編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

ストリートライフ

編集長殿
2002年のいつ頃かに、私が予約先に向かっていた時、歩道で足を組んで座り、頭にスカーフを巻いた女性を見ました。彼女はボール紙を1枚持っていて、それにはお金をいただけたら食事ができますと書かれていました。彼女の頭がうつむいていたので、物乞いを恥じているのだと感じました。この若い女の子に心を打たれ、戻る時にお金を渡すことを考えて、そうしました。彼女の頭はさらに下向きになっていて、抱えていたコップに小銭が数枚ありました。私は「幸運を」と言いながら小銭を入れました。彼女が頭を持ち上げて、私たちはお互いを見ることになり、彼女の瞳が輝いていたので、私は喜びでいっぱいになりました。これは1日中続きました。この若い女性は誰でしたか。
ニコール・マサールフランス
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い女性』がマイトレーヤであったことを確認した】

内なる美
編集長殿
2001年12月19日に、私は『生まれ変わり』ました。その日、リモージュにある私の美容院で、何かが私の中に目覚めたのです。12月21日にミス・パイヴァが美顔術のためにやって来ました。最初の電話をかけてきて彼女が値段を尋ねた時から、すでに何か違っていました。少し値段交渉をした後で、ミス・パイヴァがその日の午後6時に予約を決めました。電話では彼女はアフリカ系の声のように思えました。彼女を待っていた間、どんな外見だろうかと思っていました。彼女は白人でしたが、顔立ちは外国風でした。私たちはそのことについて話をしました。私は彼女が世界市民のようだと言いました。彼女は笑っていました。彼女は私を違ったように見ていて、単なるネイリストではなく、もっと能力があると言ってくれました。
私たちは彼女の洞察力の広さと適応能力について話をしました。私が彼女には悩みの種がないように見えると伝えました。ほとんどの私の顧客たちには悩みがあるように思います。施術は2時間半続きました。彼女は、もっと早くに帰るはずなのを心配している両親に電話しました。
私の母は、マイトレーヤが私を通して、ミス・パイヴァに御自身を示されたと思っています。もしこれがそうした事例なら、訪問の目的は何だったのだろうと思うのです。どのような理解の助けも感謝いたします。

ジョエル・シャンボン
フランス
【ベンジャミン・クレームの師は、そうではなく、『ミス・パイヴァという女性』が実際にはマイトレーヤであったことを確認した】

消えたヒッチハイカー

編集長殿
1975年の春に私は家(アパート1階の私の部屋)にいて、2、3カ月だった私の赤ん坊をお風呂に入れていた時、ドアのベルが鳴りました。赤ん坊をバスタオルにくるんで、誰が来たか見に行くと、若い男性が立っていて、何か食べる物を求めてきました。
少し驚きましたが、彼に部屋に入るように言って、息子に服を着せる間待ってもらってから、彼に息子を渡して(!)食べ物を用意できるようにしました。私たちは少し(宗教について)話をして、それから彼は、私が用意した旅のための包み(いくつかの食べ物といくらかのお金)と、『すべてを許し給うキリスト』の絵も持って出ていきました。
去っていく前に、彼からどこでヒッチハイクしたらよいのか尋ねられました。私は彼に(右側の数メートル先の)場所を教えて、ドアを閉めました。ドアの脇の窓から外をのぞいて驚いたのは、誰もいなかったことです。正面にも、右側にも左側にもいませんでした。しばらくヒッチハイクのためと示した辺りを見ていましたが、誰もいなかったのです。
後になって考えてみて驚いたのは、まったく見知らぬ人間を家に招き入れて、赤ん坊を世話してもらったほど、よくも信頼できたということでした。この出来事が心に残ったのは言うまでもありません。
その後すぐに、天使について本を読んでいた時に、以下の文章がありました。「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました」(ヘブライ人への手紙第13章2節)。これは私にとってぴったりの説明でした。他には見当たりませんでした。
最近になって、この話を他の人に話したところ、彼女がそれはマイトレーヤ以外にないと言いました。その後すぐに、私の友人がちょうどシェア・インターナショナル誌を見つけて、彼女も同じことを言いました。私はどう考えたらよいでしょうか。このことを明確にしていただけますか。それにもかかわらず、この人物が誰であれ、彼が来てくれたことが、私はとてもうれしいのです!
アニタ・カシモン
フランス
【ベンジャミン・クレームの師は、その若い男性がイエス覚者であったことを確認した】

幸福な読者

編集長殿
格別な最初の2018年シェア・インターナショナル誌に感謝します。まさにこの困難な時期に私たちに必要なものです。私たちのグループのメンバーたちによる多大な貢献と、それに加えて非常に興味深い記事を見るのは、素晴らしいことです。
もう一度ありがとう。これはライフライン(命綱)です!
心からのお祝いを込めて。
ジャネット・エドワーズ
英国、ソーリハル

 

読者質問

Q 仏教はあなたの情報の中で役割を持ちますか。(2011年11月のロンドンにおける講演より)
A 世界教師マイトレーヤという名前は、仏教に由来します。マイトレーヤとは5番目の仏陀、来るべき仏陀の名前であり、世界中で何百万もの仏教徒に待望されています。信者は彼の到来を待ち望み、来るべき仏陀であるマイトレーヤ仏陀を歓迎するために巨大な彫像を建設しています。もしあなたが日本人の仏教徒に、5番目の仏陀の到来を期待していますかと尋ねると、その答えは絶対に然り、マイトレーヤ仏陀が待望される者だというものでしょう。ちょうどクリスチャンに対してキリストの帰還を期待していますかと尋ねると、ほとんどのクリスチャンは再臨を待ち望んでいると答えるでしょう。なぜでしょうか。なぜなら、彼は戻ると言われたからです。

Q 様々な宗教が、偉大な教師の帰還を促進することに積極的にならないのはなぜだと思いますか。
A クリスチャンに対してキリストの帰還を期待していますかと尋ねると、ほとんどのクリスチャンは再臨を待ち望んでいると答えるでしょう。キリストがイエスとして現れたとき、彼はこう言いました。「眠ってはいけない。なぜなら私はあなた方が思わぬ時に来るからである」。信者はそれを読んで、本を閉じ、キリストは戻って来られるが彼らには関係のないことだと感じます。通常の信者はそうであり、教会の司教や聖職者にとってもそうです。彼らがキリストを待っているのは抽象的な出来事としてです。彼らが生きている間には起こらないと思っています。私は教会で人々がこう言うのを聞いたことがあります。「はい、私はキリストの再臨を信じますが、私の生きている間ではありません。今ではなく、いつか将来のことです」同じように、日本の仏教徒もマイトレーヤ仏陀が今から何千年も後にやって来ると思っています。間もなくではありません。なぜでしょうか。なぜマイトレーヤは遠い将来まで待たなくてはならないのでしょうか、戦争やあらゆる紛争が起こっている間に。なぜ可能な最も早い時期に来ないで待っているというのでしょうか。彼らがその時を知っているというこうした独断的仮説をつくり上げることができるけれども本当の時は知らないということが、私にはいつも不思議に思われます。遠い曖昧な将来というのは、ほとんどの人々にとっては満足できません。私の情報はもっと満足のいくものです!

