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ジェレミー・レント氏との対談 疎外に対する解毒剤

フェリシティ・エリオットによるインタビュー

ジェレミー・レント氏は作家、講演者、非営利団体「リオロジー研究所」の創設者である。著書『意味の網』の書評がシェア・インターナショナル誌8月号に掲載された。

シェア・インターナショナル(以下SI):あなたの本について、聞かれればどんなコメントができるだろうかと考えていました。次のものに落ち着きましたが、あなたはどのように思われるでしょうか。ジェレミー・レント氏の最新刊『意味の網:宇宙での私たちの場所を見つけるために科学と伝統的な知恵を統合する』は、疎外に対する解毒剤である、というものです。

ジェレミー・レント:素晴らしい描写の仕方ですね。この本の本質的なテーマは、現代の世界観がいかに分離だらけであるかということです。この本は、分離が人間の経験や文明の方向にとって危険で害悪があるということだけでなく、全く間違ってもいるということを明らかにしています。別の世界観があります──つながりという世界観であり、世界中の伝統的な知恵の文化だけでなく、現代科学も指摘しているものです。それは、個人としての私たち自身や、地球に関連してすべての種にとっての、信じ難いほど肯定的な前進の道を示している見方です。

SI:現在の支配的な現実観は危険だと述べておられますね。どうしてそうなのか説明していただけますか。

レント:最も明白な理由の一つは、その現実観が文明そのものを、私たちが一部である「生きている地球」との、このような信じ難い不均衡へと追いやっているということです。私たちは皆、この状況が今世紀になって突きつけている気候崩壊と恐ろしい危険のことを知っていますが、それよりもさらに広範なのは、私たちが引き起こしている生態系全体の破壊です。もし転換を図らなければ、何らかの形の文明の崩壊へと至るでしょう。それよりさらに重要かは分かりませんが同じくらい重要なのは、この惑星上のいのちの豊かさと多様性の多くの崩壊です。とてつもない規模で起こっているため、極めて危険です。
 しかし、それは一人ひとりにとっても危険です。幸福感を奪い去ってしまうからです。現代の消費文化は、私たちが人生に満足しないように設計されており、長期的な幸福の道から私たちを遠ざけます。

SI:広告や大量消費主義の仕組みはとても狡猾です。一つの側面は次のような宣伝文句です。「欲しいでしょう。必要でしょう。あなたはそれに値しますから、買った方がいいですよ」。人間のいのちの価値は、知らぬ間にそうした考えと結びつけられ、人々はつい買ってしまいます。

レント:それは全く真実です。本当の統合的な幸福を培うことを取り上げた章で、このことについて詳しく掘り下げています。幸福とは実際のところ何を意味するのかを見てみると、消費社会はまさしく幸福をかき乱すように設計されているということが分かります。もっと油断がならないのは、私たちが集団として生活し、何百万年もかけて発達させてきた特定の中核的な人間の特徴があるということです。私たちは強力な道徳的感情を発達させてきました──周りの人から敬意を払われたい、のけ者になりたくない、自尊心を持ちたいという欲求のような感情です。しかし、広告戦略家が行ってきたことは、そうした感情を分析して倒錯させ、社会の福祉について私たちが持つ感覚をかき乱そうとすることです──そのようにして、必要だと告げられる商品を購入することで自己有用感が得られます。しかも、感情のレベルだけでなく、甘いものや油っぽいものを求める生理的な欲求までも利用し、心理面にも同じ働きかけをします。今では、金もうけのためだけに、私たちの性質のこうした多様な要素を操作するための洗練されたアルゴリズム(一連の手順)さえも存在します──これは本質的に、私たちをコンシューマー・ゾンビ(次から次へと買い続ける消費者)になるよう仕向けるものです。

SI:そのとおりです!  それをお聞きしたところで、あなたの本の構成の話に入りたいと思います。とても魅力的な構成になっていますね。「私は誰か」という、ちょうどあなたが書き始めているところから話し始めるべきでしょう。私たちのアイデンティティー(独自性)が操作されていることについて話しているからです。

レント:この本は実際、いくつかの大きな疑問を中心に構成されています。「私は誰か」「私はどこにいるのか」「私は何なのか」「私はどのように生きたらよいのか」「私はなぜいるのか」といった疑問です。いずれの場合にも、こうした疑問に対する現代の主流の答えを見ていくと、その答えは科学的に間違っているだけでなく、有害であるということが分かります。それからこの本は、こうした疑問に対する異なった答えの可能性を探っています。
 「私は誰か」について検討するときは、現代の世界観が私たちに告げていることから始めるのが最適でしょう。それは実際のところ、デカルトの有名な言葉「我思う、故に我あり」で始まり、そして終わります。デカルトや彼に続く多くの人が述べたことは、私とはその思考能力であり、概念化する能力を持つ脳のその部分であり、知能テストで測定できる部分であるということです。それが本当の自分であり、「私」のその部分はこの肉体に宿っている。肉体は機械であり、私の思考を司る部分を支えるためだけにあるというのです。
 もちろん、もしそれが本当なら、動物は私たちのように象徴的な方法で考えることができないので、動物が実際のところ存在しないのは明らかだということになります。動物は単に、私たちが搾取する物的資源として存在するということになります。私たちは本当のところ、自分自身の肉体存在から分離し、自然界から完全に分離しているというのです。自然界のすべてはただ私たちのために存在するものと考えられます──私たちだけが真の存在だというのです。しかし、それが根本的に間違っていることを現代生物学は明らかにしています。
 私たちは確かに、デカルトが語ったその部分でありますが、「生きた意識」でもあります。私たちは生きた存在であり、それをすべてのいのちと共有しています。

SI:「生きた」という言葉は、意識や認識を意味するために使っているのですか。

レント:はい。知覚、感受性のことです。生きているすべての存在に内在するものです。現代生物学が明らかにしたのは、私たちが自慢することのある概念的知性よりも、この知覚は多くの点でずっと賢く、ずっと深く、より複雑であるということです。概念的知性は私たちの一つの側面にすぎません。氷山のてっぺんを見て、そこにあるけれども目に見えない広大な知性を考慮に入れないようなものです。
 知性を持つのは特定の動物だけではなく、樹木さえも知覚を持つことを生物学者たちは明らかにしています。樹木はおよそ30~40の異なった感覚を持っています──私たちよりも多く持っています。それらをすべて統合し、そうした感覚に基づいて一瞬一瞬、判断を下します。樹木は一種のワールド・ワイド・ウェブ(世界に張りめぐらされた網)の中でお互いに意思疎通を図ります──  一つの共同体として意思疎通を図り、資源を共有し、知性を共有しています。樹木だけではありません。細胞生物学者たちが発見したのは、すべての微小な細胞(人体にあるのはおよそ40兆個)には何十という通路があり、細胞はそれを通して周囲の状況を監視し、何を取り込み、何を外に出すかを決め、複雑な方法で自らを組織立て、周りの細胞の共同体と一緒に働いて、何をしたらよいかを決めます。それが自然界のすべてにある知性であり、私たちが共有しているものです。
 私たち自身のこうした二つの部分──生きた知性と概念的知性──を認識し、私たちとは統合された心身の知性だということを認識すれば、もっと統合的な人生を送り始めることができます。

SI:それをお聞きしたところで、あなたが取り上げている次の疑問、「私はどこにいるのか」に移りたいと思います。

レント:私たちが当然と見なしていること、つまり、私たちは連結していないバラバラの宇宙に生きているということを検討することから始めるのが最適でしょう。ここ数百年間、現代科学は、事物を理解するために事物を分析し、より小さな部分へと分解することを大がかりに行ってきました。それは還元主義です──あらゆるものをできる限り分解することです。私は還元主義に何の反感も持っていませんが、人々は宇宙全体を説明するのにこの方法を用います。私たちはバラバラの宇宙に生きており、分離した別々の部分を見ることによって宇宙を理解することができるといいます。現代科学はそうした概念を拒絶します。システム科学、複合科学、システム生物学、そしてネットワーク理論さえも、すべてが事物のつながりを調査する科学です。そうした科学が明らかにしたのは、事物のつながりが、事物そのものよりも理解にとってはるかに重要だということです。
 中国の「理」という概念は、仏教や道教、儒教を、宇宙を理解するための統合的な方法にした賢者たちの学派、朱子学派に由来します。宇宙は「気」から成っていると彼らは理解しました。気は、エネルギーと物質であると考えることができます。「理」は、すべてのそうしたエネルギーと物質が結びつき合って、私たちが経験するあらゆるものを形成する拠り所となる原理と考えることができます。同じように、現代において科学者たちは、いのちや全宇宙を創造するためにすべてのものが自らを組織立てるための原理を調査しています。そうした自己組織化の原理は、複雑なシステムを理解するための鍵です。複雑なシステムとは、私たち自身や私たちの社会、いのち全般のことです。
 ですから、「私たちはどこにいるのか」という疑問に対しては、複雑な、結びつき合った宇宙に生きているという答えになります。他のすべてのものが生きる拠り所となる同じ原理により私たちは生きています。何十億年もかけて発達してきたいのちの複雑さと、現代生物学が明らかにしているその複雑さにおける大きな飛躍はすべて、より良く協力する方法を学んだ異なる有機体から生じた飛躍でした──自らの技能と能力を分かち合うことによって、相互に有益な共生関係を発展させることができたのです。そうした共生関係は、いのちの豊かな多様性の基盤になるものです。

