臨死共有体験のベールを剥ぐ──第二部

ジェイソン・フランシスによるウィリアム・J・ピーターズ氏へのインタビュー

シェア・インターナショナル誌(以下SI)2月号に掲載されたインタビューの第一部で、ウィリアム・J・ピーターズ氏は、自身の臨死体験や死期が迫っている人と接する仕事を通して、生涯にわたり、「臨死共有体験(SDE)」を探求することになった経緯について語った。SDEでは、遺族や介護士が、臨死体験のように、死期が迫っている人があの世へ旅立つ際に立ち会うものである。第二部で、ピーターズ氏は、医療関係者のSDEに対する見解、人が亡くなる前、亡くなる最中、亡くなった後に起こり得る様々な体験、SDEが介護士や遺族に与える重大な変化、癒し、慰めについて話した。

SI:医療関係者が、こうした体験を生物学的に説明したいと思う気持ちは分かります。しかし、医師や医療スタッフは、末期患者であろうと心臓発作、事故などで突然死する患者であろうと、死期が迫っている患者をケアするわけですから、時に終末期の現象に遭遇することもあるのではないでしょうか。

ピーターズ:ベテランのホスピス職員──看護師、CNA(認定看護助手)、そして死期が迫っている人と直接係わる人、この場合は介護士や故人が愛する人たち──の多くは、こうした経験を興味深い出来事として知っています。つまり、いつも経験しているわけではないのですが、ベテランのホスピス職員は気づいています。しかし、それを解明する方法はたくさんあります。医療スタッフは、こうした経験をカルテに記入するのに有効な言葉を持っていません。医学用語では、これを「終末期現象」と呼びます。そういった現象が見られるということを知ってはいますが、それに対して何もしないし、何か意味があるとも思っていません。実際、それは良い定義なのですが、視覚的に表現できないのです。「終末期現象」として文献に載ってはいますが、患者の治療には何の役にも立ちません。

 実は、それこそが肝心なのです。この終末期現象は、人間が経験することの本質を語っています。魂、精神、意識は、死後または生前のビジョン、あるいは臨検においても、こうした臨死共有体験や他の終末期現象の中で明らかにされています。私たちが知っているこうした現象はすべて、死と臨死の際に起こっています。しかしながら、医学界の主流はあまりそのことに触れようとしません。実際、死期が迫っている本人、その介護士や愛する人がこのような体験をしているのを見ると、「そんなのは幻覚だ」と疑ってしまうケースもよくあります。疑ったり、否定したり、非難したりすることがあるのです。介護士や愛する人の場合、医学的な精神鑑定が必要だ、などの非難を受けます。そうした体験は、健康的で正常な反応ではないため、深い悲しみによって起こる幻覚あるいは解離だ、と医学界の人は言うでしょう。今ではもうあまりないのですが、もし強い臨死共有体験をしたことがある人がそれを陶酔的に語り始めたら、いわゆる精神崩壊を起こしたと思われるのです。

歓迎されていること

SI:SDEでは、すでに亡くなっている家族や友人、あるいは死者を出迎える者たちが、亡くなる人を待っている姿をどれくらいよく見かけますか。

ピーターズ:臨死共有体験の報告書では、51%の人が、死期が迫っている人が死後の世界の初期段階へ旅立ったり、向かったりするのを見たと言っています。16%の人が、私が「高次元の霊的存在」と呼んでいるものを見たと報告しています。それは、霊的ガイドであったり、天使であったり、光の存在であったりします。これらの高次元の存在は様々な表現で呼ばれています。今説明したばかりの三つの形態を取り得る存在の中で、私が最も興味を持っているのは、「指揮者」と呼ばれる存在です。指揮者とは、現世から死後の世界への移行を管理する存在、または力のようなものです。その形はいろいろです。人間の特徴を持っていますが、天使や霊的存在のように見えることがあります。指揮者は目に見えないことがあります。目では見えませんが、感じることはできます。場合によっては、死者を歓迎する側は、その力が実際に死ぬ間際の人の体から霊や意識を動かして、あの世に運んでくれるのを待っているのです。SDE体験者の約13%が、亡くなった母親、父親、叔父、叔母、親友など、死ぬ間際の人以外の愛する人を見たと報告しています。

 そうした人たちはしばしば、いわゆる「お迎え」や死者を歓迎する側となっています。臨死共有を体験した人たちが、お迎えの存在を見たとか、死期が迫っている人のために、「お帰りなさい」といった趣旨のお祝いが用意されていたという報告を受けることがあります。「彼が来る、彼が来る」と言いながら駆け回るなど、それはお祭り騒ぎのようです。人が少なくても、多くてもかまいません。私が「人」と言ったのは、体験者がその人たちを、死ぬ間際にいる人の生前の姿として認識している、あるいは、もはや転生していないけれども霊魂の中に存在しているという意味で、人だからです。そのようなお迎えという形で、死ぬ間際にいる人が愛する人や友人に歓迎され、大事に思ってもらえていると知ることは、体験者にとってはとても励みになり、前向きで、肯定的な体験となります。

SI:臨死共有体験をするためには、亡くなりかけている人のベッドのそばなど、物理的に近い場所にいなければならないのでしょうか。

ピーターズ:記録されたSDEのうち、64%は遠く離れたところで起こっています。つまり、ベッドのそばではなく、死期が迫っている人の視界に入っていないということです。それは、廊下の先、家の別の場所、町の向こう側、地球の反対側かもしれません。ですから、近さは関係ありません。

継続的な絆

SI:人が亡くなる前、亡くなる時、そして亡くなった後に起こる様々な体験を「終末期体験における現象」と名付けておられますが、それについてお話しいただけますか。

ピーターズ:それは、亡くなる前に見た映像やなされた訪問と同様で、亡くなる前の兆候です。また、死後に見た映像やなされた訪問のことでもあります。死期が迫っている人の窓に鳥が集まってきたり、死の間際にいる人に近づくために猫がベッドに飛び乗ったりするなど、動物の奇妙な行動と関係があるシンクロニシティ(意味ある偶然)ということもあります。記念日や誕生日など、人々の生活の中で重要な日付がデジタル表示されるといった、珍しい電気的な事象もよくありますが、それがいつも起こるのです。私は最初、こういったことは介護士や遺族の心の中でつくられたものだと思っていましたが、偶然の一致をはるかに超えているということが、統計的な分析から分かっているので、今はもうそうは思いません。つまり、エネルギー的あるいは電気的に起こっていることがあり、どうも死を越えたコミュニケーションがなされているようなのです。

 私たちは、亡くなった方と残された遺族の方の間に、意味深長な言葉、シンクロニシティ、コミュニケーションを示唆する出来事などの形で、継続的なコミュニケーションが存在するとき、それを「継続的な絆」と呼んでいます。あるいは、鳥が今まで見たこともないような方法で、遺族の近くに飛んでくるといったような動物の行動があります。遺族は、鷹がコミュニケーションをとろうとしている、あるいは近づこうとしているように感じるでしょう。いろいろな例があります。また、私は海岸の近くに住んでいますが、人々が海岸を歩き、徴を求めると、海の哺乳類がジャンプしたり、クジラが現れたり、アザラシが型破りな方法で気持ちを表したりするなど、驚くべき壮観な行動を見ることができます。これらは、遺族と故人の関係が続いていることを示唆する、とても大切な体験です。こうした体験を尊重することは、非常に治癒的な効果となります。

SI:SDEの研究で印象的だったことの一つに、子供のときに亡くなった人が、あの世で大人になっているように見えるということがあります。それについてSDE研究ではどのような解釈がなされているのか、お聞かせください。

ピーターズ:悲しいことに、私たちの調査では、親が出産時や幼児期に子供を亡くすという話がたくさんあります。そして同様に、思春期の子供を溺死や交通事故で失う親もいれば、薬物の過剰摂取などで不幸にも突然失う親もいます。このような場合、親が、今は魂になっている子供と交流するとき、その子供は成長していることがほとんどです。彼らはどこかで自分の人生を歩んでおり、年を重ねて一人前になり、成長したことが明らかです。そのことにショックを受ける親も多いですが、もはや人間界にはいない自分の子供が、別の場所で人生を歩んでいて、進化し、成長していることを伝えるものであり、親にとっては意味があることなのです。

