり、意味を見いだし、父を殺した人たちを理解することです。私はそれが IRAであると知っており、彼らを理解したいと思いました。私は自分の決心を誰にも言いませんでした。それは何か違ったことをするという、静かで個人的な決心でした。私は被害者になったり、恨みがましくなったりしたくありませんでした。敵を持ちたくありませんでした。IRAは、1984年にはメディアや政治家によって、現在のISISと同じように、非人道的で邪悪な怪物として見られ、描かれておりましたが、私はそのようにしたくありませんでした。

SI:次に何が起こったのですか。

ベリー:私は、どのように進むかを知るために必要な経験を人生がもたらしてくれると信じていました。そしてそのわずか数週間後、全く途方もない、変容をもたらす体験をしたのです。私は地下鉄に乗って帰宅する途中でした。外に出るべきだという非常に強い思いを持ったため、地下鉄を降り、夜中の1時にロンドンのキングズ・クロス駅にいることになりました。自分はいったい何をしているのか、どのようにして帰宅できるのか不思議に思い、タクシーを探しました。すぐ横には若い男性がいて、彼もまたタクシーを探していました。私たちは話し始め、目的地が近いと分ったので、同乗しましょうと彼に言いました。彼は北アイルランド人だと分りました。タクシーの中で私は彼に、父が IRAに殺され、父を殺した人たちを理解したいこと、そこから何か肯定的なものを引き出したいことを伝えました。彼は言いました。「本当に偶然の一致ですが、私の兄は IRAにいて、昨年英国軍の兵士に殺されました」。つまり、そこには敵であったかもしれない二人の人物がいたのですが、平和が可能であり、誰も殺されない、誰も悪者扱いされない、そして皆が尊敬し合う世界について語り合いました。私はタクシーを降りるときに、こう思ったことを覚えています。分断に架け橋を築くことは、私が平和を実現できるかもしれない一つの方法であり、それは以前には自分に起きなかったことで、その若い男性との間につくった架け橋が、私が築いた最初の架け橋になったということです。私はこの出会いからアイディアを得ました。次に私はベルファストに行き、人々と会うことを始め、それは私が相手の人間性を回復させ、紛争について理解する助けになりました。私は、刑務所や様々なグループから講演の依頼を受け始めました。

 

SI:あなたが初めてパトリック・マギーと会ったときのことを話していただけますか。

ベリー:パトリック・マギーは、2000 年に聖金曜日和平プロセス(イギリスとアイルランドの政府間の主要な国際和平合意)の一環として刑務所から釈放されました。彼はすでに IRAのメンバーではありませんでした。私は彼とダブリンの個人宅で会いました。彼は和平プロセスに熱心に取り組んでおり、自分が害した人々と会うことにオープンであったため、私と会うことを望んでいました。彼はとても礼儀正しく丁重であり、IRAに参加した理由を私に話し、私はベルファストへの旅と父についての話を彼にしました。彼には間違いなく気配りがありましたが、私の父を殺したことを正当化し、それは聞くに耐えませんでした。しかし、それから彼は話すのをやめ、私を見てメガネを外し、目を拭って私に言いました。「私は自分が誰であるか、もはや分りません。あなたの怒りと痛みに耳を傾けたいと思います。あなたを助けるために、私に何ができますか」。そしてその瞬間、私は彼が政治的な仮面を脱いだことを知りました。後に彼が語ったのですが、彼は頭からハートに移行し、すでに正当化していなくて、そしてその時から彼は暴力を使ったことで人間性をいくらか喪失していたことを悟ったのです。後に彼は何度も、私がそこまでオープンであることを期待していなかったと語りました。それが彼の心に触れたのです。彼は私の共感によって武装解除されたのです。

SI:つまり、彼はその会合で衝撃を受けただけではなかった。何かが彼を変えたということですね。

ベリー:はい。今でも彼は、その変化が持つ意味を体験する旅の途上にあります。パトリックが私と共に公に最初に語ったことの一つは、今では私の父と一緒にお茶を飲めただろうということを知っているということでした。彼が爆弾を仕掛けたときは人間を見ていなくて、単なる標的にすぎませんでした。そしてまた、保守党政権にとっても、IRAとお茶を飲むことは議題に上がっていませんでした。しかし、彼がそう思っているという事実は非常に重要です。なぜなら、もし人とお茶を飲むことができるのなら、尊重、共感、対話、互いに話を聞くことを意味するからです。彼の話を聞くことを通して 私に起こったのは、私がもし彼の人生を生きたとしたら、私はおそらく同じ選択をしただろうという理解に達したことです。私は、敵というものは存在せず、判断も非難もなく、許すべきものもないという認識を得たのです。