Q マイトレーヤは20億人の人々を持っていると聞きました。このことの意味は何ですか。
A マイトレーヤには彼に反応する用意のある20億人近い人々がいます。そしてそれ以上の人々が彼のアイディアに反応して、自由、正義、正しい人間関係、世界資源の分かち合いを政府に求めるでしょう。すでに多くの人々が彼らの要求を、通常は政治的レベルで知らせています。政府は国民の要求のために地に落ちています。不正選挙が明るみに出て、人々の要求のために変化が起こっています。一つの声として語る人類の能力はますます高まるでしょう。人類の要求は世界を変える要素の鍵となるでしょう。これまでデモに参加しようなどと思わなかった人々がその衝動を感じるでしょう。大きなデモが起こる場所ならどこでも、マイトレーヤは参加されています──ニューヨーク、ロンドン、ワシントンなど。マイトレーヤはこれらのデモのエネルギーを強力にし、要求を一つの大きなものに単純化して、正義、自由、分かち合いを求めるようにしています。このようにして新しい世界が人類自身によって築かれるでしょう。彼はこのようにして世界の世論を築くでしょう。アメリカ政府が地球を植民地化しようとする野望を終わらせるのはこの力でしょう。テロと不正義を終わらせるのはこれです。人類は一つであり、一つにまとまって声を上げればどんなことでも可能であるということを、模範によって人類に示すのはこれです。それは世界で最も強力な力です。ですからデモをする用意をしなさい。実践あるのみです! それを好むようにするのです。それ以外のことも少しはできる時がやってきます!

Q イタリアと日本は同じ光線構造を持ちますが、二つは異なった国です。これをどう理解すればよいでしょうか。
A はい、どちらの国も第六光線の魂と第四光線のパーソナリティーを持ちます。一見して、彼らは非常に異なって見えます。しかし彼らは表面的な見かけよりは異なっていないと思います。どちらの国も、魂の観点から見れば、深く理想主義的であり、献身的であり、宗教的です。その理想主義的な献身は宗教の形式を取ります──イタリアにおいては主にカトリック主義への固執であり、日本人は主に仏教徒で他に一つか二つの宗教があります。どちらの国も偉大な美的感覚を持ち、それは魂から来るもので、それ以上に第四光線のパーソナリティーから来ています。美への愛と美を生み出す能力です。イタリア人はおそらくヨーロッパ文明の最も偉大な絵画を生み出しました。ビザンチンの伝統が初期ルネッサンスにおいて17世紀までに開花し、レオナルドやヴェロネーゼやティツィアーノらの巨人を生みました。イタリアのどこに行っても芸術を見ることができます。どんな小さな町にも教会に行けば素晴らしい絵があります。どの時代の建築物も驚異的な均衡を持っています。ただのトウモロコシ小屋でさえそうです。イタリアの芸術は全体として途方もない色彩感覚を持ちます。同じことが日本にも言えます。そこでは美と色彩を表現する強力な必要性があります。たとえそれが贈り物の包装であっても、包装そのものが美しくなければなりません。過去に、どちらの国においても美の必要性は非常に深いものでした。商業主義のためにそれはより表面的になっていると思います。今日では、内在的な美よりも提示に関係しています。どちらの国も美しい衣装、あるいは新しい流行の衣装を好みます。ファッションへの関心がイタリア人の人生を支配しており、おそらく日本人もそうだと思います。彼らは生活様式としての芸術の観念を非常に真剣にとらえています。どちらの国でも至るところに美が見られます。どちらの国も魂の光線は明らかです。日本では、国の善のためにすすんで自己犠牲を行うことに現れています。日本のパーソナリティーは第七光線でしたが、それは今でも非常に強力です。日本では儀式への大きな愛があり、それは第七光線の影響に関係しています。

 

2018年3月号目次

 

-覚者より
和合へ向けた変化
ベンジャミン・クレーム筆記

視点
地球との関係をいかに回復するか
デビッド・コーテン

「無為」を体験する
フィリス・パワー

S.O.P. (Save Our Planet)-われわれの感星を救え!
「真に大きな取引」:ニューヨーク市は石油会社に責任を課す

海洋へのプラスチックの大量投棄を防止する世界的キャンペーン
バハ・カマル
海洋が気候変動やその影署を防ぐのに役立つ五つの方法

民衆の声
世界の女性大行進2018年:何百万もの人々が街路に繰り出す

時代の徴
世界中の光の現象
スリランカのイエス画に流れる水滴

植物はコミュニケーションを行い、助け合う
サビナ・クレシ

崩壊寸前にあるガザ地区の健康医療部門
サランガ・ヤクビチヤーゲ

フランシスコ教皇とベンジャミン・クレームの意見が一致する

新しいリズム-選集
The new rhytem-a compilatlon

編集長への手紙
何と脅威に満ちた世界! 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

 

 

和合へ向けた変化

 人間がやがて彼らの現在の状況をつぶさに考察するとき、人類にとってすべてが良いものではないことを認めるに違いない。政治、経済、社会、環境は問題に満ちており、すべての国家の資源を極限にまで試す。現在、経済的に支配的なように見える国家でさえも問題を抱えており、彼らの富が暗に意味する気楽さを阻む。諸国家に、ある程度の均衡と福利を達成するのを阻ませるものは何か? なぜ、古い、富める、経験豊かな国々でさえ突然、混乱と闘争におちいるのか? なぜ、非常に多くに痛みや苦闘があるのか? 何が、より大きな和合の感覚と表現を阻むのか?
 これらの疑問に対する答えは多く、多様であるが、一つの包括的な要素は、それらの答えが求められているこの時代であり、地球の歴史における今のこの時である。
 この時代は、世界の歴史の中で例のない時である。起こっている変化は途方もないものであり、人間の理解を超えるものであり、われわれが今知っている生活を全くそして永久に変えるだろう。
 これらの変化はすべての界において、あるものはゆっくりと、地殻の構造の中にすら起こっている。またある変化はますます勢いをつけて起こっており、それに正しく反応するための人間の能力に戦いを挑む。
 このような状況において、役に立たないものは、地位と権力のグラマーの中にどっぷりと浸かっている後ろ向きの政治家の陳腐なアイディアである。今日、リーダーたちの先を行くのは民衆であり、彼らの理解と必要を大きな声に出している。次から次へと続く諸国家において、民衆の声はより焦点が絞られて明確になっている。何千万の人々が今や教育があり、彼らの必要──平和、仕事、将来への希望──について確信を持つ。ますます大きくなる和合への感覚もまた彼らの期待と要求を告げ始めている。彼らは自分たちが世界の中で孤立していないことを、至るところに同じ問題と必要を抱える多くの兄弟姉妹たちがいることを知っている。
 このようにして、マイトレーヤの臨在と教えに気づかなくても、彼らはマイトレーヤのエネルギーと影響に反応しつつあり、将来の枠組みを築きつつある。
2011年8月 14日(2011年9月号)

新しいリズム――選集

The new rhythm ── a compilation

「新しいリズム」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻と第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

