読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです。

Q 私はカトリックで育てられ、若い頃には神を恐れるよう教えられました。神は私たちに怒っているのだろうか、という思いが私の心に生まれました。
(1989年11月27日、アメリカ、「インパクト・ラジオ」でのベンジャミン・クレームへのインタビューより)

A 全く怒っていません。人々は神が裁きに来ると思っています。マイトレーヤはこう言われます。「私は裁くために来るのではない。私は友人として、兄弟として、教える者としてやって来る」。彼は人類の長兄たちの中の最年長者です。彼は私たち、あなたや私のような人々の巨大なグループの長であり、私たちが──意識的であれ無意識的であれ──取り組んでいる進化の旅路を完了されました。私たちは何度も何度も転生して徐々に肉体を完成させ、アストラル体とメンタル体を完成させて、私たちの本性であるところの神性をますます反映させていきます。
 私たち各々は転生した魂です。魂は完全であり、神──私たちの惑星で神と呼ばれるもの──と一体です。魂の目的はこのゆっくりとした過程、転生に次ぐ転生の中でその器を自身の本性と融合させ、光を融合させて次第に原子構造に及ぼすことであり、弟子は原子から亜原子に変化して光となります。すべての覚者方は復活した身体を持っています。福音書の中の復活の物語は、弟子の完成の物語であり、キリストの再生誕、身体の右側のハートに位置するキリスト意識、キリスト原理の再生誕を通じて、完成された覚者として復活するという話です。復活は事実であり、イエスの生涯における福音書の物語全体は、誰もが経験するプロセスを象徴的に上演したものです。あなたや私も、その過程を経験するでしょう。

Q マイトレーヤは死すべき存在ですか。彼は人間ですか。

A 彼は実際、人間以上の存在です。彼は聖なる人間であり、あなたもそうであり、私もそうですが、問題は、私たちがそれを知らず、受け入れていないことです。彼は神聖でありその中身を知っています。神性の領域では、彼は非常に進歩し、非常に純粋なので、私たちが愛と呼ぶ聖なる原理、神のキリストの様相、神の息子の様相を体現することができます。この見地から、キリスト教徒は彼を神の子と呼び、神のひとり子と呼びます。なぜならキリスト原理は神の息子の原理だからです。しかし、彼は自分が神の無数の息子たちのうちの一人であることを知っています。私たちは皆、神の息子たちです。違いは、覚者方は自分が神の子であることを知っており、その神性を現しているが、私たちはその過程のどこかの段階にいるということです。

Q 無執着について考えるとき、普通は無関心や自己満足のことを思います。これがマイトレーヤの話されていることですか。

A 自己満足や無関心とは何の関係もありません。全く逆のことです。それは完全な関与、完全な共感、人類のために人類の中で働くことへの完全で絶対的な関心であり、同時に距離を置いて自分のしていることを無執着に行い、魂の真の性質である完全な利他性と共に働くことです。
 魂の界層では、分離というもの、「私」というものは存在しません。魂には私というものがなく、求められる利他的で無執着な見解と行動を植えつけています。ですから、しばらく存続して死ぬ壊れやすい肉体や、しばらく存続して死ぬ壊れやすい感情体や、肉体と同じだけしか存続しない知性体を自分と見なさないでください──それはいずれもあなたではありません! それがマイトレーヤの言われる種類の無執着です。

Q チャネリングについてどう思われますか。なぜ近頃こんなにも広まっているのですか。

A 一体、どうしてなのでしょうか。なぜならそれは容易で、よい稼ぎになり、チャネラーと情報や教えや何らかの啓発に飢えている人々の双方にとって満足のいくことだからです。チャネリングの大半はナンセンスです。
 このチャネリングは、世界中のどこよりもアメリカ合衆国で広まっていますが、19世紀にアメリカで始まった心霊運動の発展の結果です。その運動は、聖書の中のパウロであった覚者によってもたらされました。パウロは第3段階のイニシエートであり、現在はヒラリオン覚者です。それは死後の生命の継続を証明し、人類を死の恐怖からある程度解放するためにもたらされました。
 誰もが死を恐れるのは生命が続くことを信じないためです。この人生で終わりだと、死ねば終わりだと思っています。しかし、そうではありません。個人の意識は死後も完全に継続します。肉体が死ぬだけであり、肉体はあなたではありません。死ぬのは肉体だけです。その後もあなたはアストラル界でアストラル体として生き、もしあなたがイニシエートであれば、メンタル体でメンタル界に行き、プララーヤという、キリスト教で言う天国に至ります。アストラル界の低次のレベルを除いては「地獄」というものはありません。アストラル界の低次のレベルは確かに地獄と同様です。
 いわゆる「チャネリング」は、より知的なチャネラーの場合は、主にアストラル界の第5亜層から来ます。しかし、すべてのチャネリングは例外なくアストラル界からのものです。チャネリングの形態でこの世界に来るものはすべてが、チャネラー自身の潜在意識か、そうでなければ主にアストラル界の第5亜層からのものです。アストラル界には七つの亜層があります。
 これらの「教え」の中にはまともな、高度に啓発的なものさえあります。それらは人類に希望を与え、高揚させ、ある程度の啓発をもたらす価値のあるものですが、中には全く無意味なものもあり、アストラル界の地雷原を歩むには高度の識別力が必要です。
 覚者方がアストラル界を用いることは決してありません。アストラル界から来るものは覚者からのものではありません。私は特定のチャネラーを通して覚者がチャネリングしていると主張するグループを知っています。それは妄想であり、グラマーであり、ニューエイジのグラマーの最大のものの一つです。価値がないと言っているのではありません。すでに述べたように、一般的な意味で価値のある啓発的なものもありますが、それらはすべて例外なくアストラル界から来ています。
 アストラル界は錯覚の界です。覚者方にとっては、それは存在さえしません。それは人類のマインドの想念形成の過程によってつくり上げられたものです。私たちはアストラル界に覚者方についての私たちの概念やアイディアを投影し、それに波長を合わせることで再び自分自身にそれを投げ返しているのです。それが起こっていることです。それらは想念形態です。教えを与えているのはアストラル界にある覚者方の非常に固まった想念形態であり、それは高次のメンタル界から働く覚者方と接触していたイニシエートたち、ブラヴァツキーやアリス・ベイリー、ヘレナ・レーリッヒのような人々の元の教えを読んだ人々によってそこに置かれたものです。覚者方は意識のレベル、高次の界、コーザル界、魂の界から働いており、アストラル界に接触することは決してありません。