SI:そしてあなた方は、二人で一緒に活動されているのですね。

ベリー:はい、私たちは友人になりました。これは普通ではない友人関係です。私たちは、刑務所、学校、大学のグループに対して、または会議で、ヨーロッパ中で、ルワンダで、レバノンで、イスラエルで、パレスチナで話をしました。私たちは、自分たちのストーリーを話し、話をやめたときは自由に質問を受けました。人は、私たちのストーリーから彼らが必要とするものを得ます。後に、疎遠となっている人物に連絡しようと決心する人もいるかもしれません。また人は、人生の中で私たちが加害者と呼ぶ人物への見方を変えたり、彼らの中で何かを変えたりします。あるいは、彼らが必要とする何かを行う旅を続けようと感じるかもしれません。このストーリーを持っていることは光栄です。なぜなら、人に大きな影響を与えられるからです。人々はたちまち、自分の内奥の非常に深い場所に入ります。それは象徴的です。ステージの上に二人の人がいて、彼らは敵同士であったかもしれないのに、想像するような振る舞いはありません。それは通常とは違った視点を与えます。

SI:イスラエルとパレスチナでの活動に関して、何か付け加えていただけますか。

ベリー: 私たちは、愛する人を殺された両方の側の親たちの団体「パレントサークル(親の輪)」から、そこへ行くことを依頼されました。最初の日に、「平和のための戦闘員」という驚くべきグループがありました。私は、部屋の中に葛藤があることを知っていました。私たちは私たちの話をし、こう思ったことを覚えています。「私たちはなぜここに来たのだろうか。私は何をしているのだろうか。私たちの衝突はまだましだ。この人たちのように日常的にこの種の問題があるわけではない」。しかし、私たちが話すのをやめた後で、新しい会話を始める許可と安全を確保してから、彼ら同士で彼らの問題に関する深い会話を始めました。ある男性は、私たちがここにいるという事実は、私たちが気にかけていることを意味しており、それを彼らはとても感謝していると言い、また私たちが解決策を押し付けなかったことは素晴らしいと言いました。自分たちの衝突が違った形で映し出されているのを見て、それが贈り物であったと、彼は言いました。そのときこそ、私が次のように思った瞬間でした。「私はこの過程を信頼し、続けて行かなければならない。別々の紛争を経験した人々が集まりストーリーを語り合うことは、本当に役に立つと思う。自分たちのグループで聞いたとしても、そこでは耳を持たないようなことに耳を傾けることができるのである」

SI:許すことの概念について、あなたはどのようにお考えですか。

ベリー:私は、自分が言いたいことを説明する時間がない限り、許すという言葉を使わなくなりました。許すことは犠牲者に不適切な圧力を課すことになると、私は思います。彼らが許さないとしたら、彼らは良い人ではありません。許すことは旅であり、私は実際に思うことが多いのですが、人が「あなたを許します」と言うとき、それは許された人を何か『悪い』ことを行った立場に置き、それを言った人を『良い』立場に置きます。私は良い悪いを超えて見ているので、「境界のない共感」という言葉を使うことを好みます。それは、人の行いを許すこととは何も関係なく、誰かの行いの根本原因を理解することに関係しています。おそらく世界では、共感を全く持たない精神病質者はごく少数であって、ほんとんどの人はストーリーを持っていて、そのストーリーを理解することが本当に役立ちます。また、許すことはできない、許したくないと言いながら、それが本当に良い仕事をすることを妨げない驚くべき人々を私は知っています。本当に辛いか許すかどちらかという考え方です。私はそれほど単純ではないと思います。

SI:世界中での憎悪の明らかな高まりと、あなたの今日の活動との関連について、何かお話しになることはありますか。

ベリー:非難することは、今までになく受け入れ可能なことと見られており、私たちは皆、この非難の文化に挑戦する必要があると私は思います。私たちは、根本的に同意しない人々と対話し、異なった視点を持つ人々を共に集わせ、互いに話を聞かせる安全な場所をつくる必要があります。そしてそれは可能だと思います。それが起こり、人々が変わるのを私は見ました。様々な種類の傾聴のサークルやフォーラムがあります。また、バスの停留所や店の中でも、それを行うことができます。しかし、私は家で座って何もしないことがOKだとは全く思いません。私たちは、世界に愛と思いやりをもたらす変革者である必要があります。

