編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
 その他の掲載された手紙は新しいものである。覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

笑顔の実践

 2003年1月頃、コロラド州ボールダーのスタジオでヨガのレッスンを受けていました。そのレッスンはアシュタンガ・マイソールスタイルで、部屋にいる人がそれぞれ自分のヨガを行っている間、インストラクターは見て回り、各生徒を一対一で指導します。その日のインストラクターの一人が私たちの『基本理念』になる人(スタジオのオーナー)だったので、部屋はとても混み合っていて、スティッキーマット(粘着マット)には実際に隙間がないくらいでした。私の隣で練習していた男性は、スタジオでそれまで見たことはありませんでした(その日以来見かけていません)。彼はかなりしつこくクスクス笑いを続けることで、何度も私の注意を引きました。ある時には目が合って、彼から「いつもこんなふうに混んでいる?」と尋ねられました。私は彼に、日曜日にはしばしばそうなるけれども、他の日はそれほど混んでいないと説明しました。彼は「ちょうど一人で練習するのに慣れてきたところだ」と返事をしました。その出来事が心に残ったのは、主にあの笑い方のせいでした。しかし、他の誰もその笑い方に気づいていないようでした。

エリザベス・レニンガー
米国、コロラド州ボールダー
【ベンジャミン・クレームの師は、その『笑っていた男性』がマイトレーヤの代弁者であったことを確認した】

ジングルベルの応援

 5カ月もの間、あらゆる収入源を脅かし、私をストレスにさらしてきた終わりなき行政問題に悩まされてきました。いくつもの行政機関が複数回にわたって、私の公文書を紛失していました。2023年12月8日、まさに物事が自然に解決していくだろうと思った時に、行政機関のある職員から手紙が届きました。それは、私の想像し得る何よりもひどいものだったのです。完全な無能力の結果でした。その上、私のマンションを所有する会社が暖房を切ってしまいました。
 システム全体が自動化されていて、チャットボット(自動会話プログラム)があるだけで、人はいませんでした。すべての行政機関は一般向けには閉まっていたので、どうしたらよいものかと思案しました。家でふさぎ込む代わりに、ノートを買いに出かけるだけの気力はありました。シャンゼリゼ通りに着くと、パリの土産物店の前に、伝統的な衣装を着たインド人かパキスタン人の男性を見かけました。彼は2016年7月号のシェア・インターナショナル誌に掲載された写真の[ベンジャミン・クレームの師からマイトレーヤであると確認された]人物に似ていました。彼は携帯電話を眺めていました。
 彼はターバンを巻き、チュニックを着ていました。私は彼を知っていると思いました。チュニックはターコイズ色で金をあしらっていましたが、私が驚いたのはその音でした。鐘の音に少し似ていました。ちょうどカーニバルの鐘のようでしたが、インド風の音でした。胸には40個ほどの戦争勲章があったはずで、それぞれが音を立てていたのです。予想外で、奇妙で、つかの間の出来事でした。全部で3秒くらいのことだったのです。彼に出会った後、私の中で何かが変わりました。彼はとても陽気で、それはまさに私が必要としていたものでした。マイトレーヤ、笑顔にしてくれる人!

匿名 フランス

慰めと保護

 2024年2月15日、とても風変わりな方法で気持ちを高揚させるメッセージに出会いました。その二日前にさかのぼって、説明を始めたいと思います。サイババとマイトレーヤ(1988年、ナイロビ)の写真を見つめながら、私は聖なる指導者たちに霊的な強さを求めていました。喉の感染症から少しずつ回復しているところでしたが、同時に内なるつながりが途絶えた感じもしていました。私には物質的なレベルを超えた『元気づけ』が必要だったと言えるでしょう。
 私は何年にもわたって、心の内で何度も、物質的な徴〔ルビ:しるし〕は本当に必要ではないとマイトレーヤに伝え続けてきましたが、そのような出来事に対して常に心を開いてはいます。そうした徴は、覚者方の公の出現という私たちの希望の情報を強化する助けとなり得るからです。その瞬間には、明白な性質のものを切実に期待することなく、微妙な形での徴を求めていたのだと思います。
 ちょうど仕事が終わったところでした。駐車場を通って自分の車に歩いて近づいていきながら、特製のナンバープレートホルダーを見つめました。そこには二つの文字列がありました。一つはプレートの上に、一つは下にあって、「平和には分かち合いが必要」「S.O.P.──われわれの惑星を救え!」と書かれていました。この文字はかなり小さくて目立たないものでしたが、ときどき職場では人目が気になり、どれだけの人が気づいただろうか、「分かち合い」という言葉についてどう思うだろうか、過激な社会主義と誤って解釈する人がいるだろうか、と思うことがあります。
 車のドアハンドルのところに来た時、運転席の窓に明るい色の付箋が付いているのに気づきました。即座にそれが聖書の一節だと分かって、伝統固執主義のキリスト教徒が他の車にも同じような付箋を貼ったのではないかと推測しました。けれども、駐車場を見回してみても、他の付箋は見当たりませんでした。それで、注意してメッセージ全部を読みました。普段なら、旧約聖書は私がインスピレーションを求めて最後に頼る所ですが、誰であったとしてもこれを置いた人は、どの言葉を書くのがふさわしいか、どのように提示したらよいかをまさしく知っていたのです。
 「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない」(申命記31章6節)
 知恵の覚者あるいは側近の一人が、この出来事の背後におられると証明することはできませんが、そのようにタイムリーで完璧に作り上げられた付箋をこのような形で『普通の』人が置いたと想像することは、ほとんど不可能なのです。これは実際に私たち皆へのメッセージです。愛の主が「あなたと共に歩まれる」のですから。

アンディ・モーガン
米国、テキサス州アーリントン

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けてきた。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したい。

罪悪感、恐怖心、無邪気

「世界の衆目の前での公正な開かれた裁判を通してのみ、人々の有罪・無罪は知られる。人々をこのような残虐な行為に追いやる条件に対する何らかの責任を受け入れることによってのみ、それは克服される。失うべきものを何も持たない人間は、他人や自分の生命に対して何の価値も置かないのである」

(ベンジャミン・クレームの師、「憎しみの潮流の向きを変えなさい」
シェア・インターナショナル誌2001年11月号)

