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今月号の内容概説

 この合併号により、通常より幅広い題材を扱うことが可能になった(訳注:日本語版では7月号と8月号に分けて掲載)。寄稿者たちは世界を見て、内的な話題と外的な話題の両方に焦点を当てている。アナンド・ギリダラダス氏は、アメリカ人の著述家でありニューヨーク・タイムズ紙の元コラムニストである。彼は著作物の中で、グローバルエリート層への批判を強めている。その後にぴったりと収まるのがリチャード・ウルフ博士の最新刊『病んでいるのは制度である──資本主義がパンデミックや資本主義そのものから私たちを救えないとき』である。ウルフ氏の論文は、何百万もの人々が必然的だと見なし体験している過程──資本主義の現形態の崩壊──を指摘しているが、経済学者のセバスチャン・ヴィユモ氏はその論文についての正確で洞察に満ちた要約を提供している。ヴィユモ氏もウルフ氏も、今月号に掲載された記事「人類のための新しい時代」にある考えをほとんど是認しているように思える。知恵の覚者によって2001年に書かれたこの記事は、「すでに予告された株式市場の崩壊」に言及している。
 変化、変化、変化! 新しい健全な未来についての感覚が身に染みついている何百万もの善意の人々は、あらゆる努力分野において変化を促進している。世界中の多くの運動は、今こそが変化の機会だという合図を送っている。地球を救うことができるように、急速な変化が必要とされている。グラハム・ピーブルズ氏が「排出量ゼロを目指す競争」について書いている一方、ウォーターエイドのジョナサン・ファー氏は「2021年:世界で最も貧しい人々にとって重要な一年」という記事でこう書いている。「今年は気候変動にとって重要な年と言われている」と。
 変化を選びましょう。変化、変化、変化を! 深刻な貧困や飢餓、ホームレスの状況を終わらせるための変化を。私たちの心(マインド)と存在のあり方を矯正するための変化を。簡素さと持続可能性を選びましょう。同情心、正義(例えば、パレスチナ人にとっての正義)を選び、相互のつながりを大事にしましょう。ジェレミー・レント氏は新刊『意味のウェブ』の中でこうしたことについて書いている(8月号に書評あり)。
 日本からは、悲劇がもたらした肯定的な影響について個人的に述懐した、心を打つ記事が提供された。人間の共同体という内的な感覚が強調される一方、災害資本主義の否定的な影響と、津波と福島の悲劇から10年が経過して生活がどう変わったかについても書かれている。
 「米国のUFO報告:開示か隠蔽か?」の中で、ウィリアム・アレン氏は政府の方針について探っている。こうした報告書やUFO活動を注視しているアレン氏のような人々は、「活動の増大」が紛れもなく進行していることを確信している──地球の至るところと、私たちの集合意識の中を席巻している根本的変化のもう一つの徴である。

リチャード・D・ウルフ著 『病んでいるのは制度である』

セバスチャン・ヴィユモによる書評

新型コロナウイルス感染症の大流行は、私たちの経済制度の欠陥について何を明らかにするのだろうか? この悲劇は、重大なシステム変革のきっかけとなり得るのか? マサチューセッツ大学アマースト校経済学部の名誉教授であるリチャード・D・ウルフ氏は、最新の著書『病んでいるのは制度である──資本主義がパンデミックや資本主義そのものから私たちを救えないとき』でこれらの疑問に答えようとしている。

