読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです。

Q 二酸化炭素回収貯留技術についてどう思われますか。つまり、二酸化炭素を捕捉して、長期間地下に貯蔵することに関して。

A このようなアイディアすべての主要な問題は、廃棄物を除去することの必要性です。原子力エネルギーを使用すること自体は、問題とは見なされません。核科学者が問題と見ているのは、原子力エネルギーを使用することで生じた廃棄物の処理です。それは鉄やコンクリートの缶に入れられ、海中に投棄さえされています。それは海洋生態系を大きく変えています。それらは現在でも十分に悪化していますが、宇宙の兄弟たちの仕事がなかったならば、比べものにならないほど悪くなっていたでしょう。
 気候が変動しつつあります。放射能廃棄物の貯蔵のせいで、あらゆる種類の魚の生命が影響を受けています。そうした廃棄物のすべては「小規模の放射能」と呼ばれます。しかし、それは規模とは関係ありません。廃棄物を海中に捨てると、それは最初から汚染されており、現在の装置ではある地点までしか放射能を検知することができません。それ以上測定する技術がないからです。したがって、影響がないと考えられています。しかし、それが最も危険なレベルの放射能であり、それについては全く知られていません。
 炭素の貯蔵も似たような問題を抱えています。それをどこかに貯蔵しなければなりません──どこか害が及ばないところに。どこに貯蔵すると害が及ばないというのでしょうか。私の家の裏庭ではないですね。他の人も皆、自分の裏庭ではないと言います。誰も自分の裏庭には、放射性廃棄物も炭素貯蔵廃棄物も置きたくありません。では、他にどこがいいのでしょうか。ロシア人は「中国はどうだろう」と言うかもしれません。中国人は「いいや、チベットだろう」と言います。そしてチベット人は「いやいや、アメリカだ」と言います。アメリカ人はこう言います。「いいえ、ここには置けません。とんでもないです。ベネズエラに置きましょう」と。それぞれの国が最も関係の良くない国を選んで、そこに貯蔵することを勧めます──それが問題になっています。それが安全である所はどこにもありません。缶に入った炭素を地中深く何千年も貯蔵しておいて害を及ぼさない所はあるでしょうか。それがもたらす害は知られておりません。それがいつ、例えば地震の際に地球の力によって壊れ、ふたが開き、再び放出されるのか分かりません。
 それはいつも間違った側から問題に対処するようなものです。私たちは原因を追究してその原因に対処するということをしません。何がこの問題を引き起こしているのか。何が放射能をもたらしているのか。何が地球温暖化を引き起こしているのか。もし地球温暖化の一因が森林破壊だとすれば、森林伐採をやめなければなりません。特に、二酸化炭素を大量に吸収し、その代わりに大気中に酸素を吐き出す、古代からの原生林を切るのをやめなければなりません。大気には酸素が少なくなり、二酸化炭素が行き場をなくして、地球温暖化が生じています。しかし、もし私たちが木材を浪費しなければ、地球温暖化の大きな原因を取り除くことになります。
 私たちは原因が好きではないため、原因を追究しません。原因は法則に、原因と結果に関係しており、私たちはそれが好きではありません。どういうわけか、現代の機械的なマインドは決して原因を追究しようとしません。そのテクノロジーを変えたいと思わないからです。私たちは木材なしではやっていけないと言うかもしれません。しかし、富裕国がすることは自国の広葉樹を保存して、自国が必要とするものをブラジルやアフリカ諸国のような貧しい国々から買うことです。そうして、これらの国々は古代林を伐採するのを強いられるか、あるいはその伐採を許可することを強いられます。その古代林は人間の生命にとって必要不可欠なものです。
 したがって、何かについてどうすべきかを知りたいならば、その原因を追究することです。原因を突き止めたならば、その原因を是正するよう努力することです。すべては単純なことです。私たちは、長さが23kmあり、建設するのに20年の歳月と何十億ドルもの費用がかかるサイクロトンを建設することができます。しかし、秘教を学んでいる人に聞けば、その人は答えを教えてくれるでしょう。ただで、すぐに、教えてくれるでしょう。
(シェア・インターナショナル誌2009年1・2月号)
ベンジャミン・クレーム講演会
2001年6月、アメリカ、ニューヨーク

Q 真我実現と霊的な意味での真我への気づきに話を戻すと、それを達成するのに役立つ祈りのようなものはありますか。

A すべての祈りはそれを達成するのに役に立つでしょう。「主の祈り」もそうです。しかし、マイトレーヤは「新しい時代のための祈り」と呼ばれる新しい祈りを授けられました。それはあなたを真我と同一認させます。
 「私は宇宙の創造主である」とは、あらゆる被造物の背後にあるという意味です。それはあなたであり、私であり、すべての人々です。誰もが宇宙の被造物であり、それゆえにあなたは真我の感覚を得るのです。あなたが真にそうであるところの遍在する存在としてではなく、あなたであるところの万物を通して動く霊的な本質としてです。
 マイトレーヤは、私たちは何ものかが自分の背後に、周囲に、上部にあるという感覚を持つときがあると言われます。それが真我です。それはあなたが独りであるときに起こります。ほとんどの人は独りであることを恐れます。孤独を感じます。しかし、彼はこう言われます。実際には、孤独の状態は素晴らしい状態であり、その中で真我を感じることができる、なぜなら私たちは様々な関心事のためにそれを自分自身から覆い隠しているからである、と。私たちは娯楽やラジオやテレビに殺到します。友人に会います。独りで静かに坐って真我としての自分を体験する以外のあらゆることをします。誰もがこれを必要とすると彼は言われます。自分の周りに他人に邪魔されない空間を必要とします。何かを頼まれたり強いられたりしない、魂が強力な方法で真我に気づくことのできる空間が必要なのです。この瞬間、目に見えない真我に入り込むのはあなた自身の認識です。ですから、「新しい時代の祈り」を唱え、無執着と、マインドの正直さと、スピリットの誠実さを実践するならば、いくつかの人生のうちに、真我認識が真我実現に至る状況を生み出すでしょう。
(ベンジャミン・クレーム講演会 2001年6月、アメリカ、ニューヨーク)

2021年8月号目次

 

覚者より
人類のための新しい時代
ベンジャミン・クレーム筆記

パレスチナ人に対するアパルトヘイトを終わらせる

重要な時代における弟子の責任——第三部
アンネ・マリエ・クヴェルネヴィック

ネットゼロエミッションに向けてのレース:
私たちに準備はできているか
グラハム・ピーブルズ

民衆の声
数千人がパレスチナと連帯して行進する
いかにして民衆の力はキーストーンXLパイプラインを阻止したのか
ヴァレリー・シュローレット

時代の徴
世界中の光の現象

なぜ「通常」に戻ることが最悪の事態を招くことになるのか
フェリシティ・エリオット

推獎図書
ジェレミー・レント著
『意味の網:宇宙での私たちの場所を見つけるために科学と伝統的な知恵を統合する』
フィリス・クレームによる推奨図書

2021年:世界で最も貧しい人々にとって重要な一年
ジョナサン・ファー

編集長への手紙 直接向かい合う 他

人類のための新しい時代

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者はほとんど40年近くにわたって毎月、記事を提供してこられた。今世紀初めに書かれたこの記事は、今日の世界のために書かれたかのように読み取れる。