転機をもたらす体験

SI:他にもっと良い言葉がないのですが、どちらかと言うとありきたりのSDEであっても、もっと素晴らしいSDEと同じくらい深い印象を与え、人の見方を変えることができるのでしょうか。

ピーターズ:体験者にとっての変容や治療の価値を決めるのは、現象の強さや素晴らしさではありません。それは、個人がどのように自身のSDEと関わっていくかということに非常に関係しています。体験者は、この体験の全体像を受け入れ、この体験の豊かさ、自分自身や亡くなった大切な人との関係、そして人生そのものの本質について理解することを含む、自分自身の意味づけのプロセスに取り組むときに、最大の恩恵を受けます。これらのSDEはすべて、人間の経験や実在の本質に対する自分の信念や認識を再形成するという、かなり過激な要求を伴います。この体験を自身が完全に受け入れないと、そうした変容の体験は得られません。それは、多くの人にとって難しいことです。なぜなら、教育制度で学んだことや、何らかの信仰、伝統の中で育ってきたことと一致しないからです。そのような枠組みの中にうまく収まるかどうかは別のことなのです。

 こうした体験者の多くは、課題を抱えています。この体験を完全に受け入れれば、自分自身に対する見方、愛する人との関係、人生そのもの、そして人生の意味を深く変えることになります。なぜなら、それは間違いなく、人間の存在をより大きな現実の中に位置づけるからです。「より大きな現実」とは、死後の世界が存在するということです。そして、この次元には、私たち全員を待っている何かがあるのですが、その「何か」は、より究極でリアルな、そして「より以上」のものなのです。表現するのは難しいのですが、それが、よく耳にする究極の現実です。この人間の一生は夢です。言うならば、それこそが真の究極の次元なのです。

SI:愛する人があの世に行くのに同行するという、かなり異例なSDEを体験した場合、その人が超えられないレベルというのはあるのでしょうか。

ピーターズ:霊的領域にはいわゆる境界、あるいはボーダーと呼ばれるものがあり、それがSDEの特徴です。これはいろいろな形で出てきます。しかし、ほとんどの場合、体験者は、死の間際にいる人があの世へ向かう際にある程度付き添った後、その時点で、死の間際にいる愛する人のそばに居続けることが望まれていないことに気づきます。多くの場合、それは単なる気づきにすぎません。あの世に向かっている愛する人と残された者の間にある種のコミュニケーションがなされるときがあります。それは、「一緒に付き添ってくれてありがとう、そして、この人生を私と一緒に過ごしてくれてありがとう」というようなものです。そして、そのコミュニケーションの中で、残された者は、自分の仕事は終わった、もうこれ以上進むことはない、という感覚を持つのです。「ああ、ここまでだ」と気づいたその瞬間、人間の体に戻っているのです。そのほとんどは、体験者が得たコミュニケーションや気づきにすぎません。

 場合によっては、お迎えの存在と出会うことがあると、「お帰りを祝う歓迎の会に招かれていない」という感覚になるようです。愛する人が温かく迎え入れられるのを見たり、聞いたりすることがあるかもしれませんが、会そのものに招かれることはごくまれです。たいていは門やドアの後ろにいることになります。そうした会のことを聞いたとしても、実際にその中に入ることはできません。ただ、そうした会の部屋の中にいたけれど、会は実際のところ始まらなかったというケースもわずかながらあります。その時点で、「ああ、愛する人を歓迎する会なのに、私は招かれていない」と実感するのです。

 ソーニャという一人の女性が、親友と一緒に川を渡り、長い梯子を上って天空に向かうという素晴らしい旅に同行した例があります。それは大変な旅でした。ようやくたどり着いた部屋では、ウエイターやウエイトレスたちが歓迎の会の準備をしていました。ソーニャは、「もうすぐダンサーたちが来るけど、まだここには来ていない」「料理の準備がまだできていない」「参加者がまだ到着していない」と言っているのを聞いたと説明しています。また、自分の友人を迎える会である感じがして、友人を失うことになるという感覚があったと話しています。

 その瞬間、ソーニャは感情がこみ上げてきて、友人に対する愛を表します。その瞬間、彼女は自分の体に戻り、友人が死んだことに気づき、多くの悲しみを感じています。しかも、この体験は、遠く離れたところで、ソーニャが眠っている間に行われたため、友人が亡くなったことを彼女は知らなかったのです。これは夢ではありません。これは幻想の世界であり、その過程の中で、ソーニャはそこに友人と一緒にいます。彼女が人間界で目を覚ますと、時刻は真夜中で、友人が死んだことに気づきます。彼女は何人かの友人に電話をして、その友人がその日の早い時間に亡くなっていたことを知ります。

癒しと慰め

SI:SDEがもたらす癒しと、悲嘆に暮れているときにSDEが与える安らぎについてお聞かせください。

ピーターズ:私は心理療法士として、このような体験が介護士や遺族にもたらす癒しと治療の効果に最大の関心を寄せています。私たちの調査で分かっていることは、80%あるいは90%以上の人が、亡くなった大切な人が慈愛に満ちたあの世で元気に生きていると知っているということです。非常に多くの場合、体験者は死に対する不安が軽減されたと言っており、「私は人間の死を乗り越えて、その後、あの世に行くと知っています」と、よく口にします。心理療法では、悲嘆と悔悛〈ルビ:かいしゅん〉のプロセスと呼ばれていますが、体験者の悲しみのプロセスが強化されるのです。

 大切な人を亡くしたとき、苦しみや悲しみ、憂鬱な気持ちを抱くのは自然なことであり、当然のことです。悲しみは、深い愛の代償だから苦痛なのです。そして、悲しみは痛みを伴うことがあります。臨死共有体験では、そのような感覚はありますが、そういった情緒的な体験を「人生とはこういうものだ。これは自然の摂理であり、すべて大丈夫だ」という大きな文脈の中でとらえることができます。大切な人がどこにいるのか、大丈夫なのか、不安になることはありません。大切な人と再会できるかどうか、あれこれ考えることはありません。「ああ、どこかで再会するのだろう」という実感があるのです。悲しみと悔悛のプロセスは強化され、亡くなった大切な人が無事であることや、また会えること、そしてそれが自然の摂理であることを知ることの意味が刻み込まれます。そうすることで、悲しみがより和らぐのです。

SI:家族や友人が自身のSDEについて聞いたとき、人々はどのような反応をする傾向がありますか。

ピーターズ:それは本当に、その家族や愛する人の考え方や信条によります。SDE体験者のほとんどは、自分の体験を人と共有することに不安や警戒心を抱いていると言えるでしょう。愛する人と共有する場合、自分の体験が疑われたり、否定されたり、本物ではないと思われることを恐れたりするので、かなり抵抗があります。ですから、その経験をどう共有するかについては、非常に口が堅くなります。これまで何百人もの方にSDEについてインタビューをしてきましたが、彼らが経験を共有した人は、私たち(インタビューチームと私)が1人目、2人目、あるいは3人目かもしれないという話をよく聞きます。誰かと自身の体験を共有したり、自分の体験が何らかの形で損なわれてしまったりするというリスクを負うことに不安を感じるのです。しかし、そうした現実に関して何が悲しいかと言うと、そのような話を共有することで、人々は癒されるということなのです。もし、愛情深く、支援をしてくれて、かつ知識がある人々と自身の体験を共有するならば、「素晴らしい! あなたは本当に素晴らしい贈り物を受け取ったのですね。亡くなった大切な人がどこかで元気に生きていることを知っているなんて、とてもすてきな贈り物です」といった言葉を言ってもらえるでしょう。そのような深い話を共有した後に、愛する人からそういった言葉をもらえるなら、その経験を、悲嘆のプロセスだけでなく、自分の存在、自分自身の見方、世界との関係性と、より深く統合することが本当にできるのです。

 これは、シェアド・クロッシング・プロジェクトの目標の一部です。つまり、この深遠で神秘的な終末期の体験に対する認識を高めることを通して、人々の死と臨死との関係を変革することです。私たちの使命の一つは、人々が集まって終末期の体験の話を共有することで、互いにつながり、肯定し合い、そうすることで生命と宇宙の美しさと尊厳に対して感嘆の念を覚えるようにすることです。