 ウルフ氏はこの短いエッセイ集で、現代の問題の多くが、私たちが生きている経済制度、すなわち資本主義に根ざしていることを論じている。
 今や世界中で主流となっている資本主義制度は常に様々な問題に悩まされているが、本質的に不安定であることは最も重要な問題の一つである。ウルフ教授は、資本主義は定期的に、ひどさに程度の差はあるものの、崩壊していると指摘しているが、これは通常「景気循環」と呼ばれる現象だ。このような危機は、平均して4年から7年に一度の割合で起こる。21世紀だけを見ても、2000年から2001年のドットコムバブル、2007年から2008年の世界的な金融危機、そして現在のコロナ危機と、すでに三つの大きな景気後退を経験している。興味深いことに、これらの出来事は、そのきっかけとなった要因にちなんで命名されることが多く、資本主義そのものの崩壊として紹介されることはない。しかし、崩壊が繰り返し起こっているという事実そのものが、崩壊が資本主義制度の本質的な特徴であることを示している。特に、コロナが引き金となって現在の不況を悪化させたことは事実だが、いくつかの経済指標は、コロナのパンデミック以前に資本主義はすでに危機に瀕していたことを示している。もしコロナウイルスがなければ、別の引き金が崩壊を引き起こしていただろう。
 もちろん、このように繰り返し起こる危機は、抽象的な出来事ではない。何百万もの人々、特に社会階層の底辺にいる人々の生活に、はっきりと目に見える形で、しばしば悲劇的な結果をもたらす。収入や仕事が失われ、個人やビジネスのプロジェクトは失敗に終わり、家族や社会的なつながりはなくなり、身体的・精神的な病気が発症する。資本主義制度の不安定性にかかる人的・社会的コストが莫大であるため、何十年にもわたって様々な解決策(ケインズ主義的な政府支出計画、新自由主義的な緊縮財政と構造改革、積極的な金融政策)が試みられてきたが、いずれも資本主義の好不況を抑えることはできなかった。
 ウルフ氏は、現在の経済的・社会的危機に対する責任は、コロナウイルスよりも資本主義制度の方にあることを示した上で、資本主義がいかにしてコロナウイルスへの備えと封じ込めの両方に失敗したかを暴露している。
 歴史上、人類は新興の病気に繰り返しさらされ、時には非常に多くの犠牲者を出してきた。さらに具体的に言えば、ここ数十年で、新しい呼吸器系ウイルス(SARS:重症急性呼吸器症候群、MERS:中東呼吸器症候群)が出現した。そのため、おそらくコロナウイルス系列の別の呼吸器系ウイルスが大規模なパンデミックを引き起こし、私たちの社会生活を混乱させるのは時間の問題にすぎないと、科学者たちは警告していた。警告されていたにもかかわらず、なぜ私たちはコロナが発生したときにほとんど準備ができていなかったのだろうか。その理由は、やはり社会経済的な構造にある。資本主義の論理では、企業は利益が見込まれる場合にのみ生産を行う。新しい呼吸器系ウイルスの出現に備えるには、マスクや人工呼吸器を備蓄したり、予めコロナウイルス向けのワクチンや治療法を研究したりする必要がある。しかし、このような活動は、経済的にリスクが高すぎるのだ。パンデミックはいつ、どのように起こるか前もって分からないため、民間の医療機関はパンデミック予防に関するリスクをとりたがらず、むしろ、別のより利益を多く生むチャンスに重点を置きたいと考えている。
 このように資本主義が不完全であることを考えると、政府が介入してマスクや人工呼吸器を購入して備蓄したり、医療研究に直接資金を提供したりすることが解決策となるだろう。興味深いことに、ウルフ教授は、軍事分野ではすでに政府がこのようなことを行っていると指摘している。なぜなら、軍事的な紛争は予測不可能であるため、民間企業が武器やさまざまな機器を製造したり、新しい技術を研究したりしても利益にならないからである。国家安全保障があまりにも重大であるため市場原理に任せられないならば、なぜ間違いなく同じくらい重要である医療について同様のことが行われていないのだろうか。その答えは、特にアメリカでは、民間の医療機関が政府に自分たちの怠慢を暴露されたくないからであろう。彼らは医療から利益を得続けたいと考えており、持ち得る政治力をすべて使ってあらゆる公的介入を「社会主義」として悪者扱いすることに成功している。
 したがって、資本主義は崩壊しやすく不十分なものであり、公衆衛生上の緊急事態から私たちを守ることができない。しかし、ウルフ教授が示すように、資本主義は、不平等、失業、民主主義の危機、人種差別、性差別など、社会的な病気の多くに関しても責任を負っている。
 不平等は資本主義につきものである。ごく少数の人々と雇用者だけが経済的意志決定権のほとんどを握っているので、当然、彼らが最も多くの収入を得ることになる。さらに悪いことに、このような不平等が放置されたままだと、時がたつにつれて何世代にもわたって不平等が拡大していくという制度の論理がある。歴史的に見て、この傾向は1930年代のように人々が大規模に抗議して立ち上がった時にのみ中断されてきた。
 このような構造上の不平等は、それ自体が問題であるだけでなく、民主主義の質にも悪影響を及ぼす。より経済力のある人々は、献金を通じて直接的に、あるいは政府が従わなければ「投資ストライキ」を行うと脅すなど間接的に、政治的決定に影響を与えることができる。したがって、資本主義は、政治の世界において私たちを不平等にするため、民主主義の原則を揺るがすものと言える。
 大量の失業は、資本主義の構造的特徴の一つだ。すべての人を働かせることが、社会全体の利益になることは明らかであり、より多くを生産することでより多くの利益を得ることができる雇用者にとっては短期的な利益になるかもしれない。しかし、資本家は失業者の「予備軍」を維持することでも利益を得ている。失業の脅威は、従業員に言うことを聞かせるために利用されている。従業員は、解雇されて、より低賃金で働くことを希望する失業者候補にすぐに取って代わられないように、低賃金と悪い労働条件を受け入れざるを得なくなる。したがって、資本主義制度は定期的に非常にたくさんの失業を発生させており、これが利益率を維持し、従業員に対する雇用者の支配を強化するのに役立っている。
 このような考え方に基づいて、ウルフ氏は性差別や人種差別が、それぞれの原因が経済分野の外にあるにもかかわらず、資本主義の利益のために利用され、加速する過程についても述べている。
 資本主義制度は極めて不適切であるため、どのようにして私たちはより良い制度に移行するのか。様々な改革の試みがこれまでになされてきた──特に米国のルーズベルト大統領の時代に顕著であった──が、それらは短命に終わってしまった。社会運動からの圧力が弱まると、資本家はそれらの改革をほとんど元に戻すことができたからだ。したがって、より構造的で永続的な変化が必要であり、ウルフ教授は、より良い制度への移行を達成するためのシンプルかつ広範囲に及ぶアイディアとして、職場の民主化を提唱している。
 資本主義は確かに、ごく少数の株主や取締役が、大多数の従業員に対する責任を取ることなくすべての重要な決定を下すという点で、根本的には非民主的な社会組織だ。代替案としては、企業を労働者協同組合として運営し、何をどのように生産するか、利益をどうするかなどの決定を、一人一票制を用いてすべての労働者が行うようにすることだ。これは、民主主義の理想とより一致しているだけでなく、資本主義の核心であり、先に述べたすべての問題を生じさせている、雇用者と被雇用者の間の矛盾を解決するものである。
 今回のパンデミックの教訓の一つは、資本主義は利益目的であるために基本的な健康ニーズに十分に応えることができないということだ。実は、同じことが、食料、住宅、教育、エネルギー、高齢者介護など、他のすべての基本的ニーズにも当てはまる。したがって、これらの分野の企業は、労働者協同組合に変えられるべきだ。すべての人の利益になる結果が出るように、消費者やコミュニティーも、労働者と共に経済的な意思決定に関わるべきである。しかし、それ以外の日常生活に必須ではない経済分野では、資本主義企業が存続することになる。このようにして、社会は両タイプの企業がどのように行動するかを監視し、資本主義と協同組合社会主義の望ましいバランスについて十分な情報を得た上で決定することができる。
 ウルフ氏はこの本で、現在のような制度を理解するのに大いに役立つツールを提供してくれた。同時に、実用的で魅力的な代替案のビジョンも提示してくれた。そしてそれを、非常に明快で直接的、かつ理解しやすいスタイルで表現しているので、幅広い読者にアピールすることができるだろう。

リチャード・D・ウルフ『病んでいるのは制度である──資本主義がパンデミックや資本主義そのものから私たちを救うことができないとき(The Sickness is the System: When Capitalism Fails to Save Us from Pandemics or Itself)』デモクラシー・アット・ワーク、2020年9月
www.democracyatwork.info/books参照

