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生態学と霊性

ドミニク・アブデルノール

 霊性はしばしば物質的現実から切り離された精神的理想と関連しているが、一方で生態学は人間と自然の関係に関する科学的研究に関連している。語源的には、spirituality(スピリチュアリティ、霊性)はspirit(スピリット、霊)、pneuma(ニューマ、宇宙を創造する神の呼吸)から、ecology(エコロジー、生態学)はekois(エコイス、家または環境)と logos(ロゴス、研究)から来ている。
 この記事の中で私は、生態学は霊的規律であり、霊性には生態学的なアプローチが含まれることを示したいと思う。

 アリス・A・ベイリーを介して執筆されたジュワル・クール覚者による次の二つの文章は、霊性に関するものである。
「何らかの形の発達──肉体的、情緒的、知的、直観的、社会的な発達──に向けて人間を駆り立てるすべての活動が、もしそれがその人を現在の状態より前進させるならば、本質的に霊的な性質のものである」(1)
「理解、優しさ、美を生み出すもの、神聖な潜在力をより完全に表現するよう人を導くことが可能なもの、これらにつながるものはすべて霊的である」(2)
 これは、霊性が生態学、科学、政治、経済学を含む生活のあらゆる分野に関係していることを示唆している。

物質には生命が在るか、無いか?

 一般的に受け入れられている主流の科学的アプローチは、130億年前に陽子、中性子、光子の原始のスープ(生命誕生の場とされる有機物の多い水溶液)が星へと凝集して水素、酸素、炭素の原子を形成したことを示唆している。その後、爆発して超新星となった一定の星が、銅、亜鉛、金、鉛などのより重い原子を形成した。これらはすべて変則的に生成する。幸運な偶然と自然の選択の法則により、生命と知性が発生した。したがって、思考は脳の産物と見なされている。
 しかし、ますます多くの科学者たちがこの学説を調査し、意識が物質の前提条件になり得るだろうかと考えている。この点についての秘教徒の教義を見てみよう。「一つの大生命が宇宙を創造し、活性化し、生命を与える」。秘教徒にとって、スピリット(霊)は物質に意識をもたらし、神の計画の目標の一つは意識の進化であり、物質の振動率を上昇させることである。
 ロシアの秘教徒H・P・ブラヴァツキーはこれらの原則を次のように総合的に定式化した。「自然は原子の偶然による産物ではない」「生命は形体に先立って存在し、最後の原子まで生き延びさせる」
「‘聖なる呼吸’、またはむしろ‘生命の呼吸’
……は、すべての動物、すべての活発な粒子、すべての鉱物原子に存在する」「霊(スピリット)と物質は一つである。……霊は第7界層の物質である。物質は神の周期的活動の最低の界層の霊である。……」。(3) このように、霊と物質の間には振動率の相違のみが存在する。
 生命のない物質で構成されている地球という物質主義的な概念は、人間の行動の結果を無視することによって、寄生虫のように生きる人間の分離感覚と地球資源の過剰利用につながっている。

デーヴァ、天使とその役割

 現代の秘教徒(アリス・A・ベイリーとベンジャミン・クレーム)は、人間の進化と平行して進化するデーヴァの存在を確認した。 デーヴァは形態面を担当し、感性を通して活動する。「デーヴァは感性(フィーリング)、感覚的認識を通して進化します。 私たち人類は知性(マインド)の発達を通して進化します。 私たちは知性(マインド)の息子であり、デーヴァは感性(フィーリング)の娘です。 彼らの進化はここに、今存在するもの、生命の中に、物質の中に、波動の中に存在するもの、創造物として私たちが思いつくことのできるすべてのものに対する、発展してやまない認識を通して進行します。それが彼らの経験です。彼らは瞬時も絶え間なく生命と物質を感知し、その認識の中で成長していきます。私たちも感覚器官を通して同じことを行いますが、私たちはそれ以上を行います。少なくとも人間のレベルまでのデーヴァたちは、考えたり、思考したりはしません。彼らの活動の中に精神活動はありません。しかし進化するにつれ、わずかな波動の違いに関して高度に発達した、極端に敏感な感覚的認識を持つようになります。彼らは次第により精妙な感覚を発達させていきます」
(ベンジャミン・クレーム、シェア・インターナショナル誌 1993年1月号)

 平行する進化の存在は、シャーマニズムを含むほとんどの伝統の中では一般的な認識である。スコットランドのフィンドホーンにあるフィンドホーン・ガーデンの実験を引き合いに出すことができる。自然(デーヴァ)の繊細で神秘的な知性との連携がどのように行われ、不毛の土地を肥沃にし、豊かな花、見事な野菜、果物を生産するように導いたのか。多くの庭師たちは植物と対話し交流し、「緑の指(園芸の才)」を持っていると世間でよく言われるほどにその肯定的な効果は当然と考えられている。このことは、植物界との精力的な交感により植物が成長し、より美しくなることを示している。
 ベンジャミン・クレームはさらに踏み込んで、地球の気候などのデーヴァの仕事に人間が及ぼす不均衡という負の役割について注意喚起している。「私たちが貪欲で、利己的で、競争に満ちているとき、必然的に私たちは不調和をつくり出します。そうすると、天候、海洋、雨などをコントロールするデーヴァたちは平衡を失い、世界中に今のようなとても異常な気象パターンがつくり出されます。それはある程度、私たち自身の不均衡の結果です」(4)

自然界の知性

 多くの科学者は、自然界の知性を研究している。例えば、『自然界の知性(Intelligence in Nature)』の著者である人類学者のジェレミー・ナルビー氏はこう述べている。「小さな単細胞生物(粘菌類)は複雑な迷路を解決できます。頭脳が針の頭ほどの大きさしかないミツバチは、抽象的な考えを理解できるのです。クスカタ(寄生虫の一種で植物)は、落ち着き先を決める前に、自分たちの餌食の栄養成分を評価して移動します。……植物は学習し、記憶し、脳を持ってはいないが決定します」。植物神経生物学の創始者であるステファノ・マンクーゾ氏は、植物には味覚、嗅覚、触覚、視覚、聴覚の五つの感覚があることを示した。植物は情報を記憶し、協力と交換に基づいた社会生活の形を決定し、伝え、発展させる。

自然と数学

 研究者たちは、幾つかの植物が数式に従って構成されていることに気づいている。多くの自然界の形成物(ロマネスコ・キャベツ、雪の結晶、シダ類、葉脈、木の枝、小川、川など)は、フラクタル(構造が一様の曲線や表面などに現れ、数式で記述される形成物)に従って発達する。
 松ぼっくりやパイナップル、ヒナギク、ひまわりの花弁は、フィボナッチ数列に沿って二重らせん状に配置されている。各数値は、その前の二つの数値の和となっているし(1、2、3、5、8、13、21、34、55、89など)、また、二つの連続する数値間の比率は黄金比へと収束する。* この配置により、すべての葉は太陽への最大限の露出が保証されている。
 黄金比は、らせん状の幾何学の中で、または貝殻のらせんに直接表示されている(例えば、オウムガイ)。
 科学者たちはこうして、宇宙の創造的知性の側面を引き合いに出すことにより、英国の秘教徒アリス・A・ベイリーの書物の正しさを立証している。「第三様相は数式を通して機能している」(5)