詳しくは次を参照: buildingbridgesforpeace.org

 

*「編注: IRAは、20世紀と21世紀における、アイルランドでの複数の軍事勢力のいずれかであり、全アイルランドが独立した共和国であるべきだという信念に捧げられており、その目的を達成するためには政治的暴力が必要だと信じている」

写真:パトリック・マギー氏(左)とジョー・ベリー氏

 

ウィンストン・チャーチルとUFO

フィリス・パワー

1939 年にウィンストン・チャーチルによって書かれ、1950年代に改訂されたが、出版されなかった記事が、最近アメリカのチャーチル博物館で発見された。「われわれは宇宙で独りなのか(Are we alone in the Universe)?」という記事である。第二次世界大戦前夜に書かれ、重大な政治的事件が彼の頭を占領していたが、チャーチルの関心は『宇宙戦争War of the Worlds』(H.G.ウェルズの小説をオーソン・ウェルズが翻案)のアメリカのラジオ番組版に刺激されていた。それは、「異星人の侵略」が実際に起こっているというパニックを引き起こしたというものである。その記事自体は、主に1950年代の、多くのUFO報告があり、大衆の関心がその現象に集まっていた時期の前に書かれている。

天体物理学者マリオ・リヴィオ氏は、今回新たに発見された原稿を見せられた最初の人物であるが、1990年代に太陽系外の惑星が実際に発見される何十年も前に、惑星を持つ多くの他の恒星が存在することをチャーチルが指摘していたと述べる。チャーチルの記事についてリヴィオ氏が感銘を受けたのは、彼が異星生命の問題に「科学者の精神」でアプローチしていたことであった。「この記事の驚くべき点は、20世紀最大の政治家であるこの人物が、1939年に純粋に科学的問題に関心を持っていただけでなく、それについて記事を書く時間があったということです」(2017年2月15日、『ネイチャー』誌)。実際、チャーチルは常に社会における科学の重要性に関心があり、そのために行動していた。英国首相として彼は政府の科学顧問を任命したが、その役割は今日さらに重要になっている。

その記事は生命が存在するのに必要な条件──生命とは生殖能力を持つものと定義される──を探求し、そして「居住可能な地域(ゴルディロックス地帯)」、暑過ぎもせず寒過ぎもせず、生命を維持するのにちょうど良い狭い軌道にある地帯を検討している。これは宇宙に生命を見いだすための最新の研究と同じ方法である。チャーチルの正確な推定に基づく結論は、今では常識のように思われるが、時代の先を行くものであった。「何十万もの星雲が、それぞれに何十億もの恒星を含むことからすれば、生命が不可能ではない環境を持つ惑星の数は多数存在する可能性が非常に高い」

しかしながら、興味深いことにチャーチルは火星と金星に生命の可能性があると考えているが、エーテル物質の可能性は全く考慮していない。だが、それはこの太陽系における生命の存在を説明し、(無数の目撃と他の証拠に裏付けられた)ベンジャミン・クレームとジョージ・アダムスキーの書物における宇宙人の存在を実証するものである。それでも、彼がその記事を書いたということ自体が、第三段階のイニシエートであったチャーチルが、地球外に生命が存在する可能性があり、彼自身が言うように、存在するに違いないという直観を持っていたことを示しているのかもしれない。

第三段階のイニシエートとして、チャーチルの知識と才能は巨大なものであった──彼は著名な歴史家であり、偉大な演説家であり、政治家でありながら1953年にはノーベル文学賞を受賞している。最も重要なことに、英国首相として彼は同盟国を第二次世界大戦での勝利に導いている。第一光線タイプの(パーソナリティー、メンタル体、肉体)の彼は肉体的な恐怖心がなく、不屈の精神を持ち、初期の経歴において危険な軍事紛争に飛び込み、軍隊の一員としてではなく従軍記者としてボーア戦争に参加した。彼はいわば反骨者でもあり、学校では劣等生で、大半は独学だった。1902 年にはフリーメーソンのメンバーになっているが、これは彼の関心が物質的なもの以上のところにあったことを示している。新たに発見された彼の記事は、彼が同時代の因習的な考え方を超える用意があったことを示している。しかし、彼個人の地球外生命の可能性についての見解が何であったとしても、首相として戦争中は彼はUFOの目撃情報を「大衆のパニック」を防ぐために秘密にすることを命じている。

