正義と分かち合いのために声を上げる――選集

Speaking out for justice and sharing──acompilation

今日、リーダーたちの先を行くのは民衆であり、彼らの理解と必要を大きな声に出している。次から次へと続く諸国家において、民衆の声はより焦点が絞られて明確になっている。何千万の人々が今や教育があり、彼らの必要——平和、仕事、将来への希望——について確信を持つ。ますます大きくなる和合への感覚もまた彼らの期待と要求を告げはじめている。彼らは自分たちが世界の中で孤立していないことを、至るところに同じ問題と必要を抱える多くの兄弟姉妹たちがいることを知っている。

このようにして、マイトレーヤの臨在と教えに気づかなくても、彼らはマイトレーヤのエネルギーと影響に反応しつつあり、将来の枠組みを築きつつある。
(『覚者は語る 2』ー和合へ向けた変化ーより)

平和と正義と同胞愛を呼びかける者すべてを、わたしは支える。兄弟たちを愛する者たちすべてを、わたしのもとに招く。彼らはあらゆる党派から、あらゆる国家から、わたしの周りに集い来るだろう。わたしは彼らの心を希望と愛で満たす、そして彼らはその数を増し、勢いを増して、世界を征服する。この過程は始まった。すでに人々の声は聞かれ始めている。ますます声を大にして、彼らは正義と平和を求める。
(『いのちの水を運ぶ者』第131信より)

世界の民衆は自由、正義、平和についてのビジョンをつかまえた、そしてそれを放さないだろう。指導者たちではなく、彼ら民衆が未来の輪郭を描き、彼らの必要に合わせてそれを形づくるだろう。そのようになるだろう。世界にあるこの新しいフォース——民衆の声——は急速にその力と結合力を増しており、今後の世界の出来事に主要な役割を果たすだろう。(『覚者は語る2』ーマイトレーヤのお導きーより)

マイトレーヤ御自身がメッセージ第135信で言われました。「善意の人々が集団をなして、正義と平和への希望と夢を高く掲げて振り回すだろう。この叫びが各国家の中に真理の松明たいまつを灯すだろう、そしてその中心にわたしが居る」。まさしくこのことが今、米国やヨーロッパにおける平和行進で起こっていることです。これは人々が分かち合いを、そしてマイトレーヤを受け入れる準備があることを示していると思います。彼の言葉を受け入れる準備ができていることを示します。このようにして彼は、我々の要求と志向を喚起し集中させます。教育のある世界世論の集中的断固たる意志に抵抗できる政府は地上に存在しません。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』)

ついに、これらの声は聞かれつつある。ついに、マイトレーヤの慈悲のエネルギーは、いまだ彼の臨
在に気づいていない大勢の人間の心(ハート)の中に反応を見いだした。やっとのことで、富裕国の政府は正義と平和を求める国民の要請に応えつつある。彼らの将来は、国民の声に、ますます明確に強力に響いてくる国民の意志表明に、耳を傾けるかどうかにかかっていることを、彼らは感知する。諸国の政府に理解させよう、国民の声は知恵の声であることを。それはリアリズム(現実感)と真理への呼びかけであり、健全なより良い世界につながる唯一の行動への呼びかけである。
(『覚者は語るⅡ』ー暗闇の中からーより

人間は非常に病的な状態にあるこの世界を救わなければならない。世界の一般の人々によって、その努力がすでに始められているのを見て、わたしたちの心(ハート)は喜ぶ。わたしはそのような人々に今語りかけている。あなた方の声を大きく上げなさい。あなた方の必要を世界に告げなさい――平和の必要を、正義と自由の必要を、宗教や皮膚の色や人種が何であれ、すべての人間が調和のうちに生きることの必要を告げなさい。すべての人間は本質的にひとつである。彼らはわたしの兄弟であり、わたしは一人ひとりを愛する。
(『覚者は語るⅡ』ーマイトレーヤからのメッセージ、2008年3月27日ーより)

あなたの声を聞かせなさい。あなたが信じるもののために語りなさい。すべての人のための正義と自由を信じるのなら、そう言いなさい。記事を書き、新聞に送りなさい。大昔からのグラマー、イリュージョン、抑圧の束縛から人類を解放するためのあなたの貢献として、このことについてあなたの意見を述べることで貢献しなさい。人類自身こそが世界を変えなければならないということを覚えておきなさい。マイトレーヤは鼓舞し導くために来られるが、私たちが仕事をしなければならない。
(『光の勢力は集合する』)

今日、大体において、民衆の声は、若者の声である。諸々の政府、そして彼らのコントロールの下にあるマスコミは、若い人々の声と志向を主として無視するか、あるいはけなす。しかるに、答えを持つのは若者である。彼らは、人類がひとつであることを理解し、公平さを、正義と分かち合いを、戦争の終止を呼びかける。そのような若い人々の声を決して黙らせることはできないし、長い間無視することはできないだろう。老いも若きも、民衆の声はマネー(金)の男たちの訴えるような声をかき消して、人類を「新しい夜明け」に導くだろう。
(『覚者は語る2』ー若者が舵を取るーより)

今日再び、民衆の声が聞き届けられるべき時が来た。今日再び、至るところにいる人々の正義、自由、平和への要求が、無謀な権力を振りまわす者たちの耳に届き、それらが認知されることが不可欠である。権力のグラマーに取りつかれたこれらの危険な者たちは、戦争の時代は過去のものであり、人類は急速に消えつつある平和と安全を願っているということに気づかなければならない。小さな“ナポレオン”たちに、彼らの権力の日々は終わり、完全な時代遅れであることを、今や力(パワー)は人々の本当の必要に仕える者たちにあることを、知らしめねばならない。
(『覚者は語るⅠ』ー民衆のパワーの盛り上がりーより)

あなたは一人ではありません。世界中の何百万もの人々の一人です。正しく思考する何百万もの善意の人々の一人です。彼らに加わりなさい。彼らも、あなたと同じように世界の平和を欲しており、世界にある不正義(非公正さ)が平和を妨げていることを知っています。それを知らせなさい。他の人々やグループに加わりなさい。人類は善に向けての途方もない力(フォース)であり、変化は民衆の上げる声を通して起こるでしょう。すべての国で民衆の声が沸き上がるでしょう。それは、人々が知ろうが知るまいが、マイトレーヤによって鼓舞され、導かれ、活性化されるでしょう。(『人類の目覚め』)

国民の声はすでに耳を傾けられ始め、この代表政治の形態がイデオロギーを通して大衆をコントロールするやり方に取って代わるだろう。すべてが非常に急速に動いているので事態は政治家の手に負えない。新しい政治の時代が始まった。認識が人々を自らの基本的人権に目覚めさせ、自由とそして自らに対する、またお互いに対する責任に目覚めさせている。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』ーマイトレーヤの予報「新しいエネルギーが地球に充満する」ーより)

この惑星全体に広まる現在の物質主義の不正を、心(ハート)のうちで拒絶する人々が今日たくさんいる。彼らは正義と平和を願い、それらの達成のために行進しデモをする。ますます多くの世界の民衆が一緒になるとき、強力な男たちの行動を変えるだけの力を持つことを認識し始めている。かくして、マイトレーヤは民衆を信頼し、彼らの要求に声を与える。かくして、彼は民衆の行進に参加し、彼の声を彼らの声に加えられる。
(『覚者は語るⅡ』ー暗闇の終わりーより)

あなたがたは、意識しようがしまいが、心の中で、わたしの存在の事実に、わたしの呼びかけに応えたからこそ、今ここに集うているのである。それなら、この事実を人に伝え、人類を招いている単純な真理の道を指し示すことを、あなたがたの仕事としなさい。分かち合うことが神聖なることを、愛することが神の特性であることを、共に働くことが人の運命であることを、彼らに教えなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第19信より)

穏やかに、しかしきっぱりと、マイトレーヤは人間を彼ら自身の最高の利益のために行動するように説いていくだろう。兄のように、彼の家族の若いメンバーたちを一歩一歩彼ら自身の真理に向けて導いていかれるだろう。その時は遠い先ではない、いや実際、非常に間近である。世界中の民衆の心(ハート)に希望と歓びが同じように持ち上がるにつれて高まっていく彼らの声を見守り、耳を傾けなさい。そのとき、あなたは車輪が回転したことを知るだろう。貧困と不正義の苦痛はもはやなくなることを、戦争の冒涜ぼうとくは永遠に放棄されることを、愛の法則が、このわれわれの世界の至るところに住む男女の心(ハート)の中にその正当な位置を見いだすことを、知るだろう。
(『覚者は語るⅡ』ー民衆は目覚めるーより)

すべての者に、わたしの臨在の事実を知らせ、喜んでわたしの側に来なさい。分かち合いと正義の必要を説き、自由のための鐘を鳴らしなさい。我が友よ兄弟よ、あなたが兄弟たちの味方であることを知らせなさい。あなたの兄弟の手を取って、わたしのところへ連れてきなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第109信より)

行進やデモで、人々が正義と平和と穏健さを呼びかけるところに、マイトレーヤの姿が色々な変装で見つけられるかもしれない。その中で彼は民衆の役を演じ、彼らの名のもとに話をしている。彼の愛のエネルギーがこれらの正義の集会に充満しており、彼らをさらなる努力へと鼓舞する。マイトレーヤの力が彼らのものとなり、彼らは臆せず、確信を得る。このようにして、愛の主は憎しみの潮流を変えて、何百万の人々の熱意を強化しておられる。そして、至るところで人々は彼らの運命について認識し、そして彼らの心からなる願望を実施するための手段を探し求めている。
(『覚者は語るⅠ』ー束縛の終止ーより)

だから、分かち合いと正義について語る男を探しなさい。あなたがたと変わらない男、単純そのものの真の男を探しなさい。わたしの手を取りなさい、我が友よ、そして共に楽しく輝ける未来へ歩いていこう。この呼びかけが聞こえないのか。それはわたしの心ハートから発する。苦悩の叫びが聞こえないのか。それは人の心ハートから発する。その叫びがわたしをここにもたらしたのである。
(『いのちの水を運ぶ者』第115信より)

マイトレーヤの愛のエネルギー――「裂開れっかいの刀」――の効力が現在の世界にある極化をつくり出したのであり、それは人類に前進への道をはっきりと示すであろう。包括性ほうかつせいと愛、正義と人間の精神の自由のために闘う者はすべて、彼の周りに集うであろう。分離主義と搾取、競争と貪欲に味方する者は、同じく明らかになるだろう。そして人類の前にある選択は非常に明瞭になるだろう――愛と憎しみ、分かち合いと貪欲、平和と競争、生と死との間の選択である。マイトレーヤは(メッセージ第11信の中で)言われた。「わたしの心はあなた方の答えを、選択を知っている。そして喜んでいる」と。彼の愛のエネルギーに応えて、人々はすべての国々において、様々なグループをつくり、正義と平和と正しい関係を要求するだろう。(それはもうすでに始まっている)。間もなくこれらのグループは世界で最も大きな、最も強力な勢力となり、平和と善意の新しい時代を招じ入れるだろう。(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』)