Q:世界は今こそ前進して、第二次大戦の恐怖を忘れることなく、それを全面的に認めながらも、国際社会に対する罪悪感から自由になるべきではないでしょうか。世界は感情的な脅しに弱く、そのためにイスラエルの不正な要求に盲目になっているというのは正しいでしょうか。このことが、イスラエルとアラブ世界に対して世界が取っている明らかなダブル・スタンダード(二枚舌)の基礎になっているのではないでしょうか。アラブ世界はこの二枚舌に怒り、不満を持っています。これがテロリズムの基盤になっているのではないでしょうか。
A:はい、それがおおむね真実であることに同意します。

(シェア・インターナショナル誌2003年6月号)

Q:マイトレーヤの優先順位の中に「罪悪感と恐怖心の除去」というのがあります。あなたは過去に「恐怖心」についてはお話しくださいました。罪悪感の除去と克服について少しお話しいただけませんか。
A:罪悪感と恐怖心とは非常に関連を持っています。罪悪感は恐怖心の結果です。恐怖心を起こす根本的な状況もまた罪悪感を生みます。恐怖心は、罪を犯したということの恐怖です。それはキリスト教グループによる過去2,000年間の間違った教えの結果です。それが恐怖心と罪悪感を10億のキリスト教徒(の心)に植え付けたのです。転生してくるたびに、彼らは同じこと、──つまり、罪悪感を植え付ける恐怖心と、恐怖心を植え付ける罪悪感──そしてそのような教えが自己尊敬の念にもたらすひどい結果に出合うのです。それが、他の宗教的伝統の人々の心を満たしている無数の古来からの迷信とあいまって、恐怖心と罪悪感が意識の覚醒に向かう道の強力な妨害となるのです。

 マイトレーヤの時間の大半は、恐怖心と罪悪感を人類から取り除くことに用いられるでしょう。彼はそれをただ単に操作して取り除くのではなく、彼の教えがその恐怖心と罪悪感を取り除くように目論まれるでしょう。彼は道を示されました。皆さんはそれをすでに知っているのです。恐怖心と罪悪感を取り除く方法は、三つのテクニックを実践することだ、とマイトレーヤは示唆されます。あなた自身に、心の正直さ、生気の誠実さ、そして無執着を染み込ませ、獲得し、構築しなさい。もし熱心に正しく行えば、これらは必然的に無執着を構築し、その中では恐怖心や罪悪感は消えてなくなるのです。

 もしあなたが執着していないなら、あなたは罪悪感や恐怖心から自由なのです。他にありようがないのです。罪悪感と恐怖心は執着の中から存在するのです。
 もしあなたが自分の信仰──キリスト教、イスラム教、仏教──に執着していて、その信仰に反することをするなら、罪悪感と恐怖心で生きているのです。例えば、ローマカトリック教徒は、婚外セックスをしてはならないと教えられ、さらに結婚相手とも避妊具を使ってはならないと教えられています。しかし、何百万というカトリック教徒はそうしています。だから、彼らは自分たちの行為によって植え付けられた罪悪感の中で生きています。
 ローマカトリック教徒にとって、これはとてつもない内的葛藤なのです。婚外セックスをしてはならない、教会内で二度結婚してはならない、避妊は罪であると法王によって定められたローマカトリック教会の規則に従わなければならないのか。 もしカトリック教徒が、法王の言うことを信じれば、彼らは常識ではこれは悪いことでも罪深いことでもないと分かるので、問題を抱えることになります。彼らは植え付けられた罪悪感と天罰の恐怖におののくのです。

 マイトレーヤは良識を語ることで、この罪悪感を人類から取り除くでしょう。あなた方は無執着を実践することで自分でそれを自身から取り除くことができるのです。それはすべて無執着に関係しています。天罰を恐れるゆえに天罰に執着していれば、罪悪感を感じるのです。執着していなければ、恐怖心はありません。罪悪感もありません。

 間違った行為というものはあります。けれどもそれは正すことができるのです。カルマの法則がすべての行為を正します。それは非常に慈悲深い法です。あなたが破壊的な間違いを行ったとき、カルマの法則を通してあなたが自分自身にもたらしたその結果によって変えられるのです。それは結果であって、天罰ではありません。
 カルマの法則とは、あなたに罪悪感を感じさせるものではありません。それは単にあなたに法則を与えるだけです。「蒔いた種を刈り取る」のです。あなたには思考があり、行動があります。あなたが始動させたこれらの原因から生じる結果が、人生を良くも悪くもするのです。あるものは良く、あるものは苦しいでしょう。しかしそれは自分でやったことなのです。天罰というものはありません。カルマがあるのです。その法は均衡を取ろうとしている、つまり蒔いた種を刈ろうとしているのです。人々がカルマの法則を本当に理解することができるように、マイトレーヤはそれを現実に見せてくださるでしょう。最善の行為は無害な行為であることを人々は知るでしょう。なぜなら、そうするとあなた方は無害の結果、創造的な結果、良い結果を摘み取ることになるからです。良いカルマを皆さんは持っているのです。

(シェア・インターナショナル誌2007年2月号)

(以下のものは、マイトレーヤの側近によってパトリシア・ピッチョン氏に伝えられたマイトレーヤの教えからの短い抜粋である)

無邪気

無邪気は、心(マインド)と生気(スピリット)と肉体が無執着であるための肥えた土壌である。

教育

人生で最も大切なことは、本当の霊性を学ぶことである。心にイデオロギーを詰め込めば、その状態は20年くらい続くだろう。それから、麻薬を探すようになる。子供たちから無邪気さを奪ってはいけない。無邪気な心は世界のイデオロギーに抵抗する強い土台となる。無邪気さと無執着とは一緒に働く。

(シェア・インターナショナル誌1989年4月号)

無邪気さは惹きつける

もしあなたが赤ん坊のような心(マインド)と生気(スピリット)と肉体を持つならば、どこへ行こうと、あなたは人を惹きつけるだろう。赤ん坊の真我は無執着である。赤ん坊の無邪気さが惹きつける。赤ん坊は、あなたを以前に見たことがなくとも、あなたに微笑みかける。なぜか?  赤ん坊は自分の自然な幸福感を表すのである。大人は、なぜ異なった行動を取るのか。なぜなら、心と生気と肉体の中で、絶えず聖戦[*]が戦われているからである。真我は、心と生気と肉体の中に条件づけられたことのみを経験している。マイトレーヤは言われる。「これは哲学ではない。わたしはあなたに生きた物事を教えているのである“過去、現在、未来”ではない。もしもあなたが生きている間に、心に正直で、生気において誠実で、そして無執着であることを実践するならば、たった一つの転生で、あなたはわたしの全体像を受容することができる」