SI:シェアド・クロッシング・プロジェクトの活動についてお聞かせください。

ピーターズ:シェアド・クロッシング・プロジェクトでは、皆さんがシェアド・クロッシング体験についてもっと学ぶためのプログラムやトレーニングを行っています。このような体験に関する教育こそが、何が可能で、どのような終末期を過ごすのが最善なのかについての人々の考えを変えることに貢献するのです。これらのプログラムは、一般の人々や医療関係者に、SDEやシェアド・クロッシングに関する幅広いリソースや情報を提供するとともに、あなた方自身やあなたの愛する人が、こうした深遠で癒しのある終末期体験をどうすればできるのかについて、私の認識やその方法を伝えるものです。興味のある方はsharedcrossing.comのストーリーライブラリーで、臨死共有体験者本人が話している動画をご覧ください。また、このサイトでは、他の有用かつ補足的なリソースを見つけることもできます。

詳細については次のサイトをご覧ください。

www.sharedcrossing.com

ウィリアム・J・ピーターズ『天国のドア──死後の世界への旅を共有することがよりよく死によりよく生きることを教えてくれる(At Heaven’s Door: What Shared Journeys to the Afterlife Teach About Dying Well and Living Better)』(サイモン& シュスター、2022年)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

覚者はすぐそばに

 2023年1月22日の日曜日、私が午前中に瞑想をしていた時、突然チベット人の覚者の顔が現れ、次にナイロビに現れた時のキリストの顔が、それから水のボウルを抱えたイエスの顔が現れました。両目はまだ閉じたままで、私が思ったのは「彼はチベット人の覚者に見える」ということでした。それから再び顔が同じ順序で現れました。私は混乱しました。彼らは私にメッセージを与えたかったのでしょうか。それとも私を励ますためでしょうか。私には分かりません。
 私に言えることは、それらの幻影がまだ私の頭に残っているということです。
 数日後の水曜日、Zoomでの伝導瞑想があり、私は参加するためにコンピューターを立ち上げました。瞑想開始の少し前までビデオを見ていたのですが、午後7時57分に誰かがトントンと机を叩いて、瞑想の時間になったことを私に知らせてくれました。この知らせがなければ、参加し損なうところでした。

テレーズ・デリッセン
ベルギー、ジャンブ(ナミュール県)

マイトレーヤと手を取り合って

 私の父の人生最後の一週間になった、今年[2022年]の5月中頃、(父は94歳になったばかりで)母のヘールチェは定期的に父のベッド脇に座って、マイトレーヤの『手』のカードを膝の上に置き、それに片手を重ねていました。もう片方の手で父の手を握っていました。それが父を落ち着かせたようでした。
 現在、母は自宅で朝と夜にケア・サービスを受けています。数人のケア担当の方たちが、時折母の隣に座って母の手を握りました。その間、母は父といた時のように、もう片方の手をマイトレーヤの手のカードの上に置いていました。そして10分間、一緒に座っているのです。ケア担当の方たちが自分自身の身体を通して、エネルギーと温かさが流れるのを感じたと言っています。とりわけ必要な場所にエネルギーが流れたそうです。同じことが時々、母を訪ねてくる他の人々にも起きています。そうした人たちは、マイトレーヤの手のカードを使うことに対して心を開いています。

イェルケ・デ・フリース、ヘールチェ・デ・フリース・クリーク
オランダ、ベルゲン

『分かち合いが世界を救う』写真展

 シェア・インターナショナル誌2023年1月号の4通の手紙を読んで、とてもうれしく思いました。フランスのメンバーたちの『分かち合いが世界を救う』写真展の準備や、開催中の体験について書かれている手紙に、私は感謝を捧げたいと思います。
 2008年の初め頃、私はまさに同じ展示目的のために、シェア・インターナショナル誌の裏表紙を選ぶ作業を数週間にわたって行いました。しかしその作業は、そうした資料の使用を希望する教師や講師に向けての支援用セットを用意するためでもありました。あの手紙の筆者たちのように、写真や引用文に向かって作業をしても、エネルギーや何か不思議なものを見たりすることはありませんでした。けれどもその数週間の探求や絶え間ない考察によって、世界資源が貪欲によってではなく必要によって分かち合われることへの切実な必要性に対して、ますます敏感に反応するようになり、さらに非常に希望に満ちて、溢れる愛を感じるようになりました。そのような感情的な苦悩にもかかわらず、私は強くもなりました。こうしたことは、長時間にわたってそのような資料に取り組んだことによる蓄積された効果としか考えられません。
 もし若い人たちがそれら[雑誌の資料]との持続した探求的な関係へと導かれたなら、私がそうだったように彼らもまた感動を覚えて、どのような世界を、なぜ望むのかについて、より意識的に考えるようになることを期待しました。しかしそのようにはなりませんでした。私たちのグループは何とかいくつかの図書館や二、三の学校で展示を行いましたが、英国では、人々の頭の中にあったのは別の物事、とりわけ株式市場の崩壊か緊縮財政のどちらかのようでした。当時、不平等の影響は、現在のように生々しくも全般的でもありませんでした。当分の間、人々の認識を高めるという広報の仕事の側面は休止状態に入りました。
 最新号のあの手紙を読んで、はっきり言って手紙で報告された体験のメッセージは、私には明確なものです。時代は急速に変化しており、写真展示の『心を開かせる』力を人々はより一層受け入れるようになっていくでしょう。

ポーリン・ウェルチ
英国、ミルトン・キーンズ

正しい住所

 2022年7月の中頃、私たちは新しい場所で伝導瞑想を始めましたが、私がこれまで行ったことのない所でした。私が建物に到着した時、玄関で正しい部屋番号とブザーを見つけようとかかりきりになっていました。ちょうどその時、一人の若い男性が私に話しかけてきて、正しいドアベルを見つける手助けをしてくれました。彼から伝導瞑想に参加するために来たのかを尋ねられたのです。それから彼は、私が探している部屋は42号室で、そこにフィリス・クレームが住んでいて、瞑想グループが集まっていると教えてくれました。
 不思議なことに、フィリスは最近その地域の建物に引っ越したばかりで、そのアパートの建物で一人か二人の人にしか会っていなかったのです。彼が今教えてくれた情報について知っている人は、そこにはいませんでしたし、フィリスはそこでの伝導瞑想を始めたばかりでした。たまたまこの体験をフィリスと他の人たちに話した時、彼女は近所の人たちに瞑想について何も伝えていなかったので、非常に驚き、心底びっくりしていました。その時居合わせた他の人たちは、その気さくで情報通の男性が代弁者で、おそらくフィリスを元気づけるためにやって来て、ハイアラキーが彼女の新しい住所をよく知っていて、彼女を応援していることを伝えていると考えていました。彼女が気がかりだったのは、引っ越しでかつての『十分にエネルギーが満ちた』伝導瞑想ルームを離れて、もしかすると新しい場所での瞑想は同じように『機能』しないかもしれないことでした。
 このことは、私が長年にわたって実践し、多くの癒しをもたらしてくれたこの瞑想法への祝福だと思いました。

ミシェル・C
英国、ロンドン

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです。

彗星──宇宙の織物を織る

 2023年2月1日、5万年ぶりに「グリーン彗星」が地球に接近した。5万年ぶりにそれは再び地球の近くを通過した。アメリカの宇宙機関NASAは2023年1月初旬に、天文学者が2022年3月にツヴィッキー掃天観測施設の光学望遠鏡によって初めてグリーン彗星を見たと報じた。
 読者は以下のベンジャミン・クレームによる彗星に関する質問への回答に興味を寄せるかもしれない。

コホーテク彗星

「この彗星がわれわれの太陽系を横切ったとき、強力な統合のエネルギーの力が放出されました。統合のエネルギーの力はこの惑星にも、他のすべての惑星にも同様に、非常に大きな影響を及ぼします。この彗星が統合のエネルギーを流し込んだおかげで、太陽系全体が非常に大きく前進するでしょう。今、起こっているイニシエーションのプロセスの一部です」

(『世界教師「マイトレーヤ」と覚者方の降臨』1982年)