SI:あらゆるものには居場所や意味、目的があるということや、すべてが組み合わさっているということ、すべてが必要とされているということを、人々は理解し始めていると思います。私たちは不幸にも、自分たちが自然界に引き起こした破壊を通してこれを理解しました。連鎖の一つの小さな連結部を壊せばどうなるかを理解しています。
 私たちが誰であり、何であり、どこにいるかをいくらか知ったところで、あなたが問いかけたとても大きな疑問を扱うところまで来ました。もしいのちがそれ自体により自ら組織立つとすれば、「私はどのようにあるべきか、どのように生きるべきか」という疑問です。あなたのような多くの思想家はこう述べています。「今は極めて重要な瞬間である。私たちは移行しなければならない。変わらなければならない。この機会をつかむ必要がある」と。それでは、私たちはどのように生きるべきなのでしょうか。

レント:私たちすべてがこのような問いかけをすることが、これほど大切になったことはかつてほとんどありませんでした。またしても、主流の文化からは、自然界を最大限に搾取すべきだと聞かされます。別々の個人として、他のあらゆるものを犠牲にして、自分自身の幸せと自由を追求するためにどんなことでもすべきだといいます。そのようにしていると、何かの魔法によって、もっと効率の良い社会が創造され、すべての人が勝者になるというのです。

SI:こうした支配的な神話がどのように資本主義を益することになるかを理解しておられますね。こうしたアイディアは互いに完全にかみ合っています。

レント:おっしゃるとおりです。実際に、偶然ではありません。その二つがかみ合っているのは、存在論的に見て同じ根から形成されているからです。今日の私たちの価値観や経済、グローバル文化を駆り立てている世界観の鍵となる要素のいくつかは、17世紀以降、あらゆるものを変革した科学革命に由来します。ヨーロッパの数カ国が自国の利益のために世界を支配した際の資本主義、植民地主義をご覧ください。人種差別、白人優越主義さえも、すべて17世紀あたりにヨーロッパの同じ場所で始まりました。それらはすべて、同じ根本的な理解に由来します。つまり、採取、搾取はやってもよいことであるだけでなく、人間がやるべきことだという考え方です。
 他の生き方はあるのでしょうか。非常に多くの偉大な知恵の伝統が私たちに示していることを私は伝えているにすぎませんが、別の生き方は確かにあると私は信じています。それは、私たちが相互に深く結びついているという認識に基づいています。私たちは、いのちであるということや、周りすべてにあるこの偉大な生きた知覚の一部であることをいったん認識すれば、次に認めなければならないことは、私たちがすることの多くは人間優位の考え方に基づいているということです。人種差別の土台となっている白人優位だけでなく、自然界のすべてが私たちのためだけに存在するという考え方です。現時点においてより啓発されている人々でさえ、いまだに主流派が考えるように考え、次のようなことを思いつきます。私たちはもっと持続可能になる必要がある。そうすれば、数世代だけでなく、ずっと長く繁栄できるようなやり方で自然界を利用することができるといいます。それは地球を破壊するよりはましですが、アルネ・ネスの言う「エコロジカル・セルフ(生態学的自己)」についての理解へはまだ移行していません。アルベルト・シュバイツァーの言葉を借りれば、「私は、生きようとする大生命の只中にいる、生きようとするいのちである」ということです。彼は続けてこう述べています。「したがって、私はすべてのいのちに畏敬の念を抱かざるを得ないのである」と。「私たちはいのち全体だ」というような理解へと移行するとき、すべてのものとの関係の仕方が完全に変わります。
 世界を見て、人間には何か本質的に悪いものがある、と考える人もいます。私たちは地球上のがんだ、と。そんなことはありません。社会のがんは、非常に支配的になっている資本主義的搾取の世界観です。地球との共生関係を保ちつつ生活する方法を見つける方向へと、私たちは自然に引き寄せられているというのが本当のところです。先住民の文化では常にそうしてきました。仏教や道教のような伝統もそうしたことを指摘しています。

SI:ご存じのように、私はいわゆる「不朽の知恵」の教えの背景から語り、働いています。一つの根本的な教義は、分離は非現実だということです。それは科学的にも、哲学的にも、生物学的にも現実ではありません。分離は存在しません。人々はこのことを経験し始めています。あなたは疎外に対する解毒剤である、と述べることから私は話し始めましたが、私たちの多くはまさにそうした疎外に苦しんでいます──自然界からの疎外、お互いからの疎外に。私たちは今、いのちと関係し合い、居場所を見つける正しい方法を見いだす必要があります。

レント:確かに。私たちに希望を与えてくれるのは、そうするための既知の道筋があるということです。(植民地主義以前の)世界中の先住民の伝統は、自然界と関係する方法を見いだしていました。それは、人間と自然界の残りの部分が互いに恩恵を受ける共生関係でした。現代版は、古代からの伝統的な知識に啓発されつつも、現代の知識と技術を取り入れたパーマカルチャー(永続可能な農業をもとにした永続可能な文化)でしょう。そのようにして、自然界と闘ったり自然界を支配したりするのではなく、自然界と協力していくのです。これによって、人間が生態系と共に栄える状況がつくられます。私たちは生態系の中に組み込まれているわけですから。

SI:こうして、「私はなぜいるのか」という大きな疑問に至りました。

レント:私にとって、それは究極の疑問です。他のすべての疑問がそれにつながります。現代の見方がどんなものかを振り返ると、その見方はかなり悲観的です。ノーベル賞を受賞した物理学者、スティーブン・ワインバーグのような還元主義の科学者たちは、「宇宙について知れば知るほど、宇宙はますますつかみ所がなくなるように思える」と言います。彼やリチャード・ドーキンスらはこう言います。「まあ、そんなものですよ。選択をしなければいけません。何らかの空想的な『超自然的な』考え──神や霊、他の次元など──を信じたければ、信じてください。それで気分が良くなるのであれば。しかし、そういうものはすべて、でっち上げられたものだということを知った方がいいですよ。これが現実です。この現実と共に生きなければなりません」と。こうした実存的な絶望が現実であると私たちは教えられます。しかし、相互に深く結びついた場所として世界を見ると、私たちの人生の意味がそこから生じていることが分かります。意味そのものが、つながりの一つの働きだということを私たちは知っています。これは、知覚力のある存在として、意味への波長の合わせ方を通して私たちがこの宇宙の中で行っていることです。意味は、私たちの周りすべてに潜在しています。私たちには選択の余地があります。目を閉ざして、マヒ状態に陥ったままでいることもできるし、この宇宙に本来備わり潜在しているそうした意味に満ちた世界に精神を同調させることもできます。私たちがそうしたものとつながることを選択すれば、ですが。

ジェレミー・レント『意味の網:宇宙での私たちの場所を見つけるために科学と伝統的な知恵を統合する(The Web of Meaning ── Integrating Science and Traditional Wisdom to Find Our Place in the Universe)』プロフィール社、ロンドン、2021年6月

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです。

Q 私はカトリックで育てられ、若い頃には神を恐れるよう教えられました。神は私たちに怒っているのだろうか、という思いが私の心に生まれました。
(1989年11月27日、アメリカ、「インパクト・ラジオ」でのベンジャミン・クレームへのインタビューより)