最も効果的な技術は自然界に存在する

 介護と治療に使用される多くの分子を含む植物類の高レベルの化学に加えて、動物類が汚染もなく低コストで、しかも人間の最高の機械よりも優れた性能を発揮する技術を展開する事例を、私たちは挙げることができる。イドリス・アベルカン氏は、生物模倣を賞賛しながら、「自然は図書館であり、燃やすのではなく読んでください」と記している。彼は多くの事例を挙げている。サメの皮膚の鱗は世界最高の乱気流防止コーティングを形成しており、航空機メーカーはそこからインスピレーションを得ている。最もひび割れしにくい素材の一つは、タンパク質で結合された何千枚も積み重ねられたシートで構成される真珠質層である。それはプランクトンと太陽光でできている。イガイの針金状の糸は、水の中で機能する世界最高の無公害の接着剤のおかげで岩に付着する。猛烈な一撃を持つシャコ類は、ハンマーのような腕を回転式拳銃の弾丸のように加速させて、硬い殻を破壊する。蜘蛛の糸は、スチールや合成繊維よりも丈夫である。
 骨格がシリコンでできている珪藻(植物プランクトン)は、10ナノメートル空間を移動する。私たちが同様のサイズのシリコン・チップを生産するには10億ドルの工場が必要である。
 これらの多くの事例は、自然が汚染することなく人間よりもはるかに高度で効率的な技術を使用していることを示している。

競争対協力

 自然界は、最も強いものが最も弱いものを食べる情け容赦のないジャングルの法則に従って生きているとよく言われている。しかし、綿密に調べてみると自然は共生を好み、二つの種が互いに助け合っている。サメとブリモドキがそうである。また、樹木(ハンノキ)はその根でバクテリアを繁殖させ、バクテリアは土壌中の栄養素を消化し、それらを木の根に吸収可能な形で与えるが、一方で木はその光合成樹液をバクテリアにもたらす。菌類は落ち葉のタンニンを事前に消化し、ダニ類が残骸を食べられるようにする。植物の90%は菌糸体と結合して、土壌から栄養分を抽出する。同様に、土壌の空気を換気し、分解された葉から栄養分を下方に運ぶミミズによって、素晴らしい生態系が発達する。バーテリアの低木は、アリに栄養を与える樹液を生成し、それと引き換えにアリは低木を葉食昆虫から守る。私たちはミツバチ、アリの群れの恐るべき組織を見ることができる。グループのために自分たちの生命を犠牲にさえしながら、数千の個体が互いに助け合っている。
 このように、自然は主に協力に基づいたダイナミックなバランスを見いだしている。人類とは別に、それぞれの種族は常に他の種が存在するための空間を残しており、それが霊性の基盤となっている。
 このダイナミックな協力のバランスは、今日の人類に求められているものである。進化論、デーヴァの仕事、知性、数学、協力といったあらゆるものが、自然は意識と目的を授けられた生き物であることを示しているようである。

人類の役割

 秘教徒にとって、人類の役割は物質を霊化することであり、物質の波動および体を構成する何十億ものエレメンタル生命の波動を高めることである。食物と引き換えに、人間は高いエネルギーを下位の王国に伝え波動を高める。人類は母なる大地の番人でもある。
 今日、人間は寄生虫のように振る舞い、他の王国を搾取し、これらの王国を完成させるために何百万年もかけて達成されてきた仕事を危険にさらしている。しかしながら、自然とのより正しい関係を確立するために、人類の内部から力強い声が高まっており、私たちは他の王国に対する責任を認識し始めている。
 ベンジャミン・クレームの言葉を借りると、「世界中で環境は第一番の問題になるだろう。ほんの数年前には、環境問題を真面目に取り上げた政治家はいなかった。今では関心はそこにある。この関心の増大は自己認識の増大の結果である。マイトレーヤは言われる。『人の内的環境と外的環境にはつながりがある。あなたが真我に気がつくや否や、あなたの心(マインド)と生気(スピリット)と肉体の環境はあなたの支配下に置かれる。すると、この認識があなたを外的環境に注意するよう仕向ける』」(6)

宇宙の中の統合

 地球とそこに住む生き物に生命を与えている「一つの偉大なる生命」の原則は、基本的な統合、人間同士の兄弟愛、自然の尊重という認識をもたらす。この認識は、宝瓶宮(アクエリアス)の統合のこの時代に、惑星の村という認識によってますます多くの表現がなされている。ベンジャミン・クレームはこう記している。「私たちは分離しているという錯覚を抱いていますが、宇宙には分離はありません。個々の原子は宇宙のあらゆる所の他の原子に関連しています。ですから、私たちが行うことで、世界の他のどこかに、あるいは自分自身の人生に、善きにつけ悪しきにつけ影響しないものは何もありません」(7)
 私たちは、プラスチック廃棄物が最終的には私たちの食器皿の上に、植物汚染物質が最終的には私たちの肺と血液の中に到達することを理解している。私たちの産業または肉の消費によって生成されたCO2 やメタンは、氷の流れを溶かし、氷河を縮小させ、もし私たちがかなり迅速に行動しなければ、何億人もの気候難民が私たちの国の安定に影響を与えるだろうことを、ますます多くの人々が受け入れている。
 環境運動家のバンダナ・シヴァ氏のような人々は、正義と生態学の関係についての考えを広めてきた。「自然は、この豊かな生物学的多様性をわれわれに与えてくれました。われわれはその自然が少数の企業体に独占されることを許してはなりません。私たちはそれを富と生活の基盤として維持します」
 人類は、母なる大地が自分たちの唯一の家であり、危険にさらされており、それを救うために行動する時が来たことを認識している。霊性を表現する人々の方法は、人間と他の王国との間の正しい関係を求めることによってなされる。

引用文献
(1)ベイリー『新しい時代の教育』(AABライブラリー、2004年)22頁
(2) ベイリー『ハイラーキーの出現(上)』(AABライブラリー、2006年)245頁
(3)ブラヴァツキー『シークレット・ドクトリン(秘密の教義)』
(4)クレーム『大いなる接近』
(5)ベイリー『宇宙の火』原書771頁
(6)クレーム『マイトレーヤの使命 第2巻』
(7)クレーム『大いなる接近』

*黄金比は、約1.618であり、幾何学で取り扱う調和の取れた割合である。

ベンジャミン・クレームの盗まれた絵

ベンジャミン・クレームの盗まれた絵画作品が見つかり、国際的な注目を集める

 画家でシェア・インターナショナル誌の創刊編集長であったベンジャミン・クレームのサイン入りのリトグラフ約1,300枚が、ロサンゼルスで突然見つかり、ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト、ロサンゼルス・タイムズ、BBCなど、世界中の主要情報網や新聞の見出しを飾った。
 およそ 2,000枚のリトグラフが2012年にロサンゼルスの倉庫から盗まれた。2019年9月に一人の女性が車にその印刷物を積んで警察に盗難品として届け出をした。この発見についてロサンゼルス警察の担当官は、「こんなことは起こり得ないことだ」とニューヨーク・タイムズ紙に語ったという。実際に今日のようなご時世にそのような盗品の発見は奇跡と考えてもいいのかもしれない。
 この絵画の発見のニュースは、画家としてのベンジャミン・クレームの仕事に注目を集めさせただけでなく、世界教師マイトレーヤと覚者方がこの世におられることを伝えてきた彼の仕事にも国際的な注目を集めることになった。しかし、マイトレーヤに関する話はニュース媒体によってまちまちであったが、これらの最近の報道が再び一般の注目を集めることにつながったのである。
 ベンジャミン・クレームの情報は、1982年にシェア・インターナショナルが世界の有名な新聞の幾つかに全ページ広告を載せたことで何百万という大勢の人々に届いた。
 これは単にベンジャミン・クレームの驚くべき生涯に関連した最近の出来事でしかないと、人は言うのかもしれない。

編集長への手紙

 本号に掲載された手紙には、最近起きた出会いについて述べられたものがあり、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

