2026年2月号目次

覚者より ベンジャミン・クレーム筆記
光の時代

世界を変える人間の好奇心のカ
パレスチナ出身のノーベル化学賞受賞者
ノーベル賞晩餐会におけるオマール・M・ヤギ氏のスピーチ 2025年12月10日

プレスティア・アラカド著
『ガザの目─レジリエンスの日記』
メーガン・シェラーによる書評

フリーエネルギーをめぐる闘い第一部
ダグ・グリフィン

時代の徴
忘れられない体験
M・マクドナルド・ベイン博士による講話

2025年BBC リース講演
「道徳的革命」
評論 フィリス・クレーム

米国市民を対象とした超常現象に関する調査の結果
ポーリン・ウェルチ

世界情勢
新しい時代のための新たな技術開発

亡くなった愛する人々からの電話 第一部
カラム・クーパー氏へのインタビュー
ジェイソン・フランシス

読者質問欄

光の時代

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 各世紀に、同時代の人々をはるかに抜きん出る者が何人か出現する。彼らの天賦の才は顕され、天性は輝きわたり、すべての者がこれを見、そして賞賛する。そのような人々は、人間が、己自身について、そしてその可能性についての認識を増大させていく方向につながる仕事を成し遂げた偉大な発明者であり、画家であり、作家、音楽家、科学者である。

 近年において彼らの注目は、科学と人間の知識の拡大に向けられてきた。これが、今までは達成の望みさえかなわなかったほどのスケールで、人間のマインド(識心)を目覚めさせる道を整えたのである。人間は今日、これまでの達成をすべて影の中に投じてしまうような新しい啓示と発見の瀬戸際に立つ。

 この来るべき時代は「光の時代」として知られるだろう。そしてあらゆる意味と顕現を含めた「光」が人間の起源となるだろう。見る目のある者にとって、人間が「光の部屋」に通じる扉を叩き始めている徴はすでに見えている。人間が、新しい洞察とテクノロジー(科学工業技術)が意味するものに取り組むにつれて、古くからの闇と無知は消え去っていく。間もなく、「光の科学」が、「聖なる科学」が、人間の驚嘆した凝視の中に明かされるだろう。そうして人間の進化の旅路における一つの重要な目標が達成されるだろう。

 現在まで、ほんの少数の専門家のみがこの「光の科学」に接近することができたのだが、この恩恵をすべての者の利益のために使えるようにするためのステップがすでに取られている。エネルギーおよび光についてのすべての人間の必要は、簡単にかつ安全に満たされるだろう。太陽そのものがこの目的のために利用される。「マイトレーヤの旗印」のもとに愛において団結し、人間は星々への新しい通路を創り出すだろう。人間が自然の神秘を探究するにつれて、自然はその秘密を明け渡し、すべての底に横たわる秩序だった美を明かすだろう。

 このようにして、新しい、より簡素な生活が、マイトレーヤと彼の「弟子たち」(覚者たち)の導きのもとに始まるだろう。人間は喜んで過去の分割を放棄し、生きとし生けるものすべてと新しい調和の中に入るだろう。

 永いあいだ、人間はこの調和への鍵をあこがれ求めて、空しく探しまわった。彼らの最高の志向と努力はいつも無駄に終わった。今、初めて、一体性についての認識が目覚めはじめ、分かち合いとより正しい安全な線に沿って生活を立て直す必要性が、人間の心(マインド)に印象を刻みはじめている。

 新しい時代、「光の時代」は、われわれの頭上にある。そしてこの来るべき時に、人間は、彼らの祖先が持ち得なかった、あるいは無視したインスピレーション(鼓舞)と導きを見つけるだろう。今やついに、人間とハイアラキーの覚者たちは、兄弟同胞愛と信頼という共通の絆で結ばれて、一緒に働き、前進するだろう。わたしたちの示す模範によって、人間は鼓舞され、超人間的な努力で達成をなし遂げ、光がすべての者の心(ハートとマインド)にもたらされるだろう。
そのようになるだろう。そのようにして、創造の偉大なる秘密は明かされるだろう。そのようにして人間は創造者となり、自分自身の運命の調整者となり、「神のような存在」となり、「人間」の名にふさわしい存在となるだろう。


(シェア・インターナショナル誌1989年9月号)