民衆の声は高まりつつある、いや(すでに)高まった。そして彼らは人々に、自分たち自身を宣言するように呼びかける。民衆は恐れることなく、はっきりとした目で将来をのぞき、公平で、平和な世界を求める彼らの志向の実現の可能性を見た。これはひとりでに起こらないことを、兄弟姉妹たちと共に、実現するための力(パワー)を自分たちの手に握らなければならないことを、彼らは知っている。また彼らは、その道が困難であり、危険なことも知っているが、それを不成功に終わらせるにはあまりにも貴重な褒美ほうびである。なぜなら、それは同胞愛という褒美、正義、平和という褒美、そしてすべての人間にとって、より良い、より簡素な、より真の人生という褒美であるから。
(『覚者は語るⅡ』ー民衆の声が将来を先導するーより)

マイトレーヤの任務は、世界世論を活気づけて、それを数個の単純なアイディアに集中させ、人々が至るところで、正義を、自由を、呼びかけるようにすることである。正義を達成し、戦争を終わらせ、平和を創造する唯一の方法として分かち合いを呼びかけるようにすることである。平和とテロリズムの終結は正義の創造にかかっており、それを達成する方法は一つ、世界資源の分かち合いである。
(『多様性の中の和合』)

今日、変化の必要を認めてはいても、まだそれに抵抗する者が多い。古き使いふるされた過去の世界がくずれていくのに気づいていながら、なお古い形態にしがみついている者が多い。しかし国々に新しい声が聞こえる――希望と約束をはらんだ真理の声が、新しい時代の声が。この声は人々の心に刻みつけられていく、次第に強さを増しながら。なぜならこの声は、人間を通して語る神の声であるから。
(『いのちの水を運ぶ者』第12信より)

若い男性がマイトレーヤを探す

ヤネス・フェルヤンチク

 これは1996年6月の出来事である。その当時、私は数年前から再臨のアイディアに親しんではいたが、スロベニアには活動中のグループがなかったため、活発に活動をしていなかった。1日に長時間の個人瞑想をしていた時期であり、私は若く元気で、おそらく少し繊細で、自分が望むような場所や時期にマイトレーヤを見つけることができると思っていた。
 今振り返ってみると、マイトレーヤを探すことは、若い男性が太陽の下で居場所を見つけるような試みであったと思う。証拠や兆しを求める人は依然として存在し、この体験談は彼らのためのものである。マイトレーヤとベンジャミン・クレーム氏の真我に関する教えが広く理解されるようになれば、兆しは必要ではなくなるだろう。

1996年の夏、私はロンドンに1週間の「波動の調査」の旅行に行くことを決めた。それは私にとって初めてのロンドンへの旅行であり、私はすぐにイスラム教地区でマイトレーヤの『探索』を開始した。私は毎日、ロンドンの様々なモスクで、イスラム教徒と共に祈りに参加した。私はイスラム教徒の偽りのない献身に本当に感銘を受けるようになった。そのような種類の献身を見ることができたのは、これまでキリスト教の修道院や仏教の僧院だけであった。私はあらゆる種類の人々と出会った。ソーシャル・ワーカーからイマーム、スーフィーからサウジアラビアのシークなど、すべての種類のイスラム教徒と終わりのない宗教的な議論にふけった。私は彼らの祈りに参加し、彼らは私の献身に感心してくれた。彼らは、私がイスラム教徒になろうとしており、スロベニアでイスラム教を広め、当時戦争で苦しんでいたボスニアのイスラム教徒を援助するだろうと考えていた。次に私にとっての問題が始まり、私は困惑したのである! 私にとって、すべてが嘘であった。なぜなら、探している人物を彼らが知っているかどうかをどのように尋ねればよいか、私には本当に分からなかったからである。
 マイトレーヤがホワイトチャペル・モスクに定期的に来ていたと聞いていたため、私は東ロンドンのホワイトチャペル地域を散々にさまよい歩いた。私は毎日のようにそこに行き、夕方には当てもなくうろついた。最初の瞬間から、私はモスクのエネルギーに強い印象を受けた。それはちょうど、教会でたまに経験するキリストの波動のようであった。私は後方に立ち、祈りに参加する数十人の人々を毎日注意深く観察していたが、探していた物や人を全く感じることができずに、日々がただ過ぎていくだけだった。
 そして、イスラム教徒にとって聖なる日である金曜日がやってきた。午後1時ごろの大きな祈りでは、モスクは満員で身動きもできないほどであった。500人以上の人々が挨拶や会話をしていたに違いない。その場は、活気があり、興奮した雰囲気であった。祈りのために整列する時間になると、すべての人が、祈りを始めるのではなく、急に静まり返った。まさにその時、群衆の前で、いつもはイマームが祈りを主導する場所に、一人の男性が立っていることに気づいた。彼は190cm程の背丈で、とても痩せており、髭を生やしており、白いアラブ風の被り物を被っていた。彼は深い黄色の長いチュニックを着ていた。人が多く、彼からは実際に何も直接感じることはできなかったが、沈黙は奥深く、彼は深く尊敬されているようであった。彼は静かに話し、ある種の優しい権威により、彼の言葉は音楽のように感じられた。問題は、彼が私の理解できない言語で話していたことであった。男性の青白い顔をはっきりと見るには遠過ぎたが、男性は間違いなく候補者となった!ミーティングが終わった後で、私は彼を入り口で待ち、絶対に彼にインタビューをすると心に決めた。
 男性が10分ほど話をした後で、祈りが始まり、それは10分から15分続いた。祈りが終わり、私が彼にインタビューしようとし始めたとき、私は、以前に会ったことのある何人かのサウジアラビアの若いシークから話しかけられ、私の背景、政治的な状況、ボスニアの戦争など、あらゆる質問が始まった。私は彼らを連れてロビーに行き、男性をそこで待つことに決めた。15分間話をしながら、私は常にドアを見ていた。ようやく彼らが立ち去り、私がメイン・ホールに戻ってみると、そこは半分ほどの人出になっていた。そして私は本当にうろたえてしまった。男性はすでに見当たらず、ホールの反対側には別のドアがあった。私は急いで裏の道路に出たが、彼はどこにもいなかった。
【ベンジャミン・クレームの師である覚者は、講演者はマイトレーヤであったことを確認した】

王の帰還
ロンドンに来て前半の時期は、私はいかなるイスラム教徒にもマイトレーヤを知っているかどうかを直接尋ねることはしなかった。私はそれが全くの冒涜ぼうとくとなることを知っていたからである。私はパキスタンから来た教師について尋ねるだけであった。その人物は非常に良い教師で、非常に霊的であると聞いている、などである。後に出発が迫ってくると、私はより大胆になり、ベンジャミン・クレーム氏の著書、『マイトレーヤの使命第Ⅱ巻』から1988年のナイロビでのマイトレーヤの奇跡的な出現の写真を何枚かコピーし、この人物と会ったことがあるかを人々に直接尋ねることを始めた。会ったことのある人は、誰もいなかった。数日間、私はこれをモスクや路上で普通の人々に対して行い、イマームやイスラムショップの店員など、可能だと思われるあらゆる人に聞いて回った。
 私にはリビア出身のハッサンという良い同伴者がいて、私の言葉を通訳してくれた。例えば、パキスタンからロンドンに到着したばかりの宗教教師で、英語はあまり話しません、などである。ハッサンは毎日のように私に同行し、私がイスラム教徒になるだろうという希望の下に、イスラム教を私に説明してくれた。私が彼に写真の男性が誰であるかを説明すると、彼は面白がった。ハウンズローのモスクのイマームも同様であり、彼に写真を見せたとき、彼は何も言わなかったが、彼の目が弾けたように笑っているのが分かった。私はすべての希望を失ったようであった。
 そして、旅行の終わりが近いある日、マイトレーヤが一時期拠点としていたホワイトチャペル地域のブリックレーンをぶらついていたとき、以前に素敵な店員と出会った小さなアラブ・ショップを再訪した。私はお香と香水を幾つか購入し、彼にナイロビの写真を見せた。驚いたことに、彼はその男性を即座に認識したのである!私は自分の幸運を信じられなかった。彼は確かなのだろうか。彼は男性と会ったことがあると主張した。それはいつなのか。数年前である。どこでなのか。エジプトの女性、ザイナブ・アルガザリ氏の講演会の会場でのミーティングに彼が参加した場所、道路を数本隔てたところで。ザイナブ氏はイスラム国家を設立しようとした団体の一員であったという理由で1960年代にエジプトで投獄されていた女性である。彼女はある種の政治的、宗教的な反逆者であった。彼女は酷い扱いを受け、拷問され、ナセル政権の下で終身刑の宣告を受けたが、その後サダト政権になってから、1971年に予想外に刑務所から釈放された。彼女は後に活動を継続し、講演活動を行い、1990年代の初頭に講演でロンドンを訪れた。店員は、私が見せた写真の男性とそのときに出会ったのである。その男性はメインの講演の前に15分間話をしたが、男性が何を話していたか、彼は何も覚えていなかった。私は彼に再度、それは確かなのかを尋ねると、彼は再度、講演会で会った人物とナイロビの写真の人物は同一であると断言した。私はさらに驚いた。
 ここでついに、私は求めていた物質的な証拠を見つけたのである。次に彼は、店にあったザイナブ・アルガザリ氏の著書を見せてくれた。彼女はその本の中で、エジプトの地下牢での「苦難」と、人並みの精神生活を送る権利のための闘いについて書いている。私は店員に敬意を払いその本を購入したが、未だに全く読んでいない。私が読んだのはタイトルだけであり、それは私の心を即座に貫いた。その本は『王の帰還(The Return of the Pharaoh)』というタイトルである。
【ベンジャミン・クレームの師である覚者は、ザイナブ・アルガザリ氏の講演会にいた男性は、まさにマイトレーヤであったことを確認した】


