自由と正義の未来

-覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記

世界がこれほどまでに様々な問題に悩まされたことはこれまでほとんどなかった。地球全体にわたって、ほとんどすべての国において、あらゆる均衡と安全を妨げるフォース(力)が働いている。無秩序と暴力の規模はますます大きくなり、恐怖は増大する。何百万の人間がもっとも悲惨な苦難に喘ぐかたわら、国全体が変化の激痛の中で痙攣する。

この激しい動揺の中に、キリストはやって来られた。認知されようとされまいと、キリストの御手が外的な混乱の背後に見られ、フォース(エネルギー)を良い方向に導き固めておられ、最終的な勝利を確実にする。まったくそのようには見えないかもしれないが、新しい秩序がこれらの相争うフォースからつくり出されている。死滅する形態の灰から新しいいのちが生まれる。

商業至上主義がその癌を世界中に広げて、人間の生命線である商業と政府を毒するにつれて、ますます多くの人々がその危険に目覚め、新しい関係と貿易の様式を探し求める。

残酷な野心的な人間が自分たちの祖国に破壊をまきちらし、国民の心の中に長い間眠っていた憎悪の火を焚きつける一方、その犠牲者たちを助け、その攻撃に対抗しようとする新しい意図が国々のフォーラム(公開討論の場)の中に頭を持ち上げつつある。

キリストの手は決して舵から離れることはない。法の成就のみが、キリストの行動範囲を規制する。キリストのフォース(勢力)はいつも目ざとく、あまりにも重過ぎる荷が人類の大義を打ち砕きそうなときには、介入する用意がある。

であるから、これらの火と恐怖の日々は終わることを知って、勇気を出しなさい。人間の長い間の苦難と苦痛は間もなく終わるだろう。人類は孤立していないことを、人類の兄たちが、この痛々しい変遷の過程を一つ一つ知っており、そして見守っていることを知って、勇気を抱きなさい。

今、未来を見、そして築く用意をしなさい。それがあなたの最高の志向の中に包まれるのを、心に描きなさい。現在の混沌の直中で、無執着になることを学びなさい。そしてあなたの恐怖を差し迫ってくる闇にさらに加えないようにしなさい。あなたが思うよりもずっと近くに歓びの日がある。憎悪もまた、そのコースを走り終えるだろう。

もうすぐ、その新しい日に目覚めなさい。各々の明るい志向をまた新たに磨きなさい。新しい光、「世界の光」が今、再びあなたたちの中にある。いま生きとし生けるもの一つ一つの中に入る増大する光を明示しなさい。そして古い不均衡を正しなさい。

わたしたちは見守り、待ち、あなた方と共にいる。日ごとにわたしたちの存在をあなた方の視界により近づける。あなた方がわたしたちを見るとき、人類種族の護衛のために共に働くときがやって来たことを知るだろう。もはや「市場主義のフォース」が人間の上昇への道に破壊をもたらしてはならない。もはや残酷な野心が国民の生活を左右するようであってはならない。大勢の人間が豊かな世界の直中で飢えることが、再びあってはならない。若者たちの未来が彼らの頭上で売られてはならない。自由と正義の未来が招く。それを受け入れなさい、受け入れなさい。 (1993年5月号)

 

ウィンストン・チャーチルとUFO

フィリス・パワー

1939 年にウィンストン・チャーチルによって書かれ、1950年代に改訂されたが、出版されなかった記事が、最近アメリカのチャーチル博物館で発見された。「われわれは宇宙で独りなのか(Are we alone in the Universe)?」という記事である。第二次世界大戦前夜に書かれ、重大な政治的事件が彼の頭を占領していたが、チャーチルの関心は『宇宙戦争War of the Worlds』(H.G.ウェルズの小説をオーソン・ウェルズが翻案)のアメリカのラジオ番組版に刺激されていた。それは、「異星人の侵略」が実際に起こっているというパニックを引き起こしたというものである。その記事自体は、主に1950年代の、多くのUFO報告があり、大衆の関心がその現象に集まっていた時期の前に書かれている。

天体物理学者マリオ・リヴィオ氏は、今回新たに発見された原稿を見せられた最初の人物であるが、1990年代に太陽系外の惑星が実際に発見される何十年も前に、惑星を持つ多くの他の恒星が存在することをチャーチルが指摘していたと述べる。チャーチルの記事についてリヴィオ氏が感銘を受けたのは、彼が異星生命の問題に「科学者の精神」でアプローチしていたことであった。「この記事の驚くべき点は、20世紀最大の政治家であるこの人物が、1939年に純粋に科学的問題に関心を持っていただけでなく、それについて記事を書く時間があったということです」(2017年2月15日、『ネイチャー』誌)。実際、チャーチルは常に社会における科学の重要性に関心があり、そのために行動していた。英国首相として彼は政府の科学顧問を任命したが、その役割は今日さらに重要になっている。

その記事は生命が存在するのに必要な条件──生命とは生殖能力を持つものと定義される──を探求し、そして「居住可能な地域(ゴルディロックス地帯)」、暑過ぎもせず寒過ぎもせず、生命を維持するのにちょうど良い狭い軌道にある地帯を検討している。これは宇宙に生命を見いだすための最新の研究と同じ方法である。チャーチルの正確な推定に基づく結論は、今では常識のように思われるが、時代の先を行くものであった。「何十万もの星雲が、それぞれに何十億もの恒星を含むことからすれば、生命が不可能ではない環境を持つ惑星の数は多数存在する可能性が非常に高い」

しかしながら、興味深いことにチャーチルは火星と金星に生命の可能性があると考えているが、エーテル物質の可能性は全く考慮していない。だが、それはこの太陽系における生命の存在を説明し、(無数の目撃と他の証拠に裏付けられた)ベンジャミン・クレームとジョージ・アダムスキーの書物における宇宙人の存在を実証するものである。それでも、彼がその記事を書いたということ自体が、第三段階のイニシエートであったチャーチルが、地球外に生命が存在する可能性があり、彼自身が言うように、存在するに違いないという直観を持っていたことを示しているのかもしれない。

第三段階のイニシエートとして、チャーチルの知識と才能は巨大なものであった──彼は著名な歴史家であり、偉大な演説家であり、政治家でありながら1953年にはノーベル文学賞を受賞している。最も重要なことに、英国首相として彼は同盟国を第二次世界大戦での勝利に導いている。第一光線タイプの(パーソナリティー、メンタル体、肉体)の彼は肉体的な恐怖心がなく、不屈の精神を持ち、初期の経歴において危険な軍事紛争に飛び込み、軍隊の一員としてではなく従軍記者としてボーア戦争に参加した。彼はいわば反骨者でもあり、学校では劣等生で、大半は独学だった。1902 年にはフリーメーソンのメンバーになっているが、これは彼の関心が物質的なもの以上のところにあったことを示している。新たに発見された彼の記事は、彼が同時代の因習的な考え方を超える用意があったことを示している。しかし、彼個人の地球外生命の可能性についての見解が何であったとしても、首相として戦争中は彼はUFOの目撃情報を「大衆のパニック」を防ぐために秘密にすることを命じている。

1950 年代後半、チャーチルはその記事を少し改訂し、タイトルを「Are we alone in space ?」からより具体的に「Are we alone in the Universe ?」に変えている。それまでにはUFOや宇宙人との遭遇に関する出版物が多く出ており、ジョージ・アダムスキーは有名な「空飛ぶ円盤が着陸した」を 1953年に、「宇宙船の内部で」を 1955 年に出版していた。チャーチルは彼の記事を予言的にこう結んでいる。「私は、個人として、われわれの星がこの広大な宇宙の中で生きて思考する被造物を持つ唯一のものであると考えたり、広大な時間と空間の中でわれわれがかつて出現した最高度の精神と肉体の発達を遂げた存在であると考えたりするほどには、この文明の成功に感銘を受けているわけではない」。ベンジャミン・クレームが 2014年の講演で述べたとおり、「宇宙人は生きており、私たちは彼らに巨大な借りがあります。彼らは皆同じ惑星系の一部です。宇宙船の人々は私たちの兄弟姉妹です……私たちが人間と呼ぶものは宇宙の至るところに存在します」。

ウィンストン・チャーチルの光線構造は、魂:2、パーソナリティー:1(副光線4)、メンタル体:1(6)、アストラル体:4(6)、肉体:1(3)。

彼は第三段階のイニシエートだった。

(『マイトレーヤの使命 第3巻』のイニシエートのリストより)

 

正しい関係——選集

「正しい関係」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』と『シェア・インターナショナル』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 

次の質問に対するベンジャミン・クレームの回答(2012年8月号)は、毎月ここで提示される選集の価値を説明している。

 

