funa tsu のすべての投稿

2020年2月号目次

 

覚者より
新しい日
ベンジャミン・クレーム筆記

視点
価値観と理想のグローバルな闘い
グラハム・ピーブルズ

民衆の声が買い物に向かうとき
アレクサンドル・ギベール

プラスチックと食べ物を交換する

弟子
弟子の属性(第2部)
自由意志
アート・ユリアーンス

フェイクニュースにどのように対抗するか?その答えは:教育

ナオミ・クラインの
『オン・ファイヤーグリーン・ニューディールの差し迫った事例』
エリッサ・グラーフ

われわれの地球を救え!(S.O.P. Save Our Planet !)
——覚者より(ベンジャミン・クレーム筆記)

時代の徴
空の徴/テキサスのレストランでの聖母の奇跡

信念、信、直観 —選集
Belief, Faith and Intuition — a compilation
最高位からの贈り物

ボランティア活動  流動的な世界の解毒剤
オリヴィエ・アダム、アヒム・シュタイナー

パレスチナ領での戦争犯罪の疑い
ジェシカ・コーベット

世界情勢
人口知能プログラムが乳がんを見つけ出す。

編集長への手紙 増え続ける私たちへの祝福 他

読者質問欄 回答 ベンジャミン・クレーム

新しい日

シェア・インターナショナル誌は創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者が毎月記事を提供してくださった。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。覚者によって書かれた記事は常に関連性を保ち時間を超越している。実際これらの記事の多くは、それらが最初に掲載された時よりも今の方がより時機を得ているように思われる。以下の記事は、2002年に書かれたものであるが、本誌の今月号の基調となるものであり、一層重要なことは、新しい10年が始まるときに当たって、人類の可能性を示唆していることである

新しい日

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 人が世界の状況について検討するとき、困難や精神的衝撃、危険や危機のみを見て、恐怖で麻痺状態になり、絶望感が生み出す惰性を克服するためにはほとんど何もしない。そのようにして、人は彼らの最高の努力が進んでいることを見逃し、出来事の筋道をめったに理解しない。起こっている物事すべての底に横たわる法則についてほとんど理解せず、したがって、それらの結果をコントロールすることができない。もし彼らが目には見えないこれらの法則に沿って生きるなら、人間の生活は調和と秩序のうちに発展するだろう。
 そのような無知と恐怖心にもかかわらず、今日の人間は、彼らを駆り立てて道を前進させるフォース(霊的エネルギー)を感知する力が一段と高まっている。彼らは、自分たちがコントロールはもとより理解すらできないものが多くあることを、かすかにではあるが、感知する。しかし彼らは、ゆっくりと、彼らの裡にそして周りに、より大いなる意味と目的を、より大いなる和合と美を、思い描き始めている。
 見守っているわたしたちが、眺望のきく視座から、変化する世界をコントロールしようとする人間の努力を考慮するとき、人間の生活に影響を及ぼす、より高位のフォース(エネルギー)に対するより大きな感受性の発達の徴が見えることを歓迎する。わたしたちは、人間のこの反応がさらに強化され、そしてこれらのフォース(エネルギー)をさらに有益に活用するようになるのを喜んで待つ。
 わたしたちには、憎悪と残忍さ、野蛮な行為と戦争の増大もまた見えていることは確かである。しかしそれらは恐怖心の反応であり、終わりに近づきつつあり、やがて静まるだろう。
 この転換の時期は確かに困難な時である。多くの人間が未来に手を伸ばし、変化を願い、諸問題に対する新鮮な答えを切望する。またある者は古いやり方に頑強にしがみつき、新しいものの猛襲をせき止めようとする。わたしたちは、人間が正しい道を見つけるだろうと確信して、見守り、そして待つ。
 覚者たちの中の(最高の)覚者であるマイトレーヤは、人類の前で公に仕事をするために、彼の出現を始める態勢を整えて構えておられる。これは、舞台の背後における彼の仕事を完全にやめることを意味するのではない。彼の行っていることの多くが、今でさえもある人々の、さもなければ失敗するだろう仕事を、失敗しないように支えている。彼の助けと手引きが複数の賢明な指導者たちの手を導き、彼らを危害から守る。
 自分たちの力を証明するために世界に暴行を働く者は、マイトレーヤをもまた攻撃するのである。すべての善意の人々の背後に、マイトレーヤと彼のグループ(覚者たち)が立つ。彼らは楯を形成し、あらゆる攻撃の矢はその楯の上に空しく打ち当たる。
 マイトレーヤが公に出現するとき、速やかに彼の 側に来なさい。平和と正義と自由の旗印のもとに集合し、そして彼の巨大な仕事を援けなさい。人間の生活の中に新しい日が明けつつある。これまでに知られたことのないような日である。

『オン・ファイヤー ──グリーン・ニューディールの差し迫った事例』

ナオミ・クラインの
『オン・ファイヤー ──グリーン・ニューディールの差し迫った事例』
エリッサ・グラーフ

世界が燃えている。大規模な森林火災がオーストラリアの広大な未開地を焼き尽くしている。2020年1月現在、火災のシーズンは未だに峠を越えておらず、すでに1,200万エーカー(約48,563km2)以上が焼失し、一方で100以上の火元が依然として燃え続けている。毎日のニュースには黙示録的な規模の災害が映し出され、すべての希望を失うことはたやすい。しかしナオミ・クライン氏の新しい著書『On Fire:The burning case for a Green New Deal(オン・ファイヤー)』は、私たちは結局は運命づけられているという必然性の感覚を振り払うことを迫る。