編注:1980年代、独立系ジャーナリスト、パトリシア・ピッチョン氏は、彼女の著書『マイトレーヤを探して』(アルテ、2007年)に書かれているように、他のジャーナリストに接触し、マイトレーヤを『探索する』活動を調整した。マイトレーヤが一般大衆の前に出現できるようにするためには、メディアが人類の代表としてマイトレーヤの『探索』に十分なエネルギーを費やし、人類の自由意志が侵されないようにすることが必要である。マイトレーヤを『探索』したり、指し示したり、『つくり出し』たりすることは、ベンジャミン・クレームと共に活動する人々や、このグループに近しい人々の課題であったことは一度もない。しかしながら、1996年に起こったこの個人的な物語は、マイトレーヤは実際には遍在ではあるが、ロンドンの特定の地域におけるマイトレーヤの消息を伝えている。


編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載されたその他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

聖母の涙の癒し
編集長殿
 私の友人であるオーストラリアのアントニオ・パレナ氏が、数カ月前ベンジャミン・クレーム美術館に電話をかけてきて、これまでやってきた話し合いを続けるためでしたが、話の流れで私が最近広範囲の頸部手術を受けて、回復が難しく苦しんでいることを話しました。彼から涙を流す聖母像が存在していて、そこから涙を集めているという話をしてきて、ベンジャミン・クレーム氏から涙をホメオパシー薬局に持ち込んで、治療薬を作ることを勧められたということでした。アントニオがその錠剤を私が受け取れるようにしてくれたので、5週間前くらいから飲み始めました(手紙は2019年10月に書かれた)。首の手術の他にも、腰から仙骨にかけての重度の神経圧迫によって、脚に深刻な症状が現れてきていました。この脚の症状のせいで、もう8カ月間もほとんど眠れなくなっていました。治療薬を取り始めると、ハムストリング(もも裏側の腱)、ふくらはぎ、足、つま先の症状が一夜にして消えたのです。さらに以前の手術で飲んでいた薬のとても厄介な副作用で、生活が大変困難でしたが、それも無くなりました。こうした症状が両方とも一夜にして治ってしまい、文字通りたった一夜のうちのことで、症状が戻ったりもしませんでした。私はプラシーボ効果を起こしがちなタイプとは思えませんし、特に症状の一つが無意識の状態から発生していたこともあり、正直に言ってこれまで聖母とは何の関わりもありませんでした。子供時代の信仰でも重要視しておらず、シェア・インターナショナル誌の聖母の奇跡の写真でさえも、私にはほとんど興味のないことでした。イエスが子供時代の中心で、そのことで聖母であった覚者への関心を無くしていました。今考えてみると、それは本当に覚者方と不朽の知恵の教えに対する理にかなった反応ではありませんでした。手術からの首の回復はいまだにありませんが、そのことにも望みは高く持っています。そして解決困難な健康上の問題に苦しんでいる読者の方たちは、この治療薬を試してみたいのではないかと思いました(治療薬はwww.simillimum.co.nzで『泣く聖母の涙〈weeping Madonna tears〉』で注文できます)。
スコット・チャンピオン
米国、カリフォルニア州パームスプリングス35

相乗効果
編集長殿
 2019年11月9日の、ジョージア州アトランタのビーガン・フェスでの、シェア・インターナショナルのブースに、「ロン」という名の男性が訪れました。彼は40代中頃に見えて、メディア用のパスに「ロン・G何とか」と書かれた名札を首からかけていました(彼の名字が見えませんでしたが、ちらっと見えた感じでは、名字はフィリピーノだと思いました)。彼から「これ一体何のことですか?」、「どうして関わることになったのですか?」と尋ねられました。その時からこの情報を彼と分かち合い始めました。
 私たちが伝導瞑想について話すと、彼はノースカロライナ州のシャーロットから来たと言いました。アトランタのグループメンバーのアン・ドハティが返事をして、今はシャーロットにグループがないけれども、他のメンバーたちがそこで展示や講演を行っていて、伝導瞑想がそのうちできることを期待していると言いました。私はロンに何をしているのか尋ねると、彼はエネルギーと相乗効果についてのプログラムを組み立てていると言い、「プログラム開発者」だと名乗りました。彼はそういったプログラムをMIT(マサチューセッツ工科大学)やスタンフォード大学で教えていると言いました。私が彼に研究者たちのみに教えているのか、それとも一般の人たちなのか尋ねると、「両方です。最初にエネルギーを教えるのは、彼らが一体性と相乗効果について理解する前に、エネルギーについて知らなければならないからです。私たちの相互関連性について考えることをせずに、エネルギーについて教えることはできません。この頃人々はあまりに離ればなれです。彼らはエネルギーについて理解しなければなりません。私たちは一体性について話をしています」。
 ロンはさらにプログラムのためにたくさん旅行をして情報を集めていて、行った先の様々な町でブースを訪問していると言いました。彼は「シェア(分かち合い)は知っています。もっとたくさんのシェア(分かち合い)のブースがあります」と言いました。彼によるといつもそうしたブースで同じ質問をするそうで、「それは何についてですか?」と尋ねて彼らの話に耳を傾けるのです。時折、話の中でそれとは異なった「獲得」について語る人もいます。彼は集めた情報をプログラムに利用していると言っていました。
 その時には私たちはロンとの会話にかなり没頭していました。彼は20分ほどブースにいてから、私たちのメッセージをどのように提示するかについての、ヒントを私たちに教えてくれたのです。私たちのテーブルの背後の、「世界資源を分かち合うとき、世界に正義がもたらされる。国々の間に信頼があれば、平和へとつながるだろう」と書かれた旗を、彼が見上げました。「もし私が情報を伝えるなら、『あなたが正義や平等、平和を信じるなら、私たちに加わるように勧めます。私たちは共にもっとずっと多くのことができます。これが相乗効果です!』と言いますね」。会話のこの部分で、彼は「正義」を強調したように思えて、このメッセージをそのように伝えるという提案を二度繰り返してくれました。さらに続けてロンは、「ツナミがやって来ますよ!ツナミのような波が次々にね!」と言っていました。私たちは彼の提案にお礼を言って、私はメッセージを提示する異なったやり方を教えてくれたと彼に伝えました。私たちは彼に再び名前を尋ねると、彼は「ロニー・ツナミ!」と答えました。
 後になって私たちは様々な人たちとのあらゆる素晴らしい交流のあった、ビーガン・フェスでの一日について話をしましたが、ロニー・ツナミは私たちの展示に、正義や平和、平等への強調という、異なった観点を提案することでイベントの展開を暗示していたと皆で確信しました。あるメンバーが「ロニー・ツナミは特別な方だと思う?」と聞いてきました。答えは「もちろん!」
クリスタ・ペレス
米国、ジョージア州アトランタ

クリスマスの精神
編集長殿
 昨年の2018年、私は夫と共に地元の郊外にある劇団による、チャールズ・ディケンズ作のクリスマス・キャロルの製作に参加しました。そのお芝居は当時の貧困の大変に胸の痛むような様子を描いていました。私は静かに泣き始め、マイトレーヤに「どうか急いでください、堕落に苦しむ皆のために、どんどんひどい状況になっています」と無言の訴えをしたのです。
 何とか最後までやりおおせて、劇場から出ていくと、素晴らしい出演者たちがホワイエでホームレスのために募金を行っていました。私は到底十分ではないと思いながらも、20ポンド(約2,800円)を箱に入れました。私たちは少し食料品が必要だったので、地元の食品店に行きました。レジの所で陽気なレジ係が私たちの最後の商品を精算していた時、30代の男性が突然現れて、1本のパンと赤ワイン1瓶をバサッとカウンターに投げ出しながら、自分のカードを機械に押し当てたのです。私は少しイラッとして、私たちはまだ終わっていないと彼に言いました。彼は「ああ、そうね、僕は急ぐから」と答えました。彼はお酒を飲んでいるのではないかと思いながら、レジ係に彼の精算をするように合図しました(その時は私たちが自分たちの買い物の精算をやり直さなければならないだろうと思っていました)。その男性はさっさと歩き出しました。夫が買い物を袋から出し始めると、レジ係からその男性が私たちの買い物の支払いをしたと言われました。私は彼を呼び止めて、「待って、あなたに支払いがあります」と言いました。彼は振り向くと手を振って、「メリークリスマス!」と大声で言って、さっと外へ出ていきました。かなりあ然として、私たち3人はお互いに顔を見合わせました。素敵なレジ係がクスクス笑いながら、「クリスマスには不思議なことが起きるものです」と言いました。
私たちの買い物はちょうど20ポンドと少しでした。
H.S.
英国、オックスフォード