(シェア・インターナショナル誌1989年9月号)
[*]自分の主義主張を貫こうとする戦い。

2024年3月号目次

覚者より  ベンジャミン・クレーム筆記
究極の選択、 法の規定、 戦争の無意味さ

今月号の内容概説

視点
イスラエルは国際司法裁判所から隠れることはできない
ジェフリー・D・サックス

新しい時代における生活 : 目標と可能性
ベンジャミン・クレーム

統一された世界のビジョン : グローバル ユニオン― 第二部
ラーズ・グラーフ

科学
アート・ユリアーンス
「法の支配が常に維持されねばならない」

S.O.P. (Save Our Planet) ―われわれの惑星を救え!
世界経済フォーラムでのジェーン・グドール氏のコメント

時代の徴
世界中の奇跡

政府が民衆の声に耳を傾ける必要-選集
The need for governments to listen to the people-a compilation

法の支配
占領下の西岸地区におけるイスラエル軍の違法な武力行使

ベンジャミン・クレームが 「儀式」 と 「儀式の仮面」について説明する

イエス覚者

新しい世界秩序に向けてのステップ

イスラエル国家をボイコットする
フィリス・クレームがナオミ・クライン氏の最近の記事を考察する

ヒューマン・ライツ・ウォッチ:
人権の枠組みを守るためには原則ある外交が不可欠

イスラエルの戦争犯罪をあおったとして公務員が政府を非難
ジェイク・ジョンソン

「世界の指導者が国際法と多国間協力の重要性を支持することが不可欠である」

編集長への手紙
「あなた次第です」 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

究極の選択、法の規定、戦争の無意味さ

覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

ベンジャミン・クレームの師によって書かれた記事を三つも掲載するのは行き過ぎのようにも思えるが、現在、世界に何が起きているかを考えてみるべきである。戦争、混沌、絶滅、死が、妥当で正当化される選択肢として、多くの国の政府の方針としてさえも、考えられているようである。そのため、反応してくださる読者がおり、正気が優勢となるのに役立つことを期待して、知恵の覚者からのこれらの言葉を掲載したい。

究極の選択

 人類が暴力と戦争に魅せられている現在の愚行にやっと気づくとき、そしてその暴力行為を実施するための手段を放棄するとき、著しい変容を経験するだろう。人間の行動におけるこの最も歓迎すべき変化の最初の徴は、現在戦争を糾弾し、正義と平和を求めてデモ行進する何百万人の人々の中に見ることができる。これらの自発的で世界的規模のデモは、人類が過去の行為を放棄する用意ができており、そして正しく導かれるとき、方向を変える用意があることの確実な徴である。その時は急速に近づいている。

 現在の心的外傷と緊張の高い状況の直中で、新しい未来のビジョンが何百万の人々のハートとマインドに提示されており、多かれ少なかれ彼らは反応する。人間は、生き延びるためには平和が必要なことに目覚めつつある。彼らがいかに戦争の中に巻き込まれていようとも、このことを心(ハート)のうちに疑う者はほとんどいない。かくして、人類の前にある究極の選択のための舞台は整っている。

 一般の傍観者にとって世界は、平和のビジョンを分かたない者たちによって、あらゆる状況・形態の中に富と権力への機会のみを見る者たちによって、引き裂かれ、支配されている。これらの者たちは大勢いるが、大多数の人間は戦争の無益さに飽き飽きし、そのような愚行を永久に終わらせるための戦略を求める。彼らの心(ハート)の中に、すべての人間のための平和と進歩の新しい時代の希望が燃える。すべての国に存在するこれらの人々が世界の希望を代表する。

 マイトレーヤが出現して話しかけられるのは、彼らに対してである。マイトレーヤが未来のビジョンを、今でさえ提示されるのは、彼らに対してである。何百万もの彼らはマイトレーヤの唱道に速やかに反応するだろう、そして、すべての者の希望を燃えたたせるだろう。

 かくして、マイトレーヤは、さらなる無謀な争いが無益で危険なものであることを人間に説得されるだろう。今回の問題は世界的なものであり、戦争によって解決され得ないことを、協力のみが人間に平和と豊かさをもたらすことを、人間は兄弟姉妹として、手に手をとってのみ、彼らの保護を待っている新しい世界に入ることができることを、説得されるだろう。

 かくして、人間は決断し、底知れぬ深みから逆戻りするだろう。かくして、人間はいのちと幸福への彼らの選択を示し、希望で目を輝かせながら、この世界の再建の仕事を共に始めるだろう。

 決断の時は近い。ほとんどわれわれの真上にある。マイトレーヤは道を示し、新しい方向を指し示そうとしておられる。非常に多くの人々が、マイトレーヤの助言とインスピレーション(鼓舞)を、智恵と愛を待っている。マイトレーヤはすべての者のための未来を請け合われるだろう。

(シェア・インターナショナル誌2004年6月号)

法の規定

 人類が「法」の規定をこれまで大体において拒絶してきたがゆえに、一連の大きな災難を経験したのであるが、彼らはそれを“神の御業(みわざ)”と解釈してきた。これらの“人間の行為”は、計画された地球の進化には何の類似性もない。人間がこれに気づくとき、彼らは自分たちの思考と行動を再調整するために一致した努力をするだろう。かくして“法の規定”を正しい状態にするだろう。徐々に法のリズムが人生を支配し、その結果、新しい調和とより大きな平衡が生まれるだろう。

 この過程を助けるために、巨大なアバター(大聖)がマイトレーヤの背後に立っておられる。平和または平衡の霊は、作用と反作用の法を通して、その宇宙的な存在感をこの世界の大混乱の上に注ぎ込む。これまでのところ人間は、この変容のフォース(エネルギー)の影響にぼんやりとしか気づいていない。にもかかわらず、平衡の霊のエネルギーは今やこの地球に充満している。そうであるから、人間は今日の混迷とは本当に異なる途方もない平穏な時代を期待することができる。

 その前代未聞の平和と平穏の時代の中で、新しい文明が壮麗なる高みに発展するだろう。星々へ手を伸ばし、人間は宇宙を征服し、時間の錯覚を打ち破るだろう。今日いまだ知られざる宇宙のエネルギーが利用されるだろう。己の神性の感覚が増大し、人は深く自己の裡を見つめるようになるだろう。それによって、自分の真のアイデンティティーの本質と、自然との、そして神との一体性を見いだすだろう。かくして、人間の環境は豊かに繁栄し、もはや自己の目的のために自然を搾取するような愚かなことはなくなり、自然は人間の必要をすべて満たすのに十分なだけのものを与えてくれるだろう。