世界を変える人間の好奇心の力

──パレスチナ出身のノーベル化学賞受賞者
ノーベル賞晩餐会におけるオマール・M・ヤギ氏のスピーチ

2025年12月10日

 ヨルダンでパレスチナ難民の両親の下に生まれた化学者、オマール・M・ヤギ氏は、金属有機構造体に関する研究で昨年10月にノーベル賞を共同受賞した。ヤギ氏は自身の発見を次のように要約している。「私たちが作った構造体には、内部に空洞や開口部がありました。それらは空間を取り囲んでいます。そしてこの空間の中に、空気中の二酸化炭素や水を閉じ込めて飲料水を作ったり、水素をクリーンエネルギーに変換したりすることができます」
 ヤギ氏は、家計を支えるため、父親の肉屋で働きながら育った。「私はとても粗末な家で育ちました。……小さな部屋に12人ほどが住み、飼っていた牛たちと部屋を共有していました」。彼はかつて、少なくとも100人の研究者によって引用されるような論文を発表することを夢見ていたと語っている。

陛下、殿下、閣下、敬愛する受賞者の皆様、
ご列席の皆様、
 共同受賞者の北川進氏、リチャード・ロブソン氏、そして私自身の3人を代表し、この特別な栄誉を賜りましたことについて、スウェーデン王立科学アカデミーおよびノーベル財団に感謝申し上げます。

 今夜、私たちは偉業だけでなく、可能性──つまり人間の好奇心が世界を再構築する力──をも称えます。金属有機構造体(MOF)の開発は、シンプルでありながらも大胆なアイディアから始まりました。それは、原子レベルの精度で材料を設計し、強固で目的を持った結合を形成することで、驚くべき機能を解き放つことができるというアイディアです。                                     
 このアイディアから新たな可能性が生まれました。砂漠の空気から純水を抽出する力、大気中の二酸化炭素を直接回収する力です。これらはほんの始まりにすぎません。無数の構造と用途を持つMOFは、有望性から実用的なツールへと急速に進化しており、数え切れないほどの人々の生活を変えようとしています。
 私の旅は、実験室から遠く離れた場所で始まりました。私はヨルダンのアンマンで、10人の子供を持つ難民家族の中で育ちました。水道も電気もなく、生計を支える家畜と生活を共にしていました。苦難は至るところにありました。成功の見込みはほとんどありませんでした。ただ、自然が驚くべき方法で姿を現し、私たちを助けてくれるという可能性はありました。
 転機は10歳の時、学校の図書館で分子の絵を見つけた時でした。その美しさと神秘性に心を奪われ、それが生物・無生物を問わず、あらゆるものの構成要素であることを知った時、化学への情熱に火がつきました。私は永久に化学に魅了されました。化学は私の逃避先であり、進むべき道となりました。
 幼少期のもう一つの経験も、私に大きな影響を与えました。砂漠では、政府から水が1週間か2週間に一度しか届かなかったのです。近所中で「水が来るぞ」という声が囁かれ、水の流れが止まってしまう前に、見つけた容器に水を汲もうと必死に駆け回ったことを覚えています。
 何年も経ってから、MOFが水を吸収し放出する仕組みを研究するうちに、一見普通の行動に思えるものの中に革命的な何かがあることに気づきました。このMOFが砂漠の空気から水を吸い上げ、きれいな飲料水に変えることができるのを目の当たりにしたのです。それは私の子供時代のリズムを彷彿とさせましたが、同時に、かつて私たちが耐え忍んできた苦難そのものに対する解決策を提示していました。もし私がそれを経験していなければ、このデータのパターンに気づけただろうか、と私はよく考えます。

