2017年6月号目次

 

-覚者より
神性へ向かう
ベンジャミン・クレーム筆記

視点
G20は気候変動問題のリーダーシップを取るべき時である
テレサ・リベラ

オートメーション化の進展と最低所得保障
グラハム・ピーブルス

フランシスコ教皇-「築くべき未来はすべての人を含んでこそ価値がある」

S.O.P.(Save Our Planet)-われわれの惑星を救え!
英国:産業革命以来初めての、石炭からのエネルギーを使わない日

環境保護における勇気ある人々
2017年ゴールドマン環境賞の受賞者

民衆の声
「アースデー」における科学のためのデモ行進
民衆による気候デモ行進

時代の徴
世界中の奇跡

『叡知の種 覚者は語る(II)』
シェア・インターナショナル誌からの記事

神性へ向かい、万人のための未来を築く一選集
Moving into Divinity and forging a future for all-acompilation

国連事務総長が仏陀の慈悲のメッセージを称賛する

マイトレーヤの優先順位
核専門家グループが世界の指導者に核戦争回避を勧告する
ナディア・ブルビス

難民危機の解決法

世界情勢
何もないところから現れる飲み水
カナダでベーシックインカム制度が開始される

編集長への手紙
自然の驚異 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

 

 

 

神性へ向かう

──覚者より

ベンジャミン・クレーム筆記

 世界中で、人々は自分たちが長い間保持してきた信念や確信がそれまで思っていたほど確かなものではないことに気づき始めている。社会や政治の機構の崩壊が彼らの既存の思考方法の価値に疑問をもたせ、彼らを二者択一のジレンマに陥れる──現在の思考様式や行動様式はもはや機能しないようであり、未来の様式はいまだ明確ではない。かくして、人間は決めかねており、過去のあり方を維持しようとしたり、未来を予知しようとしたり、無益な試みの中に迷い、手引きを待っている。そのような状況の中で、変化への機は熟している。

必要とされる変化の方向やその規模を、あるいはそれらがいかにして達成されるかを知る者はほとんどいない。しかし、現在の生き方は、その意味を欠いており、人間の幸せのためのあらゆる可能性を欠くということに、多くの人々が徐々に気づき始めている。かくして、大勢の人間が苦闘することをやめて、増大する古今の宗教や思想やいわゆるカルトに慰めと平衡を求める。必要な変化は、人間の手や心(マインド)が始動させていくにはあまりにも膨大で、あまりにも過激なように思える。そこで彼らは裡に向かい、人間の諸事をコントロールしておられるのではないかと彼らが想像するところの神へ向かう。

人間自身が、顕現する機会を待っているまさにその神である、ということを彼らは知らないだけである。彼ら自身が、良きにつけ悪しきにつけ、自分たちの人生をコントロールするのである。人間自身が、彼らの行為によって、諸事の歯車の輪を回し、葛藤や平和を生み出し、悪意や善意を植え付けるのである。

人間は人生における自分たちの役割と内在する力を学ばなければならない。かくして人生の質と方向に対する責任を取らなければならない。これをしない限り、人間は揺籃期を決して抜け出すことはできないだろう。

マイトレーヤは今や世界の舞台に入って来られ、人間に、彼らが潜在的に神であることを、まさに強力な存在であることを教え、そしてこれまでの条件づけのみが彼らを迷信と恐怖、競争と貪欲の虜にしていることを教えるだろう。マイトレーヤは人間に過去のあり方を放棄する方法を示し、そして彼の賢明な手引きのもとで、神性へと向かう人間に相応しい文明の建設を鼓舞するだろう。人間がマイトレーヤの召集を聞く日は、そしてそれを聞いて応える日は、あまり先のことではない。長い暗い夜は終わり、世界に入ってきた新しい光を喜んで迎え入れる時がやって来たことを知る時は、あまり先のことではない。