 進行中の危機の最前線にいながら10年以上にわたって書かれたエッセイを集めた『オン・ファイヤー(On Fire)』は、伝統的な言説(政治家は短期的な選挙周期に囚われている、気候変動は解決するには縁遠く金が掛かり過ぎるなどの言説)を排しながら、私たちはどうしてそうなったのかをクライン氏自身が理解する過程を描き出している。その代わりに彼女は「一見異なる(経済的、社会的、生態学的、民主主義的)危機を文明の変容の一般的な物語に織り込むこと」の中に答えを見つけている。同時に『オン・ファイヤー』はグリーン・ニューディールへの呼びかけであり、関連する危機を解決するために緊急に必要な大胆な変革的アプローチであり、この惑星が許容し得る限度を尊重しながら私たちがどのように生きられるかに関するビジョンでもある。
 スウェーデンの女子学生、グレタ・トゥーンベリさんがストックホルムで抗議活動を始めたのはわずか1年前のことであり、この1年で今までにない数の人々が路上に出るきっかけとなり、私たちが緊急に行動を起こすように促されることになった。クライン氏によると、こうした若い活動家たちは危機について読んで知ったのではない。彼らの多くは、深刻な干ばつ、ハリケーン、洪水、産業による大気汚染の健康への影響、頻発する森林火災から立ちのぼる黒煙などを直接体験したのだと言う。彼女は次のように書いている。「世界のどこに住んでいても、この世代には共通するものがある。彼らは、地球規模での気候の混乱が未来の脅威ではなく生きた現実である最初の世代である。そして、少数の不運な場所ではなくあらゆる大陸で、ほとんどの科学的モデルで予測されたよりも相当速く、すべてが明らかになっている」
 ある意味で、世界で動員されている若者が増加していることにより、危機が正面から注目を浴びることになった。それは、私たちが一斉に起き上がり、自宅がまさに炎に包まれているのを見るように求めているのである。クライン氏は若者の気候運動の中に本当の力を見ており、次のように語る。「権威を持つ地位にある多くの大人たちとは異なり、若者たちは、官僚主義の言語や複雑さによって、理解し難い現代の利害関係を隠すような訓練をまだ受けていない。気象ストライキを行う13歳のアレクサンドリア・ヴィラセニョールさんが語ったように、若者たちは完全な人生を生きる基本的権利のために闘っていると理解している。彼らは完全な人生をまだ生きておらず、『大災害から逃げよう』としていないのである」
 同時にクライン氏は、流れを変える別のことが起こりつつあると気づかせてくれる。アメリカでは新しい世代の政治家が登場しつつあり、彼らは気候のストライキを行う若者たちよりも10歳年長であるにすぎない。その一人がアレクサンドリア・オカシオ=コルテス氏であり、彼女は2018年、29歳の時に最年少で国会議員に選出された。彼女の選挙綱領に不可欠だったのは、気候変動と経済的不平等に対処するためのアメリカの法律案のパッケージであるグリーン・ニューディールである。注目すべきことに、オカシオ=コルテス氏は、同じ年に当選した他の若い女性議員たちの一人にすぎない。彼女たちは全員が有色人種、50歳未満の女性で、他にはイルハン・オマル氏、アヤンナ・プレスリー氏、ラシダ・タリーブ氏がいる。彼女たちは「隊」と呼ばれ、若い政治的な世代の人口的な多様性を反映しており、グリーン・ニューディールなどの革新的政策を支持し、この大胆な取り組みを公式に支援してきた。
 選挙綱領の提案として始まったグリーン・ニューディールは、現在では公式な決議の形になってきた。これは、オカシオ=コルテス氏とエド・マーキー米国上院議員によって導入された米国法案パッケージである。クライン氏は、この法案は依然として変革の鍵となる政策の概要にすぎないと述べている。これは、アメリカでわずか10年でネット・ゼロエミッション(実質排出ゼロ)を達成しようとする脱炭素化のための「ムーンショット型アプローチ」であり、同時に全世界で今世紀半ばまでにこの同じ道標に到達するというものである。彼女の概説によると、この決議は再生可能エネルギー、エネルギー効率化、クリーンな交通機関への巨額の投資を求めており、高炭素な産業からグリーンな産業に移行しようとする労働者には給与水準と利益が保護される必要があると述べている。それは、労働意欲を持つすべての人に雇用を保障するものである。またグリーン・ニューディールは、有毒な産業の影響を受けてきたコミュニティー(多くは先住民族または有色人種のコミュニティー)がこの移行の恩恵を受けるだけではなく、新システムのローカルな設計に不可欠なものであると述べている。計画には、普遍的な医療、保育、無料の高等教育などが含まれている。
 全体的に見ると、グリーン・ニューディールは必然的に危機そのものの規模に合致していると、クライン氏は述べている。そのような包括的でホリスティックな計画が出現したことは、IPCCの目標を達成するための政治的枠組みという形でのロードマップを、そしてこの枠組みを法律に変える明確な道筋を私たちがついに持つことができたことを意味すると、クライン氏は述べている。可能な最良のシナリオは、法制の強力な支援者が2020年に大統領に選出されることだろうと彼女は言う。現在の多くの民主党候補者がその範疇に入っており、クライン氏によると、特にバーニー・サンダース氏とエリザベス・ウォーレン氏は公約を継続的に達成してきた素晴らしい実績を持ち、先進的で環境的な政策を支援しているという。
 その枠組みは、カナダ、イギリス、オーストラリア、そしてヨーロッパなど、世界中の国々で類似の提案の作成にすでに使用されており、クライン氏によると、それはまさに起こるべきことだという。彼女によると、過去1年間で出現したグリーン・ニューディールのそれぞれの変種には共通点があり、むしろ「システムに最小限の混乱しか起こさないように設計されたインセンティブ(誘因)の微調整ではなく……、グリーン・ニューディールのアプローチはオペレーティング・システムの主要な更新のようなものであり、袖をまくり仕事を完了させるようなプランである」。このビジョンにおいて、市場は役割を果たすが、この物語の主人公ではないと彼女は説明する。人々は「新しいインフラを建設する労働者、新しい空気を吸い、手ごろな価格の新しいグリーンな住宅に住み、低コスト(または無料)の公共交通機関の恩恵を受ける住人である」。そしてそれらのいずれも、資本主義の解体を意味しないと、クライン氏は言う。排出量を下げるために、市場を含むあらゆることを利用する必要がある。しかし、私たちに必要なIPCCの目標をシステム的、社会的な変化なしに達成することはできない。
 グリーン・ニューディールは、地球規模の気候正義運動にルーツがあると、クライン氏は言う。私たちの社会の他のあらゆることと同様に、気候危機は差別する。それは不平等である。世界の二酸化炭素の排出量のおよそ50%が世界の人口の最も豊かな10%から生み出されている。70%が最も豊かな20%から生じている。彼女が「気候バーバリズム(暴虐)」と呼ぶものは残酷である。危機をつくるために最も関与していない人々が最前線で最も影響を受ける。これらの排出の影響により、凶作、水不足、食糧不足のために移転を強いられる人々が増加している。2018年の世界銀行の研究では、2050年までに、気候のストレスが原因で、サハラ以南のアフリカ、南アジア、ラテンアメリカで1億4,000万人が移転するものと試算していると、クライン氏は指摘する。
 クライン氏は次のように書いている。公正な世界では、他者によってつくられた危機の犠牲者たちは、人権の原則に導かれ正義の貸しを持っているだろうし、それは富の公平な再分配、資源の分かち合い、賠償などの多くの形を取っていると、彼女は示唆している。
 また『オン・ファイヤー』は、「……化石燃料の時代は、人々と土地を盗むという二つの根本的な盗みにより暴力的な泥棒政治から始まり、一見終わりのない拡大の新時代を始動させた」ことを思い起こさせる。 クライン氏の言葉では、再生への道筋は「精算と復興によるもの、つまり……過去の精算と、初めての産業革命の高価な代償を支払った人々との関係を修復することにある」。集合的な「私たち」のすべての概念をあざ笑うこれらの困難な真実に直面することに失敗したのは私たちだと、彼女は言う。そして、そのことを精算したときに初めて私たちの社会は自由になり、集合的な目的を見つけられるのである。そしてクライン氏によると、おそらく、それがグリーン・ニューディールの最大の約束である。
 その代わりに、この重要な時期に、私たちは不確かな未来に煽られ、ヘイトの火を掻き回し、最も脆弱な人々に対して壁を築くような右派の政治家を選んでいる。このことが、クライン氏が私たちの現在の軌道に関して最も懸念することの中心にある。異常気象がそのようなイデオロギーと交わる時、私たちは互いに攻撃し合うと彼女は言う。これはまた、緊縮経済の効果と、社会のサービス(医療、心の健康のサポート、教育、より強固な社会のために必要なすべてのこと)の不足に反映されている。私たちはより脆く、思いやりがなくなった。それは、地中海沿岸の国境で見られる「彼らを溺れさせろ」という反移民の考え方や、何万人もの移民を投獄するアメリカの営利目的の国境拘留施設の拡大に表れている。
 これが、グリーン・ニューディールの現実化のために今動員を行うことがなぜ極めて重要であるかという理由である。幸いなことに、私たちは全く初めから開始しているのではない。彼女はこう説明する。「……真実は、何十年もわたってグリーン・ニューディールのような突破口に備えてきた何万人もの人々がいて、本当に多くの組織があるということである……彼らは地域モデルをひそかにつくり、私たちの気候への反応(森林保護、再生可能エネルギーの生成、公共交通機関の設計、などをどのように行うかという反応)の中心に正義を実現するための政策について試運転をしてきた」
 さらに良いニュースとしては、クライン氏によると、グリーン・ニューディールは、批判者が主張するように、ほとんど実現困難であったり非現実的なものではない。『オン・ファイヤー』の終章で、なぜそれが場合によっては現実となる可能性を持っているのか、彼女は理由を述べている。その理由には、グリーン・ニューディールに資金を投入すれば経済がより公平なものになるだろうという事実が含まれる。つまり、地球規模の法人税率、中央銀行が支援する公共投資、化石燃料への助成金(全世界で1年に7,750億ドル)を大幅に削減し、再生可能エネルギーと効率化への投資に移行させるということである。世界の軍事費の上位10カ国が軍事支出を25%削減すれば、1年に3,250億ドルが自由に使えるようになるだろうと、彼女は明記する。なぜグリーン・ニューディールが不況に強いのかという議論を、彼女は次のように組み立てる。「何百万もの雇用を生み出す力を持つ大規模な刺激は、人々の経済的な痛みに対処する最大の希望となるだろう」
 クライン氏は次のように警告する。「グリーン・ニューディールが描く根本的な変化への最大の障害は、何が提案されているかを人々が理解できないことではなく……多くの人が、人類がこの規模と速度で何かを達成することはあり得ないと思い込んでいることである。そして多くの人々が、ディストピア(暗黒郷)が当然の結論だと信じざるを得なくなった」。この途轍もない課題に共に対処することは、大規模で組織された地球規模の運動の一部としてのみ可能であると、彼女は忠告する。
 グレタ・トゥーンベリさんは、このことを次のようにまとめている。「一度宿題をやり終えると、新しい政治が必要であると分かります。すべてのことが急激に縮小する極めて限られたカーボンバジェット(炭素予算)に基づく中で、私たちには新しい経済が必要です。しかし、それだけでは十分ではありません。私たちには、全く新しい考え方が必要です。私たちは互いに競い合うことをやめなければなりません。私たちは協力し、地球の残された資源を公平に分かち合うことを始めなければなりません」

