編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載された他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

正しい選択

編集長殿
それは2001年のオランダでのケルクラード研修会後のことで、メンバーの友人と私はロンドンに帰る飛行機に乗る前に、アムステルダムで時間ぎりぎりのショッピングをしようと決めていました。私たちの行きたかったデパートは午前11時まで閉まっていたので、コーヒーを飲みに行きました。途中にチベットのお店の前を通りました。友人はチベットにいつも大変興味を持っていたので、入ってみようと私が言いました。店に入ると心の奥深くからどうしても何かを、チベットのものを買いたい気持ちになり、チベットそのものを支援したいような気持ちでした。穏やかで、それでいて厳しい顔つきの、チベット人の店員がカウンターの後ろにいて、私たちが眺めていた物すべてを見ていました。私たちは色について、どの色が自分たちに似合うか話し合っていたのですが、そこのガラスの棚の上に美しいシルクのスカーフがたくさん展示されていました。スカーフは生糸で織られていて高価だったので、私たちの予算を超えていました。それから私たちは実際に店の物を全部見て回り、修行僧の履くような室内履きを見つけた時には、伝導瞑想にぴったりだと思って笑ったりしていました。その間中店員の視線に気づいていて、彼は美しい物を見ていた私たちの喜びを楽しんでいるように見えましたが、彼の様子には何か差し迫ったところがあるように思えて、必ず買い物をしなくてはという気にさせられたのです。最後に私たちは「とても美しい品々がこのお店にはありますね、買い物がしたかったのですが、今ちょうど持ち合わせがないので、ごめんなさい」と言いながら、チベットの景色のハガキを買いました。その店員はただうなずいていました。歩いて行きながら、私は何かを、あるいは誰かを裏切ったというひどく嫌な気持ちになり、店に戻らずには家に帰れない予感がしていました。コーヒーを飲んでいる間、他に何も考えることができませんでしたが、何とか立ち直り、このことすべてがいかに馬鹿げているかを自分に言い聞かせていました。私たちはデパートへと別の道を歩いていたように思いましたが、その後、角を曲がると突然、またあのチベットのお店があったのです! 私たちはすでに遅れていたので、友人は急いで通り過ぎていき、私は彼女の後に続いていたのですが、もちろん私は店の中をのぞかないではいられず、あの男性がやはりカウンターの後ろに立っていたのです。私はもう耐えられなくなりました。私は友人を呼び止めて、この圧倒される感覚の困難な状況を説明しました。もう午前11時だったので、残り時間は多くありませんでしたし、友人がまだデパートで買い物をしたいのはわかっていました。私はどこへ行くべきか板挟みになった気持ちでした。けれども彼女はとても優しく、すぐに理解してくれました。私たちはそのお店に戻り、今度は店員がチベット僧のお経のテープを流してくれました。私が安いTシャツをラックから取ると、彼が歩いてきて試着できる場所を教えてくれました。私はTシャツを着て出ていって、「どうかしら?」と尋ねました。友人もチベット人の店員も二人共が首を振って、「ダメ」と言いました。あらいやだ! それから私はあの高価なスカーフを試してみるべきだと悟りました。時間が無くなっていたので、私はスカーフをつかむと試着室へと走り、友人を意識して、首にさっと掛けました。「そう、それが良い」と彼らは言いました。おかしな話ですが、私は現金で支払えるちょうどのお金を持っていたのです。チベット人の店員はそれを包んで、おまけのステッカー2枚をくれました。彼が小銭のお釣りを渡しながら、ダライ・ラマのバッジを買うように勧めてくれましたが、良心の呵責からこれ以上は買い物ができませんでした。店員は私の友人におまけのバッジをくれました。私たちがお別れを言うと、突然私は幸福と自由を感じ、重荷が無くなったような感じでした。後になって私はその紫色のスカーフを畏敬の念を持って見つめています。チベットのシルクスカーフは体を覆えるくらい大判です。それは本当にきれいで、とても美しい色なのです。あまりにも深遠な体験だったので、手紙を書いてお尋ねしなければと思いましたが、すべて私の想像だったのか、あるいは(1)私はそのお店に行き、スカーフを買うことになっていたのか、(2)その店員はごく普通の店員だったのでしょうか。教えていただけますと大変ありがたく思います。アネット・ポンズフォード 英国、サセックス州フォレスト・ロウ【ベンジャミン・クレームの師は、(1)そのとおり、(2)その『店員』がマイトレーヤで、スカーフを祝福されたことを確認した】

転んでも幸運
編集長殿
2003年1月30日頃、私はエクアドルのビルカバンバのホテルにいて、ピンクのコンクリートの歩道橋から突き出ていた一本の鉄筋(金属で強化された棒)につまずいてしまいました。振り返ってみると、転んだ時に鉄筋が目を突き刺すか、脳に刺さっていたかもしれない危険があったと思います。でも不思議なことにつまずくのと、橋の脇のコンクリートの厚板にぶつかる間に、少しの時間も経っていなかったように思えました。私は腿から転んでものすごい痛みがあり、打ち身が腫れて、広範囲にひどい打撲傷を負い、片手を刺して鎖骨にあざができましたが、それだけで後は順調に回復しています。どなたかがもっとひどい怪我から私を救うために介入されたのですか。
J.D.ラビット 米国、ヴァーモント州ウェスト・ベルリン【ベンジャミン・クレームの師は、よりひどい怪我からイエス覚者によって助けられたことを確認した】

神には十分
編集長殿
2003年8月27日に、友人と私は『シルクロードの仏たち』についての展覧会から出てきたところでした。私たちは東洋風のレストランで食事をすることにして、アルスターアルカデン(ハンブルクのショッピングセンター)の外にあるテーブルを見つけました。数分後、鮮やかな色の服によれよれのジーンズ姿の中年男性が、私たちのテーブルにやって来ました。彼の瞳は真っ青でした(私たちはそれより前に、オペラのアリアを歌っていた歌手に彼が微笑んでいたのを見かけていて、私たちがその歌手にお金を渡すと、彼が左手を胸に当てて私たちにおじぎをしてくれました)。彼はハンブルクでホームレスの人たちによって編集されている、ヒンツ&クンストという新聞を差し出してきました。私は新聞を欲しくありませんでしたが、このような時のために集めていた小銭が入った透明の袋を、彼に渡しました。彼は袋と私を見て、「これは何ですか? このお金は知らないな」と言いました。私は不快に思いながら、この中には10セント硬貨が入っていることを説明しようとしました。彼は微笑んで「ペニー(ユーロが導入される前の貨幣)の方が良いのです」と言いました。それから彼は私の友人を見つめて、「あなたは私たちの仲間です」と言いました。彼は彼女に自分がフィンランド出身だと伝えました。友人はずっと前に1年間暮らしていたことがありました。彼は彼女に「私たちの間では、女性はあなたのように育つのです」と言いました。その後、彼は私を見て、「あなたは一輪の花のようにきれいです。お世辞ではありませんよ……私はあなたを知っています」と言いました。心の中では深く感動していましたが、ほんの少し気まずい思いもありました。それで私は彼に離れて欲しかったので、幸運を祈ると伝えました。彼は「幸運は助けになりません」と返事をしました。すると友人が「時には助けになるわ」と言いました。彼は再び返事をして「私はカトリック教徒です」と言い、彼が首にかけていたロザリオの十字架を見せてくれました。友人が彼の国にはごく少数の人たち(カトリック教徒)しかいないと言うと、彼は私たちに微笑んで「7,000人は神には十分です」と言ったのです。
ヘルガ・プファイファー、レナーテ・シュトルヒ ドイツ、ハンブルク
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】