読者の皆様へ

 新しい読者たちはシェア・インターナショナル誌がその目的をどのように定義しているかを知って、興味深く思うかもしれない。私たちは自分たち自身を新しい時代の声として、希望のメッセージや勇気づけ、有用で鼓舞される情報を運ぶ者として見ている。私たちは一般的なメディアが気づいていないような、原因と目的が根底にあることを考慮に入れた、世界の出来事に対する見解を提供することを目指しており、例えばこの惑星の進化のための大計画の存在が、世界の出来事の背後にある意識を示唆しているのである。一つの重要な世界的イベントは、この困難の時代に人類を助け導くために、今この現代世界におられる世界教師マイトレーヤと知恵の覚者方の、公に認知される顕現である。
 自然界の他の界との関係のみならず、お互いとの、そしてこの惑星との正しい関係へと私たちが移行するのを助けるために、マイトレーヤは分かち合い、つまり世界資源の公正な再分配を勧め、77億の人々すべての権利が保障される、社会正義と公平な国際的システムを成し遂げることを提言されている。それと同時にすべての国々は、環境の保護と保全を目的とし、この惑星の完全な健康を取り戻すための大規模なプログラムに、早急に協力しなければならない。
 多くの様々な国々での民衆の力の止められない高まりは、人々の集団が彼らの基本的な人権を要求する勇気と決意の中で増大するにつれて起こり、マイトレーヤや覚者方、ベンジャミン・クレームのような弟子や、世界の変容のために働く、その他の善意の人々の活動のとてつもない影響を示しているのである。マイトレーヤは日々、社会的に無視され、声を持たない人々の必要や希望を声に出している。彼のエネルギーが新しい世界を創造している。十分な人々の準備が整い、変化を要求しているために、彼は一人の現代人として今ここにいる。
 そのことを心の内に留めて、この惑星と数十億の人々の絶望的な状況を見れば、私たちはいつものように、あたかもマイトレーヤが公に広く認知される出現が、本誌の初代編集長であるベンジャミン・クレームによると『すぐそこまで来ている』かのように活動する。私たちの情報を広めるために、誰でもすることのできるあらゆることは、その過程に対して計り知れない貢献となることも、私たちは知っている。人々が彼の存在を知ろうが知るまいが、どこでも人々は長年待望された教師を見ることを切望している。一つひとつの『機会の窓』がよりオープンな出現への可能性をつくり出し、実際に彼の出現はいかなる時点でも起こり得る。彼のみが、そのような途方もなく大きな一歩をもたらすために必要とされるすべての条件が整う時を知るのである。私たちはこのことを彼の手に委ねる以外になく、過程を早めるためにできることに集中するのみである。彼の『帰還』のために働く人々は、ただ自らの努力を続け、彼の存在を確信し、他の人々に情報を知らせて、より良き世界に向かってマイトレーヤの優先事項の実現を促進するために働く。
 今年が終わるにつれて、人々の声の響きは次第に大きくなっており、私たちすべてができることについて、ベンジャミン・クレームが述べたことを思い起こす良い機会であるかもしれない。
 「人類の反応が変化の速度を決めるのです。そしてそれは起こらなければならないすべての変化の必要について、人々が話をすることに大いに左右されるのです。十分に多くの人々がそのことについて話をし、変化を要求するとき、マイトレーヤは出て来ることができるのです」
 2013年のベンジャミン・クレームとのディスカッションで、重要なポイントの一つとして彼が挙げたのは、グループの仕事と大宣言のタイミングの間には直接的な関係があるということであった。
 「私たちが大宣言の日に影響を与えるのです。私たちがグループ(世界中のグループ)としてやることと大宣言の日がいつになるかには、直接的な関連があります。大宣言の日は多くの人が考えているより早く訪れるでしょう。私たちはそれがすぐそこまで来ているかのように働く必要があるのです。実際的な意味では、マイトレーヤが1982年に最初に出て来られたかもしれない時と比べて、それよりもずっと早まるでしょう」
 グループは何に焦点を合わせるべきなのか。「話して、話して、話すのです。聞く耳のある人には誰でもいいから話をするのです。たとえ、しどろもどろでも、及び腰でも構わない。勇気を出しなさい。勇気を奮い立たせなさい。そしてハートから話しなさい。人々は答えを探しています。彼らには希望が必要です。私たちの仕事は人々を鼓舞することです」
 ということは、グループが私たちの情報を知らせる仕事を引き受ければ引き受けるほど、大宣言の日はより早くやって来るということなのか。
 「大宣言の日は、前もって決められた日時はないことを理解しなければなりません。それは私たち次第なのです。タイミングは分かっているのですが、日時はまだ決まってはいません。それは私たちのグループとしての有効性にかかっているのです。その日は私たちの働きを通して実現させることができるのです。より多くの人が、ただただ、もっと出かけていって話をしなければなりません。聞こうとする人すべてに話をするのです。すべての機会を捕まえなければなりません。
 グループは機械的な奉仕から抜け出す必要があります。私たちはこの非常に特別な情報に対して機械的で習慣的な反応をしないようにしなければなりません。新しい、より良い方法を推し進め、生き生きとして突き進まなければなりません。あまりにも少数の人しか話をしていません。あなた方は情熱を見つけ出し、ハートをその火で燃やさなければなりません。広告は有効であり、必要です。しかし、最善のことは話すことです。私たちは緊急性の感覚を持たなければなりません。いつも自分の目の前に、自分はこの仕事をするためにこの時期に生まれてきたのだという事実を掲げていなければなりません。私たちは、希望を与えること、鼓舞すること、この情報を伝えることによって奉仕をするのです」(シェア・インターナショナル誌2014年1月号)
 シェア・インターナショナル誌はこの機会に読者の皆さんに、1年のうちの楽しい祝祭の時をお祈りし、健全で寛容なグローバル社会のための欠くことのできない基礎としての、平和や正義、確立された善意への切望を分かち合いながら、人々が共に祝い集うことを願いたいと思います。皆さんのご支援と励ましに感謝いたします。2020年を心待ちにするとともに、皆さんに新年の祝福をお祈りいたします。

シェア・インターナショナル・チーム

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、ベンジャミン・クレームは広大な範囲の領域に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q マイトレーヤが公に現れた後に変化を欲しない人々には何が起こりますか。例えば、キリスト教原理主義者のような人々です。(アメリカのラジオ・インタビュー、1991年11月27日)
A 変われない人々は、変わらないでしょう。彼らはたぶん次の転生で小さな赤ん坊として生まれ、そのときに変わるでしょう。しかし彼らは彼らのマインドを条件づけ遮蔽(しゃへい)する教えや教義やドグマにあまりにも条件づけられているので、目の前のリアリティを見ることができません。実際、これらのキリスト教団体は最後までキリスト――「彼らの」キリストを認知しないでしょう。彼らはキリストについて間違った考えを持っています。彼は天国の神の右手に座っていると思っています。そうではありません。彼らは、キリストが唯一の神の息子であると思っています。そうではありません。彼らはあなたや私のような人間であり、偉大な霊的存在、一人の神にまで進化した存在です。すべての覚者方は神であり、私たちも潜在的にはそうです。キリストや仏陀、または「普通の」覚者との違いは、彼らはある種の完成を達成していますが、私たちはその途上にあるということです。彼らは私たちがいつかそうなるべき模範です。それは誰にとっても真実です。彼らは既製品の天国から降りて来る神々ではありません。彼らは、ちょうど私たちが神々となるのと同じように、進化のプロセスを経て神々となったのです。今日の人類と初期の動物人間を比べたら、そこには膨大な距離があります。しかし覚者方と比べたら、私たちは何者でもありません。彼らの見地からは、すべての可能性はそこにあります。彼らは潜在的な可能性を知っています。私たちは自分の可能性を知りません。
彼らはこの可能性を私たちに示すためにもっと多く世界にやってきて、私たちがいつかそうなれることを示します。彼らを見るとき、彼らのマインドの輝きが分かるでしょう。彼らのビジョンの広大さ、世界を愛し仕える能力は、計り知ることができません。キリスト教原理主義者たちは、マイトレーヤを恐れ、憎んでいるので、頑かたくなになっています。彼は彼らを傷つけたりしません。彼は彼らを愛しており、愛するのが容易な人々よりも愛しています。なぜなら彼のマインドには、彼と彼らの間に分離がないからです。いつか彼らは、彼が愛の主であり、いかに愛するかを教えるために来たことを知るでしょう。それを学ばなければなりません。

Q どうすれば愛のエネルギーを今、今夜、今日受け取り始めることができますか。それは可能ですか。
A それは受け取るという問題ではありません。それはすでにそこにあります。あなたの本性に本能的に備わっているものです。あなたは転生した魂です。魂の性質は愛です。それは自然なことです。しかし、あなたはそれを放出するかしないかです。ほとんどの人はしません。なぜなら恐れているからです。拒絶されることを恐れます。私たちが強くなければ人々は私たちを愛さないと思っています。私たちは競争しており、お互いに競争している限り、愛を表現することはできません。競争は価値あるものではありません。競争は恐怖の結果であり、恐怖があるところには愛はりません。恐怖を取り除きなさい。そうすれば自動的に愛が表現されるでしょう。

Q 子供には特定のエネルギーがあります。彼らは生き生きしていて、愛の精神に満ちており、私たちもあるレベルでそれを持っています。私たちはどうにかして、最初に転生したときの、この真のフォース、愛の力とつながっていますか。
A 疑いなくそうです。子供たちは世界のあらゆる必要に満たされていません――どうやって生計を立てるか、生活していくかについて知りません。各教師がやってきて、教えを与え、死んで世を去ります。教えを保つために、教師は神へと高められ、彼を天国やニルヴァーナに持ち上げます。そうして私たちは腐敗した日常を続けることができます。彼は私たちの肩越しに私たちが仲間の背中を刺すのを見ていたりしません。子供たちはそのようなことはしません。確かにおもちゃを巡って争ったり、子供たちの中にも利己心はありますが、それは彼らが彼らの問題を備えて転生してくるからです。しかし、彼らは無垢な心を持っています。彼らのマインドは自分たちのために物事をこしらえません。人々を操作したりしません。子供たちは概して他の人々を操りません。私たちは自分の必要を満足させるために誰もかれも操ります。私たちは誰もかれも利用し、それが私たちの有害さです。そうすることで自分を破滅させています。人々が自分を好み、尊敬し、欲するものを与えるべきだと思っています。人生で常に欲望を満足させ続けていますが、進化の道は欲望を殺すことです。仏陀は、「欲望を殺し、真理を悟りなさい」と言いました。私たちが神と呼ぶものは、私たちの裡うちにあります。私たち自身と分離したものではなく、私たちの裡うちに、周りにあります。それ以外のものは存在しません。子供たちはくだらないもので心をいっぱいにしていないので、それを顕あらわします。前世から持ち越した少しのものはあるかもしれませんが、子供たちは素晴らしい無垢さ、不思議を感じる心を持っており、世界は新鮮なものです。子供のころ、クリスマスの前に雪が降ったときのことを覚えているでしょう。今では、雪かきしなければと思うと苦痛に思えます。私たちは不思議を感じる心を失っています。

Q マイトレーヤとイエス・キリストの間の関係は何ですか。
A ロード・マイトレーヤ、キリストは、キリスト原理、神の愛の様相を体現しておられます。彼は弟子イエスを洗礼から磔刑までオーバーシャドウし、イエスは、この3年間、キリストになりました。しかし、キリスト、ロード・マイトレーヤは、つい最近までヒマラヤに留まられました。弟子をオーバーシャドウすることはアバター出現の通常の方法です。イエスは(覚者となった後)モハメッドをオーバーシャドウしました。モハメッドはイエスの弟子でした。イエスはモハメッドを通してコーランを与えました。宗教紛争は完全に人工的で、人為的なものです。ただ一つの教えがありますが、様々な形を取っています。それぞれの宗教が、特定の集団、特定の伝統、思考や感情の様式に向けた時間と空間の中で教えの様相を体現し、彼らは特定のやり方で教えを解釈します。しかし、純粋な形で私たちに与えられた教えは一つもありせん。すべての教えは、多かれ少なかれ、歪曲されています。なぜならそれが普及するのに何世紀もかかるからです――最初は口伝で。必然的に、これらの歪曲が忍び込み、公認の教えと非公認の教えが出てきます。しかし、これらすべての教えの底にあるものは、秘教の伝統であり、この伝統に従う人々以外には隠されています。

11月号目次

 