Klein, Naomi, 2019, On Fire The Burning Case for a Green New Deal, Great Britain, Allen Lane.
ISBN-13: 978-1982129910

われわれの惑星を救え! (S.O.P.──Save Our Planet!)
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記(2012年9月8日)

 世界にある現在の状況を熟視するとき、特に重要なこととして二つの問題が目につく──戦争の危険と地球の生態系の不均衡の加速である。もちろん、他にも多くの問題がある──多くの国々、特に西洋諸国に影響する経済的大災害;食糧の価格、特に何千万の人々の主要食品の価格の高騰;富裕層と貧困層の間の生活水準の巨大な、そしてますます増大する格差。
 これらの問題はすべて重要であり、早期の解決を必要とする。最初に挙げた二つの問題はすべての分別ある人間と政府の注目を強要しなければならない、なぜならそれらは人間の福利に対する最大の脅威を提供するから。戦争は、大きかろうが小さかろうが、今や考えられないことであるべきなのだが、そうではないのだ。最も恐ろしい戦争の愚かさと無益さを経験してきた世界でさえ、まだあの忌まわしいものを完全に放棄していない。諸政府は、あの古いやり方で、結局、彼らの切望する褒美を取り戻せるだろうという考えに誘惑される。ゆえに、戦争の武器は必要不可欠であり、主要な取引きの資産である。武器が存在する限り、それは使用されるだろう。小さな戦争は、より多くの国々が巻き込まれるにつれて、大きな戦争を生む。大国は同盟国を通して代理によって戦い、重要でもない論争を戦争に引き延ばす。この大きな危険はすべての国によって放棄されなければならない。それは地球上における人間の生存そのものを脅かす。
 戦争とは別に、汚染ほどすべての人間の未来に非常に深遠な影響を与えるものはない。ある国々はこの事実を認めて、汚染と地球温暖化を制限するステップをいくらか取っている。他の国々は、ときには汚染の主要国が、地球温暖化の現実を、圧倒的な証拠があるにもかかわらず、否定する。今や、日ごとの気候の変動は、惑星が病んでおり、その均衡を取り戻すために即刻、熟練した看護が必要であることを、疑いの余地なく証明している。この惑星地球が毎日被っている変質を停止させるために残された時間は切れつつある。すべての男女が、子供が、この仕事に彼らの役割を果たさなければならない。まさに時間はない。S.O.P.* われわれの惑星を救え!

