2023年4月号目次

 

覚者より
ばくち的ジェスチャー
ベンジャミン・クレーム筆記

今月号の内容概説

視点
史上最大の自然保護の勝利!
海洋を保護するための世界的な条約が成立する
ジョン・クエリー

S.O.P. (Save Our Planet) - われわれの惑星を救え!
リーダーシップが大切だ!

世界情勢
人々の意識を変えることで絶滅危惧種を救う、 他

イエス覚者
アート・ユリアーンス

フランシスコ教皇によるアフリカへの歴史的な 「平和巡礼」

今、私たちが直面している世界的な課題
パトリシア・ピッチョン

エンリケ・バリオス著 『アミ 小さな宇宙人』 三部作
ドミニク・アブデルヌールによる書評

時代の徴
トルコのブルサ上空のUFO雲、 他

ルシル・テイラー・ハンセン著 『主はアメリカを歩めり』第二部
ベッティ・ストックバウワーによる書評

心理学における統合のアイディアー統合心理学
ロベルト・アサジオリの現代心理学への貢献
マーチンホフシュミット

民衆の声
サッカー選手、 BBC 放送、 英国政府、他

「明日では遅すぎる」 気候変動ストライキは 世界中で化石燃料産業への投資を標的に定める
ジェシカ・コーベット

すべての人のためのベーシックインカム -霊的な法令?- 第二部
アンネマリエ・クヴェルネヴィック、 アンジャ・アスケランド

編集長への手紙
『お知らせ用』 ナンバープレート、 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

ばくち的ジェスチャー

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 人々が正しい関係に向けて断固たるステップを取るときはいつも、対決に向けて同様の断固たるステップを取る人々が必ずいる。大勢の人間がより大きな自由と正義のために働き、そして死んでさえいる──と同時に、他の勢力は減少する彼らの力(パワー)を強固にするための冷笑的な試みで平和を脅かす。その間、全体としての人類は、放棄され克服されるべき昔の古い憎悪の思考の再発を目撃して、恐れおののきながら見守る。

 あなた方の兄たちであるわたしたちもまた、この危険なやり方を注意深く見守るが、恐れてはいない。良識は、得るものと失うものとを大体、はかりにかけてみるとき、少なくとも不安定な平和を受け入れることを強いることを、わたしたちは知っている。

 これからは、このシナリオが世界中で繰り返されるだろう。“超大国”は彼らの力を維持しようと、あるいは増すことさえ試みるだろう、しかしながら、現状維持を損なわないように慎重にやらなければならないことを知っている。

 一体いつまで、諸国家はこの無益なゲームをすることができるのか。唯一の分別あるコースは、すべての者のための平和と繁栄のために、共に働くことである。この方法によってのみ、諸国は国民に、平和の歓び、正義(公正)の繁栄、そして分かち合いの至福を得るための用意をさせることができるのである。

(シェア・インターナショナル誌2014年6月号)

今月号の内容概説

 西洋ではさまざまな形で象徴化されている復活祭、復活を祝うあの特別な聖なる時は、読者が今月号を受け取る頃には目前にあるか、あるいは過ぎ去ったばかりだろう。毎年、春になると、さまざまな宇宙的エネルギーがその強さを増し、人類は再び希望を取り戻す──このように言えるのは、キリスト教の隠喩を使うと、世界は「物質主義の墓」から抜け出して、社会正義を現実のものとするために、システムを再編する新たな方法を復活させようと苦闘しているからである。復活祭の時期であるので、イエス覚者に関する記事が掲載されている。これはイエスの生涯についての聖書の見方というよりも、より秘教的な見方を紹介している。また、『主はアメリカを歩めり』第二部にあるように、イエスの後年の仕事にも焦点が当てられている。
 適切に行えているとしたら、本誌は毎月、一般的な考えよりもはるかに幅広い霊性(スピリチュアリティー)についての定義を裏づける多くの事例を提供しているはずである。このため、私たちの情報があらゆる分野の活動家にとって受け入れやすいものとなることは明らかである──このことは地球の保全についての記事や、そうした闘いにおいては誠実な政治と聡明なリーダーシップがいかに大事であるかを説明する報告に示されている。社会正義とは──万人のための最低賃金保障制度の確立のような──経済への新たなアプローチという形で実行に移される霊性のことである。「すべての人のためのベーシックインカム──霊的な法令」第二部が今月号に掲載されている。霊性についてのより包括的な理解のさらなる証拠が、ロベルト・アサジオリが開発した心理学への統合的アプローチの評価という形で見られるほか、霊的な知恵や警告、導きが、エンリケ・バリオス著『アミ 小さな宇宙人』の書評の中で天から私たちに降り注いでいる。パトリシア・ピッチョンは「今、私たちが直面している世界的な課題」という記事で、ヌリエル・ルービニの最新刊『メガスレット』について論じている。
 ベンジャミン・クレームの師である覚者は2014年に「ばくち的ジェスチャー」を書かれた。この記事は、現在の苦悩の原因となっている根本的な不安を描写する、覚者による別の短い記事(読者質問欄を参照していただきたい)と同様に、薄気味悪いほど現在の状況に当てはまる。
 ある日、生涯の最後の年に、ベンジャミン・クレームはファシズム(全体主義)について語り始めた。ファシズムが現在、私たちの生活の非常に多くの分野でいかに支配的になっているかについて語った。ファシズムはいつでも存在していたが、特に金融や経済、さらには政治の分野で、ファシズムのさまざまな形態が現代ほど蔓延した時代はなかったようである。
 クレームが言おうとしていたことは、商業主義が私たちの生活のあらゆる側面へと狡猾に忍び込み、無傷でいられるものはほとんどないということであった。金持ちがより裕福になり、いのちのあらゆる様相が収益活動へと投入され、いのちや惑星そのもの、世界の未来が彼らの貪欲の犠牲になっているだけでなく、あらゆるものが彼らの力への渇望を満足させるために行われている。何の力なのか。心(マインド)を支配する力、政策やイデオロギー、社会の傾向を左右する力、選挙の結果に影響を及ぼす力である。真理が攻撃を受けており、必要とされる物語を支えるために歪曲されている。クレームの師はそれについて(シェア・インターナショナル誌2002年11月号掲載の「権力のグラマー」の中で)こう述べている。「第一の優先事は、事実についての本当の知識である。しかしながら、これは見つけることが難しい。非常に多くの声が、さまざまに矛盾する情報を繰り返し唱え、または叫んでいる。あまりにも多くの意見が、あたかも事実であるかのように扱われており、尊重して耳を傾ける価値のあるもの、信じられるものはほとんどない」。もし真理が信用できないものであれば、意見がそれに取って代わり、世論の操作を容易にする。私たちの共通の価値観と基準はむしばまれ、ほとんどあるいは全く意味をなさなくなる。民主主義は、一般大衆を代弁すると主張する政治家によって「危険だ」と宣告される。皮肉なものだ、では片付けられない。大衆の抗議行動は違法とされ、言論の自由は奪われつつある。クレームの師の言う「マネーの男たち」、権力に飢えたメディア王と国際的な新興財閥は自由を恐れ、自分たちの富を用いて国を買収し、政治家を籠絡し、鉱物資源が豊かな地域の広大な土地を収奪し、農業や医療、武器、エネルギーなどの部門全体を意のままにしている。現在の経済ニュースが示唆しているように、おそらく別の経済的混乱の期間がもうすぐ彼らの権力を失墜させ、世界が緊急に必要とする「更正(リアセスメント)」を引き起こすかもしれない。
 マイトレーヤが抗議者たちを活気づけ、デモ行動に加わり、自由や正義、平等、平和を要求するために行進する人々を支持するのも不思議ではない。ベンジャミン・クレームの師が平和の歓びと分かち合いの至福のために一緒に働くよう呼びかけるのも不思議ではない──分かち合いは、商業主義という横暴に対抗することのできる健全な世界を築くための唯一の基盤だからである。