 かくして、新しい文明は大計画の展開における次のステップを表現するだろう。かくして、人間はずっと昔に失った進化の弾みを取り戻すだろう。あなた方の兄であるわたしたちは、見守り、勇気づけ、警告し、保護し、人間がわたしたちの群れの中に戻ってくる喜びを経験するのである。そのようになるだろう。
マイトレーヤが非常にしばしば言われたように、「人間は自分たちを一体として見なければならない」。 

 これが、未来のすべての進歩への重要な第一歩である。その他のすべてが、その条件の達成にかかっている。これがそうであることを、そのときに初めて自己破壊が避けられることを、そのときに初めて人間の眠っている可能性をその次の偉大なる達成のために解き放つことができることを、人間に示すことがマイトレーヤと彼のグループの最初の仕事である。

 人間が彼らの一体性に目覚めることをわたしたちは疑わない。人間の落ち着きのない奮闘のすべての底に、今日彼らを襲っている多大な問題の解決にはすべての者が責任を分かち合わなければならないという認識の目覚めがある。問題と同様に、その責任も世界的であり、分割不可能であり、そして協力とエゴ(自我)の否定を通してのみ、それらに適切に対処し克服することができるという認識の目覚めがある。

 間もなく世界の前に現れようとしておられるマイトレーヤは、人間の心(マインド)をこれらの真理に開かせる仕事を持つ。彼の能力とその成功を疑ってはならない。


(シェア・インターナショナル誌1999年6月号)

戦争の無意味さ

 人間が戦争をすると、彼ら自身や他の人々の生命を危うくするのみならず、自分たち自身の生命そのものが生かされているこの惑星の健康をも危うくする。死の兵器のために使用されるあらゆる種類の金属を得るために、地球はめったやたらに略奪される。この惑星の豊かな富を享受する権利を持つ未来の世代の必要に、何の配慮もなされない。数え切れない何百万トンものねじれ曲がり錆ついた鉄が、人間が恐ろしい見世物を演じる“戦争の舞台”を飾る。人間はたえまない爆撃によって彼らの精妙な体(エーテル体)に加えられる破壊を見ることが、いや想像することすら、できない。これまでにないレベルの騒音がこれら(エーテル体)の繊細な被いを破り、切り刻む。人間の躯体はそのような乱暴な扱いに耐えるようにつくられてはいない。かくして、彼らは自分たち自身に対して取り返しのつかない危害を加えている。人が戦争の無意味さに気づくのに、一体どのくらい長い時間を要するのだろうか。戦争は何の問題も解決しない。ただ混乱をつくるのみであり、人間の進歩を阻む。

 言われなければならないことは、ある少数の人々は戦争の行為を好むということである。彼らにとって、(戦場での)勇敢な行為は彼らの意志と技のテストである。しかし主に今日、人々はイデオロギー的な理由のために、大義のために、戦争に惹かれる。であるから、権力の手綱を握る諸国家のリーダーたちが戦争か平和を制定するのである。平和な世界を保障するためには、リーダーを注意深く選ばねばならない。

 この問題に多くの考慮がなされなければならない。中東における最近の出来事は、法のルールに違反し、混乱を解き放つことがいかに簡単かを示した。その違反行為を修正し、解決をもたらすことは、また全く別のことである。

 マイトレーヤはこれらの出来事を注意深く見ておられる。それらが起こるにつれて、緊張とその緩和を正確に計算し、そして絶えず平衡を確立しようとされる。このことに関して、マイトレーヤを通して集中される平和、平衡の霊のエネルギーが重要な役割を演じる。強力で正確なそのエネルギーは、諸国家の国民を非常に困らせる憎しみと争いの本能の潮流を変えている。

 国民自身が彼らの役を演じ始めている。投票箱やデモ行進を通して、彼らの声を聞こえさせ、平和への要求を知らしめている。この時点から、後戻りはない。民衆は彼らの力を感知しつつあり、彼らが欲する平和を彼ら自身がつくりあげていかなければならないことを、そして自由とともに正義が支配するときのみ、うれしい平和が保障されるだろうということを理解し始めている。
増大しつつあるこの認識は、マイトレーヤの早い出現の舞台を整えるだろう。


(シェア・インターナショナル誌2006年12月号)

今月号の内容概説

 シェア・インターナショナル誌のいつものプリズム──ベンジャミン・クレームの情報、彼の師である覚者の著作、ジュワル・クール覚者の著作に基づいた独自の背景──を通して、私たちは世界およびニュースの見出しを見てきた。悲しいことに、今日の見出しと覚者方が提供する助言との間には隔たりがあることに気づく。今月号の記事は、その隔たりをどのように埋め、より健全で公正な未来への道をどのように築くことができるかを示唆している。また、何が変わる必要があるかを浮き彫りにしている──法の支配の尊重を復活させることや、人道に対する犯罪を未然に防ぐためにあらゆる法的手段を用いること、暴力や侵略、戦争を回避するための措置を講じることである。

 ジェフリー・サックス氏は、国際人道法の極めて重要な役割を強調し、国際司法裁判所の歴史的意義とガザ地区での戦争に関する調査結果について述べている。ベンジャミン・クレームとジュワル・クール覚者の両者は、現実的で実現可能な未来について述べ、それを達成する方法を詳述している。ラーズ・グラーフ氏は、常識と協力に基づく実行可能な未来について彼自身のビジョンを付け加えている。ナオミ・クライン氏は、イスラエルの戦争犯罪を批判することへのためらいを克服し、ボイコット(不買運動)や制裁といった手段の使用を奨励している。「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の2023年版の報告書は、心地よく読めるものではない。

 ベンジャミン・クレームの師は、私たち人類の欠点や弱点を指摘する一方で、変化や改革、賢明な助言を喜んで受け入れることといった、あらゆる希望を提供している。覚者はいつものように、諸問題に取り組み、歴史の流れを変えるために共に行動を起こすことの重要性を確認している。「人間の行動におけるこの最も歓迎すべき変化の最初の徴は、現在戦争を糾弾し、正義と平和を求めてデモ行進する何百万人の人々の中に見ることができる」