Q 選集のコーナーを愛読する読者もいますが、すでに掲載された記事の繰り返しにすぎないという声も聞きます。編集者としての意見をお聞かせください。

A それはすでに掲載された記事の再掲載ですが、こうした選集は人々に教えを思い出させます。テーマ別の内容は異なった観点と注目を与えます。私の師は、これはこの雑誌の最も重要な部分の一つであり、選集は累積効果を及ぼすと述べておられます。

 

あなたがたがわたしを見るとき、我が友よ、まさに新しい時が始まったことを知るだろう──未来への新しい道標を建てる時が、すべての人の間に正しい関係と信頼を築く時が、従いてくる者たちのために道を照らしながら、調和と分かち合いのうちに共に前進する時が、始まったのである。あなたがたがわたしを見るとき、このことを知るであろう。わたしが絶対なる神として支配するためにやってくるのではなく、兄として、単にあなたがたに道を示すためにやってくることを知るだろう。

(『いのちの水を運ぶ者』第63 信、p.187)

 

マイトレーヤと覚者たちの一団のインスピレーション(鼓舞)と導きのもとで、人間は、正しい決断を行う能力、大計画との関係の中で正しく行動する能力が増大することを知るだろう。これが必然的に同胞愛についての感覚の増大につながり、人間は共に行動することによってのみ前進があるという理解につながるだろう。

妨げとなるものは政治的意志のみである。至るところで、国民は同胞愛の時代を迎え入れるために人生のやり方を調整する用意があり、リーダーシップとマイトレーヤの助言のみを待つ。そうして、人々は自分たち自身のために正しい関係を確立し、世界を管理するにあたって参加者としての役割を受け入れるだろう。

同胞愛の夢が荒唐無稽のものでも無意味な憧れでもなく、ここに今確立されるべき現実であるという新たな希望が人間の心(ハート)の中に沸き上がるのは、そう遠い未来ではない。

(『覚者は語る』─同胞愛の夢─ p.284〜285)

 

世界の大衆は彼らの必要を知らせ始めています。ベルリンの壁を、すべての先進開発国との間にある「ベルリンの壁」を壊しつつあります。そして食べる権利、働く権利、平和で落ち着いた環境で子供たちを育てる権利を要求し始めています。これらの要求は高まるでしょう。マイトレーヤは出現してこれらの人々の要求を刺激し、強力なものとし、地上のどの政府もこの自由と正義と正しい関係への要求に逆らうことはできなくなるでしょう。人類にとって次の運命づけられたステップが正しい人間関係ならば、それは実現されねばなりません。人々がそれを実際に行うときにのみ実現されます。

(『大いなる接近』p.44)

 

人間がマイトレーヤの語る言葉を聞くとき、正しい関係こそが彼らが求める真の現実(リアリティ)であることを認識するだろう。そして励まされ、浄化されて、彼らは分かち合いと正義の過程を始動させるだろう。かくして彼らは、切望しつつ長い間手にすることのできなかった平和を確実にするだろう。

人が心(ハート)から行動するとき、(神の)大計画に沿って行動していることをマイトレーヤは示すだろう。大計画は、彼らが知らないだけであって、それはすべての生命を支配する。人間がこれを知るとき、喜んで以前の愚行と間違った方向への行動をやめるだろう。そしてお互いの間の新しい、より良い関係を始めるだろう──それが来るべき時代を特徴づけるだろう。

(『覚者は語る』─新しい自由─ p. 526)

 

大計画は単に偉大な宇宙的存在者のマインドの中にある何か曖昧な宇宙的概念ではなく、私たちの生活に厳密に関連性を持つものです。それは正しい人間関係に関わりがあり、従って政治、経済、宗教、科学、教育、それから貧しい人たちに食べ物が十分あるかとか、貧困者が多過ぎはしないか、富裕者が多過ぎはしないか、貧富の格差が大き過ぎはしないかに関係するものです。

これらのすべてが神の大計画の一部です。神の計画は従わなければならない一定の規則ではなく、私たちの生活の霊的基盤の中心にあるものなので、それ自体に内的美、つまり内的関連性を持つアイディアなのです。私たちが正しい関係を実施するとき、私たちは自動的に機構──政治、経済、社会──を創造します。それが計画を実施することを可能にするのです。

(『大いなる接近』p. 223〜224)

 

忘れるでない、我が友よ、あなたがたは一つであることを、すべての者の御父が、あなたがたを聖なるイメージに似せて創られたのであることを。あなたがたを通して同じ聖なる愛と真の光が輝いていることを。時は近づけり、我が友よ。真理の光があなたがたの周りすべてに輝き、人が兄弟を己の心に迎え入れ、己自身としてお互いを知るようになる時がやってくる。

(『いのちの水を運ぶ者』第51信、p.155)

 

人類の生活の転換点にあって大きな仕事が彼らを待つ。往古からの間違った思考と生活の習慣をこの世から払拭すること。恐怖心──欠乏や戦争や病気や死の恐怖──からの解放を可能にするように、社会生活の方法を完全に変えること。これらはまさに巨大な仕事だが、あらゆる努力を費やすに値するものである。なぜならそれは、新しい生き生きとした生活、新しいより甘美な人間関係につながり、正義と同胞愛、分かち合いと愛の法則によって支配される世界につながるだろう。そのような世界を創造する仕事よりもすばらしい目標が人類にあり得ようか。

(『覚者は語る』─健康と治療(2)─   p.45)

 

われわれが贅沢と浪費の中で生活しているのに、他方、第三世界の何百万もの兄弟姉妹たちは飢え死にしている。そのような状態の中で、われわれは彼らと正しい関係にあるとは言えない。

解決法は明らかである。この豊かな世界の資源を分かち合うことが正しい関係への欠くべからざる最初のステップである。マイトレーヤはこのことを明らかにされ、この目標に向かって人類が行動することを鼓舞されるであろう。分かち合いと正義を、真の平和への(したがって人類の存続と世界の救済のための)唯一の道として、呼びかけられる。それは、本質的には、正しい人間関係の確立と今日の世界にある明らかに悪い関係を廃棄することへの呼びかけである。個人的、国家的、国際的競争と貪欲、かつてないほど強烈な世界的な憎悪と暴力、分離主義と排他性、自分自身の理想に対する狂信的執着、われわれを自己破壊の淵までもたらしたすべての痛恨と不信を廃棄することである。

マイトレーヤの愛のエネルギー ──「裂開の刀」──の効力が現在の世界にある極化をつくり出したのであり、それは人類に前進への道をはっきりと示すであろう。包括性と愛、正義と人間の精神の自由のために闘う者はすべて、彼の周りに集うであろう。分離主義と搾取、競争と貪欲に味方する者は、同じく明らかになるだろう。そして人類の前にある選択は非常に明瞭になるだろう──愛と憎しみ、分かち合いと貪欲、平和と戦争、生と死との間の選択である。マイトレーヤは(メッセージ第11信の中で)言われた。「わたしの心は、あなたがたの答えを、選択を知っている。そして喜んでいる」と。彼の愛のエネルギーに応えて、人々はすべての国々において、様々なグループをつくり、正義と平和と正しい関係を要求するだろう(それはもう既に始まっている)。間もなくこれらのグループは世界で最も大きな、最も強力な勢力となり、平和と善意の新しい時代を招じ入れるだろう。

(『マイトレーヤの使命 第1巻』p.60〜61)

 

わたしの覚者たちはいのちの規律を、あなたがたに教えるであろう。わたし自身は人類を招くあのより高度な光を、あなたがたに見せるであろう。わたしの教えは二重である。一つは、人間の物質面に関わることであり、人生の必要事項である。もう一つは、われわれが神と呼ぶあの聖なる存在と人間との関係についてである。わたしの言語の中では、これらは同じものである。なぜなら人間同士が正しい関係を築いてこそ、神との正しい関係を築くことができるのであるから。わたしの計画は、これをあなたがたに示し、人が己自身の裡に、分かち合い、愛し、信頼する能力を見いだす時、その瞬間から神へ向かう登り道が始まることを教えることである。

(『いのちの水を運ぶ者』第29信、p.99)

 

あなた方の兄たちであるわたしたちには人間の前方に広がる輝かしい未来の輪郭がますますはっきりと見える。今日の最も創造力に富む洗練されたマインドを持つ人々を驚嘆させるだろう科学の青写真が見える。また人間がいまだかつて見たことのない美と創造的パワーを備える芸術が見える。

とりわけ、規模において人間の歴史に前例のないこの創造力の放出は、人類が通っている大いなる内的変化──「いのちの法則」のうちで生きることを学ぶこと──の必然的結果であることを、わたしたちは認知する。人間がこのことを人生の事実として意識的に知り、理解するとき、彼らは「平和と正義」「自由と正しい関係」に直接つながるステップを喜んでとるだろう。その最初のステップは分かち合いと呼ばれる。