A 全く怒っていません。人々は神が裁きに来ると思っています。マイトレーヤはこう言われます。「私は裁くために来るのではない。私は友人として、兄弟として、教える者としてやって来る」。彼は人類の長兄たちの中の最年長者です。彼は私たち、あなたや私のような人々の巨大なグループの長であり、私たちが──意識的であれ無意識的であれ──取り組んでいる進化の旅路を完了されました。私たちは何度も何度も転生して徐々に肉体を完成させ、アストラル体とメンタル体を完成させて、私たちの本性であるところの神性をますます反映させていきます。
 私たち各々は転生した魂です。魂は完全であり、神──私たちの惑星で神と呼ばれるもの──と一体です。魂の目的はこのゆっくりとした過程、転生に次ぐ転生の中でその器を自身の本性と融合させ、光を融合させて次第に原子構造に及ぼすことであり、弟子は原子から亜原子に変化して光となります。すべての覚者方は復活した身体を持っています。福音書の中の復活の物語は、弟子の完成の物語であり、キリストの再生誕、身体の右側のハートに位置するキリスト意識、キリスト原理の再生誕を通じて、完成された覚者として復活するという話です。復活は事実であり、イエスの生涯における福音書の物語全体は、誰もが経験するプロセスを象徴的に上演したものです。あなたや私も、その過程を経験するでしょう。

Q マイトレーヤは死すべき存在ですか。彼は人間ですか。

A 彼は実際、人間以上の存在です。彼は聖なる人間であり、あなたもそうであり、私もそうですが、問題は、私たちがそれを知らず、受け入れていないことです。彼は神聖でありその中身を知っています。神性の領域では、彼は非常に進歩し、非常に純粋なので、私たちが愛と呼ぶ聖なる原理、神のキリストの様相、神の息子の様相を体現することができます。この見地から、キリスト教徒は彼を神の子と呼び、神のひとり子と呼びます。なぜならキリスト原理は神の息子の原理だからです。しかし、彼は自分が神の無数の息子たちのうちの一人であることを知っています。私たちは皆、神の息子たちです。違いは、覚者方は自分が神の子であることを知っており、その神性を現しているが、私たちはその過程のどこかの段階にいるということです。

Q 無執着について考えるとき、普通は無関心や自己満足のことを思います。これがマイトレーヤの話されていることですか。

A 自己満足や無関心とは何の関係もありません。全く逆のことです。それは完全な関与、完全な共感、人類のために人類の中で働くことへの完全で絶対的な関心であり、同時に距離を置いて自分のしていることを無執着に行い、魂の真の性質である完全な利他性と共に働くことです。
 魂の界層では、分離というもの、「私」というものは存在しません。魂には私というものがなく、求められる利他的で無執着な見解と行動を植えつけています。ですから、しばらく存続して死ぬ壊れやすい肉体や、しばらく存続して死ぬ壊れやすい感情体や、肉体と同じだけしか存続しない知性体を自分と見なさないでください──それはいずれもあなたではありません! それがマイトレーヤの言われる種類の無執着です。

Q チャネリングについてどう思われますか。なぜ近頃こんなにも広まっているのですか。

A 一体、どうしてなのでしょうか。なぜならそれは容易で、よい稼ぎになり、チャネラーと情報や教えや何らかの啓発に飢えている人々の双方にとって満足のいくことだからです。チャネリングの大半はナンセンスです。
 このチャネリングは、世界中のどこよりもアメリカ合衆国で広まっていますが、19世紀にアメリカで始まった心霊運動の発展の結果です。その運動は、聖書の中のパウロであった覚者によってもたらされました。パウロは第3段階のイニシエートであり、現在はヒラリオン覚者です。それは死後の生命の継続を証明し、人類を死の恐怖からある程度解放するためにもたらされました。
 誰もが死を恐れるのは生命が続くことを信じないためです。この人生で終わりだと、死ねば終わりだと思っています。しかし、そうではありません。個人の意識は死後も完全に継続します。肉体が死ぬだけであり、肉体はあなたではありません。死ぬのは肉体だけです。その後もあなたはアストラル界でアストラル体として生き、もしあなたがイニシエートであれば、メンタル体でメンタル界に行き、プララーヤという、キリスト教で言う天国に至ります。アストラル界の低次のレベルを除いては「地獄」というものはありません。アストラル界の低次のレベルは確かに地獄と同様です。
 いわゆる「チャネリング」は、より知的なチャネラーの場合は、主にアストラル界の第5亜層から来ます。しかし、すべてのチャネリングは例外なくアストラル界からのものです。チャネリングの形態でこの世界に来るものはすべてが、チャネラー自身の潜在意識か、そうでなければ主にアストラル界の第5亜層からのものです。アストラル界には七つの亜層があります。
 これらの「教え」の中にはまともな、高度に啓発的なものさえあります。それらは人類に希望を与え、高揚させ、ある程度の啓発をもたらす価値のあるものですが、中には全く無意味なものもあり、アストラル界の地雷原を歩むには高度の識別力が必要です。
 覚者方がアストラル界を用いることは決してありません。アストラル界から来るものは覚者からのものではありません。私は特定のチャネラーを通して覚者がチャネリングしていると主張するグループを知っています。それは妄想であり、グラマーであり、ニューエイジのグラマーの最大のものの一つです。価値がないと言っているのではありません。すでに述べたように、一般的な意味で価値のある啓発的なものもありますが、それらはすべて例外なくアストラル界から来ています。
 アストラル界は錯覚の界です。覚者方にとっては、それは存在さえしません。それは人類のマインドの想念形成の過程によってつくり上げられたものです。私たちはアストラル界に覚者方についての私たちの概念やアイディアを投影し、それに波長を合わせることで再び自分自身にそれを投げ返しているのです。それが起こっていることです。それらは想念形態です。教えを与えているのはアストラル界にある覚者方の非常に固まった想念形態であり、それは高次のメンタル界から働く覚者方と接触していたイニシエートたち、ブラヴァツキーやアリス・ベイリー、ヘレナ・レーリッヒのような人々の元の教えを読んだ人々によってそこに置かれたものです。覚者方は意識のレベル、高次の界、コーザル界、魂の界から働いており、アストラル界に接触することは決してありません。

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

光のハート

 マニュエル・マガリャエスさんが撮影したハート形の写真(本誌2021年8月号)を見て、この写真をシェアしようと思い立ちました。この光でできたハート形は、2016年7月19日に自宅の居間の天井に現れました。1977年にマイトレーヤが現代世界にお入りになって以来、毎年その日には、いつも『記念日のお祝い』をしてきました。
 光の源を見つけようと両腕を振り動かしてみても、どこから来た光なのかわからないままでしたが、その時間にまだ太陽は出ていました。時折それが再び現れるので、私はいつも見るのを楽しみにしています。

アン・サリバン
米国、ニューヨーク州ロングアイランド

帰還の旅

 (1)1944年10月4日、ソビエト軍の侵攻のために私の家族はラトビアからドイツへ逃れ、ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルにある難民キャンプに連れて行かれました。そこにいた間、工場で勤務する人もいました。私は電気通信の訓練を提供されました。ちょうど15歳の誕生日を迎えるところでした。ドイツで2週間経つと、他の女の子たちのグループ(約20人)と共に、ドイツ東部のバルト海岸にあるリューゲン島に送られました。そこに到着すると、どのような訓練も受ける予定になっていないことが分かりました。私たちは溝を掘るか、あるいは同様の骨の折れる他の仕事をすることになると噂されていました。私はとても落胆して心配になったので、翌日、キャンプの司令官に会いに行きました。私は彼に自分の気持ちが変わったこと、まさにその日に15歳になったばかりで、家族と離れたくないことを伝えました。言い争いになると思っていましたが、そうなりませんでした。彼は私に、翌日キャンプを離れることができると言ったのです。
 翌日、私はシュテティーン鉄道駅に連れていかれ、移動用の食事のサンドイッチとブランデンブルクへ戻るための旅費を渡され、道順を教えられました。夕方になる頃、列車はベルリンに到着しました。私はベルリンで列車を乗り換えて、ボツダム駅でブランデンブルク行きの列車に乗らなければなりませんでした。車両はもう満員でしたが、身なりの良い年配の紳士の隣の席だけが空いていました。彼はネイビーブルーのギャバジンのコートのボタンを留め、ベルトも付けていて、黒いシャツとネクタイに黒い帽子を被り、黒い靴に黒い革の手袋という格好でした。列車の旅の間、私たちは会話を交わし、私がどこから来て、どこへ行くのかなど、その他のことについても話をしました。私たちはドイツ語で会話していましたが、彼はしばしば「知っている、知っている」と言っていました。
 彼は生き生きと輝く瞳をした優しい人で、実業家という印象を受けました。ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルに近くなると、すでに外は暗くなっていました。彼が「どうやってキャンプに戻るつもりですか?」と尋ねてきました。私は「分かりません」と返事をし、おそらく歩くことになると思っていました。彼が「いいかね、駅にリムジンと運転手を待たせています。あなたをキャンプまで送ります」と言ってくれました。それは完全に大丈夫だと思えて、車に乗せてもらうことに何の心配もありませんでした。駅の外に出ると、運転手の乗った黒のリムジンがその人を待っていました。私が車に乗ると、すぐに難民キャンプに送ってもらえました。その男性と運転手は、私が入り口を通るまでそこにいて、それから車で去っていきました。私の家族は、ブランデンブルクのもう一つの難民キャンプに移動したことが分かりました。翌日、私は家族と再会し、私が帰ったことで皆が大喜びでした。リューゲンから逃げ出して、ブランデンブルクに到着すると、すぐにリムジンで駅からキャンプまで戻れたなんて信じられないくらいだったのです。
 これでお終いとなるところでしたが、彼との話にはまた別の展開があります。54年後の1998年の誕生日に、私はドイツでの私の15歳の誕生日と、私を助けてくれた素敵で親切な男性のことを考えていました。終戦時には彼に何も悪いことが起こらないようにと願っていました。その日の夜遅く、私はベッドに入って少し読書をしようと思っていました。夜の静寂の中で、優しい足音が家の中を通って、私の寝室へ近づいている気配を感じました。どういうわけか私はパニック状態にもならず、恐ろしくもありませんでした。足音が近くなり、私が列車で出会った男性が歩いて入ってきました。彼が近寄ってきてベッドの端に腰を下ろしました。私たちはただお互いに見つめ合い、私は驚きのあまり何も話せなくなりました! しばらくすると彼は立ち上がり、壁の中へと消えていきました。彼が消えてしまったので、イエス覚者だと分かりました。彼が去って行く時に、わずかに顔に微笑みを浮かべていて、彼に気づいたことを知ってもらえたのだと分かったのです。
(1)それはイエス覚者だったのか確認していただけますか。(2)リューゲンから脱出する時に、助けていただきましたか。(3)運転手はどなたでしたか。