〔*編註= S.O.P. とは 英語のSave Our Planet(われわれの惑星を救え)の頭文字であり、これはやがて、われわれの惑星を救済するための行動をすべての人間に呼びかける国際的な合言葉になるだろうということを明記しておきたい〕

時代の徴

 2019年11月8日の晩、カリフォルニア州サンマルコス街の上空を低く漂う輝く星のような物体を目撃者が観察し写真に収めた。目撃者によると、物体はしばらく停止をしていたが、「上方向へ丘の上へと飛ぶと、視界から見えなくなり、そしてまた視界にポンと現れました。明るく白く光っていましたが、その後消えました」と言っている。(mufon.com )

テキサスにあるレストランでの聖母の奇跡

 テキサス州で財政難にあえぐレストランの女主人は、聖母の訪問を受けたと信じている。
 ガルベストンにあるミ・アブエリタス(Mi Abuelitas)レストランのサラ・アソカーさんは2019年に近場の工事の影響から客足が遠退き、経済的に厳しい状況を体験していた。毎週5,000ドルの赤字になっており、彼女はもうレストランを維持できないのではと心配をしていた。その時、彼女は徴を受けたと信じている。2019年11月13日の朝、アソカーさんはバラの花びらがなぜかレストランの椅子の上に置かれているのに気がついた。彼女はレストランのセキュリティーカメラで録画画像を見返した。午前3時頃、彼女は光輝く姿がビデオに現れたのに気がついた。アソカーさんはグアダルーペの聖母の像をレストランに置いていたので、バラの花びらを椅子に置いたのはその聖母だと考えた。彼女は、「ビデオでは白いベールがひらひらしながら発光し、聖母の手は輝いていました」と語った。グアダルーペの聖母像は、1531年に現在のメキシコシティー郊外で聖母が顕現したことによる。バラはグアダルーペの聖母に関係している。
 アソカーさんは、「ビデオを観た時、とても驚きました。そして涙が出ました。あなたがたは信じるべきです」と語った。
(coasttocoastam.com; abc13.com; Wikipedia.com; SaraAsocar)

信念、信、直観——選集

Belief, Faith and Intuition ──a compilation

 「信念、信、直観」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 信なしには、永続するものは何も達成されない。ただこの特質を欠いたために、これまでに多くの有望な弟子たちが失敗した。時代を通じて、様々な教えが信の必要性を強調してきたのは、いわれがないわけではない。信は奉仕のまさにハート(中心)として考えられてきた。信とは、盲目的な受け入れや単に信じることを意味するのではない。それとは逆に、本当の信とは、直観が、魂の声が内的な認識を促すときにのみ生まれるのであり、あらゆる反論を乗り越えて、心(ハート)があなたに告げるのである──これは真実だ、と。その瞬間が訪れるとき、この新しく見いだした真実をしっかりと握りしめて、そして『そこに留まっていなさい』。
(『覚者は語る 1』─奉仕への召集─より)

 あなたがた、すべてを必要とする。人間に信と喜びを回復させ、地球上の貧しい人々に、必要な資源を解き放ち、均衡を取り戻すために、この世界を再建する仕事を、わたしと分かち合ってくれるすべての人々を必要とする。わたしの役割は、あなたがたに方法を示すことである。あなたがたの役割は、行動し、わたしの計画を実施することである。わたしはあなたがたを信頼することができることを、頼むことができることを知っている。わたしの愛がすべての者を包む。
(『いのちの水を運ぶ者』第76信より)

 信念(belief)はマインドの機能です。メンタル(知性)のレベルにおいて、真実で、磁力的で、魅力的で、価値があるように見えるもの──信じることができるイデオロギーをあなたに用意してくれる一連のアイディア──です。それは人生の問題に答えを与え、人生の意味や目的などに関するいろいろな疑問に回答を与えるように思われます。……
 希望とは、すべてのものと内的につながり合っているという自覚です。あなたの生命が、日々の活動が、宇宙の計画と内的に結合していることについての自覚です。自分が誰かについての認識、自分は真我であるという感覚──それがあなたに信(faith)とか希望を与えます。信や希望は、自分が誰なのか、どうしてここに居るのか、自分の目的は何かについての内的、直観的認識から出てくるものであり、地上の何ものもそれを揺るがすことはできません。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 直観の開花を通して、認識の膨大な広がりが人間の前方に横たわる。存在の状態についての認識であり、それはまだ全く人間に知られていないが、覚醒した心(マインド)によって知覚されるのを待っている。
 すべての意識の拡大の前には緊張がある。人間が今通過している争いと困難のこの時期の後に、平安と落ち着きの時が続き、直観が徐々に開花するための舞台が整えられるだろう。それが起こるとき、人間は、すべての論争を通り越して、神のイメージに似せて創られた魂としての自己の特性を直接知るだろう。
(『覚者は語る 1』─理性と直観─より)

 我が友よ、あなたがたも生活の中で分かち合いを具現することができる。この聖なる原則が是非とも支配すべきである。あなたがたの子供たちに、幼き者たちに、分かち合うことを教え、善を啓発しなさい。わたしの任務は、すべての人を啓発し、無知を真の知識に変え、目で見えるすべてのものの背後に唯一なる実在があることを教えることである。そのようにして人間を神のもとに連れていく。
(『いのちの水を運ぶ者』第127信より)