愛の大主マイトレーヤと彼のグループの覚者たちの助けと案内があるとき、人間は分かち合いと正しい関係は同じであることを、同じ衝動であることを見損ないようがない。すなわち現在われわれの分離の底に横たわる和合へ駆りたてる力を人間が示現し、神としての人間の本当の特性を明らかにするのである。

(『シェア・インターナショナル』2008年6月号、

「覚者より」─人間が振り返ってみるとき─)

 

何にも増して、分かち合いの原理と地球資源の再分配が優先されなければならない。世界の福祉に関心を持つ人々すべての心の中に、この中心的な必要が先行されなければならない。分かち合いなしに、達成し得るものはほとんどない。分かち合いなしに、人間は平和を知ることはないだろう。この原理が支配するとき、人間は同胞愛と正しい関係への最も大切な一歩を歩むことになるだろう。

人類が分かち合いの原理を受け入れることは確かである。まだ不確かなのは、如何なる方法によって、そしてどのくらいの速度で、人間がこの基本的な法則を実施するかということである。人間がこの緊急の必要に応えるのを助けるために、マイトレーヤと彼のグループは再び人間の生活と営みの中に戻って来たのである。彼らの勧告は、もしそれが聞かれるならば、人類と正義と平和への最も確実な道を示すだろう。彼らの臨在が何百万の人間の眠っている志向を活気づけ、行動へと駆り立てるだろう。そして彼らを通して、歴史のコースを変えるだろう。

(『覚者は語る』─変化の必要条件─ p.394〜395)

 

自分中心から意識を他へ向けるのに奉仕ほど効果的な方法はない。それほどわれわれに釣り合いの取れた見方をさせ霊的に成長させるものはない。われわれは奉仕するにつれて、われわれが仕える「他の人々」と自分をますます同一認するようになり、徐々にわれわれの注目を小さな分離した自己から転移させる。われわれはより広い包括的な世界のビジョンを得、われわれが部分をなしているところの総体とのより正しい関係に入っていく。

(『マイトレーヤの使命 第1巻』p.307)

 

わたしの計画は、真理の単純な教えを世界に放つことである──人間は一つであり、すべてが兄弟同胞である。神はすべての人間を平等に愛する、自然は、すべての者が分かち合うように、その食物を提供する。わたし自身、人類の体験を経てきた者であるから、人間が窮地を切り抜けていくための答えを知っている。変化し、人間同士が正しく交わり、神の意志を正しく顕していくための単純な方法を教えよう。

(『いのちの水を運ぶ者』第55信、p.164)

 

人類は、私たちが人類という一つのグループであり、宇宙全体の中に分離しているものは何もないことを、すべてが他のすべてに関連していることを完全に理解するようになるでしょう。そして人類を結合させる法則は、宇宙全体を通じて全く何の分離も存在しないということからつくり出された法則です。私たちはアクエリアス(宝瓶宮)から流れ込んでいる統合のエネルギーの影響の下で、融合し、混合し合っているという感覚を発達させていくでしょう。そのエネルギーは集団を通してのみ働き、個人を通しては働きません。個人性は消え、それはグループの奉仕のために提供されるでしょう。

今日、人々は自分の個人性を主張したがります。だから非常に破壊的なのです。なぜならそれは、しばしば権力の地位にあって、そのパワー(権力)を扱うのに十分なだけ進化していない人々の手中にあるからです。彼らは他国に侵入したり、戦争を起こしたり、何千万の人々の生活を地獄のような状況に陥れます。私たちが誇らしく思っている非常に尊ばれてきたこの個人性というものは、グループの奉仕のために提供されなければなりません。

アクエリアス(宝瓶宮)の時代はグループについてです。和合、統合を最大数の部分(個人)にもたらさなければなりません。それは個人性を抹消することではありません。部分、または違いを取り除くことではありません。逆に、異なった個々の部分の最大の数を完全な和合に統合・合成させていくことです。それが多様性の中の和合です。それが将来のすべての仕事のスローガンになるべきです。

(『光の勢力は集合する』p.207〜208)

 

世界はキリストの宣言を待つ。歴史上先例のないこのユニークで偉大な出来事が、新しい時代の始まりを布告するだろう。それは人間の苦悩を終わらせ、新しい勝利の始まりを可能にするだろう。人類がキリストに従うとき、そして人類は必ずそうするであろうが、彼らを待つあの生得の権利を受け継ぎ、キリストから喜びと平安の栄誉を授かるだろう。

そして人間は地上での生活の目的を知り、その目的を遂行することを願うだろう。彼らの魂の意図を知り、いかにしてそれを遂行するかを知るだろう。神との間に、そして彼らの兄弟同胞との間に正しい関係を築く方法を知り、人類同胞愛の概念を現実のものにするだろう。

(『覚者は語る』─光輝く時代が前途に─   p.191)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、本物であると確認されたが、いまだ掲載されていない。

覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見でも現れている。そのような体験が、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。彼らはさらに、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に注意を引き付けたりもする。時に覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念でつくった形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。

しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。この号では、最初の手紙以外はすべて確認されている。

特別推薦

編集長殿

2017 年 1月21日土曜日に、女性の権利のためのロンドンのデモ行進に参加しました。グロブナー・スクエアにある米国大使館までの道路はすべて、手作りの旗を持った人々に埋め尽くされ、ほとんどの旗は厚紙をテープでつなぎ合わせたもので、ドナルド・トランプ氏に関するスローガンが書かれていました。家族連れや数千人もの圧倒的に若い人たちが集まっていました。雰囲気は素晴らしいものでした。後で聞いたところによると、60カ国で600もの行進に、300万人近い人たちが参加したそうです。

私がやっとグロブナー・スクエアにたどり着いた時には、ややスペースがあり、歩道にいくつかのブースが出ていました。突然、若々しい女性が、戦争停止連合のブースから署名嘆願書の付いたクリップボードを抱えて、私の方へやって来ました。私はこれまでこのような形で、戦争停止連合の活動家からアプローチされたことはありませんでした。前日同じ活動のグループからの署名にサインしていたので、もう一度サインする必要はないと思っていました。彼女は寒さに備えた服装をしていました。とてもきれいなハシバミ色の瞳に、丸縁のメガネをかけていて、明るい茶色のふわふわの巻き毛が魅力的な顔を縁取っていました。彼女はそれが新しい署名嘆願書で、2016年に起こったトライデント・ミサイル実験の失敗について、真実を語るように保守政権に働きかけるものだと説明しました。私はそれにサインしていないとわかったので、サインしていると、彼女が不思議なことを言っていて、しばしば同じ家族のメンバーは、似た筆跡になることがよくあるらしく、それは私の妹たちや弟にも当てはまっていることでした。それから私たちは何人かの抗議をする人たちについて話していて、その間、人々はパーク・レーンから1時間前に行進し始めましたが、まだグロブナー・スクエアは待っている人たちでいっぱいでした。これは長い間私が参加した中で最も大規模なデモ行進でしたが、彼女は賛同してくれて、たくさんの変化が起こるだろうと言って、アミール・アミラニ監督の『ウィ・アー・メニー(私たちは大勢いる)』というとても良い映画があって、見る価値があると言っていました。私がお礼を言って、映画を見てみると言うと、彼女はとても美しく温かな笑みを私に向けてくれました。私は歩きながら気持ちが高揚していました。(34ページの映画のレビュー参照)

その後、これが並外れた女性との稀な出会いであり、大規模なデモの間に世界中の人々が声を上げるための、またとないような機会だったことを思ったのです。

スザンヌ・フィリップス

英国、ウェストサセックス州

 

次の2通は同じ人物からのものです。

 

編集長殿

(1)2004年の新年の午前中、ちょうど真夜中を回った時、私は教会から戻っているところで、テゼ(平和のための祈り)を終えて、バス・ステーションへと歩いていました。店のウインドウ前の歩道で横になっている物乞いを通り過ぎて、お金を渡すこともしませんでした。彼に「ハッピー・ニューイヤー」と声をかけて、そのまま歩きましたが、「それは平和の祈りにそぐわない」と思っていました。

バス・ステーションでは待たなければなりませんでした。やがて他にも数人の人たちが集まってきて、やはりバスを待っていました。待っている間、私は花火を見ていました。

突然、一人の男性が私に話しかけてきました。彼は私にいくらか小銭をもらえるか尋ねてきたのです。最初私がムッとしたのは、彼が他の人ではなく私に頼んできたからでした(他の誰かに頼んでいる姿は見ていませんでした)。けれどもその時、新年はこのような、助けを拒絶するようなことで始まるべきではないと思ったのです。私は彼に片手いっぱいの小銭を渡しました。彼はお礼を言い、私に幸せな素敵な新年を祈ってくれて去っていきました。他の人にはお金を求めませんでした。私の経験では、物乞いの人たちは常に会う人全員に求めるものです。もらったお金はポケットに入れて、物乞いを続けるのです。彼は違っていました。