 覚者は、選択する必要性に強調を置いている──未来のために、万人の利益のために、地球の未来のために、選択をする必要性である。「人間の落ち着きのない奮闘のすべての底に、今日彼らを襲っている多大な問題の解決にはすべての者が責任を分かち合わなければならないという認識の目覚めがある。問題と同様に、その責任も世界的であり、分割不可能であり、そして協力とエゴ(自我)の否定を通してのみ、それらに適切に対処し克服することができるという認識の目覚めがある」

 覚者方からの助言と世界の行動全般との間に大きな隔たりがあるだけでなく、有権者と政治家たちとの間の隔たりと完全な断絶が拡大しているように見える。指導者たちは、大金や大汚職、主流メディアによって保証された非現実性と不可触性に満ちた、防音の泡の中で生きているように見える。この主流メディアもまた、同じ大きな既得権益によって陰で糸を引かれている。彼らは明らかに市民の側に立っていない──市民はきっと、何ができるだろうかと自問しているに違いない。

 何百何千万もの人々が、妥当な未来を選択する権利を行使するこの選挙の年にあたって、次のことが望まれる。「投票箱やデモ行進を通して、彼らの声を聞こえさせ、平和への要求を知らしめている。この時点から、後戻りはない。民衆は彼らの力を感知しつつあり、彼らが欲する平和を彼ら自身がつくりあげていかなければならないことを、そして自由と共に正義が支配するときのみ、うれしい平和が保障されるだろうということを理解し始めている」

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

次の2通は同じ人物からのものです。

「あなた次第です」

 私は地元の店の角に立って、店員と話をしていました。突然、長髪のドレッドヘアで赤い野球帽を被った、中年のアフリカ系アメリカ人の男性が私の隣に現れて、私たちの周囲の空間をとても前向きなエネルギーで満たしたのです。彼は私の方を向いて、オーケストラでも指揮するかのように両腕を持ち上げて、「あなたに幸福な一日を願うためにやって来ました!」と言ってくれました。私は「ありがとう。今日が、あるものすべてです。今この瞬間が、存在するすべてです」と言いました。彼はさらに「幸福な日を過ごさなくてはならないわけではありません。それはあなた次第です。またすぐに会いましょう!」と言ったのです。私が店員の方を向き、向き直ると、彼はいなくなっていました。

 後になってそのことについて考えました。クリスマスの時には、家族の一員が幸福であるように願っていたものでした。その日のそれ以降は、本当に幸せを感じました。誰かが親切にも、私のためにも幸福を願ってくれたのだと思いました。彼の言葉やエネルギーで、同じ喜びの感覚を残してくれたイエス覚者やマイトレーヤとの過去の出会いを思い出しました。それがどなただったのか定かではありませんが、その体験から確かに私は幸福を感じたのです。

 2023年のクリスマス休暇の間、一人の友人が健康と経済的な問題を抱えていて、一時的な住居への支払いが困難になっていました。私は寄付を送りましたが、十分ではありませんでした。私は『手』を通してマイトレーヤに、助けるために他に何ができるかお尋ねすることにしました。一瞬のうちに、ソーシャルメディアへの投稿を作成して、他の友人たちに寄付を頼めるようにするという考えが浮かびました。視覚的な助けがあれば、常に人々の注意を引きやすくなると分かっていたので、私が会員になっている写真サイトへと向かい、投稿に使った添付の写真をすばやく見つけました。興味深いことに、この写真はボストンで撮影されましたが、そこはまさしく友人が住んでいる場所なのです。写真は2018年に撮られましたが、人目を引くものだと思い、もしかして『ファミリア』の姿のマイトレーヤかもしれないと思いました。

 言うまでもなく、投稿によって、友人が新年までの一時的な住居への支払いができるほど十分な寄付が寄せられました。それはまさに彼女が必要としていたものでした。

アン・サリバン 米国、ニューヨーク州ロングアイランド

完全への旅をする建築家

 2024年1月24日土曜日に、オーストリアでのスキー休暇から帰宅する途中、鉄道の駅で待っていた時、興味深い出会いがありました。バイエルン・アルプスのミッテンヴァルトにある小さな鉄道駅のホールでひとり座っていた時、一人の男性が私の方へ歩いて来て、会話が始まりました。彼は年配で、おそらく80代半ばでした。歯がほとんどなく、素敵な濃いブルージーンズに、新しい革製のスケートボード・スニーカーに見えるものを履いていました。頭に野球帽を被り、たたんだ買い物袋を二つ持っていました。かなり薄手の緑色のウィンドブレーカーは、気温が氷点下だったその日、十分に温かいとは思えませんでした。彼はドイツ語で話しかけてきて、どこへ行くのか尋ねてきました。私は彼に、チロル地方でスキー休暇を過ごして、ドイツ北部へ帰るところだと伝えました。それから、十分に温かいかどうか尋ねました。彼は胸の右側を指でたたいて、「これが温かさを保ってくれるよ」と言いました(肉体の心臓とは反対側なので、霊的ハートを意味していると思いました)。彼はすぐ近くのオーストリアの町、シャルニッツに住んでいると言い、ミュンヘン近くのドイツの町、ガルミッシュ・パルテンキルヘンよりも物価が安いと言っていました。私が尋ねないうちから、家賃や公共料金を実際いくら払っているか教えてくれました(夫と私はその地域の住宅費を調べようと計画していたので、彼がその話を持ち出したのは驚きでした)。10分にわたる会話の間に、彼は私に、自分は建築家だと言い、妻が子供を5人欲しがったという話をしました……(私の夫もいつも5人の子供を欲しがっていました)。それは責任が重過ぎると感じた、と彼は言いました。彼によると、息子二人がバイエルンに住んでいるが、「息子たちは物やら何やらが好きなんだ」、だから常にとても忙しい、一方で自分はもっとずっと落ち着いた生活をしていると言っていました。彼は少しスペイン語で話し、それから私たちはフランス語でも会話をしました。

