大計画は進む

シェア・インターナショナル誌は創刊以来、クレームの師である覚者が提供された記事を掲載してきた。それは記事が提供されたときのみならず、世界の状況に応じて適切だと思われるときにはいつでもそれを掲載してよいようにである。1992 年10月に書かれたこの記事は多くの複雑な概念を扱っているが、その一つには覚者方はあらゆる事柄を統率しているという誤った考えがある。ベンジャミン・クレームの師である覚者は大計画の展開について概説しながらその中での人類の役割を最終的に再確認している

大計画は進む
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 ハイアラキーは最大の関心をもって、いま世界に展開している出来事を見守っている。これらの出来事はあまりにも多く、あまりにも多様なので、熟練した目と理解ある心(マインド)のみが、それらの関連性を、したがってその底に横たわる論理と必然性を見抜くことができる。そのようなより広い視野なしには、人類は、良くて途方に暮れており、悪くて恐れ、狼狽している。すべてが繁栄と平和に向けて良好に進むように見えたのだが、現在の見通しは荒涼としている――経済的な困難と増大する民族抗争が、長年続く飢餓と不公正にさらに苦痛の日当とも言えるものを加える。一体何が間違ったのかと、多くの者が問う。信仰と勇気がこれらの出来事によって揺さぶられる。約束されたような新しい時代はいつ始まるのだろうか。

 この転換の時期は必然的に困難な時である。われわれが目撃しているものはすべて偉大なるエネルギーとフォース(力)の影響の結果であり、それが人類に働きかけており、様々な反応を呼び起こす。残念ながら、人類の反応は一様に均質なものではなく、個人および国家の、分離した個々の関心や野心や欲望によって条件づけられる。その結果として、国家主義的な運動や民族的な要求が過度に前面に出てきている。

 わたしたちの観点から見ると、これらの要求は、いま世界に蔓延している自由への欲望を生じさせるエネルギーに対する正当な、しかし歪んだ反応である――それが抑圧的な政権を倒す行為として表現されたときには喝采され、同胞殺しや残虐行為や戦争として表現されたときには、当然ながら非難される。

 この惑星の「内界の政府」としてのハイアラキーが、大小すべての出来事をコントロールするという考え方が存在する。これはまさに誤りである。人間の自由意志を侵すことなしに、それはあり得ない。ハイアラキーの任務は、神の大計画を「我らが人類と呼ぶ中心」を通して実施することである。このことは、人間の神聖なる自由意志を絶えず尊重しながらなされなければならない。かくして、大計画が進んでいく過程の中における一日一日、一年一年ごとの成り行きに完璧さを求めてはならない。長期の目標は保証されている。それについては疑う余地はない。人間のみが大計画の進行していく道が突飛なものになるかどうかを決めるのである。

 間もなく、今日世界を牛耳っている緊張に緩和が見られるだろう。様々な出来事が危機状態に近づいており、これらのまったく異なる諸勢力を解決するだろう、そして人々がより健全な見解に耳を傾けることが可能になるだろう。経済的な必要性が、最も富める国にさえ、より世界的な視点で考え、集団の必要により多く沿った線で考えることを強いている。

 間もなく、貪欲によってつくられた窮境が経済理論とその実施についての再考を強いるだろう。そしてより公正な世界への道を開くだろう。その日は“すぐ近くにある”のではないが、それほど遠い先のことではない。大計画はうまく進んでいないのではないかと恐れることはない。大計画は確実に進んでいる。