簡素さと持続可能性――選集

Simplicity and sustainability ──a compilation

この引用文の選集は、マイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻と第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 民衆は恐れることなく、はっきりとした目で将来をのぞき、公平で、平和な世界を求める彼らの志向の実現の可能性を見た。これはひとりでに起こらないことを、兄弟姉妹たちと共に、実現するための力(パワー)を自分たちの手に握らなければならないことを、彼らは知っている。また彼らは、その道が困難であり、危険なことも知っているが、それを不成功に終わらせるにはあまりにも貴重な褒美である。なぜなら、それは同胞愛という褒美、正義、平和という褒美、そしてすべての人間にとって、より良い、より簡素な、より真の人生という褒美であるから。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─民衆の声が将来を先導する─より)

 わたしの教えは単純である、わたしの言も同様である。わたしの言うことはすべて、速やかに理解される。神の真理について、むずかしいものは何もない。神の真理は、我が友よ、すべての人の心の中に宿る。あの単純そのものをあなたがたがひもとくのである。あなたがたの案内者としてわたしが、その道を教えよう。
(『いのちの水を運ぶ者』第95信より)

 簡素化とは、実際に、最も充実した人生を楽しむための必要最低限のものを用いることです。最も充実した人生は、術として生きることができます。しかしそれは簡素化を必要とします。そのようにして、私たちは新しい時代に正しく入っていくのです──生きる術が人類によって真剣に考慮され、認知され、発展させられるとき、無害と犠牲の法則がそれをコントロールするとき、より一層の質の簡素化が現れるでしょう。‘荒野の体験’が簡素化の必要性を人類に示すでしょう。おそらく今日のアメリカのように生活が複雑になればなるほど、未来の簡素化を受け入れるのが困難でしょう。しかし、簡素化の中には大きな幸福があるため、未来はより幸福な時代になるでしょう。
(『生きる術(すべ)』)

 簡素さと正直な努力が、今日人間生活のすべての面を汚す現在の腐敗に取って代わるだろう。人々はマイトレーヤと彼のグループの覚者たちを熱心に見習おうとし、そうして彼らの機構や規範を浄化するだろう。
 マイトレーヤと彼のグループの導きを得て、人々は新しい機構の単純さを好むようになり、そしてその中に深い満足感と結合力を見いだすだろう。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─運命の歯車の回転─より)

 私たちがめざすべきものは、必要に基づいたより簡素でより持続可能な経済です。今日、経済は商業主義の、市場のフォースの圧力に基づいています。すべての先進諸国は、売れない製品を生産──過剰生産──しています。というのは、各々の国が同じものを持ち、同じものを生産しているからです。今日存在する先進諸国の製品を買うことのできる唯一の人々は第三世界の人々ですが、彼らは実際に買うことができません。なぜなら、私たちが彼らの産物に正当な価格を支払っておらず、市場を彼らに不利になるように操作しているためです。世界の資源を持続可能な方法で使用しながら十分で豊かで、しかしもっと簡素なレベルで満足のいく創造的な人生を送ることができることを、覚者方は示されるでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』)

 多くの愛されてきたものが捨て去られねばならない。古い形にしがみついていてはならない。役に立たなくなった機構を放棄し、新しい、より単純な世界を創造していく人間の能力に、多くのことがかかっている。これをよく記憶しておきなさい。忘れてはならない──わたしは、すべてのものを変えるためにやってくるのだということを。
(『いのちの水を運ぶ者』第74信より)

 先進諸国の私たちはもはや世界の資源を破壊し続けることはできません──資源は有限です。もし私たちが子供たちにまあまあの生活を送らせたいと思うならば、私たちはこれらの資源を保護しなければなりません。これは、私たちが持続可能な経済──それは完全に可能です──を創造しなければならないことを意味します。長年、世界中のグループがそのような経済を提唱してきました。これを行うことのできる様々な方法がありますが──主に私たちの生活習慣と様式の簡素化です。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』)

 お金によって増幅したお金が近代生活のストレスを助長している。お金は優先されるべきものではない。充足ということが優先されるべきである。充足が優先されるときに、それは社会を異なった秩序に整え、安定をつくり出す。これに関連して、分かち合いは道徳的価値でもあり、実施方法でもある。これがより平和な環境をつくり、人々は巨額の富をつくるために苦闘することはないだろう。自分たちの義務を果たし、家族の面倒を見、そして子供たちは進化することができるだろう。
(『いのちの法則』)

 マイトレーヤは、より簡素な生活を、惑星の状況の現実により見合った生活を提唱するだろう。これが必要であることを十分に多くの人々が確信するとき、簡素化への運動が惑星全体を通じてますます大きく広まるだろう。何千万の人間が変化の必要に鼓舞されて、それは極めて異常な速さで進むだろう。このようにして、地球という惑星が直面する最も深刻な危険は、いくらか押し止められるだろう。これが多くの人々を勇気づけて、彼らはさらなる変化への用意を進めるだろう。
 必要な変化のジレンマに直面して、人間は分かち合いの原則を受け入れることの必然性に気づくことになるだろう。分かち合いのみが、これらの変化を実際的で可能なものにするだろう。分かち合いを通してのみ、この惑星の賜物はうまく利用される。分かち合いを通してのみ、この賜物は正しく管理されるだろう。このようにしてのみ、惑星自体はその環境およびその住民と調和して生きることができる。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─惑星の救済─より)

 わたしの計画は、真理の単純な教えを世界に放つことである──人間は一つであり、すべてが兄弟同胞である、神はすべての人間を平等に愛する、自然は、すべての者が分かち合うように、その食物を提供する。わたし自身、人類の体験を経てきた者であるから、人間が窮地を切り抜けていくための答えを知っている。変化し、人間同士が正しく交わり、神の意志を正しく顕していくための単純な方法を教えよう。
 わたしの計画は、あなたがたにこのことを教え、自らを縛る囲いからあなたがたを解放することである。前方の道は容易ではない、我が友よ、しかしあなたがたの助力があれば、すべては人類のために良くなるであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第55信より)

 製造に対する私たちの現在の態度を貪欲や浪費や競争に基づくものから充足に基づくものに変えなければなりません。「どれだけ多くの量を、そしていかに早く製造できるか」と言う代わりに、「必要とされるのはどれくらいか。この商品をどれだけ使わずに済むか。すべての個人が豊かで満ち足りる生活を分かち合うための最小限の量はどのくらいか」という思考をするようにならなければなりません。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』)