人類のための新しい時代

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 日がたつごとに、自由意志の誤用から起こる悲惨な出来事が人類に示されている。神聖な自由意志は人間の最大の宝であるが、それはロゴスの大計画に沿って使用されるときにのみ合法であり正しいのである。
 人間はその理解から程遠く離れてしまっており、したがって間違った思考と行動の旋風という報いを受ける。かくして大勢の人間が、豊かな世界の直中で、他の人々には当然の生得の権利だと思われているそれらの資力を欠くがゆえに、不必要に苦しむのである。
 人間はこのような分離をもはや長期間支持することはできない。「法」が維持可能な均衡を要求する。そしてそれが見いだせないときに、法は調整し、調和させようと働く。さらに、統合の新しいエネルギーがますますその表現を要求し、人類を日ごとにその目標に向けさせている。至るところで人々は高まる緊張に耐えるのが困難になり、その結果として起こる混乱の中で四苦八苦する。
 人間は彼らの心の深いところで、将来への道は変化を通らざるを得ないことを感知しているが、その道の輪郭をいまだ見ることができない。彼らの必要は知られ、そして満たされるのだということを示す徴を待っているのだが、その救いの臨在を告げる徴が至るところに 夥しく見られるのにそれを信用しない。彼らは望みながらも同時に恐れており、それゆえ切望しているその可能性を拒絶する。いつの時代にもそのようであった。
 他方、人類の一部は日ごとに彼らの飢えた貪欲な心(マインド)を驚嘆させるあぶく銭を楽しみながら、(現実に気づくことなく)満足して先へ先へと進む。彼らは自分たちの危うい成功以外に対しては盲目であり、世の中の緊張を感知せず、警告の鐘の鳴り響くのも聞こえない。投機という病気が彼らを奴隷にしており、古代ローマの行き過ぎた行為を思い起こさせる。
 これらの異なった矛盾する姿勢を見守るハイアラキーは、でき得る限りの方法で助けようとしている。人間の自由意志のみが直接介入を阻むのだが、「法」は法であり、それは決して侵してはならない。にもかかわらず、人類が決して目にすることのないところで多くの助けの手が差し伸べられている。
 マイトレーヤはそれらの状況を日々、検討しておられ、すでに予告された株式市場の崩壊の前に出現する方法を探しておられる。これを可能にするためのステップが今や取られつつある。であるから、マイトレーヤの公の使命が始まるまでの時はまさに短い。その初めの徴を見逃さないように見守り、そして目覚めていなさい。
 マイトレーヤは至るところにいる善意の男女を行動へと活気づけようとされるだろう。彼の召集をただ単に待っている者が大勢いる。かくして、大いなる討議が開始され、至るところにいる人間の基本的必要が検討され評価されるだろう。このようにして、人間は変化が保証することのできる可能性を知り、試みるだろう。そして必要とされる変容を始める勇気を見いだすだろう。そのようになるだろう。そのようにして偉大なる主は助言し、導き、人類のために新しい時代の幕開けをされるだろう。

(シェア・インターナショナル誌、2001年4月号)

なぜ「通常」に戻ることが最悪の事態を招くことになるのか

フェリシティ・エリオット

 1942年にジュワル・クール(DK)覚者は、二つの世界大戦の後で、各国が復興に向けて動き出したときに、人々が警戒すべきある種の危険性について警告し書かれています。それは今日にも当てはまることですが、「いわゆる『通常』の状態に戻ってしまうという大きな危険性である。今、人類が直面している際立った危険は、戦争が始まる以前の状態に戻ることであり、帝国主義(帝国であれ金融であれ)、苦境に立たされ搾取されている少数民族を抱えた民族主義、また富裕層と貧困層の間、東洋人と西洋人の間、あらゆる国に例外なく存在するカーストと階級の間の卑劣な差別と分離の障壁を持つ、古い馴染みのある世界への復活である」。

(『ハイアラキーの出現』)

 仮説として、第一次・第二次世界大戦の原因や状況とその影響、2020年・2021年の最近の状況、そして呼吸器系の病気の出現を、現在とアトランティス時代で比較して描いています。その忘れられた時代に、私たちはいくつかの貴重な教訓を学ぶ機会を与えられました。それは、「原因と結果の法則」、つまり、良くも悪くも変化をもたらす思考と感情の力という教訓です。

 最初の教訓は、その古代の時代に提示されましたが、私たちが学ぶことができなかったのは、人類の本質的な一体性(ワンネス)と社会的な相互依存の事実です。私たちが「一人に影響し得るものはすべての人に影響し得る」という単純な事実を知らないか、あるいは受け入れていないことを、メディアは日々裏づけています。一体性が私たちの基本的な実相である以上、この事実に反するものには、避けて通れない否定的な結果がつきまとうのです。

 それでも私たちは今、世界の歴史の中で重要な瞬間を迎えています。今の状況は、例えば10万年前や100年前と何が違うのかという疑問を生じさせます。何が今を極めて重要なものにし、世界を根本的に変えるような特別な機会を与えているのか。また、世界はこれまでに同じような状況に直面したことがあったのでしょうか。間違いなく、現在の状況の複雑さは尋常ではありません。私たちが直面しているのは、新型コロナウイルスという一つの災害だけではなく、緊急に同時に対処しなければならない複数の災害です。新型コロナウイルスによって亀裂が生じ、世界の主要なシステム(医療、経済、環境、政治、社会)が崩壊しつつあることが明らかになりました。このような状況は、ちょうど100年前に似たような状況があったことを除けば、ほとんど例のないことです。1918年、戦後の世界は疲弊し、心理的なショックを受けていましたが、突然、さらに致命的な敵、パンデミック(大流行)であるスペイン風邪と戦うことになりました。ワクチンのない、インフルエンザウイルスによる呼吸器疾患です。「世界人口の3分の1にあたる約5億人がこのウイルスに感染したと推定されています」死亡者数は全世界で少なくとも5,000万人、米国では約67万5,000人と推定されています。(cdc.gov)

 アトランティス文明の主要な出来事、20世紀の災害、そして現代を比較検討することができます。水がアトランティスを覆ったとき、知恵の覚者方が日常生活から撤退したことに読者は気づかれるかもしれません。そして10万年後の今、「光の勢力」である彼らが再び日常生活に戻ってきています。

 これらの時代に共通しているのは、致命的な呼吸器系疾患の蔓延、貪欲さと分離意識の高まりと優勢です。その分離主義が深刻な紛争や戦争を引き起こし、アトランティスの場合、文明の終焉をもたらしました。

 私はこの現代文明の終わりを指摘しているのではなく、私たちが「通常」だと思っている思考の錯覚、つまり外側に見えているものを抜本的に見直し、変革するかつてない最善の機会だと考えています。過去の経験から考えても、現在の幾つもの危機の重なりを通して、過ちから学び、「通常」を永遠に捨て去ることができるのではないでしょうか。早く通常に戻りたいと思っている人たちは、実際に「通常」を直視したことがあるのでしょうか。「通常」とは、社会的不公正、飢餓、貧困、戦争、汚職(腐敗)、無慈悲、生態系の破壊を継続させることです。それが私たちの望むことなのでしょうか?

はるか昔

 当時の覚者たちが警告したにもかかわらず、私たちは歴史を通じて繰り返し「度を超して」きました。古代の神話や伝説、聖典には、あまりにも遠い昔にさかのぼるため、気味の悪いおとぎ話として片付けられる出来事に満ちています。しかし、実際には、それらはアトランティス文明の滅亡に至った歴史的な出来事を描いています。世界を一変させるようなこの大異変は、貪欲のカルマ的な結果であり、また、導きを聞き入れようとしない、あるいは聞き入れられなかったことによるカルマ的な結果でした。

 様々な情報源、例えばDK覚者、ヘレナ・ブラヴァツキー、ベンジャミン・クレームは、アトランティス文明の時代に、肉体的な欲求に対する自然で単純な本能的反応がいかにしてゆがめられ、対象や所有物、物質的な満足を求める過度の欲求へと至ったかについて書いています。自然な肉体的本能が異なったレベル──思考の始まりと共に感情・アストラルのレベル── へ「溢れ出す」ようになったのです。貪欲と盗みがはびこるようになり、物質的なものを重視することで、「自分を豊かにし、他人にどんな犠牲を払わせてでも欲しいものを手に入れようとする人々」は、魔法や「不道徳」な行為をするようになりました。(アリス・A・ベイリー『秘教治療』)

 人類を人類自身から救うために、また、それ以上深い物質主義の奴隷とならないように、「光の勢力」である覚者方は、「物質性もしくは混沌の勢力」との戦いに突入しました。アトランティスは、人々の貪欲の重さで沈み、カルマの波に飲み込まれましたが、それは、強欲による直接的な当然の結果を非常に生々しく見せられる前のことでした。

 その時に明らかになるべきであったことは、分離主義と物質主義という原因とその結果の間には、直接的なつながりがあるということでした。「人々は、極度の贅沢と、非常に多くの物質的な所有物や財産を手に入れることに熱中した。彼らは欲望によって窒息させられ、決して死ぬことなく生き続けて望むものすべてのものをもっともっと手に入れたいという夢に悩まされていた」。(アリス・A・ベイリー『秘教治療』)   DK覚者は、当時蔓延していた状況をさらに次のように描写しています。「あるのは見境いのない無情で強欲な欲望だけであった」と。そのため、当時の覚者方は新たな法を定めました。「物質的な財産のためだけに生き、永続できないものを得るためにすべての美徳を犠牲にする者は、生きながら死に、呼吸によって自分が蝕まれていくことに気づくが、呼び出しが来るまで死について考えるのを拒絶するであろう」