【ベンジャミン・クレームの師は、(1)その『列車の男性』がマイトレーヤであったことを確認した。(2)そのとおり、マイトレーヤからの助けであった。(3)イエス覚者であった】

アストリダ・カニェプス
ニュージーランド、クライストチャーチ

2021年9月号目次

 

覚者より
人間の責任
ベンジャミン・クレーム筆記

今月号の内容概説

視点
「貧困は政策上の選択である」
ジェイク・ジョンソン

すべてのいのちとの正しい関係——選集
Right relationship with all Life — a compilation

パンデミック以降、飢饉的な状態に苦しむ人々が6倍に増加

奉仕——「再教育、再建設、そして変革」
マイトレーヤのメッセージ 第13信

奉仕への召集
ベンジャミン・クレームの師

地球のバイタルサインが危険な「転換点」に到達しつつある
ジュリア・コンリー

青年活動家が国連初のフード・システム・サミットを実現する

「あなたは確かに知っているから」

時代の徴
「霊的使命を帯びてここにいる」

フクシマから10年——第二部
松本まり子

隠れたエネルギー ークリーンで健全な世界への希望
ジーン・マニング氏との対談

フランシスコ教皇:分け与えること

「編集長への手紙」希望と平和の徴 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

人間の責任

──覚者より
2011年3月13日、ベンジャミン・クレーム筆記

 太初(はじめ)のときから、人類はわれわれの住処なる惑星の自然の騒乱を恐れた。想像し難い狂暴さを持つ地殻の激変によって、繰り返し、繰り返し、地球の表面の巨大な部分が破壊された。多くの人々にとって、この事実を受け入れることは難しく、多くの宗教人の心(マインド)に神の人類に対する愛の真実性について深刻な疑問が持ち上がる。地震や津波などで何千人もの人々が殺されるのを許す慈愛深い神を信じることができようか? もし人類がそのような惑星的破壊に彼ら自身の関わりを理解するならば、その出来事を防止するのに大きな役割を果たすことができるのである。

 地殻は長い年月にかけて変化しており、単一に平均的に世界に広がっているのではない。よく知られているように、それは異なった深さの様々なプレートの形をとっており、それらは重なり合い、相対的に絶えず動いている。プレートの端や断層ラインの上や近くにある国や街は地震や、海に近い地域では津波に、絶えずさらされる。神の愛が人類を守れないという問題ではなく、地震による圧力であり、それは解き放たれなければならない。では、何が、そのような大きな破壊に至るまでに地震の圧力を増大させるのかと問うかもしれない。

 デーヴァエレメンタル(あるいは天使的フォース)がこれらの巨大なエネルギーを働かせる、あるいは緩和させるメカニズム(仕組み)を管理するのである。地球は生きた存在であり、これらのフォース(エネルギー)の影響に様々な方法で反応する。一つの大きな影響は人類から直接来るのである。人類が、その通常の競争心で、戦争や政治、経済危機を通して緊張をつくるにつれて──すなわち、われわれが平衡を欠くとき──、デーヴァ界も平衡を欠くのである。その必然的結果は、地震や火山の爆発や津波である。責任はわれわれにあるのである。

 では、この破壊の周期を終わらせるにはどうすればよいか。人類は方法手段を持つのだが、これまでは変えようとする意志を持たなかった。われわれは自分たち自身をひとつとして見なければならない。一人一人が神の反映であり、兄弟姉妹であり、唯一なる御父の息子や娘たちである。われわれはこの地球から戦争を永久に追放しなければならない。われわれはこの惑星の資源を分かち合わなければならない、それはすべてに属するのである。われわれはお互いに調和した未来を知るようになるために、惑星自体と調和して生きることを学ばなければならない。

 マイトレーヤは人間に道を示し、人間の活動を活気づけるためにやって来られた。世界中で、人々は彼らの声を見いだし、正義と自由を呼びかけている。多くの人々が自由と正義に対する彼らの天与の権利を主張するために死んだ。マイトレーヤは、至るところにいるすべての男女が自分たち自身を、マイトレーヤが彼らを見るように、神として、神(神聖なる存在)の聖なる息子、娘として見ることを呼びかける。

今月号の内容概説

 現在のニュースの見出しを見れば、なぜこの惑星とその住人はこれほどまでに苦しんでいるのだろうか、と人々が思うのも無理はないだろう。恵み深い神への信仰は浅はかで愚かだということを今日の状況は示唆しているのだろうか、と多くの人が疑問に思うかもしれない。「人間の責任」という記事の中でベンジャミン・クレームの師は、私たちを苦しませている圧倒的な外的出来事と、この状況における私たちの役割とを結びつけている。これらは、断然、「神の働き」でも「自然災害」でもなく、私たち全体の行く手に立ちはだかっているものなのかもしれない。覚者は、すべてのいのちの相互のつながりを明らかにしている。私たちは、原因と結果の法則を生きており、私たちがその原因であることを理解し体験し始めている。幸いにも、覚者は慰めと解決法も提示しておられる。私たちはその両方をつかみ取るべきである。「われわれは自分たち自身をひとつとして見なければならない。一人一人が神の反映であり、兄弟姉妹であり、唯一なる御父の息子や娘たちである。……われわれはお互いに調和した未来を知るようになるために、惑星自体と調和して生きることを学ばなければならない」

 今月号のすべての記事とレポートは、肯定的な変容の可能性を提示している。私たちは、生態系を調査し、より公正な方法を見つけることができる。どのような不正義と苦悩が続くのを許しているかをはっきりと見定めることができる。この惑星の未来を確かなものにするために、より良い、より精妙なエネルギー形態を選ぶことができる。自然を回復させ、世界資源を分かち合うことを選択することができる。すべての人とこの惑星を益するために、いのちのあらゆる様相に奉仕し、あらゆる様相を救い、拡大させることができる。なぜか。それが将来の青写真だからである。そのために、世界教師マイトレーヤは今ここにおられる。「マイトレーヤは人間に道を示し、人間の活動を活気づけるためにやって来られた。世界中で、人々は彼らの声を見いだし、正義と自由を呼びかけている」

 ニュースの見出しを見て、人々と惑星の両方の苦しみを体感し、次のことを確実に理解しなければならない。今こそ、私たちの声に、知性を加え、責任を取り、私たち自身のすべて、持っているものすべてを、地球上のすべてのいのちの必要に奉仕すべき時であり機会であるということを。

すべてのいのちとの正しい関係――選集

    Right relationship with all Life ──  a compilation

「すべてのいのちとの正しい関係」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。引用文は、マイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻と第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

