手紙説明
シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。
何と驚異に満ちた世界!
次の3通は同じ人物からのものです。
編集長殿
(1)2017年12月の初めに、私はアムステルダム中心部の古い建物の中での、ある講座を受講していて、休憩の時にコーヒーを入れる手伝いをするために階下へ向かいました。あらゆる種類の講座に参加していた人たちでいっぱいでしたが、廊下には犬を連れた女性が一人いる以外は、ほとんど人影がありませんでした。長く急なひと続きの階段を下り始めた時、ヒールが何かに引っかかったに違いありませんでした。転び始めた勢いのせいで、手すりから手が放れてしまいました。すると、高い飛び込み台から飛び込むような形で、頭を下にして放り出されるように落ちたのです。落ちていきながら、「助かるためにどうしたら良いのか?」というようなことがたくさん頭をよぎりました。車椅子になってしまうことすら思い浮かび、それに長くお世話になりたくはないと即座に心に決めました。その後空白がありましたが、目を開けてみると、階段の最後の段から少し離れた石の床に横たわっていて、まるで『回復体位』でそこに寝かされたように、横向きで膝を曲げて、手は頭の下にありました。私のハンドバッグは壁の近くに置かれていました。私が階段を見上げていると、「やろうと計画していることを終えるための時間は、あとどのくらい残っているのか?」という思いが心に浮かんだのです。駈ける馬のように心臓がどきどきし、私を取り巻く愛を感じて、涙をこらえられませんでした。一人の男性が私に近づいてきて、彼は小さな『ドンという音』を聞きつけてきたのです。「ボーッとしていたんですね?」と言って、さらに「救助されたに違いありませんね、そうでなかったらここにいるわけがありませんよ」と言われました。ショックから立ち直ると、私の自転車は鍵をかけて置いていくことにして、家に帰りました。アムステル川にかかる『スキニー・ブリッジ』(古くからある有名なアムステルダムの名所)に差し掛かった時、たった今体験したことすべてを深く考えながら、涙で曇った目で街を見つめました。その後数日間は身震いが続きました。ところで私には打ち身ができましたが、どこにも骨折はなかったのです。
(2)2017年12月の初めに、アムステルダムのインフォメーションセンターでの伝導瞑想を終えて、自転車で家に帰っていました。スリナム人のような風貌の、優しい感じの男性が自転車で近づいてきて、私の隣に来ました。私たちは自転車をこぎながら、友人同士のようなおしゃべりをしました。何度か彼が私の後ろになって、他のサイクリストたちが私たちを通り越していけるようにしていました。私が別の道へと曲がらなければならない地点に来た時、彼がしっかりと言い含めるように、「マダム、どうかくれぐれも用心してください」と言ったのです。彼はそのまま行ってしまいましたが、10メートルくらい離れた場所で振り返り、手を振ってくれました。
(3)2018年1月18日にオランダにハリケーンが上陸しました。外出しないようにメディアを通して人々に警報が出されていました。気象警報にもかかわらず、私はどうしてもスケッチブックを買いに行きたくなり、思い切って出かけることにしました。(アムステルダムの)ホテル・オークラがある道路に入ると、巨大な樫の老木が強風で曲がっているのが見えて、「どうか倒れないで!」と思いました。ホテルを通り過ぎていきながらも、吹き飛ばされないように壁にへばりついていなければなりませんでした。角に自動ドアのオフィスがあったので、嵐から避難するためにそこへ入りました。やはりそこへ逃げてきたばかりの男性が入って座るように言ってくれました。ちょうどその時、大きな衝突音が聞こえてきて、巨大な樫の木の一本がバリっと音を立てて倒れたのです──私はその下を歩いてきたところでした! ちょうど入って来た男性の車の上にぶつかり、彼はほんのちょっと前に駐車したばかりでした。嵐が少し収まった時、私はついに店に到着しましたが、まだ震えていて、欲しかったスケッチブックが売り切れだと分かっただけでした。
匿名希望オランダ、アムステルダム
次の2通は同じ人物からのものです。
見えないドア
編集長殿
ずっと昔に起きた二つの出来事について、マイトレーヤとイエス覚者に関係しているかもしれませんので、お伝えしたいと思います。
(1)2002年6月29日に私はボルドーにいて、商業街路にあるカフェのテラスに座っていました。静かに座って飲み物を少しずつ飲んでいた時、大変生き生きとした、45歳から55歳くらいでほっそりと背の高く、貧しい身なりの男性が近づいて来て、私の友人にタバコを巻くための紙を買うお金を求めてきました。驚いたことに、友人は断りました。彼が去ろうとした時、私が財布の奥に見つけた小銭を渡しました。彼は、私が恥ずかしくなるような熱意を込めて、何度もお礼を言ってくれました。そのようなふるまいは私たちには理解できませんでした。彼は去っていきました。おそらく30分ほど経ってから、彼がまるで魔法を使ったかのように、再び現れました。一つの世界から別の世界へと行き来できる、見えないドアを通り抜けて、テラスの前で彼が歩きながら現れたのを目撃したとしか、どうしても思えませんでした。何かが違っていました。彼の深いブルーの瞳が見えました。彼はもう一度私にお礼を言い、またもや気恥ずかしいほど敬意を込めてお礼を言ってくれたのです。彼は私に幾つか質問をして、それから去っていきました。
幸せの贈り物
(2)2002年9月のある金曜日に、家に帰るバスの中で、60代くらいの西インド諸島の女性が、彼女の夫と一緒に私の隣にやって来て腰を下ろしました。彼女はすぐに宗教についての会話を私と始めました。プロテスタントの転向者であり、信徒として、彼女は私がなぜ仏教支持者なのかを知りたいと言いました。彼女はしっかりとした信を持っており、それは様々な物の見方の中に、妥協をしないという形で表れているようでした。突然話し合いが楽しい雰囲気に変容して、私は彼らのそばにいると気分が良かったことを認めます。時々彼女が説明中に過激で熱のこもったようになると、私は笑い出し、彼女も笑いました。私は彼女に良い1日を祈って別れました。その後の週は、いつも金曜日に彼女が夫と共にバスに乗っていたのを、遠目に見かけました。翌週の金曜日、彼女はまた私の隣に座り、再び会話が始まりました。けれども何か違った感じでした。私は、彼女から発散される波動に、もっと敏感になっていたように思えました。私たちは再び話をし、その時には不思議なことに、霊的な物事と関連した私の関心について口に出すことはありませんでしたが、彼女が一人で話している中で、私の示した質問に的確に答えてくれたので、自然と私はとても満たされた気持ちになりました。私は計り知れない『贈り物』を受け取ったと確かに感じていました。
YDMフランス、パリ
【ベンジャミン・クレームの師は、最初の物乞いがマイトレーヤで、二番目の夫婦はマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】