1950 年代後半、チャーチルはその記事を少し改訂し、タイトルを「Are we alone in space ?」からより具体的に「Are we alone in the Universe ?」に変えている。それまでにはUFOや宇宙人との遭遇に関する出版物が多く出ており、ジョージ・アダムスキーは有名な「空飛ぶ円盤が着陸した」を 1953年に、「宇宙船の内部で」を 1955 年に出版していた。チャーチルは彼の記事を予言的にこう結んでいる。「私は、個人として、われわれの星がこの広大な宇宙の中で生きて思考する被造物を持つ唯一のものであると考えたり、広大な時間と空間の中でわれわれがかつて出現した最高度の精神と肉体の発達を遂げた存在であると考えたりするほどには、この文明の成功に感銘を受けているわけではない」。ベンジャミン・クレームが 2014年の講演で述べたとおり、「宇宙人は生きており、私たちは彼らに巨大な借りがあります。彼らは皆同じ惑星系の一部です。宇宙船の人々は私たちの兄弟姉妹です……私たちが人間と呼ぶものは宇宙の至るところに存在します」。

ウィンストン・チャーチルの光線構造は、魂:2、パーソナリティー:1(副光線4)、メンタル体:1(6)、アストラル体:4(6)、肉体:1(3)。

彼は第三段階のイニシエートだった。

(『マイトレーヤの使命 第3巻』のイニシエートのリストより)

 

戦闘時の民間人の保護

ジェイソン・フランシスによるエリザベス・ディクレー・ワーナー氏へのインタビュー

2000年に設立されたスイスを本拠地とするNGO、ジュネーブコール(Geneva Call)は、武装非国家主体(ANSA)と関わりを持ち、彼らが国際的な人道的規範に準拠し、武力衝突における民間人の保護を改善するように促している。このような国際的な人道的規範は、ジュネーブ条約と他の国際条約に謳われている。

ジュネーブコールは当初、対人地雷の全面禁止に焦点を定めていたが、武力衝突における子供の保護や性的暴力の禁止、ANSAにおける性差別をなくすことなど、活動を他の分野にも拡大した。ジュネーブコールがその活動で使用する鍵となるツール(手段)は「誓約証書」であり、それはANSAが特定の人道的規範を尊重することを誓約することを可能にし、その誓約に公的な責任を負わせるものである。エリザベス・ディクレー・ワーナー氏はジュネーブコールの共同設立者であり、副理事として活動している。ジェイソン・フランシスが、本誌のためにエリザベス・ディクレー・ワーナー氏にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以降SI ): あなたは何をきっかけとして、ジュネーブコールを共同で設立されたのですか。

エリザベス・ディクレー・ワーナー:それは、対人地雷を全面禁止するオタワ条約の調印(1997年)のすぐ後のことでした。対人地雷は安価で製造が容易であり、その主な使用者は武装非国家主体(ANSA)と呼ばれる反政府軍、武装勢力、解放運動などです。しかしながら、このような主体は国際条約に調印することはできません。その場合、何をすることが可能なのでしょうか。国家と同様にこれらの勢力が、戦闘員よりも多くの民間人を殺傷する武器を使用することを、どうしたら止められるのでしょうか。

これがジュネーブコールの背景にある考え方でした。つまり、ANSAに対して公式で公開の誓約を遵守する機会を提供し、責任を負わせるようにしたのです。こうして「誓約証書」が誕生しました。このツールは、非常に重要な役割を果たすことができます。それは決定の所有権をANSAに与えます。あるANSAの指導者は次のように語りました。「私たちは紛争の中にいたので、これは正式な誓約書に調印する最初の機会でした。そのため、私たちはそれを尊重したいですし、尊重されるようになって欲しいと思います」

それでも、武装集団の行動は対人地雷の使用に限られるわけではありません。民間人の保護を改善するため、子供兵士、戦争の武器としてのレイプ、拷問、学校や病院への攻撃など、他の問題にまで交渉を拡大することは不可欠でした。ジュネーブコールの交渉は今や、こうしたあらゆる問題を取り上げています。