マイトレーヤは、誰も──すべての男性、女性、子供──が、この惑星そのものを維持することを世界の第一の優先事項として見なければならないと言われました。

(『協力の術』)

 早晩、人間は下層王国(動、植、鉱物界)との関係の真のあり方を理解するようになり、彼らの進化のために世話係の役割を喜んで引き受けるだろう。これが飼育業や農業、林業、漁業のすべての面における変容につながるだろう。今日の方式
 ──森林と土壌の略奪、やせた土地の過度な耕作、多種の動物や魚類の貪欲で無謀な捕獲、これらは永遠に消え去るだろう。
 自然の恩賜に対するこの不浄な戦いに、直ちに停止の号令がかけられねばならない。人はもはや大地と水を毒することを許してはならない。それは人間と動物を同様に脅かすものである。運動および空気と日光に浴する基本的権利を抑制するような飼育の方式に携わることは、もはや適切でない。実験のための数え切れない生物のむごい利用の仕方は、より健全な方法の研究と知識に道を譲らねばならない。
 今日、多くの人々がこれらの問題に関心を寄せ、変えることを呼びかけている。人間の心は正しい方向へ動いており、何ものもこの勢いを止めることはできない。しかしながら、世界の生態均衡を維持するためには、直ちに非常に大きな変化が必要である。
 地球が、生きている存在として、その全体にとってそれぞれ欠くことのできない各部分をすべて整えた完全な存在として見なされるとき、新しいビジョンと新しい正常さが普及するであろう。人間は自然の秩序の世話人として自分たちを見るようになるだろう。大計画に沿って、人類の上位も下位も、それぞれの王国が関連し合い、和合と美の中に機能することを前もって定められているのである。

(『覚者は語る(Ⅰ)』─人間の役割─より)

 今日の人間の問題は、人間自らがつくり出したものである。これは常にそうであり、神の計画に内在するものではない。天与の自由意志を誤用し、人間は自分たちの未来を、そして動植物界の未来を危難にさらしている。多くの者が、今日、これに気づきはじめ、破局をさけるために出来る限りの手段を取りつつある。これは良いことである。しかし勢いを増しつつ人類に直面してきているこの危険を、すべての人間が知るわけではない。人間の真の役割と目的に適った世界を再建するために、残された時は短い。わたしの役割は、あなたがたに道を示し、可能性を描くことのみである。新しい世界は、人間自身によってつくり上げられねばならない。

(『いのちの水を運ぶ者』第12信より)

 最近の異常な気象状況──地震、ハリケーン、洪水──は彼の到来に伴っている。これらの災害は大体において、人類の間違った思考と行動の結果である。これらは起こる必要はないのである。「神の采配」ではない。それは原因結果の法則、またはカルマの法則の下で起こるのである。われわれが地球上での生活の中で混乱や不均衡をつくり出すにつれて、われわれは自然界にも影響を及ぼすのである。森羅万象のすべての原子は互いに連結している。どこにも分離はない。

(『世界教師と覚者方の降臨』)

 この世代が直面している最も重大な問題は生態系の不均衡であり、それが地球の膨大な領域を脅かすことを人類が認識する時が間もなくやって来る。知ってのとおり、この問題がどの程度のものかについて人間の意見は分かれている。しかし、この生態系のジレンマを真正面から直視して対処しない限り、多くの者にとってその将来が危ぶまれる。
 間もなく、多くのグループがこの危険の深刻さに気づくだろう、そして年毎に、彼らは大災害に近づいていく。地球温暖化によって放たれたエネルギー(フォース)は、今や人間が使用できるコントロールの装置をはるかに超えている。
 だから、まだ少し時間がある間に、注意して聴きなさい──海の水位は容赦なく上昇しており、しかも人間は、のんびりと、彼らの将来を賭けている。

S.O.P. ── Save Our Planet(我らの惑星を救いなさい)。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─理性への呼びかけ─より)

 人の道とは、同胞愛であり、密接な協力と相互の信頼であり、奉仕であるということを示そう。これが唯一の道である。他はすべて失敗に終わった。我が友よ、もしこれをなさなければ、人間はこの地上に存続し得ないのである。脅しているのではない。真実を述べているに過ぎないのである。時間は残り少ない──自然とこの世界との間に均衡をとりもどす時間は。

(『いのちの水を運ぶ者』第12信より)

デーヴァ・エレメンタルとは何ですか。

 それは自然現象を管理し組織する自然の勢力です。エネルギー勢力であり、人類の想念に反応します。私たちの想念が安定していれば、それも安定しています。今日のように私たちの想念が破壊的で混乱していれば、デーヴァたちも混乱します。それは世界の気象の完全な歪みとなって現れます。例えば、それまでは決して起こらなかった場所で洪水や大地震、火山の噴火、大雨が起きたり、それまでは正常だった場所に干ばつや台風が訪れたりします。これらの現象は昔からありましたが、一定のパターンを持っていました。
 しかし、今では世界の気象に決まったパターンは存在しません。私たちが──共に平和に生き、世界の資源を分かち合い、それによって世界に調和を生み出すことで──安定した状況をつくり出すとき、デーヴァたちも元の状態に戻り、もう一度安定を取り戻すでしょう。それらは人類の想念に速やかに反応します。

(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』)

 世界のすべての人が汚染や地球温暖化、海面の上昇などの大きな問題の影響を受けています。協力を通してこうした問題に取り組む必要があります。他の方法はありません。それは自分に関係ない、と言うことができる人はいません。地球上のいのちが脅かされています。

(『協力の術』)

 地上に存在する苦難はすべて人間がつくり出したものである。人間自身が進化のパターンを乱す。マイトレーヤは軍隊に告げる。「家屋や橋などを破壊するためにハイテクの戦争機器を使い、無実な生命を破壊するとき、あなたたちは破壊のエネルギーを解き放つのである。この同じエネルギーが自然界の要素に影響する」

(『いのちの法則』)

 私たちは無害であることを、自分自身および周りの環境(これは他の人々や惑星全体という意味ですが)と平衡を保って生きることを学び、自分たちの周りに平衡をつくることを学ばなければなりません。私たちが貪欲で、利己的で、競争に満ちているとき、必然的に私たちは不調和をつくり出します。そうすると、天候、海洋、雨などをコントロールするデーヴァたちは平衡を失い、世界中に今のようなとても異常な気象パターンがつくり出されます。それはある程度、私たち自身の不均衡の結果です。私たちは分離しているという錯覚を抱いていますが、宇宙には分離はありません。個々の原子は宇宙のあらゆるところの他の原子に関連しています。ですから、私たちが行うことで、世界の他のどこかに、あるいは自分自身の人生に、善きにつけ悪しきにつけ、影響しないものは何もありません。

(『大いなる接近』)

 人間は自分たちが住むこの惑星に対する責任を自覚せねばならない。人間は、強くはあるがしかし敏感な有機体の世話人なのであり、それを害から守らなければならない。これを行っていると主張できる者は今日ほとんどいない。それどころか、人間は自然界の豊かな寛大さを濫用し、その上を土足で踏み荒らす。多くの者がこの問題に目覚めつつあることは本当だが、それがすべての者の関心事として理解されて、世界的規模で取り組まれるようになるまで、方向を転換させる上での進歩はほとんどないだろう。
 もし人間がこの差し迫った困難を無視すれば、それが人類にとってどれほど危険かを、マイトレーヤが心に留めていることは確かである。マイトレーヤはすべての人間がこの惑星の復興のために働くことを促されるだろう。そしてより簡素な、より幸せな人生への道を指し示されるだろう。
 再びこの惑星が健康を取り戻すとき、それは、気遣いと愛をもって接する者すべてにその恵みを与え続けるだろう。下位王国(動植鉱物界)のエレメンタル(精霊)は彼らの任務を良くわきまえている。人間の無秩序の思考の影響から解放されるとき、これらの勤勉なビルダー(建造者)たちは、調和のうちに、新しい、より良い世界を創造することができる。

(『覚者は語る(Ⅰ)』─偉大なる母─より)

奉仕―「再教育、再建設、そして変革」

親愛なる友よ、このようにして再びあなたがたと共に居ることをうれしく思う。

わたしの使命は計画通りに進んでいる。すべてが順調にいけば、あなたがたはもうすぐわたしの声を聞くであろう。それまでの間、次のことを言っておく──人類は道に迷い、神が用意なされた道から遠く離れてしまった。このことを悟り、祈り求め、そして光に向かって働く者が、今日世界に多く存在する。しかし盲目で災難に向かって突っ走る者は、さらに多い。わたしの計画は、この無鉄砲な突入を止め、情勢を一変させることである。