『主はアメリカを歩めり』第二部

ルシル・テイラー・ハンセン著

ベッティ・ストックバウワーによる書評

 1918年、『主はアメリカを歩めり』の著者ルシル・テイラー・ハンセンは学生で、夏休みをミシガン州のチッペワ・インディアン族と共に過ごしていた。彼らの言語や舞踏、文化や宗教は、彼女の魂の琴線に触れ、調和した調べを与えた。酋長のダーク・サンダーは、部族の知識の多くを彼女と分かち合った。彼はある日、遠い昔に部族を訪れた聖なる人物について彼女に語った。この人物は、インディアンの帝国が統一され、巨大な都市が何マイルにもわたって広がっていた時代に現れた。彼の行くところすべてに奇跡が起こり、彼は常に「父の御国」について語った。
 第一部は、偉大な聖なる教師が訪れた古代文明の素晴らしい光景を想起させるものだった。この教師はイエス覚者であった、とベンジャミン・クレームの師は確認している。第二部では、「奇跡の主」と共に中央アメリカ、メキシコ、カナダ、そしてさらに遠くへと旅することになる。彼はこうしたあらゆる地域の種族を訪問し、知恵と驚くべき未来のビジョンを授けた。

 名声が高まるにつれて、さまざまな名前が広まることになった。彼は常に、自分をどう呼んだらよいかを人々に選ばせていたからである。彼は「ワケア」または「ワカン」という、水への支配力を讃える名前で呼ばれていた──「ワ」は水を意味する。ホピ族にとって、彼は「ター・コ・パー」(治療者)であり、セリ族にとっては「トラゾマ」(奇跡の働き人)であった。チェロキー族は「イー・メ・シー」(風の神)と呼び、パパゴ族は、「エ・シー・コトゥル」(偉大な治療者)と呼んだ。アルゴンクィン族は、独自の名前を付ける代わりに、彼が海の向こうで暮らしていた頃の幼名で呼んでいた──「チェー・ズー」(夜明けの光の神)と。
 中央アメリカでは、彼の愛称は「カテ・ザール」だったが、最も祝福された名前は「ケツァルコアトル」(羽毛で飾られた蛇)であった。「ケツァル」は珍しい生き生きとした緑色の鳥のことで、「コ」は蛇、つまり水の象徴を表し、「トル」は「主」を意味する。したがって、彼は「風と水の主」として知られていた。教えを伝えたそれぞれの高僧も、彼の名前を同じように推測した。
 彼はカナダを通って太平洋のヤキマまで、西へと旅した。彼は非常に尊敬されていたので、人々は彼の名前「トラ・アコマ」(奇跡の主)を讃えるために、自分たちの最も高い山を「タコマ」と呼んだ。南に向きを変えて、彼はヤクイ族とズーニー族、ハヴァス族とアコマ族を訪れた。バハ・カリフォルニアのセリ族はいまだに、トラゾマがまぶたの上に濡れた砂を置いて盲人を癒した時のことを語り伝えている。彼らは一体となって彼を崇拝した。