覚者より
新しい簡素さ
■ベンジャミン・クレーム筆記

視点
気候危機 700人の科学者が市民的不服従を支持する
ジェイク・ジョンソン

弟子(第2部)
アート・ユリアーンス

S.O.P. (save Our parnet)―われわれの惑星を数え!
気候変動に対する抗議の広がり

緑の政治の台頭 ー グラハム・ピーブルス

エクスティンクション・リベリオンは迷惑なものなのか?
アンドレア・ジャーマノスによる記事からの抜粋

自然の癒す力
アナ・スウィーストラ・ビエ

時代の徴
シカゴの教会で涙を流すマドンナ像

同胞愛と協力 一選集
Brotherhood and co-operation —a compilation

金融システムはどこで持続可能性と衝突するのか
マリーケ・オプテンノールとアンネリース・オプテンノールによる クラース・ファン・エグモンド氏へのインタビュー

不平等は文字通り私たちを殺している

サム・ピッツィガティ

編集長への手紙
冷静沈着 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

新しい簡素さ

ベンジャミン・クレームの師である覚者は、シェア・インターナショナル誌の創刊以来、毎月記事を提供してくださった。それは、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。実際、この記事は、それが最初に掲載された1987 年5 月の時よりも今の方がより関連性があるように思われる。

新しい簡素さ
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 あまり遠くない将来、人間が自分たちは神であることを確信する時がやって来るだろう。神性が達成されると、それは兄弟同胞愛として実際に顕され、人類が神より与えられた能力と力(パワー)を展開していく文明の創造を通して実演されるだろう。
 キリストと覚者たちの刺激のもとに、人間は知識と洞察を授かるだろう、そしてそれが新しい在り方と意味の展望を彼らの目の前に開くだろう。その結果として、必然的に新しい形態の創造、生活と仕事の新しい技術、新しい製造手段、新しい目標とゴールの創造が流れ出るだろう。そしてそれによって人間の業績が測られる。人生に対するまったく新しい対処の仕方が、新しい関係と儀式を通して表現されるだろう。
 はじめは、変化はゆっくりとしたものであろう、しかし徐々に、広範囲の変化が世界を変容させるだろう。各国は、それぞれユニークな贈り物を新しい世界の融和のために寄与するだろう。何にも増して、新しい善意の精神が人間の行為を動機づけ、本当に永続する平和の創造につながるだろう。そのようになるだろう。そのようにして、「すべての国家の願望」がわれわれの直中に確立されるだろう。そのようにして、人の子たちは、自分たちを神の子として認識するようになるだろう。
 今日多くの者が、現在の困難と危険の迷路を無事に通り抜けるのを助けてくれる案内者を、「約束の地」に、「ミルクと蜜であふれる地」に、潤沢な地、豊かな地に、彼らを導いてくれる案内者の顕現を、アバター(大聖)の、偉大なる教師の顕現を待つ。大教師についてのこのビジョンはまったく誤ったものではないにしても、深い物質主義の見方を反映している。豊かさは、もちろん確かにあるだろう、すべての界において、人間に「新しいいのち」をもたらすだろう。この「新しいいのち」は、キリストを通して集中され、すべての人間に提供される宇宙の霊的贈り物である。しかし、豊かな地は今日でも、すべての人間のものであり得る。現在の過ちを正すのにアバター(大聖)を待つ必要はない。人間が自分自身を救うことができるとき、 救い主の必要はない。「あなたの兄弟の窮乏をあなたの行動の尺度となして、世界の問題を解決しなさい」。かくキリストは語られ、すべての者のための正義と潤沢への単純なステップを描かれたのである。
 アバター(大聖)が人間の個人的な病気を癒してくれることを待つ者は多い。彼ら自身が治療法を自分の手の内に持つことを忘れているのである。「人間は誰も孤立した存在ではない」し、またそうあるべきではない。そしてすべてのものの必要が満たされるとき、個人が栄えるだろう。
 繁栄とは、「誰も窮乏することなく」、大金持ちも極端な貧乏人も存在しない状態なのである。贅沢と飢餓が手に手をとって進んでいる今日、人間はこのような祝福された状態から程遠い存在である。
 新しい簡素さをキリストは人間に提供し、そして彼らはすべて兄弟同胞として分かち合うだろう。協力がこの簡素な生活の基調であり、資源の分かち合いが毎日のなすべき事項になるだろう。このようにして人間の神性は表され、このようにして大計画は人間を通して成し遂げられるだろう。
 そこで人間にとって偉大な冒険が始まり、それは彼らを最高の高みにまで連れて行くだろう。簡素さの中に、意味と目的で豊かに満ちた新しい人生を、人々は知るようになるだろう。宝瓶宮の「いのちの水」から、すべての人間が心(ハート)の裡で請い願うあの霊的豊かさが流れ出るだろう。
 このようにして、金や権力、特権や威信の問題に対して、新しいアプローチがなされるだろう。奉仕への欲求が利益を求める欲望に取って代わり、正義への願いが分離的な貪欲に取って代わる。各人が、この新しい自由の創造の中で、それぞれに演ずる役を持つ。今のこの時の出来事を感知する者はすべて、自分たちの役割を良く演じなければならない。

同胞愛と協力──選集

Brotherhood and co-operation – a compilation

「同胞愛と協力」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第㈵巻と第㈼巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

人間がこの豊かな世界の産物を共に分かち合うことを決断するとき、途方もない神秘的な出来事が起こるであろう──一瞬にして、人は戦争の必要は過去のものであることを、テロリズムの脅威は速やかに消え去ることを認識するだろう。分かち合いによって生み出される信頼によって、環境問題や領土問題など人間が直面する問題は開花する善意の中で解決可能なことを認識するだろう。分かち合いを通して、人間は自分たちが兄弟姉妹であることを認識するだろう。そして密接に協力する兄弟姉妹として行動し、この世界の変容の過程を始めるだろう。
(『覚者は語る 1』─人生の秘密─より)

前進するために、人は古きものに対して死なねばならない。いつの時代もそうであった。だから、我が友よ、この転換の時に、古き機構を放棄しなければならない。そしてただ同胞愛の中で、すべての人は分かち合わねばならない。
(『いのちの水を運ぶ者』第118信より)

人間が宇宙と自分自身をひとつとして見るとき、すべてが可能になります。すべてがそのことについてなのです。私たちは自分たち自身をひとつとして、宇宙と一体として見なければなりません。私たちと宇宙との間に何の違いもありません。私たちは地球上のすべてのいのちと、すべてのものと本質的に関連しているのです。私たちを構成する原子構造が宇宙全体に私たちが見ることのできるすべてを構成しており、唯一なる和合が存在するのみです。
ですから、和合へのこの願いが、グループに参加することが、グループの集合が、そして来るべき新しいアクエリアス(宝瓶宮)の時代におけるグループのこの真剣な努力こそが重要な仕事となるでしょう。重要な仕事で個人ベースで行われるものはないでしょう。グループ(集団)の時代です。その活動を世界全体が共に行い、地球という惑星の基本的和合を表現するようになるまで拡大していくでしょう。
(『協力の術』)

世界的相互依存というリアリティ(現実)がわれわれの認識の中で確立された事実となるだろう。そうなる時「すべての人間は兄弟姉妹である」という事実が制度機構や実際的活動計画の中にますます取り入れられて、この実体を反映するものとなるだろう。諸国家も同胞愛、共通の目標、共通の抱負を体験することができ、そうなるだろう。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』ーマイトレーヤの予報ーより)

今から数年後に振り返ってみるとき、人は、明らかな最も自然な行動、すなわち世界の資源の分かち合いを実施するのに、なぜあんなに長い間躊躇していたのか不思議がるだろう。新しい安定感と緊張の欠如、国際的な協力の容易さを心から体験してみて、人は自分たちがいかに自明のことに対して盲目であり、自分たち自身の最大の利益に対してあれほど頑迷で破壊的であり得たのか不思議がるだろう。
人類は今や全く新しい体験の瀬戸際に立っており、すべての惑星的な決定や行動がより良いもののためであり、人生を豊かに、神聖なものにし、同胞愛の絆を強めるものとして見られるであろう。それまで同胞愛の絆を彼らは無視して、ほとんど忘れていたのである。喜んで、人間は今や共通の善のために共に働くだろう。過去の憎しみと不信感はきっぱりと彼らの背後に置かれるだろう。
(『覚者は語る 2』ー人間が振り返ってみるときーより)

我が友よ、子供たちよ、わたしは、恐らくあなたがたが期待したよりもさらに時を早めてやってきた。しかしなすべきことは多い、世界には変化を必要とするものがあまりにも多い。多くの者が飢え死にし、多くの者が不必要に苦しんでいる。これらすべてを変えるためにわたしはやってきた。あなたがたに前進への道を示そう、もっと簡素で、健全な、より幸せな生活へ向かって、共に進む道を。人が人に、国が国に相対立することなく、兄弟同胞として、共に新しい御国へと前進しよう。
(『いのちの水を運ぶ者』第1信より)

来るべき時代にわれわれは意識の転換を行い、「霊的」という定義の中にわれわれの存在のすべての面を含めなければならない。われわれの機構のすべてが、人類の内的一体性に基づき、そしてその現実を反映するものでなければならない。魂としてわれわれは一つである。分離した個々の魂は存在しない。そのような内的神性が表現されることを可能にするような政治、経済、社会のシステムを、われわれはつくらねばならない。
(『マイトレーヤの使命 第1巻』)

新しい簡素さをキリストは人間に提供し、そして彼らはすべて兄弟同胞として分かち合うだろう。協力がこの簡素な生活の基調であり、資源の分かち合いが毎日のなすべき事項になるだろう。このようにして人間の神性は表され、このようにして大計画は人間を通して成し遂げられるだろう。
(『覚者は語る 1』ー新しい簡素さーより)

わたしに手伝わせてください。道を示させてください——誰も窮乏することのない、より簡素な生活に至る道を。そこでは、同じ日が二度と繰り返されることなく、同胞愛の喜びがすべての人間を通して顕されるのである。
(『いのちの水を運ぶ者』第3信より)

人類自身も一つであるという感じを抱き始めています。来たるべき時代には一つになるでしょう。進化における前進のための次のステップです。同胞愛というものは、持てるかもしれないし、持てないかもしれないというような単なる理想ではないのです。自然界の事実なのです。ただわれわれがそれを具現していないだけなのです。来たるべき時代には、この事実を具現することがわれわれの運命であり、神の意志であります。ハイアラキーのすべての活動と指導はこの目標に向かってなされるでしょう。これは正しい関係を通してのみ実現されるのです。
(『世界教師と覚者方の降臨』)