 わたしに手伝わせてください。道を示させてください──誰も窮乏することのない、より簡素な生活に至る道を。そこでは、同じ日が二度と繰り返されることなく、同胞愛の喜びがすべての人間を通して顕されるのである。わたしの仕事は、導き、案内することである。しかし、あなたがたは喜んで従いてこなければならない。そうでなければ、わたしは何をすることもできない。わたしの両手は「法」によってしばられている。それを決めるのは人類なのだ。
(『いのちの水を運ぶ者』第3信より)

 人間と自然と神は一つであり、惑星(とその中のすべての王国)の適切な保護は全体の福利のために欠くことができないことを、我々は理解するようになるでしょう。実際的に言えば、我々(西側先進国)は、今日やっているような(競争を通じての)巨大な過剰生産や資源の浪費をせずに、より簡素な生活の様式を期待することができます。近代産業政策に密着した構造的廃退は原料や環境の保存を選ぶ態度に代わるでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』)

 地球の未来を恐れることはない。新しい、より良い管理が現在の無知に取って代わり、より安定した状態が広く生じるだろう。より純然たる、より真なる歓びが人間の心(ハート)をつかみ、現在の不安感を追い出すだろう。人間は皆兄弟であることを自分たち自身で知るようになるだろう。そして、公平に分かち合いながら、生活を変容させていくだろう。
(『覚者は語る(Ⅰ)』─運命の時─より)

 わたしの覚者たちは、苦境から抜け出す最初の歩みをあなたがたに示すだろう。愛と兄弟たちへの奉仕とを通して神性が顕されて、満ち足りた幸せのうちに、より簡素な生活を送ることができることを、あなたがたに示すだろう。これがいにしえの道であり、永久に変わることのない道である、神にあっては、実際に何も変わらないのである。
(『いのちの水を運ぶ者』第16信より)

 特に西洋の産業国においては、自分たちの築き上げた機械文明に片寄らないで、もっと簡素に生きることを学ばねばならないでしょう。われわれがもっと数少ない物質で、より簡素にそして幸せに、今より一層幸せに生きることができるのだということを、マイトレーヤと覚者方は示されるのです。しかし、必需品は美しいものでしょう。それらは、必要であるから作られ、人間によって作られたにしろ、機械によって作られたにしろ、その背後には、人間の創造性があって作られるものでしょう。
(『世界教師と覚者方の降臨』)

 人間は地球を荒らし、汚染し、そして自分自身の住む環境をひどく破壊した。今人間は自分たちが傷つけたところのものを救済することを最優先と見なし、自分たちの病んだ惑星を健康に戻さなければならない。惑星に対する要求を簡素化し、簡素さの美を学び、分かち合いの歓びを学ばなければならない。
 人間はほとんど選択肢を持たない──その仕事の緊急性は即刻の行動を要求する。すでになされたダメージ(損傷)の本当の規模を認識する者はまさにほとんどいない。問われなければならない問題は、地球という惑星を救済することができるか、それはどんな方法によってできるのか、ということである。
 答えは大きく鳴り響く「然り」であり、その方法には大多数の人間による現在の生活様式の変容が含まれる。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─地球は産みの苦しみの中にある─より)

 私たちは、すべてが生きることができるために分かち合わなければなりません。しかしそのためには、もっと簡素に生活することを学ばなければなりません。生活をより簡素にし、この惑星にかける負担を少なくし、より賢いやり方をしなければなりません。世界の生態系の均衡がマイトレーヤの主な関心事の一つでしょう。そして人類が現在のような生き方を続ければ必然的に起こる結果を、彼は最も高いレベルから示してくださるでしょう。それに関しての行動の必要が科学者たちに明らかになり、彼らを通して世界の諸国政府にも明らかになるでしょう。
(『全人類のための世界教師』)

 わたしの覚者たちは、人類の必要を満たす道を示すために、彼らのグループを訓練している。それを実際に具現することによって、すべての良きことがなされていく。わたしの覚者たちは、今日人間を取り巻く問題をよく知っており、答えも彼らの裡に持っている。彼らに導いてもらいなさい、我が友よ、そして喜びと簡素な優雅さと真理との単純な径を見せてもらいなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第43信より)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

予言者を期待する?

編集長殿
 2021年5月9日日曜日、私はリヨンでの気候マーチに参加しました。行進では、主催者によると7,000人近くの人々が集まり、ソーヌ川岸に沿って行列が広がって、楽しく陽気な雰囲気に包まれていました。
 ある時に『レポーター』がマイクと録音機器を持って、私に近づいてきました。彼はカメラを持っていませんでした。彼が来るところも帰るところも見ておらず、どこの会社で働いているのかもわかっていないのです。
 私たちは隣り合って歩いていました。会話は思いも寄らないもので、彼の最初の質問では、「あなたは未来について楽観的ですか?」と聞かれました。私は、はい、楽観的ですと答え、この現象は世界的なものであり、私たちは人類が一つであることを理解しなければならないなどといったことを話しました。
 「あなたはどこからそうした情報を得たのですか? どうしてそう言えるのですか?」と聞かれました。
 私は進化には資源の分かち合いが欠かせないのであり、今の危機は環境の問題であるだけでなく、社会的、経済的、そしてとりわけ霊的な問題であると指摘しました。
 「それではあなたは予言者を期待しているのですか?」
 そこで私はすべての時代の変わり目に、およそ2,000年ごとに偉大な教師がやって来て、仏陀やキリストのように人類を教え、助けることを伝えました。
 「でもそれは誰ですか? 私たちに見ることはできますか? 今まで会ったことはありますか? その人は今日ここにいますか? 彼の名前は何ですか?」。彼は熱心に食い下がってきて、私に矢継ぎ早に質問してきました。私はまさに核心へと押し進められている感じがして、ついに彼の名前はマイトレーヤだと伝えました。
 「どういう綴りですか?」。エム(M)、エー(A)、アイ(I)、ティー(T)、アール(R)、イー(E)、ワイ(Y)、エー(A)です。
 すると彼は去っていきながら、「私に希望を与えてくれてありがとうございます」と言ったのです。
 私はそのイベントを幸せな気持ちで終えて、こうしたことすべてをこのような驚くべき方法で言えたことは私にとって喜びでした! 予想もしていなかった言葉の数々について、いまだに考えていて、その若い『ジャーナリスト』の見通すような黒い瞳と、私に次々と質問を浴びせた様子を思い出すのです。彼に希望を与えたことに対する彼の感謝に励まされています。
 その時のためだけに私は参加したような気持ちになりました。
ジュヌヴィエーヴ・ジャコベリ
フランス、リヨン