スペシャルな旅路

編集長殿
 数年前の2月に(手紙は2004年に書かれた)、私が伝導瞑想から帰宅していた時のことでした。家までは長い道のりで、最終列車に乗るのに間に合いました。伝導瞑想の後は大抵少しお腹が空くので、かじるための生の人参を買っていました。ロンドンの地下鉄駅構内はガランとしていて、ボリボリと噛む音の一つひとつが地下道の中で反響するように思えました。私がもう一本人参を取り出し、バックス・バニー(アニメのウサギのキャラクター)が食べるように大きな音を立ててかじっていた時、おしゃれでつややかな黒い男性用の靴が私の前へ歩いてくるのが見えたのです! その靴の人物がベンチの私の横に腰を下ろすと、辺り一面の波動のレベルが変わったのがわかりました。私は膝に広げたシェア・インターナショナル誌の、プッタパルティでのサイババの活動についての記事に集中しました。話し方の上品な英語の声が私の集中を中断させ、私がサイババの信奉者かどうか尋ねられたのは、私の読んでいたものがどうしても気になったためでしょう。顔を上げると、エレガントな装いの60歳くらいのアジア人の男性がいて、いぶかしげなアーモンド形の茶色の瞳に、グレーの短い髪に口ひげと短いあごひげの人でした。私が答える前に列車がごう音を立てて駅に入ってきました。彼も列車に乗るために立ち上がり、礼儀正しく私を車内までエスコートして、私との会話を続けたいと言いました。
 その紳士は私を席に案内してくれて、雑誌を指差しながら私がサイババの信奉者なのか尋ねてきました。私は首を横に振って、不朽の知恵の教えを模範としていることを伝えました。彼がそうした教えのことを聞いたことがないと言ったので、ブラヴァツキー夫人がそれを西洋世界にもたらし、神智学協会を設立して、こうした古代のインドの教えが西洋人にも伝わったという経緯について説明しました。彼はブラヴァツキー夫人やアリス・ベイリーのことは聞いたことがあり、ベンジャミン・クレーム氏についての話に興味を持っていました。彼はブラーマや真理について、私には聞き慣れない他のインドの教えの言葉について話してくれて、それから突然一瞬強烈な眼差しを向けてから、私が模範とする最も良い教えはクリシュナムルティの教えだと言いました。あまりにもすぐに私の降りる駅に到着してしまい、私は帰らなければなりませんでした。この魅力的な教師と別れるのが残念だったので、彼の手を握り、彼の配慮と親切にお礼を言いました。この教師はマイトレーヤでしたか。
スザンヌ・フィリップス
英国、ウェストサセックス州
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がマイトレーヤであったことを確認した】

歩く喜び

編集長殿
 2004年3月31日に、私が車で娘を学校に送っていた時、60歳くらいの男性が私の家のそばの丘を早足で下りていくのを見かけました。彼は七分丈の革のジャケットに、カラフルなスカーフと帽子を被っていました。私は心の中で、運動をしている男性にしては服装の選択が風変わりだと思いました。
 娘を学校で降ろしてから、私は職場に向かいましたが、学校から800mの所でした。駐車場に到着すると、同じ男性を再び見かけたので大変驚き、私は車で来て彼は歩いていたのに、私よりも先に駐車場にやって来るほど、どうやって早く歩くことできたのかと思いました。私が駐車すると、突然彼がそこにいて私と隣り合って歩いていたのです。普通はハローと言う以外に見知らぬ人に話しかけたりしませんが、どうしても彼と会話をしたくなっていました。
 私が「遠くから歩いて来られましたよね?」と言いました。
 彼は「私は毎日3km歩いています。歩くことは健康やガンの予防に良いのです」と答えました。
 私は彼がプラーナについて話をしていると思ったのですが、私たちのグループで前の晩に勉強していたことだったのです。私は「そうですね、歩くのはどんなことにも良いですね」と言いました。彼は私と一緒に、私の職場の公立図書館の建物の裏口のドアまで歩いてきました。私は「良い一日と良い散歩を」と言いました。すべては全く普通に思えていたのは、私が図書館に足を踏み入れるまでのことでした。思いやりや愛、喜びのすさまじいエネルギーが私に注がれるのを感じたのです。突然目に涙が浮かび、その一瞬で彼が主マイトレーヤだとわかりました。
 この出会いが真にマイトレーヤとのものであったかどうか確認していただけますか。
レイ・ギマレンイス
米国、ウィスコンシン州バラブー
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性が実際にマイトレーヤであったことを確認した】

二人でも三人でも集まる所には……

編集長殿
 2019年11月3日にメンバーの一人がアムステルダムのインフォメーションセンターで講演を行い、かなりたくさんのメンバーたちが参加して、興味深く鼓舞される話し合いに発展しました。翌日、6人のメンバーがセンターにいた時、前の月の10月13日の講演の時だけでなく、参加していた人々が講演の間中、強力なエネルギーを感じていたという話になっていき、世界中でメンバーによる講演の際にしばしば起こっていることなのです。
 私たちはそのエネルギーに対して注意深く敏感であることが、いかに大切かについて、そしてグループのメンバーたちがこのような、あるいは他の類似のイベントにおいて、エネルギー伝導に活用され得ることについて話し合いました。私たちはシェア・インターナショナル誌の11月号に掲載されたばかりの(「覚者方と働く、いつでもどこでも」という題の)手紙を読みました。会話が始まった瞬間から、エネルギーが流れ始め、話が続いていく間にさらに強くなったように思えました。私たちはこの『ストーリー』、つまりマイトレーヤと覚者方の存在とその出現についての素晴らしいことを語り合い、それは現実で、真実であり、出来事や体験、エネルギーが日々それを証明しているのです。私たちがちょうど聖書の、「二人でも三人でもわたしの名において集まる所には……」という言葉を思い起こした時、突然正面のドアに(ベンジャミン・クレームの師によって何年にもわたって何度も確認された)イエス覚者の若い代弁者がいたのです。数カ月間、彼を見かけていませんでした。彼は入ってはきませんでしたが、自転車に乗ったままドアのポスターを読み、それから満面の笑みを浮かべ、大きな身振りで手を振り(私たちも手を振り返しました)、いつもの親指を立てる仕草をしてくれました。彼は来た時と同じように突然帰っていきました。
 彼の登場は、覚者方が全知であること、グループを良く知っていること、私たち皆を援助し、導き、鼓舞していることを、再び私たちに確認させてくれました。この体験は間違いなく彼らの存在と、私たちが有用になることのできるやり方に、目覚めて整列していて機敏であることの必要性を確かなものとしてくれました。
メンバー 一同
オランダ、シェア・オランダ・
インフォメーションセンター

読者質問欄

「世界中のあらゆる講演において、ベンジャミン・クレームは広大な範囲の領域に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです」

Q 私はマイトレーヤに会うことができますか。(2008年5月、ベンジャミン・クレーム日本講演会)

A あなたは、マイトレーヤに対してでさえ、無執着でなければなりません。私はマイトレーヤがどこにいるのか知っていますが、マイトレーヤに会いに行くことは許されません。私は彼の近くには決して行きません。彼がある会合に出席されていることを知っていても、私は決してその会合には行きません。実在する誰かと握手する必要はありません。ハートの中で、彼があなたにとって実在するか、そうでないかのどちらかです。もし彼があなたのハートの中にいれば、あなたは彼に会って握手する必要はありません。

