本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。
ノック、ノック!
次の2通は同じ人物からのものです。
編集長殿
(1)私たちの家は9カ月近くも売りに出されています(手紙は2005年6月に書かれた)。多くの見学者が来て、二度売却にこぎ着けましたが、契約不成立に終わりました。ほんの数日前に家は売れたと思っていましたが、その女性は買わないと決心したことが分かりました。私たちにとって売りに出す理由は、私が階段を使うのに不自由があり、また日曜日に瞑想をするグループがあって、私たちの購入したい平屋の住宅のほうが、居間を使う必要がなくなるために、より瞑想にふさわしいからなのです。
金曜日に私たちは諦めの心境でした。土曜日の昼食時に二人連れがドアをノックして、1時30分に家を見学する予約をしたと言い、予約は不動産業者(仲介業者)が行ったということでした。
私たちは予約について何も知りませんでしたが、彼らに家の見学をしてもらいました。男性は黒人で、女性は白人でした。それはとても風変わりな見学でした。彼らは大変に陽気で楽しそうで、家の肯定的な所ばかりを取り上げてくれました。彼らは名前もどこから来たかも言いませんでした。
私は階段に大きなイエスの像を置いていますが、その女性はそれを見ると、とても興味深い物を持っていると言いました。彼らが帰る時、私たち両方と握手をして、不動産業者に連絡して、知らせを受けなかった懸念を伝えるべきだと言いました。
彼らが帰ると、私は売買を担当している業者に電話をしましたが、誰もその二人連れに私たちの家のことを伝えていませんでした。最初私たちは誰かがドアをノックして、見学することにしただけだと思いましたが、もっと良く考えてみて、それがイエスとマイトレーヤだったかもしれないのではと思うようになりました。その二人連れの訪問の後、私たちは売却を続けていく元気が出たと感じました。不動産業者からは危険なので、このようなことを二度としないように忠告されました。どうかあなたの師に、我が家に来た二人連れについて尋ねていただけますか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤで、『女性』がイエス覚者であったことを確認した】
王子の風格
編集長殿
(2)最近の(手紙は2004年6月に書かれた)イタリアのローマへの訪問で、私はスペイン階段のふもとにある噴水に腰掛けていました。一人の若者が私の隣に座っているのに気づきましたが、彼は(英国の)ウィリアム王子に似ていました。彼は座ってほとんど前を向いていたので、彼の瞳は見ることができませんでしたが、彼から目を離せませんでした。彼はとてつもなく特別な人物だと感じていました。会話を始めたかったのですが、自分から話しかけることはできませんでした。
20分ほどすると、彼は立ち上がり、去っていきましたが、その間も全く振り返ることはありませんでした。私は彼が去ってがっかりしましたが、同時に気持ちが高揚していました。
その若い男性はどなたでしたか。
A.ラム
英国、サットン・コールドフィールド
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】
次の2通は同じ人物からのものです。
抵抗し難い存在
編集長殿
(1)私は(2005年に)地元のモントリオールにある(大きな商店街の)モン=ロワイヤル通りを、親しい友人と連れ立って散歩していました。突然、どうしてかわからないまま振り返らなければという気持ちになり振り返ると、通りの反対側にハンサムな男性が見えて、とても背が高く、インドの男性のような格好で、白と茶と黒のチュニックに黒いターバンを頭に巻いていました。
彼は力強い輝きを放っていました。私は友人に振り返って自分の目で、その男性がどれほど美しいか見るように言いました。まさにその瞬間、その男性が私たちをチラッと見て、手を振ったのです。彼はどなたでしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】
名で呼び合う間柄
(2)私はある小さな店にウールの毛糸を買いに行ったことがあります。そこの男性がたまたま店のオーナーで、私になぜ100%の純毛が欲しいのか尋ねてきました。私は彼に「ヨガ用マット」を編んで、瞑想用クッションの上に置きたいと思っていることを伝えました。彼は私に一体どんな瞑想なのか尋ねてきて、私たちは長い時間、イエスについて、その男性自身の信念や、私の信念などといった様々な話題について話しました。私たちがおしゃべりをしていた時、彼が私を名前のシルヴィーで呼んだので、私は一瞬心臓が止まりました。私は本当に怖くなり、どうであろうと、その男性が以前は私を知らなかったし、私も自分の名前を言わなかったのですから。少し経って会話がさらに続くと、彼がまた私の名前を言いました。私はどうして名前がわかったのか尋ねました。彼はリラックスしたままで、「ああ、そうだね、私は腕の良い心理学者だから」と言ったのです。私が帰ろうとすると、彼から私の両頬にキスしてもいいか尋ねられて、私は「もちろん!」と答えました。私は涙を見せないように相当我慢しなければなりませんでした。彼は私を店のドアへと連れていき、「もし戻ってきたくなったら、私とまた会うことができますよ。でも6月までにはこの店を閉めるつもりなので、もう店はなくなってしまいます」と言いました。
この男性はどなたでしたか。ありがとうございます。
シルヴィー・ロドリゲス
カナダ、モントリオール
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】
二度の目撃?