 誰もが信念を気にしています。しかしながら、神を信じるのと、神は存在しないと信じるのは、どちらも本質的には同じです。どちらもグラマー(自己幻惑)です。信念というものはグラマーです。大切なことは、われわれが聖なる存在として、その神性をわれわれの一息一息の中に、われわれの取るあらゆる行動の中に顕示することです。そしてもしわれわれがそうするならば、世界には何の問題もなくなるでしょう。そして信念もなくなるでしょう。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 多くの者にとって、キリストの臨在そのものが問題を提起するだろう。彼らが長い間持っていた信念がその根底から揺さぶられるだろう。彼らにとって、新しい啓示の意味を理解しようとするとき、己の心を探る期間が必然となるだろう。古くからの信念はなかなか死なず、その過程においてひどく傷つくだろう。にもかかわらず、何百万の人々はうれしい心(ハート)で反応し、彼らの直中にいる大教師を喜んで受け入れるだろう。時を経るにつれて、マイトレーヤという方に表されるキリストが再び地上を歩いておられるという一般の認識に対立する者は、ほとんどいなくなるだろう。
(『覚者は語る1』─新たなる奉仕─より)

 われわれが新しい時代に入るにつれて、外的世界と主観的(内的)世界を探求し、(神の)創造におけるこの二つの様相の間の関係を理解することに新しい緊急性が感じられている。世界中の多くの科学者が、すべてが相互に関連し合っていることについての彼らの直観を実際に証明する必要に促されて、彼らの探求をそちらの方向に曲げつつある。超人格なるエゴ、または魂(の存在)を受け入れるという姿勢が徐々に地盤を広げつつあり、それは人間の現実観の新しい統合につながりつつある。
(『覚者は語る1』─意識の成長─より)

 親愛なる友よ、世界に起こっている出来事を見回して自分に問いなさい──「これは不思議なことではないか、この新しい光は何としたことだ」と。もしあなたが裡なる光に忠実であるならば、わたしの臨在がこの変化を呼び起こしたことに気がつくであろう。そのようにして、あなたはわたしがここに居ることを知るであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第87信より)

 霊的生活は信条や礼拝とは関係ありません。それは神性との一瞬一瞬のつながりの感覚、神や他者と分離していないことの感覚です。あなたの子供に、模範によってこのことを示しなさい。そうすれば、彼らはあなたの目の前で神性の模範として成長するでしょう。
(『光の勢力は集合する』)

 世界は人間存在の真理に目覚めつつある──人間は神聖なる存在であり、魂としての本当のリアリティ(実相)の外的な表現である。あらゆる栄枯盛衰を通して、人間の魂はその人を守りそして道を示してきた。神経がすり減っているときも、高邁な仕事をしているときも、いやいやながら努力をしているときも、魂がそこにいなかったときは決してない。人間(肉体人間)と魂はひとつである。
 それが、人間に発見されることを待っている真理である。魂はこの啓示の目覚めを待っている。人間は人生における見習い修行の終わりにきている。これからは、その魂がより高位のそしてより明確な道を示す。
(『覚者は語る 1』─ミッシング・リンク─より)

 宗教や哲学への信仰や信頼は、進化の梯子の横木(段)のようなものである。人が成長するにつれて、その信条も変わる。真我と神の間の関係は決して変わらない。『至高の存在』が宿るのはそこである。真我は、心(ハート)の中に、永遠なる至高の存在を経験する。
(『いのちの法則』)

 人々は狂信的になることを恐れています。実際に危険なのは狂信性ではなく、惰性です、不活動です。マイトレーヤを直接に経験したことのないグループが、何年間も出現に関連して集中度の高い活動を維持することは非常に難しいです。あまりにも多くが求められていると思います。伝導瞑想や個人の瞑想がその高度のレベルの決意を維持する助けとなることは本当です。しかし信が要求されます。もし信がなければ、それは単に、マイトレーヤはこの世にいるという単なる信念や希望だけならば、それに対立するあらゆるものに抵抗しながら働かねばなりませんので、維持していくことができません。この事実を認識しなければなりません。……
 ……もしこれがあなたにとって納得のいくメッセージなら、真理の響きがあるなら、(あなたは完全な確信をもってこれを知るわけではないけれども)、そしてあくまでも仮説として、その仮説に基づいて働いているけれど、世界に展開している出来事そのものが、経験そのものが、あなたにこれが本当であることを証明してくれます。マイトレーヤのエネルギーがあなたを通して流れることが分かります。それを否定することはできません。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 わたしは、もうすぐ、もっと広く、わたし自身を現す意図であるから、あなたの兄弟たちにわたしの存在を知らせる時間は残り少ない。我が友よ、志を持って行き、わたしの降臨についてあなたの信ずることを伝えなさい。そしてすべての者の心に真理の光を灯しなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第63信より)

 信とは、何かを信じることであると考えるために、信という観念を好まない人々が多いのです。信(faith)とは信じること(believing)とか信念(belief)とは全く関係ありません。信とは存在の状態です。信はあなたが本来のあなたであるときに生じます。あなたがこの物質界のレベルで魂として生活し、魂と絶えず接触を保つならば、あなたは信を持つでしょう。信を持たざるを得ないのです。なぜなら信は魂の特性ですから。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 あなたがたは、行動するのに、なぜわたしを見るまで待つのか、あなたがた自身が、信において多くを成すことができるのに。少しは信に基づいて行動しなさい、我が友よ、そして確認を得るまで待つのではなく、先導隊の中にあることを喜びながら、昔の武者のように、今、行動しなさい。すべての者に、わたしの臨在の事実を知らせ、喜んでわたしの側に来なさい。分かち合いと正義の必要を説き、自由のための鐘を鳴らしなさい。我が友よ兄弟よ、あなたが兄弟たちの味方であることを知らせなさい。あなたの兄弟の手を取って、わたしのところへ連れてきなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第109信より)

 疑いもなく、キリストの再臨の過程は新しい段階に入りつつあり、それはキリストが兄弟姉妹たちの中を再び公に歩くことができる時は遠い先ではないことを、多くの人々に確信させるだろう。
 一方、直観によってキリストの到来を信じてきた者たちは、自分たちの信が強められ、固められるのを知るだろう。彼らの希望は高められ、志向は活気づけられた。
(『覚者は語る1』─民衆の声─より)