国際人道法

 SI:国際人道法について、そしてそれが紛争時にどのように犯されているのか、お話しいただけますか。

ワーナー:国際人道法(IHL) は、戦争行為の振る舞いを規制する一連の規則です。それは、戦闘に関わっていない、もしくは関わらなくなった人々を保護することにより、また戦闘の手段や方法を制限することにより、武力衝突の影響を限定しようとするものです。IHLは国家やANSAの両方の、武力衝突のすべての参加主体に適用されますが、違反は今日広がっています。その例としては、民間人や、病院や学校などの民間施設への無差別攻撃、強制移住、性的暴力、子供兵士の使用、拷問や即決処刑などがあります。

 SI:なぜANSAは国際人道法の最大の違反者なのでしょうか。そして、ANSAの例を幾つか挙げていただけますか。

ワーナー: 私はANSAが IHLの最大の違反者だとは思いません。国家によって犯されている違反は、シリア、イラク、イエメン、コンゴ民主共和国など多くの国で多発しており、日常的になっています。

私たちはANSAを口にするとき、すぐにダーイッシュ(イラク・レバントのイスラム国)やボコ・ハラム(ナイジェリアのイスラム教武装勢力)と、彼らの民間人に対する重大な攻撃を思い浮かべます。しかし、世界には何百もの武装組織があり、それらの IHLの記録は変化しています。そのような組織の多くは IHLに準拠し、組織の支配地域で人道的な行動を促進しようと努めています。また、多くの組織は、内部行動規範を持っています。ジュネーブコールは、各ANSAと共にこれらの規則を改善し、それらを IHLに準拠させるようにします。議論は彼ら自身が書いたものから始まり、それは彼らに当事者意識を持たせます。何も外から強制されることはありません。それは各ANSA自身の行動規範から来るものであり、彼らに属するものです。自分たちの誓約の尊重はさらに高まるでしょう。

女性と子供の保護

 SI:暴力や戦争のときに、女性は特に影響を受けますか。

ワーナー:武力衝突や暴力の状況下で、女性は特に影響を受けます。何よりも、夫が戦っているときに村に一人で残されます。女性は家事をこなすだけではなく、家業や地域の仕事もしていかなければなりません。女性は性的暴力の犠牲者です(時には男性も性的暴力の対象になる場合もあります)。女の子は強制された早期の結婚の影響を受け、それは戦争時にさらに多くなります。女の子はまた、通学の危険性が増大するため通学をやめることになり、教育を奪われます。さらに、もし女性が戦闘員として一定期間過ごした場合、社会から非女性的、暴力的であると認識され、排除に直面します。

 SI:「武力衝突の状況下における性的暴力の禁止のため、および性的差別の根絶に向けての誓約証書」についてお話しいただけますか。

ワーナー:それには、ANSAの調印が必要です。すべての形の性的暴力を禁止し、この禁止に関して武装組織がその戦闘員を訓練するために、潜在的犠牲者の面倒を見るために、義務を尊重しない戦士を制裁するためにです。そして、ジュネーブコールの他の誓約証書と同様に、それはANSAの指導者によって調印され、共和国政府、ジュネーブ州、ジュネーブコールによって共同調印されました。

誓約証書には、性差別に関する幾つかの条項があります。この誓約証書への調印者は、リーダーシップ構造において女性の参加を増加させ、性差別と戦い、差別的な方針や慣例をなくすためにあらゆる可能な努力を行う必要があります。例えば、女の子の通学を妨げないことや、和平プロセスにおいて役割を担えるようにすることによってです。

SI:子供たちは、どのようにしてANSAのメンバーになるのでしょうか。

ワーナー:頻繁に報告されていることとは異なり、武装組織に参加する子供のほとんどは、最もましな選択肢を選ぶことにより「自発的に」それを行います。学校は閉鎖されており、家族が政府軍や他のANSAによって拉致されたり殺されたりして、子供たちは復讐をしたいと思います。このような子供たちは、自分たちの文化や人々を守りたいとも思い、戦闘員として「給料」を得られるため興味を持ちます。さらに女の子たちは、強制結婚や家庭内暴力から逃れるために家族から逃げます。このような子供たちに対して国際社会が別の選択肢を提供しない限り、武装組織での子供の兵士の存在を減らすことは難しいでしょう。