 彗星は異なった振動のエネルギーと物質を銀河のある部分から他の部分へ運び、それによって銀河系システム全体に複雑なネットワークをつくります。それが現れるところに、未来の開発の種を播き、かくして「そのお方について何も語るべからざる御方」の、銀河系に魂を吹き込まれる想像し難いあの霊存在の、大目的を遂行しています。

(シェア・インターナショナル誌1986年1/2月号)

Q:ハレー彗星が「エーテルの織物を織っている」のだとすれば、(1)スペース・シャトルは、そのエーテルの織物の保護のため、彗星の近くを飛びことになっていた探査機を発射するのを妨げられたのですか。(2)エーテルの網の目の意味は何ですか。

A:(1)いいえ、彗星とスペース・シャトル事故の間に関連はありません。それは純粋に技術的な理由でした。(2)彗星はエーテルの織物ではなく「宇宙のカルマの織物」を織っています。異なった振動のエネルギーを銀河のある部分から他の部分へ運び、それによって様々な太陽系の未来の開発の『カルマの種子』を播いています。

(シェア・インターナショナル誌1986年3月号)

Q:彗星は太陽系間で「振動」を交換すると言われますが、惑星間で魂のグループも交換しますか。もしそうならば、ハレー彗星やコホーテク彗星もそのような機能を果たしたのですか。

A:いいえ。惑星間での魂のグループの交換は、ずっと「地方的な」レベルで起こります。彗星の活動は銀河レベルです。

(シェア・インターナショナル誌1986年9月号)

Q:それぞれの彗星は、魂を吹きこんでいるロゴスを持つのですか。

A:いいえ。太陽系と惑星だけがロゴスを持ちます。

(シェア・インターナショナル誌1994年7/8月号)

Q:英国では、多くの人々が今日、ミステリー・サークルになじみがあり、それがUFOによって作られたと信じている人々もいます。でっち上げであると言う人もいます。何が本当なのでしょうか。

A:ミステリー・サークルは最も精巧な構成を持ち、美しいデザインと無限の多様性をもつ形状であり、何らかの超技術を持つ超知性のみが作ることのできるものです。それらは正確な割合で、私たちが宇宙の兄弟たちと呼ぶ人々によってつくられています。彼らの仕事は地球の破壊を助けることであり、カルマの法則に従って、私たちが大気に流し込んでいる、人々を殺している有害な核放射線を大量に吸収し除去することです。

Q: 彼らは他の惑星から来るのですか。

A:金星や火星や木星に行っても誰も見えませんが、そこには生命がいます。私たちは小さな台車[マーズ・パスファインダー]を火星に送って写真を撮りました。そこでは誰も見えませんが、地球よりも多くの人々が住んでいます。彼らはエーテル物質をまとい、濃密な物質界よりも精妙な世界にいます。こうしたエーテル物質界が次の物質世界の段階であり、現代科学によって調査され最終的に実証されるでしょう。そしてエーテル界はリアリティとなり、より多くの人々がエーテル視力を持って生まれるでしょう。
 宇宙船は思考によってつくられます。単に考えることによってです。いつの日か、彼らを介して、しかし主にマイトレーヤと世界に公に住まれる覚者方の刺激によって、私たちもまた文明の利器を創造する機械をつくるようになるでしょう。

Q:あなたが「小さな台車」と呼ばれたものとそれを観察しているエーテル生命、知的生命、火星の住民のことを思うと笑えてきます。それは彼らにとってジョークの種に違いありません。

A:もちろん、それはジョークです。それは彼らを微笑ませるでしょう。なぜならそれは無知だからです。私たちはそこで生命の痕跡を探し、何億年も前の生命の微細な萌芽を探しています。地球にやってきて穀物サークルをつくる人々は、地球のフォースの流れの磁場のエネルギーを物質界に複製しており、それらは交差して渦を形成しています。これらの渦のそれぞれはエネルギーの貯蔵庫です。そして宇宙の兄弟たちはその渦のレプリカを作り、私たちはその磁場から直接エネルギーを利用できます。彼らはそれを穀物の中につくります。なぜなら穀物は季節的だからです。宇宙の兄弟たちはそこにいますが、同時にいないとも言えます。しかし彼らは「私たちはここにいます」と言いながら上空にいるわけではありません。彼らは一種の脱線的な挨拶を送っており、見る目のある人には見えるでしょう。

Q:私たちは、あなたの言われる台車を火星に送っているのですから、彼らが私たちの認知できる人間のような形で手を振っているような疑いのないものを示せばすっきりするのではないでしょうか。

A:あなたは「すっきりする」と言われましたが、彼らはそう考えません。それはすっきりするかどうかという話ではありません。それは法に関わることであり、彼らが行うことは法の枠内にあります。彼らは私たちの頭を叩いて「私たちはここにいる。私たちは隣人で、あなたは私たちのことが知りたいでしょう」などとは言いません。人間には自由意志というものがあり、覚者方も宇宙の兄弟たちも決して私たちの自由意志を侵しません。彼らは非常に多くの穀物サークルをつくり、私たちに少しでも良識があれば、地球以外の生命体によってそれらが作られていることを認めなければなりません。

(「ビヨンド・リーズン・ラジオ・ショー」での質疑応答を抜粋修正──米国、ナッシュビル、1997年7月)

2023年2月号目次

 

覚者より
人間の役割
ベンジャミン・クレーム筆記

S.O.P. (Save Our Planet) われわれの惑星を救え!
COP15 : 生物多様性へ向けての転換点

記録的な収益を得たエクソン社が、
EU の超過利潤税を阻止するために訴訟を起こす
ジェイク・ジョンソン

世論の流れは深海採掘への反対に転じつつある
エリッサ・グラーフ

臨死共有体験のベールを剥ぐ - 第一部
ジェイソン・フランシスによるウィリアム・J・ ピーターズ氏へのインタビュー

民衆の声
平和と共存を呼びかけるイスラエル人、他

時代の徴
奇跡が世界中に溢れる、 他

ルシル・テイラー・ハンセン著 『主はアメリカを歩めり』
ベッティ・ストックバウワーによる書評

アメリカの運命と役割 選集
The destiny and role of America – a compilation

世界情勢
安全な水の供給

私たちの脳はハッキングされている?
スマホが手放せなくなる脳のメカニズムとは
N.I.

編集長への手紙
分離はない、 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

人間の役割

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 早晩、人間は下層王国(動、植、鉱物界)との関係の真のあり方を理解するようになり、彼らの進化のために世話係の役割を喜んで引き受けるだろう。これが飼育業や農業、林業、漁業のすべての面における変容につながるだろう。今日の方式──森林と土壌の略奪、やせた土地の過度な耕作、多種の動物や魚類の貪欲で無謀な捕獲、これらは永遠に消え去るだろう。

 自然の恩賜に対するこの不浄な戦いに、直ちに停止の号令がかけられねばならない。人はもはや大地と水を毒することを許してはならない。それは人間と動物を同様に脅かすものである。運動および空気と日光に浴する基本的権利を抑制するような飼育の方式に携わることは、もはや適切でない。実験のための数え切れない生物のむごい利用の仕方は、より健全な方法の研究と知識に道を譲らねばならない。

 今日、多くの人々がこれらの問題に関心を寄せ、変えることを呼びかけている。人間の心は正しい方向へ動いており、何ものもこの勢いを止めることはできない。しかしながら、世界の生態均衡を維持するためには、直ちに非常に大きな変化が必要である。

 地球が、生きている存在として、その全体にとってそれぞれ欠くことのできない各部分をすべて整えた完全な存在として見なされるとき、新しいビジョンと新しい正常さが普及するであろう。人間は自然の秩序の世話人として自分たちを見るようになるだろう。大計画に沿って、人類の上位も下位も、それぞれの王国が関連し合い、和合と美の中に機能することを前もって定められているのである。

 今日、自然の法則の研究に巨大な額の金が費やされている。同時に、莫大な資源が浪費され、誤用されている。これらの資源が自然の均衡を安定させるために向けられたならば、新しい世界が出現するだろう。人間に長い間、隠されていた秘密を、人間自身が所有することになろう。いままで人間の詮索好きなマインド(識心)に閉ざされていた知識の領域に入ることになろう。自然はその神秘をついに明かし、そして人間は大計画の管理者としての正当な座を占めて、創造主とのパートナーシップ(提携関係)を始めるだろう。