 余談ですが、次のような奇妙な事実を指摘したいと思います。私たちは現在、アトランティス末期と第一次世界大戦直後と現代を結びつける、繰り返し起こる強力なテーマ── 息そのもの、すべてのいのちの基盤──に付きまとわれ、息をしようと必死にあがいています。2020年の初め以降、ウイルスが広まったため、世界は空気を求めて喘いでいます。ジョージ・フロイドは息ができず死亡したため、「息ができない」という怒りの叫びが新たな意味を持ちました。インドやブラジルなどの国では酸素が欠乏し、ぞっとするような結果を招きました。最近のパレスチナ人による抗議活動のプラカードには、「I can’t breathe since 1948!(1948年以降、息ができない!)」と書かれていました。この日付けはパレスチナとイスラエルにおける分離と不正義の始まりを示しており、世界は未だにこうした状況に束縛されています。

 当時も今も、心理的な状態が、肯定的にも否定的にも、身体的な影響をもたらすことが明らかになっています。また、人々が認識したもう一つのことは、人の思考、感情、行動、健康、死の間には、はっきりとした、辿っていくことのできるつながりがあるということです。こうした認識に至る前、アトランティス時代の人類はただ単に、すべてのものが死ぬことを理解していたので、死を自然な過程として受け入れていました。言葉での指示に反応できない当時の一般大衆に因果関係をどう伝えたらよいのか。DK覚者は、「特に略奪的で強欲な人間が、自分自身の中から生じるように思える悲惨な病気に苦しみ始めたのを見たとき……そのとき初めて、個人の行動と死との間のメンタル的な関係が認識され…… 一つの大きな前進が人間の意識に起こった」と説明しています。

(アリス・ベイリー『秘教治療』)

原因

 この記事では、内的で、霊的で、「秘教的」で、心理的な原因と、主流の医学が検証可能でより明白な外因と見なすものとを区別しています。歴史は繰り返し教訓を与えてきました。何か意味があるに違いない追跡可能なパターンがあるのだと。ベンジャミン・クレームと彼の師である覚者は、大きな緊張──安楽でない状態(dis-ease)つまり病気をつくり出す不均衡──の影響について、たくさんの情報を提供してくれました。

 主要な原因は、自己知識が乏しいことと、全体の一部としての自分自身を体験することができないことにあります。神性を共有しているという性質を自分の本性として未だに知らないので、疎外され、空虚で、分離しているように感じ、そのためいつも満足できず、ややもすると貪欲になってしまう。さらに、そうした落ち着きのない空虚さのせいで、手軽に満足できる簡単な解決法を取ってしまいがちです。また、そうした空虚さのせいで、私たちは簡単に、商業主義を通して現されるあの邪悪なエネルギーの餌食になってしまうのです。アトランティス人が感染した退化や物質主義の同じエネルギーは、光の勢力によってほんの少し打ち負かされましたが、追い払われたわけではありません。

 アトランティスの破壊にもかかわらず、利己主義へと向かう同じ傾向と、物質主義への過度の強調は生き続けています。それは、もう一つの時代、ローマ帝国の時代の終わりにかけて再び表面に現れました。ネロ皇帝の治世を際立たせた退廃は、アトランティスの邪悪さへの回帰であり、同じ破壊的なエネルギーへの扉を開けたと、DK覚者は記しています。

 不朽の知恵の教えでは、第一次と第二次世界大戦は、一方の「光の勢力」と他方の「混沌もしくは物質性の勢力」とによって戦われた一つの戦争でした。物質性の勢力の狙いは昔も今も、人類の進化を引き止め、人類が物質性に捕らえられ、競争や貪欲、紛争、商業主義という習慣によって事実上、牢獄に閉じ込められたままにしておくことです。物質性のエネルギーは、覚者方の助力を得て連合軍によって打ち負かされたように見えましたが、そうではありませんでした。歴史は繰り返します。つまり、光の勢力は優勢でしたが、完全ではありませんでした。「この戦争は、物質性の勢力の破壊ではなく、敗北に終わりました」(ベンジャミン・クレーム、シェア・インターナショナル誌、1994年12月号)

 大祈願の中では、「悪の棲処の扉」を封じられるように、「愛と光の大計画を成させ給え」と呼びかけています(第二次世界大戦直後、世界教師マイトレーヤが世界に与えられた。彼が1945年6月に世界への「帰還」を決意された際、初めて使われた)。

 注意すべきは、分離主義から生じる物質性や貪欲へと向かう傾向は、ただ一つの国や諸国のグループに限られるのではなく、地球上のすべての国に存在し表現されているということです。

 これまでに、アトランティスの大惨事があり、数え切れない戦争や危機的状況を経験し、加えて感染力の強い病気(この20~30年間においても、SARS〔重症急性呼吸器症候群〕、MERS〔中東呼吸器症候群〕、AIDS〔後天性免疫不全症候群〕、NIPAH〔ニパウイルス感染症〕、エボラ出血熱などが発生)の急速な蔓延に見舞われたにもかかわらず、多くの政府や国民はひたすら「通常」が前進の道だと主張し続けます。それは、さらなる混沌と物質性(物質主義にはまり込む)への隷属へと逆戻りする道であるのは明らかです。

 「他方、人類の一部は日ごとに彼らの飢えた貪欲な心(マインド)を驚嘆させるあぶく銭を楽しみながら、(現実に気づくことなく)満足しながら先へ先へと進む。彼らは、自分たちの危うい成功以外に対しては盲目であり、世の中の緊張を感知せず、警告の鐘が鳴り響くのも聞こえない。投機という病気が彼らを奴隷にしており、古代ローマの行き過ぎた行為を思い起こさせる。

 これらの異なった矛盾する姿勢を見守るハイアラキーは、でき得る限りの方法で助けようとしている。人間の自由意志のみが直接介入を阻むものだが、『法』は法であり、それは決して侵してはならない。にもかかわらず、人類が決して目にすることのないところで、多くの援助の手が差し伸べられている。」(覚者より、ベンジャミン・クレーム筆記、人類のための新しい時代、2001年4月号)

 「私たちが生きている奇妙な時代」──このようなよく耳にする言い回しが2020年を表すのによく使われました。2021年になっても、この言葉は日常の雑談の一部となっています。私たちはこの時代の状況と何の関係もないかのようにこれを口にします──まるで、私たちの苦境が自分たちと全く何の関係もないかのように。私たちの状況をいったい他の誰がつくっていると言うのでしょうか?

 一般に知られていないのは、私たちの惑星とそこに存在するすべての生命のための青写真が存在するという重大な事実です。この表明は、私たちの惑星が意識的な存在であり、どういうわけだか、この大意識が「責任を負って」おり、認識しているということです。自然界では、これは形態の進化を意味しますが、人類にとっては、私たちが知る知らないにかかわらず、意識の進化が目標です。マイトレーヤと覚者方はその大計画の管理者であり、すべての生命形態の意識を拡大することに、人類の場合には、リアリティ(実在)についての、つまり私たちがその不可欠な一部である「神聖なる存在」の本質についての認識を高めるよう刺激することに尽力しておられます。私たちが現在の危機における自分の役割に気づき始めた今、個人や共同体の意志を、でき得る限りその青写真に沿わせる方法を探し始めるのが賢明でしょう。あるいは、覚者方はそれを私たちに示されるかもしれません。

市場のフォース

 マイトレーヤは1989年に次のように警告されました。「軍隊を戦場に送り込み、空を爆撃機で埋めるエネルギーのスイッチが切られた。しかし、そのエネルギーは世界を彷徨っており、突然、新しい子宮を見つけた──市場のフォース(エネルギー)によってつくられた商業主義である。超大国の新しい信条は経済であり、それは商業主義の魂である。これが世界に深刻な新しい脅威を呈しており、人間の生命をも危うくし得る。商業主義の特質は貪欲であり、それはすべての国に影響を及ぼすだろう。戦場から巻き戻されたこの否定的(破壊的)エネルギーは、目も心(マインド)も持たないフォース(勢力)であり、非常に敵意に満ちた風潮を世界につくるだろう。政治家は商業主義が人類の未来だと信じるが、彼らはこのエネルギーをコントロールすることができない」(マイトレーヤ教え、いのちの法則)〔文中のゴシック体は著者による〕

 別の惑星から来た人は、現代をどのように描写するのでしょうか。鍵となる特徴は、自分の本質とのつながりを欠くことから生じる分離感に基づく利己主義であり、また私たちを物質性への依存症に陥らせる、貪欲や競争、自己満足です。私たちは社会正義に対して敏感にならないように教え込まれます。こうした病んだ状況に権力への渇望が加わり、その結果、今日の人類の大部分は商業主義と消費主義に隷従しています──これは物質性の勢力によって刺激され助長された、麻痺した存在状態です。2020年、2021年のパンデミックによって浮き彫りになったのは、経済システムの不公正です。超富裕層が極度の金持ちになる一方で、生計を立てる手段を失い、子供を養うのに苦闘する人々がいる──これは最も豊かな国々のことです。