現在、世界中、至るところに、わたしがここに居ることを感じている者たちがたくさん存在する。様々な出来事を研究した上でその結論を出す者たち、また日毎に勢いを増している変化を見て、世界に顕あらわされている徴しるしを読み取る者たちが大勢いる。しかし、まだまだ多くの者たちは、わたしがあなた方の中に存在するこの現実に対して盲目である。この状態を改めることをあなた方にお願いする。あなたの兄弟たちに教えてあげなさい──わたしの到来についての真理を、ずっと昔にわたしが去ったことについての真理を、そしてわたしが今、もたらす約束を。
(『いのちの水を運ぶ者』第56信、p.163~164)

「漆黒の闇は黎明れいめいを告げる徴しるしである」という古くからの格言がある。今日、人間にとってそのごとくである。大混乱と恐怖、当惑と苦悩の直中ただなかに、決意と紛争の終結が、人間を未来の約束へと目覚めさせる光の輝きが見える。すべてが法のもとに働き、そして新しい平衡の状態がわたしたちによって創られつつある。外観にもかかわらず、新しいリズムがその威力を示し、この不協和の世界に均衡をもたらすだろう。
(『覚者は語る』―マイトレーヤは出現を早める―p.587)

この善意と呼ばれるエネルギーは、世界の状態を変えるのに最も強力な要素の一つです。人類が普通に現すことのできる愛と呼ぶエネルギーのうちの最高の姿なのです。神の第一の相、すなわち意志によって、善をなす意志によって、それが動的になると、途方もないダイナミックなエネルギーになり、世界を変えるのです。至るところに住む一般の男女の善意が世界を変える、彼らが、その指導者たちを新しい時代に導いていくのです。自分を世界の善意のダイナミックな一構成単位だと見るとよい。他の人々と共に働きなさい。グループに加わり、このような線に沿って活躍している人々と共にやりなさい。新しい世界は人間自身によってつくられねばならない。世界をつくり変える仕事に参加しなさい。
(『世界教師マイトレーヤと覚者方かくしゃがたの降臨こうりん』p.150)

あなたがたがわたしを見るまでの時間は残り少ない。この残り少ない時間を最も有効に使い、あなたの兄弟たちにわたしの臨在の事実を告げなさい。あなたがたが出来ることで、これよりも貴重な役割はないのである。希望は高まる、我が友よ。希望はあなたがたの直中にある。世界に新しい光が明ける、そして人類は喜びを知るであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第112信、p.330~331)

コミュニケーションが、人間に、速められた進化に必要な手段を提供し、至るところに動乱と変容の徴しるしがある。未来の青写真は降くだりつつあり、人類種族の敏感なマインド(識心)はこの新しいビジョンに反応している。世界の歴史の中で、今存在するような機会が人類に提供された時はかつてなかった。過去の混乱から秩序がつくられる。無知の暗闇の中に新しい光が輝く。初めて人間は同胞と共に神の法の規則(ルール)を確立し、本源との正しい関係に入る。
(『覚者は語る』―未来―p.119)

わたしがあなたがたの中に存在するゆえに、多くの変化が起きている。多くの出来事が展開する。注意深く見なさい、我が友よ、そして徴候を読み取りなさい。わたしの天使群は拡大する。わたしの軍隊は力を増す。わたしの勇者たちは準備が整い、わたしの将軍たちは馬の手綱たづなを取る。このようにして、我が兄弟姉妹たちよ、準備万端が整う。わたしの計画は遂行されつつある。わたしの愛は、人の心に新しい相の火をともし、新しい光の曙が訪れる。わたしの約束はこれである──もうすぐあなたがた自身で、変化する世界を、あなたがたの目の前で変わる世界を見るであろう。古きものは新しいものに道を開ける、そして人は真理の門口に立つ。
(『いのちの水を運ぶ者』第117信、p.343~344)

[マイトレーヤは]至るところにいる人間の正義への願いを活気づけ、彼らの意志を集中させるだろう。このようにして、マイトレーヤは、より良い形態の確立を求めるすべての者を団結させ、それを通して人間の神性が表されるだろう。そしてその民衆の中から、これまで地上で聞かれたことのないような叫びが湧き上がるだろう──正義と真理、自由と平和を求める叫びである。……あなた方の生活に入りつつあるこの新しいリズムを感じることができないか。人間を行動へと活気づける新しい衝動を、誰が無視できようか。すべてがつくり直されるだろう。そして間もなく暗闇は照らし出す光に道を譲るだろう。
(『覚者は語る』―未来は招く―p.57)

わたしの臨在を疑う者は多い。これは当然である、人間は盲目であるから。しかし、まもなく否定する者はいなくなるであろう。わたしの努力によって、人はまもなく知るであろう、車輪は回り、新しい時、新しい世界が始まるのだということを。この仕事を、あなたがたも分かち合ってほしい。あなたがたすべてに祝福を与える。
(『いのちの水を運ぶ者』第9信、p.44)

もちろん、すべての時代の終わりにはいつも良いものがあります。その時代の業績、何百万の人間の志向、分かち合う用意、救助機関、国際連合や、舞台の背後にあって人と人とを結び付け国際主義と協力の感覚を提供する種々の国際的団体のような組織は維持され、大きくなるでしょう。それらは新しい状況の中でのみ成長することができます。しかし、邪魔をする者たち、競争と市場のフォースと貪欲に基づいた狭い国家主義的な機構は「新しいものの猛襲」の前に、新しい時代のアイディアに対抗するのは不可能なことを知るでしょう。
(『マイトレーヤの使命第Ⅲ巻』p.296)

今、加速的テンポで起こっている変化の中に、何らかの力(フォース)が世界の運命を導いているという証がますます増大している。いま大規模に目撃されている歴史的な変容、自由と参加を求める志向の怒濤どとうのような盛り上がりが単なる偶然の一致であり、内的な原因はないと信じることができる者はほとんどいない。これらの重大な変化の速度だけを見ても、そうではないと否定する者はいないだろう。それは、何百万の民衆が自分たちの運命の日が来たことを認識し、権力は国民にあり、これからは国民の利益のために行使されなければならないという認識を増しつつあることを指し示している。
(『覚者は語る』─運命の日─p.257)

世界における本当の変化は、意識の本当の転換は、政治経済前線で行われている。政治的、経済的変化を通してこそ、すべての人間に内在する霊性の反映を可能ならしめる制度が再建されるだろう。精神生活の道はすべての人間が歩むことのできる広く多様なものであることを、マイトレーヤが示されるだろう。人間生活のあらゆる努力のなかに、あらゆる分野のなかに、神についての認識と知識が感じられ、表現されるだろう。すべての者が一瞬一瞬のこの体験についての彼らの認識を、分かち合われた体験の結果として生み出される多彩な模様の中に、貢献することができる。
(『マイトレーヤの使命第Ⅰ巻』p.121)