Q あなたや覚者方は、再臨のタイミングについて話すとき、なぜいつも「間もなく」と言われるのですか。

A 覚者方はいつも「間もなく」と言われます。なぜなら、彼らの観点からは、それは非常に間もなくだからです。彼らにとって10年や20年は「間もなく」であり、私たちの時間で2週間程度のものです。もし覚者方が「それは20年以内に起こるかもしれない」と言われたら、誰も何もしないでしょう。私が1959年にマイトレーヤに知らされたのは、彼は「誰が可能と思うよりも早く」やって来るということでした。彼は約20年と言われました。実際には、その出来事は18年後(1977年)でした。私は「20年! 急ぐ必要はない!」と思いました。私にとって20年は途方もなく長い時間でした。それで私は何もしませんでした。私の師が外に出て話すよう私を「プッシュ」するまで、私はそれについて何もしませんでした。私には切迫感はありませんでした。秘教グループにとっての問題の一つは、彼らが切迫感を持っていないことです。

Q 私たちはグループとして、例えば自分だけの活動をしたり他のグループのメンバーなしに話をしたがる人々に、どう対応すべきでしょうか。彼らにグループのミーティングに来るよう頼んでも拒否されます。

A どのグループにもそういう人がいます。彼らは、自分には言うべきことがあり、それを知らせたいと思っているが、自分自身でそれをする力を持たない人々です。彼らはグループと「共に」働くことができません。彼らはグループの「ために」働くことはできますが、「共に」ではありません。彼らはグループのアイディアのために働くことはできますが、グループと共には働けません。なぜなら、彼らはグループを信頼していないからです。彼らはグループ意識を開発していません。彼らは本当は競争的であり、グループと競争しているのです。そのような人々はグループには無用です。グループ・ミーティングに出席しないならば、彼らはグループのメンバーではありません。彼らはグループ・ミーティングのための時間はありませんが、自分自身の話を大衆に伝えたいのです。それは奉仕とは何の関係もありません。彼ら自身に関係があるだけです。彼らは注目されたく、ひとかどの人物でありたいのです。何とかして彼らは他の人々に、彼らがグループの代表者であると知ってほしいのです。それは競争的であり、グラマーであり、エゴにすぎません。そのような人はグループにいるべきではありません。彼らはエゴが強すぎます。自分自身を認めてほしいのです。
 秘教とは何でしょうか。90%は常識で、10%は少し謎めいています。つまりその10%以外は常識です。しかし、どこに常識があるでしょうか。
(2010年5月、滋賀でのベンジャミン・クレーム講話)

表紙の絵

表紙の絵

太陽の風(1964年)──われわれの太陽系には全体を通して大きな風が吹き渡っている。これらの風には果たすべき特別の役割がある。それらの風は超高速で太陽系を吹き渡り、太陽の中を通ってその火を冷まし調節し、大きな通り道をつくっている。
 今年の表紙の絵のイメージに必ずしもまた明らかに関係しているわけではないが、それでも読者は幼少期に風を見ていたという(画家の)記憶に興味を覚えるかもしれない。彼の最初の本、『世界教師と覚者方の降臨』の序文でクレームは次のように書いている。
 「4、5歳の子供のころ、私の最も好きだった遊びは、窓辺に座って風を見ることであった──風が木や葉に当たる様子ではなく、風そのものを見ることであった。空気の動きをみて、それが北からか南からか、東か西から吹いている風かを当てるのである。しかし学校へ行くようになって、空気は見えないものであり、風も目で見ることのできないものであるということを学んだ。そして徐々にそうなったのか、突然だったのか覚えていないが、物質の何らかのレベルのエーテル界を見る能力を忘れてしまった」

12月号目次

 

覚者より
拒否されることはないだろう
■ベンジャミン・クレーム筆記

視点
フランシスコ教皇は右翼の台頭を警告し、「環境罪」の採択を提案する
ジョン・クエアリー

弟子の属性(第1部)
アート・ユリアーンス

民衆の声
抗議する民衆の力が世界を席巻する

アンデスとヒマラヤのスーパーフード
ソニヤ・アウイル

ムンギ・ンゴマネ著
『毎日のUbuntu :アフリカ流に一緒に暮らす』
フィリス・パワーによる書評

正義と分かち合いのために声を上げる一選集
Speaking out for justice and sharing —a compilation

時代の徴
クリスタルの涙を流すアルメニア人女性
レバノンの少女が水晶(クリスタル)の涙を流す 他

S.O.P. (Save Our Planet) ―われわれの惑星を救え!
木々と共に犯罪と闘う
緑化によって都市が安全になることを示す調査結果が増加する

パンのための闘いが自由のための闘いになる
アラア・サラ

若い男性がマイトレーヤを探す
ヤネス・フェルヤンチク

編集郷への手紙 聖母の涙の癒し 他
読者の皆様へ

読者質問欄 回答 ベンジャミン・クレーム

拒否されることはないだろう

ベンジャミン・クレームの師である覚者は、シェア・インターナショナル誌の創刊以来、毎月記事を提供してくださった。それは、世界の状況に応じて適切と思われるときにはいつでも掲載してよいようにである。実際、これらの記事の多くは、それが最初に掲載された時よりも今の方がより関連性があるように思われる。この記事は1990年4月号の記事であるが、今展開している事柄を非常によく反映しているので、最近書かれたものと考えてもおかしくない。

拒否されることはないだろう
──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 一日一日が過ぎるごとに、ますます多くの人間が、新しい極めて尋常ならざる何かが自分たちに、そして世界に起こっていることに気づきはじめている。未来をつくり直し、いずこか知らないところへ彼らを運んでいくようなイベント(出来事)が進行しているのを感知している。それは彼らを恐れさせると同時に興奮させる。人類は、自分たちが破滅の運命にあるのではなく、あらゆる悪条件にもかかわらず、なぜか知らないが、人類存在を脅かしていた火中を通り過ぎたという確信を増している。
 彼らはまた自分自身の裡に、人生を変えることのできる力(パワー)が増大するのを感じる。かくして、政府が国民の意志に反して支配し、歓迎されない教義を受動的な民衆に強いる時代は永遠に消え去りつつある。独裁者の日々は限られている。彼らは一人ずつ、その恥ずべき君臨の座から去る。新しい時代は民衆と共にあり、彼らの中から、新しいスポークスマンが出てくるだろう。
 キリストは、舞台の背後で待っておられる。忍耐強い沈黙の中で、急くことなく、やむことのない労役をもって、世界の目の前に出現する方法を考えておられる。今や、すべてが準備された。最後の小さな修正のみが、彼の手を待つ。間もなく世界は偉大な教師がここにおられることを知るだろう。「人の子」は戻られた。「至高の存在」の代表者は再び人類に奉仕するためにその位置につかれた。
 キリストの呼びかけは世界中に響きわたり、正義と自由と愛を求める心(ハート)の願いのこだまを彼のなかに見いだす者すべてから、最善のものを引き出すだろう。そしてそれらが実行されることを求める叫びは、ますます勢いを増しながら、すべての国から湧き上がるだろう。そうなるだろう。かくして、キリストはその意志を集注されて多数の志向する魂の忌憚(きたん)なき声となるだろう。
 人類が聞く声は、キリストの声のみではないだろう。世界中に、すべての国に、話す機会を待つグループが存在する。準備を整え、訓練を受けた彼らはいま舞台の袖に立っており、召集がかかればいつでも奉仕する用意がある。彼らは時代の要求と今日の人類を取り囲む問題に対する答えを知る。少しずつ、これらの問題は克服されるだろう。そして人類種族の進化の中に、新しい一章が開かれるだろう。もうすぐ、これらの賢明な者たちは前面に進み出て、自分たちを世界の用のために提供するだろう。彼らの非利己性ゆえに、人々は彼らを推薦することとなり、彼らの判断がすべてのものの信頼を勝ち得るだろう。
 であるから、これらすべてのことから勇気を得て、新しいより良い時代が来つつあることを知りなさい。今この世界をしっかりと捉えている変化の勢いを止めることは誰もできないことを知りなさい。
 以前には、人々は受動的に運命を受け入れて、出来事が起こるのを待った。今日、新しい意識が人間の心(ハートとマインド)を活気づけ、生来持っている正義と自由への要求に目覚めさせる。それらが拒否されることはないだろう。

