編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、本物であると確認されたが、いまだ掲載されていない。

覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見でも現れている。そのような体験が、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。彼らはさらに、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に、愉快な方法で注意を引き付けたりもする。時に覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念でつくった形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。

 

救いの手

編集長殿

2017 222日水曜日の夜、伝導瞑想を終えてグループのメンバーと一緒に、アムステルダム市内を歩いて帰宅していた時、私はつまずいて転んでしまいました。転んだ拍子に頭に怪我をして、かなり出血していました。メンバーである友人は通りの車を止めて、運転していた人に、そこから遠くない自宅まで乗せていってもらえるか尋ねていました。彼は引っ越しをしたところで、たまたま車いっぱいの荷物を載せていたため、それは無理でした。そのすぐ後、友人は自分の夫に電話をかけて、同じ内容を頼んでいました。彼女がちょうど電話を終えた時、1台のタクシーが、店の前の少し陰になった場所に座っていた私たちのところへやって来ました。彼女の夫以外には他に誰も私たちの居場所は知りませんでした。タクシー運転手は私たちのそばの歩道へと来ました。

そのタクシー運転手は車を降りると、ある男性から私たちを迎えに行って、家に送るように依頼されたと言いました。私たちは、それは素晴らしいけれどお金を持っていないと言いました。「ああ、その人がもう10 ユーロ払ってくれましたよ」と彼から言われました。けれどもそれが非常に驚くべきことだったのは、もしその運転手に助けを頼んだのが、あの車の男性であったなら、彼は別の方向へと運転していってしまったし、タクシーが現れた方角にはタクシー乗り場もなかったからでした。そしてどのような場合でも、私の転倒から文字通り3、4分のうちに、誰がタクシーに連絡をして、支払いまでできただろうかと疑っていました。「あなたと支払いをしてくれた紳士のご親切に感謝です」と私たちは言いました(二人共がそれは確かに普通の状況ではないと思っていました!)。若いタクシー運転手は「だからこそ私たちはこの世界にいるんじゃないですか、お互いに助け合うために!」と答えてくれました。私たちは電光石火の素早さで、奇跡的に助けていただいたという結論に達しました!

ヨス・クイル

アムステルダム伝導瞑想グループ、オランダ

(次の2通は同じ人物からのものです。)

 懐かしい顔

 編集長殿

1)パリ伝導瞑想グループの4人はシェア・インターナショナル誌裏表紙写真展を、2017 331日からの週末に開催しました。展示はある写真家のスタジオで行い、「分かち合いが世界を救う」というタイトルにしました。開催日を入れて二日の日程でしたが、人々が集まったのは、その写真家のネットの情報網でイベントを告知してくれたからでした。展示とそれに関連した活動がボーブールの文化芸術的な地区で行われ、つまりはジョルジュ・ポンピドゥー・センターの正面入口を過ぎた通りにある会場だったわけなのです。メンバーはスタジオのショーウィンドウに、写真とマイトレーヤのメッセージを一緒に展示しました。それはたくさんの注目を集め、通りすがりの子供たちからも見てもらえました。

マイトレーヤはかつて(東京での同じ写真展で)、もし世界中の人々がこの裏表紙の写真を見て、それについて考えたならば、世界はより良い方へ、正義に向かって変化するだろうと言われました。実際にマイトレーヤの望みの一つは、他者の苦しみに対して私たちのハートを開くことなのです。それによって私たちは世界を変えていくのです。写真展はこの目的にかなっています。二人のメンバーがずっと会場にいたのですが、私たちは注がれるエネルギーに二度ほど驚き、それはまさにクリスマスの日のマイトレーヤからの祝福のようでした。これまでの写真展の時のエネルギーを感じることに、私たちが慣れていたとしても、そのような体験をしたのは初めてのことでした。たくさんの交友関係がそこではつながり合っていて、彼ら皆がエネルギーに満たされていたので、私たちはとてもうれしく思いました。

土曜日の朝と午後早い時間には、まだ来場者がいませんでしたので、私はシェア・インターナショナル誌の読者質問欄にあった、聴衆や来場者を視覚化することについて思い出しました。しばらくの間はショーウィンドウにある6枚の写真を眺めていく、絶え間ない人の流れがありました。それで私は来場者でいっぱいの展示会場を視覚化してみました。幾つかの「視覚映像」を思い浮かべてから目を開けると、展示会場の入口にベンジャミン・クレーム氏を見たのです。私は目をこすり、想像が幻を見せていると思いましたが、そうではありませんでした。彼はそこにいたのです。私が思うに、彼が何十年もの間シェア・インターナショナル誌の編集長であったため、そこにいたのでしょう。

百聞は一見に如かず

22017311日のパリでのミーティング中に、様々な活動を担当しているメンバーたちが集まって、アイディアを交換したり、グループの和合を強化するために交流したりする時間を持ちました。午後の間、私たちがパルタージュ(シェア)・インターナショナルの購読者数の減少や、販売を改善するために何ができるかについて話し合っていた時、メンバーが「特に今は、ベンがもういないのだから」と言いました。その瞬間、突然ベンジャミンさんが現れて、部屋の中の私の目の前に立っていたのです。私が見ていたものについて疑問の余地はありません。私はグループに数分間静かにしてくれるよう頼みました。私がグループに私の見たことを伝えるのをためらったのは、私の友人が別の状況でベンジャミンさんを目撃して、彼女がその話を伝えた人々の中には、彼女をからかいだした人たちがいたためでした。翌日、私がSI誌にこの話を書くことに決めたのは、自分だけに留めておきたくなかったことと、ベンジャミンさんがもういなくなったと考える人たちがいても、少なくとも私に関する限り、それは明らかに間違っているとわかっているという理由のためです。

M-A.A

フランス、パリ

【編集長注:ベンジャミン・クレームについてさらに詳細を尋ねたところ、手紙の筆者は彼がより若く、健康的であったと述べ、彼はただ立って写真展示場の入口から彼女を見ていたと言う】

危機一髪

編集長殿

2001 9月に、私は自分の車に義理の娘のシャーリーンと二人の子供を乗せて運転していました。私たちは主要道路をとてもゆっくりと進んでいて、1台の大きなシルバーの車が反対側から(全く普通に反対車線を走って)近づいていました。30mくらいの距離になった時、突然その車が方向を変えて、速度を保って私たちの方へ真っ直ぐに向かいながら、こちらの車線の方へ進路変更してきたのです。正面衝突になるところでした。「ああ、神よ」と言ったのを覚えていますが、シャーリーンもそうでした。私は反対側の左へとできる限り向かおうとしました。どうして衝突が起こらなかったのか全くわかりません。シャーリーンも私もショックで口がきけませんでした。数週間後でも、私たちにはまだ、なぜ事故が起きなかったのか信じられません。その車からどうやって逃れたのかわかりませんが、私はシャーリーンに「私が言えることはただ、私たちが面倒を見ていただいていたということだけよ」と言いました。

私がお尋ねしたいのは、私たちは何らかの方法で守られたのですか。私たちは死ぬことも重傷を負うこともなく、他にどうやって事故から逃れられたのか、ただ信じられない思いなのです。

ベティ・ファラジャラ

英国、サリー州フリムリー・グリーン

【ベンジャミン・クレームの師は、彼らがマイトレーヤによって助けられたことを確認した】