わたしの存在が、すでに人の思考に、人の心に、変化を起こさせており、人々はこれを不思議に思っている。わたしの努力は、表面には見えないが、すでに効果をあげている。人間は再び、真理に、神である法に、心を向け始めている。

わたしに「新しい時代」への道を示させてください。もし望むならば、あなたがたのものとなすことの出来る栄光の輪郭を示してあげよう。人間は神と人とに奉仕するために創られており、正しい奉仕を通してのみ、神への道を歩むことが出来るのである。再教育、再建設、そして変革の仕事を、あなたがた自身の任務としなさい。

人間一人ひとりが燈台であり、その灯を同胞のために遠くまで照らすのである。あなたのランプの灯を明るくともし、輝かせ、道を示しなさい。一人ひとり、すべてが必要である。この世界を救済し、復旧するためのこの偉大な計画に参加するのに、小さすぎる者も、若すぎる者もいない。これをなす決意をしなさい、そしてわたしの援助があることを確信しなさい。

如何にして始めるか。あなた自身を、あなたのすべてを、世のために、至るところにいるあなたの兄弟姉妹たちのために、捧げることから始めなさい。一日たりとも真の奉仕の行為をなさずに過ごすことのないようにしなさい。そしてわたしの援助があなたに与えられることを確信しなさい。奉仕の道こそ、真なる人としての唯一の道である、なぜなら、この道は神につながる道であるから。

わたしの民は、わたしの周りに集い、わたしの呼びかけに応え、彼らが想像し得ないほどの成果をあげている。一緒に新しいより良い世界を創ろうではないか。わたしの呼びかけがあるときに、あなたがたの心は開いて、用意ができているように。わたしの祝福をあなたがたすべてに授ける。

唯一にして最も聖なる神の光と愛と力とが、あなたがたの心(ハートとマインド)の裡に在るように。この光と愛と力とが、あなたがた自身であるところのもの、神の真なる子供達となるようにあなたがたを導くように。 

マイトレーヤのメッセージ 第13信、
ベンジャミン・クレーム 伝、1978年1月19日

奉仕への召集

 奉仕への召集がかけられるとき、真剣な弟子にとっては、提供されたその機会を両手で掴みとることが必要である。召集が二度繰り返されることはめったにない、なぜなら覚者たちは浪費する時間を持たないから。「多くの者が召集されるが、選り抜かれる者は少ない」という言葉があるが、それは「多くの者が召集されるが、応える者は少ない」と解釈されるべきである。

 大いなる奉仕において、さようである。選り抜かれた者のみが、大計画に仕える機会が授ける祝福を認識する。奉仕は神聖なる義務であり、弟子たちにとってこの地球上における逗留を何転生も短縮することを可能にする。多くの弟子たちがこのことを知っているのだが、最も軽い任務にさえ尻込みする。多くの者が、昔、自分がたてた誓いを忘れて、心の裡に感じる不安を無視する。覚者たちが悲しげに頭を振りながら、(召集を)待っている光(弟子たち)の中を再び捜し求めるのは、いわれがないわけではない。

 奉仕する者すべてが、自分が奉仕していることを自覚しているわけではない。魂の、覚者の呼びかけに対する彼らの反応は非常に本能的であり、彼らは躊躇することなく大胆に飛び込む。彼らは非常に非自己集中的であり、世界の必要のみが彼らの唯一の関心事である。彼らは息をするように奉仕する。しかし、時代の必要に関連した奉仕をする者は非常に少ないのである。内界にいる覚者たちは、いくらかでも大計画を知る者たちを、そして自分が優先すべきことについて健全な考え方を持つ者たちを、捜し求める。わたしたちは、強い熱意を持ち、愛と犠牲で燃え立つ心(ハート)を持つ者を捜す。そのような勇敢な者たちをわたしたちの直中に迎え入れて、喜んで奉仕の分野を提供する。そうして、わたしたちは脇へ寄って見守る。繰り返し繰り返し、彼らの当初の喜び勇んだ歩みは遅くなり、そしてためらいがちになるのである。彼らの明るい期待はあまりにもしばしば倦怠と疑いに変わり、高尚な志向は萎え、そして消滅する。

 これらの悲しい出来事の中に、信の欠乏が不気味に浮かび上がる。信なしには、永続するものは何も達成されない。ただこの特質を欠いたために、これまでに多くの有望な弟子たちが失敗した。時代を通じて、様々な教えが信の必要性を強調してきたのは、いわれがないわけではない。信は奉仕のまさにハート(中心)として考えられてきた。

 信とは、盲目的な受け入れや単に信じることを意味するのではない。それとは逆に、本当の信とは、直観が、魂の声が内的な認識を促すときにのみ生まれるのであり、あらゆる反論を乗り越えて、心(ハート)があなたに告げるのである──これは真実だ、と。その瞬間が訪れるとき、この新しく見いだした真実をしっかりと握りしめて、そして『そこに留まっていなさい』。

 妬みや疑いの声があなたを攻め立てるとき、落ち着いて自分の任務を固守しなさい。あなたの心(マインド)はあなた自身に属するものであり、何を考えるべきかをあなたに指示する権利を持つ者は誰もいないことを覚えておきなさい。
 賢明なリズムを培いなさい。それが奉仕の自然な拡大を可能にするだろう。時々思い出したように奉仕をすることを慎みなさい。なぜならそのようなやり方では、勢いはみな失われてしまう。あなたは大計画に奉仕するためにここに存在するのだということを覚えておきなさい。あなたは気づかないだけであって、それがあなたの魂の願いである。あなたが自分の魂との接触をつけていくにつれて、経験の客観化が起こりはじめる。魂は好みも欲望も持たない。その目的と一致調和するものとだけ交わる。その目的とは、進化の大計画に最大限に仕えることである。

 覚者たちの影響が学習と経験の分野を提供する時がやってくるだろう。それによって、いま門口に立っている者たちが光と知識の領域に入り、自分自身で本来の己の姿を知るだろう。多くの者が新しい時代の創造を待っている。それは現存の機構に深遠な影響を及ぼすだろう。奉仕し、そして成長しなさい。奉仕し、そして成長することがあなたの人生の基調となるべきである。

        
(ベンジャミン・クレームの師、
シェア・インターナショナル誌1991年9月号)

「あなたは確かに知っているから」

「プロアクティバ・オープンアームズ」は、海上での探索救難(SAR)に専念するスペインの非政府組織(NGO)である。このNGOはレスボス島に恒久的な基地を持つだけではなく、エーゲ海や地中海中央部で救助活動を行っている。サビナ・クレシが、本誌のためにプロアクティバ・オープンアームズのマール・サベ氏にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI):オープンアームズはどのようにして始まったのですか。
マール・サベ:オープンアームズは一枚の写真に応えて始まりました。それは、2015年9月にトルコの海岸で遺体で発見された3歳のアラン・クルディちゃんの写真です。当時、スペイン東岸のバダロナを拠点とする海難救助会社を経営していたオスカー・キャンプスは、その写真がメディアに出された日に11歳の娘と一緒にいました。娘はオスカーに対して、彼がライフガード(水難救助員)であるのに、なぜ海岸に亡くなった子供がいるのかと尋ねました。オスカーは自問しました。「何が起こっているのだろうか。自分はライフガードであるが、亡くなっていく子供がいても、自分は何もしていない」
 そして、彼と会社のもう一人のライフガードはギリシャのレスボス島に行きました。スペインや他のヨーロッパの人で、レスボス島で何が起こっているのかを知る人は誰もいませんでした。彼らに分かったことは、想像よりもはるかに酷いものでした。そこには、NGOや政府関係者など、人々を救う人は誰もいませんでした。このことがはっきりと分かったのは、2015年10月28日にギリシャで最悪の難破事故に直面した時でした。400人以上の人が乗った船がエーゲ海で転覆しました。オープンアームズのわずか4人のライフガードと何人かの地元の漁師がそこに行き、乗船していた人々を救助しました。漁師は網を使って海中から人々を救出しました。しかし、多くの人が溺死してしまいました。
 ギリシャ政府は次の日、死亡者はわずか5人であったと発表しました。オープンアームズのライフガードは、それが真実でないと知っていました。彼らは人生で初めて、誰を救うかを選ばなければならなかったのです。起こっていることを世界に知らせなければならないと悟りました。もちろん、海の中では誰もいなかったので、そうしなければ誰も知ることはなかったからです。そのためオープンアームズは、乗船しているジャーナリストにその任務についてすべてを語り始めたのです。コミュニケーションは活動の非常に重要な部分です。
 オープンアームズは、決してあってはならない存在です。その目標は常に変わらず、無くなることです。しかし、オープンアームズの船が外洋に出るときは、いつでも手遅れです。各国政府が関わりを持ち、移民する人々を守るべきだと思います。