トゥーラへの入場

 預言者が中央メキシコにあるトルテク帝国の首都トゥーラにやって来た時、彼の名声はすでに知れ渡っていた。「すでに至るところで人々は待っていた。人々は山の上まで埋め尽くし、道路に列をつくり、歌を歌っていた。数々の物語が何千マイルも離れたところから大衆を引っ張り出し、すべての町や村は空になった」
 「彼が花を好んでいることを人々は以前から知っており、今や花々の香りが空気を満たし、雨のように彼の上から花が降り注がれた。彼がトゥーラに近づくにつれてこの雨の勢いは強まった。厚い花のじゅうたんが道路を覆った。……彼が花びらの上を歩くやいなや、人々は走り出し、一瞬でも彼の体の重みに耐えた花びらを得ようとして奪い合った」
 「……彼は入口の門の前で、その素晴らしい美しさを見つめるために立ち止まった。それから、真珠やエメラルドで飾られた重々しい鉄の門をくぐった。君主が彼の前に低く頭を垂れ、彼を黄金のトゥーラに付き添い導いた。そうすると、100万人の群衆から海鳴りのような叫び声が上がった。トルテク人の口からその声は沸き起こった」
 「……彼が話し始めた時、一つの奇跡が起こった。トルテク人に語りかける美しい音楽的な声は、丘の上から街の向こうまで、壁や山の上まで響き渡ったのである。一人の人間の声がかくも遠くまで伝わったことはなかった」。彼は自分の旅について語った──自分の得た友人たち、そして愛と理解を通じて和解した自分の敵たちについて。彼は指導者たちに向かって、奴隷制と人身供養を放棄することによって聖なる道を守るよう訴えた。トゥーラでの最初の日にこのように語り、人々はその高慢な頭を一つひとつ垂れた。トルテク人の間での滞在は何年も続いた。テオティワカンにある太陽の寺院とチョルーラにある聖なるピラミッドは彼の特別な神殿であり、そこで僧たちに古のイニシエーションの儀式を教えたと言われている。彼の言葉と奇跡はその地の思考と習慣を通じて一つの共通のパターンに織り込まれた。
 平和と和解の中で、トルテク人は国家としての真の力を見いだした。彼はトゥーラを去り、ユカタン半島を通って東に向かい、この半球における最後の日々をコスメル島で過ごした。壮麗なアカスギの船に乗って日の出に向かって漕ぎ出し、海の向こうにある自分の故郷、トラパリャンに向かった。

アメリカにおける伝説

 彼は去ったが、彼が残した伝説は多くの形を取った。それを神話と呼ぶ者たちもいるが、彼の歴史的実在を確信する者たちもいる。ハワイの学者、故フランク・バック博士は、彼の衣装と彼が乗っていた船の型は紅海に起源を持つと考えた。バック博士は、中国やインド、日本の伝説の中の青白い皮膚の教師についての同様の物語を引用した。日本のワコヤマ(Wakoyama)山は、そこで教えを説いた白い神にちなんだ名前であると言われている。
 『モルモン書』*は紀元前600年から紀元421年までのアメリカにおける出来事を記録している。その中には、キリストの再臨の予言と磔刑後のアメリカでの出現についてのいくつかの章が含まれている。聖書やインド教典のように、彼は奇跡を起こし、自分の仕事を引き継ぐ12人の弟子を選んでいる(第三ニーファイ第28章)。
 ハンセン自身は、この教師は初期キリスト教時代の宗派であるエッセネ派のメンバーであると思った。エッセネ派の人々はトーガに似た衣装を着て、常に「我が父」としての神について語った。彼女がインタビューをしたアメリカ先住民はエッセンという言葉を知っており、彼らがこの預言者に付けた名前、「エ・シー・コトゥル」と「エ・メ・シー」は、この派生語とも考えられる。

未来のビジョン

 旅行全体を通じて、カテ・ザール──中央アメリカではこう呼ばれていた──は時々、この地の人々の残酷で悲惨な未来を予言した。彼は、トゥーラの上にあるポポカテペトゥル山でしばしば祈った。ある日、この白い雪に覆われた山の上で見たビジョンのため、彼自身の髪が白くなった。
 下方の平野を見つめている時、幕が開き、彼は未来を見た。奇妙なお祭り騒ぎが街路を満たし、寺院では不浄な儀式が行われていた。美しい花々や珍しい羽をつけた鳥たちはもはやいなかった。人々の微笑みは消えていた。儀式の際には詠唱していた、彼が注意深く教えた僧侶たちもいなくなっていた。カテ・ザールは忘れ去られ、彼の教えはほのかな記憶でしかなかった。
 彼が見つめていると、力強いポポ山自体が揺れ始めた。大地震が大地を裂き、黄金のトゥーラはよじれて死に絶えた。猛火が生命の最後の痕跡までも焼き尽くした。もう一つの幕が開き、移民の広大な波が大地を覆い、略奪者たちが到着して王国を荒廃させた。これらの侵略者たちは、戦争を持ち込んで寺院を汚した。それぞれの軍隊はその前の隊よりも強力だった。人身供養が彼らの文化と信条の土台となった。
 彼が恐怖のうちに見つめていると、もう一つの周期が開いて、彼は日付をはっきりと見た。それはテ・テク・パトゥルの年──1519年──であった。東岸には、武器に身を包んで遠くから人を殺すことのできる杖を持った白い肌の男たちがいた。彼らは十字架を持っていたが、愛しているのは武器と戦争だけであることが彼には明らかであった。これらの者たちが非常に素早く残酷に広がってこの土地の表情を永遠に変えてしまうのを彼は悲しく見つめた。五つの周期の間(520年間)、侵略者たちがかつてないほど破壊的な武器を作り、神々にさえ挑戦しているかのように貪欲のままに振る舞うのを彼は見た。これらの光景を見ながら、自分が築いたものすべてが無駄で不毛なことのように感じた。色彩豊かに輝く彼の都市はどこに行ってしまったのか。彼の法に喜んで従った人々、彼の一触れに喜んだ幸せな子供たちはどこに行ってしまったのか。嘆きの叫びと共に、彼は民衆のために祈った。
 トゥーラを去る時、カテ・ザールは自分のビジョンについて人々に語った。未来の世代がその言葉を見つけだすことができるように、隠れた洞窟の中に神聖な書き物を保存するよう人々に警告した。ポポ山が来るべき大崩壊の時を告げるであろうことを子供たちに伝えるようにと語った。これらの災害を避けるために彼の道に忠実であるように訴えた。
 それから巨大な岩をつくり、「夜明けの星」の未来の周期を複雑に彫りつけた。その上に警告の時を記し、すべての者が白い皮膚の略奪者たちに気づくことができるようにした。
 これらのことを信じない者もいたが、信じて泣いた者もいた。すべての者が、自分たちの周りの美しいものがかくも容易に失われるかもしれないことに当惑した。しかし、ポポ山の頂で預言者にはさらなる未来の周期が明かされた。その年は2039年で、彼が谷を見下ろした時、生まれ変わった土地を黄金の太陽の光が照らしたのである。ついに人類の試練の時は終わり、その幼児期の戦いから脱却した。彼の前にあるものすべてが美しかった。
 あらゆる国々の書物を学ぶ大きなセンターが点在していた。彼の言葉がすべての者に見えるように壁に刻まれていた。彼の神聖な寺院は美しく復興されていた。再び僧たちは「神聖なる道」を守っていた。こうした周期についても、彼はトゥーラで明らかにした。その日は招待の日であり、来るべき年月の贈り物であるという彼の最後の言葉を与えた。
 「この未来の時代を私と共に歩きなさい。未知の物質でできた輝く建物と新しい輸送形態を見なさい。鳥や花に囲まれた公園をわたしと共に歩きなさい。もはや恐怖に脅えてはおらず、わたしの光に輝いている人々の顔を深く見つめなさい。人類が胸を張ってその運命に向かって──学びの黄金時代へと──歩む時代として、この時代を見なさい。時代時代を通じてこのビジョンを語り継ぎ、預言者カテ・ザールを常に覚えておきなさい」
 アメリカの砂漠の村落の中には、これらの言葉を忘れない人々がいる。というのは、彼は遠い将来に再び戻って来るとも約束したからである。彼らは辛抱強く待ち、毎夜、彼の再来のためにろうそくを燃やしている。「もしあなたたちがわたしの教えに忠実であり、毎日を正しく生きていることを示すならば、わたしが『夜明けの光』の中で戻って来るまで、夜に光を燃やし続けなさい。そうすれば、汝らを『我が父の王国』へと導こう」
 ユカタン半島の深いジャングルの中には、聖なる僧たちが隠れ住んでおり、彼の道を何世紀にもわたって守り続けている。彼らの寺院の中でも、預言者が最初に炎をつけた日から2,000年間、絶えず光が燃え続けていると言われている。