編集長殿
少し前に(手紙は2005年に書かれた)、三人の仕事仲間と私は飛行機で、政府機関との特別会合のためにストックホルムへ行きました。スウェーデン南部にあるエンゲルホルム空港で出発を待っていた時、私たちは背が高く黒い髪のハンサムな男性で、素晴らしく青い親しみの持てる瞳の人物を見ました。彼は私たちを通り過ぎてから腰を下ろしました。気づくと、彼に魅了されているのは私たちだけでした。その男性は飛行機の中で、私たちのちょうど前の席に来て座りました。ストックホルムに到着すると、シティ・ターミナルに向かう空港バスの中では彼を見かけませんでした。私たちはターミナルから直接数ブロック先の会議場に向かいました。実り多い会議を終えて、私たちがちょうど帰ろうとしていた時、空港での同じ男性が、その事務所のラウンジを横切る通路から出てくるのを見たのです。私たちは空港へのバスに乗らなければならなかったので、近寄って見てみる時間はありませんでした。ストックホルムの事務所での二度目の出会いは偶然だったのか、それとも……。
カール・B・インゲルソン
スウェーデン、クリッパン
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】
ただの映画以上のもの
編集長殿
2020年1月に、二人の友人と私は新しく公開されたサム・メンデスの映画『1917 命をかけた伝令(邦題)』を見るために映画館に出かけましたが、その映画は第一次世界大戦での塹壕戦の容赦のない現実を描いているものです。私は行きたくありませんでした。これまでとてもたくさんの戦争映画を見てきましたが、すべて同じ物語を描いているものだったからです。けれども批評によると、単にこの映画は特別だというだけではないと言われていて、友人は新しい物の見方をもたらすかもしれないと考えていました。それで私も一緒に行くことにして、最善を求めるのはやめました。
満員の映画館で席に座るとすぐに、帽子のように頭の周りが、柔らかなエネルギーのクッションで包まれる感じがしました。驚きと困惑がありました。この感覚の中でリラックスしていようと決心して、動揺しないようにと思っていました。けれどもこの決心は映画が始まる前から試練にあったのです! ユニセフの広告を含む宣伝が流れ、子供たちが戦争で荒廃した都市の景観の中で歌っている映像や、1年で300万人に上る子供たちの飢餓による死亡を追悼するものでした。それは非常に痛ましいことで、何とか泣くまいと頑張っていました。泣かずにいられた唯一の理由は、私の霊的ハートセンターであると信じているものにも、等しく強力な反応があったからでした。それは温かく、力強く、そして解放されていると感じました。
この反応は、私が映画そのものに引き込まれ、私には人類の旅路を暗示するものに思われる物語が展開するのを、見ていくにつれて高まっていきましたが、それは『こちら側』とか『あちら側』、あるいはこの恐ろしい戦火をもたらした勢力やエネルギーとは関係のないものであり、自分たち自身を越えて手を差し伸べること、その過程で同胞愛、思いやりや人間性を見いだすことと大いに関係があるのです。深い感動の体験は、疲弊の果ての平和としか表現しようのない解決へと導く主人公として、視聴者を同じ旅路に連れていくのです。私が怖れていたよりも、ずっと重い苦悩が残りましたが、同時に溢れる思いやりと人間性への強い願望も感じていました。
エネルギーの効果は私の中に2時間の映画の間中と、翌日まで留まっていました。それは持続する強烈な祝福のようでした。これを体験したのが、私だけだったのかどうかはわかりません。観客は初めから終わりまで映画にくぎ付けでした。誰も動きませんでした! つまりおそらく似たようなことが、そこにいた他の人々にも起こったのかもしれません。私がそう思いたいのは、覚者方があらゆる機会をとらえて、私たちにとって最善なものをもたらしてくださると知っているからなのです。
匿名希望
手を取り合って
編集長殿
良き友人であり、共働者でもある人がたくさんの問題を抱えていて、私は彼女をとても気の毒に思っていました。ベンジャミン・クレーム氏や覚者方の仕事との長年の関わりから、私は人々がどのような状況でも、神様かマイトレーヤ、あるいは覚者方に助けを求めても良いと知っています。
私は友人に、アジュナセンターに集中して助けを願い、マイトレーヤの名の下に助けを求めるある種の祈りを捧げるように伝えました。私も一緒に祈り、私たちは二人共非常に強力なエネルギーを感じました。
その同じ日の後になって、私の家のベランダにあるテーブルに大きな手形を見つけたのです。それは私の手形ではなく、私は2階に住んでいて、私のアパートの部屋は建物の裏側になります。間違いなく、真昼間に私のベランダに上ろうとは考えもしないでしょう。
A.A.
