──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記、2010年1月10日
人類がマイトレーヤを見るとき、彼を認知しようがしまいが、人々は彼とそして彼の掲げることすべて──分かち合いと正義と平和──を支持することを、あるいは拒絶することを余儀なくされるように感じるだろう。かくして、「裂開の剣」はその定められた務めを果たすだろう。そのようにしてマイトレーヤは変化に対する人間の用意を知るだろう。偉大なる主は、彼らの一人として人間の前に現れて、人々が、彼の身分ゆえではなく、彼のアイディア(理念)の真理と健全さゆえに、彼に従い、彼を支持することを確実にするのである。
それでも、人々が彼をマイトレーヤとして、キリストとして認知しようが、あるいは単に、正義と平和を願い、すべての人間のための、より良い世界を願う自分たち自身の志向に一致する賢明さを持つ一人の男として認知しようが、それはどうでもよいことである。
徐々に、多くの人々がマイトレーヤをすべての宗教団体が様々な名前で待望していた御方として見始め、そのような名で彼を呼ぶだろうと推定しなければなるまい。ある者は「彼はイマムマーディに違いない」と言い、ある者は「クリシュナが再び来られた、法は成就された」と弁じたてるだろう。また他の者は「きっと彼はメシアだ、ついに来られたのだ」と言い、さらに他の者は彼をキリストとして、あるいはマイトレーヤ仏陀として見るだろう。すべてがこの方を、彼らの希望の成就であり、彼らの必要を満たすために来られた方、彼らの待望してきた方として見るだろう。
マイトレーヤはこれらの主張を肯定も否定もなさらないだろう。そして彼を認知できたと自認する彼のワーカーたちもそうすべきである。大宣言の日までは、マイトレーヤは御自身の本当のアイデンティティーもご身分も認めない(白状しない)だろう。
その輝かしい(大宣言の)日に、人々は、彼らの長い間の待機が無駄ではなかったことを反駁の余地なく知るだろう。そして助けは確かに手元にあることを、大教師はまさに、援助し、導こうとしておられることを知るだろう。彼は救い主としてではなく、兄としてやって来られて、われわれの惑星を救済するために、そして人間自身が彼らの人生と生活の仕方に健全さを取り戻すことができるように、先導しようとしておられることを知るだろう。
われわれの問題は多いが解決可能であることをマイトレーヤは示されるだろう。すべての解決法はすでにわれわれの手中にあることを、分かち合いという単純な行為のみが地球上のいのちをより良き方向へ変容させるパワー(力)を持つことを、示されるだろう。彼は人類の兄として、われわれの信頼を求めるだろう──彼が人類を定められた調和と愛の道以外の方向に導くことがないことを、人々は自分たち自身の恐怖以外に恐れるものは何もないことを、そして前方の道にはすでに神の青写真があることを信頼することを求めるだろう。
このようにしてマイトレーヤは至るところにいるすべての男女が関与する巨大な規模の変容に人間が乗り出すための道を容易にするだろう。それは人類を壮麗なる事業に着手させる変容であり、地球を太陽系同胞の諸惑星の中の正当なる位置へ復帰させる。