 DK覚者による『人類の問題』は、1944年10月から1946年12月にかけて書かれ、戦時中と戦争直後の問題を扱っていますが、覚者が書かれた多くの文章と同様に、それ以降のいつの時代にも当てはまる内容です。「私たちの現在の文明は、極めて物質主義的なものとして歴史に残るだろう」。戦後に増大した物質主義は、歴史上他のどの時代よりも遥かに広くはびこっており、多くの世界の人々を巻き込んでいると説明しています。「私たちの生活水準は、所有の観点から見れば、あまりにも高すぎるが、霊的な価値観の観点から見れば、あまりにも低すぎる……。人類は利己主義が習慣になっており、物質的所有物への愛着を受け継いできている。これが私たちの現代文明を生み出してきたが、そのため、それは変革されているのである」(『人類の問題』)

原因とその影響

 原因は、基本的には私たち自身の間違った関係であり、その結果は外側に、物質世界へと現れます。この場合は特に、自然界に対する態度に関係しています。私たちは自分の内面の状態を環境に投影しています。その原因は、間違った考え方や狂った優先順位の結果です。例えば、私たちの経済的な信条は、いのちを維持するすべてのものを犠牲にしても、無限の成長を信じるよう促します。金融上の教義は、私たちの命と人類および惑星の未来を犠牲にして、短期的な解決策を信頼することを奨励します。そのため、手つかずのまま残っているものはほとんどありません。

 ウイルス学者は何年も前からパンデミックを予測し、各国政府に備えを促してきました。パンデミックが起こることを知らないことが、どうしてあり得たでしょうか。気候科学者、活動家、学校の子供たちは、地球の破壊を食い止めるために、二酸化炭素の排出量を削減する政策変更と行動を求めてきました。先住民や農村社会、森の住人たちは抗議し、自分たちの土地を守ろうとしてしばしば命を落としてきました(そして今も落とし続けています)。このリストは挙げればキリがありません。私たちは自然界を絶滅へと追いやり、自らを人獣共通感染症にさらされています。人獣共通感染症とは、野生動物では無害なウイルスが、人間に感染すると致命的なウイルスに変化する「スピルオーバー(漏出)」のメカニズムです。本誌の読者は、新型コロナウイルスの最初の兆候が現れる少し前の2019年12月に、シェア・インターナショナル誌がロニー・ツナミと名乗る男が11月に発した警告を記した手紙を掲載したことを覚えているかもしれません。彼は正義を強調し、相乗効果の重要性を語り、津波のような変動が次々と押し寄せてくることを警告していました。この人物は果たして、覚者のお一人の代弁者か、あるいはマイトレーヤご自身だったのでしょうか──高まりつつある健康とモラルの危機について警告するために。

 なぜ今、このような危機と機会があるのでしょうか。私たちはまたしても「度を超して」しまったからです。人間性への挑戦に適切に対応するための道徳的テストに合格できませんでした。飢餓、ホームレス、難民、拒絶され虐待される人々、環境破壊。そして今はパンデミックという挑戦です。パンデミックが鮮やかに示したのは、私たち全員が相互に依存し合っており、新しいあり方と新しい規範を必要としているということです。では、なぜ今なのか? 状況があまりにも悲惨で逼迫しているので、変化の機会をつかまなければならないからです。さもなければ、さらなる大きな災害に直面することになるでしょう。また、貪欲の物語が唯一の物語ではないからです。人類はその最良の瞬間には素晴らしいのです。愛情に溢れ、利他的で、善意に満ちていて、他者のために、より高い価値のために働き、自己犠牲を行うことができます。人々は変化に向けて準備ができており、社会的に公正な世界を切望しています。これこそが、光の勢力が今、現代世界にある理由の一つです。光の勢力を体現し、代表しているのは知恵の覚者方であり、光の勢力を率いているのはマイトレーヤです。光の勢力は、グローバル社会への彼らの出現を可能にする適切な状況を私たちがつくり出すのを待っておられるのです。

 幸いなことに、そして不幸なことでもありますが、私たちには自由意志があり、それが私たちの進化が見かけ上は氷河期のようにゆっくりとした速さで進んでいることを説明しています。この速度は、私たちの惰性的で怠惰な傾向と、平均的な進歩の段階によって、ある程度は説明することができます。それは、まさに、アトランティスでの戦争の終わりや、第一次および第二次世界大戦の終わりに完全には封じられなかった扉の背後にあるものから影響を受けやすい状態にあるからです。その邪悪なエネルギーは、商業至上主義や自己満足、恐怖、分裂、冷笑、混沌をその武器として獲得してきました。そのエネルギーの擁護者たちは、私たちを未来へと連れて行くことができる唯一の力は、民衆の集合的な力、つまり私たちの力であることを認識しています。

 民衆の力、より良い世界を求める一般大衆の要求は、物質性・混沌の勢力によって部分的に蝕まれ、一時的に歪曲されてきた、と私は思います。非常に広い範囲にわたって適用される民衆の力が世界の希望となることを、その勢力は知っています。教養ある大衆世論が解決策であり、変化への鍵です。それは、正しく情報を知り、科学的事実を備え、専門知識を活用し、また、地方行政や地域社会の活動、地域や国内や国際的な条約、請願やボイコット、ストライキなど、利用可能なあらゆる手段を用いるデモ行動が解決策であり、変化への鍵である、といったことを特徴とする世論です。しかしながら、事実への信頼は侵害されてきました。私たちの時代は狂気じみた概念を特徴としています。「フェイクニュース(虚偽報道)」が幅を利かせるところでは、現実そのものが却下され、真実はフェイクニュースとして拒絶され、非常識な概念が蔓延しています。このような大混乱の中で、陰謀論が花開きました。多くの人にとって、主流メディアは疑わしいということになります。抗議活動を組織するための素晴らしい道具となっているソーシャルメディアは、裏づけのない極端な意見で溢れかえっています。代表的なメディアは信頼性の高い報道を提供しますが、非商業的であるため、しばしば生き残りに四苦八苦していることが多いのです。世界は、明瞭な声を切望しています。

変革の担い手

 変化を起こす可能性のあるものは、何であり、誰なのか。パンデミックそのものです。それが、今私たちに人生の意味を再考させ、価値観を吟味して、新たな目標を設定するための時間を与えてくれたのです。自分たちとこの惑星を破壊せずにこれまでのやり方を続けることはできないという認識もついに生まれました。変化を求める人々の決意が高まり、一方、悪化する気候と極端な異常気象によるさらなる苦しみ、食糧生産への影響、さらなる飢餓、難民や行き場を失った流民、その結果としての紛争、崩壊する医療システム。内情に通じた人々は長いこと、金融・経済の崩壊を待っています。これらの要因のいずれか一つ、または複数の要因の組み合わせは、促進剤として作用し、永続的な変化をもたらし得ます。 

 「至るところにいる人々は変化を感じており、その呼びかけに彼らの声を添えている。また彼らは、行動することへの自分たちの力(パワー)を感じており、そして多くの者たちがそれを証明するために死ぬ。昔のようなやり方はほとんど終わっており、それらのフォース(エネルギー)は使い果たされたことを感じる。彼らは、他に、より良い生き方があることを感じており、明日を期待している。まさに古いやり方は廃れつつあり、人類種族を阻害している。車輪は回り、大ローマは再び崩壊しつつある。マイトレーヤの火は数え切れない何千万の人々の心(ハート)に灯され、彼らは反応し、正義と調和が支配する新しい世界を築くことを願っている。マイトレーヤの約束はこの新しい世界がやってくる途上にあるということである。」(覚者より、ベンジャミン・クレーム筆記、マイトレーヤの約束、2011年11月号)

 私たちの時代がきわめて重要で、10万年前と大きく異なるのは、覚者方が撤退してから初めて、ついに日常の世界に戻って来られたからです。それまでは、学ぶ機会を与えられても、その導きに応えることができなかったのです。そして、空想的なことを言えば、何十万年もの間ずっと鳴り響いているのをかろうじて聞くことができる、微かだがなじみのあるあの響きは何でしょうか。なじみがあるのは、それが依然として私たち次第だからです。悲しいかな、マイトレーヤと覚者方は未だに、彼らの出現を可能にするような条件を私たちがつくり出すのを待っておられます。彼らはまたしても、私たちが変わろうと決意するのを再び待たなければなりません。

 ベンジャミン・クレームの師である覚者は、マイトレーヤが当てにすることができるのは、およそ20億人であると語りました。2020年と2021年の苦しみや制限、機能停止によって生まれた機会を私たちは是非つかみ取らねばなりません。 