人間が初めて、大衆的な規模で、人間本来の霊的特性を表現するようになる時代が始まろうとしています。全世界で数えきれない多くの人々が人生の真の目的に目覚めるでしょう。人生に対するより深い、より健全な真理に基づいた姿勢が生まれるでしょう。そして人々は自分たちが魂であることを、魂が肉体を持って転生している存在であることを悟り始めます。魂が肉体に転生している目的を知り始めます。ますます多くの人々が自分たちの霊的進化に意識的に参加していくようになります。そしてこれまで一度も見られたことのないような自由と正義を確立していきます。自由と正義が、したがって平和が確立されることによって、人間の真の霊的本質が発揮されます。単に宗教的な体験のみならず、生活のあらゆる分野で、この霊的意識がますます表現されるようになるでしょう。政治、経済、教育、芸術、科学のすべての分野で、人間の内的な認識が、霊的なものとのアイデンティティー(同一認)が表現されていくでしょう。それによって人間が自分たちの環境に対して無限の力を発揮することができるような科学が発見されるでしょう。人類が新しい周期に入るにつれて、これらのすべてが私たちを待っています。
(『マイトレーヤの使命第Ⅲ巻』p.16)

あなたがたは、いつになったら加勢するのか、我が友よ、兄弟姉妹よ、いかに小さくとも、いかに弱くとも、一人一人が重きをなすのである。わたしがここに居ることを海外に広めなさい、そしてあなたの働きにわたしの愛の力を加えなさい。あなたがたを通して、わたしを働かせてほしい。あなたがたによって創られる希望の池がこの世を高揚し、支えるであろう。共に働こうではないか、我が友よ、共に古きを新しき衣装に創り直そうではないか。
(『いのちの水を運ぶ者』第122信、p.358~359)

歴史は、進化がゆっくりと進むことを明かしている。しかしながら、この来るべき新時代に、人間はこれまで最も傑出した先祖たちによって成し遂げられた進化の速度を、はるかに超えるだろう。社会生活と組織の中に起こる深遠な変化が、これまで汲み上げられたことのなかったエネルギーを放出させるだろう。そして世界に変容の旋風を解き放つだろう。……創造的変化が来るべき未来の時の基調であり、より良い方向へのあらゆる可能性をそれ自体に集めるだろう。創造的変化が生命の基礎であり、周期の起源であることを人間は発見するだろう。宇宙の流れと調和して、人間は時間が存在しなくなる文明を建設するだろう。そこでは「同じ日が二度と繰り返されることなく」、人生の技と霊として存在する技が手に手をとって歩く。
(『覚者は語る』─来るべき時─p.185)

マイトレーヤは非常に明確に言われました。「何事もひとりでに起こらないのである。人間は行動し、自分の意志を実行しなければならない」(第31信)。グル(師)の足下にただ座って、グルが、教師が、神がすべてをしてくださると考えるのではいけません。神は代理人を通してのみ働くことができます。あなたが神の代理人とならねばなりません。あなたがそうするとき、何か非常に特別なことが起こります。あなたは、自分がそれと同じように感じる人々の、調和について、正義について、正しい関係について同じ理想を持つ人々の、世界中の大きな集団の一員であることを発見します。十分に大勢の人々がそう感じ、そして行動するとき、物事は変化します。
(『マイトレーヤの使命第Ⅱ巻』p.192~193)

国民の声はすでに耳を傾けられ始め、この代表政治の形態がイデオロギーを通して大衆をコントロールするやり方に取って代わるだろう。すべてが非常に急速に動いているので事態は政治家の手に負えない。新しい政治の時代が始まった。認識が人々を自らの基本的人権に目覚めさせ、自由とそして自らに対する、またお互いに対する責任に目覚めさせている。
(マイトレーヤの側近、『マイトレーヤの使命第Ⅱ巻』p.120)

しかしながら、民衆は目覚めつつある。異なったドラム(太鼓)が新しいリズムを打っており、人々は応える。ほとんどすべての国において、人々は新しい光を、活気づかせる思考を、希望の高まりを感知しつつある。自由と正義と平和がよりいっそう近くに、より現実的に、かつてないほどより達成可能に感じられるようになり始めている。世界的なコミュニケーションの手段が人々に自分たちをひとつの人類として見る新しい感覚を与えつつある。この新しい認識は完全でも完璧でもないことは確かだが、しかしわたしたちは、その方向への新しい、そして望ましい傾向の始まりをはっきりと見る。これはまさにわたしたちのハートを喜ばせ、新しい時代のエネルギーへの正しい反応の前兆である。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─民衆は目覚める─p.128)

マイトレーヤの到来は世界の変化を意味します。この惑星、生態系の必要についての理解の変化、すべての人々が十分に養われるような経済システムの変化、あらゆる場所の人々の間の関係の変化です。人類は一つであるということを真に理解することが、この深遠な変容の絶対的な必要性を示すでしょう。それは新しい世界をつくることです。
(『人類の目覚め』p.137~138)

多くの者が変化の必要を受け入れ、分かち合いと正義が人間の進歩にとって基本であることを受け入れている。この認識そのものが、あなたがたの世界を変えるであろう。しかし、人間が神であることを忘れ、すべての人の裡に聖なる存在が宿ることを忘れ、そしてこの真理を否定する者が、大勢いる。このことに関して、あなたはどこに位置するかを公に表明し、あなたの光を世に示しなさい。わたしは、真理の光が裡に明るく輝いている者たち、すべてを必要とする。わたしはあなたがたを召集する。あなたがたをわたしの側かたわらに招き寄せる。わたしと共に来なさい、我が友よ、そして未来への光の道を炎のごとく輝かそう。
(『いのちの水を運ぶ者』第115信、p.338)

 

編集長への手紙

手紙説明
シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

何と驚異に満ちた世界!

次の3通は同じ人物からのものです。

編集長殿
(1)2017年12月の初めに、私はアムステルダム中心部の古い建物の中での、ある講座を受講していて、休憩の時にコーヒーを入れる手伝いをするために階下へ向かいました。あらゆる種類の講座に参加していた人たちでいっぱいでしたが、廊下には犬を連れた女性が一人いる以外は、ほとんど人影がありませんでした。長く急なひと続きの階段を下り始めた時、ヒールが何かに引っかかったに違いありませんでした。転び始めた勢いのせいで、手すりから手が放れてしまいました。すると、高い飛び込み台から飛び込むような形で、頭を下にして放り出されるように落ちたのです。落ちていきながら、「助かるためにどうしたら良いのか?」というようなことがたくさん頭をよぎりました。車椅子になってしまうことすら思い浮かび、それに長くお世話になりたくはないと即座に心に決めました。その後空白がありましたが、目を開けてみると、階段の最後の段から少し離れた石の床に横たわっていて、まるで『回復体位』でそこに寝かされたように、横向きで膝を曲げて、手は頭の下にありました。私のハンドバッグは壁の近くに置かれていました。私が階段を見上げていると、「やろうと計画していることを終えるための時間は、あとどのくらい残っているのか?」という思いが心に浮かんだのです。駈ける馬のように心臓がどきどきし、私を取り巻く愛を感じて、涙をこらえられませんでした。一人の男性が私に近づいてきて、彼は小さな『ドンという音』を聞きつけてきたのです。「ボーッとしていたんですね?」と言って、さらに「救助されたに違いありませんね、そうでなかったらここにいるわけがありませんよ」と言われました。ショックから立ち直ると、私の自転車は鍵をかけて置いていくことにして、家に帰りました。アムステル川にかかる『スキニー・ブリッジ』(古くからある有名なアムステルダムの名所)に差し掛かった時、たった今体験したことすべてを深く考えながら、涙で曇った目で街を見つめました。その後数日間は身震いが続きました。ところで私には打ち身ができましたが、どこにも骨折はなかったのです。