 人間はすべてのものを新しくすることも、あるいは世界を破滅させることもできる力を持つ。これまでに、そのような全能が人間の掌中にあったことはなかった。この力の正しい使用を保証するためには、今日めったに見られない智恵の表現が要求される。それを人間は己の裡に見いださなければならない、さもなければ死滅である。

 人類種族にとって幸いなことに、人間は孤立した存在ではない。人間生活の舞台の背後から、覚者たちの一団が、神の属性のすべてを賦与された者たちが、今、登場しつつある。彼らから長老の智恵が流れ、人間を道に沿って導き案内するだろう。彼らのインスピレーション(鼓舞)を受けて、人は自分の足どりを見直し、もう一度新たに始めるだろう。彼らの賢明な後見のもとに、人は神へと登り始める、潜在するのだが表現されていないあの神性を顕〔ルビ:あらわ〕し示すために。

 このようにして、人間は早晩、覚者となり、同じように神の大目的の奉仕人になるだろう。そうすると、人類から、大計画を進行させるためにすべてのものを共に育む普遍的な智恵の流れが注ぎ出すだろう。

(シェア・インターナショナル誌1985年12月号)

臨死共有体験のベールを剥ぐ──第一部

ジェイソン・フランシスによるウィリアム・J・ピーターズ氏へのインタビュー

ウィリアム・J・ピーターズ氏は、心理的精神的な進化の手段としての終末期、悲しみ、死別を専門とする有資格の心理療法士である。2011年、カリフォルニア州サンタバーバラを拠点に、非営利団体「シェアド・クロッシング・プロジェクト」を設立した。これは、臨死体験と似ている「臨死共有体験(SDE)」の啓蒙活動に取り組む団体である。人が死後の世界へ旅立つときに、その人の最愛の人たちや介護者たちがこうした共有体験をすることになる。この団体は、死と臨死に対する既成概念を変え、SDEがその体験者に与える癒しについて教えることを目指している。また、ピーターズ氏は「シェアド・クロッシング・リサーチ・イニシアチブ」の理事も務めている。『天国のドア──死後の世界への旅を共有することがよりよく死によりよく生きることを教えてくれる』(2022年)の著者であるピーターズ氏が、シェア・インターナショナル誌(以下SI)のためにジェイソン・フランシスによるインタビューに答えた。

SI:臨死共有体験に興味を持たれたきっかけは何ですか。

ウィリアム・J・ピーターズ:私は、成長期に霊的体験と呼ばれるものをいくつも経験しました。最初の臨死体験は、17歳のとき、高速スピードスキーで事故に遭ったときです。その体験は、ある意味深遠なもので、衝撃のあまり私は体から飛び出してしまったのです。

最初は何もかもが暗かったのですが、暗闇に気づいていました。というのも、私には意識があり、自分には闇を見たり感じたりするという面があると気づいたからです。すると突然、光が明るくなり始め、自分が動いていることに気づきました。地球から遠ざかる重力の動きが感じられたのです。スキー場が見え、そして私がいたタホ湖──パリセーズ・オリンピック・スキー・センター ──が見えました。その後、コロラド・ロッキー山脈とサンフランシスコ・ベイエリアが見えたのです。私はすっかり魅了されました。

それから、地球が見えました。すべてが心地よく、荘厳で心を奪われるようでした。そして同時に、私は人生を振り返っていました。自分のこれまでの行動がすべて何らかの形で記録されており、それが重要であることに気づきました。私の行動は波及効果をもたらしていたのです。まさにカルマの体験でした。

また、宇宙の美しさに驚きました。その後、自分がトンネルのようなものに入り込んでいることに気がつきましたが、それでも、宇宙や太陽系を見ることができました。そのとき、遠くで美しく脈打つ光を見て、〔ゴシック:「ああ、私は死ぬんだ」〕と分かり、動揺したのです。死にたくなかったので、憤りを感じていました。私はその光に対して、今世に転生した目的はまだ完了していないのです、と懇願したことを覚えています。

しかし、結局、私は完全に光の中に入り、無上の喜びを終始感じていました。この時、「私は死にたくありません。まだ、この人生ですべきことをしていません。お願いです、生き返らせてください」と神に語りかけていました。懇願していたのです。そして、神は力強く、愛に満ちた光のような存在でした。「力」という言葉だけでは通用しません。それは純粋な知性であり、神性であり、神聖さでした。それは万物の背後にある力でした。

ある時点で、私は光から遠ざかり、地球へと戻り始めたのです。私は、自分の願いが叶ったという感覚を得ました。「ああ、ありがとうございます」と言いました。その光は私に「あなたの人生を活かしなさい」と言いました。その言葉はとても印象的でしたし、実際、今でも忘れられません。私は、はるか太陽系を通り抜け、そこに行くために通ったのと同じ道を戻ってきました。スキー場にある私の体に自分自身を引き戻すエネルギーのライン上にいたのです。

その13年後くらいに、また臨死体験をすることになります。他にも経験がありましたが、この二つが私にとって非常に重要な体験でした。

臨死共有体験の紹介

SI:それらの体験が、どのようにして臨死共有体験の仕事をすることにつながったのでしょうか。

ピーターズ:サンフランシスコでエイズが流行したとき、私はHIVに感染したゲイの男性を支援することが多かったのです。彼らはコミュニティーから、場合によっては医療制度からさえも、ほとんど疎外されていました。そのため、コミュニティーで愛する人たちに囲まれて亡くなるということがよくありました。私は、こうした故人の家族が、死にゆく人たちの旅立ちを手助けするという、素晴らしく壮大で、超自然的な話を聞いていました。彼らは、死の間際にいる人が、あの世で健康で幸せそうにしている姿を見ることができたのです。

ブラッドに関する話を一つ紹介します。彼は私の常連客でした。私はサンフランシスコのテンダーロインという地区でソーシャル・ワーカーをしていたのですが、そこはスキッド・ロウ[多くの貧しい人々が暮らす社会の末端]だったのです。

ブラッドは死の助産師のようなもの──今日では〔ゴシック:死のドゥーラ〕と呼ばれる、[死の間際の]人々が死んでいくのを手助けする人──で、兄弟たちを助けていました。ブラッドは、HIVに感染した男性たちのコミュニティーをよく兄弟と呼んでいました。実際には、儀式的、精神的、心理的感情的に、兄弟の誰かが死んでいくための「場所を確保する」手伝いをしました。

ある日、彼は窮地に陥り、疲れ果ててやってきました。ランディが昨夜死んだと言いました。私はとても残念だと言いました。彼は〔ゴシック:「私もだ、だがその死はとても美しかったんだ」〕と言ったのです。なぜそう思ったのか、彼に教えてほしいと頼みました。彼の説明では、ランディは死の瞬間、自分の体から抜け出して光の筒を上がり、自分を支えてくれた兄弟的なコミュニティーであるこの野営地の真上に止まったということでした。ランディは兄弟たち全員に頭を下げて感謝を述べた後、移動して光の筒を上っていき、姿を消したそうです。

しかし、ランディはより若く見え、とても健康そうで、HIVの兆候もなく、幸せそうだった、とブラッドは言いました。だからブラッドは、彼自身が言うように、ランディがどこかで元気に生きていて、あの世でもうまくやっているのだということをとても強く感じ、知ることができたのだそうです。そして、その経験が私に大きな感動を与えてくれました。

このとき、私は自分の臨死体験について誰にも話していませんでした。ブラッドの体験は、私が最初に臨死体験をした後、そして2回目の臨死体験をする直前に起こりました。ですから、この時点で私は死と臨死にとても魅了されていたのです。