 しかし、MOFのより深い教訓は、そのメタファー(暗喩)の中にあります。MOFの強さは、分子間の絆に由来します──私たちの未来が、国や世代を超えて築く絆にかかっているのと同じように。MOF科学は現在、100カ国以上で実践されており、世界中の若者、特に発展途上国の若者たちに刺激を与えています。
 ここに、私たちの最大の希望があります。つまり、物質を再構築できる科学と、それを前進させようと熱望する世代です。私はリーダーたちに行動を促します。科学者は特権を求めているのではなく、可能性を求めています。科学者の好奇心を支え、障壁を取り除き、学問の自由を守ってください。世界中の才能を受け入れてください。
 気候変動に関しては、行動を共にする時がすでに到来しています。科学はここにあります。今、必要なのは勇気です。課題の巨大さに見合った勇気です。そうした勇気があれば、次世代に対して炭素回収技術だけでなく、彼らが抱く希望にふさわしい地球を贈ることができるでしょう。
 化学を実践するために化学者である必要はなく、発見が誰にでも開かれているような未来を想像しています。AIの進歩はこれを可能にするかもしれません。それは、化学が進歩の科学であるだけでなく、希望の科学となるような未来です。かつて私が経験したような限界に直面する子供が一人もいない未来、より安定し、より豊かで、より公正な世界へと向かって子供が成長していけるような未来です。
 ありがとうございました。

(https://www.nobelprize.org/prizes/chemistry/2025/yaghi/speech/; aljazeera.com)

オマール・M・ヤギ氏
(Photograph: Christopher Michel, Wikimedia Commons)

時代の徴

ここでは、編集部が「希望の徴」と描写する、本物の超自然現象である可能性のある現象を提示する。ベンジャミン・クレームの師がこれまで常に提供してきた確認や追加の情報は、今では活用できないため、読者の考慮のためこれをに提示したい。

忘れられない体験──

M・マクドナルド・ベイン博士による講話

 1948年の春、マード・マクドナルド・ベイン博士は南アフリカで一連の講話を行った。出席していたバゴット・スミス嬢は、その体験を忘れられないものと表現した。「この講話を、これほどまで素晴らしくしたのは、語られた実際の言葉よりも、その伝えられ方によってでした。……主のご臨在のとてつもない力を、どのように説明しても伝えきれるものではありません」
 バゴット・スミス嬢は続けて、微笑みをたたえた優しい講師の男性が、彼の師であるイエス覚者のオーバーシャドウによる臨在によってどのように変容したかを描写した。「すると突然、驚くべき変化が起こりました。短く鋭い息を吸い込んだかと思うと、まさに主がおられました。同じ体でしたが、全く違う姿に変わっていました。講師は依然として、私たちが長年の間よく知っており、尊敬してきた人物であることは十分に分かっていましたが、同時に、全くの別人になっていました。驚くほどの変わりように、私たちの麻痺した感覚ではとても信じられませんでした。しかし同時に、それは事実でしたし、事実であることを私たちは知っていました。今、私たちの前にいらっしゃる方は、並外れて背が高く、講師自身よりもずっと高く見えました。言葉ではこの圧倒的な真実の力強さを伝えることができませんが、確かにそうだったのです。……」
 「『わたしの平安をあなたがたにもたらします』、または、『わたしの平安とわたしの愛をあなたがたにもたらします』が、その方の挨拶であり祝福でした。王様がなさるように、右手を挙げて二本の指で祝福を与えてくださいました。講堂中に静寂が広がり、温もりが伝わるように力の波動が私たちの体をすり抜け、病んでいるところはどこも焼き尽くされ、それが流れるにつれて癒されていくのでした」
 ベンジャミン・クレームによれば、マード・マクドナルド・ベイン博士(1887-1955)は第2段階のイニシエートで、チベットの覚者方からの訓練を受けたとされる。著名な治療家であり、多くの著書がある著述家でもある。特に『解脱の真理』(霞ヶ関書房、1997年)と『心身の神癒』(霞ヶ関書房、1996年、またはCENTRAL FONT、2022年)が知られている。彼は「キリストの真の教え」の普及のため、世界各国にセンターを設立した。
(M・マクドナルド・ベイン『心身の神癒』)

M・マクドナルド・ベイン博士をオーバーシャドウするイエス覚者

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けてきた。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したい。

次の質疑応答は、1990年7月12日に米国カリフォルニア州サンフランシスコで行われたベンジャミン・クレームによる講演会からの抜粋である。

Q マイトレーヤは、求められたときのみ現れるとおっしゃいました。ご見解をお聞かせください。

ベンジャミン・クレーム:それは誤解だと思います。マイトレーヤは求められたときだけ現れる、と私は言っていません。マイトレーヤは、求められても求められなくても、人々に現れます。夢の中で現れたり、ビジョンとして現れたり、がっしりした肉体で現れたりします。彼の臨在を実際に求めた人を、私はまだ誰も知りません。こうした三つの方法すべてで彼が現れた人々のことを知っていますが、誰も、特に求めたわけではありません。必ずしも座って「マイトレーヤ、どうかお姿を見せてください」と言ったのではなく、そうした人々自身が内面的に心を開き、準備を整え、心の中で彼に会いたいと願っていたのかもしれません。それは十分にあり得ることです。