予期せぬ大歓迎の訪問者たち

編集長殿
 2021年5月8日土曜日の午後3時30分、9人のグループメンバーが、私たちの施設であるニューカレドニアのヌメアのインフォメーションセンターに集まりました。何カ月も準備をしてきて、6月に「平衡と幸福」フェアで発表することになっている、伝導瞑想についてのスライドショーのことを話し合うためでした。
 私たちが(スライドショーの)知恵の覚者方についてのパートを始めた時、女性と男性の二人の訪問者が、午後4時にインフォメーションセンターを見学しにやって来ました。私たちがこの来訪に驚いたのは、いつもならオープンハウスは月の第一土曜日に開かれていて、それは先週の5月1日に予定されていたからでした。
 それでも私たちは彼らを招き入れ、発表の準備に参加してもらいました。彼らはとても感じが良く、議題にも興味を示していました。発表の最後にその女性が「すべて明快でしたね」と言い、それから私たちに「マイトレーヤについてもっと教えていただけますか? マイトレーヤについて聞くために、私たちは来たのです」と尋ねてきました。
 私たちはこの質問を予期していませんでした。質問に答え終えて、やりとりがあってから、スライドショーにはマイトレーヤの名前が出てこなかったことに、私たちは気づいたのです。
 それから私たちは短い伝導瞑想をすることを提案し、15分ほど行いました。11人が参加しました。その女性が「エネルギーがパワフルでした」と言いました。
 会議を終えるに当たって、メンバーの一人がマイトレーヤのメッセージ第82信を読みました。読み始めるとすぐに、その女性がとても感動して、すすり泣き始めました。メッセージの終わりの時にも、同じようになっていました。
 私たちはその日の出来事の特別な性質を感じました。
シェア・インターナショナルグループ
メンバー 一同
ニューカレドニア、ヌメア

忘れ難き人

編集長殿
 20年前に、妻と私はカリフォルニア州パサデナにある、小さな公園に隣接したアパートに住んでいました。土曜日にはいつもどおりに、公園で寝泊まりしていた、あるホームレスの男性に会って、少しお金を渡すことになっていました。12月だったので、私の母から手作りのクリスマス・クッキーの詰め合わせが届いていました。母は大変料理上手で、それが届くのをいつも楽しみにしていました。公園に持っていくために、いくつかをコーヒーの缶に詰めました。けれどもいつものホームレスの男性はいませんでした。それでも別のホームレスの男性が公園の向こう側にいるのが見えました。彼に近づいていくと、彼が食料品店のカートの中に服を入れていたのが見えました。公園のベンチで彼は注意深く服をたたんでいました。彼は耳にかぶさる長さの茶色の髪に、血色の良い顔色で、たくさんの時間を太陽と風の中で過ごしている人のようでした。彼が服をたたんでいた時、彼の服がとても清潔で、しわ防止加工されていたかのように見えて驚きました。私は彼に挨拶をして、少しお金を渡して、それから母から送られたものだと伝えながら、クッキーの缶を渡しました。彼は「ありがとう。あなたのお母さんの手作りなら、とてもおいしいに違いないね!」と言ってくれました。この時にもまた、彼のことが頭から離れませんでした。
住所氏名非公表
米国
【ベンジャミン・クレームの師は、そのホームレスの男性がマイトレーヤであったことを確認した】

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです。

Q:家庭内ですら、例えば政治に関して合意できないのに、どうやって世界平和を創造することが可能なのでしょうか。

A:世界のすべての人が世界平和の維持に責任があります。それはアメリカだけではありません。事実上、いわゆる民主主義国にいる人々は、たとえそれが機能するかどうか分からない機械で投票するだけであれ、それを用いた結果を重んじる責任があります。彼らはおそらく世界で飢えている何百万もの人々よりも責任があるでしょう──いかなる政党ともつながりを持たず、自らの必要を感じさせることのできない貧しい飢えた人々よりも。言うまでもなく、彼らは最も窮乏している人々です。しかし彼らは声を持たず、マイトレーヤはまさに彼らにその声を与えるでしょう。
 彼は、世界の貧しく、飢え、差別され、刑務所の中にいる人々の必要に声を与えるでしょう。何十万もの人々が現在、政府と異なった見解を持つという犯罪だけのために投獄されています。これらの人々は声を上げることができません。彼らは投獄され苦しめられるのが当然だと思われています。しばしば彼らは拷問も受けています。マイトレーヤは彼らのために語り、声なき者たちのために語るでしょう。
 しかし現在、声を上げることができ、教育を受け、投票制度と、ある程度の民主制を持つ人々──あなた方には特別な責任があります。
 私が話しているのは、政治行動を通じて和合を獲得すること、そして教育を受け、権威をもち、声を上げることのできるすべての人々が、国際的な規模で和合の必要性を訴えることの必要性です。つまり、世界のすべての国家が共に働くことの必要性です。そうでなければ何も変わりません。