 わたしの語調の簡潔さゆえに、わたしと知りなさい。わたしの心の愛ゆえに、救助の行為ゆえに、わたしと知りなさい。すべての人間に、分かち合いと平和な生活を呼びかけるゆえに、わたしと知りなさい。そのようにしてわたしを知りなさい、我が友よ、そしてあなたがたの力を貸してください。わたしが必要とするのは、あなたがたの信のみではなく、神の計画の遂行のために喜んで働くあなたがた自身である。あの聖なる計画をあなたがたに説明しよう。そして愛のなかに共にそれを成就していこう。
(『いのちの水を運ぶ者』第59信より)

 混乱と緊張の直中にあっても、恐れることはない。現在の状況の中に恐怖のための場はない。むしろそれを、あなたの信に対する挑戦と見なしなさい。
(『覚者は語る 1』─勝利は保証されている─より)

 奉仕するにつれて、あなたは奉仕の中で成長します。ますます成長することができるようになります。あなたが成長するにつれて、大計画のより多くが、直観的にそして実際の事実として、あなたに明らかにされます。あなたがやがて覚者とより密接な、意識的な関係で働くことができるようになるまでは、ただ信じて、信(faith)を持って、ついていかなければなりません。覚者はあなたを特定の線に沿って導いていくことができますが、あなたが想像するように教えを授けることによってではなく、あなたに対してより一層広がる奉仕の分野を提供することによって、導いていきます。
(『マイトレーヤの使命 第2巻』)

 マイトレーヤが世界の前に姿を現すとき、新しい時代の始まりを布告するであろう。来るべき時代に人間は、いま転生している者には夢見ることもできないような高みに上昇するだろう。新しい教えは新しい知識を生み、新しいインスピレーションは新しい啓発を生む。そしてすべてが秩序正しく、順を追って起こるだろう。希望は確かなものとなり、恐怖は信に、無知は智恵に道を譲るだろう。
(『覚者は語る1』─来るべき時─より)

 そうなると、人間にとって生きることは、愛することなのである。恐怖というあの横領者は退けられ、克服されねばならない。信頼が愛を育み、恐怖を滅ぼし、永遠に裡に宿る神を明かす。信頼と信はひとつであり、裡なる神性の反映である。その神性を信頼し、それを愛として輝き出させ、恐怖の終わりを知りなさい。
(『覚者は語る 1』─愛することの必要─より)

 あなたがたがわたしを見るまでの時間は残り少ない。この残り少ない時間を最も有効に使い、あなたの兄弟たちにわたしの臨在の事実を告げなさい。あなたがたが出来ることで、これよりも貴重な役割はないのである。希望は高まる、我が友よ。希望はあなたがたの直中にある。世界に新しい光が明ける、そして人類は喜びを知るであろう。
(『いのちの水を運ぶ者』第112信より)

最高位からの贈り物
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記(2015年5月)
 人間は啓示を拝受する時点に立っており、間もなくそれが、一致しない様々な声や態度を押し流すだろう。人間は自分たちの存在の意味と目的をより一層はっきりと知り、その知識が彼らの認識の中にもたらされた手段を知るだろう。間もなく、非常に間もなく、人間はあたかも一夜にして、と思えるほど、急速に成長するだろう。
 この新しい知識は多くの者たちをこらしめ、驚かすだろう、しかし彼らの理解について完全な調整をもたらすように、彼らを刺激し、啓発するだろう。これが人生の意味と目的と彼らが呼ぶところのことについて、新しい価値を与えるだろう。より一層の真剣さとより大きな歓びが人間の信念と行動に浸透するだろう。そして徐々に彼らを全く新しい啓示に熱中させるだろう。その時は遠い先ではない。偉大なる主は、公に、認知される存在として世界に現れて、恩寵をもたらすことをしきりに願っておられる。
 恐れることはない。新しい世界がつくられつつあり、それが人間の信と勇気を同等の順序で回復させるだろう。

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

増え続ける私たちへの祝福

編集長殿
 2019年12月8日の日曜日、オランダのグループは『全国の日』を開催し、少なくとも理論上は国中からグループメンバーが参加しました。アムステルダムのインフォメーションセンターを会場にして、ベンジャミン・クレーム氏との初期の研修会からのビデオ(オランダでの1988年の『グラマーの性質』についての年代物のビデオ)を見たり、『霊的エクササイズ』や祝福に参加したりする機会を提供しました。『エクササイズ』というのは「恐怖心の克服」についての研修会のビデオから私たちが抜き出した短い映像で、クレーム氏がグループに新しい時代の祈りを唱えることを指導し、自分たち自身に「私は誰か?」という問いを尋ねることを伝えている内容です。
 『エクササイズ』と私たち皆が体験した強力な祝福の直後に、立ち上がってセンターの正面のドア近くで照明を再び点けようと振り返えると、そこに彼が再びおりました──少なくとも7年間センターを訪問し続けている、(クレーム氏の師によって確認された)大変馴染みのあるイエス覚者の代弁者です。私たちは覚者方からのこの『贈り物』に感謝して、それももう一つの祝福のように感じていました。彼は最近11月4日にだけ現れていました(2020年1月号の「二人でも三人でも集まる所には……」の手紙を参照)。
 その日はグループワークへ輝かしい貢献をし、多くに愛され尊敬されていたメンバーへのお祝いとお別れの日でもあったので、私たちはとても幸福で、それでいてほろ苦いパーティーによって、その行事と一年を締めくくったのです。
グループメンバー
オランダ

励まし

編集長殿
 2019年11月18日の月曜日に、私は電話で、グループの将来について疑問を持っているメンバーと話し合いをしていました。私はこの話し合いにとてもショックを受けました。電話を切ってから長椅子に座っていた時、私の頭に圧倒されるようなエネルギーの波が来るのを感じました。それは30分以上続き、あまりに強烈だったので動くことができませんでした。
 その後、それは活動を続けていくようにという励ましであり、覚者方からの「我々はここにいる」という明確な合図であったとわかったのです。
匿名希望
フランス