Q  一方で、あなたが言われることの真実性を強く感じながらも、他方で、その真実性が顕著な再臨の活動に直接作用することなく、むしろその刺激を別の分野や奉仕の道に応用しようとする人の中に、葛藤やグラマー(幻惑)を見て取りますか。

クレーム:私の考えでは、それはグラマーと言わざるを得ません。お許しください、それはグラマーです。もしあなたが、いかなるレベルであれ――私が持っているような確信や経験は持ち合わせていなくとも――これが真実であると信じるなら、少しでも確信の兆しがあり、それがあなたにとって真実の響きを持つなら、その真実があなたに語りかけているどのようなレベルであれ、それを知らせてください。重要なのは、希望の風潮、彼の到来への期待感を醸成することです。そうすれば、私たちの自由意志を侵害することなく、マイトレーヤは実際に、私たちの生活の中に入ってくることができます。どんなレベルであっても、信じることのできるすべての人が、そうした認識に貢献します。それは期待の風潮を生み出すだけでなく、人類の精神を高揚させます。人々が希望を、未来への希望を抱く条件をつくり出します。人々は戦争が終わったことを理解します。この不平等で不幸な世界において、もし自ら参加すれば、すぐそこに変革の始まりが待っていることを知るのです。ですから、自分のエネルギーを使って行っている他の何かが、これと同等の重要性を持つと考えるのはグラマーです。自分の小さな個人的生活を脇に置き、それを全人類の利益のために捧げる時が来なければなりません。

Q 生きるための三つの原則の一つである「無執着」の定義について詳しく説明していただけますか。

クレーム: 無執着にはさまざまな意味合いがあります。多くの人は、無執着を実際には無関心とみなしています。出来事からあまりにも距離を置いて、冷たく、愛のない、素っ気ない態度で無関心でいることだと捉えています。世界を「切り離して」考えます。

 マイトレーヤが意味し、理解する「無執着」とは、まさにその反対です。無関心の反対です。人生とそれが意味するすべてに完全に没頭しつつ、同時に、真我と正しく関わることによって、真我の器から自分を引き離すことです。彼は「真我のみが重要である」と述べ、私たちの苦しみは、真我ではないあらゆるものと同一化することによって引き起こされると説きます。私たちは肉体や感情構造、エネルギーシステム、マインドやマインドの構築物、信念体系、条件づける内面世界と同一化しがちです。これらと同一化し、それが自分だと思い込んでいます。それは私たちではありません。私たちは肉体でも、マインドでも、感情でもありません。本当の私たちは、不滅の存在、つまり転生している魂として反映している真我です。

 魂は、真我と転生した人間との間の中間段階、神聖な仲介者です。真我としての自己との正しい同一化によって、私たちは喜びと愛のうちに正しく生きることができます。人生と、それが意味するあらゆることに完全に没頭しつつ、同時に執着を持たないで生きることです。この無執着の過程とは、肉体やマインド、感覚、アストラル体などとの関わりから無執着になることです。これは誤った整列、同一化の過程から自分を解き放つ過程です。愛という観点からも捉えることができます。誰かを所有欲を持って愛することも、無執着を持って愛することもできます。それは全く異なる種類の愛です。私たちが愛と呼ぶのは、「あなたが私を愛してくれるなら、私もあなたを愛します。いいですか。取り引きですよ」という関係です。それは所有欲という愛です。「もしあなたがその愛を私から他の誰かへと向けたら、私は怒りますよ」。それは、愛ではありません。所有欲です。無執着の愛とは正反対のものです。