その後、サンフランシスコにある「禅ホスピス・プロジェクト」で働きました。そこは仏教の理念に基づいており、とても先進的な所です。当時も今も、私は仏教の教えを実践しています。ボランティアである私の仕事の多くは、死の間際にいる人のベッドサイドに座ることと、その愛する人たちをサポートすることでした。そこは病院の開放病棟に24床を備えた大規模な入院ホスピスでした。そのため、死の間際にいる人たちと接する機会が多くありました。彼らに必要なものは非常にたくさんありました。この公立病院に入院している人たちのほとんどが生活に困窮しており、社会の片隅で暮らしていて、多くのサポートを受けられなかったためです。他のボランティアと同様、私もホスピス病棟で多くの人と接し、すぐに関係を築くことができました。

2000年のある日の午後、私はロンにジャック・ロンドン著『荒野の叫び声』を読み聞かせていました。ロンは冒険小説が好きだったのです。そして、彼にちょうど読み聞かせているとき、私は体から飛び出して、自分の頭頂部と自分自身をずっと下に見ることができました。私は、ベッドに横たわって何日も意識がなかったロンの頭上にいました。彼がこのように無反応の状態にあるとき、何日も一緒にいたのです。

自分の身体とロンの身体を見下ろしたその瞬間、私は心地よく、安らかな気持ちでいました。そして再び、このように自分をしっかり観察し

目撃しており──意識が肉体から遊離した状態で──、誰ともつながっていないことに気づいていました。そのとき最も印象的だったのは、私が右を向くと、そこにロンがいたことです。彼も体から抜け出していました。大きくて美しい顔をして、目は幸せに輝き、安らいでいました。まるで彼が私をこの空間に招き入れてくれているようでした。私はそこで彼と一緒にいられることをとてもありがたいと感じました。

最初は驚きましたが、そのとき、臨死体験で私自身、体外離脱したことがあったので、以前ここに来たことがあることに気づきました。体験が終わった後、私は自分の体に戻りました。その後すぐに、そのことを上司に相談しました。彼は敬虔な仏教徒であったので私が体験したことはそれ以上追究しないようにと言い、私はそのとおりにしました。しかし、同じような体験を何度もすることになったのです。このようにして、この仕事に心底のめり込んでいったのです。

継続的な探求心

SI:当時、そうした経験が書かれたり、広く知られたりしていましたか。

ピーターズ:その時点では、まだこの臨死共有体験に名前はありませんでした。2009年までなかったのです。そんな時、ある学会でレイモンド・ムーディ博士[医師、精神科医、作家で、死後の世界の体験について先駆的な研究を行っている]に出会いました。ムーディ博士は、臨死体験と非常によく似た「臨死共有体験」について説明したのですが、「体験者」側が死と隣り合わせになることを除いては、臨死体験と同じでした。体験者は、一般には、介護者や故人が愛する人ですが、場合によっては、何らかの医療従事者というただの第三者だったこともあります。私は本当に魅了され、感銘を受けました。

そして、こうした体験についての認識を高めるために、シェアド・クロッシング・プロジェクトの立ち上げに取りかかりました。終末期の神秘的で超越的な体験を知ることで、人々の死と臨死への関わり方を、恐怖や不安から、少なくとも驚嘆と好奇心に変えることができると期待したからです。そして、もしかすると(可能な限り)死と臨死に対して本当に前向きな視点を持つことすらできるかもしれません。

それから、死と臨死に関するありとあらゆるグループやワークショップ、コースを運営するようになり、その中には、臨死共有体験やその他の神秘的な終末期体験についての考察が含まれていました。実際、心理療法士として臨床に携わる中で、様々な終末期体験があることを知りました。なぜなら、私が死と臨死、そしてそれに関連する超自然的な体験について進んで話そうとしていることを知った人々が、私のオフィスに押し寄せるようになったからです。

私は、クライアント(顧客)から、彼らが経験したことについてたくさん学びました。文献調査を行い、このような終末期体験は確認されているものの、文献全体を見ると、様々な名称が使われ、表現が非常にバラバラであることが分かりました。様々な分野で、これらの体験の断片と、それに対するいろいろな解釈が提示されています。しかし、学会や医療関係者のこうした終末期の体験に対する取り組み方には、まとまりがありませんでした。

医療関係者の場合、説明できないから本当は扱いたくないというように、終末期体験を少し横目で見ていました。物事を説明できないとき、それこそが医療関係者における問題なのです。終末期体験は、昔も今も意識は脳の産物であるべきだという彼らの意識に対する考え方にそぐわなかったのです。脳が死ぬと、こういう体験はできないはずです。つまり臨死共有体験は、臨死体験と同じように、人間の死を切り抜けて生き残った意識に関する報告であるため、医学的に受け入れ難いものなのです。それに、医学はそのように考えていません。臨死共有体験に対する見解を裏付けるデータはありませんが、経験上、臨死共有体験は人間の死を超えて意識が存続することです。なぜなら、故人の愛する人が、亡くなった大切な人を別の次元で体験しているからです。彼らはもはや人間界で生きているのではなく、どこか別の場所で生きているのです。

詳細については次のサイトをご覧ください。
www.sharedcrossing.com

ウィリアム・J・ピーターズ『天国のドア──死後の世界への旅を共有することがよりよく死によりよく生きることを教えてくれる(At Heaven’s Door: What Shared Journeys to the Afterlife Teach About Dying Well and Living Better)』(サイモン& シュスター、2022年)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

分離はない

次の2通は同じ人物からのものです。

(1)7年前(手紙の日付は2010年12月)、私はロンドンのカムデンにあるフレッシュ&ワイルドスーパーマーケットで、少しぼんやりしながら買い物をしていました。買い物かごを持った男性が「苺に合うクリームを探しているんだ」と言ってきました。彼は身長168センチメートルくらいで、黒い縮れ毛が後光のように広がった髪型でした。素敵な黒い瞳につややかな赤褐色の肌をしていて、少しだけ南米出身の人のように見えました。左耳に大きなトルコ石のイヤリングをぶら下げて、首周りにスカーフを美しくゆるやかに巻いていました。

 私が返事をする間もないまま、彼は後ずさって「あなたは治療家?  とてもオープンな人ですね」と言いました。私は違うと答え、伝導瞑想をしていることを伝えました。すると彼は「ああ、知っていますよ。それはマイトレーヤですよね?  分離というようなものは存在しないと言っている人ですね」と言ったのです。そして彼は私の頬に優しく片手を添えました。私たちが別れた時のことは覚えていないのです。

 私があまりにも孤独感にさいなまれていたので、これは明確な私へのメッセージでした。この思いやりある男性はマイトレーヤだったのでしょうか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

元気を出して!

(2)2004年の冬の終わり頃、私はカムデンで高さのあるカウンターの椅子に座ってコーヒーを飲んでいました。一人の男性が私の隣に座り、自分の大きなカップのコーヒーを指差しながら、「ひどい二日酔いだから、これが必要なんだ」と言いました。言葉とは対照的に、彼は元気いっぱいで快活そのもののように見えました。彼は澄んだ青い瞳に色艶の良い顔で、明るい茶色の髪は薄くなっていました。私たちはしばらく親しくおしゃべりをして、似通ったものの見方を楽しく思っていました。

 それから彼が「私のワインセラーがほとんど空なので、すぐに仕事を見つけなければいけなくなると思う」と言いました。私がそれは難しくないのか尋ねました。彼は「まさか。私にはある種の『何とも言えない魅力』があるからね!」と言いました。私たちは声を出して笑いました。別れる時に私が「ありがとう。本当に元気が出ました」と伝えました。
 私はしばらくの間気分が落ち込んでいたので、この陽気で前向きな男性が、本当に私の気持ちを高揚させてくれたのです。彼は覚者方のお一人だったのでしょうか。

カーラ・キャンベル
英国、ロンドン

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです。

Q マイトレーヤと覚者方(全部で63名)は、しばしば非常に高度なユーモアのセンスを披露されますか。

A はい、そのとおりです。私の師である覚者はしばしば私を笑い転げさせます。彼はすごいユーモアのセンスをお持ちで、とてつもない人です。覚者方を見るとき、人々は欠点のない人を見るでしょう。彼らは人間ですが、欠点を持たず、感傷を持たず、完全な無条件の愛に満ちているところまで進化されています。それは彼らの存在の本性です。