かくして、人間は再建の仕事を始めるだろう──その仕事にはすべての者の力と意志が要求されるだろう。すべての者がこの時を、奉仕しそして成長する機会として、彼らを現在この世界にもたらしたところの運命を成就する機会として、見なければならない。

将来、人間がこれらの最高潮の日々を振り返って見るとき、自分たちが現在の不正を、人間の生活をあまりにも汚した残酷さと無意味な苦しみをいかに容易に許容していたかを、信じがたい驚きで見るだろう。マイトレーヤはこのいにしえの不正と闘うために、そして人間を『光の時代』へと導くためにやって来られる。あなたの歓迎の手を彼に差し延べ、そしてあなたの真我へと案内してもらいなさい。        (『覚者は語る』p527529

 

『叡知の種 覚者は語る(Ⅱ)』

シェア・インターナショナルからの記事


シェア・インターナショナル誌の読者は、『覚者は語る』の待望の続編が出版されたことを知り、うれしく思うだろう。

『覚者は語る(Ⅱ)』は、ベンジャミン・クレームの師である覚者によって伝えられ、2004年1月から20165月までにシェア・インターナショナル誌で発表された記事をまとめたものである。本書はベンジャミン・クレームの協力と承認のもとで企画され、作成に長い時間がかかった。

高度に進歩し啓明を得て、人類の進化を導いておられる知恵の覚者方の弟子の一人として、ベンジャミン・クレームはこれらの記事をメンタル・テレパシーで受け取った。この雑誌の目玉であるこれらの記事は、シェア・インターナショナル誌がベンジャミン・クレームを創刊編集長として1982年に創刊された時からほぼ毎月発表されてきた。記事は非常に幅広い話題を扱っており、その中には「人類同胞愛」「戦争の終焉」「多様性の中の和合」「惑星の救済」「明日の都市」などが含まれる。本書はまた、ベンジャミン・クレームがメディアでのインタビューや講演、会合の終わりに時折受け取ったマイトレーヤからの短いメッセージも多く収録している。

こうした記事の目的は、覚者ご自身の言葉を引用すると、「この雑誌の読者に未来の人生を描き、その未来に対して楽しく積極的にアプローチ(接近)するように鼓舞し、日毎に彼らの途上に持ち上がる問題に正しく対処するための知識のツール(道具)を用意することであった。わたしの経験と洞察に基づく有利な視点から、わたしは“見張り番”として、守衛として働くことを求め、近づきつつある危険について警告し、あなたたち読者が大計画への奉仕に勇気と確信をもって行動することができるように努めてきた」。

『覚者は語る(Ⅱ)』は、ベンジャミン・クレームを追悼して出版される。告別の書と見なすことができるものであり、彼の師との生涯にわたる仕事の終わりを告げている。この仕事の遺産はこの新刊の中に生き続けており、彼らの密接な関係を証明するものとなっている。

 

ベンジャミン・クレーム監修、石川道子訳『叡知の種 覚者は語る(Ⅱ)』(シェア・インターナショナル誌からの記事)シェア・ジャパン出版、324頁、20174月初版発行

 

神性へ向かい、万人のための未来を築く一選集

次の質問に対するベンジャミン・クレームの回答(2012年8月号)は、毎月ここで提示される選集の価値を説明している。

 

Q:選集のコーナーを愛読する読者もいますが、すでに掲載された記事の繰り返しにすぎないという声も聞きます。編集者としての意見をお聞かせください。

A:それはすでに掲載された記事の再掲載ですが、こうした選集は人々に教えを思い出させます。テーマ別の内容は異なった観点と注目を与えます。私の師は、これはこの雑誌の最も重要な部分の一つであり、選集は累積効果を及ぼすと述べておられます。   神性へ向かい、

万人のための未来を築く——選集 Moving into Divinity and forging a future for all – a compilation 今回の選集のテーマは、2000年7月号の覚者の記事のタイトル「神性へ向かう」である。「マイトレーヤは今や世界の舞台に入って来られ、人間に、彼らが潜在的に神であることを、まさに強力な存在であることを教え、そしてこれまでの条件づけのみが彼らを迷信と恐怖、競争と貪欲の虜にしていることを教えるだろう。マイトレーヤは人間に過去のあり方を放棄する方法を示し、そして彼の賢明な手引きのもとで、神性へと向かう人間に相応しい文明の建設を鼓舞するだろう。……」