 「通常」とは、少なくともこの70年間における私たちのあり方の歪みです。自分を20億人の中の一人だと思っている人たちこそ、完全な真我となるために必要とされる新しい文明の建設において正義と完全な参加を要求していくために、社会のあらゆる部門の枠を越えて団結しなければなりません。相乗効果によって大勢が団結し、新たな通常が確立されることになるでしょう。その通常は、私たちの真の神聖なる本質を自由に表現するのに適したものでしょう。

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

直接向かい合う

編集長殿
 2021年5月27日、私たちは再び『あの変装したマイトレーヤ』と出会い、会話を交わしました。ベンジャミン・クレーム氏(BC)が最初にこの人物について語り、彼を『特別な訪問者』と呼んだのは、彼が実際に現れる数カ月前のことでした。彼は後になってBCと彼の師によって、特定の変装をしたマイトレーヤであると確認され、よくアムステルダムのインフォメーションセンターを訪れたり、その近辺での異なった状況下でグループの様々なメンバーと会ったりしています。彼が最後にグループのメンバーと話をしたのは、2020年の6月でした。その時に彼は、かなりの期間会うことはないだろうというように伝えてきました。
 今回の彼の最初の問いかけは、「グループはどう?」でした。それからインフォメーションセンターが開いているかどうか尋ねてきました(私たちはロックダウンのために昨年3月以来閉めていて、本の注文などに対応するためにだけ入っていました)。「その場合の瞑想についてはどうなのかな、皆さんはオンラインで瞑想している?」。彼がそれはいいねと言いました。「一般公開の講演はしている?」。いいえ、私たちは実際に会うことはできないので、次善の策として、ウェビナー(インターネットセミナー)をやっていましたと答えました。彼の反応は素早いもので、ウェビナーに興奮したりしませんでした。「人と人の、面と向かい合った個人的な接触に勝るものはない」。さらにそれが『彼の個人的な意見』であるけれども、今のところ必要であることが本当に分かったと言っていました。「今でも……直接に向かい合うことがより良いことだ」。インフォメーションセンターのことについて、彼は『青信号』になったらすぐに、私たちを訪問するつもりだと言いました。
 私たちは、どのくらいコロナウイルスは続くのか尋ねました。完全に消え去ることはないだろうと言われました。それは風土病になるだろうということでした。そして彼から思いも寄らず尋ねられたのは、「そのウイルスは予測されていたか?」ということでした。それがBCかBCの師によるものという意味だと、私たちは理解しました。「そうですね、いいえ、おそらくはっきりとはありませんでした。けれどもベンジャミン・クレーム氏や彼の師、そしてマイトレーヤによって私たちが繰り返し伝えられてきたのは、もし人類が変化しないなら、私たちがこの惑星と自然界に与えている影響に気づかないなら、当然避けられない帰結というものがあるだろうということです。つまり原因と結果なのです」。彼はうなずいて、「そう、原因と結果、結果と原因だ」と悪循環を示しているように言いました。私たちはこの手紙を書いていた時になってやっと、中国で新型コロナが最初に報告される直前の2019年11月に、『ロニー・ツナミ』による警告、あるいは予測がなされていたことを思い出したのです(本誌2019年12月号参照)。それから彼は、私たち(世界)がすべての国々、特に発展途上国に、どうやってワクチンを供給できるかという問題について語りました。「私たちは月へ行ける、火星にも行ける、必要な手段も持っていて、どうすれば良いか分かっている、できたはずだ。まだできるはずだ」と彼は言いました。
 「今は困難で、厳しい時代だ。あらゆる人々にとってつらい状況だ。しかし私たちは滅んだりしない、世界は生き延びるだろう。けれども何百万もの人々にとっては、非常に過酷だ。彼らは今苦しんでいて、これからも経済的失敗の結果や、収入を失うことなどで苦しむだろう」
 なぜ物事はうまくいかないのかと考えて、人々が時々心配したり腹を立てたりしても、それは自然なことだと彼は言いました。そして時に腹を立てることは許されている、大丈夫だと言いました。彼は上を指差して(彼は過去にもこの仕草をしていました)、神に腹を立てる人をいたずらっぽく真似して、「パパ! なぜそんなに時間がかかっているんだ?」と言っていました。「私たちはマインドだけを使うときに腹を立てるんだよ、……よりも」と言い、信や直観よりもという意味で言っているようでした。
 たくさんの雨の後で温かな気候になり、木々や灌木、植物すべてが、青々として茂っていました。私たちの『特別な訪問者』は、自然の中で楽しむこと、心から思い切り楽しむことを出し惜しみしたことはないと語っていました。「ごらん!」と彼が公園の中の周囲すべての美を指差して、「毎年そこにあるんだ。私たちは何もする必要がない、ただそこにあって、私たちに与えられているんだよ!」。
 「お互いにハグもできないなんて、何と残念なんだ、でも『霊的なハグ』をするよ」と彼が言って、私たちの会話は終わりになりました。さらに、インフォメーションセンターで再び会えるだろうと言ってくれました。「またすぐ会おう! それから会ってくれてありがとう」。彼はお辞儀をして、古い自転車に乗って去っていきました。

グループメンバー 一同
アムステルダム

イエス覚者に委ねる

編集長殿
 私の夫、ジョン・フィリップスは重病を患っており、できる限りの間、私が自宅で看護してきましたが、それがあまりにも難しくなったため、夫はホスピスに入ることになりました。
 そこでの最初の夜に、彼は混乱して取り乱してしまい、家に帰りたがっていました。幸いなことに、ボランティアの一人が彼のそばに付いていてくれました。ジョンがマイトレーヤの手のカードを枕に置いていたのに気づいて、そのボランティアの女性は驚きました。彼女はジョンに、どうしてマイトレーヤについて知ったのか尋ねてきました。
 そのボランティアは、エステル・ダウエス・デッケルだとわかりました。彼女は長年にわたってグループのメンバーである、アレクサンデル・ダウエス・デッケルの娘だったのです。ジョンはエステルの助けと気遣いにとても感謝していました。突如としてジョンは、「マイトレーヤが君(エステル)を私の所へ送られた」ということを完全に悟ったのです。彼はすぐに静けさと安心を感じていました。
 ジョンはあごひげの男性が彼の部屋にいるところも見ていました。彼は死に近づきながらも平穏であり、「ただもうイエス覚者におまかせするよ」と言いました。
 彼は2週間後、あまり痛みもなく、穏やかに亡くなりました。
 私たちにとってこのことは、覚者方が私たちと私たちの愛する人々を導くために、常に私たちと共にあることを思い出させてくれる、美しい実例なのです。

ナンシー・デ・グラーフ
アムステルダム

囲み記事:

全知遍在のハート

編集長殿
 私は幸運にも、自宅の庭や室内の植物の中に、ハート形の葉っぱをたびたび見つけています。それら全部が徴と考えられるかどうかわからないので、シェア・インターナショナル誌に送るのをためらいました。けれども葉のいくつかは困難な時期に現れたもので、ある場合には愛と励ましを与えられていると、本当に感じました。私は散歩が難しくなったので、私の小さな庭を歩くことを楽しみ、とても豊かな植物の世界の美しさに驚嘆しています。
 ここに数枚同封しているものは、偉大なる存在の全知遍在と愛の証明としてお送りしています。

ローズ・マリー・マルミヨン・カロネゴ
フランス

2021年7月号目次

   

覚者より
人類のための新しい時代
ベンジャミン・クレーム筆記

視点 アナンド・ギリダラダス氏は、コロナの蔓延により「われわれが 学んだことから、「われわれは今度は何をするのかという問題を 突き付けられている」と語る

今月号の内容概説

リチャード・D・ウルフ著 『病んでいるのは制度である』
セバスチャン・ヴィユモによる書評

形勢を変える気候ニュースが流れた日に大手石油企業が巨額の損失を被る:
オランダの判決と二つの株主の反乱は気候非常事態に対する 新たな希望となる。
マーク・ハーツガード

フクシマから10年
東日本大震災を考える――第一部
松本まり子

米国のUFO 報告書:開示か、隠蔽か?
ウィリアム・アレン

2021年:児童労働撤廃国際年

時代の微
世界中の光の現象

簡素さと持続可能性―選集
Simplicity and sustainability ― a compilation

人類の進化は1800万年以上前に始まった
アー ト・ユリアーンス

世界情勢
世界中でワクチンを分かち合おう

「さようなら、そしてまた会いましょう」

世界の難民人口が過去最高を記録する。
ジェイク・ジョンソン

編集長への手紙
予言者を期待する? 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

人類のための新しい時代

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者はほとんど40年近くにわたって毎月、記事を提供してこられた。今世紀初めに書かれたこの記事は、今日の世界のために書かれたかのように読み取れる。

