平和のための分かち合い

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 人は分かち合うとき成長する。今までこの単純なる真理にほとんど注意が払われなかった。多くの者にとっては、分かち合いは自然な当たり前のことである。しかしある者にとっては、その概念は異質なものであり、疑惑と苦痛に満ちている。そのような者たちにとっては、自分のものはすべて、ほとんど神聖にも近い権利によって彼らのものであり、分かち合うことは異質なばかげたことである。それでは、人類はいかで世界平和のための必須条件である分かち合いと再分配の方向に進むことができようか。

 今日どこを見ても、人間は分かち合うことのできない自分たちの無力の結果を見る。地球の至るところで何百万の人間が飢え、そして死んでいる。数え切れない人間が悲惨と絶望的貧困の中に生き、生まれた時から早期に墓に入るまで、苦しみ続ける運命にある。

 人間が地上に存在する理由を理解するようになるとき、変化はやって来るだろう──人間は広大なる進化の実験の一部であり、その目的は二、三を除いたすべてのものに隠されていることに気づくとき、彼ら自身が魂であり、唯一の超魂(オーバーソール)の部分であることを認識し、そして各々がお互いとのアイデンティティーを把握するとき、分かち合いは自然の秩序であり利己主義と貪欲は異常であることを理解するとき、分かち合うことが成長するためのチャンスとして見なされるとき、人は、彼らの悲しみと分離への訣別として、分かち合いを抱擁するだろう。

 その時は今、われわれの頭上にある。内的な力と外的な事象(イベント)の圧力が世界的規模で感じられ、人間の現状と見通しの再評価を引き起こしている。人間の無惨な搾取にさらされて、この惑星は無限に生命を支えることはもはや確かではなくなっている。核による絶滅の脅威が絶えず存在し、他方、経済競争と金融の混乱は数え切れない何千何百万の人間の日常生活をさいなむ問題を提起する。

 国家がこれらの問題を討議するために集うことは現在常識になっているが、それには大切な意味がある。そのような会合は、人間がこの惑星の執事としての責任に気づきはじめ、その状況を改善するための決定を行う用意ができていることの合図である。その決定のうちで一番初めに決められねばならないことは、分かち合う覚悟である。世界の資源がより公平に分かち合われるとき、人間の問題の半分は一夜のうちに消え去るだろう。すでに多くの者がこのことを自覚している徴候が現れており、分かち合いを呼びかける声が至るところでもちあがっている。賢者は分かち合いが永続する平和の唯一の基盤であることを予見し、そして若者たちの英雄も、彼らの人気ある声を添える。

 これは未来のために良い前兆である。なぜなら、それは人間が彼らの前にある選択──分かち合うか死ぬか──にやっと気づき、同胞愛と愛の精神で行動する用意があることを示しているから。人間はもはや彼らの運命を他人の手に──盲目で年老いた男たちの構成する政府に──任せておくことに満足せず、彼らの未来と彼らの世界を守るために直接に参加する必要を感じている。

 多くの者はいまだ恐れている。しかし「新しい時」の光は刻々と輝きを増す。多くの者が新しい時代の夜明けを希望と期待をこめて待ち、奉仕し、そして成長する機会を自覚している。彼らは自分たちが独りではなく、彼らのビジョンを分かち、同胞愛と平和を同じように待ち望む者たちに囲まれていることを知る。

 分かち合いを通してのみ、あのビジョンは実現されるだろう。分かち合いを通してのみ、あの平和は勝ち取られるだろう。それが今のこの時のメッセージである──分かち合って、神の反映となる存在へ成長しなさい。分かち合って、平和と愛の時代の幕開けをしなさい。

(シェア・インターナショナル誌1985年10月号)