編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が多数あり、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは『代弁者』との本物の出会いであると確認されたが、いまだ『編集長への手紙』に掲載されていない。ここで掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで『それ自体が語る』ということがあり得る。

自由なる彷徨

編集長殿2018年6月4日に列車でベルリンに向かう途中、尋常でない出会いがありました。その日は何となく何かが起こりそうな予感がしていました。何カ月も以前の11月に、私がマイトレーヤからの導きを求めて祈ったのは、外国で暮らすことになじめず、度々孤立していると感じる場所でいかに最善の奉仕をするかについて、うまくいかない感じがしていたからです。私は列車に乗って、二人掛けの席が向かい合う四人掛けの席が空いているのを見つけました。近づいてみると、窓側の二つの席には古びたカーディガンが置いてあり、それが座席の間に並んだビニール袋に被せられていました。これは不思議なことで、ドイツの列車内では誰も物を置きっ放しにはしないのが一般的だからです。袋はそれ自体が重なっていて、三重か四重に1枚ずつ内側に入れられた状態で、個人の持ち物が入っていると思いました。私は通路側の席の一つに腰を下ろして、誰がそれを取りに来るのか興味を持っていました。列車が出発し、私が携帯電話を見ると、娘の親友のウルスラの写真を母親がフェイスブックに載せているのが見えました。停車駅で窓の外を眺めていた時、大きな建物が見えて、側面の壁に大きな文字で「シュリューター」という名が書かれた機械の会社でしたが、もしかしてオーナーは私の知人で、同名のもう一人の機械工と関係があるのだろうかと思っていました。終点まで10分くらい前に、一人の年配の女性で優しい顔の人が、背後の通路からやって来て私の席の隣に立ちました。彼女を見ると、英国人の女優のジュディ・デンチ(彼女の歯はひどい状態で半分無くなっていたことを別にしてですが)を思い出しました。彼女は頭から足までセーターを重ね着していて、ピンクの長い丈のセーターを上に着て、粋なピンクのニットのベレー帽を頭に被っていました。温かい日だったので、彼女の格好には驚いていました。けれども最も驚かされたのは彼女の裸足でした。彼女が靴を履く習慣がないことは明らかで、彼女の足は擦れて汚れていました。彼女が自分の物を移動させたので、私は窓側に座れるようになり、彼女が私の隣に座りました。私たちが話していた時、彼女は私のドイツ語が母国語ではないと気づいて、何語を話すのか尋ねてくれて、やすやすと英語に切り替えてくれました。彼女の説明では、地方のドイツの列車に乗って、地域の実際の町や村を見る旅を5年間続けているそうです。彼女によると「世界や旅の何たるかを本当に見ることはできないのよ、家のことや面倒を見ないといけないことに責任があるうちわね」ということでした。私はこれが私自身のチャレンジに向けて直接言われたと感じました。私は家や物質的所有についての自分自身の愛着や先入観について考え、それがより一層意識的な奉仕者となり、もっと自由に移動して、より広範な聴衆と希望のメッセージを分かち合う時間を取ろうとする献身を、邪魔しているものだと思いました。彼女は元々荷物を持っていましたが、盗まれたか壊されたかして、そのことが彼女のライフスタイルに関して、一般大衆や列車での旅仲間たちからの態度を受け入れるというより、体験することを促したのです。けれども彼女はそのような体験に動じていないように見えました。彼女は自分を『ホームレス』と名乗ったりするような素振りもなく、むしろ彼女の態度からは、彼女のライフスタイルが意識して選択されたものであり、人々がどう思うかについて無執着だということがわかりました。気がかりだったので彼女に靴無しの足について尋ねた時、彼女は何年も前に靴を履いていた時、靴擦れができてしまったそうです。頭から足首までウール生地で覆えば、冬に裸足だとしても、温かいままでいられることを発見したと彼女は言っていました。列車から降りる準備をしていた時、私は彼女の名前を尋ねようと思いました。彼女の返事にびっくりしたのは、私の頭の中の考えから出てきたようだったからで、彼女は名前を「ウルスラ・シュリューター」と言ったのです。その出会いには非常に鼓舞され、結局私たちは皆人生において選択をするものであること、そしてより良い奉仕へ自分自身を解放する状態を、自分でつくらなければならないという気づきがありました。ベンジャミン・クレーム氏の、弟子として人は世界に属するというアドバイスが思い出されました。
エリッサ・グラーフ
ドイツ、シュタイアーベルク

民主主義の権利を守れ

新しい写真展が8月12日に、アムステルダムのシェア・オランダのシェア・インターナショナル・インフォメーションセンターで開かれました。一般の人々やグループメンバーたちも参加した、成功した一日でした。訪問者の中にスリナム出身の男性がいて、彼のエネルギーや言葉が大変印象に残ったので、それらを本号に含めなくてはと考えましたが、その手紙は原稿作成の終盤になって、やっと届いたところでした。彼は何人もの共働者たちと長い間話をしていました。以下は彼の示した最も重要なポイントや、世界中のグループメンバーにとって、特にアメリカのメンバーにとって価値があると考えたコメントのいくつかを、短く要約したものです。手紙全文は10月号に掲載される予定です。彼はマイトレーヤについてすべて知っていると言いました。彼は特にアメリカに関心を示していて、市場フォースと商業至上主義の否定的な影響について話をしました。彼はロンドンの金融界についても知っていて、巨額のボーナスや給与を通じて、従業員らがいかにシステムの中に結び付けられていて、批判などすれば仕事を失うことになるのを怖れているかを説明しました。それはすべてお金についてであり、決して人々についてではないのです。私たちの訪問者は、戦争がとりわけ兵器産業の利益になると言いました。さらに彼はトランプ大統領について注意するように言って、大衆やメディアが繰り返されるツイートに気を取られている間に、トランプは史上最低最悪の法案にサインすることにどれだけ忙しくしていることか、これによって必然的に労働者はその権利を失うことになると言いました。
シェア・オランダ共働者一同

貴重なものを見る目

編集長殿
私は5月(2018年)に目の手術を受けました。あまり期待をしておらず、マイトレーヤの『手』を通して助けをお願いしていました。片目の手術を終えて、夫と私がエレベーターを待っていた時、一人の男性がやって来て私たちの隣に立ちました。彼の外見が目立っていて、昔ながらの映画スターのように見えました。黒っぽいカーリーヘアでパーティー向きの格好をしていました。彼はまばゆいばかりの笑顔で、美しく白い歯をしていて、まるで光を放っているように見えました。夫が彼に「あなたはこの病院で有名なのですか?」と尋ねました。彼は笑い出して、自分を指差しながら「ここで有名なように見えますか?」と言いました。それから彼は私の手を取って、心配そうな顔で「大丈夫ですか?」と尋ねてくれました。私は手術やその特別な男性のこと全部にすっかり圧倒されていたので、後になってやっと、それが尋常でない出会いだと思いが至ったのです。私のもう一方の目はそれ以来手術を続けてきましたが、視力が再び回復したのをとても感謝しています。
ナンシー・デ・グラーフ
オランダ、アムステルダム