【ベンジャミン・クレームの師は、両方の『物乞い』がイエス覚者であったことを確認した】

 

不意をつく人

 

編集長殿

(2)2004 年 1月25日の日曜日に、私は教会へ向かっていて、ラトハウスマルクト行きのバスに乗りました。私のハンドバッグの中には10 ユーロ札があり、教会に寄付しようと思っていたもので、ポケットにはコインが数枚入っていました。バスを降りると、少し離れた所で、地面にバッグを二つ置いて彫像のように立っている人を見かけました。その人物は非常に年老いた男性のように見えて、修道士の着るガウンのようなコートを着て、頭巾を頭にすっぽりと被っていました。その人は脊柱後弯症でした。私の方を見てはいませんでした。

私は彼が物乞いなのか、ただ風変わりな人物なのかよくわかりませんでした。けれどもそのことについてはあまり考えず、ポケットにあったコイン全部を差し出しました。彼はまるでそれを待っていたかのように腕を伸ばして、(おそらく20歳くらいの)非常に若い顔で私に微笑みかけてきて、非常にはっきりと「本当にありがとう」と言いました。彼の笑みを浮かべた若い顔と、それらの力強い二つの言葉を、私は忘れることができません。

メヒティルト・ヴィーンカー

ドイツ、ハンブルグ

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した

 

『親指立て』

 

編集長殿

病院で気力を失わせるような診断を受けてから、私たちは軽いショック状態で、スーパーマーケットからハリファックスの町へと歩いていました。

私には亡くなった父が、二つのペンスコインの形で励ましのメッセージを残してくれたという、確信がありましたので、古いサンドイッチの容器の中に二つのコインを見つけた時、驚きませんでした。私は心の内で「ありがとう」と言って、それらを拾い上げました。

驚いたことに、若い物乞いが壁の向こうから飛び出してきて、身振り手振りで、二言三言の言葉を使いながら、私が彼のお金を取ったと言ってきたのです。私はとてもおどおどしながら戻り、謝ってから二つのペンスコインが、父からのメッセージだと本当に思っていたことを説明しました。驚いたことに、彼は理解してくれたようで、私が二つのコインを持っていく代わりに、少しお金をもらいたいと提案してくれて、そのようにしました。話をしている時、彼は私の瞳の奥までじっと見つめていました。

歩いて夫の元に戻っている時、その物乞いは「親指立て」の仕草をし続けてくれて(私も仕返して)、そうしているうちに、心配事があるにもかかわらず、私たちは二人共笑い出していました。私はこれが特別な出会いだったのではないかと思う(と望む)のですが。

リンダ・ロッジ

英国、ウェストヨークシャー州ブリッグハウス

【ベンジャミン・クレームの師は、その『物乞い』がマイトレーヤであったことを確認した】

 

 

読者質問

ベンジャミン・クレームは彼自身を他のグループの活動や通信の裁定者とは考えてはいない。シェア・インターナショナル誌はこれからも同じ方針に従う。

世界のどこで行われた講演会でも、クレームは広範囲のテーマに関する多くの質問を受けた。その録音は膨大な量に上る。ここに掲載されるのは、それらに対するクレームと彼の師である覚者の答を書き起こしたもので、これまで本誌に発表されていないものである。

国連、ニューヨークでの講演、2006年7月28

Q 覚者方は私たち人類すべてをオーバーシャドウして、私たちの心を新しい考え方に向けることができるのですか。

A そのために彼らは来たのです! もちろんできます。これは希望のメッセージですが、私たち自身が行動しなければなりません。私たちはマイトレーヤが助言されることを欲しなければなりません。私たちは分かち合いの原則を欲しなければなりません。戦争を取り除くために一つになろうと欲しなければなりません。私たちの意図はそれを行うことでなければなりません。マイトレーヤは私たちの自由意志を侵害しません。しかし彼のエネルギー、鼓舞する彼の能力が、アメリカの魂を鼓舞し、アメリカの人々の態度に変容をもたらし、分かち合いの原則を受け入れるでしょう。しかし、彼は私たちにその用意がなければそれを行うことができません。そのために彼はまだ世界教師マイトレーヤと認知されておらず、外的に働いていないのです。私の仕事は道を整えることであり、希望と期待の風潮をつくり、彼が私たちの自由意志を侵害することなしに私たちの生活に入ってくることができるようにすることです。

 Q このこと(マイトレーヤの公の出現)のためにクリティカル・マス(臨界点)に達するにはあとどれだけの人々が必要ですか。

A これ以上必要ありません。マイトレーヤは十分な人々を持っています。クリティカル・マスは十分以上でありますが、私たちは行動しなければなりません。私たちは自分でできることは自分でしなければなりません。大規模な戦争が不可避な困難に突入すれば、彼は来て介入するでしょう。彼は一瞬一瞬、世界の状況をご覧になります。毎瞬間彼は世界で起こっていることを見て、私たちの自由意志と危険の関係を判断されます。私たちは危険のみを見ます。世界を見るとき、危険や戦争などを見ます。それは一面的な世界の見方であり、世界は多元です。覚者方ももちろん危険を見ます。彼らは変化、変化の力を見て、それを知り、一定の時に、善のための力を築き、変容的な発達が起こりますが、世界にはこのことはほとんど知られていません。

例えば、平和と平衡の霊と呼ばれる偉大な宇宙的存在がおり、彼はマイトレーヤがイエスをオーバーシャドウして働いたのと同じやり方でマイトレーヤを通して働いています。このエネルギーは作用と反作用の法則と共に働いており、それは反対物に等しく働きます。このアバターの仕事の効果は、暴力と憎しみと不調和の広がりをその正反対である調和、平和、正義へと、現在の暴力と憎しみと全く同じ度合いで変容させることです。これが今日世界で最も強力なエネルギーです。それ自体としては最も強力なエネルギーではありませんが、マイトレーヤを通して働いている他の強力なエネルギーよりも世界でこのエネルギーがより大量に存在しています。統合のアバターと呼ばれるもう一人の偉大なアバターがおり、アクエリアスのエネルギー、統合のエネルギーを、途方もない強さで世界にもたらしています。マイトレーヤ御自身が仏陀のエネルギーである宇宙的智恵のエネルギーと、彼自身の愛のエネルギー、宇宙的愛のエネルギーをもたらしています。そしてこれらはエネルギーの虹です。これらすべては、破壊、暴力、憎しみと同時に働きます。この否定的な物事は克服されることは確実です。しかし、私たちは座り込んで「マイトレーヤがすべてをやってくださるだろう」と言うことはできません。私たちがそれをしなければなりません。責任を持って、責任ある大人として見られたいのならば、憎しみと不正に反対し、世界の善のために行動しなければなりません。

名古屋、2008

Q 災害で亡くなる人々がたくさんいるのはなぜですか。

A 人々が自然災害で亡くなるのは自然なことです。なぜなら地球は動いており、地震や台風などがあるからです。つい最近も二つの巨大な災害(津波と中国の大地震)がありました。問題は、それらが自然災害なのかどうかです。その答えは、いわゆる自然災害ではないということです。人類は法則を理解していません──それは無害の法則と原因と結果の法則です。私たちが世界に緊張をつくり出すならば──イラク戦争のために途方もない緊張が生まれています。完全に不法な、不必要なおぞましい戦争であり、人命を犠牲にしています。アメリカとイギリスや他の国々による侵略が行われています。アフガニスタンで行ったこと、イランへの脅迫、アメリカがイランに圧力をかけ続け、世界の緊張を高めています。世界中の人々は、現在世界にある巨大な宇宙的エネルギーのために緊張状態の中で生きていますが、強力な個人や国家のためにも緊張状態にあります。そして人々は沈黙しています。この国(日本)は、同盟国だからという理由でアメリカの行動に沈黙していますが、国家は世界の他の国々の狼藉に反対して声を上げなければなりません。アメリカは巨大な国家であり、ますます巨大になるでしょうが、哀しいことにその運命の道を踏み外しています。それは自分でも理解できない力を弄んでいます。アメリカは若く、強力な国家です。若者、特に強い若者のような傲慢さがあります。より年長の賢い国々がアメリカの行動に反対する声を上げるべき時です。

さて、私たちが今のように均衡を失えば、台風や地震、地球の力自体を管理しているサブ・ヒューマン・エレメンタルも均衡を失います。ですから通常、台風や地震の起こる地域ではそれが巨大になります。元々人類がつくり出し、それにエレメンタル・フォースが反応する緊張のために、すべてが誇張されます。均衡を失います。私たちが均衡を取り戻せば、彼らも均衡状態に戻ります。人類はすべての力(フォース)と地球のすべての側面に存在する関連を理解する必要があります。そしてこれをする最良の方法は、分かち合いの受け入れを提唱し促進することです。分かち合いと正義は世界に静けさと均衡さえもたらすでしょう。

