人間に過去のあり方—— 戦争、競争、惑星の破壊—— をやめさせて、分かち合い、正義、平和への道の創造に導くのを鼓舞するビジョンはどこから来るのか、と尋ねるかもしれない。それが実行可能だという徴を、人はあとどれだけ待たなければならないのか。彼らのかすかな希望の光でさえも、どこに探せばよいのか。この非常に望まれる出来事が可能なばかりか、保証されているということを最も確信している者を除いて、すべての人間の信が歪められるようなことが世界にたくさん起こっていることは疑いもない。
どんな根拠に基づいてそのような主張ができるのか。どれほど卓越した知識からそれが出てくるのか。この不安定な世界で、そのような自信をいかにして維持できるのか。これらの正当な疑問に対する答えは、ハイアラキー全体に知られている事実にある(しかしすべての人間にはまだ知られていない)。それはハイアラキーの長であり、リーダーであるマイトレーヤご自身が、今や何年もの間、日常世界に臨在しておられるという事実であり、ハイアラキーの傑出した兄たち(覚者たち)が同じく、再び人間と共に歩くという事実である。この事実のみが極めて先例のないことである。それは人間にとって、何か素晴らしい、そして新しいものの前兆である。数え切れない長い時を経て初めて、これらの“欠点のない男たち”が、いかにして平和と正しい関係の中で簡素に、そしてよく生きるかを、人間に教えるだろう。
かくして、人間の未来は保証されていると言えるのである。しかしながら、人間は平和のための仕組みを受け入れて、それを構築しなければならない。すべての人間が平等で、ひとつであり、一人ひとりがあらゆる存在に浸透する神性の表現であるという認知、これが明確に理解されるとき、人は平和への道を創造するのに困難を感じないだろう。そして正義と自由という神の様相について新しい意味と重要性が与えられ、資源の分かち合いが人間の現在のジレンマと争いへの答えとして自然で論理的な位置を占める時の到来が速められるだろう。
今まで、そのようなアイディアやスピリチュアルな生き方の実演は、人間によってのみなされてきた。彼らの勇敢な模範に対する反応はまさに遅々としたものであった。にもかかわらず、状況が今や異常な耐えがたい圧力を人間にかけている。人々は境遇に順応して変化しなければならない。あるいは消え去るか。
彼らが問題への答えを探すにつれて、マイトレーヤと彼の一団は反応する用意ができており、人類を危険とさらなる愚劣な行動から引き上げようとしていることを発見するだろう。人類は答えを持っているのだが、これまでのところ、その答えは彼らの目を逃れてきた。それのみで、人類種族にとって未来を、最も輝かしい可能な未来を保証する、そのような答えなのである。
(『覚者は語る』[1] 613頁)