バラの祝福

編集長殿
 2019年9月21日、ロンドンのフレンズハウスでのパトリシア・ピッチョンさんの講演で、メンバーが部屋に飾るために、マイトレーヤの色である美しく深いローズピンクのバラを持ってきました。彼女はその特別な色にこだわって探して、ついに花屋の角にあるのを見つけました。その日早くに彼女は和合への徴を祈っていたのです。
 パトリシアさんの講演は『生きた体験としてのマイトレーヤの教え』についてで、とりわけ神聖な愛に強調が置かれていて、マイトレーヤの出現を知らせるベンジャミン・クレーム氏の活動の初期の頃に、マイトレーヤを探した彼女の体験に聴衆はくぎ付けになりました。
 彼女の講演を聞いていた時、メンバーが演壇に置いた小さな花瓶の中のバラに私は魅了されて、まるで金色の光で輝いているように見えたのです。後になって別のメンバーがバラの周りに見えたオーラが、あまりにきれいだったと言っていたのが聞こえてきました。彼女は花瓶と花の周りにも内側にも、非常にはっきりとした輝く金色の光があったと表現していました。光があまりにも輝いていたので長く見つめることができなかったとも言っていました。私はすぐに私自身もそれを見ていたとわかりました。私たちが書き留めたメモを比べると、私たちは別々に同じものを目撃したとわかってワクワクしました。
 その日一日中が大盛況で、私たちは皆、マイトレーヤご自身がその存在によって祝福してくださったと感じていました。
アイディナ・ル・ゲイト
英国、ロンドン

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q あなたの本を勉強するために教師は必要ですか。秘教の知識を多く持つ人々は教師になりますが、それは必要なことでしょうか。教師の意見は尊重されます。それはその人の教えの理解に影響しませんか。(2010年5月、ベンジャミン・クレーム日本・滋賀の研修会)

A 私の哀れな書物が他の人々に解説するための教師を必要とするでしょうか? 私は「絶対に必要ない!」と考えます。私の本は全く明快に書かれています。私は難しく書くことができません。なぜなら私は単純な人間だからです。あらゆる国のあらゆるグループに、秘教の教えはとても難しいのでそれを理解するには天才が必要だという考えが出回っています。それはナンセンスです。
 秘教の教えは通常のものではなく、ありふれたものではありませんが、必ずしも理解が難しいものではありません。主な問題は、誰も十分に時間をかけて読まないことです。私が、例えばジュワル・クール覚者によって書かれたアリス・ベイリーの本を開き、何かを読むとしたら、それは覚者の書いたものなので、私にとっては全く意味をなさないかもしれません。そこで私はもう一度読みます。そしてまだ理解できなければ、もう一度読みます。理解できるまで読み返します。それには時間を使わなければなりません。それがどういう意味かを教えてくれる人は必要ありません。彼らはその意味について自分自身の考えを持っているだけです。しかしそれはあなたにとって意味がないかもしれません。あなたはあることについてのその人の意見を知り、それがすべてです。
 価値があるのは、覚者が伝えようとしたことに対するあなたの特定の理解だけです。50人が読めば、その意味について50通りの異なった考えがあるかもしれません。そのことに価値があります。教えを通してあなた自身のやり方を知ることです。このグループでは、他の人よりも深いレベルの洞察を持つ人は誰もいません。教師や指導者の時代は終わりました。私たちはアクエリアスの時代におり、アクエリアスのエネルギーは個人の教師を使いません。それはグループによってのみ吸収されることができます。
 秘教的な見地からは、あなた方がしようとしていること、あなた方の真の目的は、グループとしていかに考え、行動し、振舞うかを学ぶことです。グループ意識をいかに開発するかを学ぼうとしているグループにとって、個人的な教師は無用です。グループとしていかに行うかを学ぼうとし、教師については忘れなさい。彼らはあなた方より多くを知っているわけではありません。彼らの洞察が役に立つとすれば、それは彼ら自身にとってです。グループの中で個人であることを学びなさい。そのやり方であなたはアクエリアスのエネルギーを引き付け、それを正しく使うでしょう。
 世界のどこのグループにも、自分は他の人よりも優れていて、教養があり、あらゆることを他の人よりも理解していると思っている人がいます。それは正しくありません。グラマーです。教師として認められたいというグラマーです。私は教師にはなりたくありませんが、この地位を強いられました。私は本を書きましたが、すでにブラヴァツキーやベイリーなどの本に書いてある秘教の教えについて人々に教えるためではありません。私は嫌いであるにもかかわらず書いたのです。私が書いたのはマイトレーヤの再臨の話を人々に伝えるためです。できる限り広く知らせるために書いたのであり、秘教的なこととは関係ありません。それは難しくありません。書くことは私の専門ではなく、私の仕事のやり方ではありません。ですから、自分より目覚めておらず、教養がなく、賢くないと考える人々を教えるのをやめなさい。それはグラマーです。私の本は解釈を必要としません。陽の光のように明快です。真っ直ぐに書かれており、読みやすく、理解も容易です。

2020年1月号目次

 

覚者より
新しい日
ベンジャミン・クレーム筆記

今月号内容概説

気候を破壊する化石燃料への投融資を引き揚げるよう、
ロンドンおよびニューヨーク市長が世界のすべての主要都市に要求する
「都市を移動しなければならないなら、資金を移送しよう!」
ジェシカ・コーベット

生態学と霊性 • ドミニク・アブデルノール

神の到来の兆し――平和の王子の出現

ベンジャミン・クレームの盗まれた絵画作品が見つかり、国際的な注目を集める

強いが柔らかな光の中に顕れた5人の天使

時代の徴
空の徴

アグニ・ヨガの教えにおけるマイトレーヤ

ゴータマはマイトレーヤを予言された

「天使たち」の教えを探求する
シャンタル・ピグノー

広島と長崎におけるフランシスコ教皇
心に深くとめて相応な行動をすべき時
大堤直人

編集長への手紙
スペシャルな旅路 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

表紙の絵

新しい日

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師である覚者は、毎月記事を提供してくださった。それは、書かれた時のみならず、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。覚者によって書かれた記事は常に関連性を保ち時間を超越している。実際これらの記事の多くは、それらが最初に掲載された時よりも今の方がより時機を得ているように思われる。以下の記事は、2002年に書かれたものであるが、本誌の今月号の基調となるものであり、一層重要なことは、新しい10年が始まるときに当たって、人類の可能性を示唆しているということである。

