人の子

覚者より
 シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は、35年近くにわたって毎月、記事を寄せてくださった。これらの記事は、執筆された当時だけでなく、世界情勢に応じて適切な時期に随時掲載されることを意図していた。

「人の子」
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 多くの者はキリストの再臨を狼狽と恐怖感を抱きながら待つ。彼の再臨は、人間生活のすべての部門に大きな変化を起こすだろうと彼らは感じる。キリストの価値観は人々の思考方法や生活の様式を当然ながら変えるだろうと、彼らは正しく推測する。そしてそのような見通しに青ざめる。なおまた、何世紀にもわたって教会が提示してきたキリスト観は非常に神秘に包まれたものなので、多くの者はキリストの審判と全能の力とを恐れる。彼らはキリストを神として、悪人を罰し、信仰深い者に報いるために来られる方として待つ。

 そのように歪曲されたキリスト観が人間の意識に広く浸透したのは、誠に遺憾である。そのような者は存在しない。キリストの真の特性を理解するためには、神の同等な子供たちの一人として見る必要がある。人間はそれぞれに潜在的に完全な神性を賦与されており、その神性の顕現の度合いのみが異なるのである。
キリストがその神性を完全に達成されたということは彼の栄光であり、その業績に我らは敬礼する。この業績が確かに稀であることは議論の余地なく真実である。しかし人間にとって、キリストの驚くべき事実は、彼が人間の一人であるということである。人間の試練と苦悩の中で、彼が知らないものは何もない。人間がいまだにたどっている道の一歩一歩を、彼もまた労を惜しまずたどってきたのである。人間の体験の全展望の中で彼が分かたなかったものは何もない。かくして、彼は真に「人の子」である。

 キリストが予告なしに人類の直中に現れたとしたら、彼を認知する者はほとんどいないことは疑う余地がない。彼は一般的な予想からあまりにもかけ離れているので、気づかれることなく群衆の中を通り過ぎる。このようにして今日、彼は兄弟たちの中におり、彼の使命を始めるために人間の招待を待つ。毎日彼を見ている者たちの多くは、彼を知らない。また彼を認知する者たちもいるが、彼らは語ることを恐れる。さらに他の者たちは、彼こそがあえて彼らが望み得ないあのお方であるかも知れないと願いながら待ち、そして祈る。全世界の前における大宣言のみが、人間の目と心(ハート)に彼の存在を確立するだろう。

 その最も特別な日を待つ間、キリストの再臨の理由を、われわれのマインド(識心)の中に明確にしよう。キリストがご自身に課せられた任務の特質を理解しよう。われわれの識心(マインド)の中に神の事実を確立するために、彼はやって来た。聖なる神秘を再び創造するために、彼はここに居る。人間に、いかにして愛するかを、そしてさらにまた愛することを教えるために、彼はわれわれの中におられる。人間の同胞愛を確立するために、彼は再び地上を歩く。御父との、そして人との誓約を守るために、彼はこの重荷を受け入れる。新しい時代を迎え入れるために、彼は戻って来られた。過去の宝を強化し、未来の驚異を鼓舞し、神と人とを賛美するために、彼は高い山から降りてこられた。

 キリストの優先事項を検討しよう。平和の確立、分かち合いの制度の開始、罪意識と恐怖心の除去──人間のハートとマインド(識心)の浄化、いのちと愛の法則についての人類の教育、秘教への手引き、都市の美化、人々が旅行し、交流するための障害物の除去、すべての者が入手できる知識のプールの創造。
そのような仕事は、たとえ「人の子」にとっても、容易でないことは明らかである。分割と分離という往古の習慣は根強く、他方、恐怖心と迷信が何千万の人間をその魔力にかける。しかしながら、世界の歴史の中で、これほどよくその任務のための装備を整えた教師がやって来られたことはかつてなかった。マイトレーヤは、無知と恐怖、分割と貪欲の闘いに挑むためにやって来られた。彼の武器は、霊的理解と知識と愛である。彼の輝ける鎧は、真理そのものである。
(シェア・インターナショナル誌1984年6月号)

 これらの記事は、知恵の覚者方からなるハイアラキーの高位のメンバーによるものである。彼の名は、秘教を学ぶ人々の間ではよく知られているが、まだ明かされていない。マイトレーヤの出現に関する主要な代弁者であったベンジャミン・クレームは、自分に対して記事を口述したこの覚者とテレパシーで常に連絡を取り合っていた。