L. Taylor Hansen, He Walked the Americas. Amherst Press, Amherst, Wisconsin, 1963.(現在も入手可能)
(ベッティ・ストックバウアー氏の許可を得てシェア・インターナショナル誌1994年8月号の記事を再掲載[日本語訳は表記等を一部変更して再掲載])

【編註:ベンジャミン・クレームの師は、イエス覚者が実際に6世紀と7世紀において長年にわたり、ポリネシアと、北、中央、南アメリカで教えを説いたことを確認した】

[*『モルモン書』──末日聖徒イエスキリスト教会や他のモルモン教会において、聖書に加えて聖典として受け入れられた書物。ニューヨーク州パルマイラで1830年に初めて出版され、その後、広く転載され翻訳された。信奉者たちは、本書がこの宗教の創始者ジョセフ・スミスに対して啓示され彼によって翻訳された、神の霊感を受けた書物であると考えている。britannica.comより]

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

『お知らせ用』ナンバープレート

 2023年3月11日の週末に、カリフォルニア州ロサンゼルスにあるベンジャミン・クレーム美術館での仕事に出かけました。土曜日に親友を訪ねて、私たちは霊的な事柄や、世界と人類の状態についてたくさん話をしました。翌朝、美術館へと戻る高速道で車を運転していて、黒っぽい色の車が私の左側を走っているのに気づきました。その車が私を越して行った時、ナンバープレートに「イエス、Dデー(YES DDay)」* と書かれていたのです。私は車を寄せてどんな人が車に乗っているのか見ようとしましたが、ウィンドウが濃い着色ガラスだったので、内側は何も見えませんでした。
 ナンバープレートはカリフォルニア州のもので、白地に青い文字で書かれていました。非常に驚いたのは、プレートのあちこちにローズピンクの斑点が付いていたことです。「あのような男らしい車に、あのような『女らしい』ナンバープレートなんて」と思ったことを覚えています。
 私たちのグループのメンバーたちが、覚者方の作られたナンバープレートの体験を何度かしてきているのを思い出しました。この体験もそうしたものの一つだと思いました。標準的なカリフォルニア州のプレートは文字か数字の7字分のスペースが認可されていますが、このプレートは8文字分あって、ピンク色の斑点も大変に独特なものでした。
 そしてもちろん、美術館への道のりの間中うれしくて、そのことを思うと、今でもうれしい気持ちなのです。

オルガ・チャンピオン
米国、カリフォルニア州パームスプリングス

* 私たちはこのことを、世界教師マイトレーヤが間もなくより公の存在となっていくことへの言及であると考える。大宣言の日(Dデー)とは、マイトレーヤの真の地位が世界規模で認知され、体験される日のことである。

次の2通は同じ人物からのものです。

魔法のような慰め

(1)2023年2月28日、私にはとてつもない出会いがありました。
私はトラムの座席に座っていて、背後と隣に若い男性が二人座っていました。モロッコ出身の人たちのように見えました。
 突然煙が見えたので、おかしなことだと思いました。公共の乗り物での喫煙は何年もの間、禁止されているからでした。私は背後の若者に「タバコを吸いますか?」と声をかけました。「いいえ、奥さん」と彼が返事をしました。「タバコは吸いません。指を使います」と言いました。
 彼は指を口の中に入れて、指を吸うと、大きな煙の輪を吐き出しました。
 「からかっているんでしょう。電子タバコか何かを持っているのね?」と私は言いました。彼は何も持っていない両手を見せて、もう一度指を吸いました。さらに大きな煙の雲が口から出てきました。
 もう一人の若い男性もまた、空の両手を見せて指を吸い、同じことをやりました。「私も同じことができますよ、奥さん」
 「どうやっているの?  魔法みたいね」と私は言いました。
 私は現在、困難な時期を過ごしています。息子が重病を患っているのですが、この若者たちは本当に私を大笑いさせてくれました。他の乗客たちは全く反応しませんでした。まるで私が、彼らを見ることのできる唯一の人間であるかのようでした。
 私がトラムを降りる時、彼らは私のために、とても幸せな一日になることを願ってくれました。