SI:「武力衝突の影響からの子供の保護のための誓約証書」とは、具体的にはどういうことでしょうか。

ワーナー:これは主に、18歳未満の子供の勧誘や戦闘での使役を禁止し、子供に対する保護手段を求めるためのツールです。また、すべての子供の通学が可能で、健康管理や類似の活動の恩恵を受けられるように援助することにANSAが最善を尽くすように求める条項もあります。ジュネーブコールは、順守を監視し、ANSAを離れる子供たちが別の選択肢を探す際に、武装解除の過程に貢献しようとしています。

 SI:地雷を廃絶する上で、「対人地雷の全面禁止の順守および地雷撤去の協力のための誓約証書」は、どれほど効果的でしたか。

ワーナー:それはジュネーブコールの誓約証書の最初のものであり、2000年から調印のために開放されてきました。今日では 49 のANSA(この中の幾つかはすでに活動していない)がこの誓約証書に調印し、対人地雷の使用、貯蔵、輸送を全面禁止しました。彼らはまた、支配地域での地雷除去作業と、同時に地雷の危険性の教育と犠牲者への援助を促進しました。

ジュネーブコールの活動のおかげで、何千もの備蓄された地雷と他の爆発物が、各ANSAの支配地域で破壊されました。それらの貯蔵物は、誓約証書に書かれている義務がなければ破壊されることがなかったものです。

SI:ジュネーブコールは、幾つのANSAと共に活動しましたか。そして、幾つのANSAが一つまたはそれ以上の誓約証書に調印しましたか。

ワーナー:ジュネーブコールは、現在 46 のANSAと関わっており、様々なレベルで 28 の他のANSAとコンタクトを持っており、一つまたは複数の誓約証書に調印した 54 のANSAを監視しています。

 SI:ジュネーブコールの主要な達成について、幾つかお話しいただけますか。

ワーナー:ジュネーブコールは2000年の設立以来、世界中で100を超えるANSAと対話を行いました。そのうちの半数は、一つまたは複数の誓約証書に調印しました。全体的に見て、彼らの順守の記録は良好でした。少数のケースを除いて、禁止の違反の決定的な証拠は発見できませんでした。調印したANSAは、子供兵士の動員解除や(今までで3万個以上の)備蓄された対人地雷の破壊など、誓約を実施するための具体的な措置を取りました。

一部の国では、ANSAが行った誓約は、切望されていた専門的な人道組織による支援プログラムの開始の助けになりました。それに加え、ジュネーブコールの努力の結果として、誓約証書に調印していない数多くの他のANSAが、民間人を武力衝突の影響から保護するために類似の取り組みを行いました。あるANSAは、人道的問題(地雷除去など)について政府と協力の同意すらしました。

 SI:何か付け加えることはありますか。

ワーナー:障害にもかかわらず、ジュネーブコールの経験は、保護問題にANSAを参加させるのは可能だということを、そして建設的なアプローチは IHLの順守を強化する上で有効となり得ることを示唆しています。国連事務総長は言いました。「非政府武装組織と関わったとしても、いつも保護が改善されるとは限りませんが、組織的関与がない場合はほぼ確実に、現在の紛争における民間人の犠牲者数は減少することなく、増加するでしょう」

以前、あるANSAの人が言いました。「私たちにただ武器を捨てさせるのではなく、私たちの行動を改善することについて誰かが話をしに来たのは、ジュネーブコールが全く初めてでした」

詳しくは以下を参照してください。

genevacall.org

facebook.com/Appel.de.Geneve

theirwords.org

 

『グラウンドスウェル・ライジング(Groundswell Rising)』

マーク・リヒティ氏へのヴィクトリア・ゲイターによるインタビュー

マーク・リヒティ氏は、水圧破砕法(フラッキング)に関するドキュメンタリー映画、『グラウンドスウェル・ライジング(Groundswell Rising)』の制作責任者である。映画は、アメリカでダビデとゴリアテの対決を繰り広げている人々の情熱を捉えており、深く人を惹きつけるその映画の中で、人権、公衆衛生、社会正義を扱っており、視聴者が彼らのコミュニティーで変化を起こすための力を与えてくれる。『グラウンドスウェル・ライジング(Groundswell Rising)』は、率直なインタビューと実話を通して、フラッキングから直接の影響を受けた人々や、この形式のガスの抽出方法を停止することに専念する最前線の人々の人生へと視聴者を案内してくれる。ヴィクトリア・ゲイターが、本誌のためにマーク・リヒティ氏に、彼のイギリス上映ツアーの最中にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以降SI):あなたはどのようにして映画、『グラウンドスウェル・ライジング』に関わるようになったのですか。