 全体として、彼について最も印象に残ったのは、無執着の表現でした。彼が時間に支配されているという感じは全くありませんでした。彼はまさに今存在していて、彼といると、私もまさに今存在していると感じられました。私たちが次の乗り継ぎ先であるバスへと向かおうとする直前、彼はさようならと言い、「あなたが健康でいられますように」と言ってくれました。私は最近、ストレスが自分の健康を損なっているのが気がかりでした。けれども、彼がそう言った時の言い方で、私は自分の健康を掌中に握っていることを悟りました。彼がドアから歩いて出ていく時、ジーンズの右の後ろポケットのすぐ上に大きな裂け目があって、下に着た保温着がのぞいていました。後になって、夫と私が隣駅に到着してバスを降りると、突然、彼がそこにいて、再び少しだけ私たちと話をしました。その時に、彼の野球帽のロゴが「完全への旅」となっていることに気づいたのです。

エリッサ・グラーフ ドイツ、シュタイアーベルク

読者質問欄

「第二次インティファーダ」つまり「第二の蜂起」は、イスラエルの当時の右派野党指導者であったアリエル・シャロンの挑発的行為によって引き起こされた。第二次インティファーダは、シャロンが意図的にイスラム教の聖地アル・アクサ・モスクを訪れたことから「アル・アクサ・インティファーダ」とも呼ばれる。この蜂起は2000年から2005年まで続き、推定3,000人のパレスチナ人と1,000人のイスラエル人が死亡する結果となった。2004年当時、ジョン・ケリーはアメリカ大統領候補であった。
名前は変わり、主要な人物は入れ替わったが、解決や安定した持続可能な和平への障壁となっている問題は、いまだに現代の私たちを悩ませている。パレスチナ人のための正義は依然として達成困難であり、パレスチナ人のための自治と実現可能な祖国にしてもそうである。一方、イスラエル人のための安全保障についても合意されてはいない。
以下の質疑応答は、シェア・インターナショナル誌2005年1月号に掲載されたものである。

Q ジョン・ケリー氏は、イスラエル政府とその行為を支持すると言いました。彼はその態度を変えるでしょうか。
A イスラエル政府とその行為を支持すると言うことは、多くの疑問を浮上させます。彼はパレスチナ人に対して用いられているテロ行為を支持しているのか?  もし彼にそう尋ねたら、彼は何と答えるでしょうか。私個人としてはパレスチナで行われているイスラエルの行動を支持しません。では、私はイスラエルを国連の一メンバーとして支持するか? イスラエルは国連の一員ではありますが、国連憲章を遵守しておらず、イスラエルに反対する63もの国連議決があります。彼らはアメリカの支持を得ているので、これらの議決を実行していません。アメリカの支持をなくしてしまえば、イスラエルは6カ月で破産してしまうでしょう。

 ケリー上院議員に、イスラエルが取っている態度を彼が支持するのかどうかを尋ねてみなければなりません。それは単に自衛のためだけではありません。なぜなら、これはパレスチナの人々を迫害するために用いられる口実にすぎないからです。イスラエルは、パレスチナの人々を迫害しなくとも容易に自衛することができるのです。もし彼らがすべての分野においてパレスチナの人々の迫害をやめたなら、彼らが何よりも恐れているテロ攻撃、自爆攻撃の圧力はずっと少なくなるでしょう。自爆攻撃者を彼らは何よりも恐れます。

 誰かがバスに乗り込んできて、自分自身を爆破させるのです。なぜそんなことをやるのか。それをやる以外、他に方法がないからです。彼らは軍隊も武器も持っていないのです。またそうすることの影響が非常に強力であることも知っているからです。彼らは速やかにアラー神のもとに戻り、殉教者になり、そして家族が何がしかの金銭的報酬をもらうことも知っているからです。彼らはイスラエルによって故意に貧しい状態に置かれています。イスラエルは彼らが働くことも、今までやってきた仕事をするためにイスラエルへ出かけることもできないようにしています。彼らは果樹園を持っていましたが、イスラエルはそれを伐採してしまいました。ですから彼らはどうやって生きていけばいいのですか? 彼らは絶望しています。未来に何の希望もないのです。

 イスラエルは、彼らが生きようが死のうがかまわないのです。死んでくれた方がまだいいとすら思っているでしょう。実際に出かけていって彼らみんなを銃撃したいと思っているというわけではありません。一部の人はそう思っているでしょう。ちょうど一部のパレスチナ人がイスラエル人を皆殺しにしたいと思っているように。しかし、パレスチナが自分たちの生活を非常に難しくしているので、シリアやレバノン、ヨルダンへ行ってくれれば、イスラエルの問題は終わると思っているのです。それに自分たちの行動への罪の意識も感じなくて済むのです。

 イスラエルはパレスチナ人の領土を奪ったのですから、非常な問題を抱えています。彼らはそのことと、原因と結果の法則を知っています。ですからいずれそれを返却しなければならないということを知っているのです。それが彼らを怖がらせ、苛立たせているのです。ですからあらゆる手段を尽くして、私たちから見てどんなに違法であろうと、嫌な方法であろうと、恐ろしい方法であろうと、パレスチナ人を屈服させようと、つまりテロをやめさせようとしているのです。

 しかしある種の人々、ハマスやシリアにいるヒズボラは決してテロをやめようとはしないでしょう。なぜならそれが彼らが持つ唯一の武器だからです。イスラエルの存在権を決して認めないパレスチナ人がいるように、元々パレスチナ人のものだった土地へのパレスチナ人の権利を認めないイスラエル人もいます。ヨルダン川西岸の土地ですら認めないのです。それはマイトレーヤの要請に応えて、亡くなったヨルダンの国王がパレスチナ人に贈り物として与えた土地なのです。この問題について何らかの合意、ある種の見解の妥協がパレスチナとイスラエルの間に成立しない限り、闘争もテロも終わらないでしょう。

 私は当初からこの状況はマイトレーヤによってしか解決できないと言ってきました。今でもそうだと確信しています。これまで見てきたこと、聞いてきたことから、決して他の方法は考えられません。

 1988年に最初にマイトレーヤが出された予測の一つが、「パレスチナ人は故国を持つだろう。イスラエルの軍隊はヨルダン川西岸地区とガザから撤退するだろう。二つの国は地域の資源を分ち合って共に暮らすだろう」というものでした。それが起こるのは、大宣言の後、マイトレーヤが公に受け入れられてからのことになるでしょう。イスラエルは次の1、2年の間にあるいは何年間にわたろうとも、多くのことをあきらめなければならないでしょう。それがどんなものであろうとも。

Q あなたは、マイトレーヤがアラファト氏にオスロ協定に署名しないようにと助言されたと言われました。アラファト氏はマイトレーヤのことを知っていたのですか。それともマイトレーヤはアラファト氏に別の人として現れたのですか。
A アラファト氏はロンドンへ来ました。1990年にロンドンでマイトレーヤが開いた会議にアラファト氏は出席したのです。彼は350人ばかりの参加者の一人でした。ですから、彼はマイトレーヤのことを知っていました。

