編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。

他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

 

 

優先事項の質問

 

編集長殿

200111月の初めに、私の夢の中にマイトレーヤが現れました。私にとって有益で励ましになる体験だったので、他の読者の皆さんと分かち合いたいと思います。実のところ、私の夢はマイトレーヤの大宣言の日についてでした。夢としてありがちな、たくさんの動きがあり、多くのイメージや場面が互いに混ざり合っていました。

ところがすべての画面がさっと消えてしまいました。その代わりに、はっきりと耳に聞こえる気がするほどエネルギーがみなぎっていて、頭上の高電圧線の間近にいるように感じました。それから背の高い男性が、小さな子供にするように、伸ばした両腕で私を抱きかかえたので、顔と顔を突き合わせる形になりました。彼は白い装いで、肌は浅黒く、高い頬骨をしていました。このマイトレーヤのイメージは、それほど『くっきりとした』ものではなく、まさにSF映画のホログラムのようでした。

残念ながら、目が覚めてからは彼が話してくれた言葉を正確には覚えていません。ですからそれを私の言葉で伝えてみます。最初彼は私に優先事項について尋ねてきたので、私はそのうち三つを答えたはずです。それから彼はもう間もなく到来することが確かであると伝えてくれました。その後、この使命は彼にとってどのような重要性があるか、この仕事が彼にとってどれほど大切かを話してくれました。そして最後に彼から個人的な類いの、私たちのグループ活動に関連した質問をされましたが、書き留めてみると、意味がわかりません。

マイトレーヤがこの夢を与えてくださったのですか。

フランク・ライヒェルト

ドイツ、シュヴェービッシュ・グミュント

【ベンジャミン・クレームの師は、その『夢の体験』がマイトレーヤによって与えられたことを確認した】

 

賢明な言葉

 

編集長殿

2017814日に、私の息子のサムソンと一緒に、両親を訪問した帰りの列車に乗っていた時、一人の女性がウェリントン・ポイントで乗車してきました。車両には私たちだけだったにもかかわらず、彼女は私たちの隣に座ってきました。しばらくすると、彼女が私たちの会話に加わってきて、親の務めや霊的な話題について、いくつか驚くようなことを語りました。私は彼女がマイトレーヤかイエス覚者かもしれないと疑い始めました。彼女は主にサムソンと話をして、彼の年齢にしてはとても賢いと言っていました。その後40分ほど経ってから、彼女が「私のお気に入りの言葉である、『すべては良くなるだろう』をあなたたち二人と分かち合いたいと思います」と言いました。それで私は、特別な方と話をしていることを確信しました。

サムソンが彼女にシティまでずっと乗っていくのかどうかを尋ねると(それは彼女が私たちと話し始めて約45分後でした)、ちょうど車掌がクープールー駅への到着を告げたところで、彼女は私たちをぼんやりと見つめ、「ここで降りるわ」と言い、私たちにずっと手を振ってくれました。

彼女は英国出身の62歳と言っていました。サムソンが彼女に名前を尋ねると、彼女はロイジン(アイルランドの名前)と答えました。彼女はしばしばサムソンの腕に触れて、人生全般について主に彼に話しかけ、彼が「すべての苦痛は一時的なものだとわかる」というようなことを彼女に話すと、彼女がそれは真実だから、彼は賢明だと応じていました。

確認をしていただけないにもかかわらず、(これが特別な出会いであると)すでにわかっていると思うのは、彼女が「すべて良くなるだろう」と言ったからですが、それは以前に『マイトレーヤの使命 第㈼巻』の中でマイトレーヤが言われたのを読んだことがあったのです。彼女は毎晩眠りに就く前に、その日彼女が行った10の肯定的なことと10の否定的なことを思うようにしていると言っていました。私の行う10の肯定的なことを思い付かないと言うと、彼女がそれは小さな物事についてで、朝起きるとか、きちんと服を着る、ヘルシーな食べ物を食べる、誰かを思いやるなどのことだと言いました。サムソンと私はとても刺激を受けて、私はその出会いから数日後まで、エネルギーで満ち溢れていました。私は『マイトレーヤの使命 第㈼巻』と『秘教心理学』(アリス・ベイリー著)をこの数週間読んでおり、この出会いは私を勇気づけてくれました。

エリン・マクマホン

オーストラリア、ブリスベーン

 

百聞は一見に如かず

 

編集長殿

私が『時代の徴』と題した、奇跡についての講演の準備で忙しかった時、まさに私の目と鼻の先で起こっていた奇跡が見えていませんでした! 私の義理の娘が誕生日プレゼントに、夫と私が、強い絆で私たちと結ばれている3人の孫たちと一緒に写った写真をくれました。私は写真をほとんど撮らないので、その写真をうれしく思い、とても愛情溢れた幸福な雰囲気がその写真から放射していました。

その写真は新しいフレームに入れられ、ガラスのカバーが付いていました。ある日、ガラスの後ろに大きな灰色のシミを見つけて、ショックで縮み上がってしまいました。それはちょうど私のアジュナ・チャクラと鼻筋の上にありました。私は即座にそれがビブーティだとわかりましたが、その考えをすぐに打ち消しました。その後写真の前を通るたびに、私のおでこと鼻の上のとても不快な灰色のシミにイライラしたものでした──その数日前にはあれほど興奮したにもかかわらずです!

ある朝、その汚れにうんざりして、写真を手に取ると、やはりそれが本当にビブーティだとわかり、夫のところへ写真を持っていき、証人として彼にフレームを開けるよう頼みました。私たち二人共が写真の上のビブーティを見ましたが、突然消えてしまったのです。

私たちが何か直観的にわかっていても、論理的なマインドでそれを拒否してしまうことが、どれだけ頻繁に起こるものでしょうか。私たちが助けを与えられても、その事実を認めないことが何度あるでしょうか。私たちの『助け手』がどれほど近くにいながら、それがわからないのでしょうか。

数週間後、その奇跡は繰り返されましたが、現在は私の3歳になる孫息子のアジュナ・チャクラの上に現れています。

マリーケ・オプ・テン・ノールト

オランダ、ビルトホーフェン