S I:オープンアームズの活動中に、地中海の状況に変化はありましたか。
サベ:はい、状況は悪くなりました。2015年には、エーゲ海の状況は非常に困難でした。多くの人がギリシャの海岸に辿り着こうとしていました。オープンアームズは、毎日何千人もの人々を援助していました。そして2016年3月には、欧州連合はトルコとの間で、60億ユーロと引き換えにEUへの非正規な移民者の流入を制限する協定を締結しました。ギリシャの海岸に辿り着こうとする人の数は、すぐに1日に数千人から数十人に落ちました。オープンアームズは、必要な場合に備えて現地にチームを一つ残していましたが、必要がより大きな地域に活動を集中することを決定しました。
 地中海中央部の移民ルートは世界で最悪の移民ルートであり、当然の選択でした。わずか4カ月の内に、オープンアームズは1万5,000人以上の人々を救助しました。当時は複数のNGOから13の船が来ており、すべてがイタリアの湾岸警備隊と協力していました。これらすべてのNGOが一緒に、そして各国政府と協力してよく働きました。彼らは多くの人の命を救い、保護することができました。
 しかしながら現在では、このルートにはオープンアームズの船が一つあるだけです。なぜでしょうか。それは関係各国の政府が、基本的には政治的理由で他のNGOの活動を強制的に停止させたからです。オープンアームズは人々の命を救うだけではなく、何が起こっているのかを世界に伝えているので、政府はオープンアームズに出て行って欲しいのです。
 ヨーロッパは現在、何が起こっているのかを知りたいと思っていません。もしヨーロッパの人々が知れば、それについて何かをしなければなりません。そこはヨーロッパの海岸であり、それはヨーロッパの責任です。ヨーロッパに流入する移民を防止する条約に調印したヨーロッパの国々は、彼らが来ないようにすることにも取り組んでいます。そのため、オープンアームズは歓迎されていないのです。それは、オープンアームズがなぜ多くの困難に直面しているかという理由でもあり、その困難は年々大きくなっています。そして現在、新型コロナウイルスにより、すべてが悪化しています。移民者がコロナウイルスを持っているかもしれないという言い訳を各国政府が使用できるからです。オープンアームズは、それぞれの任務の前後で乗船するすべての人に検査を実施していますが、乗組員が次の任務を開始できるようになる前に、2週間の検疫期間を強制しています。これは、オープンアームズのすべての船に適用されます。(移民者は他の船で、または上陸後に検疫を受けます)

S I:オープンアームズが救う人々には、あらゆる年齢の人がいますか。
サベ:今はそうではありません。ギリシャでは[2015年には]様々な年齢の人がいましたが、現在では違います。オープンアームズが出会う移民者は何年も旅を続けてきた人々であって、拷問や迫害を受け、泥棒に合い、レイプされてきた人々だということを理解する必要があります。最後までやり抜く人々は最も強い人々であり、残念なことにすべての人がやり抜く訳ではありません。私たちは多くの子供を救助しており、それはもちろん悲惨なことです。オープンアームズの最後の任務では6カ月の赤ちゃんが救助されましたが、その男の赤ちゃんは2時間の心臓蘇生の末に結局は亡くなりました。残念なことに、妊娠した女性もたくさんいます。その多くはレイプされた結果です。それは狂気の沙汰であり、本当に辛いものです。

S I:オープンアームズは、より良い生活を求めて移民する人々の他に、戦争や紛争から逃れる人々にも遭遇しますか。
サベ:人がなぜ逃れるのかは、オープンアームズとは関係ありません。あなたがロンドンに行って英語を学ぶ権利があるのなら、なぜこのような人は、行きたい場所に行き、したいことをする権利を持たないのでしょうか。

S I:オリジン・プロジェクトは、現在オープンアームズの活動の大きな部分です。その目的は何ですか。
サベ: オープンアームズが始まったとき、救助した人々を最も近い安全な港に連れて行くことができませんでした。船にはその港に入港する準備がなかったため、何時間も離れた場所に行きました。後に(2017年)オープンアームズは船を取得し、それが可能になりました。その結果、オープンアームズの人員は、救助した人々と一緒に時間を過ごしました。多くの人は戦争中ではない国、どのような形でも紛争中ではない国から来ました。これは、戦争中であるシリア、イラク、イエメンから来てギリシャで救助された何千人もの人とは対照的でした。
 オープンアームズのボランティアは、セネガル、モーリタニア、コートジボワールから来た人々に、もし旅の行き先がリビアだろうと知っていたら国を出ていたかどうか質問することを始めました。リビアは完全な地獄です。そこでは人が奴隷として売られ、拷問され、レイプされます。このことはリビアにいたことのある多くの組織が示しており、ジャーナリストが非難しており、オープンアームズが救助するすべての移民者がこれを確認しています。オープンアームズのボランティアは、このような移民者に次のような質問をします。「もしこれらすべての問題と遭遇すると知っていたら、砂漠を横断しなければならないと知っていたら、あなたは家を出ていましたか」。彼らは知らなかったと答えました。もし知っていたら、絶対に国を出ることはなかった、絶対に旅を、少なくともこのような形で始めることはなかったと言いました。オープンアームズは、この情報を知らせる必要があると考えました。砂漠で起こることを誰も話しません──それは広く知られていません。しかし、多くの人が砂漠で亡くなっているのです。
 そのためにオープンアームズは、オリジン・プロジェクトを開始したのです。オリジン・プロジェクトは、移民問題に長年取り組んできた、移民者が出発した国の地元NGOとの協力関係をつくり出します。人々がこの旅に出れば遭遇することが予想されることについてうわさを広めるのに役立つよう、手段や戦略、方法論は共有されます。地元企業との協力で経済的な機会が生み出され、移民とは別の選択肢を提供します。通常の移民に関する情報も提供されます。しかし、オープンアームズは、人々に何をするのかを伝えるわけではありません。彼らは自由に判断を下さなければなりません。

S I: 欧州連合はドローンを購入して地中海で飛ばし、そこで何が起こっているかを観察しています。(1) あなたはEUが何をしようとしているのかをご存じですか。
サベ:2013年にランペドゥーザ島の近くで大規模な難破事故がありました。イタリア政府は乗船していた人々を救うことが可能であったのに救わなかった、とする報告書を国連は発表しました。移民分野で法的義務の遂行を怠ったとして国連がヨーロッパの国を直接に非難したのは初めてのことです。
 その難破事故の後、イタリア政府は海洋で遭遇した人々の命を守るための「マーレ・ノストラム」と呼ばれるプロジェクトを開始しました。1年後、EUはマーレ・ノストラムへの支援を停止し、(2)「フロンテクス」(3) が運営する新たなプロジェクトを開始しました。しかし、フロンテクスの目的は国境を守ることであり、人権を守ることではありません。そのためフロンテクスは、多くの労力とお金(船舶、ヘリコプター、航空機)を、他のどの場所でもなくヨーロッパの海岸に注ぎ込んだのです。
 もちろん、アフリカからヨーロッパに行くためには、長い距離の国際水域を横切る必要があります。これらの海域で発生する可能性のあるすべてのことは、自分たちの責任ではないから「知らない」という考え方でした。欧州連合はその加盟国が調印した条約をもはや支持しておらず、むしろヨーロッパ人の特権を保護しているとオープンアームズが認識したのは、その時でした。オープンアームズは現在、ヨーロッパには人権は存在しないと主張しています。その代わりに、ヨーロッパ人の権利、むしろ特権があります──それはアフリカの様々な地域から逃れてきた人々の特権や権利とは反するものです。
 オープンアームズは、このことを2014年に初めて知りました。このことは、フロンテクスが新たな業務を作り続けるにつれてさらに高まりました。フロンテクスが最後に人を救助したのは、オペレーション・ソフィアと協力していた時でした。オペレーション・ソフィアは船を使いました。海洋法では、どのような船に乗っていようとも、もし難破した船を見た場合には、乗船している人々を救助する義務があるとされています。それを見なかったふりはできません。そうすると、罪を犯していることになるからです。オペレーション・ソフィアは海で人々を救助しました。それでも、移民者が辿り着くには困難な地域であったので救助された人は少数であり、多くの人がすでに溺死していました。
 2020年3月、オペレーション・ソフィアは終了し、オペレーション・イリニが開始されました。このオペレーションでは、船を使わずに飛行機のみを使います。上空から移民者を見ることができますが、救助はしません。海上の船の上にいるわけではないので、救助する義務はないのです。(4)
 それは、地中海で何が起こっているかを調査する範囲を完全に変えることに向けて、さらに一歩踏み込むものです。フロンテクスが地中海での移民者の状況へのアプローチを変えていることを前提とすると、フロンテクスはおそらくこのような方法、ドローンを使用した活動を続けるでしょう。