正義と分かち合いのために声を上げる――選集

Speaking out for justice and sharing──acompilation

今日、リーダーたちの先を行くのは民衆であり、彼らの理解と必要を大きな声に出している。次から次へと続く諸国家において、民衆の声はより焦点が絞られて明確になっている。何千万の人々が今や教育があり、彼らの必要——平和、仕事、将来への希望——について確信を持つ。ますます大きくなる和合への感覚もまた彼らの期待と要求を告げはじめている。彼らは自分たちが世界の中で孤立していないことを、至るところに同じ問題と必要を抱える多くの兄弟姉妹たちがいることを知っている。

このようにして、マイトレーヤの臨在と教えに気づかなくても、彼らはマイトレーヤのエネルギーと影響に反応しつつあり、将来の枠組みを築きつつある。
(『覚者は語る 2』ー和合へ向けた変化ーより)

平和と正義と同胞愛を呼びかける者すべてを、わたしは支える。兄弟たちを愛する者たちすべてを、わたしのもとに招く。彼らはあらゆる党派から、あらゆる国家から、わたしの周りに集い来るだろう。わたしは彼らの心を希望と愛で満たす、そして彼らはその数を増し、勢いを増して、世界を征服する。この過程は始まった。すでに人々の声は聞かれ始めている。ますます声を大にして、彼らは正義と平和を求める。
(『いのちの水を運ぶ者』第131信より)

世界の民衆は自由、正義、平和についてのビジョンをつかまえた、そしてそれを放さないだろう。指導者たちではなく、彼ら民衆が未来の輪郭を描き、彼らの必要に合わせてそれを形づくるだろう。そのようになるだろう。世界にあるこの新しいフォース——民衆の声——は急速にその力と結合力を増しており、今後の世界の出来事に主要な役割を果たすだろう。(『覚者は語る2』ーマイトレーヤのお導きーより)

マイトレーヤ御自身がメッセージ第135信で言われました。「善意の人々が集団をなして、正義と平和への希望と夢を高く掲げて振り回すだろう。この叫びが各国家の中に真理の松明たいまつを灯すだろう、そしてその中心にわたしが居る」。まさしくこのことが今、米国やヨーロッパにおける平和行進で起こっていることです。これは人々が分かち合いを、そしてマイトレーヤを受け入れる準備があることを示していると思います。彼の言葉を受け入れる準備ができていることを示します。このようにして彼は、我々の要求と志向を喚起し集中させます。教育のある世界世論の集中的断固たる意志に抵抗できる政府は地上に存在しません。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』)

ついに、これらの声は聞かれつつある。ついに、マイトレーヤの慈悲のエネルギーは、いまだ彼の臨
在に気づいていない大勢の人間の心(ハート)の中に反応を見いだした。やっとのことで、富裕国の政府は正義と平和を求める国民の要請に応えつつある。彼らの将来は、国民の声に、ますます明確に強力に響いてくる国民の意志表明に、耳を傾けるかどうかにかかっていることを、彼らは感知する。諸国の政府に理解させよう、国民の声は知恵の声であることを。それはリアリズム(現実感)と真理への呼びかけであり、健全なより良い世界につながる唯一の行動への呼びかけである。
(『覚者は語るⅡ』ー暗闇の中からーより

人間は非常に病的な状態にあるこの世界を救わなければならない。世界の一般の人々によって、その努力がすでに始められているのを見て、わたしたちの心(ハート)は喜ぶ。わたしはそのような人々に今語りかけている。あなた方の声を大きく上げなさい。あなた方の必要を世界に告げなさい――平和の必要を、正義と自由の必要を、宗教や皮膚の色や人種が何であれ、すべての人間が調和のうちに生きることの必要を告げなさい。すべての人間は本質的にひとつである。彼らはわたしの兄弟であり、わたしは一人ひとりを愛する。
(『覚者は語るⅡ』ーマイトレーヤからのメッセージ、2008年3月27日ーより)

あなたの声を聞かせなさい。あなたが信じるもののために語りなさい。すべての人のための正義と自由を信じるのなら、そう言いなさい。記事を書き、新聞に送りなさい。大昔からのグラマー、イリュージョン、抑圧の束縛から人類を解放するためのあなたの貢献として、このことについてあなたの意見を述べることで貢献しなさい。人類自身こそが世界を変えなければならないということを覚えておきなさい。マイトレーヤは鼓舞し導くために来られるが、私たちが仕事をしなければならない。
(『光の勢力は集合する』)

今日、大体において、民衆の声は、若者の声である。諸々の政府、そして彼らのコントロールの下にあるマスコミは、若い人々の声と志向を主として無視するか、あるいはけなす。しかるに、答えを持つのは若者である。彼らは、人類がひとつであることを理解し、公平さを、正義と分かち合いを、戦争の終止を呼びかける。そのような若い人々の声を決して黙らせることはできないし、長い間無視することはできないだろう。老いも若きも、民衆の声はマネー(金)の男たちの訴えるような声をかき消して、人類を「新しい夜明け」に導くだろう。
(『覚者は語る2』ー若者が舵を取るーより)

今日再び、民衆の声が聞き届けられるべき時が来た。今日再び、至るところにいる人々の正義、自由、平和への要求が、無謀な権力を振りまわす者たちの耳に届き、それらが認知されることが不可欠である。権力のグラマーに取りつかれたこれらの危険な者たちは、戦争の時代は過去のものであり、人類は急速に消えつつある平和と安全を願っているということに気づかなければならない。小さな“ナポレオン”たちに、彼らの権力の日々は終わり、完全な時代遅れであることを、今や力(パワー)は人々の本当の必要に仕える者たちにあることを、知らしめねばならない。
(『覚者は語るⅠ』ー民衆のパワーの盛り上がりーより)

あなたは一人ではありません。世界中の何百万もの人々の一人です。正しく思考する何百万もの善意の人々の一人です。彼らに加わりなさい。彼らも、あなたと同じように世界の平和を欲しており、世界にある不正義(非公正さ)が平和を妨げていることを知っています。それを知らせなさい。他の人々やグループに加わりなさい。人類は善に向けての途方もない力(フォース)であり、変化は民衆の上げる声を通して起こるでしょう。すべての国で民衆の声が沸き上がるでしょう。それは、人々が知ろうが知るまいが、マイトレーヤによって鼓舞され、導かれ、活性化されるでしょう。(『人類の目覚め』)

国民の声はすでに耳を傾けられ始め、この代表政治の形態がイデオロギーを通して大衆をコントロールするやり方に取って代わるだろう。すべてが非常に急速に動いているので事態は政治家の手に負えない。新しい政治の時代が始まった。認識が人々を自らの基本的人権に目覚めさせ、自由とそして自らに対する、またお互いに対する責任に目覚めさせている。
(『マイトレーヤの使命 第Ⅱ巻』ーマイトレーヤの予報「新しいエネルギーが地球に充満する」ーより)