Q 彼はこの話の全容を知っていたのですか。
A はい、確実に。

2024年2月号目次

覚者より ベンジャミン・クレーム筆記
覚者たちの誓い

統一された世界のビジョン:
グローバル・ユニオン ―第一部
ラーズ・グラーフ

オカルト化学の科学性と秘教性
チャールズ・リードビーターとアニー・ベサントの仕事
ベッティ・ストックバウワー

キング牧師の抗議活動の遺産が攻撃を受けている
テキーラ・ジョンソン、スー・ユードリー

愛は輝く光:
聖シャルベルの生涯と言葉
エリッサ・グラーフによる書評

この新しい年に、 化石燃料を減らそう
デビッド・スズキ

最高裁が気候変動訴訟の差し止め請求を棄却
ジェシカ・コーベット

生活の霊的基礎 ― 選集
The spiritual basis of life – a compilation

編集長への手紙
覚者の助け 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

読者質問欄

この欄では、インタビューや講演の膨大な記録の中から、ベンジャミン・クレームと彼の師である覚者が40年以上にわたるたゆみない奉仕の一環として提供してきた、幅広い話題に関する質問への回答を紹介する。

「天使」

Q 人間として暮らしている天使は存在しますか。
A 天使は何百万も、何兆も存在しますが、人間として暮らしてはいません。彼らは人間と並行する進化にいます。亜人間のエレメンタルから人間を超えた霊的巨人まで、あらゆるレベルの天使が存在します。

Q 彼らは自分が天使であることを知っていますか。
A 人間以上の存在は、もちろん知っています。しかし、エレメンタルのレベルでは、高次の天使や覚者方の命令どおりに働いているだけです。覚者方は天使といつも一緒に働いています。

Q 彼らと普通の人々との違いは何ですか。
A 多くの人々は天使を見ています。自動車事故や列車事故などの大災難から救ってくれた人々として、あるいは家にやって来て病を癒してくれた人として。ますます多くの人々が天使を見たと報告しています。彼らは人間のように見えたり、光を放つ美しい存在であったり、「威厳があって、肩まで垂れる長い髪をしていて、光り輝き、大きな翼を持っていた──ちょうど聖書に出てくる天使のようだった」などと描写されています。しかし、天使は翼を生やしていたり、聖書の記述のように見えたり、人間のように見えたりすることはありません。聖書のすべての天使についての記述、人々が天使だと思ったあらゆる場合が、覚者のことなのです。覚者方は、人々が天使と見なすような姿に変装します。本物の天使は偉大な治癒力を持ち、いつの日か彼らも人類と共に働くことになるでしょう。

(シェア・インターナショナル誌2003年10月号)

Q 自然災害についてコメントをいただけますか。その背後には理由があるのですか、それともそれはただの自然の力ですか。
A そのどちらでもあり得ます。しかし多くの洪水、地震、火山の噴火、その他あらゆる種類の災害は、人類の破壊的な想念形態の結果です。私たちは破壊的な考え方をします。戦争や飢餓を生み出しています。世界の一方が贅沢に暮らし、他方が窮乏と欠乏の中で死んでいる状況をつくります。それは破壊的であり、その破壊性が人類の均衡を乱しています。それが、世界の天候や気候を生み出す仕事をしているエレメンタル・フォースの均衡を乱します。これらのフォースはデーヴァ(天使)界のエレメンタルです。それは大規模なものもあり、巨大な天使的存在の衝動の下で働く盲目的なエレメンタルもあります。覚者方はこれらのフォースを利用することができます。あることを欲するとき、彼らはデーヴァ・エレメンタルや天使に呼びかけて共に働きます。人々は天使について話しますが、天使とは何かを知りません。天使は人類とは別の進化の道をたどりますが、私たちと関係を持っています。何十億もの天使がおり、最も単純で盲目のエレメンタルから巨大なフォース、太陽光線が地球に到達するのをコントロールするような偉大な天使に至るまで存在しています。それらのことはすべてコントロールされています。人類は自らの想念形態がいかに破壊的かについて何も知りません。

(シェア・インターナショナル誌2005年8月号)

Q なぜ今これほど天使に関心が持たれているのですか。ただの一時的な流行でしょうか。
A それは一時的な流行ではありません。一般大衆に対する覚者方の出現のとてつもない増加の結果です。しかしそれは「天使」の姿や形を取っています。これらの「天使」のそれぞれが覚者であり、通常は覚者によってつくり出された想念形態です。これは奇蹟の創造がとてつもなく拡大するだろうとマイトレーヤが約束されたことの線に沿ったものです。天使(デーヴァ)は確かに存在します──彼らは亜人間から超人までの様々なレベルにある、人間と並行する別の進化に属するメンバーです。しかしながら、様々な個人やグループによってなされている主張にもかかわらず、彼らは現時点では人類と直接に接触していません。

(シェア・インターナショナル誌2001年3月号)

Q ますます多くの人々が「天使」との遭遇について語っています──ある人々はこれらの「天使」は様々な姿をとる覚者方であると認めています。このような訪問(肉体的に、もしくは夢で)を経験する幸運に恵まれるのは、世界の人々のうち大体何%ぐらいなのでしょうか。
A 約80%です。

(シェア・インターナショナル誌1996年3月号)

Q ギッタ・マラスの書いた『天使たちとの対話』という本は、第二次世界大戦の間に天使たちとして知られるようになった霊的な存在と定期的に対話した4人のハンガリーの若者たちについての実話に基づく伝記です。これは霊ハイアラキーが人類と直接接触した実例ですか。もしそうならば、覚者方はこれらの接触に関わっていましたか。
A 「天使たち」はイエス覚者、モリヤ覚者、クート・フーミ覚者の変装した姿でした。