(2)2017年12月の初めに、アムステルダムのインフォメーションセンターでの伝導瞑想を終えて、自転車で家に帰っていました。スリナム人のような風貌の、優しい感じの男性が自転車で近づいてきて、私の隣に来ました。私たちは自転車をこぎながら、友人同士のようなおしゃべりをしました。何度か彼が私の後ろになって、他のサイクリストたちが私たちを通り越していけるようにしていました。私が別の道へと曲がらなければならない地点に来た時、彼がしっかりと言い含めるように、「マダム、どうかくれぐれも用心してください」と言ったのです。彼はそのまま行ってしまいましたが、10メートルくらい離れた場所で振り返り、手を振ってくれました。

(3)2018年1月18日にオランダにハリケーンが上陸しました。外出しないようにメディアを通して人々に警報が出されていました。気象警報にもかかわらず、私はどうしてもスケッチブックを買いに行きたくなり、思い切って出かけることにしました。(アムステルダムの)ホテル・オークラがある道路に入ると、巨大な樫の老木が強風で曲がっているのが見えて、「どうか倒れないで!」と思いました。ホテルを通り過ぎていきながらも、吹き飛ばされないように壁にへばりついていなければなりませんでした。角に自動ドアのオフィスがあったので、嵐から避難するためにそこへ入りました。やはりそこへ逃げてきたばかりの男性が入って座るように言ってくれました。ちょうどその時、大きな衝突音が聞こえてきて、巨大な樫の木の一本がバリっと音を立てて倒れたのです──私はその下を歩いてきたところでした! ちょうど入って来た男性の車の上にぶつかり、彼はほんのちょっと前に駐車したばかりでした。嵐が少し収まった時、私はついに店に到着しましたが、まだ震えていて、欲しかったスケッチブックが売り切れだと分かっただけでした。
匿名希望オランダ、アムステルダム

次の2通は同じ人物からのものです。

見えないドア

編集長殿
ずっと昔に起きた二つの出来事について、マイトレーヤとイエス覚者に関係しているかもしれませんので、お伝えしたいと思います。
(1)2002年6月29日に私はボルドーにいて、商業街路にあるカフェのテラスに座っていました。静かに座って飲み物を少しずつ飲んでいた時、大変生き生きとした、45歳から55歳くらいでほっそりと背の高く、貧しい身なりの男性が近づいて来て、私の友人にタバコを巻くための紙を買うお金を求めてきました。驚いたことに、友人は断りました。彼が去ろうとした時、私が財布の奥に見つけた小銭を渡しました。彼は、私が恥ずかしくなるような熱意を込めて、何度もお礼を言ってくれました。そのようなふるまいは私たちには理解できませんでした。彼は去っていきました。おそらく30分ほど経ってから、彼がまるで魔法を使ったかのように、再び現れました。一つの世界から別の世界へと行き来できる、見えないドアを通り抜けて、テラスの前で彼が歩きながら現れたのを目撃したとしか、どうしても思えませんでした。何かが違っていました。彼の深いブルーの瞳が見えました。彼はもう一度私にお礼を言い、またもや気恥ずかしいほど敬意を込めてお礼を言ってくれたのです。彼は私に幾つか質問をして、それから去っていきました。

幸せの贈り物
(2)2002年9月のある金曜日に、家に帰るバスの中で、60代くらいの西インド諸島の女性が、彼女の夫と一緒に私の隣にやって来て腰を下ろしました。彼女はすぐに宗教についての会話を私と始めました。プロテスタントの転向者であり、信徒として、彼女は私がなぜ仏教支持者なのかを知りたいと言いました。彼女はしっかりとした信を持っており、それは様々な物の見方の中に、妥協をしないという形で表れているようでした。突然話し合いが楽しい雰囲気に変容して、私は彼らのそばにいると気分が良かったことを認めます。時々彼女が説明中に過激で熱のこもったようになると、私は笑い出し、彼女も笑いました。私は彼女に良い1日を祈って別れました。その後の週は、いつも金曜日に彼女が夫と共にバスに乗っていたのを、遠目に見かけました。翌週の金曜日、彼女はまた私の隣に座り、再び会話が始まりました。けれども何か違った感じでした。私は、彼女から発散される波動に、もっと敏感になっていたように思えました。私たちは再び話をし、その時には不思議なことに、霊的な物事と関連した私の関心について口に出すことはありませんでしたが、彼女が一人で話している中で、私の示した質問に的確に答えてくれたので、自然と私はとても満たされた気持ちになりました。私は計り知れない『贈り物』を受け取ったと確かに感じていました。
YDMフランス、パリ
【ベンジャミン・クレームの師は、最初の物乞いがマイトレーヤで、二番目の夫婦はマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】

 

読者質問

Q あなたは原因と結果の法則(カルマの法則)について話されますが、日々の中で私たちはどのようにカルマの法則の中で生きているのですか。

A これはすべての出来事を正確に健全に支配する重要で単純な法則です。すべての思考が私たちの人生に起こるすべてのものを生み出します。私たちは、それに意識的である限り、それに責任があります。ですから生活のあらゆる側面での無害の必要性が分かります。それが進化ということです。それは無害を達成することです。イエスが、彼を捕えに来た男の耳を剣で切り落とした信奉者について言った言葉の背後にはこのことがあります。イエスはこう言いました。「剣を収めなさい。剣だけで生きる者は剣で滅びる」。これは文字通り真実です。

Q 「(頬を打たれたら)他の頬も向けよ」と言うことでイエスが意味したことは何だと思われますか。

A イエスが「他の頬も向けよ」と言ったのはそのとおりを意味したのです! 彼は全くその意味で言ったのです。害なしに生きる唯一の方法は、もし害が与えられたら、(「目には目を」式に)害を返すのではなく、他の頬を向けよ、とイエスは言いました。そうすることであなたはいのちの法則に従うのです。誰がイエスにそう言ったのでしょう? 彼はどうやってそれを知ったのでしょう? 彼がそれほど大きな影響力のある発言をする力と権威を与えたのは誰でしょうか? 興味深いことに、それはマイトレーヤでした。