この惑星全体に広まる現在の物質主義の不正を、心(ハート)のうちで拒絶する人々が今日たくさんいる。彼らは正義と平和を願い、それらの達成のために行進しデモをする。ますます多くの世界の民衆が一緒になるとき、強力な男たちの行動を変えるだけの力を持つことを認識し始めている。かくして、マイトレーヤは民衆を信頼し、彼らの要求に声を与える。かくして、彼は民衆の行進に参加し、彼の声を彼らの声に加えられる。
(『覚者は語るⅡ』ー暗闇の終わりーより)

あなたがたは、意識しようがしまいが、心の中で、わたしの存在の事実に、わたしの呼びかけに応えたからこそ、今ここに集うているのである。それなら、この事実を人に伝え、人類を招いている単純な真理の道を指し示すことを、あなたがたの仕事としなさい。分かち合うことが神聖なることを、愛することが神の特性であることを、共に働くことが人の運命であることを、彼らに教えなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第19信より)

穏やかに、しかしきっぱりと、マイトレーヤは人間を彼ら自身の最高の利益のために行動するように説いていくだろう。兄のように、彼の家族の若いメンバーたちを一歩一歩彼ら自身の真理に向けて導いていかれるだろう。その時は遠い先ではない、いや実際、非常に間近である。世界中の民衆の心(ハート)に希望と歓びが同じように持ち上がるにつれて高まっていく彼らの声を見守り、耳を傾けなさい。そのとき、あなたは車輪が回転したことを知るだろう。貧困と不正義の苦痛はもはやなくなることを、戦争の冒涜ぼうとくは永遠に放棄されることを、愛の法則が、このわれわれの世界の至るところに住む男女の心(ハート)の中にその正当な位置を見いだすことを、知るだろう。
(『覚者は語るⅡ』ー民衆は目覚めるーより)

すべての者に、わたしの臨在の事実を知らせ、喜んでわたしの側に来なさい。分かち合いと正義の必要を説き、自由のための鐘を鳴らしなさい。我が友よ兄弟よ、あなたが兄弟たちの味方であることを知らせなさい。あなたの兄弟の手を取って、わたしのところへ連れてきなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第109信より)

行進やデモで、人々が正義と平和と穏健さを呼びかけるところに、マイトレーヤの姿が色々な変装で見つけられるかもしれない。その中で彼は民衆の役を演じ、彼らの名のもとに話をしている。彼の愛のエネルギーがこれらの正義の集会に充満しており、彼らをさらなる努力へと鼓舞する。マイトレーヤの力が彼らのものとなり、彼らは臆せず、確信を得る。このようにして、愛の主は憎しみの潮流を変えて、何百万の人々の熱意を強化しておられる。そして、至るところで人々は彼らの運命について認識し、そして彼らの心からなる願望を実施するための手段を探し求めている。
(『覚者は語るⅠ』ー束縛の終止ーより)

だから、分かち合いと正義について語る男を探しなさい。あなたがたと変わらない男、単純そのものの真の男を探しなさい。わたしの手を取りなさい、我が友よ、そして共に楽しく輝ける未来へ歩いていこう。この呼びかけが聞こえないのか。それはわたしの心ハートから発する。苦悩の叫びが聞こえないのか。それは人の心ハートから発する。その叫びがわたしをここにもたらしたのである。
(『いのちの水を運ぶ者』第115信より)

マイトレーヤの愛のエネルギー――「裂開れっかいの刀」――の効力が現在の世界にある極化をつくり出したのであり、それは人類に前進への道をはっきりと示すであろう。包括性ほうかつせいと愛、正義と人間の精神の自由のために闘う者はすべて、彼の周りに集うであろう。分離主義と搾取、競争と貪欲に味方する者は、同じく明らかになるだろう。そして人類の前にある選択は非常に明瞭になるだろう――愛と憎しみ、分かち合いと貪欲、平和と競争、生と死との間の選択である。マイトレーヤは(メッセージ第11信の中で)言われた。「わたしの心はあなた方の答えを、選択を知っている。そして喜んでいる」と。彼の愛のエネルギーに応えて、人々はすべての国々において、様々なグループをつくり、正義と平和と正しい関係を要求するだろう。(それはもうすでに始まっている)。間もなくこれらのグループは世界で最も大きな、最も強力な勢力となり、平和と善意の新しい時代を招じ入れるだろう。(『マイトレーヤの使命 第Ⅰ巻』)

民衆の声は高まりつつある、いや(すでに)高まった。そして彼らは人々に、自分たち自身を宣言するように呼びかける。民衆は恐れることなく、はっきりとした目で将来をのぞき、公平で、平和な世界を求める彼らの志向の実現の可能性を見た。これはひとりでに起こらないことを、兄弟姉妹たちと共に、実現するための力(パワー)を自分たちの手に握らなければならないことを、彼らは知っている。また彼らは、その道が困難であり、危険なことも知っているが、それを不成功に終わらせるにはあまりにも貴重な褒美ほうびである。なぜなら、それは同胞愛という褒美、正義、平和という褒美、そしてすべての人間にとって、より良い、より簡素な、より真の人生という褒美であるから。
(『覚者は語るⅡ』ー民衆の声が将来を先導するーより)

マイトレーヤの任務は、世界世論を活気づけて、それを数個の単純なアイディアに集中させ、人々が至るところで、正義を、自由を、呼びかけるようにすることである。正義を達成し、戦争を終わらせ、平和を創造する唯一の方法として分かち合いを呼びかけるようにすることである。平和とテロリズムの終結は正義の創造にかかっており、それを達成する方法は一つ、世界資源の分かち合いである。
(『多様性の中の和合』)

今日、変化の必要を認めてはいても、まだそれに抵抗する者が多い。古き使いふるされた過去の世界がくずれていくのに気づいていながら、なお古い形態にしがみついている者が多い。しかし国々に新しい声が聞こえる――希望と約束をはらんだ真理の声が、新しい時代の声が。この声は人々の心に刻みつけられていく、次第に強さを増しながら。なぜならこの声は、人間を通して語る神の声であるから。
(『いのちの水を運ぶ者』第12信より)

若い男性がマイトレーヤを探す

ヤネス・フェルヤンチク

 これは1996年6月の出来事である。その当時、私は数年前から再臨のアイディアに親しんではいたが、スロベニアには活動中のグループがなかったため、活発に活動をしていなかった。1日に長時間の個人瞑想をしていた時期であり、私は若く元気で、おそらく少し繊細で、自分が望むような場所や時期にマイトレーヤを見つけることができると思っていた。
 今振り返ってみると、マイトレーヤを探すことは、若い男性が太陽の下で居場所を見つけるような試みであったと思う。証拠や兆しを求める人は依然として存在し、この体験談は彼らのためのものである。マイトレーヤとベンジャミン・クレーム氏の真我に関する教えが広く理解されるようになれば、兆しは必要ではなくなるだろう。

