シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。
遊び旅の仲間
次の2通は同じ人物からのものです。
いたずら好きな旅の仲間
(1)2004年2月、メイク・ア・ウィッシュ財団から資金提供を受け、家族と一緒にハワイに向かう飛行機に乗っていました。その財団は生死に関わる病気の子供たちの願いを叶える機会を提供しています。私たちの11歳の息子セバスチャンは再生不良性貧血を患っていて、ハワイを見ることが彼の願いでした。
私は年配の夫婦の隣の席で、子供たちと夫は後ろの列の席になりました。8歳の娘は私と一緒に座りたかったので機嫌が良くありませんでした。すると私の隣の女性が娘と席を替わってくれたのです。そういうわけで、その後、私たち一家とそのご夫婦との会話が始まりました。
女性の方は大変に社交的で、自分の人生の体験について率直に語ってくれました。そうした話には不思議なほど、私自身の人生と似通っていると思われるものがありました。彼女は夫の隣に座っていたので、夫が読んでいたサイエンス・フィクション(SF)の本を文字通りひったくって、その本について尋ねていました。彼女はSFについて聞いたことがなかったと言い、夫がそうした本を読む価値は、新しい社会のあり方や未来へのアイディアを思い描けることだと説明しました。彼女から、夫はきっとこのような本を書くことができると言われました。それから彼女は、ふざけた様子で息子の頭から野球帽を取り上げて、それを通りすがりのスチュワーデスに手渡すと、パイロットにその帽子にサインさせてほしいと伝えました。彼女は息子に大変関心を持ってくれて、息子の生活についてたくさんの質問をしてきました。彼女はとても楽しげな表情で、遊び心のあるきらめいた瞳をしていました。
空の旅の終わりに、私たちは飛行機から降りるのを待ちながら、座席の場所に立っていました。息子がその女性の年恰好にしては、とても若く見えると伝えました。彼女は少し誇らしげに、毎日いかに念入りに手入れをしているかについて話していました。それから彼女が着ていたスマートなスポーツ用のジャージの上着のファスナーを開くと、とても大ぶりな銀のペンダントが首の回りに見えました。それは太めの長い銀のチェーンから提がっていました。皆の目がそれに引き付けられました。彼女はそれが何を表現していると思うか尋ねてきました。私はそれをじっくり眺めていて、宗教的なシンボルが付いているようだと気づいたのです。サンスクリット語のOMの記号、キリスト教の十字架、イスラム教の三日月形の鎌と星、そして仏教の法輪について話しながら、私はシンボルのことを指摘しました。彼女は何年も前にメキシコでそれを買ったこと、そしてお気に入りのアクセサリーであることを説明してくれました。それから私たちは飛行機から降りて、自分たちの目的地へと向かいました。
この女性はもしかして変装したマイトレーヤだったのでしょうか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】
ボロは着ていても
(2)1996年のある夏の日、ニューヨーク州オルバニーの自宅の玄関に一人の若い男性がやって来ました。地元の草の根環境活動グループのための寄付を求めて、近所で依頼をして回っていた人でした。彼と気持ちよく長い会話を交わし、悟りを開いた特別な存在が世界におられることを、何とか彼に伝えられるように話をもっていきました。社会や環境問題の重荷を負う人類を、その存在が助けることができるという話をしました。私がこのことを口にした時、何だか合図のように思えるくらいのタイミングで、豊かなあごひげをたくわえた、明るい茶色の長髪の・痰「男性が、歩道を通って私の家を通り過ぎていったのです。茶色の背広を着ていましたが、少しだらしなく見えていて、裸足でした。彼は何も持っていませんでした。私たちはびっくりして、彼が通り過ぎるのを見つめていました。私の住む界隈は、ホームレスの人々が訪れることはあっても、まれなことなのです。貧相な外見にもかかわらず、彼は本当のホームレスのようには見えませんでした。彼は通り過ぎる時に、振り向いて私たちを見ました。彼は覚者でしたか。
エリッサ・グラーフ
ドイツ、シュタイアーベルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その『通りすがりの若い男性』がマイトレーヤであったことを確認した】
アラーム音から静寂へ
2006年10月30日の遅くに、私が滞在していたテキサス州ブエナビスタ近くの食料品店に立ち寄りました。ほんの数分後に駐車場の車に戻ってみると、私の車のアラーム音がけたたましく鳴り響いていたのです。アラームは切っていたので、「不思議なことだ」と思いました。さらに言うと、エンジンは止まっていました。
私は腰を下ろし、このこと全部に途方に暮れていると、二人の男性が私を手助けするために別々の方向からやって来ました。最初の人は小柄で清潔な服装の男性で、歩くというより足を引きずっていました。彼はアラームを止めようとしていましたが、うまくいきませんでした。いったんは止まるのですが、またすぐに鳴り始めるのです。二番目のとても大柄な男性が近づいてきて、二人で頭をボンネットの下に寄せていると、すぐにすべてが正常に戻りました。ああホッとしたと思ったのは、私の財布も銀行口座もほとんど空だったからなのです! 言うまでもなく、彼らに十分なお礼はできませんでした。
辺りが暗くなっていたので私は心配になり、4キロメートルほど先の滞在場所まで戻ることができるだろうかと疑問を口にしました。大柄な男性がその方角へ向かうので私の背後から運転してくれると言って、そのとおりに車庫の真ん前まで送ってくれました。私の不安はだんだんと落ち着いていき、その平穏さは数日留まっていました。そのことを思う度に私の精神は高揚するのです。その後、私の車は完璧に作動していました。
二人はただ優しく親切な男性たちだったのか、それとも彼らは、私が多くの導きをいただくイエスとマイトレーヤだったのでしょうか。
ワンダ・ジョーンズ
米国、テキサス州ヒューストン
【ベンジャミン・クレームの師は、大柄な男性がイエス覚者で、小柄な男性がマイトレーヤであったことを確認した】