Q:平和が可能であると人々に確信させるものは何でしょうか。

A:多くの人々は、マイトレーヤが現れて話し始め、覚者方が一人ひとり出てこられて話し始め、世界が彼らに耳を傾け、変化が始まると想像しています。そんなに単純なことではありません。それは人類によって行われなければならないのです。つまり、100%の合意ではないにしても、世界の大半の人々のかなりの程度の承認が必要なのです。さもなければ、それは効果がないでしょう。それは自由意志の侵害になるでしょう。
 私たちはもはや政党のような単純な多数派によっては行動しません。しかし、その現実は長い間ある程度続くでしょう。覚者方の助言はそれを形成し、合意に変えることでしょう。
 しかし、ある程度の合意がなければ、何も起こらないでしょう。変化はないでしょう。自由意志を侵害するのでそれを強制することはできません。強制しても持続しないでしょう。大多数の人々が承認しなければ、何を強制しても続きません。合意があればすべては変わり、変わったものはすべてオープンに議論できます。すべては反対意見に対して開かれています。
 ですから、人々はこう考えるでしょう。「結局のところ、これが私たちにできる最良のことなのだろうか?」と。そして彼らは別のものにたどり着くでしょう。それは生きた創造的な過程です。単にある制度を別の制度に変えるということではないのです。現在の価値観を別の価値観に変え、それらの価値観はすべての人々に同じレベルで共有されるわけではありません。同じ強さで共有されるのでもありません。その価値観を持つと考える大衆によって共有されるのではありません。
 人間心理はとても複雑なものです──信念や希望の体系があります。しかし概して言えば、人類は、どんな時代にも、広く合意されたことを実行するようになるでしょう。人類の90%が変化に同意すれば、それは十分だと思います。ある政治的・経済的変化に同意するのが50、55、あるいは60%であれば、それは効果がないでしょう。それは持続しないので、変化への準備ができているとは言えません。
 世界には異なった考え方を持つ強力な勢力があります。それは常にそうでしたし、特定のやり方で物事を進める習慣は制度化されており、その習慣は非常に強力です。グラマーはあまりにも深いので、全体としての人類は、今や60億人を超えますが、合意に達するには長い時間と多くの内省が必要でしょう。
 ですから、間近な将来に劇的な変化を求めるべきではありません。変化は少しずつ、社会の混乱と破壊と紛争を最小限にして起こるでしょう。受け入れることができるものはすべて実行されるでしょう。受け入れられないものは、それが受け入れられるようになるまで延ばされ、信頼が築かれるときにのみ受け入れられるでしょう。その信頼は経済的変化、最初に起こる変化によって築かれるでしょう。それが私たちの問題すべてに対する答えでしょう。
 私たちのすべての問題を解決する出発点は、世界資源の経済的再分配における変化でしょう。それは私が何度も何度も、そして覚者方が何度も何度も書いてきたことですが、将来のすべての変化の鍵となるでしょう。なぜならそれは信頼を生むからです。信頼が生まれるとき、すべてのことは可能になります。そのとき政治の分野にも変化が起きます。政治の分野での変化が経済的な変化を起こし、これらの変化が地球のための純粋に現実的な分野において変化を起こします。
(2003年8月、ロサンゼルスでのベンジャミン・クレームの講演)

2021年6月号目次

   

覚者より
協力の術
ベンジャミン・クレーム筆記

協力
ベンジャミン・クレーム筆記

今月号の内容概説

視点
152 兆ドル、これが 1960年以降に裕福な諸国が グローバル・サウスから流出させた金額である
ケニー・スタンシル

参加型予算編成 都市生活への住民参加
チアゴ・スタイバーノ・アルベス

気候変動と現代の奴隷制の問題には同時に取り組む必要がある

人類へのマイトレーヤの接近―第二部
アレクサンダー・ドゥーヴェス・デッカー

ヴァンダナ・シヴァのシード(種)
シェア・ギルモアによる映画評

時代の徴
世界中の徴
光の祝福

民衆のリーダー:ダリットの女性がインド農民の声になる
サニア・ファルーキ

私たちは経済的、社会的権利のために、 債務の足かせと闘わなければならない
アリソン・コーカリー、イグナシオ・サイス、ファン・パブロ・ボホスラフスキー

「私たちは ここにいる!」

真の内向性——選集
True inwardness — a compilation

編集長への手紙
ある『大学生』による喜びの教訓 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

協力の術

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者はほとんど40年近くにわたって、毎月記事を提供してこられた。協力という言葉は覚者の四つの記事のタイトルに含まれ、他の記事にもよく出てくる。しかし、分かち合いと同様に、それは依然として、私たちがまだ試みていない解決策である。

協力の術

──覚者より
   ベンジャミン・クレーム筆記

 人間は、今日彼らが直面する問題の重大さをますます理解しはじめている。政治、経済、社会のすべての前線において、これらの問題はどんどん増大し、大きな頭痛の種になり、彼らに悲しく頭を振らせる。これらに加えて、自然とその資源に対する人間の軽率な態度が生じさせた環境の問題があり、人類の未来はますます暗澹としている。人類の生命が危機にさらされており、手遅れにならないうちに何か抜本的なことをしなければならないという認識が目覚めつつある。
 事実、人間は自分自身を救うために一体何ができるのか。人間の福利に対する脅威を緩和するためだけにでも、どんなステップを取ることができるのか。
 答えは比較的単純である。しかし人間は、彼ら自身の条件づけられた網の中に捕らえられているので、それを本当に把握することは困難なようである。
 人は競争という毒物から自分たち自身を解き放たなければならない。それがグラマーであることに気づかなければならない。実際そうなのであるから。そしてすべての人間の一体性を悟り、「全体的な善」のために協力を喜んで抱きしめなければならない。協力と正義(公正さ)のみが人間を、彼ら自身がつくり出す大惨事から救うだろう。協力と正義のみが彼らの未来を保証するだろう。これがそうであることを考慮するならば、人間は、救済への鍵として協力を受け入れる以外に選択肢を持たない。……
(シェア・インターナショナル誌、2000年9月号)