1996年の夏、私はロンドンに1週間の「波動の調査」の旅行に行くことを決めた。それは私にとって初めてのロンドンへの旅行であり、私はすぐにイスラム教地区でマイトレーヤの『探索』を開始した。私は毎日、ロンドンの様々なモスクで、イスラム教徒と共に祈りに参加した。私はイスラム教徒の偽りのない献身に本当に感銘を受けるようになった。そのような種類の献身を見ることができたのは、これまでキリスト教の修道院や仏教の僧院だけであった。私はあらゆる種類の人々と出会った。ソーシャル・ワーカーからイマーム、スーフィーからサウジアラビアのシークなど、すべての種類のイスラム教徒と終わりのない宗教的な議論にふけった。私は彼らの祈りに参加し、彼らは私の献身に感心してくれた。彼らは、私がイスラム教徒になろうとしており、スロベニアでイスラム教を広め、当時戦争で苦しんでいたボスニアのイスラム教徒を援助するだろうと考えていた。次に私にとっての問題が始まり、私は困惑したのである! 私にとって、すべてが嘘であった。なぜなら、探している人物を彼らが知っているかどうかをどのように尋ねればよいか、私には本当に分からなかったからである。
 マイトレーヤがホワイトチャペル・モスクに定期的に来ていたと聞いていたため、私は東ロンドンのホワイトチャペル地域を散々にさまよい歩いた。私は毎日のようにそこに行き、夕方には当てもなくうろついた。最初の瞬間から、私はモスクのエネルギーに強い印象を受けた。それはちょうど、教会でたまに経験するキリストの波動のようであった。私は後方に立ち、祈りに参加する数十人の人々を毎日注意深く観察していたが、探していた物や人を全く感じることができずに、日々がただ過ぎていくだけだった。
 そして、イスラム教徒にとって聖なる日である金曜日がやってきた。午後1時ごろの大きな祈りでは、モスクは満員で身動きもできないほどであった。500人以上の人々が挨拶や会話をしていたに違いない。その場は、活気があり、興奮した雰囲気であった。祈りのために整列する時間になると、すべての人が、祈りを始めるのではなく、急に静まり返った。まさにその時、群衆の前で、いつもはイマームが祈りを主導する場所に、一人の男性が立っていることに気づいた。彼は190cm程の背丈で、とても痩せており、髭を生やしており、白いアラブ風の被り物を被っていた。彼は深い黄色の長いチュニックを着ていた。人が多く、彼からは実際に何も直接感じることはできなかったが、沈黙は奥深く、彼は深く尊敬されているようであった。彼は静かに話し、ある種の優しい権威により、彼の言葉は音楽のように感じられた。問題は、彼が私の理解できない言語で話していたことであった。男性の青白い顔をはっきりと見るには遠過ぎたが、男性は間違いなく候補者となった!ミーティングが終わった後で、私は彼を入り口で待ち、絶対に彼にインタビューをすると心に決めた。
 男性が10分ほど話をした後で、祈りが始まり、それは10分から15分続いた。祈りが終わり、私が彼にインタビューしようとし始めたとき、私は、以前に会ったことのある何人かのサウジアラビアの若いシークから話しかけられ、私の背景、政治的な状況、ボスニアの戦争など、あらゆる質問が始まった。私は彼らを連れてロビーに行き、男性をそこで待つことに決めた。15分間話をしながら、私は常にドアを見ていた。ようやく彼らが立ち去り、私がメイン・ホールに戻ってみると、そこは半分ほどの人出になっていた。そして私は本当にうろたえてしまった。男性はすでに見当たらず、ホールの反対側には別のドアがあった。私は急いで裏の道路に出たが、彼はどこにもいなかった。
【ベンジャミン・クレームの師である覚者は、講演者はマイトレーヤであったことを確認した】

王の帰還
ロンドンに来て前半の時期は、私はいかなるイスラム教徒にもマイトレーヤを知っているかどうかを直接尋ねることはしなかった。私はそれが全くの冒涜ぼうとくとなることを知っていたからである。私はパキスタンから来た教師について尋ねるだけであった。その人物は非常に良い教師で、非常に霊的であると聞いている、などである。後に出発が迫ってくると、私はより大胆になり、ベンジャミン・クレーム氏の著書、『マイトレーヤの使命第Ⅱ巻』から1988年のナイロビでのマイトレーヤの奇跡的な出現の写真を何枚かコピーし、この人物と会ったことがあるかを人々に直接尋ねることを始めた。会ったことのある人は、誰もいなかった。数日間、私はこれをモスクや路上で普通の人々に対して行い、イマームやイスラムショップの店員など、可能だと思われるあらゆる人に聞いて回った。
 私にはリビア出身のハッサンという良い同伴者がいて、私の言葉を通訳してくれた。例えば、パキスタンからロンドンに到着したばかりの宗教教師で、英語はあまり話しません、などである。ハッサンは毎日のように私に同行し、私がイスラム教徒になるだろうという希望の下に、イスラム教を私に説明してくれた。私が彼に写真の男性が誰であるかを説明すると、彼は面白がった。ハウンズローのモスクのイマームも同様であり、彼に写真を見せたとき、彼は何も言わなかったが、彼の目が弾けたように笑っているのが分かった。私はすべての希望を失ったようであった。
 そして、旅行の終わりが近いある日、マイトレーヤが一時期拠点としていたホワイトチャペル地域のブリックレーンをぶらついていたとき、以前に素敵な店員と出会った小さなアラブ・ショップを再訪した。私はお香と香水を幾つか購入し、彼にナイロビの写真を見せた。驚いたことに、彼はその男性を即座に認識したのである!私は自分の幸運を信じられなかった。彼は確かなのだろうか。彼は男性と会ったことがあると主張した。それはいつなのか。数年前である。どこでなのか。エジプトの女性、ザイナブ・アルガザリ氏の講演会の会場でのミーティングに彼が参加した場所、道路を数本隔てたところで。ザイナブ氏はイスラム国家を設立しようとした団体の一員であったという理由で1960年代にエジプトで投獄されていた女性である。彼女はある種の政治的、宗教的な反逆者であった。彼女は酷い扱いを受け、拷問され、ナセル政権の下で終身刑の宣告を受けたが、その後サダト政権になってから、1971年に予想外に刑務所から釈放された。彼女は後に活動を継続し、講演活動を行い、1990年代の初頭に講演でロンドンを訪れた。店員は、私が見せた写真の男性とそのときに出会ったのである。その男性はメインの講演の前に15分間話をしたが、男性が何を話していたか、彼は何も覚えていなかった。私は彼に再度、それは確かなのかを尋ねると、彼は再度、講演会で会った人物とナイロビの写真の人物は同一であると断言した。私はさらに驚いた。
 ここでついに、私は求めていた物質的な証拠を見つけたのである。次に彼は、店にあったザイナブ・アルガザリ氏の著書を見せてくれた。彼女はその本の中で、エジプトの地下牢での「苦難」と、人並みの精神生活を送る権利のための闘いについて書いている。私は店員に敬意を払いその本を購入したが、未だに全く読んでいない。私が読んだのはタイトルだけであり、それは私の心を即座に貫いた。その本は『王の帰還(The Return of the Pharaoh)』というタイトルである。
【ベンジャミン・クレームの師である覚者は、ザイナブ・アルガザリ氏の講演会にいた男性は、まさにマイトレーヤであったことを確認した】


編注:1980年代、独立系ジャーナリスト、パトリシア・ピッチョン氏は、彼女の著書『マイトレーヤを探して』(アルテ、2007年)に書かれているように、他のジャーナリストに接触し、マイトレーヤを『探索する』活動を調整した。マイトレーヤが一般大衆の前に出現できるようにするためには、メディアが人類の代表としてマイトレーヤの『探索』に十分なエネルギーを費やし、人類の自由意志が侵されないようにすることが必要である。マイトレーヤを『探索』したり、指し示したり、『つくり出し』たりすることは、ベンジャミン・クレームと共に活動する人々や、このグループに近しい人々の課題であったことは一度もない。しかしながら、1996年に起こったこの個人的な物語は、マイトレーヤは実際には遍在ではあるが、ロンドンの特定の地域におけるマイトレーヤの消息を伝えている。


編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が非常に多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。掲載されたその他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