Q ジュワル・クール覚者は、癌は人類に内在すると言われました。癌から守られるために人類の発展において何が起こらなければならないのでしょうか。

A 人類の偏極が高次のレベルに移ることが必要です。「偏極」という言葉が意味するのは、意識の支配的な焦点と、その人が活動し生活にアプローチするレベルのことです。

Q 肉体について言えば、輸血についてのあなたの見解はどういうものですか。

A 例えば、健康に関する限り、多くのクリスチャン・サイエンスの信者は輸血を受け入れないでしょう。これは肉体の機能についての誤解によるものだと思います。ある意味で、それは肉体が人間であることを受け入れています。私にとって、肉体はその人ではありません。肉体は単に、特定の生涯の間に真の人間である霊的存在──魂──が住まうものに過ぎず、死とともに撤退し、新しい肉体を更新して形成し、再び転生するためのものです。ですから肉体は生命のすべてではなく、あらゆる犠牲を払ってでも保持されるべきものではありません。他方で、それは薬や外科処置によって作用を及ぼし得るメカニズムであり、現代の外科や医学の効率性がなければ、世界はもっとひどい場所になっていたと思います。(ラジオKZUM-FMの番組「説明不能な現象を探究する」でのスコット・コバーン氏によるインタビュー、米国ネブラスカ州リンカーン、1993年6月19日)

アメリカの運命と役割――選集

The destiny and role of America ── a compilation

「アメリカの運命と役割」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。引用文は、マイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、アリス・ベイリーを通してのジュワル・クール覚者の言葉(『光線とイニシエーション』と『ハイラーキーの出現』)ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 世界は本当にアメリカの魂の特質が顕現するのを待っている。そうなるとき、アメリカは世界全体としての必要を真剣に考えるだろう。マイトレーヤの教えの影響の下に、初めて、その見解を広げるだろう。マイトレーヤがアメリカの魂の様相を喚起し、アメリカが豊かに保持する資源を分かち合うように鼓舞するだろう。その結果は、世界規模での新しいマーシャル・プランである。それはこの国の国民としてのあなたたちの前に掲げ得る最も望ましいことの一つである。アメリカは偉大な国家である。ひどいこともやってきたが、それは他の諸国も同様である。アメリカは若い国家であり、したがって時には手に負えなくなることも予期される。しかし非常に強力で、非常に大きく、非常に金持ちなので、世界に途方もない影響を持つのである。その影響は、その国民の知性と創意の自然な流出である。

(『多様性の中の和合』)

 アメリカのみではなく世界中で、人々は変化の必要とその可能性に目覚めつつある。政治家や経済学者たちは現状を景気の“下降期”とか“後退”と呼ぶ。本当には、われわれは古い秩序の最後のよろめきのステップを目撃しているのである。規制されない競争と貪欲は人間にとって最も安全な道ではないことを、そのような物質主義教理は軽率な者たちに対して“すべり易い坂道”をつくり、そして究極的に、今日のような世界的危機をつくり出すということを、大勢の人々が認識しつつある。……
 諸国の民衆にとって変化への機は熟している。彼らは変化とより意味深い人生を求める。マイトレーヤは人間に本質的なものを思い出させるだろう──それなしには人間の未来はない。すなわち、正義と平和である。そしてその両方への唯一の道は、分かち合いを通してである。

(『覚者は語る(2)』── マイトレーヤの最初のインタビュー ──より)

 あなたがたがわたしを見るとき、神の本質が光と愛と意志であることを知るようになる。これらの聖なる様相があなたを通して反映されるように。そうなるとき、わたしはあなたを通して働くであろう。わたしはあなたを必要とする。あなたがた、すべてを必要とする。人間に信と喜びを回復させ、地球上の貧しい人々に、必要な資源を解き放ち、均衡を取り戻すために、この世界を再建する仕事を、わたしと分かち合ってくれるすべての人々を必要とする。わたしの役割は、あなたがたに方法を示すことである。あなたがたの役割は、行動し、わたしの計画を実施することである。わたしはあなたがたを信頼することができることを、頼むことができることを知っている。わたしの愛がすべての者を包む。

(『いのちの水を運ぶ者』第76信より)

 アメリカ合衆国(魂2光線、パーソナリティー6光線)は、魂のレベルからは、世界の和合と平和に深い、真摯な願望を持つ。しかし、アメリカはあまりにも若い国であり、大きく、強力であり、グラマーに満ちたパーソナリティーのコントロールの下にある。彼らの理想は和合と平和であり、それを世界に表示していると想像している。すべての国が、経済、政治、宗教においてアメリカの先導に見習うとき、必然的に平和はその結果として起こると信じるのである。その姿勢で、アメリカは世界を支配しようとして、平和の名の下に繰り返し戦争をしてきた(朝鮮、ベトナム、イラク、アフガニスタン)。アメリカがこのグラマーを克服して、第2光線の魂の影響が世界の諸事に顕されることを、世界は待っている。
 これが起こるとき(おそらくキリストによる大宣言の前ではないだろうが)、アメリカの魂の和合への生来の願望が行動へと活気づけられるだろう。そして総体への奉仕というアイディアが現在の支配への欲求に取って代わるだろう。世界の壮大な再建設が、数え切れない多くの個人によって始められるだろう。奉仕への欲求が、今のアメリカのあらゆることにおける優越感に取って代わるだろう。そして本当の平和の時代が訪れるだろう。

(『覚者は語る(2)』──「和合」についてのさらなる考察──より)

 わたしにあなた方を助ける機会を与えてください。そのためにわたしはここに来たのである。もしあなた方がわたしを受け入れてくれるなら、あなた方をあなた方の運命へと導こう、この世の始めから定められている、その運命へと。すべてはあなた方にかかっている。あなた方がそれを可能にする歩みを踏み出さなければならない。兄弟姉妹たちよ、わたしたちは自分たちをひとつと見なければならない、そしてすべての者のために共に働かなければならない。わたしたちは表面的にどう見えようと、別々な存在ではない。わたしたちはひとつのグループであり、わたしはその一員である。わたしはそのために、わたしのいのちのすべての瞬間を捧(ささ)げている。……
【フランスのパリで、ラジオ番組「Ici & Maintenant(今ここで)」でのインタビューの終わりにベンジャミン・クレームがマイトレーヤから受け取ったメッセージ】

(シェア・インターナショナル誌2010年5月号より、
『覚者は語る(2)』収録)

 第6光線の理想主義がアメリカの生活を支配しています。アメリカはそのパーソナリティーの器を通して生きています。それが今日の現実です。欲望原理が極端に強力であり、アメリカの人々を通して表現されています。富、お金、支配への欲望、そして最高で最大であること、勝つことへの欲望です。これはすべてパーソナリティーの欲望です。アメリカの(国家の魂を支配する)第2光線の志向は全く違ったものです。それは世界に奉仕し、世界を助け、より良い場所にしようとすることです。しかし、それにはほとんど機会が与えられていません。なぜならパーソナリティーがあまりに強力で、すべてに浸透しており、魂の様相はあのマーシャル・プラン〔第二次世界大戦後のヨーロッパの復興を目指して行われたアメリカ合衆国の経済支援、「ヨーロッパ復興計画」〕のときのように、たまに表現されるにすぎないからです。

(『生きる術』)

 マイトレーヤの教えがアメリカ合衆国の理想主義的魂を目覚めさせ、喚起させるだろう。そしてアメリカの最良の市民たちを、彼らがいつも心(ハート)に抱いてきた光に向けさせるだろう。彼らは世界中の兄弟姉妹たちと協調して、マイトレーヤに鼓舞されて、一致して、待っている世界に正義を、したがって平和をもたらすだろう。

(『覚者は語る(1)』──待っている世界 ──より)

 もうすぐ、あなたがたは、具体的事実としてわたしを見るであろう。あなたがたはわたしの存在を知るだろう。もしあなたがたの反応が、わたしの希望する通りであるならば、我々は出会い、友達として一緒に働くであろう。わたしの意図は、人類の窮地を乗り越える答えを、あなたがたの前に提示し、すべての人間にとって、未来は信じ難い約束をはらむことを示すことである。あなたがたの神性を解き放ち、生得の権利を受け継ぐための道を、わたしの兄弟である覚者たちと共に、あなたがたに示す。わたしの計画は、人類を真なる価値に、その真なる可能性に目覚めさせ、すべての人の裡〔ルビ:うち〕に聖なる神の子が宿ることを示すことである。