人類のための新しい時代

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 日がたつごとに、自由意志の誤用から起こる悲惨な出来事が人類に示されている。神聖な自由意志は人間の最大の宝であるが、それはロゴスの大計画に沿って使用されるときにのみ合法であり正しいのである。
 人間はその理解から程遠く離れてしまっており、したがって間違った思考と行動の旋風という報いを受ける。かくして大勢の人間が、豊かな世界の直中で、他の人々には当然の生得の権利だと思われているそれらの資力を欠くがゆえに、不必要に苦しむのである。
 人間はこのような分離をもはや長期間支持することはできない。「法」が維持可能な均衡を要求する。そしてそれが見いだせないときに、法は調整し、調和させようと働く。さらに、統合の新しいエネルギーがますますその表現を要求し、人類を日ごとにその目標に向けさせている。至るところで人々は高まる緊張に耐えるのが困難になり、その結果として起こる混乱の中で四苦八苦する。
 人間は彼らの心の深いところで、将来への道は変化を通らざるを得ないことを感知しているが、その道の輪郭をいまだ見ることができない。彼らの必要は知られ、そして満たされるのだということを示す徴を待っているのだが、その救いの臨在を告げる徴が至るところに 夥しく見られるのにそれを信用しない。彼らは望みながらも同時に恐れており、それゆえ切望しているその可能性を拒絶する。いつの時代にもそのようであった。
 他方、人類の一部は日ごとに彼らの飢えた貪欲な心(マインド)を驚嘆させる あぶく銭を楽しみながら、(現実に気づくことなく)満足して先へ先へと進む。彼らは自分たちの危うい成功以外に対しては盲目であり、世の中の緊張を感知せず、警告の鐘の鳴り響くのも聞こえない。投機という病気が彼らを奴隷にしており、古代ローマの行き過ぎた行為を思い起こさせる。
 これらの異なった矛盾する姿勢を見守るハイアラキーは、でき得る限りの方法で助けようとしている。人間の自由意志のみが直接介入を阻むのだが、「法」は法であり、それは決して侵してはならない。にもかかわらず、人類が決して目にすることのないところで多くの助けの手が差し伸べられている。
 マイトレーヤはそれらの状況を日々、検討しておられ、すでに予告された株式市場の崩壊の前に出現する方法を探しておられる。これを可能にするためのステップが今や取られつつある。であるから、マイトレーヤの公の使命が始まるまでの時はまさに短い。その初めの徴を見逃さないように見守り、そして目覚めていなさい。
 マイトレーヤは至るところにいる善意の男女を行動へと活気づけようとされるだろう。彼の召集をただ単に待っている者が大勢いる。かくして、大いなる討議が開始され、至るところにいる人間の基本的必要が検討され評価されるだろう。このようにして、人間は変化が保証することのできる可能性を知り、試みるだろう。そして必要とされる変容を始める勇気を見いだすだろう。そのようになるだろう。そのようにして偉大なる主は助言し、導き、人類のために新しい時代の幕開けをされるだろう。
(シェア・インターナショナル誌、2001年4月号)

今月号の内容概説

 この合併号により、通常より幅広い題材を扱うことが可能になった(訳注:日本語版では7月号と8月号に分けて掲載)。寄稿者たちは世界を見て、内的な話題と外的な話題の両方に焦点を当てている。アナンド・ギリダラダス氏は、アメリカ人の著述家でありニューヨーク・タイムズ紙の元コラムニストである。彼は著作物の中で、グローバルエリート層への批判を強めている。その後にぴったりと収まるのがリチャード・ウルフ博士の最新刊『病んでいるのは制度である──資本主義がパンデミックや資本主義そのものから私たちを救えないとき』である。ウルフ氏の論文は、何百万もの人々が必然的だと見なし体験している過程──資本主義の現形態の崩壊──を指摘しているが、経済学者のセバスチャン・ヴィユモ氏はその論文についての正確で洞察に満ちた要約を提供している。ヴィユモ氏もウルフ氏も、今月号に掲載された記事「人類のための新しい時代」にある考えをほとんど是認しているように思える。知恵の覚者によって2001年に書かれたこの記事は、「すでに予告された株式市場の崩壊」に言及している。
 変化、変化、変化! 新しい健全な未来についての感覚が身に染みついている何百万もの善意の人々は、あらゆる努力分野において変化を促進している。世界中の多くの運動は、今こそが変化の機会だという合図を送っている。地球を救うことができるように、急速な変化が必要とされている。グラハム・ピーブルズ氏が「排出量ゼロを目指す競争」について書いている一方、ウォーターエイドのジョナサン・ファー氏は「2021年:世界で最も貧しい人々にとって重要な一年」という記事でこう書いている。「今年は気候変動にとって重要な年と言われている」と。
 変化を選びましょう。変化、変化、変化を! 深刻な貧困や飢餓、ホームレスの状況を終わらせるための変化を。私たちの心(マインド)と存在のあり方を矯正するための変化を。簡素さと持続可能性を選びましょう。同情心、正義(例えば、パレスチナ人にとっての正義)を選び、相互のつながりを大事にしましょう。ジェレミー・レント氏は新刊『意味のウェブ』の中でこうしたことについて書いている(8月号に書評あり)。
 日本からは、悲劇がもたらした肯定的な影響について個人的に述懐した、心を打つ記事が提供された。人間の共同体という内的な感覚が強調される一方、災害資本主義の否定的な影響と、津波と福島の悲劇から10年が経過して生活がどう変わったかについても書かれている。
 「米国のUFO報告:開示か隠蔽か?」の中で、ウィリアム・アレン氏は政府の方針について探っている。こうした報告書やUFO活動を注視しているアレン氏のような人々は、「活動の増大」が紛れもなく進行していることを確信している──地球の至るところと、私たちの集合意識の中を席巻している根本的変化のもう一つの徴である。

リチャード・D・ウルフ著 『病んでいるのは制度である』

セバスチャン・ヴィユモによる書評

新型コロナウイルス感染症の大流行は、私たちの経済制度の欠陥について何を明らかにするのだろうか? この悲劇は、重大なシステム変革のきっかけとなり得るのか? マサチューセッツ大学アマースト校経済学部の名誉教授であるリチャード・D・ウルフ氏は、最新の著書『病んでいるのは制度である──資本主義がパンデミックや資本主義そのものから私たちを救えないとき』でこれらの疑問に答えようとしている。