人の道とは、同胞愛であり、密接な協力と相互の信頼であり、奉仕であるということを示そう。これが唯一の道である。他はすべて失敗に終わった。我が友よ、もしこれをなさなければ、人間はこの地上に存続し得ないのである。脅しているのではない。真実を述べているに過ぎないのである。時間は残り少ない——自然とこの世界との間に均衡をとりもどす時間は。
神の子として、すべての者が兄弟同胞として、人間の尊厳をもって生きるための手段を全人類に伝えなさい。これをあなたの第一の仕事としなさい。世界の産物をすべての国々に譲り渡し、すべての人間に委託しなさい。自由な人間として、今日、これをなし、真なる神の子として、明日の栄光を刈り取りなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第12信より)

多くの者が自由を求めて闘うのだが、それを他の者に対しては否定する。自由そのものが、正義と同様に、分割できないものであることを忘れている。多くの者が自分自身が必要と感じるものに対する解決を求めるが、相互依存を通してのみ、すべての者の必要が満たされ得ることを忘れている。マイトレーヤの呼びかけが人間の耳に響くだろう——分かち合って世界を救いなさい、協力して真の自由を知りなさい。「あなたの兄弟の手をとって、彼をあなた自身として知りなさい」。そのようになるだろう。そのようにして、偉大なる主は世界にとって、古きものと新しきものの間で苦闘しながら呻いている世界にとって、非常に必要とされる変化を鼓舞するだろう。
(『覚者は語る 1』—変化の中にある世界—より)

今日の教育のほとんどは、ある意味では、職業教育です。人々は、外的な商業主義社会での生活を送るために、競争という鞭を当てられて装備を整えています。これは変わるでしょう。競争は協調に変わらなければなりません。とりわけ、競争というのは、人類の重要な表現——その一体性の表現、つまり一つのグループの一部分である意識の表現——との関わりにおいて、人類を拘束し引き戻す貪欲と恐怖の要素です。これは変わらなければなりません。これが変わると、魂の事実を人々は認識し、覚者方がそれを実証するでしょう。
(『光の勢力は集合する』)

我が愛しき子供たちよ、神を愛することと人を愛することは同じであることをあなたがたに示したい、兄弟たちを愛するとき、われわれは神の愛を顕すのである。あなたがたは、理屈としてはこれを知っている、しかし、親愛なる友よ、愛の実践こそが基本である。なぜなら愛によってのみ、この地球は支えられるのであるから。
(『いのちの水を運ぶ者』第38信より)

人間はまさに深淵なる真理の体験、彼ら自身の本質的『存在(Being)』についての認識を体験しようとしている。大多数の人々にとって、それは遠い過去の中に長い間失われていた(心の)状態に生まれ変わるような体験としてやって来るだろう。各人が、それぞれの方法で、あがなわれ、新たに再生し、浄化され、清められるのを感じるだろう。『同胞愛』の歓びと美が、彼らの『存在』を震わせるだろう。そして各人が己自身をあの美と愛の一部として見るだろう。
(『覚者は語る 2』—同胞愛—より)

マイトレーヤは、われわれが非常に高位のレベルから、物質主義の中にどっぷりと浸かったこのレベルにまで落ちてしまったことを示し、分かち合いの原則を受け入れて、ひとつの兄弟同胞感を表すことで、再び、競争ではなく一体性につながる霊的な道を歩むことができることを示してくださるだろう。新しい時代、統合の時代とはそのことである。統合とは分離分裂した様々な部分を共に引き寄せ、一体性を、和合をつくることを意味する。
(『人類の目覚め』)

わたしの使命は、すべての人間の裡に愛の原理を呼び起こすことであり、用意のできている者たちに、さらに高位の真理を示すことである。方法は単純である。すべてのための正義と自由を通して、その愛は表される。人間の同胞愛の顕現を通して、すべてのものの本源を識ることができる。速やかにこのことに気づき、人生の目的を理解し、あなたの兄弟たちに道を示すように。そのようにして、あなたがたは世界の変換の仕事に参加できるのである。
(『いのちの水を運ぶ者』第41信より)

マイトレーヤと覚者方の一団のインスピレーション(鼓舞)と導きのもとで、人間は、正しい決断を行う能力、大計画との関係の中で正しく行動する能力が増大することを知るだろう。これが必然的に同胞愛についての感覚の増大につながり、人間は共に行動することによってのみ前進があるという理解につながるだろう。
(『覚者は語る 1』ー同胞愛の夢ーより)

宝瓶宮のエネルギーの顕著な特質は統合であり、従ってその活動の結果は、現在の分裂した分離主義的人類を一つの総体に交じり合わせ、融合させるでしょう。現在の分離的感覚が、(天地万物との)新しい一体感に取って代わるでしょう。社会、政治の分野では、これは同胞愛、正義、分かち合いとして顕されるでしょう。今日の恐怖と混乱は、新しい自由と人生における意味と目的の意識に道を譲るでしょう。それは、人類が生得の神性を
——全体として初めて——実現し顕す時代でしょう。
(『マイトレーヤの使命 第1巻』)

民衆は恐れることなく、はっきりとした目で将来をのぞき、公平で、平和な世界を求める彼らの志向の実現の可能性を見た。これはひとりでに起こらないことを、兄弟姉妹たちと共に、実現するための力(パワー)を自分たちの手に握らなければならないことを、彼らは知っている。また彼らは、その道が困難であり、危険なことも知っているが、それを不成功に終わらせるにはあまりにも貴重な褒美である。なぜなら、それは同胞愛という褒美、正義、平和という褒美、そしてすべての人間にとって、より良い、より簡素な、より真の人生という褒美であるから。
(『覚者は語る 2』—民衆の声が将来を先導する—より)

わたしの覚者たちもあなたがたに仕え、真なる同胞愛と正義と調和のうちに共に生きることを教えるだろう。忘れるでない、我が友よ、あなたがたは一つであることを。すべての者の御父が、あなたがたを聖なるイメージに似せて創られたのであることを。あなたがたを通して父の聖なる愛と真の光が輝いていることを。
時は近づけり、我が友よ。真理の光があなたがたの周りすべてに輝き、人が兄弟を己の心に迎え入れ、己自身としてお互いを知るようになる時がやってくる。
(『いのちの水を運ぶ者』第51信より)

金融システムはどこで持続可能性と衝突するのか

マリーケ・オプテンノールとアネリース・オプテンノールによるクラース・ファン・エグモンド氏へのインタビュー

クラース・ファン・エグモンド氏は、オランダ、ユトレヒト大学の持続可能性と環境学の教授である。彼はまた、国立衛生環境研究所およびオランダ環境アセスメント局の理事でもある。エグモンド氏は、今でも名誉教授として環境問題(エネルギー、気候変動、汚染など)のゲスト講師を務めており、価値指向(世界観)や文化的側面、金融経済システムなどを含む、より広い持続可能性の問題へと焦点を移すようになった。ごく最近では、エグモンド氏は財政経済的、社会的、文化的な側面の持続可能性に関する著書や記事を発表しており、中でも注目すべきは、2014年の『持続可能な文明(Sustainable Civilization)』である。マリーケ・オプテンノールとアネリース・オプテンノールが、本誌のためにエグモンド氏にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下SI): 1972年にはローマクラブの報告書『成長の限界』があり、1980年にはブラント報告書がありました。地球上のすべての生命と共に、私たちの地球は大きな危険の中にあることを、私たちが約50年後の今になって初めて理解し始めたのはなぜなのでしょうか。このような情報を積極的に妨害する既得権益や勢力があったのでしょうか。
クラース・ファン・エグモンド:まさにそのとおりです。私たちの社会には、現在でもそのような意識を妨害する巨大な勢力があります。過去40年間、圧力団体は彼らの利益を守るために「科学者」を雇ってきました。何千万人もの人々が、これに巻き込まれてきました。歴史を通じて、必ず反対に働く勢力がありました。これを保守主義と呼ぶことができ、既存の構造や現行の経済にしがみ付く傾向を示します。なぜなら、ここが彼らの利益が埋め込まれているところだからです。私は学生への講義で、ジャレド・ダイヤモンド氏の著書『文明崩壊』(草思社、2005年)をよく引用します。ダイヤモンド氏は、環境変化の結果として、なぜ様々な文化が消滅しているかという疑問に踏み込んでいます。彼の(1,000ページ後の)結論は、このようなすべての文明では、問題の発生に直面することになり、物事は悪化していきますが、結局は若い世代が間に合ううちに対処することを上の世代が妨げます。現状にしがみつくことは悲劇的な現象であり、発展への障害を形成する様々な既得権益の結果です。経済学では、すべてのものが自らを刷新し、変化は正常であることを学びます。動いているシステムでは、静的であることは不可能です。オランダでは鉱夫はすでに鉱山にはおらず、イギリスでは列車はすでに蒸気では走っていません。機関士は、今では別の職に就いています。つまり、テクノロジーや経済構造そのものに継続的な技術革新があるのです。しかしながら、例えば石炭や鉱山に既得権益を持つ人々には、問題があります。一方で、少数の下にある経済的な力の集中は継続し、手に負えなくなります。私が興味をそそられ、驚いたことは、過去数百年の間、西側の覇権が続いてきたことです。テクノロジーは西側を優位な立場に置き、私たちは土地や企業など、すべてを実際に購入することができました。今では中国やインドの力が本当に大きく、彼らは西側で何でも買うようになりつつあり、私たちは政府にそのことから私たちを守るように求めています!  私たちが現在経験しているのは、転換点です。それでも、ローマクラブの報告書が発表された1972年から、少なくとも私から見て、人類は進歩していません。

SI: 私たちは、クリーンで持続可能な環境と健全な地球を達成しながら、同時に「市場の力の神話」のルールである競争と貪欲を維持できると、あなたはお考えですか。
エグモンド:そうは思いません。私はそれに関して本を書いており、2番目の本でもこの疑問を検証しています。持続可能性の問題は価値観の問題であり、テクノロジーの問題ではありません。ある程度のテクノロジーは必要ですが、持続可能な開発の議論をする場合、開発したいものは何なのかを知る必要があり、それは「価値が込められた」選択肢です。それは主観的で、相対的です。私たちは、所有ともっと多くの物質が自分を幸福にすると考えており、その場合、地球の資源を使い果たそうとする地点にまで達します。経済の構造全体が、素早く「買って捨てる」ことに基づいています。物を買い、それをすぐ後で投げ捨てるのです。このようなことを続けることはできません。価値観と優先順位を調整することに成功した時に初めて、私たちはより良い人類になるでしょう。私たちは物への執着を減らす必要があります。ヨーロッパの文化、宗教、哲学、神話、大河小説、伝説、お伽話など、すべての歴史には二つの極、つまり物質と精神の間での均衡の維持に関するメッセージが含まれています。それは動的な均衡です。あなたは物質的な姿勢を選ぶことができますが、「精神的な」姿勢を持ち、芸術や音楽を愛することもできます。基本的な疑問の一つは、自分のことに夢中になり自分のエゴに没頭するか、他人や隣人や自然ともっと関わるかということです。私たちは自由意志を持っていますが、意思が一つの方向に極端に偏った場合、その傾向は、他のすべての人の価値を犠牲にするような強迫観念となる可能性があります。そのような一方向への偏りは、しばしば他のすべてを犠牲にして追求されるものであり、通常は暴力や衝突に向かう傾向があります。そして「持続可能性」の概念は不可能になります。

