緊急 ── 力強い行動が必要

 本誌の多くの読者は、たとえ理論上であっても、覚者方が予見したアメリカ合衆国の未来を知っており、合衆国の運命がこの惑星の未来のための神の計画の一部であることを知っている。

 そのため、そうした読者がどのような反応を示すかは完全に理解可能である。世界人口の大部分が人類のことを恥じ、悲しんでいる。無頓着で注意散漫な人々は意に介さないだろう。洗脳された人々、思想を注ぎ込まれた人々、魂を売った人々は拍手喝采を送る。物事がよく見える人々はできる限りのことをするが、しばしば口封じをされ、抗議行動は解散させられ、「大いなる不名誉」の一部となってしまった政府によって違法と判断される。私たちの集団的なカルマの記録に汚点を残すような出来事を、歴史は許すだろうか、それとも忘れるだろうか。

 世界の多くの地域における飢餓や大規模な貧困に目をつぶっていただけでも、十分にひどいことであった。政府が国際人道法や海洋法を無視し、絶望に打ちひしがれた移民たちに港や国境を閉ざしたことも、忌まわしいことであった。私たちは民間人の虐殺や子供たちの殺戮、一つの国とその国民の破壊を目の当たりにしており、事態はさらに悪化した。人道に対する気違いじみた犯罪、ジェノサイド(集団殺害)、民族浄化を目にしており、日に日に耐え難くなってきている。

 すでにそうした恐怖の重荷を背負っていたのであるが、今やまた屈辱を味わっている。人道に対する罪を犯したとみなされている過激主義者の政権の残忍な指導者が、アメリカの民主主義の中心に招き入れられたからである。政府の中枢にいただけでは十分に破壊的ではないが、彼は議会に対して嘘をついた。そして、人民の議院でのスタンディングオベーションという褒美をもらった。

 平均的なアメリカ市民にとって議会とは何か。「合衆国憲法第1条は、議会として知られる立法府を設立した。議会は、すべてのアメリカ人の日常生活に影響を与える法律を制定し、人民の声として奉仕することを意図している。その責務には、政府の機能や計画への資金提供、立法過程に関する情報を提供するための公聴会の開催、行政府の監督などが含まれる」(visitthecapitol.gov)

 あの出来事により、正義に対して、真実に対して、人民の声とその代表者たちの権威に対して、どのような害が及ぼされたのか。その光景はイスラエルに、虐殺を続け、この地域で戦争の舞台を拡大するための白紙委任状──米国の全面的な許可と後ろ盾──を与えた。このような狂気の結果がどうなるかは、推測することしかできない。ネタニヤフ首相がより広範な戦争を、可能であればイランとの戦争を望み、必要としているのは明らかである。戦争が長引けばイスラエルの現職首相の実刑判決が遅れるからといって、自分自身に「刑務所から出られる免罪符」を与えるのは、他人の生死に対する何と利己的で冷笑的なアプローチであろうか。例えば米国のような他の国で、大統領候補が高官職に就くことで実刑判決を回避できるのと同じである。

 これは民主主義の汚点である。アメリカ市民はどうなるのだろうか。アメリカの税金で賄われた爆弾が国民全体の命を奪うとき、どのような選択肢があるだろうか。蛮行を容認することは、米国と国際社会にとって代償を伴うことになるに違いない。

 マイトレーヤのエネルギーは、建設的なものと破壊的なものとの間の選択を明確にするために働いていることを私たちは知っている──創造的で平和な社会につながる、前向きで協力的な目標へと世界を前進させるものと、その反対のものとの間の選択である。そのような選択を迫られたうえで、犯罪者として裁かれるかもしれない男が、議会から世界に向けて演説することが許されたのだろうか。アメリカ国民を代表して決定を下す権力の座にある人々が、善の選択か、その反対の選択かを迫られた瞬間がここにあった。今後数カ月、選挙民はどのような選択を迫られるだろうか。

 アメリカ合衆国の初期のモットーは、「エ・プルリブス・ウヌム(多数から一つへ)」であった。その後、モットーは、「われわれは神を信ずる」となった。合衆国の秘教的なモットーは、「私は道を照らす」である。
 この目標を達成するためには、すべての国民が必要となるだろう。「プルリブス(多数)」とは、多州を指すだけでなく、多文化、多民族が混ざり合ったものを指すとも解釈することができる。それが合衆国の強みであり、運命である──すべての人がそれを受け入れさえすれば。彼らは、新しい文明と新しい人間のための、いわば、基本的な構成要素となるだろう──それは直観的な種族であり、人々は協力や調和、相乗効果という普遍的な法則に従って生き、分かち合いが当たり前になるだろう。