 

2017年3月号目次

 

ー覚者より
“野蛮な”時代の終わり
ベンジャミン・クレーム筆記  1999年4月

視点
人間中心の見解が極めて重大な関連を無視している
デビッド・スズキ

賢者の言葉
ミハイル・ゴルバチョフ:「世界は戦争の準備をしている」ように見える
アンドレア・ゲルマノス
ポピュリストの潮流と闘う強力な道徳的リーダーシップへの呼びかけ/エルダーズがアメリカの難民入国
禁止措置を非難

世界情勢
分かち合いを通しての豊かさ
国連冬期ユース集会

人権、真理、法の支配-選集
Human rights, truth and the rule of law-acompilation

なぜ学校はビジネスのように運営してはいけないのか
『共通の夢』誌へのスティーブ・シンガー氏の記事の要約

S.O.P.(Save Our Planet)-われわれの惑星を救え!
低炭素未来に関して楽観的になる10の理由
ペイトン・フレミング
中国は103カ所の石炭火力発電所の建設をキャンセルする

時代の徴
「奇跡」の時代に終わりはない

ゲラード・アートセン著
『ディスクロージャーの前に-憶測の霧をはらす』
エリサ・グラフによる書評

法の支配
世界人権宣言-かつてないほど重要
戦争ではなく法を:「あなたは自分の家族をそんな風に扱わないだろう」

民衆の声
世界に広がり続けるトランプ氏への抗議
ルーマニアで持ち上がる声

重要な機会
ー覚者より ベンジャミン・クレーム筆記/1984年3月

嘘を暴き出す
民主主義の基盤

人類はひとつ
カナダの実業家が200人の難民をスポンサーする

編集長への手紙
歩み続ける他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

 

“野蛮な”時代の終わり

この特異な時代において、世界は明らかに相容れない対立する両極に極化している。同時に、分割に橋を架け、癒しの過程を始める唯一の可能な方法は、人類が自らをひとつとして見ることである。ベンジャミン・クレームの師による次の記事は、諸問題と解決策の両方を明らかにし、描き出しており、そのようにして前方への道を指し示している。

“野蛮な”時代の終わり

 ──覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記 

人類が今のこの時期を振り返って、“野蛮な”時代と見るようになる時が来るだろう。現在のこの死にかけている文明は可能な理想からあまりにもかけ離れているので、未来の人類は、われわれが一体いかにして、しかもこれほど長い間、それを持続することができたのか不思議がるだろう。

この悲しい状況には多くの原因と要素が含まれている——人間の人間に対する関係の、長い、ゆっくりとした頽廃が、ますます精巧になる武器の開発と並行しており、またそれを反映している。大陸を飛び越して殺戮することのできる現在の武力を、人間は大得意とするが、それは自己破壊への盲進を確実なものにする。戦争は冷徹な非個人的なものになった。もはや戦士は犠牲者(敵)の顔に恐怖の脅えを目撃する必要はない。

この状況の中で、政治経済の制度が、人間の生活の泉からの疎外感の増大を反映するのは不思議ではない。商業至上主義、すなわちあの急速に発展した、しかし陰険な、しばしば隠れた脅威が今や数え切れない何千何百万の人間の生活と運命を支配する。そして人間の天与の個人性を取るに足らないものにしている。今や人間は統計にすぎず、そこには人間の目的も必要も考慮に入らず、人間は市場エネルギーと企業の利潤というチェスゲームのポーン(歩)の駒である。

われわれが現代世界と呼ぶところの荒涼たる砂漠は、人間を人間らしくするもの、すなわち幸せや、創造的な充足感、お互いの必要に速やかに反応する特質、自由というものを人間から奪う。破壊的な競争は人間の精神を腐食させ、そして今や、人生の“戦い”の審判の座にある。人生、すなわち「偉大なる冒険」は腐敗し、単なる生存のための苦しい不公平な苦闘に置き換えられた。

これらの悲惨な状態がすべてに同じように存在するわけではないのは確かだが、しかし膨大な数の人間にとって、それは彼らの生活の現実を表している。そして人間が方向を変えない限り、それはますます悪化するだけである。

マイトレーヤが世界の舞台に公に入って来られるとき、そのような苦痛と苦闘の人生は必然ではないことを、それが人間の唯一の選択ではないことを示すだろう。人間がそれを意志するならば、彼らの生得の権利として他の道があることを示すだろう。

混乱とますます増大する貪欲の直中にあって、人間はすでに、人生の聖なる絆をそのように弱めるものに抵抗しはじめていることを、マイトレーヤは示すだろう。そして大きな新しい力(エネルギー)が新しい始まりを生じさせており、現在の混迷の中から、時代の挑戦に対処し、困難に打ち勝つために、生まれ備わった人間の能力がより高位に、より本当のすがたで徐々に現されつつあることを示すだろう。

マイトレーヤは人間に、彼ら自身の高位の出所と運命を思い出させるだろう。そして新しい生活方法の創造を、融和のうちに、正しい人間関係の中で、戦争や競争の手段に訴えることなく、完全な協力と相互尊重の中で生きる道を鼓舞するだろう。そのようになるだろう。

19994月号)

 

人権、真理、法の支配——選集

Human rights, truth and the rule of law──a compilation

 

「人権、真理、法の支配」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』と『シェア・インターナショナル』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 

今日、変化の必要を認めてはいても、まだそれに抵抗する者が多い。古き使いふるされた過去の世界がくずれていくのに気づいていながら、なお古い形態にしがみついている者が多い。しかし国々に新しい声が聞こえる──希望と約束をはらんだ真理の声が、新しい時代の声が。この声は人々の心に刻みつけられていく、次第に強さを増しながら。なぜならこの声は、人間を通して語る神の声であるから。

(『いのちの水を運ぶ者』第12信、p.53)

 

かつてほとんど奴隷でしかなかった何百万もの人間は、もはや彼らの(割り当てられた)運命を我慢するつもりはない。彼らを虐げる圧制に対抗して立ち上がり、より良い生活を要求する。

一方、正義と法の規則についての新しい関心が最近の腐敗と自由放任主義に疑問を持たせ、それらを厳しく非難する。他の人々に対する新しい責任感が、世界中の兄弟姉妹に奉仕しようとする多くの人々の良心をしっかりつかむ。……

……他方、古い秩序は、それ自体の極端な行動によって崖っ淵に追いやられて崩壊する。人々は「貪欲の帝国」、すなわち市場エネルギー(フォース)の暴政、海賊の全盛期の崩壊を目撃している。これからはすべての物事の傾向は「共通の福利」に向かうだろう。共通の福利のために、そしてそれを保持するために働くものは栄えるだろう──それに対抗するところのものは衰えるだろう。このようにして新しい形態と制度が、すべての人間の必要を満たすだろう。

(『覚者は語る』─共通の福利─p.487〜488)

 

私たちは真なる人間になり、分かち合い、そして例外なくすべての人間が可能性を、言葉の最も深遠な意味での霊的可能性を引き出す権利を持てる条件をつくり、物質界、アストラル界、メンタル界、霊的界層において彼らの人生をより良くする準備ができているか。人間が転生してきたまず最初の目的を顕現し、実際に生きることです。私たちがこれを行うのを妨げているのは、主に堕落した政治、経済、社会の構造のせいです。それには心(ハート)の変化が必要です──そしてそれは今起こっていると思います。さもなければ、マイトレーヤはここにおられないでしょう。

(『マイトレーヤの使命 第㈽巻』p.307)

 

国家の福祉のためにお金を使う時がやって来た。すべての国家が、すべての民衆が、人々に属する。「イデオロギーの名の下に、神の健康と富を分割する者は、彼ら自身が腐敗している」(1990 年 9 月)

(『いのちの法則』p.220〜221)

 

新しい時代の政治──世界中で政治が急速に変化している。新しい時代の政治は国民による国民のためのものであろう。国際連合は強力な道具となり、より弱い国家のために防衛を提供するだろう。

(『いのちの法則』p.319)

 

世界はすべての者に、金持ちと貧乏人、力ある者と奪われた者、白人と有色人種、すべてに属することを、マイトレーヤは示されるだろう。今日人類が直面する問題を解決するために一致協力した行動が必要なことを明確にし、その解決への道を指し示されるだろう。すべての人間に変化の必要を受け入れることを呼びかけ、至るところにいる人間の正義への願いを活気づけ、彼らの意志を集中させるだろう。このようにして、マイトレーヤは、より良い形態の確立を求めるすべての者を団結させ、それを通して人間の神性が表されるだろう。そしてその民衆の中から、これまで地上で聞かれたことのないような叫びが湧き上がるだろう──正義と真理、自由と平和を求める叫びである。