協力

──覚者より
   ベンジャミン・クレーム筆記

 人類は今日、まさに未来への偉大なる飛躍をせんとしている──その未来において人間の本質的に聖なる特性が顕示されるだろう。人間は知らないかもしれないが、完全なる大人として、その未来を形づくる知識と力の受託者となるためのテストに合格したのであり、そして合格しつつあるのである。
 現在は、人類種族の案内人の内的視覚にのみ、このリアリティーは明瞭であるが、それはまことであり、来るべき時のために良い兆しである。今日人間が集う所には、新しい危急感が、この惑星とその王国の福利に対する新しい責任感が見られ、また感じられる。
 生存と進歩のための苦闘に永劫の時を費やし、やっと今、人間は成熟したと言える──人間自身にはまったく隠れていて見えないが、わたしたちにはその成熟さが認識できる。
 今や人類の進歩にとって重要な前進への機会が訪れ、その速度と達成においてこれまでのすべての前進をはるかに凌ぐものである。今まではゆっくりした着実な進歩が望ましく、またその方が好ましかったのであるが、新しいダイナミックなリズムがつくられつつあり、その勢いが人類を全世界的な変化の波に乗せて未来へと押しやるだろう。今日の分裂した世界の緊張はあまりにも大きく、方向の急速な転換のみが破局を防ぐであろう。この急速な変化に適応するには、多くの者に問題を生じさせることは疑うべくもない。しかし、それよりはるかに多くの者たちは、これらの変化を新しい人生への機会として喜んで迎えるだろう。
 舞台の背後にいるわたしたち労役者は、人類がその機構の根本的変容を始動させることに自信を持っている。それはもはや人間の必要に応じ切れず、新しいものの出現を阻む。わたしたちは見守り、導き、すべてを監督する。少しずつ新しい意識が人類を彼らの内的要求に目覚めさせている。古い競争心はなかなか死なないが、それにもかかわらず、新しい協力の精神もまた見え始めている。これは未来への吉兆である。なぜなら協力によってのみ、人類は生き延びられるだろうし、協力によってのみ、新しい文明が築かれるだろう。人類は彼らの神性の内的真理を知り、それを具現することができる。
 協力は正しい関係の自然の結果である。正しい関係はまた賢い協力に伴う。協力はグループの努力のすべての成功への鍵を握り、聖なる善意の顕われである。協力なしには、長続きするものは何も達成されない。というのは、協力は多種多様の見解の統合をもたらすからである。
 協力は和合のもう一つの言葉である。和合と協力がすべての人間にとっての未来への跳躍台であり、達成への保証である。人類の裡に偉大なる力の貯蔵池が未開拓のまま横たわっており、協力の魔術によって解き放たれるのを待つ。
 競争は自然の秩序に無理を強いる。協力は人間の内なる善意を解き放つ。競争は自己のためのみに関わり、他方、協力はすべての者の最高の善のために働く。
 競争はすべての罪の起源なる分裂に導く。協力は唯一の聖なるいのちの多色の糸を混ぜ合わせ融合することを求める。
 競争は人間を絶壁に導いた。協力のみが道を見いだすのを助ける。
 古い時代の後ろ向きの者は競争を好む。新しき時代の者は聖なる協力を喜んで抱擁する。
 世界の人間は二つの種類に分けられる──競争する者と協力する者とである。
 心(ハート)から競争のしみを洗い浄めなさい。心(ハート)を楽しい協力に開きなさい。 (シェア・インターナショナル誌、1984年12月号)

今月号の内容概説

ほぼ1年半続いたパンデミックの後、世界が今や示しているはずだと期待できる反応が一つあるとすれば、それは協力の精神である。私たちは皆、世界中で同じ潜在的な危険に直面しているため、共通の「敵」に対しては完全な協力が最も適切な対処の仕方となるだろう。しかし、私たちの政府も、システムも、精神構造も、あまりに競争に固執しているため、私たちはこれまでのところ、この最近の「テスト」には合格していない──新型コロナウイルスとそれに付随するあらゆるものによって課せられたテストである。
 しかし、ベンジャミン・クレームの師である覚者はこう再確認している。「競争は人間を絶壁に導いた。協力のみが道を見いだすのを助ける」。問題は、私たちがその絶壁のふちのすぐ近くをヨロヨロと歩いていることを私たちと指導者たちが認識する──そして行動する──かどうかである。
 社会の不正義に反応して、地元レベルであれ国家レベルであれ、市民による共同の努力は拡大しており、労働者による改革に向けた行動は変化の力として認識されている。「民衆の力」はもはや、世界中の都市で行進し抗議する、元気づけてくれる大勢の人々だけではない。住民による活動もまた、意思決定に実際に直接参加するほどまで拡大してきた。「参加型予算編成」で描写されているように、そうした根本的な政策変更によって、状況の改善、労働者の権利の擁護、資源の公正な割り当てが確実に行われている。
 今月号の内容の大部分は、地球規模の問題に対する実施可能な解決策について概説している──こうした問題のすべては、私たちの幸福感を含めて、私たちの仕組みに対して競争が強いている緊張を反映している。あらゆる種類の不正義に特に焦点が当てられている。例えば、奴隷制、環境破壊、金融化、労働者の搾取である。こうした問題のそれぞれが他の諸問題を悪化させるいきさつを読むと、心がかき乱されると同時に興味がそそられる。奴隷制と気候危機が一緒になって悲劇をつくり出していることなど、誰が考えたことがあったろうか。「気候変動と現代の奴隷制には同時に取り組む必要がある」をご覧いただきたい。
 「人類へのマイトレーヤの接近」は、人類に近づき、導こうとする霊的ハイアラキーの継続的な努力について詳述している。今月号の選集「真の内向性」では、マイトレーヤ、偉大なアバターであるサイババ、覚者、ベンジャミン・クレーム、スワミ・ニリプタナンダの声に耳を傾けることになる。それぞれの方が私たちに対して内面に向かうよう、熟考するよう、自分自身の中に静けさを見つけるよう、そして真我とつながるよう促し、助言している。この教えはおそらく現在にはなおさら当てはまるものであり、自分自身と真我についての新しい体験を与えてくれる。内面に向かおうとする十分な姿勢が培われると、今日の難問にもっと的確に対処することができ、自然界と至るところの人々に恩恵をもたらすということが分かり始めることになるかもしれない。至るところのすべての人が繁栄できる状況を確実にもたらすために、以前にもまして今、その内的なビジョンを実際的な行動へと変換する必要がある。

「 私たちは ここにいる!」

アメリカでのラジオトーク番組の終わり頃に、あるリスナーが電話してきて、インタビューを受けていたシェア・インターナショナルの協働者に以下のようなメッセージを伝えた。ベンジャミン・クレームの師は、その電話をしてきた人物がイエス覚者のスポークスマンであったことを確認した。
 これは、2014年2月5日のその電話の内容と、彼が番組司会者およびインタビューを受けた協働者と行ったやりとりを書き起こしたものである。