(『いのちの水を運ぶ者』第24信より)

質問:いま現在、米国が対処すべき重要な問題は何ですか。

覚者:現在の時点で、米国の主要な任務はその魂を見つけることであり、そしてそれと共に、支配することではなく、世界に奉仕することの必要を見いだすことである。今日、米国はそのパーソナリティー表現に集注しているので、真の奉仕がその政策にほとんど顕示されていない。分離主義、利己主義、貪欲〔ルビ:どんよく〕があの偉大な国の行動の多くをまだ条件づけている。ソ連の消滅がこれらのグラマー(錯覚)をさらに大きくした。米国にとっての前進の道はその多様な資源と才能とエネルギーを世界共同体のために供し、諸国家を新しい、生存可能な世界の創造へリードすることである。世界はそのような目的の成就を待つ。しかしながら、この非常に望まれる行動はキリストの出現とその受け入れを待つようになるのかもしれない。

(『マイトレーヤの使命 第3巻』)

今は、アメリカのみがスーパーパワー(超大国)なので、異なった世界を創造していく責任があるのです。アメリカは国家の魂の様相である第2光線が示顕するときのみそれを果たすことができるでしょう。
 それは誰を通して示顕することができるのか。弟子たちやイニシエートたちを通してのみ示顕することができます。なぜなら彼らがその国の魂の様相に表現を与える人々ですから。アメリカが経済的な意味でつくり出したグローバリゼーション(世界化)に沿う世界的規模の協力についてのアイディアを、教えを、鼓舞させる想念を前面に押し出していくのはイニシエートと弟子たちにかかっています。その政治的な対応物をつくり出すだけ十分な善意と信頼がまだ国家間に存在しません。ですから市場フォース(エネルギー)に沿った競争精神、すなわち人生のあらゆる面の商業化(それは市場エネルギーの一部です)が支配しています。……
 人類の霊的危機は今日、政治と、特に経済の分野を通して集中しており、そこで解決されねばなりません。ということは、魂の様相、霊的な様相が持ち込まれねばなりません。

(『協力の術』)

 そこに西欧世界の過失がある。これらの“成功した”国々はその富と支配力を主に歴史に負うており、また世界経済を強引な“市場のフォース”を通して彼ら自身に有利なように操る彼らの能力に負うのである。世界の哀れな極貧の者たちは、今や自分たちの分け前を要求する。もしわれわれがこの単純な正義への当然の権利に対処し改善しなければ、世界に平和はないだろう。テロリズムは嵩じて、戦争に発展し、それは地球上の人間の未来を脅かすだろう。
 あなた方の兄たちであるわたしたちは、まさにこの世界の未来が脅威にさらされているのを傍〔ルビ:かたわ〕らに立って眺めていることはできない。アメリカは世界に提供できる多くの良いものを持つ偉大なる国である。アメリカは今、奉仕し、平和と正義の中に生き、そして調和と協力の中ですべての国々と一緒にこの世界をつくり直すために共に働くことを請い願うアメリカの魂に目覚めなければならない。

(『覚者は語る(2)』──アメリカの選択──より)

 アメリカは愛そうという意志を表現している。その意志は、大きく異なる要素を吸収しながらも、すべての人に平等な機会を与える能力に示されている。……使われる方法は緩やかな調整ではなく、迅速な同化という方法である。この国においてはまた、民衆がハイラーキーの影響に非常に敏感である。

(アリス・ベイリーを通してジュワル・クール覚者、『ハイラーキーの出現(上)』AABライブラリー)

 人事に、国事に、人間関係の中に、愛と正義が必要であることを彼らに語る。そしてこの崇高なる愛と正義なしには、すべての人間が滅びることを示す。わたしの望みは──いや、我が兄弟よ、わたしの知るところでは──人類はわたしの召集に応えるであろう。そうなることを、わたしは知っている。人間の裡に聖なる存在の宿ることを、わたしは知っている。愛と正義が勝利すべきであるというのは、その裡なる存在の計画によるものである。そうであるから、結果は保証されている。

(『いのちの水を運ぶ者』第77信より)

 アメリカは偉大な国であり、さらに偉大な国になるでしょうが、悲しいことに、その運命を逸脱しており、自分の理解していないフォースを弄んでいます。アメリカは若く、強く、極端に傲慢な国です。それは若者、特に強い若者の傲慢さです。より年長の、賢明な国家がアメリカの行動に反対の声を上げるべき時です。
 最良の方法は、分かち合いを受け入れるよう促すことです。分かち合いと正義は世界に均衡とバランスをもたらすでしょう。

(『多様性の中の和合』)

 私たちが待望しているのは、アリス・ベイリーを通してジュワル・クール覚者が述べたように、アメリカの魂の第2光線の愛の顕現です。アメリカの魂の様相が示顕するとき、それは世界から競争を除去するでしょう。これまではアメリカのパーソナリティーの面──貪欲で強引で重苦しく、法規を敷くのがうまくて、非常に競争的な第6光線のエネルギー ──が主に示顕してきました。

(『協力の術』)

 ジュワル・クール覚者はアリス・ベイリーを通して、問題と可能性について次のように説明している。「アメリカでの衝突は、ほとんど無責任と放縦にまで登り詰めた自由への愛と、世界奉仕と非分離性をもたらす人道主義的なイデオロギーの成長の間にある。……
 この理想主義の若々しい解釈は、アメリカのすべてのものが他のどこよりもよいというアメリカ国民の完全な信念、全世界の人々に向かって、どうすべきでどうすべきではないかを積極的に述べる気持ち、あらゆる支配に対する反抗、その先入観や偏見に同調するどのような情報も無思慮に受け入れる姿勢に見ることができる。アメリカ人の理想主義の成熟した様相は、真、善、美に対する、そして活発な人道主義と、リアリティーに対する祈願的な霊的取り組みを表現することへの国民の素早い反応につながっている」

(アリス・ベイリー『光線とイニシエーション(下)』AABライブラリー)

 マイトレーヤがもっと受け入れられるようになり、世界の世論が活気づけられるとき、変化に抵抗する人々は少数派になるでしょう。何百万もの善意のアメリカ人は変化と正義のためにマイトレーヤの側に立つでしょう。世界の飢えたる人々を救うために新たなマーシャル・プランのような活動が生み出されるでしょう。以前には決して結集されなかったような巨大で劇的な援助活動が国連機関を通して組織化され、配分されるでしょう。これは世界の世論とアメリカの世論に非常に深遠な影響を与えるでしょう。

(『大いなる接近』)

質問 米国には、この国の魂のエネルギーが顕現するかどうかを左右することができるイニシエートはどのくらいおりますか。(1998/5)

 およそ3,000人位です。つまり、第2、第3、第4段階のイニシエートたちです。あまり多くはありませんが、仕事を行うには十分です。彼らの一人、アブラハム・リンカーンであった第4段階のイニシエートはワシントンDCに住んでいます。彼は政府の下級職に就いている官僚です。彼は公に認知されることがないにしても前面に出てきて、力と洞察力と過去の経験をそのグループに提供するようになるでしょう。

(『協力の術』)

2023年1月号目次

 

覚者より
人間の役割
ベンジャミン・クレーム筆記

今月号の内容概説

視点
ブラジルでのルーラ政権復帰に安堵のため息をつくアマゾン
エイミー・グッドマン、デニス・モイニハン

新しい世界経済
ジェフリー・D・サックス

脱成長とコミュニズムの出会い:
『人新世の「資本論」 』 斎藤幸平著
田中純による書評

「私たちは今、かつてないほど平和を必要としている」
ブレット・ウィルキンス

未来への青写真 ユートピア思考 (第二部)
コルネ・クワテル

時代の徴
奇跡が世界中に溢れる、 他

意識の拡大
アート・ユリアーンス

すべての人のためのベーシックインカム
霊的な法令? ? 第一部
アンネ・マリエ・クヴェルネヴィック、アンジャ・アスケランド

マイトレーヤの優先順位
自由市場 「何かが間違っている」

編集長への手紙
同じ体験に関連する4通の手紙

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

2023年の表紙の絵
「均衡」

 

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。