SI: リンカーンは1865年に、通貨を創り出し流通させることは政府の義務であると語ったとあなたは書かれましたが、現在では世界中の銀行に委ねられています。政府による通貨の創造は、社会や一般大衆に対してどのような影響があるのでしょうか。
エグモンド:通貨を創造し流通させることは原則として社会の問題であり、したがって政府の問題ではないことに確信を持つ人々は、私を始め、私の同僚で増加しています。これは新しい問題ではありません。アリストテレス以来、多くの歴史上の人物、哲学者、経済学者、政治家などが同じような考えを持っていました。金融システムは現在のシステムの中心に深く組み込まれているため、システムを真に持続可能な方向に動かすことは、あなたがその変え方を知っているときだけに可能です。そうすると、非常に異なった価値のアイディアが意味を持ってきます。1865年にリンカーンは、政府は通貨を創り出し流通させるべきだと言いました。「通貨を創造し発行する特権は、政府の最高の権限であるだけでなく、最大の創造的な機会である。……通貨は人類の主人であることをやめ、召使いとなるであろう。民主主義は、通貨の力から脱するだろう」もし銀行ではなく政府(つまり私たち)が、通貨を創造することを許されるとしたら、現在起こっているように、住宅価格や株価を押し上げるだけの悪いタイミングではなく、良いタイミングで通貨の創造を行うことができます。2008年の前回の危機は大惨事でした。そこからポピュリズムが生まれました。一般に言われているように、難民危機から生まれたのではありません。それは後の付加的な要因であり、2008年の財政危機の背後にある主要な問題ではありませんでした。私たちは今、次の危機に向かっています。銀行は悪いタイミングで通貨を創造しており、それは経済において高値と安値をつくり出します。リンカーンによると(アリストテレスの例に従うと)、私たちは(政府として)通貨を適切なタイミングで自ら創造する権利を持っています。もし経済が崩壊し始めれば、国民に雇用を再び提供するために、私たちはインフラなどに投資します。これは、浮き沈みを抑えることにつながり、より平衡したシステムをつくり出します。そして別の利点として、私たちは、コミュニティーとして何十億ユーロもの資金を利用できるでしょう。現在は私的領域に漏れている資金を、教育、医療、ベーシック・インカムなどに使用できるのです。そして、選択は議会制民主主義にかかっており、銀行が現在しているように、国民が一定水準のインフレを許容すれば、もっと多くの資金が利用可能になるでしょう。リンカーンの論点は、管理は政府の下にあるべきだというものでした。その場合、労働コストはもっと安くなり、原材料はもっと高くなり、全く違った社会になるでしょう。システム全体は別の方向にゆっくりと動き、それは革命ではなく、緩やかな過程です。あるものは、例えば航空運賃などは、より高度なテクノロジーが利用可能にならない限り、より高価になるでしょう。銀行で働く金融専門家に対して私たちがしばしば説明する必要があることは、銀行が通貨を創造するということです!
危機が再び発生すれば、状況全体が不安定になると私たちは考えています。人々はもはやこれを許容することはないでしょうし、それは変化を意味します。政府は、国民の雰囲気を常に気にかけます。グローバリゼーションのため、政府は株式市場を怖がります。これはあり得ない状況です。過去には政府はローマ法王の恐怖に震えていましたが、今では株式市場を恐れています。政府にとっては、グローバリゼーションに従うこと、つまり国中で起こることを決定する強力な多国籍企業が揮う市場の力に従うことは、政治的に持続可能ではありません。そのような国では、国外の投資家が市内の全区画を購入し、若い人々が家を購入できないようなことが起こります。フランスの「黄色いベスト運動」のような政治的抗議やヨーロッパのポピュリズムを見てみてください。金融秩序の根本的な改善は、公的な機能と民間の機能のバランスを改善することによってのみ、実行可能です。

SI:人類は一つであり、魂として文字通り結び付けられていて、家族のように互いに支え合う義務を伴うことを大人や子供が教えられるとしたら、どのような影響がありますか。
エグモンド:はい、このことを子供たちに伝えるべきです。多くの人は、自然に触れ合っている時などに、いわゆる「一体性の体験」をしたことがあるかもしれません。そのとき、私と他者、天国と地球、霊と物質など、すべてのものがつながっていることを認識します。イレーネ王女は、その意識を少しでも伝えるために、オランダで「自然大学(NatureCollege)」を設立しました。彼らの特別に訓練を受けた森林監督官は、都会の子供たちに、人生で一度だけであっても、自然界の体験を提供しています。あなたが実際に言われているのは、私たちの真の性質は何かを、自分と他者とのつながりと共に、子供たちに教えるべきだということではないでしょうか。そこにすべての人の責任があります。過去500年から600年の間のすべての文化的な物語、例えばパルジファルのオペラやシェイクスピアの作品などは、すべて同じ考え方に関するものです。あなたは部分であり、同時に全体でもあります。学校ではこのことを取り上げるべきであり、あなたはこれを子供に教えるべきであり、そして宗教的な構成要素もその一部となるでしょう。しかしながら、宗教的な人々は、自分たちが唯一の真実を持っていると主張することはできません。この考え方は、ヨーロッパに間違いなく深い傷跡を残しました。科学もまた、唯一の真理を持っているわけではありません。しかし、現在世界中で起こっていることですが、科学者の発見を否定し、気候変動は作り話だという主張は、受け入れることはできません。客観的事実を疑うことができるのであれば、地球は失われてしまいます。それは、私たちが環境の状態に関して同意できないことを意味することになります。医学の分野では、診断が不可能になります。基本的な科学的事実に同意できないのなら、手術前の血液検査をどうして信用しなければならないのでしょうか。根本的な哲学的疑問は、もちろん次のようなものです。つまり、私たちは自分たちが誰であると思っているのか、そして、それをどのように知るのか、ということです。文明が何千年も続いているのにもかかわらず、依然として欠けているものは、多かれ少なかれ、人間の本質的な性質のビジョンと、その結果としての社会の目的です。個人と社会の両方にとって何が本当に重要であるかについての意見は、依然として大きく分かれています。私たちは、何を開発すべきなのかについて明確でないままに「持続可能な開発」について議論します。ビジョンが欠けているため、一方的な力が優位に立ち、漂流している社会が自分自身の戯画になります。そして、安定への模索は、しばしば原理主義的な宗教や全体主義の形を取り、別の場合には、物質主義、快楽主義、同様に原理主義的な資本主義の形を取ります。社会や文明を維持するためには、人間や社会にとって不可欠な価値観に基づく新しい倫理と「持続可能性」という新しい視点が必要です。アルベルト・シュヴァイツァーは、著書『文明の哲学(The Philosophy of Civilization)』の中で、文明を次のようなものとして描写しています。「進歩が各個人の霊的完成のために役立つ限りにおいて、あらゆる視点から、あらゆる行動を行う人間と個人によって成されたすべての進歩の総和」として。

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
掲載されたその他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

次の2通は同じ人物からのものです。

冷静沈着

編集長殿
(1)数年前に(手紙は2004年1月に書かれた)、初めてBC(ベンジャミン・クレーム氏)のフレンズハウスでの講演に参加して間もない頃、私はワージングのサウス通りを歩いていました。大手銀行の一つの店舗の外に背が高く長い髪の男性が座っていて、お金を求める小さな紙の看板を持っていました。
私は少し遠くから彼に気づいていたので、彼には必ずいくらかお金を渡そうと思っていました。彼が私を見上げる距離まで近づきました。私はちょうど銀行へ行くところなので、お金を渡しに戻ってくるつもりだと説明しました。彼はただ「OK、兄弟」と言ってうなずきました。彼は長い黒髪に黒いジャケットを着ていました。真っ直ぐに私を見つめて、大変に物静かな落ち着いた雰囲気があり、ごく薄いブルーの瞳をしていました。
私は彼にお金を渡すために戻りました。彼は再び私を見つめて、ただ「ありがとう、兄弟」と言いました。その後もその出会いが印象に残っていて、ツキに見放された人で、あのような『雰囲気』を持った人物に出会ったことはありませんでした。この人はマイトレーヤかそれともイエス覚者でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

完全なサークル

(2)2003年5月の間中、私はワージングのモンタギュー通りを歩いて、その地域で撮影してきた『光のパターン』のフィルムを現像してもらいに行くところでした。
病気の動物のための慈善市民救護所の、深い青色の店の看板の上に、小さくてかすかな光のサークルがあるのに気づいたので、それを見るために急いで立ち止りました。私が立ち止ると、かすかな青いサークルの一つが突然白く輝く完全なサークルに変化して、その後同じくらいの速さでまた薄くなって元の姿に戻りました。
それはヘッドライトが非常に素早く付いて、消えたかのようでした。1時間ほど後で同じ店の前を通ってもう一度見てみました。驚いたことに、再びそれが起こり、同じように薄くなる前に完全な白いサークルに変化したのです。
それよりも以前に私は『かすかな』サークルの写真を何枚も撮ってきて、いつかもっと良い写真を撮りたいと願っていました。これらの『輝くサークル』はマイトレーヤによって現されたのですか。
リチャード・エルフィック
英国、ウェストサセックス州ワージング
【ベンジャミン・クレームの師は、そのとおり、輝くサークルはマイトレーヤによって現されたことを確認した】

すぐ近くに

2003年12月30日に、私は息子と彼のガールフレンドを車に乗せて、ムランの鉄道駅に向かっていました。ティエール大通りの真ん中で、白い修道僧の服を着た男性が歩道にいるのを私たちは目撃しました。彼はメガネをかけていました。スーツケースは持っていませんでしたが、「目的地エタンプ」と書かれたプラカードを持っていました。私は彼に手を振りました! 運転をしながらバックミラーを見ると、彼が私を見ていました。彼の眼差しはとても近くにあるように思えて、まるで車の中の私の真後ろにいるかのようでした。
息子のガールフレンドが私に、「彼は誰ですか?」と尋ねてきました。「マイトレーヤかもしれない、世界教師よ」と私が答えました。「それで彼はイエスみたいだったのね、どんな人の姿にもなれるんですか?」。「そうよ」。「それなら本当に確かなんですね?」。「そうよ、すごく楽しい休日になるという徴ね」と私が言いました。
彼女は自分の家族に会えるのを喜んでいましたが、同時に不安にもなっていました。彼女には元気づけが必要だと感じていたのです。これが本当にマイトレーヤだったのか、それとも妄想だったのか知りたいと思います。
ポーレット
フランス、ムラン
【ベンジャミン・クレームの師は、『修道僧』がマイトレーヤであったことを確認した】

