編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

まだここに

編集長殿
 この出来事は2020年2月27日の朝早く、毎土曜日に伝導瞑想をしている私の家の一室で起こりました。毎朝夜明けの陽が差す前に一人で瞑想をするのが好きなのは、陽が昇るのを待ちながら、鳥たちが新たな1日を告げるさえずりのシンフォニーと、共に瞑想する大変に静かな時間だからです。
 陽の光が見えるので、グループで瞑想をする同じ場所で、普通は朝の瞑想をしますが、太陽が目の前の大きな木々の枝の間まで昇ってくると、私は素晴らしい平安を感じ、人々はまだ眠っていて、物音もしないのです。
 その木曜日に、私は少し気持ちが落ち込んでいて、自分の内面に援助を探さなければならないと感じたので、いつもよりもっと深く瞑想していました。スミレの香りがし始めましたが、エーテルの香りがするのは私には普通のことなので、必要以上の注意を払わず、瞑想を続けていました。
 突然、最初の太陽光が目に入り、部屋の中の私から3mの所に差し込んだ時、驚くような荘厳な金色の光の中に、善良そうに微笑むベンジャミン・クレーム氏の顔が浮かんで見えたのです。ここではっきりさせておきたいことは、それは「ビジョン」ではなく、肉体レベルでの三次元の「聖なる出現」だったのです。彼の顔は善良さに満ちていて、博愛というものが溢れていました。それと同時に「私はいなくなっていない、ここにいる」という声が心の中に聞こえ、同時にエネルギーで満たされましたが、それはクレーム氏が存命中で、私たち皆が集中していた(オランダでの)ヨーロッパ研修会の、瞑想の時に感じたエネルギーと同様のものでした。その間スミレの香りが部屋に充満していました。私はそうした柔らかで力強く心地よいエネルギーを体験していたので、動くことができませんでした。目に涙が浮かんできましたが、泣いてはいませんでした。それがどのくらい続いたのかわかりませんが、クレーム氏が消えて、私には深い感動と多くの疑問が残りました。
 翌日、再びスミレの香りがしましたが、おそらくその朝不快な医学治療に直面しなければならないストレスを感じていたためでしょう。今ではこうした瞑想の間、私が自分自身に生涯問い続けてきた数々の質問への明快な答えを受け取っています。
 私は心から慎ましやかな気持ちで、ベンジャミン・クレーム氏に対して聖なる出現によって私を祝福してくださったことに、大いなる感謝を捧げ、私がそれを受けるに値するとは思われないことから、大変驚いているのです。
匿名希望
フランス

迷いと発見

編集長殿
 2016年2月に、突然兄が亡くなり、葬儀で私たちは皆、非常な悲しみとショック状態でした。バンドの仲間のミュージシャンたちが墓地で演奏を行う、熱烈なお葬式を終えて、来客に昼食も出し終えた午後に、私は電車に乗る息子を車で駅まで送りました。そこまで1時間かかったと思いますが、私はすっかり疲れ果てていました。
 帰りの運転中には目を覚ましていられないほどで、突然道に迷ってしまいました。完全に迷子になってしまったので、ガソリンスタンドにいた人に主要道路について尋ねました。暗くなっていて、私は主要道路から遥か彼方の田舎の方へ来てしまい、明かりもなければ、人もおらず、何もありませんでした!
 さらに1時間間違った方角へと運転していくと、完全に疲労困憊して途方に暮れていました。携帯電話に電波が入らず、森や穀物畑が続くだけで、道路脇に車を止めると涙がこぼれました。
 すべてのことが酷すぎたので、私は心の内に覚者方に向かって「もう本当に助けてください!」と言いました。
 夜空を見上げました。星の一つがだんだんと大きくなり、突然消えました。それは私の想像にすぎないと思いました、私の疲れてかわいそうな脳の。再び輝く星が現れ、それが3回続きました。私はびっくりして、星の出現に感謝しながら、戻る道を見つける手助けも得られるかどうか尋ねました。
 ちょうどその時、1台の車が私のすぐ横に止まりました。女性が窓を開けると、「あなたをガソリンスタンドで見かけて(20分ほど前)、あまりにも疲れて打ちひしがれて見えたので、あなたを追いかけてきたのです!」と言いました。ああ何てこと! それから彼女は私にゆっくりと主要道路までついてくるように言って、10分間の運転の後、彼女がお別れの手を振ってくれて、私は幸せな感謝の気持ち一杯で両親の家に戻りました。
ドゥーニャ・ミュラー
ドイツ、レーゲンスブルク

生きる喜び!

編集長殿
 2004年9月に、オランダのケルクラードでのヨーロッパ研修会に向かう途中の、どんよりとした雨の朝、デュッセルドルフの中央鉄道駅で列車を待っていた時、突然二人の若いアフリカ人の女性が階段を上ってきて、その姿でどんよりとした雰囲気を一掃してしまいました。二人共が大変美しく、(外見には)アジア風なところがあり、姉妹のように見えました。年上の方はもの静かで控えめな女性で、長い黒いコートにエレガントなブーツ姿でした。若い方の人は、本当に息をのむほどの美しさで、おそらく18歳くらいで喜びとエネルギーに溢れていました。彼女は短いミニスカートとタイトなデニムジャケットを着ていましたが、彼女は全くスリムではなく、むしろ身の詰まった身体だったので、着こなすには自信の必要な服装でした。けれども彼女にはすべてがぴったりと似合っていました。彼女は子供のように笑いながら前後に動いて踊ったり、(笑みを浮かべる)姉の前で、飛んだり跳ねたりしていました。それにもかかわらず、彼女の振る舞いに厚かましいところは全くなく、陽気で楽しいもので、それより前にはほぼ無関心そうにしていた他の人々が、微笑み始めたことに私は気づきました。
【ベンジャミン・クレームの師は、その『姉』がマイトレーヤで、『妹』がイエス覚者であったことを確認した】

H.ディールクス
ドイツ