 ウルフ氏はこの短いエッセイ集で、現代の問題の多くが、私たちが生きている経済制度、すなわち資本主義に根ざしていることを論じている。
 今や世界中で主流となっている資本主義制度は常に様々な問題に悩まされているが、本質的に不安定であることは最も重要な問題の一つである。ウルフ教授は、資本主義は定期的に、ひどさに程度の差はあるものの、崩壊していると指摘しているが、これは通常「景気循環」と呼ばれる現象だ。このような危機は、平均して4年から7年に一度の割合で起こる。21世紀だけを見ても、2000年から2001年のドットコムバブル、2007年から2008年の世界的な金融危機、そして現在のコロナ危機と、すでに三つの大きな景気後退を経験している。興味深いことに、これらの出来事は、そのきっかけとなった要因にちなんで命名されることが多く、資本主義そのものの崩壊として紹介されることはない。しかし、崩壊が繰り返し起こっているという事実そのものが、崩壊が資本主義制度の本質的な特徴であることを示している。特に、コロナが引き金となって現在の不況を悪化させたことは事実だが、いくつかの経済指標は、コロナのパンデミック以前に資本主義はすでに危機に瀕していたことを示している。もしコロナウイルスがなければ、別の引き金が崩壊を引き起こしていただろう。
 もちろん、このように繰り返し起こる危機は、抽象的な出来事ではない。何百万もの人々、特に社会階層の底辺にいる人々の生活に、はっきりと目に見える形で、しばしば悲劇的な結果をもたらす。収入や仕事が失われ、個人やビジネスのプロジェクトは失敗に終わり、家族や社会的なつながりはなくなり、身体的・精神的な病気が発症する。資本主義制度の不安定性にかかる人的・社会的コストが莫大であるため、何十年にもわたって様々な解決策(ケインズ主義的な政府支出計画、新自由主義的な緊縮財政と構造改革、積極的な金融政策)が試みられてきたが、いずれも資本主義の好不況を抑えることはできなかった。
 ウルフ氏は、現在の経済的・社会的危機に対する責任は、コロナウイルスよりも資本主義制度の方にあることを示した上で、資本主義がいかにしてコロナウイルスへの備えと封じ込めの両方に失敗したかを暴露している。
 歴史上、人類は新興の病気に繰り返しさらされ、時には非常に多くの犠牲者を出してきた。さらに具体的に言えば、ここ数十年で、新しい呼吸器系ウイルス(SARS:重症急性呼吸器症候群、MERS:中東呼吸器症候群)が出現した。そのため、おそらくコロナウイルス系列の別の呼吸器系ウイルスが大規模なパンデミックを引き起こし、私たちの社会生活を混乱させるのは時間の問題にすぎないと、科学者たちは警告していた。警告されていたにもかかわらず、なぜ私たちはコロナが発生したときにほとんど準備ができていなかったのだろうか。その理由は、やはり社会経済的な構造にある。資本主義の論理では、企業は利益が見込まれる場合にのみ生産を行う。新しい呼吸器系ウイルスの出現に備えるには、マスクや人工呼吸器を備蓄したり、予めコロナウイルス向けのワクチンや治療法を研究したりする必要がある。しかし、このような活動は、経済的にリスクが高すぎるのだ。パンデミックはいつ、どのように起こるか前もって分からないため、民間の医療機関はパンデミック予防に関するリスクをとりたがらず、むしろ、別のより利益を多く生むチャンスに重点を置きたいと考えている。
 このように資本主義が不完全であることを考えると、政府が介入してマスクや人工呼吸器を購入して備蓄したり、医療研究に直接資金を提供したりすることが解決策となるだろう。興味深いことに、ウルフ教授は、軍事分野ではすでに政府がこのようなことを行っていると指摘している。なぜなら、軍事的な紛争は予測不可能であるため、民間企業が武器やさまざまな機器を製造したり、新しい技術を研究したりしても利益にならないからである。国家安全保障があまりにも重大であるため市場原理に任せられないならば、なぜ間違いなく同じくらい重要である医療について同様のことが行われていないのだろうか。その答えは、特にアメリカでは、民間の医療機関が政府に自分たちの怠慢を暴露されたくないからであろう。彼らは医療から利益を得続けたいと考えており、持ち得る政治力をすべて使ってあらゆる公的介入を「社会主義」として悪者扱いすることに成功している。
 したがって、資本主義は崩壊しやすく不十分なものであり、公衆衛生上の緊急事態から私たちを守ることができない。しかし、ウルフ教授が示すように、資本主義は、不平等、失業、民主主義の危機、人種差別、性差別など、社会的な病気の多くに関しても責任を負っている。
 不平等は資本主義につきものである。ごく少数の人々と雇用者だけが経済的意志決定権のほとんどを握っているので、当然、彼らが最も多くの収入を得ることになる。さらに悪いことに、このような不平等が放置されたままだと、時がたつにつれて何世代にもわたって不平等が拡大していくという制度の論理がある。歴史的に見て、この傾向は1930年代のように人々が大規模に抗議して立ち上がった時にのみ中断されてきた。
 このような構造上の不平等は、それ自体が問題であるだけでなく、民主主義の質にも悪影響を及ぼす。より経済力のある人々は、献金を通じて直接的に、あるいは政府が従わなければ「投資ストライキ」を行うと脅すなど間接的に、政治的決定に影響を与えることができる。したがって、資本主義は、政治の世界において私たちを不平等にするため、民主主義の原則を揺るがすものと言える。
 大量の失業は、資本主義の構造的特徴の一つだ。すべての人を働かせることが、社会全体の利益になることは明らかであり、より多くを生産することでより多くの利益を得ることができる雇用者にとっては短期的な利益になるかもしれない。しかし、資本家は失業者の「予備軍」を維持することでも利益を得ている。失業の脅威は、従業員に言うことを聞かせるために利用されている。従業員は、解雇されて、より低賃金で働くことを希望する失業者候補にすぐに取って代わられないように、低賃金と悪い労働条件を受け入れざるを得なくなる。したがって、資本主義制度は定期的に非常にたくさんの失業を発生させており、これが利益率を維持し、従業員に対する雇用者の支配を強化するのに役立っている。
 このような考え方に基づいて、ウルフ氏は性差別や人種差別が、それぞれの原因が経済分野の外にあるにもかかわらず、資本主義の利益のために利用され、加速する過程についても述べている。
 資本主義制度は極めて不適切であるため、どのようにして私たちはより良い制度に移行するのか。様々な改革の試みがこれまでになされてきた──特に米国のルーズベルト大統領の時代に顕著であった──が、それらは短命に終わってしまった。社会運動からの圧力が弱まると、資本家はそれらの改革をほとんど元に戻すことができたからだ。したがって、より構造的で永続的な変化が必要であり、ウルフ教授は、より良い制度への移行を達成するためのシンプルかつ広範囲に及ぶアイディアとして、職場の民主化を提唱している。
 資本主義は確かに、ごく少数の株主や取締役が、大多数の従業員に対する責任を取ることなくすべての重要な決定を下すという点で、根本的には非民主的な社会組織だ。代替案としては、企業を労働者協同組合として運営し、何をどのように生産するか、利益をどうするかなどの決定を、一人一票制を用いてすべての労働者が行うようにすることだ。これは、民主主義の理想とより一致しているだけでなく、資本主義の核心であり、先に述べたすべての問題を生じさせている、雇用者と被雇用者の間の矛盾を解決するものである。
 今回のパンデミックの教訓の一つは、資本主義は利益目的であるために基本的な健康ニーズに十分に応えることができないということだ。実は、同じことが、食料、住宅、教育、エネルギー、高齢者介護など、他のすべての基本的ニーズにも当てはまる。したがって、これらの分野の企業は、労働者協同組合に変えられるべきだ。すべての人の利益になる結果が出るように、消費者やコミュニティーも、労働者と共に経済的な意思決定に関わるべきである。しかし、それ以外の日常生活に必須ではない経済分野では、資本主義企業が存続することになる。このようにして、社会は両タイプの企業がどのように行動するかを監視し、資本主義と協同組合社会主義の望ましいバランスについて十分な情報を得た上で決定することができる。
 ウルフ氏はこの本で、現在のような制度を理解するのに大いに役立つツールを提供してくれた。同時に、実用的で魅力的な代替案のビジョンも提示してくれた。そしてそれを、非常に明快で直接的、かつ理解しやすいスタイルで表現しているので、幅広い読者にアピールすることができるだろう。

リチャード・D・ウルフ『病んでいるのは制度である──資本主義がパンデミックや資本主義そのものから私たちを救うことができないとき(The Sickness is the System: When Capitalism Fails to Save Us from Pandemics or Itself)』デモクラシー・アット・ワーク、2020年9月
www.democracyatwork.info/books参照

簡素さと持続可能性――選集

Simplicity and sustainability ──a compilation

この引用文の選集は、マイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻と第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 民衆は恐れることなく、はっきりとした目で将来をのぞき、公平で、平和な世界を求める彼らの志向の実現の可能性を見た。これはひとりでに起こらないことを、兄弟姉妹たちと共に、実現するための力(パワー)を自分たちの手に握らなければならないことを、彼らは知っている。また彼らは、その道が困難であり、危険なことも知っているが、それを不成功に終わらせるにはあまりにも貴重な褒美である。なぜなら、それは同胞愛という褒美、正義、平和という褒美、そしてすべての人間にとって、より良い、より簡素な、より真の人生という褒美であるから。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─民衆の声が将来を先導する─より)

 わたしの教えは単純である、わたしの言も同様である。わたしの言うことはすべて、速やかに理解される。神の真理について、むずかしいものは何もない。神の真理は、我が友よ、すべての人の心の中に宿る。あの単純そのものをあなたがたがひもとくのである。あなたがたの案内者としてわたしが、その道を教えよう。
(『いのちの水を運ぶ者』第95信より)

 簡素化とは、実際に、最も充実した人生を楽しむための必要最低限のものを用いることです。最も充実した人生は、術として生きることができます。しかしそれは簡素化を必要とします。そのようにして、私たちは新しい時代に正しく入っていくのです──生きる術が人類によって真剣に考慮され、認知され、発展させられるとき、無害と犠牲の法則がそれをコントロールするとき、より一層の質の簡素化が現れるでしょう。‘荒野の体験’が簡素化の必要性を人類に示すでしょう。おそらく今日のアメリカのように生活が複雑になればなるほど、未来の簡素化を受け入れるのが困難でしょう。しかし、簡素化の中には大きな幸福があるため、未来はより幸福な時代になるでしょう。
(『生きる術(すべ)』)