マーク・リヒティ:私は元々、フラッキングに賛成でした。私は以前、製造工場を所有しており、ペンシルバニアに安いガスがあることを聞いたため、ガスに転換することに決めました。以前は石油で加熱していたので、ある化石燃料から別の化石燃料に転換したことになります。そして、友人のレナード・コヘンがこの問題に関する映画を作りたいと私に言ったとき、私は初めてこのプロジェクトに関わりを持つようになりました。私は調査を開始し、水と大気の汚染問題、気候危機へのそれらの影響、そしてフラッキング事業にまつわるすべての悪いことを知ったとき、ガスへの転換に関して間違いを犯したことを知りました。私は、石油からガスへの転換で20万ドル以上、実際には今のお金で30万ドル以上費やしてしまい、問題は、現在私は代替エネルギーに使う30万ドルを持っていないことです。ですから私は、地球上で起こっていることのまさに『小宇宙』なのです。私たちは、再生可能な未来のためにお金を使うべきなのに、化石化した未来にお金を使っています。そして、私たちがパイプライン、インフラ、圧縮機ステーションなどに何百万ドルも使うとき、再生可能な未来のために使うお金はすでになく、お金は尽きています。そして私たちは、化石化された未来に向けて、自分たちの穴をさらに深く掘っているだけなのです。

 SI:あなたがお住まいのペンシルバニアでは、フラッキングはどのような状況でしょうか。

リヒティ:依然として盛んです。宗教界、保健関係者などに、私たちのようにフラッキングに強い関心を持つ医師や看護師がたくさんいます。私たちの多くは禁止、一時停止を求めていますが、私はそれをフラッキングを停止するための『一時停止』と呼んでいます。これを安全に行うことはできないと、私は確信しています。ガス・ビジネスでお金が蔓延しているため、それは非常に難しいです。そしてガス業界が政府をどのくらい私物化していることでしょうか。政府にフラッキングをやめさせることは、ほとんど不可能です。私たちは、裁判制度である程度の成功を収めました。ペンシルバニア最高裁判所は、フラッキングは「健康と環境に対して有害である」と述べ、裁判制度はお金の蔓延がより小さいため、私たちはこのゲームを裁判制度の中で行う最善の方法を探しています。

 SI:あなたは多くの人に映画を観てもらいましたが、映画は聴衆にどのような影響を与えていましたか。

リヒティ:それには大きく感情を動かされます。映画そのものが感動的です。ナレーターがいないため、違ったものです。映画に出演するフラッキングの影響を受けた人々がナレーターです。私たちは、希望のストーリー、個人のストーリーの映画を作りたかったのです。このことに関わることで変化を引き起こした人々の多くのストーリーがあります。ですから視聴者は何が起こっているかを見て、気持ちを強く動かされ、衝撃を受けます。彼らが気持ちを動かされるのは、変化を引き起こした人々がいるからです。私たちは、それを作り出したかったのです。人々が変化を起こせると感じて欲しかったのです。昨晩、イギリス西部のフォレスト・オブ・ディーンで映画を上映したとき、ある男性が立ち上がって言いました。「私はフラッキングに関する映画を何本も観てきましたが、この映画には本当に感動しました」。 彼は非常に心を動かされていて、こう言いました。「私たちは、これを止めなければなりません」。そのような言葉を聞くと、映画が役割を果たしており、私たちが望んだような影響を及ぼしていることが分かります。

 SI:映画の中に宗教界についての部分があります。フラッキングに反対する運動において、彼らの関わりはどのように重要だと思いますか。

リヒティ:大切なのは、この問題に関して宗教界が立ち上がるようにすることです。市民権の時代には、宗教界はとてつもない変化を起こしました。彼らはイギリスの奴隷制を終わらせる過程で非常に大きな変化を起こしたので、これが鍵だと思います。アメリカでは、宗教界の関わりが大きくなりつつあります。4年前と比べ、現在ではより多くの宗派が、イギリスよりも多くの宗派が参加しています。もちろん、イギリスよりもアメリカの方が宗教宗派の数は多いのですが、あなた方の意志と集中力がそこにある限り、イギリスでも参加は拡大するでしょう。