(2)再びの慰め

 数日前(3月19日の日曜日)、私はトラムの席で、60歳くらいの女性の隣に座っていました。彼女は白髪の長髪で、歯が2本だけでした。小さな赤い鳥を網の中に入れて両手で抱えていて、鳥の頭だけが網から出ていました。
 「それは本物の鳥ですか?」と私は尋ねました。「ええ、撫でてもいいですよ」と彼女が言ってくれたので、小さな鳥の頭を撫でてやりました。
 「飛んでいってしまうのが心配ではないですか?」と私が尋ねました。
 「飛んでいくけれど、いつでもまた戻ってくるのです」というのが彼女の返事でした。
 ちょうど一週間前に亡くなった私の息子クリスチャンのことを、すぐに連想しました。私は大いに慰められたと感じました。

ナンシー・デ・グラーフ
オランダ、アムステルダム

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです。

Q 現在の政治について説明していただけますか。(2016年7月)

A 多くの国でファシズム(全体主義)が台頭しています。それは古いやり方の崩壊と新しいものの成功の始まりに関係しています。間もなく状況は良い方に変わるでしょう。嵐はほとんど過ぎ去っています。私の師によれば、私たちにはまだ認識できないとしても、それは強度を失いつつあります。

Q 覚者方は現在の紛争のレベルに驚いておられますか。

A 私の師は、闘いは予想されていたが、今日のような恐るべき野蛮さを伴うとは予想されていなかったと言われます。それは長くは続かないだろうが、平和を得るためにはそのコースを辿らなければならない、と師は付け加えました。「混乱はそのコースを辿らなければならないが、『新しい摂理』が到来するまで、それほど長くはないだろう」

Q 他の要素も関係しているのでしょうか。

A 一つの切迫した問題は人口過剰です。世界は、現在の世界人口を養うほど大きくはありません。人口は急激に増加しています。空間の占有を巡る闘いがあります。
 紛争はほとんど常に、ある宇宙的状態から別の状態への変化の結果です。あまりに多くの人々が古いやり方に縛られています。混乱は古い秩序から新しいものへの動きの結果です。私の師は言われます。「別の行動や存在の仕方への必要を認識するには、多くの人々はあまりに心配しすぎているか、あまりに無自覚である」と。また、人々は現在の困難の強度が減少していることも認識していません。

Q シャンバラのエネルギーは強まっているのですか──特に過去1、2年の間に。それが緊張と紛争の多い理由ですか。

A はい、そうです。それは強まっています。しかしまた、金持ちの人々が独立して非常に貪欲になっています。彼らはあらゆるものに関して有利になれないのを恐れています。富を失うのを恐れています。
 クレームとの最近[2016年当時]の編集会議の過程で、現在の世界危機についての覚者の見解を求めた。以下に、覚者のコメントを掲載する。

覚者によるコメント

ベンジャミン・クレーム筆記
2016年7月25日

 現在の状況は間もなくより良い方向に向きを変えるだろう。嵐はほとんど過ぎ去った。われわれがまだそれを認知していなくても、嵐はその勢いを失っている。
 大混乱はほとんどいつも、ひとつの宇宙(コズミック)の状態(周期)から他の状態への変化の結果である。多くの人々はいまだ古いあり方の中に捕えられている。多くの人々は行動やあり方を変える必要を認知するには、あまりにも不安であり、あるいは全く気づいていない。
 また、人類が新しいエネルギーにどう反応するかの問題である。ほとんどの反応は貪欲か恐れに基づいている。富める者たちは(党派などに左右されず)独立し、非常に貪欲になった。彼らは利用し得るすべてを有利に獲得できないだろうということを恐れており、また彼らの富を失うことを恐れている。人は、世界がひとつであることを、ひとつの人類であることを認識しなければならない。貪欲と競争に基づいて資源・富を管理する金持ちは、危険を覚悟で、この真理を否定する。

(シェア・インターナショナル誌2016年9月号)

Q イエスの生涯はとてつもなく多くのことを含み、驚くべき犠牲、愛と霊的意志の例示でもあります。(1)私たちは、この世界はやがて、復活祭と復活の重要性を世界規模で認識するようになるのでしょうか。(2)覚者方は将来、「ビオスコープ(映写機)」を通して、イエスのような偉大な方々の生涯で起こった実際の出来事を見ることを可能にしてくださるでしょうか。

A (1)はい。(2)はい。

Q (1)ゲッセマネの庭での出来事と、その後の十字架の磔についての聖書の記述は正確なものですか。(2)ヨハネによる福音書が福音書の中で最も正確ですか。

A (1)概ね正確です。(2)それらは互いに競合するものではありません。それぞれの弟子が自分の経験、理解、進化の度合いから書いたものです。

Q イエスがマイトレーヤによって生き返らされた後に、弟子たちがイエスを認知できなかったということがどうしてあり得たのですか。

A 彼らはイエスを確かに認知しましたが、信じるのが困難だったのです。

Q 「最後の晩餐」において、イエスは実際に、彼の人生の記念として、聖別されたパンとワインを彼の肉と血であると見なすべきだと言ったのですか。この場面は何かの象徴と見なすべきですか。そうだとすれば、それは何ですか。

A 彼の言葉は文字通り全質変化(聖餐のパンとワインとをキリストの肉と血とに変化させること)を意味するのではなく、比喩的なものです。しかし、聖餐が摂られるときはいつでも、それはイエス覚者によって磁化され、司祭が十分に進化していれば、マイトレーヤご自身によって磁化されます。

(シェア・インターナショナル誌2014年6月号)

Q イエスの母マリアは、当時においては非常に特別な存在だったに違いありません。(1)彼女は息子がメシアであることを意識していましたか。(2)彼女と夫ヨセフは、息子をそれに沿って扱い、奉献された未来を念頭に置いて育てましたか。(3)彼らの性質や性格について何か述べることはできますか。彼らは常に理想化されたやり方で描写されていますが、それは正確ですか。

A (1)告げられた時には、意識しました。(2)はい。(3)与えられた描写はかなり正確です。彼らはエッセネ共同体のメンバーであり、真剣な宗教生活を送っていました。

(シェア・インターナショナル誌2000年6月号)