 簡素さと正直な努力が、今日人間生活のすべての面を汚す現在の腐敗に取って代わるだろう。人々はマイトレーヤと彼のグループの覚者たちを熱心に見習おうとし、そうして彼らの機構や規範を浄化するだろう。
 マイトレーヤと彼のグループの導きを得て、人々は新しい機構の単純さを好むようになり、そしてその中に深い満足感と結合力を見いだすだろう。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─運命の歯車の回転─より)

 私たちがめざすべきものは、必要に基づいたより簡素でより持続可能な経済です。今日、経済は商業主義の、市場のフォースの圧力に基づいています。すべての先進諸国は、売れない製品を生産──過剰生産──しています。というのは、各々の国が同じものを持ち、同じものを生産しているからです。今日存在する先進諸国の製品を買うことのできる唯一の人々は第三世界の人々ですが、彼らは実際に買うことができません。なぜなら、私たちが彼らの産物に正当な価格を支払っておらず、市場を彼らに不利になるように操作しているためです。世界の資源を持続可能な方法で使用しながら十分で豊かで、しかしもっと簡素なレベルで満足のいく創造的な人生を送ることができることを、覚者方は示されるでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』)

 多くの愛されてきたものが捨て去られねばならない。古い形にしがみついていてはならない。役に立たなくなった機構を放棄し、新しい、より単純な世界を創造していく人間の能力に、多くのことがかかっている。これをよく記憶しておきなさい。忘れてはならない──わたしは、すべてのものを変えるためにやってくるのだということを。
(『いのちの水を運ぶ者』第74信より)

 先進諸国の私たちはもはや世界の資源を破壊し続けることはできません──資源は有限です。もし私たちが子供たちにまあまあの生活を送らせたいと思うならば、私たちはこれらの資源を保護しなければなりません。これは、私たちが持続可能な経済──それは完全に可能です──を創造しなければならないことを意味します。長年、世界中のグループがそのような経済を提唱してきました。これを行うことのできる様々な方法がありますが──主に私たちの生活習慣と様式の簡素化です。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅲ巻』)

 お金によって増幅したお金が近代生活のストレスを助長している。お金は優先されるべきものではない。充足ということが優先されるべきである。充足が優先されるときに、それは社会を異なった秩序に整え、安定をつくり出す。これに関連して、分かち合いは道徳的価値でもあり、実施方法でもある。これがより平和な環境をつくり、人々は巨額の富をつくるために苦闘することはないだろう。自分たちの義務を果たし、家族の面倒を見、そして子供たちは進化することができるだろう。
(『いのちの法則』)

 マイトレーヤは、より簡素な生活を、惑星の状況の現実により見合った生活を提唱するだろう。これが必要であることを十分に多くの人々が確信するとき、簡素化への運動が惑星全体を通じてますます大きく広まるだろう。何千万の人間が変化の必要に鼓舞されて、それは極めて異常な速さで進むだろう。このようにして、地球という惑星が直面する最も深刻な危険は、いくらか押し止められるだろう。これが多くの人々を勇気づけて、彼らはさらなる変化への用意を進めるだろう。
 必要な変化のジレンマに直面して、人間は分かち合いの原則を受け入れることの必然性に気づくことになるだろう。分かち合いのみが、これらの変化を実際的で可能なものにするだろう。分かち合いを通してのみ、この惑星の賜物はうまく利用される。分かち合いを通してのみ、この賜物は正しく管理されるだろう。このようにしてのみ、惑星自体はその環境およびその住民と調和して生きることができる。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─惑星の救済─より)

 わたしの計画は、真理の単純な教えを世界に放つことである──人間は一つであり、すべてが兄弟同胞である、神はすべての人間を平等に愛する、自然は、すべての者が分かち合うように、その食物を提供する。わたし自身、人類の体験を経てきた者であるから、人間が窮地を切り抜けていくための答えを知っている。変化し、人間同士が正しく交わり、神の意志を正しく顕していくための単純な方法を教えよう。
 わたしの計画は、あなたがたにこのことを教え、自らを縛る囲いからあなたがたを解放することである。前方の道は容易ではない、我が友よ、しかしあなたがたの助力があれば、すべては人類のために良くなるであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第55信より)

 製造に対する私たちの現在の態度を貪欲や浪費や競争に基づくものから充足に基づくものに変えなければなりません。「どれだけ多くの量を、そしていかに早く製造できるか」と言う代わりに、「必要とされるのはどれくらいか。この商品をどれだけ使わずに済むか。すべての個人が豊かで満ち足りる生活を分かち合うための最小限の量はどのくらいか」という思考をするようにならなければなりません。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』)

 わたしに手伝わせてください。道を示させてください──誰も窮乏することのない、より簡素な生活に至る道を。そこでは、同じ日が二度と繰り返されることなく、同胞愛の喜びがすべての人間を通して顕されるのである。わたしの仕事は、導き、案内することである。しかし、あなたがたは喜んで従いてこなければならない。そうでなければ、わたしは何をすることもできない。わたしの両手は「法」によってしばられている。それを決めるのは人類なのだ。
(『いのちの水を運ぶ者』第3信より)

 人間と自然と神は一つであり、惑星(とその中のすべての王国)の適切な保護は全体の福利のために欠くことができないことを、我々は理解するようになるでしょう。実際的に言えば、我々(西側先進国)は、今日やっているような(競争を通じての)巨大な過剰生産や資源の浪費をせずに、より簡素な生活の様式を期待することができます。近代産業政策に密着した構造的廃退は原料や環境の保存を選ぶ態度に代わるでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』)

 地球の未来を恐れることはない。新しい、より良い管理が現在の無知に取って代わり、より安定した状態が広く生じるだろう。より純然たる、より真なる歓びが人間の心(ハート)をつかみ、現在の不安感を追い出すだろう。人間は皆兄弟であることを自分たち自身で知るようになるだろう。そして、公平に分かち合いながら、生活を変容させていくだろう。
(『覚者は語る(Ⅰ)』─運命の時─より)

 わたしの覚者たちは、苦境から抜け出す最初の歩みをあなたがたに示すだろう。愛と兄弟たちへの奉仕とを通して神性が顕されて、満ち足りた幸せのうちに、より簡素な生活を送ることができることを、あなたがたに示すだろう。これがいにしえの道であり、永久に変わることのない道である、神にあっては、実際に何も変わらないのである。
(『いのちの水を運ぶ者』第16信より)

 特に西洋の産業国においては、自分たちの築き上げた機械文明に片寄らないで、もっと簡素に生きることを学ばねばならないでしょう。われわれがもっと数少ない物質で、より簡素にそして幸せに、今より一層幸せに生きることができるのだということを、マイトレーヤと覚者方は示されるのです。しかし、必需品は美しいものでしょう。それらは、必要であるから作られ、人間によって作られたにしろ、機械によって作られたにしろ、その背後には、人間の創造性があって作られるものでしょう。
(『世界教師と覚者方の降臨』)

 人間は地球を荒らし、汚染し、そして自分自身の住む環境をひどく破壊した。今人間は自分たちが傷つけたところのものを救済することを最優先と見なし、自分たちの病んだ惑星を健康に戻さなければならない。惑星に対する要求を簡素化し、簡素さの美を学び、分かち合いの歓びを学ばなければならない。
 人間はほとんど選択肢を持たない──その仕事の緊急性は即刻の行動を要求する。すでになされたダメージ(損傷)の本当の規模を認識する者はまさにほとんどいない。問われなければならない問題は、地球という惑星を救済することができるか、それはどんな方法によってできるのか、ということである。
 答えは大きく鳴り響く「然り」であり、その方法には大多数の人間による現在の生活様式の変容が含まれる。
(『覚者は語る(Ⅱ)』─地球は産みの苦しみの中にある─より)

 私たちは、すべてが生きることができるために分かち合わなければなりません。しかしそのためには、もっと簡素に生活することを学ばなければなりません。生活をより簡素にし、この惑星にかける負担を少なくし、より賢いやり方をしなければなりません。世界の生態系の均衡がマイトレーヤの主な関心事の一つでしょう。そして人類が現在のような生き方を続ければ必然的に起こる結果を、彼は最も高いレベルから示してくださるでしょう。それに関しての行動の必要が科学者たちに明らかになり、彼らを通して世界の諸国政府にも明らかになるでしょう。
(『全人類のための世界教師』)

 わたしの覚者たちは、人類の必要を満たす道を示すために、彼らのグループを訓練している。それを実際に具現することによって、すべての良きことがなされていく。わたしの覚者たちは、今日人間を取り巻く問題をよく知っており、答えも彼らの裡に持っている。彼らに導いてもらいなさい、我が友よ、そして喜びと簡素な優雅さと真理との単純な径を見せてもらいなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第43信より)

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。