編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

向かい合って
編集長殿
2017年12月18日の月曜日に、私は家に一人で座っていて、気分がとても悪く、息苦しくなっていました。18年間、家のマントルピースに置かれていた、マイトレーヤの『手』のカードを見つめ始めました。突然、驚いたことにマイトレーヤのお顔が『手』のカードに現れたのです。彼は私の方を向いていて、非常にハンサムで、茶色のわずかに巻き毛の髪が額にかかっていて、あごひげが少し見えました。彼はとても若くて、年を取らないように見え、私は彼の愛に囲まれて、とても穏やかな気持ちでした。しばらくすると、顔の向きが変わったので、横顔を見ることができましたが、また元に戻って私の方を向きました。私は座って何時間も見つめながら、気分も良くなり、祝福を受けたのでした。
アデル・テンプル英国、サリー州レッドヒル

だから、目を覚ましていなさい
編集長殿
2018年1月5日の伝導瞑想の間、グループの覚悟についての、ある考えが心に浮かびました。そのすぐ後で、60年以上も考えたことのなかったことが、心に飛び込んできて、それは聖書のたとえ話で、5人の賢明な乙女と5人の愚かな乙女が、花婿が現れるのを待ちながら婚礼の祝宴の準備をするという話でした。「そこで天国は、10人の乙女がそれぞれ灯りを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。その中の5人は思慮が深く、5人は思慮の浅い者であった。思慮の浅い者たちは、灯りは持っていても、油を用意していなかったが、思慮深い者たちは、自分たちの灯りと一緒に、入れ物の中に油を用意していた。しかし花婿が遅れたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい!』と呼ぶ声がした」このたとえ話は以下のように終わります。「だから、目を覚ましていなさい。人の子(イエス・キリスト)がやって来る、その日その時があなた方に分からないからである」(新約聖書マタイの福音書)私はこの最後の文章が、初めの物語に関係しているとは、はっきり覚えていませんでした。このたとえ話は、『マイトレーヤの使命 第3巻』(英語版)の中に見つけたベンジャミン・クレーム氏の詩を連想させるものでした(註:日本語版が出された後に、クレーム氏が英語版に書かれたものである)。「宮人たちが座って王の入場を待つとき、われわれは、マイトレーヤ、あなたをお待ちする。ある者は座ることなく、あちらこちらと、歓びの知らせを告げに、走り回る。偉大なる主、首長の中の首長が、今や馬から降りて、門に近づかん。開けなさい、速やかに、主を遅らせることのないように」
匿名希望

確認
編集長殿
2017年7月8日に、ロンドングループのメンバーたちが、ブライトン・ヨガ・ショーでブースを出しました。関心が高まっていて、午前中遅くから絶え間なく訪問者がありました。黒髪で黒い瞳の女性が、私たちのテーブルに近づいて、展示されている情報の性質について尋ねてきて、彼女は40歳くらいに違いなく、くつろいだ格好でした。彼女と一緒に話していると、自然に大宣言の話になりました。突然、強烈で美しく温かなエネルギーが私たち二人に流れてきたのです。あまりに強力だったので、話をすることはもはや不可能で、その黒髪の女性以外は、ブースや訪問者たち、展示している人たちすべてが、かすんでぼんやりとなり始めました。私たちはお互いに向き合っていたので、彼女が両手を伸ばしてきて、私の両手を取るとそれにキスをして、それから前屈みになって私の両頬にもキスをしたのです! 私は完全に圧倒されていて、我に返った時に座り込んでしまい、その女性は歩いて去っていきました。フェアの騒音や気配が私の意識に戻ってくるまでの間、数分間に感じられましたが、ただ座っていました。後になってブース展示をしている人たち数人が、私たちのブースにやって来て、あのエネルギーを感じて、何なのか不思議に思っていました。それは特に、大宣言について話をした時にだけ起こったもので、おそらく非常に非常に間もなく、起こることになっているという事実を示しているかもしれませんし、もしかするとフェアの日に、講話や講演で、機会のある時はいつでも、このことについて話をすることが不可欠で重要だという徴かもしれません。
スザンヌ・フィリップス
英国、ウェストサセックス州アシャーストウッド