S I: NGO「アラームフォン」(5) は、このように主張しています。「ヨーロッパの活動主体は、義務に縛られないように、海での存在感を無くそうとしていると私たちは考えています。彼らは存在感を示し続けていますが、それは空からの探索であり、そうすればリビアの海岸を出発する複数の移民船に気づき、その情報をリビアの沿岸警備隊に提供することができます」
サベ:オープンアームズは、アラームフォンと非常に密接に連携しています。オープンアームズは人々を救助できますが、何が起こっているのかをアラームフォンに伝えてもらう必要があります。
 2017年にイタリアとスペインは、リビアのいわゆる沿岸警備隊のトレーニングを開始しました。その当時はリビアに政府が存在しなかったので、それはリビアの本当の沿岸警備隊とは言えませんでした。イタリア、スペイン、ヨーロッパ全般が行っているのは、リビア内の他のグループと共謀している反政府軍に物資とトレーニングを与えることです。その結果、これらの国々はリビアの内戦に参加していることになり、最も苦しむのは常に移民者なのです。リビアの沿岸警備隊は、リビア政府と共にある現在でさえ、リビア沖の移民者の命を救うことができません。(6)

S I:オープンアームズは危機の解決策は何だと考えていますか。解決策はどこから生まれますか。それはどのように機能しますか。
サベ:多くの可能な解決策があります。もしヨーロッパの各当局が、壁を建設し国境を守るために現在使用している予算や資源を命を守るために投入すれば、全く新しい戦略となるでしょう。戦略の完全な変更が必要です──もしヨーロッパが本当に人権を気にかけるのならば、ですが。
 ヨーロッパでのポピュリズムとフェイクニュースの高まりは、極右政党がヨーロッパの政治分野で立場を得ることにつながっています。ヨーロッパ中で右翼への段階的な移行があり、それまで一度も右翼的でなかった政党でさえも、今ではこの種の話法を受け入れ、この動きに応答しています。現在では、白人の人権はありますが、黒人の人権はありません。人権が普遍的なものに違いないと認められれば、すべてが変化するでしょう。

S I:人権侵害の多くは、地元レベルでも国際レベルでも、少なくとも当初は法廷を通して解決されます。ヨーロッパの各国政府や欧州連合に対して起こされている海洋の移民分野での人権侵害に関わる裁判の事例はありますか。
サベ:オープンアームズは、2019年にイタリアの副首相、内務相であるマッテオ・サルヴィーニ氏を提訴しました。オープンアームズの船は、サルヴィーニ氏がつくった治安判決が理由で2019年8月にランペドゥーザ島のドックへの入船を許可されませんでした。(7)
 19日間、彼は私たちの船のドックへの入船許可を出すことを拒否しました。私たちは、誘拐、政治的虐待、文書詐欺で彼を告訴しました。この裁判は進行中です。(8)法廷を通して裁判を進めることは重要ですが、何が起こっているのかを説明することで人々の考え方を変えることも重要です。メディアはそれを行う力を持っています。
 オープンアームズの第一の目的は無くなることですが、その活動が必要とされる限り無くなることはできません。この仕事を確実に実行する政治家、人命を守ることに本当に集中する政治家が選ばれるまで、オープンアームズは必要とされ続けるでしょう。こうした変化を起こすために、社会は力を持つ必要があります。そのために、オープンアームズと一緒に活動を続けるすべての人が、自分が見てきたものを、戻った時に話すのです──子供の学校や職場で、そしてオープンアームズの活動について話すことを求められたらどこでも。そうすれば、地中海で何が起こっているのかを知らせることができます。

S I:オープンアームズは、多くの賞を受賞しました。市民社会がオープンアームズの活動を評価しているのは明らかです。課題は、これをアイディアに対する政治的支援、人命を尊重し救うプロジェクトに変えていくことです。国連はこれを支援するために、何らかの声明を発表したり、何か前向きなことをしたりしたでしょうか。
サベ:オープンアームズは国連に登録されており、欧州議会、欧州委員会、多くの国の政府から表彰されています。しかし、オープンアームズには、表彰は必要ありません──必要なのは彼らに仕事をしてもらうことだけです。オープンアームズは賞を受けるたびに、このことを公に主張しています。
 オープンアームズは、寄付者の支援のおかげで活動をすることができます。予算の90%以上が小規模な寄付で賄われており、それが推進力なのです。オープンアームズは完全に独立しており、どの国の政府にも依存していません。

S I:今現在、オープンアームズの最大の課題は何でしょうか。
サベ:いつもどおりに、海上と陸上で人権を守り続けることです。各国政府、メディア、フェイクニュース・キャンペーンがこれに反しており、オープンアームズのボランティア個人の命にも反しているので、これはとてつもない課題です。課題は単純に継続することです。

S I:他に何か付け加えることはありますか。
サベ:オープンアームズに声を与えていただき、ありがとうございます。一般のヨーロッパ人にとって最も重要なことは、これは私たちが招いたのだと認識することであると、私は思います。人はしばしば、自分には何ができるのだろうか、何が最も必要なのだろうかと自問します。まず初めに、それが起こっていることを認識することです。20年か30年後に誰かがあなたの家に来て「あなたのまさに目の前でこの虐殺が起こっていた時に、何をしていたのですか」と尋ねたときに、知りませんでしたとは言えません。あなたは確かに知っているからです。オープンアームズはあなたに伝えていて、このことのすべてを説明しようとしているのです。情報はここにあります。問題は、それがかなり隠されている場合があることです──それを隠そうとする意思が存在するからです。
 それについて知ることは、ヨーロッパ人として私たちの責任であり、また、それが起きていることへの責任が私たちにあります。なぜなら、私たちは皆変化の一部であるからです。

S I:つまり、私たちはそのような政治的な声を使う必要があるのですね。

サベ:はい!

参照文献
(1) 英国、ガーディアン紙
(2) イタリア政府はマーレ・ノストラムに、その活動中の12カ月間で月に900万ユーロを費やした。欧州連合はその年、外部国境基金から180万ユーロを供出した。(ウィキペディア)
(3) フロンテクスは欧州連合の国境安全保障機関である。
(4) 「2021年の地域の犠牲者数が1,000人に近づく中で、リビア沖で難民船が転覆し、57名が死亡した。国際移住機関は、死亡者数の増加を海域パトロールの減少と関連づけている」(英国、ガーディアン紙)
(5) 活動家プロジェクト「WatchTheMedアラームフォン」が2014年秋に開始され、海上で困難な状況にある移動者のためのホットラインとして機能している。(「ムーブメンツ──移民・国境体制に関する批判的研究ジャーナル」)
(6) 「今日は休日だ──地中海の移民者が置き去りにされ亡くなったことが盗聴により判明」
スクープ: 流出ファイルに含まれていたイタリア当局者とリビア沿岸警備隊との会話記録(英国、ガーディアン紙)
(7) 2019年8月5日にイタリア上院で可決されたいわゆるサルヴィーニ法は、地中海で救助されたアフリカの移民者をイタリアに連れて来ようとする人道的慈善行為に対する制裁を強化した。(テレスール・イングリッシュ)
(8) イタリアの前内務相、マッテオ・サルヴィーニ氏は、2019年8月にスペインの移民救助船を2週間以上も海上で足止めした罪で公判に付される命令を受けた。シシリアでの法廷審問では、ロレンツォ・イアネリ判事は2021年9月15日を公判期日と設定した。パレルモの検察は、サルヴィーニ氏を職務怠慢および、オープンアームズの船舶と147名の救助された乗客がイタリアのドックへ入船するのを19日間拒否したことによる誘拐の罪で告発した。入船拒否の間、船長が安全な最寄りの港を必死に求める中、絶望のあまり船外に身を投げる移民者たちもいた。最終的には裁判所の命令により、残りの89名の乗船者は2019年8月20日にランペドゥーザ島への上陸を許可された。
(euronews.com)