シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載されたその他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。
冬の奇跡
編集長殿
1991年に訪問看護師としての仕事をしていました。朝6時30分頃にある患者の農場の家から出て、自分の車に乗り込みました。季節は冬で、何もかも凍り付いていて、田舎の道はスリップ防止のための塩や砂が、まだ撒かれていませんでした。私は運転してアスファルトではない道へ戻り、別の患者の所へ向かって道を下っていると、深い谷に隣り合った道に急カーブがありました。カーブした所を通っていた時、凍結したために車が回らなくなり、数メートルの深さのある谷に向かって真っ直ぐ突っ込んでいったのです。その瞬間、車が突然回転して、坂道をバックで下り出しました。その直前に私は自分の姿をバックミラーで見て、数秒の内に目の前で私の人生が終わるのを見ることになり、それで死ぬことになるのだと自分自身に言い聞かせました。けれども私の車はバックして丘を下り、私は救われたとわかりました。
私は起こったことについて、何人もの人たちに言わずにいられませんでしたが、その時、機械的には絶対に不可能なことだと言われました。だから、今2019年に、この証言を送ることに決めたのです。
匿名希望
ベルギー
次の2通は同じ人物からのものです。
肯定的な反応
編集長殿
(1)最近(手紙は2008年12月に書かれた)私たちはミュンヘンのフェアでブースを出しました。私はブースの前に立ってチラシを渡していました。突然、二人の若い男性が私の方へ歩いてきました。二人共が黒い服を着て、それぞれが大きなカメラを首に掛けていました。彼らの内の一人は、もう一人より少し背が高い人でした。冊子を差し上げるのはどうかと私が尋ねた時、彼らはきっぱりとした声で「はい」と答えてくれて、グループ瞑想に興味があるかどうか尋ねた時も、同様でした。どちらの時も私が驚かされたのは、通常人々は最初の内、もう少しためらいがちなものだからです。さらに二人共が質問を差し挟まずに私の説明を聞き、明晰なオーラを放っていました。興味深いことに、私は最初の時からずっとカメラを持参していて、私たちのブースを訪れた、マイトレーヤではないかと思った人物の、写真を撮ることができるようにしていました。けれども私はその二人の若者との話し合いに、あまりにも夢中になっていたので、そのことをすっかり忘れていました。彼らはマイトレーヤとイエス覚者でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、背の高い方の人がマイトレーヤであったことを確認した。もう一人はイエス覚者であった】
癒しの泉
(2)数日前に(手紙は2008年12月に書かれた)私はボーデン湖の近くに住んでいる友人を訪ねました。彼女が地元にある癒しの泉について話してくれて、それは(近所の)乗馬スクールのグラウンドにあるのです。その泉の水はすでに多くの人々を救っていました。ある医師は彼女の両親に治療として、その水を飲むようにアドバイスしています。(1)どなたがその泉を活性化されたのか教えていただけますか。(2)それは特定の病気の助けになりますか。ありがとうございます!
クリステル・シュトロマイヤー
ドイツ、ミュンヘン
【ベンジャミン・クレームの師は、(1)その泉が聖母であった覚者によって活性化されたことを確認した。(2)水は一般的な治癒の助けになる】
奉仕の贈り物
編集長殿
2003年5月に、ニューヨークのブアヒーズビルの伝導瞑想グループは、私も活発に参加しているのですが、オルバニーのマリオットホテルでの、ホールライフエキスポでブースを出しました。けれども私たちのグループは、ブースのための支払いができる資金をすぐには確保できず、そのためにメンバーの一人がエキスポの管理者に、もし私たちが『テーブルのセットや片付け』で数時間働いたら、代わりにブースの場所をもらえるかどうか頼んでみました。言うまでもなく、テーブル一つが残っていて、誰も使おうとしなかったので、親切にもそれを私たちのグループに提供してくれました。私たちには何も求められませんでしたが、声をかけられたら手伝えるように、自分たちで準備はしていました。大体において、1日はスムーズに過ぎていき、配布できた資料もあり、売れた本も数冊ありました。再臨の仕事に関わるワーカーとしてのこれまでの年月で、それは皮肉なことに私の初めてのエキスポでしたが、これまで参加してこなかった者にとっては、非常に楽しいものでした。午前の終わり頃に、興味深い紳士が私たちのブースにやって来ました。彼には訛りがあり、浅黒い肌をしていて、50代に見えるがっちりとした体格の人で、キャップを被っていました。メンバーの一人は彼がパキスタン系アメリカ人と言っていたと思いました。私は彼が南アメリカの国の名前を言ったと思いましたが、正直言うと覚えていないのです。彼がどの民族かを伝えた後、彼が強調したのは、それでも彼は「いまだにアメリカ人」だということで、そのことはとても明白に覚えています。(彼がマイトレーヤか覚者だと仮定して)話の要点が、何か人により劣っていると感じさせるためのものではない(つまり『非アメリカ人』というのは残念なキャッチフレーズであり、近頃非常に頻繁にやり取りされているものです)と私が思うのは、私たちの平和のメッセージは、最近感じられる威圧的なナショナリズムとは対照的なものであるからです。その紳士の訪問の時に、テーブルを担当していたのは私を含めて3人のメンバーでした。彼は私たちに伝導瞑想と様々なヨガとの関連について尋ねてきました。二人のメンバー、ボリスとジーネットは彼の質問のほとんどにうまく答えていて、ラヤ(エネルギーのヨガ)とカルマ(奉仕のヨガ)で伝導瞑想が組み立てられていることについて話しました。私たちはパラマハンサ・ヨガナンダの教えのことも尋ねられたので、その流れからクリヤ・ヨガについても話したはずだと思います。その紳士が帰っていく前に、彼は私たちに伝導瞑想で料金を取るのか尋ねてきました。それが無料であり、一般の人たちに向けて開放されていると答えると、彼は声を上げて冗談めかして、伝導瞑想の参加に対して料金を取るべきだ(!)と言ったのです。彼は私たちが実際に、伝導の料金を取り始めるべきだと言ったのではありません。私が思うに要点は、ただ与えられているものに、ほとんど人々は価値を認めないということで、この文脈で彼が意味したのは、霊的成長と奉仕の機会のことではないかと思っています。この大変に興味深い男性はマイトレーヤか、覚者のお一人でしたか。
ジェイソン・V・フランシス
米国、マサチューセッツ州クラークスバーグ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】