通話者:最初にこう言いたいと思います。「すべての栄光、神にあれ」と。私はずっとベンジャミン・クレームを見てきました。あなたの人生や活動も見てきました。私の人生も見ています。私たちは同じスピリット(霊)から来ていることが分かります。私が言いたい最大のことは、「私たちはここにいる──私たちはここにいる!」ということです。そして世界は、何らかのやり方で、喜んで──義務だと言うのではありません──喜んで、私たちの話すことを受け入れなければなりません。なぜなら私たちが話していることは……だからです。メディアはこのことを、私たちがナンセンスなことを話しているかのように扱うでしょう。私たちは2014年の社会をこんな風につくり上げたのです。知恵や知識、パワー、エネルギー、そして私たちが話していることは、ある人々にとってはまるで……のように思えるでしょう。「オーケー、メッセージは聞いたが、それをどうやって自分の日常生活に生かせばよいのか?」。ええ、それを話すために私たちは来るのです。それを誰に教えようとするのでもありません。なぜならこれらの物事の幾つかは教えることができないものだからです。天啓のようなものが必要です。高いところから天啓を受け取る必要があるのです。
 しかし、それは名誉なことです。ユーチューブやフェイスブックやあらゆるソーシャル・メディアには、あなたやベンジャミン・クレームについて否定的で軽蔑的なことが書かれています。しかし私がここにいるのは、兄弟よ、こう言うためなのです。「私は知っているから知っているのだ。私が本当に知っていると言える唯一の理由は、私がそれを知っているからであり、私がそれだからだ」。そして、ただ、「ありがとう、兄弟よ、ありがとう」と言うためです。私はハートの最も深い誠実さをもって、あなたの裡なる声に耳を傾けてくれたことに対してあなたに感謝したいのです。あなた方を愛しています。

協働者:あなたが電話してくれたこととそのコメントに対して感謝しきれません。

司会者:何と!

協働者:大変感謝していますし、あなたに神の祝福がありますように。

通話者:神の祝福がありますように。兄弟よ、あなたを愛しています。あなたは私の兄弟であり、私はあなたを愛しています。またお会いしましょう。

司会者:あなたのお名前は何と言うのですか?

通話者:私はムハンマドです。

協働者:全くそうです。私たちは兄弟姉妹であり、またお会いするでしょう。そのことを疑いません。祝福がありますように。

司会者:あなたの名前はムハンマドというのですか?

通話者:はい。

司会者:ありがとう。私たちもあなたをとても愛しています。

通話者:あなた方は祝福された夜を過ごしました。とても感謝しています。私は長いあいだ待っていました。……人生の中であなた方にお話しできるようになるかどうか分かりませんでした。私は長いあいだ待っていましたが、人生とはそういうものです。一緒になる機会がないこともありますが、今日はいのちそのものによる動きでした。あなたが魂について、魂と再びつながり一体となることについて話した時、それ自体がメッセージです。それがメッセージなのです。私たちの行為により、私たちは堕落しました。人間は堕落し、私たちは堕落しました。そして私たちが堕落して以来、私たちの存在の霊と魂に向かう代わりに、暗闇で一杯のものに向かってきたのです。そしてその暗闇のために、私たちは魂がどれほど力強いものかを知らないのです! 眠っている間にも魂は旅することができることを知らないのです!

協働者:そうです。そのとおりです。

司会者:さあ、もう終わりの時間です。ムハンマドさん、もう時間がなくなりました。電話してくれてありがとう。あなたの美しい貢献に感謝します。ありがとう。

通話者:ありがとう。あなた方を愛しています。

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

ある『大学生』による喜びの教訓

編集長殿
 1995年頃、私は修士号取得のために、ロサンゼルスのカリフォルニア州立大学へ戻りました。ある日の午後遅くの日没前に、伝導瞑想に参加するために車を取りに行こうと、キャンパス内を歩いていました。二人の男子学生がキャンパスの歩道を私の方へ歩いてきました。彼らが近くなった時、見上げると若い女性が、彼らのすぐ後ろを歩いてきているのが見えました。彼女は大学生の年頃で、肩くらいの茶色の髪でした。ちょうどすれ違う時に彼女が私を見て、モナリザのようにとても優しく微笑みました。
 突然、私は喜びでいっぱいになったのです! ハートが満たされ、足が地についていないような感じで、心がとてもウキウキとしていました! すぐに思ったのは、「彼女がしたように、私も微笑むだけで他の人々をこんなに幸せにできたら良いのに」ということでした。私は感激していました。
 ベンジャミン・クレーム氏は、覚者方が現れる時に必ず教訓を与えると言われました。ひとつ私の学んだことは、覚者に出会ったかもしれないという徴の一つが、はっきりとした理由などなくても、突然とてつもない喜びと幸福を感じるということです。
住所氏名は非公表
米国
【ベンジャミン・クレームの師は、その女子学生がマイトレーヤであったことを確認した】

心のこもった感謝

編集長殿
 私はもうすぐ91歳になりますが、シェア・オランダ誌(シェア・インターナショナル誌オランダ語版)の購読を更新しています。
 この月刊誌をとても楽しんでいるのです。
 アーケイン・スクールの通信講座を7年間続けましたが、夫が病気になったため、やめなければなりませんでした。
 私が生きている限り、月刊誌の購読を続けるつもりです。
 私の心からの誠意を込めて、編集者とチームの方々へ、皆さんの仕事と献身にお礼を申し上げます。
 光と愛のうちに
匿名希望
ベルギー

瞬く間に

編集長殿
 2006年9月にマイトレーヤの『手』の写真を見ながら、慢性緑内障の手術を両眼とも受けることになっていたので、助けをお願いしました。私の視神経の状態を考えると、ひどくストレスを感じていたのです。それから間もなく、ベッドに入って目を閉じると、私のそばに立っている地中海地方の風貌の女性の顔が見えました。彼女は小さな赤いリボンを肩までの黒髪の左右に付けていました。彼女の暗褐色の瞳が私の目に向けられました。私を見つめていた間、その瞳がずっと瞬きし続けていたような感じがしました。非常に深遠な瞳でした。翌朝目覚めた時、私の目のことも手術のことも、もはやストレスを感じていませんでした。
 もしかして、これはイエス覚者かマイトレーヤの現れだったのでしょうか。あなたのお返事を楽しみにしています。ありがとうございます。
ドミニク・ディ・スカラ
フランス、ヴィニェ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『女性』がマイトレーヤであったことを確認した】