 無執着の愛とは、その本質ゆえに、無条件に続いていく愛です。反応的ではありません。愛し返されることに依存しません。それが無条件の、無執着の愛です。マイトレーヤが意味する愛とは、まさにこのような愛です。無執着の過程とは、自分自身を解放すること、したがって、真我を、その器の罠にとらわれることから解放することです。もし自分を器――つまりマイトレーヤの言われるマインド(心)、スピリット(生気)、ボディー(肉体)――とみなすならば、真我をそうした器の中に閉じ込めてしまいます。そうなると、私たちは条件付けられ、無執着について何も知らないことになります。

 私たちが行うあらゆることは反応的です。私たちが行うあらゆることは運命づけられています。しかし、無執着になれば、自分自身の進化をコントロールするようになり、私たちのあらゆる動き、あらゆる行動は運命づけられなくなります。それは一瞬一瞬の、独創的で、自発的で、創造的な行為であり、あらゆる顕現の背後にある創造的な真我としての自己への気づきから生まれるものです。それがマイトレーヤの新たな教えであり、例えば、人間の魂の本質について語った時にイエスが始めた教えでもあります。

 マイトレーヤは、直ちにその魂になる方法を私たちに教えるために来られます。私たちの人生の次の段階、次の2,000年間に起こることは、これまでは偉大な教師たち、イエス、キリスト、仏陀、グル、ヨギなど、世界の偉大な教師たち、つまり真我を知り、真我となり、一瞬一瞬、真我を実現した偉大なリシたちの特権であった経験が、すべての人々の共有財産となるということです。大多数の人々はこの来るべき時代において、自分自身を神聖なる真我として直接的に、自発的に、創造的に、正しく体験することになるでしょう。これこそが、まさに始まろうとしているこの来るべきアクエリアス(宝瓶宮)の時代の途方もない約束なのです。その過程とは、マインド(心)の正直さ、スピリット(生気)の誠実さであり、真我の器との誤った同一化から自分自身を引き離して無執着になることだ、とマイトレーヤは言われます。

Q バハーウッラーについてご存じでしょうか。

クレーム:バハーウッラーは、世界中の何百万もの人々を助けている主要な宗教、いわゆるバハーイー教を創始した教師でした。バハーウッラーは自分がキリストであると思っていました。バハーウッラーの教えはマイトレーヤの教えでした。彼はマイトレーヤによってオーバーシャドウされました。バハーウッラーは第3段階のイニシエートでしたが、自分よりも偉大な存在がいることに気づいていませんでした。神のみが存在すると考え、自分の教えは神から直接与えられたもので、したがって、自分はキリストであるに違いないと感じていました。教皇や政府の長、国王らを訪ね歩き、自分がキリストであると主張しました。彼は心から、自分がキリストであり、教えが直接神から来ていると信じていました。しかし、それは真実ではありませんでした。神は誰に対しても直接語りかけることはありません。聖書に「神が語られた」とある場合、それは象徴的な表現にすぎません。その人物が神からではなく、何らかの神聖な源から何らかのコミュニケーションを受けたことを示しています。それはマイトレーヤ、イエス、あるいは何人かの覚者だったかもしれません。この場合、バハーウッラーの教え、バハーイー教は、主マイトレーヤから来た教えを体現していました。だからこそ、それは素晴らしいのです。

Q 私たちの惑星ハイアラキーにおいて、仏陀の役割は何でしょうか。マイトレーヤとの関係はどのようなものでしょうか。

クレーム:仏陀とマイトレーヤとの関係は兄弟の関係のようなものです。彼らは兄弟です。彼らは、はるか昔、アトランティス時代の初期の、現れつつある人類において、当時最高のイニシエーションを受けた最初の者たちの中におりました。これは今日では、第3イニシエーションにすぎません。彼らはそれ以来ずっと、私たちの惑星の進化の最前線に立ってきました。絶え間なく共に働き、今日も共に働いています。

 この惑星には三つの主要なセンター(中心)が存在します。人類自体が一つのセンターです。神の知が顕現するセンターです。覚者方とイニシエートたちも一つのセンターです。神の愛が顕現するセンターです。さらに、シャンバラと呼ばれるもう一つの、より高次のセンターが存在します。それはエーテル物質の中にあります。ゴビ砂漠に、物理的に固体ではなく、エーテル物質で存在します。そこには世界の主、サナット・クマラとたくさんの「存在者」が住まわれており、その一人が仏陀です。