Q あなたは植物王国と他の王国との境にいる植物について言及しました。私にはその意味が全く分かりません。

A ご存じのとおり、それぞれの王国はその下の王国から出てきます。動物王国は植物王国から進化します。今、他の植物とは違う奇妙な植物が存在します。それらは通常のやり方では生長しません。それらは、自分で生命を維持し、昆虫を食べることで栄養を得ています。そのようなことは、あらゆる王国の境界で起こります。鉱物王国の境界にも、他の石や岩とは異なる石が存在します。
それらは死んだり静的な状態にはありません。放射しています。その放射が鉱物王国を次の王国、植物王国に移行させます。「放射」は植物王国によって使われる自己顕示の卓越した方法です。これによって花は、色と香りを放射します。これはすべて放射の実例です。動物を食べる植物は次の王国(動物王国)の到来の徴です。そして動物王国から人間王国が生まれます。私たちは動物ではありませんが、肉体は動物に負っています。何百万年もかけて動物段階から洗練されて動物人間に発展しました。その被造物が十分な洗練の段階に達したとき、半動物・半人間の地点に達したとき、マインドのエネルギーが人間にもたらされ、人間の進化がその時点から進行しました。その情報は覚者方によって与えられました。覚者方は様々な王国の進化の歴史を保管し、書いておられます。
その歴史は1,850万年前に始まりました。ですから人類は1,850万年の進化の旅路を経ており、肉体を洗練させて、ネアンデルタール人や原人まで発展しました。しかしそれと同時に、真の人間が世界の至るところに生きていました。私たちはその一部です。今では人間王国は進化し、進化の規模の上でさらに高い地点に達しており、純粋に人間進化の地点を超えて「超人」(覚者方)に達している人々もいます。ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を読んだことがあれば、人間の進化について、覚者方が通過し超人となった五つの惑星的イニシエーションについてのアイディアを得ることができるでしょう。彼らは神々となりました。マイトレーヤのメッセージを聞けば、彼は「あなた方は神々である」と言っていることに気づくでしょう。すべての人間は潜在的には神です。覚者方はそのレベルの神性を達成しています。

Q アメリカには死刑制度を持っている州があります。霊的ハイアラキーは死刑を正義の一部と考えているのですか。

A アメリカ人にとって正義とは司法制度のことです。それは復讐についてです。そのために何百人もの人が毎年死にます。それは人命に関わる犯罪を犯した人を政府が「殺した」のだといってよいでしょう。彼らは人々を殺したので、法律、つまり「正義」が、彼らを殺すことを要求し、それで何百人もが「合法的に」毎年アメリカで殺されています。それによって正義が行われるためにです。しかしそれは古いやり方です。ユダヤ教の神エホバは「目には目を、歯には歯を」と要求しました。彼らは正義をそのようなものと見たのです。それは過去のやり方です。イエスは神性の新しい見方をもたらしました。それはすべての見方であり、復讐を求めません。彼の神は赦しの神であり、新しい神、補充する神です。

Q 大祈願の2節に、伝導瞑想グループのメンバーが変えたいと思っているものがあります。「キリストよ、地上に戻られ給え」という一節について、私たちは異なった背景があるため、変えたいと思っています。例えば、「覚者マイトレーヤよ、戻られ給え」や「覚者マイトレーヤよ、地上に戻られ給え」などです。これについてどう思われますか。(大祈願に関する最近の質問に答えてこの質問を再掲します)

A これは重要なことです。多くのグループが大祈願を用いており、すべての伝導瞑想グループは世界中で用いています。これは、仏陀、キリスト、シャンバラのエネルギーをハイアラキーから喚起することを人類に許すために世界に与えられた祈り――またはマントラムまたは祈願文――です。私たちが理解して使用する言語としてハイアラキーによって与えられました。私の助言は、一つの言葉も変えられるべきではないということです。なぜならそれは発声するだけでハイアラキーからのエネルギーを喚起できるようなマントラム的形式で書かれているからです。それを変えると、マントラムの祈願的効果を減らすことになります。マイトレーヤがこのマントラムを用いない日は一日もありません。彼はこの形では用いません。地上で知られているいかなるものよりも古い、古代語による七つの聖なる神秘的フレーズを用います。ですから私の助言は、そのままにしておきなさいということです。それはハイアラキーによって創られたものであり、私たちがそれを改善することはできません。
「キリストよ、地上に戻られ給え」と言うとき、それはキリストのみを意味するのではありません。キリストであるマイトレーヤと共に世界に戻って来られた覚者方のハイアラキーについて言及しています。ハイアラキー全体ではありませんが、人類の進化に関わる約3分の2の覚者方です。

 

2018年2月号目次

 

-覚者より
勝利は保証されている
ベンジャミン・クレーム筆記

特集
神と来世
マクネア・エザードによるジェフリー・ロング博士へのインタビュー

特集
再生誕の法則-選集
The Law of Rebirths - a compilation
再生誕の法則
-覚者より ベンジャミン・クレーム筆記

特集
フランスの医学界が死後の世界という革新的な新しい概念を認める
ローズマリー・カロネゴ

時代の徴
保証

特集
再生誕の再検討
エリッサ・グラーフ
数字で見る再生誕
再生誕に関する先駆的な研究

意識の危機-そして私たちを見届けてくれる法則
ゲラード・アートセン

時間は存在しないかもしれない
科学の新しい光(続)
ウィリアム・アレン

編集長への手紙
グループの和合 他

読者質問欄
回答ベンジャミン・クレーム

 

 

勝利は保証されている

-覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記

「善」と「悪」の間の葛藤は、「光の勢力」による勝利であることが、ますます明らかになっている。人間のハートとマインドを勝ち得るために大昔から続けられてきた苦闘の中で、「善」の側が徐々に優勢を占めている。世界に存在する緊張と分裂を見るとき、これは驚くべき主張に思えるかもしれない。しかし実際にそうなのである。あなた方が世界とその出来事を、わたしたち人類の兄たちの視点から見ることができれば、途方もない変容を遂げつつある世界が見えるだろう。すべての側において古い体制が崩壊しつつある形跡がある。往古の憎悪が人々を分割し、無法がはびこる。しかし、至るところで新しい精神が人間の中に目覚め、あらゆる形態の生命に対する新しい責任感と新たな敬意が目覚めつつある徴が見られる。

この新しい美の顕現は無数にある。人類の前に開かれる未来のビジョンは多く、驚くべきものである。人間は未だ新しい始まりの門口に立っているにすぎない。しかし、見る目を持つ者には、すでに進歩の徴が見える。われわれはいま両極化を目撃しており、それが人類に選択を強いる。現在の生活の様式の中にある危険があまりにも恐るべきものであるゆえに、人間の霊性はこれに反抗し、新しいものを探求する。このようにして、人は神の意志を認識するようになる。すべての背後に「大計画」があり、神の「意志」を包合している。人間は、知ろうが知るまいが、今やその大計画を実施する用意ができている。新しいものを顕現するために、すべての分野において、人々はグループを形成している。愛と必要の精神に鼓舞されて、彼らはより簡素な、より健全な世界を心に描く。現在の不均衡と緊張の中から正義と融和が育たなければならないことを知る。自分達が聖なる存在であり、変化の奇跡を行うことができるのを知っている。彼らは時の危急を知覚し、奉仕のために己を捧げる。彼らはすべての地において「善」を代表する。神に到達する道はたくさんある。しかし、もっとも速く確実なのは奉仕の道である。これほど神の特性を十分に宿す道は他にない。この道の上にあなたの位置を占め、あなたの魂の指図を遂行しなさい。あなたの心(ハート)の命令に従い、世界の必要に目覚めなさい。奉仕の道に入り、大計画の中におけるあなたの位置を受け入れなさい。そして神への道にしっかりと足を踏みしめなさい。 すると、あなた方の兄であるわたしたちからの反応も速い。道の途上にあるあなた方を助けるこの機会をわたしたちは速やかにつかみ、刺激と奉仕の分野を進呈する。このようにして、あなた方はわたしたちに加わり、わたしたちの仕事を助ける。これをあなたの目的とし、世界の奉仕者の列に加わりなさい。わたしたちの側にあなたの位置を取り、光の勢力(フォース)と共に働きなさい。勝利は保証されている。しかしそれは戦い取らなければならない。混乱と緊張の直中にあっても、恐れることはない。現在の状況の中に恐怖のための場はない。むしろそれを、あなたの信に対する挑戦と見なしなさい。

