読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けてきた。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したい

祈りは主(神)を思い起こすための最も容易で最も甘美で優雅な方法の一つである。祈りの中にはいつも無執着がある。祈りの中で、あなたは重荷も心配も持たない──これは完全無欠の状態である。あなたは全能者(神)の存在を経験する。マイトレーヤは言われる。「祈りの中で、あなたは決して迷うことはないだろう」
(シェア・インターナショナル誌1990年3月号)

 祈りに関する以下のベンジャミン・クレームによる質疑応答は、シェア・インターナショナル誌で以前に発表されたものの選集である。

Q 祈りの力は宇宙の構造の中に魔術的に織り込まれており、すべての人に利用できるものでしょうか。それとも、至高の存在やキリスト、覚者、聖者などの仲介となる代理人を常に必要とするような性質を持つのでしょうか。
A 常に仲介となる代理人を必要とします。

Q 祈りには、個人救済型の祈りと宗教的な人々の仲介的な祈りという、二つの基本的なカテゴリーがあるのでしょうか。それとも、神は祈りについては「えこひいきしない」のでしょうか。すべての祈りは基本的には同じであり、同じように利用されるのですか。
A 祈りの利用には様々な段階があります――欲望に基づいた懇願から、多かれ少なかれ科学的な祈願まで。それは「祈る」人の進化によって決まります。

Q どうすれば仲介の能力を持つ存在に私たちの祈りを知らせることができるのですか。(1)(a)それは誰にでも行えますか。(b)覚者との接触が必要ですか。(2)(治療において)誰に対して祈るかによって違いはありますか。
A 仲介者を視覚化するか思うかすることによってできます。(1)(a) はい。(b)いいえ。(2)はい、ある程度は。

Q (1)是認(アファメーション)や喚起と比べて、治療のために祈りを用いることの違いと利点は何ですか。カルカッタのマザー・テレサは、「私の患者であるイエスよ、あなたにお仕えすることは何と甘美なことでしょう」と言って、彼女が癒そうとする人々を通してイエスの手助けをしているのだと考えていました。(2)彼女の手法は、祈り、是認、認知のいずれの表現ですか。それとも単に彼女が出会った必要に仕えることでしたか。
A (1)違いはありません。その人に何が「できる」かによります。(2)祈りの示顕であると共に、彼女が出会った必要に仕えることでもありました。

Q 祈り、喚起、是認、マントラの使用の共通性と違いを教えてください。
A 祈りは欲望以上のものです。喚起(マントラを使用するか否かに関わらず)は最も科学的です。是認は中間的なもので、是認する人によります。

Q 次のように要約することは正確ですか。「祈りは神への語りかけです。瞑想は神があなたに語りかけるのを許すことです」
A 分かりません。私はそのような考え方をしません。

Q 形式的な祈りを与える代わりにただ「神と話す」ならば、それは祈りとみなされますか。
A はい。

Q 祈りは(通常行われているように)要請として行われる代わりに喚起や命令として行われたほうがより強力ですか。
A はい、それが可能ならば。次第に、喚起は崇拝や祈りに取って代わるでしょう。

Q (1)信は祈りの結果に影響しますか。(2)そうだとすれば、どのように影響しますか。
A (1)はい。(2)意志を喚起します。

Q (1)なぜ祈りは効果がある人とない人がいるように見えるのですか。(2)他の誰かのために祈ることは彼らのカルマへの干渉になりますか。(3)祈りは有害になり得ますか。
A (1)大部分はカルマ的な状況によります。信にもよります。(2)いいえ。(3)はい、例えば呪いを喚起する場合などです。

Q 進化の旅路の中で祈りがもはや必要なくなるときは来ますか。
A はい。

Q 以下の祈りの型で重要性と効果が高いのはどれですか:賞賛/賛美、感謝、懇願/要請、告白、治療、祈願。
A 感謝、懇願/要請、告白/懺悔、治療、祈願はどれも重要です。

Q (1)すべての熱心な祈りは聞かれているというのは本当ですか。誰に聞かれているのですか──天使(デーヴァ)ですか、覚者方ですか。(2)聞かれているとすれば、通常は反応があるということですか。私たちが認知していないかもしれない、祈りへの応えの実例はどのようなものですか。
A (1)はい、覚者方によって聞かれています。(2)多くの祈りは応えられますが、期待されたり望まれたりしたような形とは限りません。ですから、しばしば認知されません。

Q (1)教会の中で与えられた祈りは、他の場で語られた祈りよりも強力ですか。(2)人類は祈りを用いる唯一の王国ですか。
A (1)いいえ。(2)はい。

Q 「主の祈り」や「詩篇第23章」のような形式的な祈りに恩恵はありますか。
A 非常に恩恵があります。

Q 物質的な物事についての助けを神に求めても良いですか。
A お勧めできません!

Q 誰かのために祈り、その人たちがそのことを知らないときでも、彼らの重荷を軽くすることになるのですか。
A できます。

Q 効果的であるためには、自分や他の人々の治療のために何回くらい祈ることが勧められますか。2回以上治療を求めれば、最初の祈りが聞かれたことに信を持っていないことになるのでしょうか。他方で、十分に高いレベルから祈っていないとすれば、効果を得るためにはさらなる祈り(おそらくもっと整列しているとき)が必要なのでしょうか。
A どちらも然りです。

Q 祈りの基礎には恐怖心の要素があるように思われます。(1)これは正しいですか。(2)なぜ人は祈るのでしょうか。
A (1)時にはそうですが、必ずしもそうとは限りません。(2)もちろん、援助を求めてです。