私たちがこのテーマを選んだ狙いは、私たち人類が生得の権利を主張し、自分たちを神聖なる存在として知り、そのようにして、マイトレーヤや覚者方、ベンジャミン・クレームによって描写されたような、私たちの神聖な性質を最もよく反映する制度や機構を持つ未来を選ぶ必要性を強調するためである。

今回の選集は、内的な世界が日常生活において顕現することや、主観的なものが客観的なものになることについての、私たちの個人的な運命と集団的な運命の両方に関わるアイディアをまとめている。

このようにして私たちはここで、今日における人類の課題についてのビジョンを提示する。それは大計画とハイアラキーの仕事に沿って、神聖なるリアリティ(実在)を反映する外的な世界を創造することである。

これはマイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』と『いのちの法則』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』と『シェア・インターナショナル』)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 

わたしの意図は、人類の窮地を乗り越える答えを、あなたがたの前に提示し、すべての人間にとって、未来は信じ難い約束をはらむことを示すことである。あなたがたの神性を解き放ち、生得の権利を受け継ぐための道を、わたしの兄弟である覚者たちと共に、あなたがたに示す。

わたしの計画は、人類を真なる価値に、その真なる可能性に目覚めさせ、すべての人の裡に聖なる神の子が宿ることを示すことである。

(『いのちの水を運ぶ者』第24信、p.85〜86)

世界における本当の変化は、意識の本当の転換は、政治経済前線で行われている。政治的、経済的変化を通してこそ、すべての人間に内在する霊性の反映を可能ならしめる制度が再建されるだろう。

(『マイトレーヤの使命 第㈵巻』p.121)

 

今日、世界の指導者たちは統御することのできない出来事に苦悶している。彼らがまったく知らないフォースが、彼らを計画していなかったしばしばヒステリックな反応へと押しやる。彼らは自分たちの独断的教義に導かれて、混沌から混沌へと逃げる。

その間、わたしたちは忍耐強く待つ。人間の現在のジレンマの結果をわたしたちは知っている。そしてカルマ(因果)の法の許す範囲内で、最大限に援助する。また、わたしたちは、人間が自分たちの自由意志で未来の栄光への道を選ばなければならないことを知っている。それは人類同胞愛と愛と正義と分かち合いの道である。

わたしたちは人類の必要にはせ参じる。わたしたちは教え、そして仕えることに励む。人間自身が行動しなければならない。そして体験の厳しい試練の中で、自分の神性を試さなければならない。

(『覚者は語る』─飢餓の終わり─p.346)

 

我が友よ、子供たちよ、人類には、まことにすばらしい未来があることを示すために、わたしはここに居る。いつの日か、人は、虹色にかざられ、神の栄光に輝きながら、己の神性を顕して立つであろう。わたしはこれを約束する。

(『いのちの水を運ぶ者』第4信、p.30)

 

マイトレーヤは言われた、「わたしの到来は変化を予告する。同様に、古い機構の喪失への悲しみを予告する。しかし、我が友よ、古い瓶は割られなければならない──新しいワインにはより良いものが相応しい」。※ 人間の前進を妨げるものすべて、すなわち人間が己の天賦の神性を理解することを制限しそれを表現することを阻むものすべてが破壊されていくのを、われわれは目撃している。われわれは新しい思考や感情のパターンの形成を、新しい認識の形成を目撃しており、そこから新しい形態が、適切な機構が生まれてくるだろう。それを通して、人間の希望や志向をより良く表現することができる。

 

(『覚者は語る』─圧力は増大する─p.310〜311/※メッセージ第82信)

 