Q イエスが今キリストではないのなら、キリストはどこにいて、将来何をなさるのですか。

A イエスは、今はキリストではありません。彼は洗礼(バプテスマ)から磔刑までの3年間、キリストとして行動しました。それ以来、覚者となっています。彼は転生を離れ、非常に速やかに戻ってこられ、約7年後にティアナのアポロニウスとして現れました。アポロニウスとしてインド北部に行きました。その生涯で覚者となり、アシュラムを開き、インド北部で葬られ、そこから伝説と多くの書物が生まれました。イエスは十字架で死んだのではなく、蘇生してインドに行きそこで埋葬されたというような伝説です。その人物はイエスであった人ですが、次の転生でアポロニウスとなりそこで埋葬されたのです。
 イエスはそれからも何度か転生しています。彼は自分の名前を保持しました。6世紀と7世紀にはアメリカに行き、この国全土のインディアンたちに教えを説き、それからポリネシアに行き、ポリネシア人と多くのインドの部族に教えを説きました。

2023年3月号目次

 

覚者より
平和のための分かち合い
ベンジャミン・クレーム筆記

編集部のコメント

視点
朗報だ !
われわれは、企業をわれわれの意志に従わせることができる
ロバート・C・ヒンクリー

統合と同胞愛 歴史と心理学への秘教的アプローチ第二部
アレクサンダー・ドゥーヴェス・デッカー

瞑想 (1)
アート・ユリアーンス

官民連携を廃止せよ——公共的な未来を築くために
オセアン・ブラヴォット、ロドルフォ・ベジャラノ、マエ・ブエナヴェンチュラ

三つの大きな霊的祭り―選集
The three major Spiritual Festivals – a compilation

時代の徴
マスターフル
見事な援助、 他

米国の環境問題の改善と課題
シェア・ギルモア

民衆の声
2023年2月1日、英国で50万人がストライキに参加、他

レイチェル・カーソンは
最前線にいる今日の科学者たちを鼓舞している
ジーン・マニング

臨死共有体験のベールを剥ぐ – 第二部
ジェイソン・フランシスによるウィリアム・J・ ピーターズ氏へのインタビュー

編集長への手紙
覚者はすぐそばに、 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

平和のための分かち合い

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 人は分かち合うとき成長する。今までこの単純なる真理にほとんど注意が払われなかった。多くの者にとっては、分かち合いは自然な当たり前のことである。しかしある者にとっては、その概念は異質なものであり、疑惑と苦痛に満ちている。そのような者たちにとっては、自分のものはすべて、ほとんど神聖にも近い権利によって彼らのものであり、分かち合うことは異質なばかげたことである。それでは、人類はいかで世界平和のための必須条件である分かち合いと再分配の方向に進むことができようか。

 今日どこを見ても、人間は分かち合うことのできない自分たちの無力の結果を見る。地球の至るところで何百万の人間が飢え、そして死んでいる。数え切れない人間が悲惨と絶望的貧困の中に生き、生まれた時から早期に墓に入るまで、苦しみ続ける運命にある。

 人間が地上に存在する理由を理解するようになるとき、変化はやって来るだろう──人間は広大なる進化の実験の一部であり、その目的は二、三を除いたすべてのものに隠されていることに気づくとき、彼ら自身が魂であり、唯一の超魂(オーバーソール)の部分であることを認識し、そして各々がお互いとのアイデンティティーを把握するとき、分かち合いは自然の秩序であり利己主義と貪欲は異常であることを理解するとき、分かち合うことが成長するためのチャンスとして見なされるとき、人は、彼らの悲しみと分離への訣別として、分かち合いを抱擁するだろう。

 その時は今、われわれの頭上にある。内的な力と外的な事象(イベント)の圧力が世界的規模で感じられ、人間の現状と見通しの再評価を引き起こしている。人間の無惨な搾取にさらされて、この惑星は無限に生命を支えることはもはや確かではなくなっている。核による絶滅の脅威が絶えず存在し、他方、経済競争と金融の混乱は数え切れない何千何百万の人間の日常生活をさいなむ問題を提起する。

 国家がこれらの問題を討議するために集うことは現在常識になっているが、それには大切な意味がある。そのような会合は、人間がこの惑星の執事としての責任に気づきはじめ、その状況を改善するための決定を行う用意ができていることの合図である。その決定のうちで一番初めに決められねばならないことは、分かち合う覚悟である。世界の資源がより公平に分かち合われるとき、人間の問題の半分は一夜のうちに消え去るだろう。すでに多くの者がこのことを自覚している徴候が現れており、分かち合いを呼びかける声が至るところでもちあがっている。賢者は分かち合いが永続する平和の唯一の基盤であることを予見し、そして若者たちの英雄も、彼らの人気ある声を添える。

 これは未来のために良い前兆である。なぜなら、それは人間が彼らの前にある選択──分かち合うか死ぬか──にやっと気づき、同胞愛と愛の精神で行動する用意があることを示しているから。人間はもはや彼らの運命を他人の手に──盲目で年老いた男たちの構成する政府に──任せておくことに満足せず、彼らの未来と彼らの世界を守るために直接に参加する必要を感じている。

 多くの者はいまだ恐れている。しかし「新しい時」の光は刻々と輝きを増す。多くの者が新しい時代の夜明けを希望と期待をこめて待ち、奉仕し、そして成長する機会を自覚している。彼らは自分たちが独りではなく、彼らのビジョンを分かち、同胞愛と平和を同じように待ち望む者たちに囲まれていることを知る。

 分かち合いを通してのみ、あのビジョンは実現されるだろう。分かち合いを通してのみ、あの平和は勝ち取られるだろう。それが今のこの時のメッセージである──分かち合って、神の反映となる存在へ成長しなさい。分かち合って、平和と愛の時代の幕開けをしなさい。

(シェア・インターナショナル誌1985年10月号)

編集部のコメント

 今月号が印刷に回される頃には、2月24日に近づいているだろう。1年前にウクライナでの戦争が開始された日である。世界の世論をさらに分断させた死と破壊の1年、いわゆる「核兵器の使用」が現実味を帯びる恐怖だけでなく、一層の国際的な不安定さがもたらされた1年であった。
 「裂開の剣」は、私たちが認知するしないにかかわらず、すべての人に選択を迫るという働きをし続けている。かたくなな意見もまた家族やグループを分断させる──それぞれの側が自分は英雄を支持していると確信するからである。