天候への果敢な挑戦

編集長殿
1998年の冬の最中のことだったと思うのですが、ネルソン・ボランティアセンターで公開伝導瞑想会を開いていた時、カトリックの司祭と若い友人が参加してきました。その若い男性は露出度の高い短い袖のシャツを着ていました。私たちは彼に寒くないか尋ねました。彼は大丈夫だと言いました。その時私も他のグループメンバーもエスキモーのように着込んでいたのです。私がその背の高い紳士にどこへ行く予定なのか尋ねると、オーストラリアと答えました。彼らは1時間の瞑想の後、帰っていきました。彼らに普通でないところはありませんでしたが、夏のような格好をしていたのが少し奇妙だと思いました。彼らは誰でしたか。
ボブ・ヒューズ
ニュージーランド、ネルソン
【ベンジャミン・クレームの師は、彼らがマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

何事も可能

編集長殿
数年前に(手紙は2004年4月に書かれた)、私は車の事故に巻き込まれて、内臓出血のために入院しなくてはなりませんでした。私は薬とベッドでの静養という治療を受けることになっていました。
2週間を過ぎても改善しませんでした。訪ねてきた友人が効くかどうか試してみるように、いくつかのハーブ薬を持ってきてくれました。私の日課の一部は治療のための祈りと瞑想を行うことでした。予定されていた外科手術の前の晩に、私の身体全体を流れるエネルギーの力強いうねりを感じていました。
翌朝、出血は止まっていたのです。医師はなぜなのか説明できませんでしたが、まさに「何事も可能」と言ったのです。
完全に回復して、私は数日中に退院しました。回復は病院の手当てのおかげか、ハーブの療法か、覚者による治療か、あるいはその三つすべての組み合わせでしたか。
バリー・ナイズワンダー
カナダ、アルバータ州エドモントン
【ベンジャミン・クレームの師は、治療がマイトレーヤによって与えられたことを確認した】

分かち合いの美

編集長殿
(2004年6月に書かれた)その月の最終日のことでした。仕事を終えて、私は数冊の状態の良い本を少しのお金のために売りました。けれどもそのことを気に病まないようにして、とても美味しい魚料理を手頃な値段のビストロで食べました。それから近くの公園に行きました。ここ数日大雨だったのですが、それにもかかわらずバラの庭では、あらゆる色と形、香りの花々が咲いていて、宝石のような美しさでした。太陽は照ったり曇ったりしていました。素晴らしい庭園のこの辺りでは、人々はより優しく動いたり、話したりしていました。とても美しかったので、私は喜びと感謝でいっぱいになりました。
その時若い男性を見かけました。物乞いの人で芝生に腰を下ろしていましたが(その区域では芝生は花壇の一部なので、通常人々はベンチに座ります)、とても優しげで柔和な様子で、まるでバラの中で生きているようでした。彼は景色に溶け込みながらも、同時に注意を引くことなく、平穏さの満ちた磁石のようでした。彼がいることで私はうれしくなりました。通り過ぎる時、「きれいですよね?」と言うと、「そうですね」と彼が言いながら微笑みました。
少し後になって、残っているお金をどうしても彼と分かち合いたいという、ものすごい衝動を感じて、戻りました。彼はお金を求めたりしていなかったので、私は慎重にもなっていました。注意深く、少しドキドキしながら、彼に私の手持ちのユーロを分かち合ってもらえるか尋ねました。彼は心底驚いた様子で、「あまりにびっくりして……」と言いました。私自身もその状況と、あの美しさやお金を分かち合って、「あなたと分かち合いたい」という言葉を伝えたいという強烈な衝動に驚いていたのです。
また私はこの手紙を書いていて、とても幸せを感じていますが、私の人生の状態はある意味『バラ色』ではありません。たとえその若い男性が『普通の』物乞いであったとしても、この出会いは祝福だと感じています。私の質問は、それは私のハートの中のマイトレーヤだったのか、それとも肉体を持った人としてのマイトレーヤだったのですか。
ヒルデガルト・ピンゲン
ドイツ、ハンブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その『物乞い』がマイトレーヤであったことを確認した】

短く、簡潔に

編集長殿
私には2、3の奇妙に思える出会いがありました(手紙は2004年6月に書かれた)。
最初のものは暗く冷たい12月の夕方の、6時30分のことで、小柄な年配の女性が室内着だけを着て、早足で私の方へ道を渡ってきたのですが、素晴らしく大きく熟した枝付きトマトを手に持って高く掲げて、笑っていました。少し彼女が心配になり、大丈夫か尋ねました。彼女は「私、酔っ払っているかしら、どう?」と言いました。そのようには見えませんでした。「あなたは大丈夫ですね」と私が言うと、彼女はそのまま行ってしまいました。
次は、若い男性が微笑みを浮かべて、まるで私が最も素晴らしい存在であるかのように見つめていたことで、私が作家なのか尋ねてきて、普通列車を待つ間おしゃべりをしました。その後彼はお辞儀をして「さようなら、マダム」と言いました。どちらの出会いも普通には思えません。
あなたの師はコメントをくださるでしょうか。
アン・リンチ
アイルランド、ダブリン、ダン・レアリー
【ベンジャミン・クレームの師は、その『小柄な年配の女性』がマイトレーヤで、『若い男性』がイエス覚者であったことを確認した】

認 知

編集長殿
2004年4月にマルク・フェリーはパリでの伝導瞑想研修会に参加するため、出かけていきました。彼はその二日間で完全に変容し、元気づけられていました。彼は以下の体験が本物であるかの確認をお願いできるかどうか尋ねています。
日曜日の伝導瞑想の間、マルクの隣の男性が瞑想から出ていきました。誰かがやって来て席に座りましたが、突然別の背の高い美しい男性が、ブルージーンズに赤いポロシャツ姿で自信に溢れた様子で現れて、もう一人の男性に向かってマルクの右側の席に座りたいという身振りをしたのです。マルクはすぐにこの男性が大変に進化した人だという印象を持ちました。けれどもこの男性が手を重ねてきた時(ベンジャミン・クレーム氏が出席する時には、瞑想者全員が手をつなぐことになっています)、マルクはあまりにすさまじいエネルギーを受けたので、部屋の中で『彼』がここにいると叫びそうになりました。マルクが心の中でもし徴をいただければ(叫んだり)しませんと言うと、その男性はうなずいて、手を押さえることで応えてくれました。
その男性が瞑想を離れる時、彼が出ていく前に、その日は寒い日だったのでコートを持っていくだろうとマルクは予想していましたが、驚いたことに彼は赤いポロシャツを着ただけの姿で真っ直ぐ外へ出ていきました。
この男性は覚者のお一人でしたか。
マルク・フェリー
フランス、モンティヴィリエ
ピエール・コシェリ(代筆)
フランス、アラドン
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

ガイダンス

編集長殿
あなた、あるいはあなたの師は、24年ほど前の同じ月のうちに起こった以下の出来事について説明していただけますでしょうか(手紙は2004年5月に書かれた)。
(1)赤信号で止まっていた時、私ははっきりと内なる声が「聞こえて」、信号が青になると「進むな。ここにいて」と言ったのです。幸運にも私が声に従うと、数秒後に1台の車が高速で赤信号を通り過ぎていきました。
(2)あの特別な土曜日に、とても落ち着いて調和した気持ちだったので、南カリフォルニアの自宅から遠くない200エーカー(約24万5千坪)の牧場で乗馬をして過ごすことにしました。その半年前に同じ牧場で乗馬をしていた時、貴重なアメリカン・インディアン・ジュエリーで、ズニ族が作ったシルバーとトルコ石でできた「サンダーバード(伝説の生物)」を首に掛けていましたが、無くしていました。そこまで運転しながら、「今日『サンダーバード』を見つけられたら素敵じゃないか?」と思っていたのを覚えています。けれどもその考えをすぐに打ち消したのは、ジュエリーを無くして以来、大雨が度々降っては止み、その上私も何度か戻ってきていたからでした。
3時間の乗馬の中頃で、しばらく止まって休みを取りました。馬にまたがろうとした時、馬の前足の間の泥の中から突き出た物に、太陽の光が反射するのが見えました。そうです、それは私の「サンダーバード」でした!
リチャード・モラノ
米国、カリフォルニア州ロサンゼルス
【ベンジャミン・クレームの師は、(1)警告はイエス覚者からのものであり、(2)その場所までイエス覚者によって導かれていたことを確認した】

覚者方と働く、いつでもどこでも

編集長殿
何年も前に(1980年代後半だと思います)、有名なオランダの霊能者との会合に参加しました。40名ほどの聴衆が集まっていました。その霊能者が講演を行い、続いて質問のできる時間がありました。私は彼女に世界教師マイトレーヤ、キリストが日常世界に戻ってくることについて知っているか尋ねることにしました。そう尋ねた瞬間、非常に強力な流れ込んでくるエネルギーを感じ、私はマイトレーヤのエネルギーだとわかったのです。それはあまりにも強力で、他の人たちも感知していて、もちろん霊能者自身も感じていたので、彼女は聴衆に向かって、何かとてつもない、非常に特別なことがその時起きていると告げました。
私はエネルギーのために震えながら座っていたのを覚えていますが、それほど強烈だったのです。その晩はほとんど眠れず、私には珍しいことでしたが、十分に『祝福によって充電された』のは明白でした。
一日か二日後、私はメンバーに電話をかけて、その体験を伝えました。
クレーム氏はその出来事とエネルギーの源について尋ねられて、電話の会話で確認してくださったのですが、それは実際にマイトレーヤからの祝福で、私を通して会場と聴衆に送られたということでした。
何年も前に起きたことですが、その体験を非常に鮮明に覚えていて、特に霊能者と聴衆の反応は忘れられません。
もし私たちがエネルギーの伝導にオープンで、覚者方が適切で有用だと考えられる時はいつでも、マイトレーヤや覚者方が、このような方法で私たちを通して働かれることは、私にとって全く明らかなことなのです。
匿名希望
追伸:私の体験では、同じ出来事がコンサートやその他の同じような大きな集会でも起きるものです。

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。