Q 祈りはいつ始まったのでしょうか。
A 初期の動物人間が、足の速い恐竜に追いかけられているときに恐怖の金切り声を上げ、助けを求めて叫んだときです。おそらくそれは私たちが今日祈りと呼ぶようなものではなく、その不明瞭な懇願が誰に向けられていたかは推測するしかありません。

Q 誰に祈るかは大切なことですか。
A 誰に向かって祈るかは本当に大切なことではありません。大切なのはあなたが選んだ人を信じることです。アプローチが意識的なものであればあるほど、よりメンタル的で、意志がより多く関わり、接触への信が大きいほど、祈りが聞かれる可能性は高まり、カルマの法則の範囲内で応えられます。私が勧めるのは、神の代表者、聖なる仲介者としてのマイトレーヤに祈ることです。特に彼は援助を必要とする人々の祈りに応えることを約束しておられるからです。そして、物質的な物事や生活上の問題への解決を求めて祈るべきではないと思います。それは私たち自身に解決する責任があります。

Q 1945年に起こったことの後で、マイトレーヤをロンドンに呼んだのは祈りではなかったのですか。
A 可能な限り早く戻って来られるというマイトレーヤの決断が発表されたのは1945年でした。この決断は、その大部分が、人類からの助けを求める祈願の叫びに応えてなされました(ロンドンを彼の「ポイント・オブ・フォーカス〈焦点となる地点〉」にしたという決定には別の理由があります)。人々はあらゆる言語で、特にマイトレーヤにではなく、「天上にいる」神に対して、「どうか、どうか、神さま、お助けください!」と叫びました。私たちが神に向かって、あるいはマイトレーヤや誰に対してでも、平和のために祈るのは、私の考えでは間違ったやり方だと思います、私たちは自分でそれをしなければなりません。平和をもたらすために、援助やエネルギーや導きやインスピレーションを求めて祈るのは結構ですが、平和を「つくる」のは私たちです。私たちはただ座って神が平和を生み出すと考えることはできません。神は平和をお持ちであり、神は平和です。平和はすでに存在しており、私たちがその平和を乱しているのです。

Q 祈りはマイトレーヤを喚起する方法ですか。
A はい、まさにそうです。すべての覚者方は祈りに反応されます――それが、祈りが応えられる方法です。天国に座っている人々によってではありません。そのような場所はありません。天国とは存在の状態であり、その天の王国とは、魂の王国です。覚者方は目覚めており、決して眠ることはなく、すべての祈りを聞いておられます。彼らがその祈りに応えるかどうかは祈願の強さ、その祈りが包み込んでいる感情的メンタル的な実質の割合に依存しています。祈りが包み込んでいる実質がより高度でよりメンタル的であればあるほど、覚者方のマインドに与える影響は大きくなります。なぜなら彼らは感情界ではなくメンタル界で働いているからです。アストラル・タイプの祈りに応えるアストラル界の存在はたくさんいますが、覚者方自身はメンタル界と、それより上位の魂の(霊的な)界で反応されます。ですから、祈りによってあなたの祈願を高めれば高めるほど良いです。それよりもさらに重要なのはカルマです。カルマの法則は、祈りに関しての覚者方の行動さえも支配します。
 最高の祈りは志向です。志向が高まれば高まるほど、それはハートの行動をより多く含みます。瞑想は、魂(高次の自己)のエネルギーと整列し、徐々にそれと融合するための、一段と優れた方法です。それは私たちを魂と一体化させる方法です。祈願は異なったもので、伝導瞑想は祈願と結びついています。それは高次の霊的な源からのエネルギーを呼び起こすことであり、そのエネルギーを低位のレベルに伝導することです。伝導瞑想は、高次の源であるハイアラキーと、低位にある人類一般の間の架け橋です。

Q 死別した魂のために祈ることに価値はありますか──例えば、彼らの運命が低位の界にいることだとすれば、それを高次の界に引き上げるために。
A 私の理解では、いったん死が起これば(少なくとも死後3日間が過ぎれば)、死別した魂の運命に影響を与える方法はありません。祈りの価値は物質界に残っている人々のためにあります。しかしながら、死への移行を通過している人々のために(共に)祈ることは、彼らの注目を魂のレベルに焦点化させ、高次の界へ到達するために必要とされる霊的緊張を増すことには役立つことができます。物質界にいる「お互いのために」祈ることは常に役立ちます。

Q 愛をもって行われるならば、誰かのために(あるいは数人の人々、または人類全体のために)絶えず祈ることによってカルマの法則に影響を与えることはできますか。
A 個人や世界全体のために祈ることには絶対的に真の価値があります。カルマの法則を変えることはできませんが、その働きの結果は、このようなやり方で援助することを奉仕としている霊的存在からの高次のフォースを呼び起こすことによって変えることができます。

(ベンジャミン・クレーム著『マイトレーヤの使命 第1巻、第2巻、第3巻』、『伝導瞑想:21世紀のヨガ』、シェア・インターナショナル誌の「読者質問欄」)

新しい時代の祈り

わたしは宇宙の創造主である。
わたしは宇宙の父にして母である。
すべてがわたしから来る。
すべてがわたしに戻る。
心と生気と肉体はわたしの宮殿である。
真我はそのなかにわたしの至高の存在と生成を実現する。

──主マイトレーヤ

1988年7月にマイトレーヤによって与えられた「新しい時代の祈り」は、祈願的な効果のある本物の是認(アファメーション)であり、私たちが、人は神と一体であり、分離は存在しないことを認識するための強力な道具となるだろう。わたしが宇宙の創造主であることを肯定することによって、わたしが神であり、真のリアリティ(実在)であるという意識に(徐々に)至ることができる。マイトレーヤの側近は、次のように説明している。「この祈りは、人々を心と生気と肉体から無執着な、裡なる真我を体験することに導くことができる」