読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q イエスは、彼を神として信じることが唯一の救いであると言っているのに、どうしてすべての教えは新しい時代のメシアへと導くのですか。(1997年11月18日、米国アトランタ州のベンジャミン・クレーム講演)
A イエスが実際そう言ったのかどうか、私には分かりません。ヨハネ福音書14章6節で彼はこう言っています。「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」
 マイトレーヤはキリスト原理の体現者です。現在はイエス覚者である弟子イエスをオーバーシャドウすることによって、そのキリスト原理がイエスを通して顕現されたのです。ですから、イエスがそう言ったとき、イエスを通してそれを言っていたのはマイトレーヤでした。
 キリスト原理と呼ばれるものは愛のエネルギーであり、それは意識のエネルギーそのもので、右胸にある中心である(ハート)チャクラの中で目覚めます。聖書では、「賢者の心臓は右側にあり、愚者の心臓は左側にある」と書かれています。
 右胸には霊的なハート・センターがあり、人体における魂の座です。それは濃密な肉体ではありません。エーテル肉体であり、精妙な肉体です。濃密な肉体はエーテル体が凝縮したものです。エーテル体は、それが濃密な肉体として顕現する前に母胎に入ります。
 キリスト原理と呼ばれるものが意識の小さな種子、右胸のチャクラの小さな炎として目覚めるとき、あなたは賢者になります。キリスト原理が内部に宿ることを知り、キリスト原理に出合うたびにそれに反応します。そのエネルギーが目覚めると、より大きな度合いで、より大きな目的と、そのエネルギーに反応します。
 「わたしは道であり、真理であり、いのちである。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」。つまり、右胸のハートにおけるキリスト原理が顕現されることなしには。キリスト原理がそこで目覚めると、どんな人生を歩んでいようが、あなたはその霊的生命に方向づけられます。
 それは宗教的になるということでしょうか? 宗教の道は神に至る多くの道の中の一つにすぎません。それらはすべて最後には一つのものに導かれます──唯一なる神です。ひとつの神性、ひとつの神があるだけです。あなたはそれであり、私たちはそれであり、実際のところ、神以外のものは存在しません。それは存在するすべてです。
 私たちはこの肉体が実在のものだと考えています。そうではありません。それは相対的な実在にすぎません。それはあの神性の器ですが、私たちは皆その神性を分かち合っています。唯一の神性があるだけです。だからマイトレーヤはこう言われるのです。「わたしを崇拝してはならない。もしあなたがわたしを崇拝するなら、あなたは自分自身を低めていることになる。わたしはそれを欲しない。わたしはあなたに対等であってほしい。あなたは至高の存在の閃光である。あなたがわたしよりも低いと考えてはならない」
 一つのレベルがあるだけです。それが神性であり、私たちと覚者方との唯一の違いは、彼らはその神性を顕示することができるということです。私たちが進化の過程を辿るにつれて、その神性は肉体を通してそれ自身を表現できるようになります。ですから、すべての生命は進化しており──後退することもありますが──常に前進しているのです。すべての転生があの神性をますます顕示する能力を与え、遂にはマイトレーヤが真我実現と呼ばれる状態になります。
 彼はこう言われます。「わたしは新しい宗教をつくるために来たのではなく」、あらゆる伝統の枠組みの中で進化し続けることができるよう援助するためであると。あなたがキリスト教徒なら、最良のキリスト教徒でありなさい。あなたがヒンズー教徒なら、最高のヒンズー教徒でありなさい。「わたしは人類に真我実現の術を教えるために来た」。そのために私たちはここにいるのです──真我(神)実現を達成するためです。彼は「真我のみが重要である」と言われます。
 「わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」。キリスト原理が人間のハートの中に目覚めない限り、誰も自分の神性を実現することはできず、真我実現や神実現──それが父のもとに行くことです──に至ることはできない。イエスが意味したのはそういうことです。
 それは、ルネサンス初期の絵画の中で、洗礼を受けるイエスの頭上に黄金の光の中で鳩が下りてくることに示されています。それがキリスト原理です。それがマイトレーヤの意識であり、当時はイエスを通して働いたのです。それが何らかの程度で私たちの中で目覚めると、マイトレーヤか個人的な師によって強化されます。
 奉仕と瞑想を通して、しかしとりわけ人類への奉仕を通して、その目覚め、キリスト原理の強化が進み、それがあなたが誰であるかの目覚めに導きます。「誰も父のもとに行くことはできない」。まず、人間のハートの中にキリスト原理が目覚めなければ、誰もその神性を実現することはできないのです。
 もしそうでないなら、キリスト教徒だけが神のもとに行くことになります。それは現実のあり得ない解釈です──ヒンズー教徒、仏教徒、無神論者、合理主義者、人道主義者、ユダヤ教徒、イスラム教徒などは神のもとに行くことはできないということになります。なんという傲慢さでしょうか! それはイエスを完全に間違って解釈しています。
 イエスが「わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」と言われたとき、彼は自分を神の唯一の子として信じなさいと言ったのではありません。イエス覚者に会ったら、あなたはこう尋ねることができます。「あなたは神の唯一の子なのですか?」彼はこう言うでしょう。「馬鹿なことを言わないでください。パレスチナの唯一の神の子なのかですって? そんなことがあり得るでしょうか。誰もが神の子なのです。この世のあらゆる男女が神の子なのです。宇宙全体の中で、唯一の神の子などという存在がいるでしょうか?」

Q マイトレーヤによって特別に磁化されたテキサス州サンアントニオの水はまだ見つかっていないのですか。
A まだ見つかっていません。マイトレーヤがよいと思われるときに見つかるでしょう。

Q 「アンタカラーナ」と呼ばれるあなたの絵画について説明していただけますか。
A 弟子は科学的に瞑想するにつれて、頭脳から魂に向けて光の回路を築きます。その間、魂は同様の光の回路を魂から頭脳に向けて築きますが、さらに明るい性質のものです。瞑想の根本的な目的は人を魂と接触させることです。ほとんどの人にとって魂とは単なる概念にすぎません。信じる人もいるし、信じない人もいます。進化した男女は、魂を信じているだけでなく、魂を真我として知っており、真我とは真の自己であり、何度も転生します。瞑想の実践を始めるや否や必然的に魂と接触するようになり、魂との整列は次第に深まっていきます。この整列は、この絵画が表現しているアンタカラーナの創造を通して形成されます。上部にある明るい黄色の形は魂を表現しており、下部の暗い黄色はパーソナリティーを表しています。パーソナリティー、頭脳と魂との間にこの光の回路(アンタカラーナ)があり、それは瞑想を通して形成されます。