編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

輝き

編集長殿
(手紙は2004年12月着)
 ベンジャミン・クレーム氏のミュンヘン訪問の翌日、私は新しい住居での、サイレント・ヨガ呼吸教室を初めて開きました。前日の出来事で頭がいっぱいだったので、湖沿いを散歩することにしました。それは小春日和の日々の終わり頃で、空の晴れ渡った日でした。歩いているとベンチに行き当たり、そこでホームレスの男性が日向ぼっこをしていました。彼は目を閉じて両腕を胸の上で組み、足も組んでいました。彼の顔には穏やかな充足感と陽気さが表れていました。何か心に触れて、思わず笑みがこぼれましたが、私はそのまま歩き続け、この出会いについてそれ以上考えませんでした。
 その同じ日の夜、伝導瞑想のためにミュンヘンにいました。帰宅する途中で、長いエスカレーターを上っていくことになり、再びこの数日間の出来事について深く考え込んでいました。見上げると、散歩で見かけたホームレスの男性が反対側を下りてくるのが見えて、自分の目が信じられませんでした。この時も彼は胸のところで腕組みをして、まっすぐに前を見ていました。最初は一瞬、彼は病気かと思いました。けれども彼の瞳を見つめていると、その輝きに深く感動したのです。彼の瞳にどれほど心打たれたかは、とても言葉では言い表せません。心から感動を覚えながら、車で帰宅しました。経済的に非常に不安な時期でしたので、この出会いは私に勇気を与えてくれる、輝かしい祝福であったと感じました。あのホームレスの男性は特別な方でしたか。
アンティエ・シュテルン
ドイツ、トゥッツィング
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

次の3通は同じ人物からのものです。

内なる美

編集長殿
 (1)約半年前(1999年)、カルガリーにある地元のショッピングモールへ、お使いをしに向かっていました。中央の通路へ続く角を曲がった時、一人の年配の女性が反対側に座っているのに気付き、心の中で「とても美しい人だわ。彼女の所へ行って、あれほどお化粧をする必要がないと伝えるべきかしら?」と考えていました。その後、彼女が私を見ると、私は心の奥深くから溢れる愛に包まれたのです。「マイトレーヤ?」と思いましたが、私が歩き続けても、彼女は微笑んでいるだけでした。
 帰りがけに、彼女がモールの真ん中の噴水の近くで、ショッピングカートを持った、もう一人の人物と一緒にいるのを見ました。その人は右手を、最初の女性の心臓の辺りに持ち上げていました。その最初の女性は、今度は、私に母のことを思い起こさせました。同じ微笑み、同じエネルギーで、「大丈夫、順調ですよ」と言っているかのようでした。
 その二人から流れてくる愛は驚くべきもので、今日に至るまで私を支え、鼓舞してくれているのです。後になって、彼らに近づかなかったことを後悔せずにはいられませんでした。これはマイトレーヤとの出会いでしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その『年配の女性』がマイトレーヤであったことを確認した。もう一人の人物はイエス覚者であった】

一人ではない

 (2)私は最近、たくさんの疑問を持っているのですが、特にキャリアでの私の『行き詰まり状態』が保留中、あるいは泥沼化(!)ともいえる状況になっていることについてです。私はサティア・サイババに一通の手紙を書き、この件に関してと、成人後の人生のほとんどの間、私が自分自身に背負わせてきたと思われる個人的問題について、助けを求めました。このことの答えだと思えるのですが、2004年4月にボンベイから一人の男性がやって来て、グルジと名乗りました。神性との直接の接触を求めるべきで、他のグルやアバターと関わるべきではなく、そうした人たちは皆、仲介者を当てにしているとさえ言っていました。さらに、来る時代にますます転生してくることになる、彼のような大勢の人々のうち、彼は最初の人間だと言っていました。彼自身が直接、治癒や祝福を行いますが、彼のエネルギーもやはり喚起することができます。私は彼のことをどう考えたらよいかわからず、それは私の知る『スピリチュアル人名録』の中に、彼が当てはまる『区分』がなかったためでした。あなたの師はこの男性についてご意見がおありですか。彼はアバターですか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が覚者方の一人の『年少の』弟子であったことを確認した】

トライアングル

 (3)私たちは自宅で、数名の講演者による、キリストの再臨に関する講演会を開きました。私たちの伝導瞑想への参加者は、その後増えましたが、短期間で元の3人のメンバーに戻ってしまいました。私はある意味、このグループの発展を妨げているのでしょうか。私たちはとりわけ小さなエネルギー的一団なのでしょうか。私の伝導時間は、バカバカしいほどわずかだとわかっていますが、ちりも積もれば山となると思って続けています。私に見えていない、より大局的な視点があるのでしょうか。
E.R.
カナダ、カルガリー
【ベンジャミン・クレームの師は、この場合が小さなエネルギー的一団であることを確認した】