(『覚者は語る』─未来は招く─p.56〜57)

 

我が友よ、わたしの両手は、あなたがたに差し伸べられている、あなたがたの信頼を求めて、世界の建て直しのためにあなたがたの協力を願って。多くの仕事が行く手に横たわっている。自由と真理のために多くの強打が打たれなければならない。この真理の輝きを裡に宿している者たちすべてに従いてきてもらいたい。そしてわたしの仕事を援けてほしい。わたしの呼びかけが聞こえるまでに、あなたがたの用意が整っているように。その呼びかけは、世界中至るところに居る人間の耳に響くであろう。それは神への呼びかけである。

(『いのちの水を運ぶ者』第26信、p.92)

 

国際連合は世界平和を維持する機関としての本領をゆっくりと発揮しつつあります。現在、国連は世界の警察としての役割を引き受けることを嫌っており、至るところの政府は必要とされる犠牲を払うのを躊躇しています。しかし、世界平和が分かち合いと正義の実施を通して保障されるようになるまでは、国連はそのような責任を引き受けなければなりません。国連の将来の役割は、世界政府になることではなく、世界議会になることです。そこで問題は議論され、平和のうちに解決されるでしょう。

(『マイトレーヤの使命 第㈽巻』p.100)

 

多くの者が、もうすぐわたしを見、わたしの言に耳を傾け、わたしの先導に従う。あなたがたは、まっさきにこれをなす者たちの中にいるように、そうすることでわたしの共働者となれるのだ。そのような者たちをわたしは非常に必要とする。この世界の復興を願うわたしの望みを分かち合う者は大勢いる。その人々を探して、一緒に働きなさい。共に光の要塞を築き、兄弟たちのために道を照らしなさい。じっと座していることなく行動しなさい、そして真理の時を復興しなさい。

(『いのちの水を運ぶ者』第33信、p.110)

「善」と「悪」の間の葛藤は、「光の勢力」による勝利であることが、ますます明らかになっている。人間のハートとマインドを勝ち得るために大昔から続けられてきた苦闘の中で、「善」の側が徐々に優勢を占めている。世界に存在する緊張と分裂を見るとき、これは驚くべき主張に思えるかもしれない。しかし実際にそうなのである。あなた方が、世界とその出来事を、わたしたち人類の兄たちの視点から見ることができれば、途方もない変容を遂げつつある世界が見えるだろう。すべての側において古い体制が崩壊しつつある形跡がある。往古の憎悪が人々を分割し、無法がはびこる。しかし、至るところで新しい精神が人間の中に目覚め、あらゆる形態の生命に対する新しい責任感と新たな敬意が目覚めつつある徴が見られる。……

……新しいものを顕現するために、すべての分野において、人々はグループを形成している。愛と必要の精神に鼓舞されて、彼らはより簡素な、より健全な世界を心に描く。現在の不均衡と緊張の中から正義と融和が育たなければならないことを知る。自分たちが聖なる存在であり、変化の奇跡を行うことができるのを知っている。

(『覚者は語る』─勝利は保証されている─p.83〜84)

 

現在の政治制度は力と信用を失いつつあり、究極的にもっと民意を代表するような新しい政府のあり方が誕生するだろう。新しい時代には国民は前面に出て来て、自分たちの社会、政治、宗教、教育の面における必要をすべて表明することができるだろう。そして彼らは自らを、そしてまた自らの慈悲の心を他者への援助という形で表明するようになるだろう。一般市民、知識人、教育者その他あらゆる階層の人々が政治の中に彼らの声を本当に反映する代表がいることを発見するだろう。

過去の歴史を繰り返すことのできる政治家は今やいないだろう。分割して統治するという政治は終わった。分割的政治の術は終わりにきた。そして調和を重んじる新しい政治のやり方が間もなく後を継ぐだろう。新しい政治はもはや資本主義とか社会主義とか「何々主義」によって形作られるのではなく、個人や国家の自己尊重からつくられていくだろう。

新しい政治家は知識人であり、進化の法則を知り、彼らの同胞を賢明に導く経験豊かな人々であろう。宗教と政治の両方の分野において、人々の心(マインド)にイデオロギーを押しつけることによる強制や強要のプロセスは世界中で解消している。合意がそれに取って代わるだろう。国民の声はすでに耳を傾けられ始め、この代表政治の形態がイデオロギーを通して大衆をコントロールするやり方に取って代わるだろう。すべてが非常に急速に動いているので事態は政治家の手に負えない。新しい政治の時代が始まった。認識が人々を自らの基本的人権に目覚めさせ、自由とそして自らに対する、またお互いに対する責任に目覚めさせている。

すべての国の憲法は究極的には自由と解放と救済という三つの原則に基づくものになるだろう。自由は個人的レベルで作用し、解放は国家的レベルで作用し、救済は霊的レベルで作用する。

(「マイトレーヤの教えと予報」『マイトレーヤの使命 第㈼巻』p.120〜121)

 

世界中に起こっている強力な出来事──今は毎日のように起こっている──は、死滅しつつある文化の死にぎわを目撃しているのであり、そしてそれは暗に新しい文化の創造を意味するという認識を人々の裡に目覚めさせている。

新しい文化がどのような形を取るかは、大体においてまだ漠然として実体のないままであるが、一つの要素はすでに大衆およびメディアの心に刻みついている。つまり民衆の声の増強とその声を聞こえさせようとする決意の増大である。これがわれわれの時代の最も重要な政治的出来事である。世界を通じて、各国の国民が自分たちの運命をコントロールしつつあり、自分たちの権利を要求しつつある。人間の神性に本来備わった特性である自由を求める裡からの呼びかけがあらゆる人種、信条の人々を団結させており、その声はますます高まりながら反響を起こし、また反響を呼んでいくだろう。圧政の最後の砦が崩壊し、人間が生得の権利を受け継ぐまで、それはこだまするだろう。これがすべての人間の待望する未来である。

(『覚者は語る』─民衆の声─p.329)

 

善意の人々が集団をなして、正義と平和への希望と夢を高く掲げて振り回すだろう。この叫びが世界の諸国に真理の松明に火をつけるだろう、そしてその中心にわたしが居る。わたしの真理のために、あなたがたの心を開きなさい。わたしの愛のために、あなたがたの心を開きなさい。その愛をあなたがたの周りに顕現し、いのちの意味を悟りなさい。そしてあなたがたを神として顕すことのできるような形態を創造しなさい。我が友よ、喜んでこれをなし、あなたの遺産を受け継ぎなさい。

(『いのちの水を運ぶ者』第135信、p.407〜408)

 

世界的相互依存というリアリティ(現実)がわれわれの認識の中で確立された事実となるだろう。そうなる時「すべての人間は兄弟姉妹である」という事実が制度機構や実際的活動計画の中にますます取り入れられて、この実体を反映するものとなるだろう。諸国家も同胞愛、共通の目標、共通の抱負を体験することができ、そうなるだろう。

国家政権は長期にわたって存在するだろうが、責任はだんだん国際連合によって遂行されるようになるだろう。兵器や武器が監視の網の目をくぐり抜けて紛争を激化させることがないように保証する役割を、国際連合は効果的に果たすだろう。それはオブザーバーや監視者として機能するだろう。国際連合は強力な中心となりつつあり、もはや「名ばかりの存在」ではない。

(「マイトレーヤの教えと予報」『マイトレーヤの使命 第㈼巻』p.121)

 

国家が大人になり成熟すると、他の諸国に対して、それまでとはまったく異なったかかわり方をする。その国は、相互の責任と必要についてすべての国家を結び付ける「法の規定」を尊重しはじめる。成熟していることの徴はまさに法に対する尊重の姿勢である。法は人間が共に生きるために必要と考えられたものである。

時々、一つの国家が非常に強力になり、その権勢への野望をいらだたせる法を無視して、友好国からの抑制を求める警告にもかかわらず、戦争を始めることができると感じるかもしれない。

唯一の‘超大国’としてのアメリカ合衆国が今日、そのようであり、「法の規定」の外での一方的な行動の愚かさを知ることができるまでに成長した、より成熟した国々の国民を怒らせ、心配させている。

若い、自信過剰な‘超大国’はその筋肉をひけらかしながら、度を越してしまうだろう。そしてそれが早く起これば、それだけ世界にとってはより安全だろう。……

……諸国家の間で、「法の規定」が無視されるとき、世界全体が苦しむ。かくして、今日、この無益な軍事力の誇示が、テロ行為や暴力に何の関係もない何百万の人びとに影響を及ぼしている。ストレスのもとで人間の免疫組織が破壊されるにつれて、世界は今、あらゆる種類の伝染病と苦闘している。戦争挑発者は、彼らの愚劣な行為のカルマの結果を考えたならば、行状を改めて、他の進路に狙いをつけるがよかろう。