 空想じみているかもしれないが、裂開の剣は鋭さを増しているようである。人類に突きつけられた選択肢は一層はっきりしたものになっている。世界は選択することを求められている。最高の公共の利益、80億人全員のための協力的で健全で公正な未来を選ぶことや、正しい人間関係を創造し維持するすべてのものとそうした本来の在り方を分割し破壊するあらゆるものとを区別することが求められている。神の大計画に沿った未来、すべてのものが繁栄し地球の健康が保証されるような未来を望むならば、あらゆるものを変えるべき時であることは確かである。非常に商業化された生活様式の間違った価値観とそのあらゆる破壊的な影響を見限るべき時である。

 私たちは選ぶことを求められている。あつれきを招くひどい物質主義から抜け出せずにいるか、あるいは、すべての事柄を正しく和解させる解決策へ向けて働くか。そうした決定的に重要な選択をするとき、どちらかの「側(サイド)」を選ぶのではなく、「一つたること(ワンネス)」を、「和合」を選ぶことを目標とすべきである。平和を確実なものにするためには、多様性という現実を受け入れ、協力し交渉する方法を探ることが不可欠である。
 歴史や論理、常識といったあらゆることは、この惑星と私たち自身を含むすべての種の生存を第一の優先事項にすることが急務であり、戦争を終わらせなければならないことを示唆している。交渉が、永続的な平和への唯一の方法である。

 今月号の内容と、過去42年にわたって発行されてきたシェア・インターナショナル誌の全般的な目標や論調が、「いのち」への畏敬の念を呼び起こし、この惑星や人類同胞への愛を喚起し、さらにマイトレーヤと覚者方への、そして「神の摂理」という事実への愛と感謝の念をかき立てるのに一役買い、そのようにして私たちが和合を選択し多様性を受け入れ始めることを期待したい。

 ベンジャミン・クレームの師はそれを次のように表現しておられる。
「賢者は分かち合いが永続する平和の唯一の基盤であることを予見し、そして若者たちの英雄も、彼らの人気ある声を添える。
 これは未来のために良い前兆である。なぜなら、それは人間が彼らの前にある選択──分かち合うか死ぬか──にやっと気づき、同胞愛と愛の精神で行動する用意があることを示しているから。人間はもはや彼らの運命を他人の手に──盲目で年老いた男たちの構成する政府に──任せておくことに満足せず、彼らの未来と彼らの世界を守るために直接に参加する必要を感じている。

 多くの者はいまだ恐れている。しかし『新しい時』の光は刻々と輝きを増す。多くの者が新しい時代の夜明けを希望と期待をこめて待ち、奉仕し、そして成長する機会を自覚している。彼らは自分たちが独りではなく、彼らのビジョンを分かち、同胞愛と平和を同じように待ち望む者たちに囲まれていることを知る。
 分かち合いを通してのみ、あのビジョンは実現されるだろう。分かち合いを通してのみ、あの平和は勝ち取られるだろう。それが今のこの時のメッセージである──分かち合って、神の反映となる存在へ成長しなさい。分かち合って、平和と愛の時代の幕開けをしなさい」

三つの大きな霊的祭り――選集

The three major Spiritual Festivals ── a compilation

「三つの大きな霊的祭り」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。引用文は、マイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』)、アリス・ベイリーを通してのジュワル・クール覚者の言葉(『キリストの再臨』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 毎年春が近づくと、霊ハイアラキーは4月、5月、6月の春の三つの祭りの準備をする。毎年その年が近づくと、光を求め、奉仕することを願う者が、より十分に、より効果的に奉仕することができるように、わたしたちは計画を始動させる。……
 この高まった活動の時を、わたしたちは霊的推進と呼ぶ。そしてこの期間に、すべての霊的活動は何倍にも力を強化されるだろう。あらゆる種類の霊的活動が、それがどのような伝統や信仰に起源するものであれ、この数カ月の間に高揚を見、もしこの機会を十分に利用するならば、多くのことが達成されるだろう。奉仕し、世界をより良きものにすることを願う者はすべて、これらのエネルギー(フォース)に接触し、これを使い、そしてそれらを自分たちの人生の中に顕現させることが義務である。
 わたしたちは人間の中に、責任の分かち合いについての新しい意識を確立することを求める。一致協力した行動の味を、彼らの中に目覚めさせることを求める。わたしたちはこの二つが顕現できるような条件をつくるように努め、そのようにして変化に導く。すべてがエネルギーである。エネルギーのみが存在する。人類という中心(センター)におけるこれらの高度のエネルギーの影響を通して、世界に新しい雰囲気を生み出すことを求める。

(『覚者は語る(1)』─重要な機会─より)

問 「霊的促進(スピリチュアル・プッシュ)」を通してくるエネルギーはメディアに向けられたのですか、そしてそれはマイトレーヤを世界の舞台の前面に出しますか。(1984/6)

答 「霊的促進」を通して放出されたエネルギーは特定のカテゴリーの人々に向けられたのではありません。それはむしろ、新しい雰囲気をつくり出し、そのなかで国際関係に関してより良い決議がなされることが望まれたのです。世界の緊張の緩和や状況の改善はすべてマイトレーヤの出現を促進します(彼の降臨の条件を満たしますから)。しかしエネルギーが「マイトレーヤを世界の舞台の前面に出す」と、単純に言うことはできません。……

(『マイトレーヤの使命 第1巻』)

満月

問 お祭りがなぜ満月の時に行われるのですか。(1977/5)

答 満月の時には、エネルギーがより多く得られるからです。エネルギーの導管が開かれ、より強力になり、より得やすくなるのです──この時期にだけエネルギーが強力であるというのではなく、ただ人類にとっては、最も同化しやすい時なのです。満月の時には、そのエネルギーに波長を合わせ、それと整列し、同化しやすいのです。
 ジュワル・クール覚者の言葉によると、あたかも太陽と月の間の扉が全開されたかのようであり、霊的な性質の行事を可能にさせるのです。月はいつでもそこにある。しかし、満月の時には、地球に対してその導管が最も開くので、他の時期よりも人間がハイアラキーにつながりやすくなります。