オランダ、アムステルダム
【編集者注:マイトレーヤはスペインのバルセロナにある、アパートの鏡に3次元の手形を現した。初出は本誌2001年10月号で、手は治癒のエネルギーやマイトレーヤの助けを喚起する手段である】
次の3通は同じ人物からのものです。
希望のビジョン
(1)2020年3月31日に、私が猫に餌をやるために朝7時20分に起きて、カーテンを開けると、丘の前の地平線の驚くべき光景に本当にびっくりしたのですが、非常に明るく輝く光が巨大な星のように見えていたのです。私はメガネを取りに行きましたが、その瞬間『星』がゆっくりと雲の背後に消え始めたのです。まるでもはや自分の身体に存在しないかのような、素晴らしい平安を感じ、この感覚は一日中残っていました。そのひと月の間、私に現れてくれるように宇宙の兄弟方に訴え続けていたのです。この手紙を読み直していると、ハートチャクラに再び温かさを感じて、泣き出さずにはいられません。
今でも私たちと共に
(2)2020年4月1日の水曜日、私は伝導瞑想のためにパリのグループとつながっていました。数分後、私はベンジャミン・クレーム氏の存在を感じ、彼からの祝福を受けて泣き出してしまいました。ベンジャミンさんありがとう、彼は(まだ)私たちと共にいます!
心に触れて
(3)2005年6月にパリで、グループメンバーとのミーティングの時、私たちはその日のテーマを大宣言の日に決めて、マイトレーヤと覚者方の出現についての公開講演で話す練習をしていました。私が話をしようとした時、わっと泣き出してしまい、同時にハートセンターに強烈なエネルギーを感じていました。それは15分ほど続き、その晩家に帰っても、その影響を感じました。翌晩の伝導瞑想で、その出来事についてグループに何と言ったら良いかわかりませんでした。
同じことが起こったのは、オリビエ・ダネスが日曜夜の「ラジオ今&ここ」で大宣言の日について話をした時でした。
ジェシカ・メハディ
フランス、トゥック
【ベンジャミン・クレームの師は、それがイエス覚者からの祝福であったことを確認した】
「元気を出して、平常心で」
編集長殿
今朝、2020年3月22日に、私の部屋の描画のコピーに強く注意を引かれました。私の机に座って見えやすいものなのに、長い間それを意識して見ていませんでした。けれども今になってそこにあるのです!
それは驚くほど美しく力強い描画で、当時シェア・インターナショナル誌に特集で掲載されたことがあり、2011年の福島のメルトダウンの時、意気消沈した日本の人々に向けて、マイトレーヤが奇跡的に与えられました。幸福そうで穏やかに瞑想している人物の絵の下に、日本語の美しい(書道の)メッセージがあり、その意味をはっきりとは覚えていません。「元気を出して、平常心で」というようなものでした。
マイトレーヤがこの素晴らしい贈り物を、あの特定の時期に日本の人々に贈られましたが、この現在の困難な時期にあって、それはやはり苦悩するすべての人類に向けての贈り物であり、メッセージであることは明らかでしょう。
匿名希望
【編集者注:正確な言葉は、「平常心、祈り」であった。本誌2011年5月号参照。津波の時に慰めと希望を与えるために、マイトレーヤが現されたものであった】