マイトレーヤは、その間、この不調和の状況を注意深く監視しており、必要ならば、介入する用意があり、可能なときに出現する用意がある。マイトレーヤは彼の後ろに立つ者、平和と正義、自由と愛を貴重に思う者の究極の勝利を疑わないことを念頭においておきなさい。マイトレーヤは、これらが人間存在の主動因であることをご存じであり、すべてにおいてこれらに最高の価値が付与されるのを見届けるために来られる。

(『シェア・インターナショナル』2004年4月号、「覚者より」─究極の勝利)

 

わたしの計画は遂行されつつある。わたしの愛は、人の心に新しい様相の火をともし、新しい光の曙が訪れる。わたしの約束はこれである──もうすぐあなたがた自身で、変化する世界を、あなたがたの目の前で変わる世界を見るであろう。古きものは新しいものに道を開ける、そして人は真理の門口に立つ。

(『いのちの水を運ぶ者』第117信、p.351)

 

 

 

囲み記事:

人権

──覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記、シェア・インターナショナル誌 1984 年 7月号

 

人権の問題が現代の人間の問題の中心にある。過去には、社会構造が個人の生活を支配し、階級制による人間関係が確立しており、すべての者が自分の位置を自覚していた──妻は夫に従い、男は領主に仕え、領主は王の意志に従い、それを実行した。一方、聖職者は神と人との間の仲介として働いた。これらの関係は人工的であり、押し付けられたものであるが、世の中における彼らのアイデンティティー(独自性)と位置を見つけようと苦闘する社会の必要を満たした。

これらは今日すべて変わった。少数の地域ではまだ支配階級が、しばしば市民紛争や戦争という代価を払って古い形態にしがみついているが、その他の地域では人々は自分たちの自決権を主張した。正しい統治のための責任を引き受け、種々の代表制制度によって自分たちの意志を表明することができる。人々は自分たちの生活に影響を及ぼす決議に対して、これまでにないほど、より一層の参加を要求する。

この新しい自由は一連の緊張を引き起こし、その解決が待たれる。至るところでより多くの自由を求める叫びが響きわたる──そしてまた、現在の構造を維持しようとするグループから秩序と法の支配を求める叫びが同等にきしめき返される。これらの対立したグループの目標を調和させるためには、全く新しいアプローチ(取り組み方)が必要である。そのような調和を達成することは、遅々とした困難な仕事であることを受け入れなければならない。多くの矛盾し合う見解が調停されねばならないことは自明である。しかしながらこれらの問題の解決を待つかたわら、幾つかの基本的原則、ガイドラインを敷くことは賢明であろう──それなしでは、問題は手に負えないように見えるかもしれない。

最初に考慮すべきは社会を支配する法則が公正であり、すべての者に適用すべきであるということである。そのような基本的な正義と公正なしには、人々に法律を守ることを期待できない。今日しばしば「金持ちのための法律と貧乏人のための法律」が存在する──これは社会紛争の処方箋である。さらに必要なことは、法律が、すべての者が知り得て理解できる言葉で表現されることである。全く時代遅れで専門家しか知らない法律を犯したという罪によって、人が投獄され、裁かれることがしばしばある。

最大の必要は、個人の利益と社会の利益とをより密接に同一視していくことである──それによってのみ、個人の自由と社会の安定を保持することができる。いかにすればこれを最大限に達成することができるか。

国際連合の機関が人権の規約を公式化した。もしそれが実施されれば、現在の社会緊張を解消し、公正な安定した社会の基礎をつくるのに大いに役に立つ。世界のすべての国に住む、搾取され、公民権を剥奪された何百万の人間にとって、これまでのところ世界人権宣言は夢にすぎない。目標はできる限りのスピードでこれらの基本的権利をすべての国家に確立することである。

分かち合いの原則を受け入れることによってこれは可能となる。人間はもはや、働くための権利、家族を養うための権利、自分の運命に対してある程度のコントロールを持つ権利、これらを得るために戦う必要はなくなる。分かち合いの受け入れは、一挙に分割を癒し、対立を終わらせ、現在の状態の病を癒し、人間を落ち込んだ泥沼から救い出すだろう。だから、分かち合いをあなたの努力の目標としなさい。世界は今、歴史上かつてないほどに、この公正な基本的な原則の確立を必要としていることを、人々に示しなさい。これを受け入れることを通してのみ、人間は己の神性を見つけ、それを実証することができるだろう。

 

ゲラード・アートセン著 『ディスクロージャーの前に──憶測の霧を晴らす』

今日、「UFO」という言葉をグーグルで検索すると、地球外の現象についてインターネット上で見つかることに終わりはないように思える。その大部分は恐ろしいものか空想的なものである。地球外の存在が私たちの惑星を訪れる真の意味と目的を解明し識別するには、どこから始めたらよいのか。ゲラード・アートセンは、『ディスクロージャーの前に──憶測の霧を晴らす( UFO研究とエクソポリティクスを学ぶ人々のための入門書)』という新しい簡潔な本を書いた。この本は、人の目を欺くような、いまだに広まっている偽情報の霧を見通し、地球外の存在の根底にある真理を読者自身が識別するのを助けてくれる。アートセンが説明しているように、そうした真理は、人類が共有する知恵の伝統と最新の科学の洞察に裏付けられている。

地球外からの訪問者を十分に理解するためには、実質的に現代のUFO研究の時代の端緒となった 1950年代初期の一連のコンタクトから始めることが必須であると、『ディスクロージャーの前に』は助言している。ジョージ・アダムスキーやウィルバート・スミスのような初期コンタクティーは、肯定的なコンタクト体験しか伝えていない。スペースピープル(宇宙人)によって伝達するよう依頼された明快なメッセージは、アートセンによると、「第二次世界大戦の惨禍のわずか数年後であり、人類が核戦争の新たな脅威に直面していた時期であったので……人類を勇気づけるものでした」。「人類の一体性の表現として」、すべての人の基本的な必要を確実に満たしながら、人類が国際協力を通して平和な未来を創造するように彼らは助言した。アートセンが言うには、こうした証言は「信頼できる出発点となっています。とりわけ、彼らの説明はすべて、多くの顕著な一致点を示しており……当時の世界各地のコンタクティーだけでなく、その後の数十年間に似たような体験を報告した多くの人々による裏付けもあります」。

アートセンが言うには、証拠があるという主張を信頼すべきかどうかを見極めるためには、その主張は「厳密に主観的な体験を越えて一定レベルの真理やリアリティ(現実)を反映していなければなりません。……時代、活動分野、さらには社会階層の違う人々による幾つかの、あるいは少なくとも一つの観点から裏付けられているかどうかも確認する必要があります」。これが特に UFO研究との関連で必要とされるのは、公のコンタクトがなされた後でなければ、有形の証拠は明らかにならないからだと彼は書いている。数十年にわたった偽情報キャンペーンにより、各国政府やその機関によるいわゆるディスクロージャー(情報開示)についても疑問視した方がよい、彼らは地政学的意図のために国民の支持を当てにしているからだと、アートセンは警告している。ひいては、「秘密実験室で働いたことがあったかもしれないし、なかったかもしれない『政府の内部関係者』や『内部告発者』を通して私たちに届く……情報を受け入れることについても十分注意すべきです」と彼は述べている。「これは、その情報が国民の恐怖や混乱をあおったり助長したりするために意図的に植え付けられたかどうかを、決して確信することはできないという単純な事実のためです」

アートセンの以前の著書と同様に、『ディスクロージャーの前に』は、私たちが点と点とを結んで全体像をつかむのに役立つと同時に、「……『真理』とは知覚の問題だ」ということを私たちに思い起こさせてくれる。知覚は、その人の意識の進化段階に依存する。彼はこう書いている。「もし体験に普遍的な価値があれば、その人が人間の努力のどの分野で活動的であろうとも、それは認知され、様々な角度から確認されるでしょう」。彼はそれを「分野横断的な裏付け」と呼んでいる。「この場合は科学と宗教であり、それぞれのリアリティは天文学者カール・セーガンの有名な発言、「私たちは星と同じ物質でできています。私たちは、宇宙が自らを知る一つの方法なのです」を引用している。また、深い洞察に基づいて、「わたしと父とは一つである」という、すべてのいのちの源との同一化を表現したイエスの発言とも関連付けている。アートセンはさらに、ジョージ・アダムスキーがこれと同じ真理を1958年に表明していたことにも言及している。「〔人間は〕自分が万物と一体であることを理解しなければなりません。また現在の肉体中で振動している原子が、物質の創造に際して幾度も利用されており、そのためにその原子が最低の段階の物から大昔に空間へ吸収し返された巨大な惑星の地殻に至るまで、あらゆる物質界の形成に参加したことがあるということを知る必要があります」