(『世界教師「マイトレーヤ」と覚者方の降臨』)

 世界中至るところで満月の時に──三大祭りの時には特に、またその他の九回の満月の祭りにも──グループが集い、この時期に特に満ちるエネルギーに波長を合わせています。満月の時には、普段流れている他のすべてのエネルギーを条件付ける独特のエネルギーがあります。特に三大祭りには、大いなる神のエネルギー、光と愛と意志のエネルギーが入手できます。祈願文や瞑想を通して多くのグループは、この時期にことさら得やすい、大宇宙と黄道帯から流れ出ずるエネルギーに波長を合わせ、地上に固定させ、伝導することを学んでいます。

 (『世界教師「マイトレーヤ」と覚者方の降臨』)

24時間伝導瞑想

問 (1)24時間続ける伝導瞑想は通常の定期的な伝導瞑想と比較してどのように違うのですか。
(2)時間帯によってはわずか3人位の人数になってしまう24時間の伝導瞑想をやるよりも、例えば10時間とか5時間位、10人か20人くらいの人数で、本当に意識を集中させてよく伝導する方がずっと良いのではありませんか。

答 (1)24時間の伝導瞑想はまず時間がずっと長いということ。またそれは1年にわずか3回、すなわちハイアラキーのとり行う春の主要な祭り、復活祭とウエサク祭と人類の祭りの時にのみ行われるということ。
(2)この質問に対する答は条件つきの肯定です。しかしながら、春の三大祭りは世界中のグループが一緒に強力なリズムを確立するためのユニークな機会を提供してくれます。24時間中、ハイアラキーはすべての活動的なグループを一緒にグローバル(全地球的)な光のネットワークに結びつけることができます。ハイアラキーは光のネットワークを絶えずつくっており、それを強化しております。また強力な心理的要素が含まれています。すなわち、この三つの祭りを祝うことで推進される志向と奉仕へのさらなる刺激です。

(『伝導瞑想』)

問 5月にウエサクの満月の祭りが行われます。正確に何が起こるのですか。

答 ウエサク祭はヒマラヤ山脈の谷間で(エーテル界のレベルで)行われ、それはとてつもない素晴らしいイベントです。この谷間に大きな石があり、その上に水を一杯に満たした大きなクリスタルのボールが置かれます。霊的ハイアラキーのメンバーのすべて──3人の大主、チョハン、覚者、イニシエートなど様々な階級を含むすべて──が勢揃いし、入り組んだパターンの儀式的なムーブメント(動き)を演じます。やがて月が地平線の上に昇ると、仏陀が(ゴビ砂漠のエーテル界上にある)シャンバラから来られて、クリスタルの器の上空を徘徊され、水を(エネルギーで)充満されます。仏陀はシャンバラのフォース(エネルギー)を3人の大主──キリスト、マヌ、マハチョハン──に放出されます。これは強力な第1光線であり、意志と目的のエネルギーです。それは3人の大主方の間で循環し、貯蔵されて、その年の終わりまでに徐々に世界の中に放出されていきます。この時が、仏陀が日常の世界に最も近づいて来ることのできる機会であります。仏陀はマイトレーヤの到来に非常に密接に関連しております。仏陀とマイトレーヤは兄弟であり、時の始まりから世界における彼らの使命のために準備されてこられたのです。

(シェア・インターナショナル誌1990年6月号)

問 双子宮(ジェミニ)の満月のキリストの祭りには、何が起こるのですか。(1977/5)

答 双子宮(ジェミニ)の満月の日がキリストの祭りです。それは人類が神に近づくのを祝うお祭りです。新しい世界宗教では、毎月満月の日に神に向かって強く統一された接近を行うでしょう。特に春の三大祭りの4月(白羊宮(エアリス))、5月(金牛宮(トラウス))、6月(双子宮(ジェミニ))において、世界中でそれらの祭りが同時に祝われるのです。……
 6月の祭り、双子宮(ジェミニ)の祭りは、まずは人類の祭りです。今日ではキリストの祭りと呼ばれていますが、これは人類兄弟の最年長の兄としてのキリスト・マイトレーヤの祭りであり、ハイアラキーのキリストだけでなく人類の代表としてのキリストです。何にもまして、それは善意の祭りであります。すべての人類の幸せを願う思いを分かち合うこと、これが善意と呼ばれるものです。

 (『世界教師「マイトレーヤ」と覚者方の降臨』)

 善意の祭り。これは人類の心──神に向かって志向し、神の意志との和合を求める心──の祭りであり、正しい人間関係の表現に献げられる。これは毎年6月の満月との関連で決められるだろう。人間の霊的な神聖な特質が認識される日であろう。(過去)2,000年の間この祭りの日に、キリストが人類を代表して霊ハイアラキーの前に立ってこられた。そしてシャンバラの目には、神人として、彼の民のリーダーとして、そして「多くの兄弟のうちの嫡子」(ロマ書8章29節)としてキリストは立たれた。毎年この日に、彼は集合したハイアラキーの前で、仏陀の最後の説教を説かれた。であるから、これは同胞愛への基本的志向と人間的霊的和合の深い祈願と訴えの祭りであろう。そして人類の意識にある仏陀とキリストの仕事の効果を代表するだろう。

(アリス・ベイリーを通してジュワル・クール覚者、
『キリストの再臨』シェア・ジャパン出版)

 三つの大きなお祭り、復活祭の祭り、1カ月後にウエサクの祭り、そしてまた1カ月後にキリストの祭りが世界中で同時に祝われるようになるでしょう。その他に九つの祭りが、一年の他の9回の満月の時に祝われるでしょう。三大祭りが新しい世界宗教の中心的な行事になり、それぞれを通して神への大接近をなす──神の光と神の愛と神の意志を請い願うことによって、それが地球にしっかりと錨を下ろし、人類に注がれるようになります。

 (『世界教師「マイトレーヤ」と覚者方の降臨』)

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。