「第二次インティファーダ」つまり「第二の蜂起」は、イスラエルの当時の右派野党指導者であったアリエル・シャロンの挑発的行為によって引き起こされた。第二次インティファーダは、シャロンが意図的にイスラム教の聖地アル・アクサ・モスクを訪れたことから「アル・アクサ・インティファーダ」とも呼ばれる。この蜂起は2000年から2005年まで続き、推定3,000人のパレスチナ人と1,000人のイスラエル人が死亡する結果となった。2004年当時、ジョン・ケリーはアメリカ大統領候補であった。
名前は変わり、主要な人物は入れ替わったが、解決や安定した持続可能な和平への障壁となっている問題は、いまだに現代の私たちを悩ませている。パレスチナ人のための正義は依然として達成困難であり、パレスチナ人のための自治と実現可能な祖国にしてもそうである。一方、イスラエル人のための安全保障についても合意されてはいない。
以下の質疑応答は、シェア・インターナショナル誌2005年1月号に掲載されたものである。
Q ジョン・ケリー氏は、イスラエル政府とその行為を支持すると言いました。彼はその態度を変えるでしょうか。
A イスラエル政府とその行為を支持すると言うことは、多くの疑問を浮上させます。彼はパレスチナ人に対して用いられているテロ行為を支持しているのか? もし彼にそう尋ねたら、彼は何と答えるでしょうか。私個人としてはパレスチナで行われているイスラエルの行動を支持しません。では、私はイスラエルを国連の一メンバーとして支持するか? イスラエルは国連の一員ではありますが、国連憲章を遵守しておらず、イスラエルに反対する63もの国連議決があります。彼らはアメリカの支持を得ているので、これらの議決を実行していません。アメリカの支持をなくしてしまえば、イスラエルは6カ月で破産してしまうでしょう。
ケリー上院議員に、イスラエルが取っている態度を彼が支持するのかどうかを尋ねてみなければなりません。それは単に自衛のためだけではありません。なぜなら、これはパレスチナの人々を迫害するために用いられる口実にすぎないからです。イスラエルは、パレスチナの人々を迫害しなくとも容易に自衛することができるのです。もし彼らがすべての分野においてパレスチナの人々の迫害をやめたなら、彼らが何よりも恐れているテロ攻撃、自爆攻撃の圧力はずっと少なくなるでしょう。自爆攻撃者を彼らは何よりも恐れます。
誰かがバスに乗り込んできて、自分自身を爆破させるのです。なぜそんなことをやるのか。それをやる以外、他に方法がないからです。彼らは軍隊も武器も持っていないのです。またそうすることの影響が非常に強力であることも知っているからです。彼らは速やかにアラー神のもとに戻り、殉教者になり、そして家族が何がしかの金銭的報酬をもらうことも知っているからです。彼らはイスラエルによって故意に貧しい状態に置かれています。イスラエルは彼らが働くことも、今までやってきた仕事をするためにイスラエルへ出かけることもできないようにしています。彼らは果樹園を持っていましたが、イスラエルはそれを伐採してしまいました。ですから彼らはどうやって生きていけばいいのですか? 彼らは絶望しています。未来に何の希望もないのです。
イスラエルは、彼らが生きようが死のうがかまわないのです。死んでくれた方がまだいいとすら思っているでしょう。実際に出かけていって彼らみんなを銃撃したいと思っているというわけではありません。一部の人はそう思っているでしょう。ちょうど一部のパレスチナ人がイスラエル人を皆殺しにしたいと思っているように。しかし、パレスチナが自分たちの生活を非常に難しくしているので、シリアやレバノン、ヨルダンへ行ってくれれば、イスラエルの問題は終わると思っているのです。それに自分たちの行動への罪の意識も感じなくて済むのです。
イスラエルはパレスチナ人の領土を奪ったのですから、非常な問題を抱えています。彼らはそのことと、原因と結果の法則を知っています。ですからいずれそれを返却しなければならないということを知っているのです。それが彼らを怖がらせ、苛立たせているのです。ですからあらゆる手段を尽くして、私たちから見てどんなに違法であろうと、嫌な方法であろうと、恐ろしい方法であろうと、パレスチナ人を屈服させようと、つまりテロをやめさせようとしているのです。
しかしある種の人々、ハマスやシリアにいるヒズボラは決してテロをやめようとはしないでしょう。なぜならそれが彼らが持つ唯一の武器だからです。イスラエルの存在権を決して認めないパレスチナ人がいるように、元々パレスチナ人のものだった土地へのパレスチナ人の権利を認めないイスラエル人もいます。ヨルダン川西岸の土地ですら認めないのです。それはマイトレーヤの要請に応えて、亡くなったヨルダンの国王がパレスチナ人に贈り物として与えた土地なのです。この問題について何らかの合意、ある種の見解の妥協がパレスチナとイスラエルの間に成立しない限り、闘争もテロも終わらないでしょう。
私は当初からこの状況はマイトレーヤによってしか解決できないと言ってきました。今でもそうだと確信しています。これまで見てきたこと、聞いてきたことから、決して他の方法は考えられません。
1988年に最初にマイトレーヤが出された予測の一つが、「パレスチナ人は故国を持つだろう。イスラエルの軍隊はヨルダン川西岸地区とガザから撤退するだろう。二つの国は地域の資源を分ち合って共に暮らすだろう」というものでした。それが起こるのは、大宣言の後、マイトレーヤが公に受け入れられてからのことになるでしょう。イスラエルは次の1、2年の間にあるいは何年間にわたろうとも、多くのことをあきらめなければならないでしょう。それがどんなものであろうとも。
Q あなたは、マイトレーヤがアラファト氏にオスロ協定に署名しないようにと助言されたと言われました。アラファト氏はマイトレーヤのことを知っていたのですか。それともマイトレーヤはアラファト氏に別の人として現れたのですか。
A アラファト氏はロンドンへ来ました。1990年にロンドンでマイトレーヤが開いた会議にアラファト氏は出席したのです。彼は350人ばかりの参加者の一人でした。ですから、彼はマイトレーヤのことを知っていました。
Q 彼はこの話の全容を知っていたのですか。
A はい、確実に。