 SI:あなたは現在、イギリスで映画を上映するツアーを行っています。あなたは、なぜ特にこの国に来られたのですか。そしてイギリスでのフラッキングの状況に関して、どのようにお考えですか。

リヒティ:私がなぜこの国に来たかは、すべて偶然によるものです。映画は昨年(2015年)の 12月、私がパリで COP21に参加しているときにパリで封切られ、私は2人のイギリスの気候活動家と会いました。彼らは私に、イギリスに来て映画を上映することを求めました。タイミングは実に適切でした。なぜなら、イギリスは実際、9年前のペンシルバニアのような状況だったからです。そしてイギリスの政治家はガス会社に汚染されていますが、それでも、アメリカのお金の蔓延ほどはひどくありません。アメリカでのお金の蔓延は、現在コミュニティーのレベルにまで来ており、隣同士で半目し合っています。ですから、今が行動のときです。人々が本当にその事実を認めていることが分かり、人々がペンシルバニアを見て次のように言うことを映画は助けています。「ああ、大変だ。私たちはあのようにはなりたくない。そこは住みたい場所ではない」。 私は、このような活動家が他の人を勇気づけるビジョンを持っていることに感謝したいと思います。私は本当に多くの献身的な人々や、この(私は『邪悪な』という言葉を使います)力と戦うために事実上、人生を捧げている人々に出会いました。これには心を動かされます。昨晩、誰かが私に尋ねました。「これは疲れませんか。あなたは、どのようにしてやり続けているのですか?」。私はこれを6年間続けており、映画の制作から始め、このような視聴者がいてくれて、私は自分が心を動かされたことを発見しました。これは私が望んだとおりの展開です。

 SI:あなたは映画の制作を3年前に終了しましたが、もし今日、映画をもう一度作ることになったら、何か違うことをしますか。

リヒィ:もちろんです。当時私たちが全く理解していなかったことの一つは、フラッキングの気候変動危機への影響でした。フラッキングは、メタンが過度に流出するため、石炭よりも悪いのです。メタンは、二酸化炭素より 84 倍も有害です。現在行われているフラッキングの方法は、石炭の燃焼よりも有害です。ペンシルバニアで起こっていることですが、石炭を燃焼する多くのプラントがガスを燃焼するプラントに転換される予定です。これらをガス・プラントに転換するために、何百万ドルものお金を使わない方がよいのです。その代りに、そのお金を再生可能エネルギーに使った方がよいのですが、あいにく私たちはまだそれを分かっていません。メタンに関して、そして地震に関して、もっと多くの時間を割いておくべきでした。映画の中に含まれていないビデオ・クリップを幾つか、私たちのウェブサイトで見ることができます。

 SI:他に何か付け加えたいことはありますか。

リヒティ:今が行動のときだと思います。私たちはこのツアーの間、イギリスでの戦略について話してきました。それは、地域で非フラッキング・ゾーン(Frack Free Zones)を獲得する戦略に向けて進化しているようであり、フロリダで成功したものや、オーストラリアの『門をロック』の戦略に匹敵するものです。地元のレベルで人々に声を与える努力は、非常に良い戦略だと私は思います。私たちはまた、省エネルギーのために個人として私たちに何ができるかを考える必要があります。もしあなたが個人として行動すれば、私たちがどのような波紋をつくり出すか分かりません。ここで、私個人のストーリーを付け加えたいと思います。

11年前、私は前立腺癌と診断されました。私の父も、悲劇的にも前立腺癌でした。彼の状況は、私に(変わるように)影響を与えました。私は菜食の食生活を続け、前立腺癌に対処するために様々なことを行い、そして現在は今までで最も健康です。その結果として、食生活に関する私の二酸化炭素排出量は、肉を食べていたときに比べて16分の1になり、二酸化炭素排出量のかなりの削減になったのです。このように、私たちにできることがあり、個人として大きく発言できることがあります。地球を守る決定を今日すぐに下すことができ、それらの影響を見ることができます。

(詳しくは: www.groundswellrising.com参照してください)

大うねりが高まる(Groundswell RISING)

子供たちの空気と水を守る

「よくバランスの取れたドキュメンタリー映画であり、不安な産業的損害に光を当て、私たちの未来への希望で結んでいる」