シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者はほとんど40年近くにわたって毎月、記事を提供してこられた。今世紀初めに書かれたこの記事は、今日の世界のために書かれたかのように読み取れる。
人類のための新しい時代
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記
日がたつごとに、自由意志の誤用から起こる悲惨な出来事が人類に示されている。神聖な自由意志は人間の最大の宝であるが、それはロゴスの大計画に沿って使用されるときにのみ合法であり正しいのである。
人間はその理解から程遠く離れてしまっており、したがって間違った思考と行動の旋風という報いを受ける。かくして大勢の人間が、豊かな世界の直中で、他の人々には当然の生得の権利だと思われているそれらの資力を欠くがゆえに、不必要に苦しむのである。
人間はこのような分離をもはや長期間支持することはできない。「法」が維持可能な均衡を要求する。そしてそれが見いだせないときに、法は調整し、調和させようと働く。さらに、統合の新しいエネルギーがますますその表現を要求し、人類を日ごとにその目標に向けさせている。至るところで人々は高まる緊張に耐えるのが困難になり、その結果として起こる混乱の中で四苦八苦する。
人間は彼らの心の深いところで、将来への道は変化を通らざるを得ないことを感知しているが、その道の輪郭をいまだ見ることができない。彼らの必要は知られ、そして満たされるのだということを示す徴を待っているのだが、その救いの臨在を告げる徴が至るところに 夥しく見られるのにそれを信用しない。彼らは望みながらも同時に恐れており、それゆえ切望しているその可能性を拒絶する。いつの時代にもそのようであった。
他方、人類の一部は日ごとに彼らの飢えた貪欲な心(マインド)を驚嘆させる あぶく銭を楽しみながら、(現実に気づくことなく)満足して先へ先へと進む。彼らは自分たちの危うい成功以外に対しては盲目であり、世の中の緊張を感知せず、警告の鐘の鳴り響くのも聞こえない。投機という病気が彼らを奴隷にしており、古代ローマの行き過ぎた行為を思い起こさせる。
これらの異なった矛盾する姿勢を見守るハイアラキーは、でき得る限りの方法で助けようとしている。人間の自由意志のみが直接介入を阻むのだが、「法」は法であり、それは決して侵してはならない。にもかかわらず、人類が決して目にすることのないところで多くの助けの手が差し伸べられている。
マイトレーヤはそれらの状況を日々、検討しておられ、すでに予告された株式市場の崩壊の前に出現する方法を探しておられる。これを可能にするためのステップが今や取られつつある。であるから、マイトレーヤの公の使命が始まるまでの時はまさに短い。その初めの徴を見逃さないように見守り、そして目覚めていなさい。
マイトレーヤは至るところにいる善意の男女を行動へと活気づけようとされるだろう。彼の召集をただ単に待っている者が大勢いる。かくして、大いなる討議が開始され、至るところにいる人間の基本的必要が検討され評価されるだろう。このようにして、人間は変化が保証することのできる可能性を知り、試みるだろう。そして必要とされる変容を始める勇気を見いだすだろう。そのようになるだろう。そのようにして偉大なる主は助言し、導き、人類のために新しい時代の幕開けをされるだろう。
(シェア・インターナショナル誌、2001年4月号)