聖母の涙の癒し
編集長殿
 私の友人であるオーストラリアのアントニオ・パレナ氏が、数カ月前ベンジャミン・クレーム美術館に電話をかけてきて、これまでやってきた話し合いを続けるためでしたが、話の流れで私が最近広範囲の頸部手術を受けて、回復が難しく苦しんでいることを話しました。彼から涙を流す聖母像が存在していて、そこから涙を集めているという話をしてきて、ベンジャミン・クレーム氏から涙をホメオパシー薬局に持ち込んで、治療薬を作ることを勧められたということでした。アントニオがその錠剤を私が受け取れるようにしてくれたので、5週間前くらいから飲み始めました(手紙は2019年10月に書かれた)。首の手術の他にも、腰から仙骨にかけての重度の神経圧迫によって、脚に深刻な症状が現れてきていました。この脚の症状のせいで、もう8カ月間もほとんど眠れなくなっていました。治療薬を取り始めると、ハムストリング(もも裏側の腱)、ふくらはぎ、足、つま先の症状が一夜にして消えたのです。さらに以前の手術で飲んでいた薬のとても厄介な副作用で、生活が大変困難でしたが、それも無くなりました。こうした症状が両方とも一夜にして治ってしまい、文字通りたった一夜のうちのことで、症状が戻ったりもしませんでした。私はプラシーボ効果を起こしがちなタイプとは思えませんし、特に症状の一つが無意識の状態から発生していたこともあり、正直に言ってこれまで聖母とは何の関わりもありませんでした。子供時代の信仰でも重要視しておらず、シェア・インターナショナル誌の聖母の奇跡の写真でさえも、私にはほとんど興味のないことでした。イエスが子供時代の中心で、そのことで聖母であった覚者への関心を無くしていました。今考えてみると、それは本当に覚者方と不朽の知恵の教えに対する理にかなった反応ではありませんでした。手術からの首の回復はいまだにありませんが、そのことにも望みは高く持っています。そして解決困難な健康上の問題に苦しんでいる読者の方たちは、この治療薬を試してみたいのではないかと思いました(治療薬はwww.simillimum.co.nzで『泣く聖母の涙〈weeping Madonna tears〉』で注文できます)。
スコット・チャンピオン
米国、カリフォルニア州パームスプリングス35

相乗効果
編集長殿
 2019年11月9日の、ジョージア州アトランタのビーガン・フェスでの、シェア・インターナショナルのブースに、「ロン」という名の男性が訪れました。彼は40代中頃に見えて、メディア用のパスに「ロン・G何とか」と書かれた名札を首からかけていました(彼の名字が見えませんでしたが、ちらっと見えた感じでは、名字はフィリピーノだと思いました)。彼から「これ一体何のことですか?」、「どうして関わることになったのですか?」と尋ねられました。その時からこの情報を彼と分かち合い始めました。
 私たちが伝導瞑想について話すと、彼はノースカロライナ州のシャーロットから来たと言いました。アトランタのグループメンバーのアン・ドハティが返事をして、今はシャーロットにグループがないけれども、他のメンバーたちがそこで展示や講演を行っていて、伝導瞑想がそのうちできることを期待していると言いました。私はロンに何をしているのか尋ねると、彼はエネルギーと相乗効果についてのプログラムを組み立てていると言い、「プログラム開発者」だと名乗りました。彼はそういったプログラムをMIT(マサチューセッツ工科大学)やスタンフォード大学で教えていると言いました。私が彼に研究者たちのみに教えているのか、それとも一般の人たちなのか尋ねると、「両方です。最初にエネルギーを教えるのは、彼らが一体性と相乗効果について理解する前に、エネルギーについて知らなければならないからです。私たちの相互関連性について考えることをせずに、エネルギーについて教えることはできません。この頃人々はあまりに離ればなれです。彼らはエネルギーについて理解しなければなりません。私たちは一体性について話をしています」。
 ロンはさらにプログラムのためにたくさん旅行をして情報を集めていて、行った先の様々な町でブースを訪問していると言いました。彼は「シェア(分かち合い)は知っています。もっとたくさんのシェア(分かち合い)のブースがあります」と言いました。彼によるといつもそうしたブースで同じ質問をするそうで、「それは何についてですか?」と尋ねて彼らの話に耳を傾けるのです。時折、話の中でそれとは異なった「獲得」について語る人もいます。彼は集めた情報をプログラムに利用していると言っていました。
 その時には私たちはロンとの会話にかなり没頭していました。彼は20分ほどブースにいてから、私たちのメッセージをどのように提示するかについての、ヒントを私たちに教えてくれたのです。私たちのテーブルの背後の、「世界資源を分かち合うとき、世界に正義がもたらされる。国々の間に信頼があれば、平和へとつながるだろう」と書かれた旗を、彼が見上げました。「もし私が情報を伝えるなら、『あなたが正義や平等、平和を信じるなら、私たちに加わるように勧めます。私たちは共にもっとずっと多くのことができます。これが相乗効果です!』と言いますね」。会話のこの部分で、彼は「正義」を強調したように思えて、このメッセージをそのように伝えるという提案を二度繰り返してくれました。さらに続けてロンは、「ツナミがやって来ますよ!ツナミのような波が次々にね!」と言っていました。私たちは彼の提案にお礼を言って、私はメッセージを提示する異なったやり方を教えてくれたと彼に伝えました。私たちは彼に再び名前を尋ねると、彼は「ロニー・ツナミ!」と答えました。
 後になって私たちは様々な人たちとのあらゆる素晴らしい交流のあった、ビーガン・フェスでの一日について話をしましたが、ロニー・ツナミは私たちの展示に、正義や平和、平等への強調という、異なった観点を提案することでイベントの展開を暗示していたと皆で確信しました。あるメンバーが「ロニー・ツナミは特別な方だと思う?」と聞いてきました。答えは「もちろん!」
クリスタ・ペレス
米国、ジョージア州アトランタ

クリスマスの精神
編集長殿
 昨年の2018年、私は夫と共に地元の郊外にある劇団による、チャールズ・ディケンズ作のクリスマス・キャロルの製作に参加しました。そのお芝居は当時の貧困の大変に胸の痛むような様子を描いていました。私は静かに泣き始め、マイトレーヤに「どうか急いでください、堕落に苦しむ皆のために、どんどんひどい状況になっています」と無言の訴えをしたのです。
 何とか最後までやりおおせて、劇場から出ていくと、素晴らしい出演者たちがホワイエでホームレスのために募金を行っていました。私は到底十分ではないと思いながらも、20ポンド(約2,800円)を箱に入れました。私たちは少し食料品が必要だったので、地元の食品店に行きました。レジの所で陽気なレジ係が私たちの最後の商品を精算していた時、30代の男性が突然現れて、1本のパンと赤ワイン1瓶をバサッとカウンターに投げ出しながら、自分のカードを機械に押し当てたのです。私は少しイラッとして、私たちはまだ終わっていないと彼に言いました。彼は「ああ、そうね、僕は急ぐから」と答えました。彼はお酒を飲んでいるのではないかと思いながら、レジ係に彼の精算をするように合図しました(その時は私たちが自分たちの買い物の精算をやり直さなければならないだろうと思っていました)。その男性はさっさと歩き出しました。夫が買い物を袋から出し始めると、レジ係からその男性が私たちの買い物の支払いをしたと言われました。私は彼を呼び止めて、「待って、あなたに支払いがあります」と言いました。彼は振り向くと手を振って、「メリークリスマス!」と大声で言って、さっと外へ出ていきました。かなりあ然として、私たち3人はお互いに顔を見合わせました。素敵なレジ係がクスクス笑いながら、「クリスマスには不思議なことが起きるものです」と言いました。
私たちの買い物はちょうど20ポンドと少しでした。
H.S.
英国、オックスフォード