新しい日

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 人が世界の状況について検討するとき、困難や精神的衝撃、危険や危機のみを見て、恐怖で麻痺状態になり、絶望感が生み出す惰性を克服するためにはほとんど何もしない。そのようにして、人は彼らの最高の努力が進んでいることを見逃し、出来事の筋道をめったに理解しない。起こっている物事すべての底に横たわる法則についてほとんど理解せず、したがって、それらの結果をコントロールすることができない。もし彼らが目には見えないこれらの法則に沿って生きるなら、人間の生活は調和と秩序のうちに発展するだろう。
 そのような無知と恐怖心にもかかわらず、今日の人間は、彼らを駆り立てて道を前進させるフォース(霊的エネルギー)を感知する力が一段と高まっている。彼らは、自分たちがコントロールはもとより理解すらできないものが多くあることを、かすかにではあるが、感知する。しかし彼らは、ゆっくりと、彼らの裡にそして周りに、より大いなる意味と目的を、より大いなる和合と美を、思い描き始めている。
 見守っているわたしたちが、眺望のきく視座から、変化する世界をコントロールしようとする人間の努力を考慮するとき、人間の生活に影響を及ぼす、より高位のフォース(エネルギー)に対するより大きな感受性の発達の徴が見えることを歓迎する。わたしたちは、人間のこの反応がさらに強化され、そしてこれらのフォース(エネルギー)をさらに有益に活用するようになるのを喜んで待つ。
 わたしたちには、憎悪と残忍さ、野蛮な行為と戦争の増大もまた見えていることは確かである。しかし、それらは恐怖心の反応であり、終わりに近づきつつあり、やがて静まるだろう。
 この転換の時期は確かに困難な時である。多くの人間が未来に手を伸ばし、変化を願い、諸問題に対する新鮮な答えを切望する。またある者は古いやり方に頑強にしがみつき、新しいものの猛襲をせき止めようとする。わたしたちは、人間が正しい道を見つけるだろうと確信して、見守り、そして待つ。
 覚者たちの中の(最高の)覚者であるマイトレーヤは、人類の前で公に仕事をするために、彼の出現を始める態勢を整えて構えておられる。これは、舞台の背後における彼の仕事を完全にやめることを意味するのではない。彼の行っていることの多くが、今でさえもある人々の、さもなければ失敗するだろう仕事を、失敗しないように支えている。彼の助けと手引きが複数の賢明な指導者たちの手を導き、彼らを危害から守る。
 自分たちの力を証明するために世界に暴行を働く者は、マイトレーヤをもまた攻撃するのである。すべての善意の人々の背後に、マイトレーヤと彼のグループ(覚者たち)が立つ。彼らは楯を形成し、あらゆる攻撃の矢はその楯の上に空しく打ち当たる。
 マイトレーヤが公に出現するとき、速やかに彼の側に来なさい。平和と正義と自由の旗印のもとに集合し、そして彼の巨大な仕事を援けなさい。人間の生活の中に新しい日が明けつつある。これまでに知られたことのないような日である。

今月号内容概説

 今月の本誌は(訳注:英語版は1・2月合併号として、日本語版は1月号・2月号別々であるが)、アグニ・ヨガや天使達の話からボランティア精神、さらに偽情報の見分け方など様々な情報を網羅すると同時に、マイトレーヤや覚者方、天使やデーヴァ、弟子などに関する記事を特集している。
 生態系と霊性に関する画期的な新しい分析は人生を概観する新しい見方について統合的なやり方を提唱し、(信念、信、直観に関しての)賢明な見解を集めた選集は、霊と物質、主観と客観の関係についてのこの理解に言及している。「われわれが新しい時代に入るにつれて、外的世界と主観的(内的)世界を探求し、(神の)創造におけるこの二つの様相の間の関係を理解することに新しい緊急性が感じられている。世界中の多くの科学者が、すべてが相互に関連し合っていることについての彼らの直観を実際に証明する必要に促されて、彼らの探求をそちらの方向に曲げつつある。超人格なるエゴ、または魂(の存在)を受け入れるという姿勢が徐々に地盤を広げつつあり、それは人間の現実観の新しい統合につながりつつある」(ベンジャミン・クレームの師、選集を参照)
 今月号の内容の多くに共通して流れる統合の線があり、同時にそれと並行してわれわれの過去の過ちを修正し、変化させようとする人類の側の実際的な努力の発展が見られる。われわれは「われらの惑星を救う」必要があることを理解し、また化石燃料からの投資引き揚げの必要があることや、環境の浄化、飢えた人々への食糧支援、社会正義と公正な制度の確立の必要があることを理解する。
 ベンジャミン・クレームの師である覚者は、「新しい日」という記事の中で、人間を「駆り立てて道を前進させるフォース(霊的エネルギー)を感知する力が一段と高まっている」ことについて語っている。「彼らは、自分たちがコントロールはもとより理解すらできないものが多くあることを、かすかにではあるが、感知する。しかし彼らは、ゆっくりと、彼らの裡にそして周りに、より大いなる意味と目的を、より大いなる和合と美を、思い描き始めている」。この号において幾人かの覚者方の教えの中に意味と目的を見いだすことができるだろう──覚者方は、ベンジャミン・クレームを通して、またエレナ・レーリッヒ(ヘレナ・レーリッヒとも)を通して、さらには第二次世界大戦がヨーロッパを席捲し非人道性が増大する状況において自分たちの師である覚者方の指導の下で日ごとに意識と霊的洞察を成長させた勇敢な若い弟子たちを通して語った。
 自分の子供が死ぬのを見て、デーヴァ(または父親は天使として体験した)がその子の周りで働くのを見たという父親の単純な証言を読んで、人生に何か格別のものがあるということを疑うことは難しい。4人の若いハンガリー人に対して天使たち(実際には覚者たち)が与えた驚くべき教えについて読むとき、読者に疑念を抱かせることは難しいだろう。8歳の少女が幻(ビジョン)として出会ったイエス覚者の顔を完全に献身的に自信をもって描くのを知ることは、最も懐疑的な読者にも驚きを与えるだろうし、新しい意味に目覚めさせることになるだろう。助けが公にあるいは背後から与えられるのを見ることは、希望の灯に火をつけるものであろう。それはまた私たちの眼を開かせ、いのちがひとつであることに気づかせるであろう。ベンジャミン・クレームが述べたように、「希望とは、すべてのものと内的につながり合っているという自覚です。あなたの生命が、日々の活動が、宇宙の計画と内的に結合していることについての自覚です」。