(『覚者は語る 第一巻』p.84-5、1984年1月号)

 

神と来世

 

ジェフリー・ロング博士へのインタビュー
マクネア・エザード

ジェフリー・ロング博士はアメリカの熟練した内科医であり放射線腫瘍学者である。彼は「臨死体験研究所」の創立者であり、これは無料の公共サービス機関として、15年以上にわたり世界中の4,000人以上の人々から臨死体験を収集し調査してきた。人々は彼らの体験に関する詳細なオンライン調査を完成させることにより研究所の調査に参加する。ロング博士は2011年に出版されニューヨーク・タイムズのベストセラーとなった『臨死体験 9つの証拠』(ブックマン社、2014年)の中で彼の最初の調査結果を発表した。ロング博士の直近の調査結果は彼の著書『神と来世──神と臨死体験についての画期的な新証拠(God and the Afterlife: The Groundbreaking New Evidence for God and Near-Death Experience)』に収められている。マクネア・エザードがシェア・インターナショナル誌を代表して彼にインタビューを行った。
シェア・インターナショナル(以降SI):なぜ臨死体験に関心を持つようになったのですか。

ジェフリー・ロング:何十年も前、私は放射線腫瘍学者としての専門医学の研修訓練を受けていました。最も権威ある医学雑誌『アメリカ医学協会報告書』を読んでいたとき、「臨死体験(NDE)」という言葉をタイトルに含む癌に関係する記事を見つけました。それまでの医療訓練の中では、死んでいるか死んでいないかのどちらかだったので、臨死体験とは何のことだろうと思いました。私はその記事を読んで魅了されました。世界中に、死ぬときの環境がどのようなものであろうと、同じような体験をしている人々がいました。私は「ああ、なぜ人々はこの体験を調査しないのだろう?」と思ったのを覚えています。私は夢中になってもっと多くの本を読み始めました。調査のためのウェブサイト(nderf.org)を立ち上げ、それが出版につながりました。

SI:内科医として、最初はこれらの体験の真実性に懐疑的だったのではないですか。

ロング:まさにそうです。医師として、私は死にそうな人々を蘇生させることを目指してきました。無意識の昏睡状態にある人々が、このような生き生きとした認識を持ち、首尾一貫した体験をしているということが信じられませんでした。私がウェブサイトを立ち上げたのは、むしろ私自身のために、実際に臨死体験をした人々の情報を集めるためでした。

SI:調査を始める前に、あなたは来世を信じていましたか。

ロング:おぼろげには。それはむしろ願望でした。証拠に基づいて来世を信じていたのではありません。今は証拠があるのですべて変わりました。長年の検証と多くの議論を経ています。今では臨死体験により、来世が存在するという強力な証拠があります。それは私たちすべてにとって現実です。

臨死体験の共通要素

SI:あなたは臨死体験の12の共通要素について書いています。それは何ですか。

ロング:同じ臨死体験は二つとありませんが、私は4,000例以上研究してきました。しかし、多くの事例を研究すれば、常に観察され臨死体験中に起こりがちな同じパターンを見いだすことができます。命の危険を感じる出来事があり、無意識と臨床的な死があり、脈拍は停止します。そのとき意識が肉体から離れます。人の意識が肉体の上に行きます。
その優位な立場からすべての地上の出来事を見ることができます。他の人々が懸命に延命作業する様子さえ見えます。それからトンネルを潜り抜けます。トンネルの出口で、とても明るい神秘的な光にしばしば出会います。美しい風景の、地上ではない領域を見ます。
地上で愛していた人々に出会い、多くの交流があります。それまでの人生のすべてか一部を見ます。それは人生の見直しと呼ばれます。非常に肯定的な感情を持ちます。臨死体験について述べるのに最もよく使われる二つの言葉は「愛」と「平和」です。彼らは強烈にそれを感じます。しばしば、体験の終わりに、いわゆる境界、小川や地割れがあり、それを超えることができません。そのときに、しばしば他の人々と共に、この美しい地上ではない場所に留まるか、戻って地上の人生を続けるかを選択します。

SI:臨死体験に関する二番目の著書『神と来世』を出版したのはなぜですか。

ロング:調査の間、私は人々がしばしば神を体験し、神に気づくことに感心しました。彼ら自身が「神」という言葉を使います。その説明は注目すべきものでした。調査の質問にそれについて加えることは適切なことだと感じました。ウェブサイトの直近の調査の中で、「体験の最中に、神または至高の存在が存在するかどうかについて特別の情報または気づきがありましたか」という質問をしています。45.5%の人々が「はい」と答えました。分からないと答えたのは14.8%だけです。40%が「いいえ」と答えています。続いてコメント記入欄があります。「はい」と答えた人が本当にイエスと言っていることは明らかです。
臨死体験の前後での神への信仰について質問しています。高い割合の人々が「はい! 私は信仰を得ました。私は神が存在することを確かに信じます」と述べています。それは信念ではなく個人的体験に基づくものであることは疑いありません。それは人々の考えにおける最も顕著な変化の一つです。

「神はありのままの私たちを
完全に愛している」

SI:調査を始めたとき、特定の宗教の信仰を検証しようとされましたか。

ロング:いいえ。実際、私は調査する医師として事実を求めていただけです。研究の結果が何であろうと受け入れるつもりでした。4,000以上の臨死体験事例が集まりました。私が誤った結論を出したとすれば、同じ資料を読んで私の誤りを指摘する人はたくさんいるでしょう。しかし誰もそうした人はいません。大切なのは、宗教に関して、臨死体験の中で神に出会うとき、それは決して地上の特定の宗教を確証するものではないということです。神は私たちが神についてどう考えるかに関わりなく私たちを包みます。
神に出会った人々が臨死体験から持ち帰った第一のメッセージは、神はありのままの私たちを完全に愛しているということであり、宗教を信じるかどうかには関わりなく、性別や社会的地位やその他のことには関係がないということです。おそらくそれが神が臨死体験の中で私たちに与えていると思われる最大のメッセージです。

SI:人々は神をどのように描写しますか。

ロング:忘れてはならない第一のことは、神は物質的なものではないということです。臨死体験は、独立した地上の物質的な世界で起こるものではありません。それは非物質的な世界です。地上の人生で私たちが知っている多くの法則は当てはまりません。例えば、ほとんどすべての人が、地上で知っているような時間は存在しない、または根本的に違うと言います。神の外見は様々です。臨死体験の中では、神は望むどんな姿も選ぶことができます。最も一般的には、神は光として描写され、深く愛に満ちた光とされます。何らかのやり方で人間の姿を取ることもありますが、単に存在が感じられるだけのこともあります。体験者はそれが神であることを確実に知ります。視覚的または聴覚的に神であることを知る手掛かりがあります。