 仏陀は偉大な宇宙のイニシエーションを受けられました。仏陀は、弟子であるゴータマ王子を通して、神の知恵の様相の体現者として御自身を示されました。人間における完全なる知恵が、ゴータマを通して仏陀によって示されました。人間における完全なる愛は、イエスを通してマイトレーヤによって示されました。そして今回、マイトレーヤ御自身が到来され、知恵だけでなく、愛だけでなく、さらに高度なもの、意志を示されます。それは愛と知恵を含むものです。彼は、世界がかつて見たことのないような途方もないアバターです。ご承知おきください、彼は、これまでのどのアバターよりも大きな仕事を担われています。

Q イエスが初めて来られた時、私たちの自由意志を侵害しなかったのでしょうか。

クレーム:彼はほとんど知られていませんでした。人々はよく、イエスは数千人に広く知られていたと言いますが、そうではありませんでした。3年間の宣教の後、彼には3人の親しい弟子と12人の他の弟子がいました。内輪のグループは72人、関心を持った人は500人でした。それが2,000年前、イエスに従った人々の総数でした。一般大衆は彼を知りませんでした。実際、弟子の一人であるユダは買収され、賄賂を受け取ってイエスを指し示したことにより、兵士たちはイエスを逮捕できるようになりました。

 イエスは私たちの自由意志を侵害しませんでした。ただ立ち上がって語り、説教し、国中を巡りました。たいていは身を隠して、あちこちを回っていました。非常に困難な状況でした。彼のことを扇動者だと考える者たちがいたからです。

 多くのユダヤ人は彼を戦士王として待ち望み、実際に挙兵してローマ軍を攻撃することを期待していました。福音書によると、彼がロバに乗ってエルサレムに入った時、人々は道に花を敷き、「ホサナ! ホサナ!」と叫びました。彼が挙兵するために来たと考えたからです。だからこそ、人々は拍手を送り、「ホサナ!」と叫びました。だからこそ、花を敷きました。しかし、彼はそうしませんでした。実に単純な話です。人々は彼に失望させられたと感じたので、それを裏切りとみなしました。

Q 集団心理の理論とはどのようなものでしょうか。

クレーム:集団心理は集団意識の結果です。この来るべき時代に、人類は次第に集団意識を発達させ、精妙なテレパシーが至るところで開花するでしょう。誰もがテレパシー能力を持ち、相手の意図を正確に理解するので、嘘をつくことは不可能になります。ですから、心(マインド)の正直さが不可欠となります。

 テレパシーは、今でも覚者方とその弟子たちの間でそうであるように、通常の会話手段となるでしょう。覚者方は言葉を交わしません。無駄な議論をしません。一瞬一瞬、テレパシーを用います。互いに連絡を取り合い、一部の弟子たちとも連絡を取り合っています。この能力の萌芽はすべての人に潜在しています。動物王国にさえ潜在しています。誰もが潜在的にテレパシー能力を有しています。人が磁力的になると、テレパシーは自然に発達します。訓練を重ねることで、よりテレパシー的になり、すべての人に備わっているこの生来の能力を徐々に意識的なものへと変えることができます。これは人々にとっては無意識的なものです。母親と子供はしばしば密接なテレパシー的な接触を持ちます。母親は、子供に何か異常があると本能的に気づきます。何かが起こっていると感じ、実際にそれを知っています。太陽神経叢を通じて感じ取ります。頭の中で明確になれば、それは意識的で、制御可能で、建設的な、マインドとマインドのコミュニケーション手段となります。

Q マイトレーヤがカラチからロンドンまでどのようなパスポート/国籍で旅をされたのでしょうか。税関で面倒なことにならなかったのでしょうか。

クレーム:彼はパキスタンのパスポートをお持ちです。アジア系コミュニティーではいつもパキスタンの服を着ていますが、実質的に国籍はありません。彼はヒマラヤからやって来ました。ヒマラヤ、特に標高約5,300メートルの山は誰のものなのでしょうか。そこへ登頂する登山家はごくわずかです。実際に税関で面倒なことになったと聞いています。彼は普通の男性として入国しました。移民として入国することもできたでしょうが、そうすれば英国では不法滞在者となっていたでしょう。彼は完全に合法で、決して法律を破りません。税関では、職業欄に「教師」と書かれたパスポートを提出しました(彼は世界教師だからです)。