アートセンが指摘しているように、人類の霊的進歩と意識の進化は、初期コンタクティーの間で繰り返し取り上げられたテーマである。コンタクティーたちはよく、人類の科学知識は社会的、人間的な発達を上回っているという訪問者たちの懸念を伝えていた。アートセンはこう説明している。「宇宙からの訪問者たちは、意識の進化──ひいては、私たちの道徳的発達──は、技術的進歩に遅れずについていくべきだということをしきりに私たちに伝えたがっています。この方向における最初の一歩は、現在の危機の原因を根絶するために、人類が同胞の人間を包み込むほどに意識を拡大させることです。私たちの分離主義の究極の表現としての競争と貪欲に基づく現在の社会構造は、そうした危機を重大な局面に至らせようとしています」

地球外からの訪問者によるコンタクトの背後にある主要な目的は、人間は宇宙の至るところにいることを実証し、人類の認識を拡大させることであったのは明白である一方、一部のコンタクティーは、地球外の存在が人類史のこの特定の時期に訪れていることの別の、もっと顕著な理由についてほのめかしてきた。アートセンはチリのコンタクティー、エンリケ・バリオスの次の言葉を引用している。彼は1985年にこう言われた。「君たちは地球の進化の決定的な瞬間に近づいているんだよ。団結して『水がめ座の時代』と呼ばれるものをもたらすか、あるいは、自分自身を破壊してしまう、そのどちらかの時点にね」。このメッセージと同じ考えは、イタリアのコンタクティー、ジョルジョ・ディビトント、ジョージ・アダムスキー、ベンジャミン・クレームの言葉にも見られる。クレームは次のように確認した。「われわれが UFOと呼ぶもの(高位の惑星からの宇宙人の乗り物)は、キリスト・マイトレーヤのために霊的な場をつくり、この時のために人類に準備をさせるために、非常に確実な役割を持っているのです。事実、大戦以来、この惑星を保存するのに主要な役割を果たしてきました」

アートセンは、コンタクティーであったウィルバート・スミスの次の言葉を引用している。これはおそらく、訪問者たちが自ら、彼らがここにいる理由を私たちに教えてくれる日を約束したものである。「やがて特定の出来事が起こり、別のところから来た人々を受け入れる用意ができたとき、彼らは相互理解と信頼という共通の基盤に立って私たちと自由に会うでしょう。私たちは彼らから学び、至るところにいるすべての人が心の奥深くで望んでいる黄金時代をもたらすことができるでしょう」

 Before Disclosure(ディスクロージャーの前に)』のPDF版(英語)がゲラード・アートセンのウェブサイト、www.bgapublications.nl. から無料でダウンロードできる。

印刷版も入手可能である(ISBN 978-90-815495-6-17)。

 

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームによって眼を通されていながら掲載されていない。これからそのような手紙を掲載していくことになるが、何年も前に受け取った手紙もあれば、ごく最近のものもある。掲載された手紙の体験のすべては、ベンジャミン・クレームの師によって、本物であると確認した。

 歩み続ける

 編集長殿

2014年の初め頃、私はロンドン市内を通って家に帰っていました。夜遅い時間で、長い1日の仕事を終えて、疲労感があり、多少気落ちしていました。列車は何かの理由で迂回していたので、帰路を長引かせることになる乗り換えをしなくてはなりませんでした。2番目の駅でプラットフォームへの階段を下りていると、年配で、おそらく80代の男性が非常にゆっくりと歩いているのを見かけました。彼は黒人で、普通の服装にキャップを被っていました。彼より背が高く、もっと若い、60 代くらいの男性が介助して腕を支えていました。人々がいち早くプラットフォームに着こうと足早に通り過ぎていきましたが、どこか無礼な気がしたので、私を含む数人は二人の男性の背後を非常にゆっくりと歩きました。足取りがゆっくりなために、長い時間がかかっていました。

プラットフォームで列車を待っていた間、私がいつもするように列車の先頭へ歩いていくよりも、その二人の男性の近くにいたいという気持ちでした。列車のドアが開くと、私は年配の男性の手助けをしようと、彼のもう一方の腕を支えて車両に乗り込みました。彼は「神の祝福を」と言ってくれました。私は腰を下ろすと、自分が信じられないほど感動していることに気づきました。そのような骨折りをして、彼らが平日の夜遅い外出で、何をしているのか不思議に思いました。その当時歩くのが非常にゆっくりなペースになり、介助も必要な私自身の父親のことが思い出されました。そのことで自分の疲労感というものを、明らかに客観的に見ることができました。彼らは私と同じ駅の、ロンドンの反対側で列車を降りて、再び非常にゆっくりとした足取りで駅を出ていきました。

タラ・クレーム

英国、ロンドン

【ベンジャミン・クレームの師は、その年配の男性がイエス覚者であったことを確認した】

 ローカル・サービス

編集長殿

911日の 10日後に、私は地元の電子通信会社の請負業務の仕事を解雇されました。11月が来る頃まで、私はスランプに陥らないように忙しく過ごしていました。地元の教会のスープキッチンでボランティアをして、教区民の小さなグループに提供していました。30代の男性がいて、「ジョン」と呼ぶことにしますが、食料の準備とテーブルセットのボランティアをしていました。

私たちは35人に食事を出していました。全員が席に着いていた時、ジョンが少しの間席を離れ、また戻ってきました。全員がまだ食事中の時に、ジョンは歩いて回り、皆に10ドル札を渡していました。私は彼の親切にとても驚いたので、この慈善活動から特別の祝福を受けるのは間違いないと彼に伝えました。

私たちが片付けを始めた時に、あと二人の男性がやって来ました。一人は背が高くカジュアルな服装で、もう一人は小柄で様々なスタイルを取り入れた格好で、変わった歩き方の人でした。私が二人に食事と飲み物を出すのを手伝うと、二人は椅子に座りました。私が片付けに戻った時、小柄な男性が私に近づいてきて、「ここの誰かがお金を手渡していると聞きました」と言ってきたのです。私は、ジョンがお金を全部渡してしまい、もう残っていないことをお詫びしました。

この最後の二人の紳士については、どこか場違いなところがあると、私には思えました。このことをその後数日間は考えていたのです。彼らはマイトレーヤとイエス覚者だったのではないかと思っているのです。

アイリーン・ダ・シルバ

米国、フロリダ州

【ベンジャミン・クレームの師は、彼らが実際にマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

 庭の訪問者

 編集長殿

もう4年以上も、私は小さな村に住んでいます。2002 5月のある特別な日に、庭仕事を終えて、通りにある庭の門に行きたい気持ちになりました。私が正面の庭の、チューリップが咲いているのを眺めていた時、女性の声で土壌の乾燥か何かについて尋ねているのが聞こえました。庭の門に近づいてみると、年配の婦人と背の高い中年の男性がいました。私は花咲く植物がいかに美しく見えるかを伝え、光の力がより一層効果的になったら良いと思うと言いました。私に気づくと同時に、その婦人が「あなたは信仰の厚い方?」と尋ねてきたのです。

私は少し戸惑っていました。すると再び「あなたは信仰の厚い方?」と聞かれました。それでも私は返事をせずに、ただ微笑んでいました。するとさらに「あなたは信仰が厚い?」と低い声でしつこく質問が繰り返されたのです。

私は心の内に喜びを感じ、ホッと一息ついてから、「はい、そうです」と答えました。その女性は聖書や宗教、私の信仰について話をしました。男性は少し脇に立ったままで、何も言わず、私に向かって心に深く触れるように微笑んでいました。彼は明らかに顔に皮膚病を患っていました。その婦人の外見のあらゆるところが、とりわけて一点の曇りもないように見えました。何か特別なことが起こっているのは明らかでしたが、私にはそれについて考える時間がありませんでした。

彼らが帰ろうとした時、何気ない様子で「あなたはキリストの再臨を信じますか?」と尋ねられたのです。私は返事をしたかったのですが、どうやって素早く返事をしたらよいかわからなくなっていました。それで私は、「すでにこの世に出られていて、私たちの中に常におられるということは確かではありませんか?」と尋ねました。彼らがついに帰ってしまう前に、とても楽しいお話だったと言ってくれました。この会話の後、長い間私は幸せを感じ、楽しい気持ちでした。

二人の訪問者はマイトレーヤとイエスだったのでしょうか。

カルメン・エベル・ヌファ

ドイツ、クラインクラウスニク

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、女性がイエス覚者であったことを確認した】