和合の体験

SI:慈悲や愛という点で神にはどんな特質がありますか。

ロング:彼らが神について述べる第一のやり方は、すべてを愛し全能であるということです。全能とは無限の力を意味します。人々は神について気づくようになり、しばしば神を巨大な創造力と述べます。神は力を持ちますが、恐れるべきものでなく、尊敬すべきものです。
神の別の側面は全知であり、無限の知識という言い方もできます。臨死体験者は、神は圧倒的に知っているということに気づきます。実際、神に会った人も会っていない人も、臨死体験中に「普遍的知識」と呼ばれるものに気づきます。それはすべてを知っているということであり、宇宙のすべての適材適所を知っているということです。しかし彼らは肉体に戻ったときにその知識を何も蓄えておくことはできません。ある人は言いました。「それは知識の大海を地上の頭脳であるティーカップに注ぐようなものだ」。もう一つの側面は遍在です。神は至るところに存在します。それは共通の認識に思われます。全員、この世の私たち皆、すべてと神の間に、神秘的で、非常に現実的なつながりがあります。「和合」という言葉が使われますが、それは驚くべきことです。確かに、私たちはそれについて地上での人生の間に気づいていませんが、人々は非常に共通してその認識について述べます。それは西洋の宗教的教えの中では古典的なものではありませんが、和合の認識は、臨死体験の間に人々が強く感じる二番目に共通のものです。

SI:それは人々に、戻って来たときに、他の人々との和合の感覚を与えるのですか。

ロング:そのとおりです。それは認識であり、実際には認識でさえなく、リアリティの一部を知ることです。地上での人生では、すべてとのつながりの無さや不和を感じることが多くあります。臨死体験者が強い和合の感覚を体験の後にすぐに失ってしまうのは理解できます。

SI:人生の見直しに関して、人々はしばしば彼らの人生で起こったことを見直すときに後悔や恥ずかしさを表現します。そこには神からの裁きの感覚はありますか、そしてその体験に赦しはどのように関わりますか。

ロング:赦しは臨死体験の中ではほとんど言葉になりません。その理由は簡単です。彼らが人生を見直すときに外的な裁きの感覚は事実上存在しないからです。私たちは全員誇りにできないことをしています。前の人生を見るとき、誰もが、愛がなく、他の人々を意図的にせよ無意識にせよ傷つけた時期を見ます。前の人生での行為に対する裁きや見解があるとすれば、それは彼ら自身の人生を見た臨死体験者からのみ来ます。神や他の存在が彼らの周りにいても、外から裁かれている感覚は決してありません。裁きがないので、赦しという概念もありません。

SI:本の中であなたは、多くの臨死体験者は人生の目的についての情報を受け取ると述べています。それについてお話いただけますか。

ロング:直近の調査において私はもう一つの質問をしています。「臨死体験の間に、地上での意味や目的についての何らかの情報を得ましたか」。魅力的な結果は、高い割合の人々が「はい」と答えていることです。彼らは実際にそのような情報に出会っています。私たちは質問の後にコメント欄を設けています。私たちの人生で重要なことについての最も共通した答えは愛です。自分自身への愛、他者への愛、地上への愛です。愛についての教訓や、愛について学ぶこと、愛の中で成長することは最も大きな目的の一つです。教師や医師になるなどの特定の天職についての情報を得る人はほとんどいません。人生の意味と目的は学ぶことだと言う人もいます。私たちは成長する必要があります。理解する必要があります。人々がこのような情報に出会ったときの重要なメッセージは、ニヒリズムや落胆、心配、不満、困難の多いこの地上において、地上の人生は極めて意義深く重要なものだと知ることは慰めになるということです。たとえ困難であろうと、地上の人生にはあらゆる意味で真の意義があるのです。

SI:そのメッセージは自殺を考えている人々にとってとても重要だと思います。

ロング:そうです。臨死体験者の中には、自殺を企てた人々がたくさんいます。興味深いことに彼らは決して自殺を企てません。臨死体験の間に、自殺は大きな誤りであることを理解することが普通です。自殺を企て、臨死体験をしなかった人々は、再び自殺を企てる強い傾向がありますが、臨死体験者はそうではありません。彼らは地上の人生について大切な教訓を学びます。それが彼らを自殺の企てから食い止める最も重要な要素です。

SI:再生誕(生まれ変わり)についての証拠はありましたか。

ロング:興味深いことに、私はそれについての調査を開始したところです。人生の見直しに加えて、臨死体験者の多くは、彼らの地上人生の以前の人生について述べています。それは時には多くの人生です。それは生き生きと述べられています。10人が「私は前世ではクレオパトラでした」と言っても信用できないでしょう。しかしそうではありません。彼らは地に足の着いた前世体験を、何十年か何百年か前について語ります。

SI:宗教的背景によって彼らの臨死体験は異なりますか、同じですか。

ロング:神の描写については驚くほど同じです。神の描写、神の体験の仕方については、宗教による違いは見いだせません。
宗教的信念は臨死体験では重要ではありません。それは驚くべきことです。インドのヒンドゥー教徒と、エジプトのイスラム教徒と、アメリカのキリスト教徒は、臨死体験においては同じです。違いがあるのは無神論者です。少数の人々は臨死体験中に彼らが無神論者であったと述べています。無神論の観点からは、神は存在しません。しかし、それらの無神論者も神に出会っています。ある無神論者は、臨死体験の後で無神論でなくなりました。

SI:あなたは研究することで死に対する態度が変わりましたか。

ロング:それは私をとても変えました。私はより慈悲深い医師になりました。私は命にかかわる病気を扱っています。癌はすべての人にとって恐ろしい言葉です。その病気に屈する人は多いです。私はこの病気に直面している患者やその家族に、より勇気を持って肯定的に関わることができるようになりました。地上の死を迎えた後は素晴らしい来世に行くことを知っているからです。

SI:あなたの著書の読者に何を期待しますか。

ロング:ここには深い希望のメッセージ、すべての人々に対する神の愛の重要性についての深遠なメッセージがあります。それは人類の関係についての考え方を本当に変化させます。私たちはそれを和合と呼びます。文字どおり何百人もの臨死体験者が、私たちは共にこの世にいて、とても重要なやり方でつながっているとこの本の中で語っています。その認識が育つにつれて、それが世界の変化へとつながり、より平和で愛に満ちた協力的な世界ができることを望んでいます。私たちはかつてないほど善を必要としています。人々は、神の深い愛が彼らの自己認識に影響を与えたと述べています。地上で何を行ったとしても、行わなかったとしても、彼らはまだ神の愛し子なのです。死んだ後も来世は続きます。この地上での人生は誰にとっても困難ですが、素晴らしい来世が待っています。死別した愛する人々と再会することができます。それが私たちの真の運命です。これはとても強力な希望と安心のメッセージです。

さらなる情報は:nderf.org

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。