Q 「ハイアラキー(階層)」という言葉は多くの人々を不快にさせます。教会やナチス・ドイツのような権威主義的組織を連想させるからです。ハイアラキーではなく、単に「マスター(覚者方)」と呼ぶのはいかがでしょうか。

クレーム:それは覚者方のハイアラキー(階層)です。実際に階層です。それが肝心な点です。覚者方自身が、ある者は別の者とは異なるレベルにあることを認めています。第5イニシエーションを受けた者は覚者です。第6イニシエーションを受けた者はより高度な覚者、つまりチョハンです。マイトレーヤのように第7イニシエーションを受けた者は、「惑星のいのち」となります。

 私たちが覚者方を仰ぎ見るように、覚者方はマイトレーヤを仰ぎ見ています。それはハイアラキー(階層)です。通常の意味での権威とは全く関係ありません。霊的な権威や、より偉大な経験、個人に授けられるより深い認識に関わることです。だからこそマイトレーヤは、いかなる理由があっても、人間の自由意志を侵害することはありません。それは権威の乱用となるからです。決してそのようなことはしません。崇拝されることも望んでいません。たいていのグルは崇拝されることを望みます。信者を求めています。しかし、彼はそうではありません。彼はこう言われます。「わたしを崇拝してはならない。わたしに従ってはならない。わたしを追いかけてはならない。そうすれば、わたしを見失ってしまうだろう。もしわたしを崇拝するならば、あなたは自分を低めようとしている。しかし、あなたはわたしより下にはいない。あなたはわたしと同等である。わたしたちは共に神である」。そのように、自由意志が侵害されることは決してありません。

 私は、コミュニティーの中にいるマイトレーヤに最も近しい人々を知っています。彼らはあらゆる愚かなことをしていますが、彼は決して文句を言いません。自分の意志を彼らに押しつければ、「権威」になってしまうため、彼らがそうするのを許します。彼はそのように押しつけることは決してありません。マイトレーヤのようなアバターであることがいかに難しいことか、あなたはきっと驚くでしょう。

Q 誰でも過去に何度も転生を経験してきたのでしょうか。それとも、今生きている人の中でこれまで一度も転生したことがない人はたくさんいるのでしょうか。

クレーム:これまで一度も転生したことのない人はいない、という答えになります。動物王国から人間王国への転生の扉は、はるか昔に閉ざされました。この部屋にいる皆さんや、普段の生活で出会うであろうすべての人は、何千、何万回と転生を繰り返してきました。「私は八度目にして最後の転生を終えようとしています」と言う人は、大きなグラマーの下に生きており、次に戻ってきたときにはひどく驚くことになるでしょう。

Q 良いカルマというものは存在するのでしょうか。あなたは、カルマしかないか、あるいはカルマが全くないかのどちらかだと示唆されていますが。

クレーム:カルマの法則は、原因と結果の法則です。私たちのあらゆる思考、あらゆる行動が原因を始動させます。こうした原因から生まれるのが結果です。こうした結果が良くも悪くも私たちの人生を形づくります。ですから、私たちは常に自分自身の人生の条件をつくり出していることになります。何千回、何万回もの転生において、これを繰り返してきました。

 私たちは大きなカルマの結び目をつくり出してきました。それが磁力的に私たちを何度も何度も転生へと引き戻します。こうした大きなカルマの結び目を解きほどくまで、そのようにし続けます。これが本当のところです。カルマの結び目をほどく方法は、世界に奉仕することです。あなたの奉仕が、カルマといわば天秤にかけられ、奉仕活動、世界に奉仕するという意識的な行動がカルマを上回るまで、これは続いていきます。

 しかし、興味深いことに、人がカルマと言うとき、悪いカルマのことを言っています。しかし実際には、悪いカルマよりも良いカルマの方が多いのです。あらゆる見かけにもかかわらず、人々には悪いところよりも良いところの方が多いのです(私は「良い」「悪い」を、単に相対的で非現実的な意味で使っています)。良い行いは良いカルマを生み出し、悪い行いは否定的なカルマを生み出します。実際には、都合の良い(convenient karma)カルマと都合の悪い(inconvenient karma)カルマしか存在しません。