光栄な出会い
編集長殿
米国に戻る飛行機に乗るため、アムステルダムのスキポール空港へのタクシーに乗っていた時、運転手と長い会話を交わしました。私がなぜオランダにいるのか、つまりシェア・インターナショナルの伝導瞑想研修会に参加するためでしたが、それを説明したところから会話が始まりました。私はシェア・インターナショナルとは何か、伝導瞑想とは何かを説明し、マイトレーヤや知恵の覚者方、ブラヴァツキーやベイリー、クレーム氏のことまでの再臨のメッセージについて、世界資源の分かち合いなどについても伝えました。運転しながらも、そのタクシー運転手は会話を続けてくれて、質問やコメントをして、私が話していることに興味を示してくれました。
私たちは様々な時事問題も話し合いました。ある時、彼が社会的経済的不平等や、移民やマイノリティーの人たちへの対策などについて話をして、この辺りでも他の地域でも世界の変化への鍵となるのは米国であると言い、なぜなら世界の模範をつくることになるからということでした。彼は他の国々は米国がどうするか決定するのを注視していて、米国の行動を真似ると言いました。私は同意しましたが、正しいことを行うのは各国が決めることでもあると言いました。彼は再び繰り返して、他の国々が米国のリードに従うのだから、世界の模範を築くことにおいて米国がいかに重要かを語りました。
空港への道中で、彼がどこの出身か尋ねると、彼はカシミールだけれども、何年もオランダに住んでいると言いました。
分かち合いについて話していた時、ガンジーの言葉で「すべての必要を満たすのに十分なものがあるが、貪欲を満たす分はない」というのを思い出そうとして、代わりにそういう内容で言い換えて伝えました。彼は言い換えた言葉に賛同してくれて、その日(10月2日)がガンジーの誕生日だと教えてくれました。
私がタクシーを降りる前にもう少し伝導瞑想について話をして、世界の福利のために行われていると伝えました。彼が世界とは私たちを取り巻く人たちを包含するものであり、平和の感覚を持っている人は、花の香りのように他の人たちによって感知されるものだと言いました。
彼が興味を示してくれたので、私の持っていたオランダ語の伝導瞑想の冊子を渡しました。彼は快く受け取ってくれました。
私は彼の名前を尋ねました。「イムラン」と彼は答えました。「どういう意味ですか?」と私は尋ねました。「『村の王』という意味です」という答えでした。彼が私の名前を尋ねてきて、私の名前は私に似合っていると言いました。その時は彼が意味したことがよく分かっていませんでしたが、後でその言葉を考えた時、私の名前についての最近の会話に関係していると思えて、私は「小さな丘」を意味していると思っていたのに対して、誰かが本当の意味は「山」だと言ったのです。
タクシーを降りる時、私は幾分かしこまって、もしかして再び私がアムステルダムに来た時などに、いつかまた連絡を取れるだろうかと言いました。彼はその日の朝、私の携帯電話に(私を迎えに来ている途中だと伝えるために)電話をしたことをちゃんと覚えていて、そういう訳で私には彼の電話番号が分かっていたのです。つまり彼は、私が電話番号を知っていることを強調して、さらに繰り返してくれたのかもしれません。その言葉を後で考えた時、それは最近のシェア・インターナショナル研修会で、代弁者の方たちが実際に電話番号を教えてくれることがあるという話に関係があると思いました。
結局のところ、私は興味深い思いを感じながらタクシーを降りて、「村の王」イムランとの長い会話によって高揚した気持ちでした。
モンテ・リーチ
米国、サンフランシスコ
すべてはそのために
編集長殿
2018年9月に、私はヨーロッパ伝導瞑想研修会に三度目の参加をしました。ケルクラードの列車の駅を出た後、道に迷ってしまい、やっとのことで近くの森を抜けて修道院に行きつきました。私は道中を楽しんで歩き、できるだけ何度もこの森に戻ってこようと心に誓い、その後毎日そうしました。
2018年9月29日のミカエル祭の日に、私はこの森での散歩に出かけました。午前中の集会を終えてからで、議題は「オープンであること」でした。
太陽が輝き、雰囲気は平穏そのものでした。すぐに放浪者のような人物がいるのに気づいたのです。彼は50歳くらいで、ペットボトルの入ったビニール袋を積んだ自転車を押して歩いていました。彼は勇敢そうで、喜びに溢れ、見るからに活気があり、生きることに幸せそうで、地味な服装にキャップを被っていました。何か磁力的で素朴な感じが彼から放たれていました。
普通で当たり前の「ハロー」の後で、その男性は即座に私に向かって、完璧なフランス語で話しかけてきました。私が口に出したかどうかにかかわらず、彼についての質問に答えてくれて、その地域中を歩き回ってボトルを集めていて、リサイクル用に25セントのお金になると言っていました。また彼には他の収入源もあるので、世界の人々や文化を知るためにたくさん旅行できると言って、155ヵ国を旅したとも言っていました。また彼の妻は彼に丸1年出かけるように勧めてくれたそうです。彼は数本のビールを飲んでいたことをわびていました。
彼から私がそこで何をしているのか尋ねられて、研修会やマイトレーヤ、キリストなどについての私の短い説明に納得してくれたようでした。それから彼は私をじっくりと見つめて、私がポルトガル系であること(事実)や、様々な他の話もしましたが、事実なのか、何を意味するかは私にはわかりませんでした。
私の態度や外見からはそのような推測はできないはずだったので、私は彼にどうやってそのようなことすべてがわかったのか尋ねました。彼はそうしたことについて本を読んだと言い、「私たちは大地から来て、大地に帰るのだ」と言って、さらに「書かれているものを読むことが十分なので、空にあるものを読もうとする必要はない」(あるいはそれに似たこと)と言っていました。もし彼が自分を『クリスティアナス』と紹介しなければ、そして近くのオランダの町の『パレスチナ通り』に住んでいると言わなかったなら、これは普通の出会いのままだったのかもしれません。
私がもうすぐフランスに帰ることになると知って、次に再びこの研修会に私が来た時に会って、彼が南アフリカから戻っていたら一緒に過ごそうと言われました。
彼が私に電話番号を口伝えしてくれて、それを急いで書き留めたのはその時のことでした。それでこの日が私の記憶に刻み込まれているのです。この出会いは時を超えた資質を持つものです。研修会の他の二人の参加者も、ある時点で私たちの会話に加わって、この人物と一緒にいました。彼が何者なのかはミステリーのままですが、自分なりの考えは持っています。誰もが自分自身でそうすることでしょう。
ギヨーム・リバル
フランス、アンティーブ
フレンチ・コネクション
編集長殿
オランダのケルクラードでのヨーロッパ伝導瞑想研修会で、メンバーの一人と一緒に修道院の隣にある森で散歩していた時、二人連れに出会いました。男性の方が私を見て、「ハロー、パスカル」と言いました。彼は私と同じくフランス人でした。私はこれまで彼に会ったことはありませんでした。彼が私の名前を知っていたことにびっくりしました。
ありがとう。
パスカル・ブラシェット
フランス、トゥールーズ