アメリカの運命

「世界はアメリカの魂の出現を待つ。それはかなり以前に、マーシャルプランというあの美を誕生させた。また世界は、マイトレーヤが人類に道を示すために出現されるのを待つ。マイトレーヤの教えがアメリカ合衆国の理想主義的魂を目覚めさせ、喚起させるだろう。そしてアメリカの最良の市民たちを、彼らがいつも心(ハート)に抱いてきた光に向けさせるだろう。彼らは世界中の兄弟姉妹たちと協調して、マイトレーヤに鼓舞されて、一致して、待っている世界に正義を、したがって平和をもたらすだろう」

(ベンジャミン・クレームの師、「待っている世界」、
シェア・インターナショナル誌2003年5月号)

待っている間

 世界が待っている間、そして2024年11月の米国での選挙を注視しながら、以下の挑戦的な文章を読むのも悪くはないだろう。第二次世界大戦が激化し、自由な人類の未来が脅かされる中、ジュワル・クール覚者が『ハイラーキーの出現』の中で、当時中立国であったアメリカ合衆国に連合軍への参加を促すために書いたものである。この文章の中には、覚者の次の言葉がある。平和のために祈りを捧げた後に、善の勢力があなたの代わりに戦い、神が仕事をしてくれるのを辛抱強く待つのですか。

「今日の世界危機」1940年6月30日

 「今日、死の勢力が跋扈しているが、それは自由の死、言論の自由の死、行動の自由の死、真理と高位の霊的な価値観の死である。……悪と人間の苦しみに直面してもなお消極的な姿勢をとるよう説き、何の危険も伴わない平和主義を容認する人々に対して、私は次のように言いたい。あなたは一体何をもってして、今日地球を闊歩している侵略の勢力、裏切りと悪と破壊の勢力と戦うつもりなのですかと。この戦いにどのような武器を持ち込むのですか。猛攻撃を食い止め、嵐を静めるために、どこから手をつけるのですか。平和のために祈りを捧げた後に、善の勢力があなたの代わりに戦い、神が仕事をしてくれるのを辛抱強く待つのですか。あなたの祈りや願いは、正しく力強い行動を伴わないならば役には立たないと私は告げる。象徴的に言って、あなたの祈りや懇願は神の玉座に届くかもしれないが、そのとき次のような返事が返ってくる。もしあなたが立ち上がり、自分が望むもののために戦うならば、光の勢力はあなたの腕を強め、あなたに有利なように潮流を変えるであろうと。もし善意の人々が、自分の理想主義に安んじて、自分の希望が正当であることを証明したり、望ましい理想の実現に尽力したりするために、実際的なことを全く行わないならば、誰が好戦的な利己主義の前進を食い止めるというのですか」

(ジュワル・クール覚者、『ハイラーキーの出現(上)』、AABライブラリー)

 アメリカの神聖な運命を考えると、世界の方向性と私たちが共有する運命は、物事を明確に見る善意の人々の手に委ねられていると言っても過言ではないようである。
 ジュワル・クール覚者は上記で「力強い行動」の必要性に言及している。行動していないことを嘆くだけならば、言葉は空虚である。古代からの、まだ打ち負かされていない悪が私たちの時代に再び表面に現れており、明晰に考えることや、声を上げ、適切な合法的行動を取ることが求められている。そのこと自体が希望の源である。
 怒りと憎しみからの束の間の休息を与えてくれたのは、パリ・オリンピックであった。その雰囲気は幸せで、協力的で、相互尊重の模範に満ちているようであった。フィナーレでは、善良さを分かち合う世界への明白な切望を感じさせる、示唆に富むシンボルが用意されていた。
 砂漠に降る恵みの雨のようであった──英国からの最近のニュースについてはそう感じられた。極右の人種差別主義者による暴行が何日間も続いたのを受けて、あらゆる年齢、民族、信仰を背景に持つ何千人もの英国人が決然として、国内の各都市で反ファシストの抗議デモに参加した。その善意と人間味あふれる声は、私たちの日中や不穏な夜を埋め尽くすジェノサイドと苦しみの光景とは全く対照的で、喜ばしいものであった。人種差別、ファシズム、憎悪に立ち向かうために、このような抗議行動は今後も続くだろうか。これは、団結した行動の中にこそ希望があることを改めて示す、「力強い行動」であった。私たち民衆こそが、私たちの地域社会、国家、そして未来への希望の源である。