(シェア・インターナショナル誌2003年2月号)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

次の4通は同じ人物からのものです。

覚者の助け

(1)1992年の春、吹雪の数日後に高校から自宅まで車を運転していました。いつもの曲がり角に差し掛かった時、半解けの雪に乗り上げて、ゆるやかに道路から滑り落ちてしまいました。ほとんど崖になっている急斜面の端へ向かっているのが分かっていても、できることは何もありませんでした。それを考えると、私の落ち着きは驚くべきことでした。どうにか車は丘を転がり落ちる寸前で止まりましたが、右側のタイヤは両方とも地面から離れて、後輪一つは約90センチも宙に浮いていました。私は非常に注意しながら、何とか前側のドアの一つから脱出しました。レッカー車の男性がやって来ましたが、「今にも落ちそうだ」と言って車に触ることを拒否しました。それよりも彼は、車が引っかかっていた崖から約24メートル下の家の人たちを避難させて、もう1台のレッカー車の助けを求めて電話をかけました。その2台で私の車を難なく持ち上げることができたのです。
 私はおそらく、死に至るような状況を回避する『特別な』助けをいただきましたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、イエス覚者からの助けであったことを確認した】

覚者の手を取って

(2)1998年か1999年のことでした。サンフランシスコで伝導瞑想研修会が開催された金曜日の夜、私が部屋の中と、間もなく瞑想を始めようとしている人たち全員をじっと眺めていた時、吹き抜けの階段の近くに奇妙な人物が二人いるのに気づきました。その二人の中年男性は、みすぼらしい格好のために目立っていました。誰も彼らを知らないようでしたが、部屋の中にいる人と同じくらい大きな声で自信たっぷりに話をしていました。彼らの振る舞いは、すべてが彼らにとって『古い帽子』で、疑いようもなく彼らはその場に溶け込んでいるという印象を与えていましたが、外見が明らかにそれとは相反していました。
 全員が着席すると、二人のうちの一人が私の隣に座り、私は人生で最も集中した強烈な瞑想を体験しました。その二人の男性は覚者方でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、彼らがマイトレーヤとイエス覚者であり、瞑想中に筆者の手を握っていたのはイエス覚者であったことを確認した】

彼を認識するでしょうか?

(3)2003年のデンバーでのシンコ・デ・マヨの祝祭で、私たちの広報用ブースにやって来た人たちと話をしていた時、突然、ヒスパニック系の男性が私の背後に自転車を止めたのに気づきました。そこは私たちのポスターの前で、「もし仏陀やキリストに会ったなら、あなたは彼を認識するでしょうか?」という表題でした。その男性はとても背が高く、長髪で、30代か40代でした。ひどい歯並びの、とても貧しい人のように見えました。
 けれども、彼はとても親しみやすい人でニコニコとしていました。雲が移動して、何とも気持ちの良い天候になったという話を私がしたと思います。彼はその話題を取り上げて、さらに話を続けると、間もなくとても良い天気になるだろうと言いました。5月5日から10日の間にもう一度吹雪になるだろうが、その後はとても良い天候になり、もう雪は降らないと言っていました。貧しい身なりをした、チノという名のこのヒスパニックの男性が、汚れた毛並みのチコという名の犬を、自転車のハンドルの背後にどうにか取り付けた筒型のスポーツバッグに詰め込んで、穏やかな確信を持って天気予報を伝えてくれることが私には奇妙に感じられました。私たちはしばらくおしゃべりをしました。彼はカリフォルニアの出身で、その地域の家族を訪ねようとしていました。暑すぎなければ、寒いよりも暖かい方が好きだと言っていました。彼が自転車をポスターの前に止めていたので、人々からポスターが見えないのではないかと思っていました。彼は私の考えに気づいたように、自転車の移動を申し出てくれました。けれども、私が「大丈夫です」と言ったのは、彼がマイトレーヤかもしれないとうすうす思っていたからです。彼がポスターの前に立っているのは、むしろ適切で愉快なことだと思ったのです。
 彼は「良い一日を」と何度も繰り返して、心温まるお別れも言ってくれました。これが私にとてもよく当てはまっているように思えたのは、来るべき時代の明るさを知っているにもかかわらず、今の世界の不正義に対して、たびたび深刻になり過ぎて、圧倒されてしまうためでした。さらに言うと、5月10日は実際に吹雪になり、多くの人々にとって驚きでしたが、それ以来ずっととても良い天気でした。チノは注目すべき人物でしたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、チノがマイトレーヤであったことを確認した。また、『チコ』はイエス覚者であったと師が述べていたように思う】

ハートに置かれた手

(4)数年前、ボールダー・クリーク・フェスティバルで、私たちのブースを一人で担当していた時、二人の小柄な男性が向かい側にあるブースで立ち止まったのに気づきました。一人はおそらく30代で、とりわけ陽気な人でした。黒髪にとてもふさふさとしたあごひげを生やし、他の国の、たぶん中東出身のように見えました。もう一人は、彼の霊的な教え子のようでした。20代に見えました。金髪で、ずっと物静かで真面目でした。
 あごひげの男性は、向かい側で大変な騒ぎを起こしていました。巨大なおもちゃの剣を手に取って楽しそうにふざけて振り回し、かなりの物音を立てていました。彼を観察しながらとても楽しい時間を過ごしていた時、私はマイトレーヤのことを思い、彼の体現する愛がどうして裂開の剣と呼ばれるのか考えていました。
 彼らは私たちの広報ブースにやって来て、とても熱心に見ていました。彼らの朗らかな雰囲気に馴染めなかったので、正直、私は少し堅苦しく感じていました。私たちは奇跡について少し話をしたと思います。彼らには独特な雰囲気があることに触れ、どこから来たのか尋ねました。あごひげの男性は、ペルシャと答えてくれました。現在ではそのような場所はないので、変だと思いました。彼に霊的な背景があるかどうか尋ねると、ゾロアスター教徒だと言いました。私たちが展示していた『マイトレーヤの手』のポスターについて彼が尋ねてきたので、私は経緯について説明しました。それは象徴的なものだと思うということ、そして手の跡は鏡に現れたということを伝えました。また、人が自分自身の内を見つめるとマイトレーヤからの祝福を見いだすかもしれないということを、その手の跡は示唆していると伝えました。彼は私のハート・チャクラに手を置くことによって応答し、しばらくそのままにしていました。心の中で、これはマイトレーヤとイエスかもしれないと思いながら、エネルギー的な相互作用をどこかで期待していましたが、全く何も感じませんでした。彼らはその後、すぐに去っていきました。
 あごひげの男性がマイトレーヤで、若い方の男性がイエス覚者でしたか。
ザック・キャッスルマン 米国、コロラド州ボールダー
【ベンジャミン・クレームの師は、あごひげの男性がマイトレーヤで、もう一人の男性がイエス覚者であったことを確認した】

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。