わたしの到来は、人の心に変化への願いを、より良きものへの願いを換び起こす──それがどのようなかたちで表現されようとも。わたしのエネルギーは、人の心に崇高なる不満を生み出す。われわれの機構の中で役に立たないものは、すべて捨て去られねばならない。今日の人間に相応しくない機構が、多く存在する。

人は、生まれつつある神である。したがってこの神が栄えることができるような生活形態を創らねばならない。現在のような生き方に、あなたがたはいかで満足していられようか。何百万の人間が貧困の中に飢え死にしているかたわら、金持は富を貧乏人の前にみせびらかす。人はお互いの隣人の敵であり、誰も兄弟を信用しない。あなたがたはいつまでそのようにして生きねばならないのか、我が友よ、いつまでそのような堕落を支持するのか。

わたしの計画、そしてわたしの義務は、あなたがたに新しい道を、人の裡なる霊性を輝き出させる前進への道を、示すことである。

(『いのちの水を運ぶ者』第81信、p.237〜238)

 

これらの新しい形態が、人間の中にいまだ漠然としか感じ取られていない神の属性を表現させていくだろう。これまで自覚されていなかった知覚と受信の能力が人間の裡に目覚め、人間の霊的基礎についての理解が速まり、人間の内的神性がますます高まるリズムで顕されるだろう。社会形態はすべての創造物との相互関連性についての人間の感覚を反映し、すべての王国(動、植、鉱物界)との正しい関係の確立につながるだろう。再び、人はすべての生命の尊さを認知し、その生命を害から守るために必要な手段を取るだろう。すべてのグループの間の創造的な交流が盛んになるだろう、そしてそれが人間の──そして神の──潜在力についての認知を確実に促すだろう。

(『覚者は語る』─社会生活への新しいアプローチ─

p.24〜25)

 

人間が初めて、大衆的な規模で、人間本来の霊的特性を表現するようになる時代が始まろうとしています。全世界で数えきれない多くの人々が人生の真の目的に目覚めるでしょう。人生に対するより深い、より健全な真理に基づいた姿勢が生まれるでしょう。そして人々は自分たちが魂であることを、魂が肉体を持って転生している存在であることを悟り始めます。魂が肉体に転生している目的を知り始めます。ますます多くの人々が自分たちの霊的進化に意識的に参加していくようになります。そしてこれまで一度も見られたことのないような自由と正義を確立していきます。自由と正義が、したがって平和が確立されることによって、人間の真の霊的本質が発揮されます。単に宗教的な体験のみならず、生活のあらゆる分野で、この霊的意識がますます表現されるようになるでしょう。政治、経済、教育、芸術、科学のすべての分野で、人間の内的な認識が、霊的なものとのアイデンティティー(同一認)が表現されていくでしょう。

(『マイトレーヤの使命 第㈽巻』p.16)

 

……マイトレーヤが言われたような、「誰も窮乏することのない簡素な生活、同じ日が二度と繰り返されることなく、同胞愛の喜びがすべての人間を通して顕される」、そのような日々を迎えるであろう。そのような生活を創造するために、多くの努力が必要である。偉大な方たちの指導のもとに、すべては人類自身によってつくり上げられねばならない。新しい文明の創造を妨げるものは、すべて捨て去られねばならない。そしてより適切な形態を築くためのステージが整えられねばならない。ここに人類が、真の創造力と再生力を発揮する機会がある。人間は神を内在するのであり、間もなくその神性は世界の霊的変容となって顕されるであろう。

(『覚者は語る』─マイトレーヤの召集─p.127)

 

わたしの教えは、もし必要とあれば、この世には人間が成し遂げ得ないものは何も存在しないことを示すであろう。人は神であり、その神性を顕し、栄えさせることのみ必要なのである。これが確かであることを、わたしの存在が保証する、なぜならわたしの兄弟である覚者たちとわたしとが共に、あなたがたの聖なる本性の驚嘆すべき不思議を見せてあげるのだから。このようにして、あなたがたは己の可能性に気づき、光の中に成長するであろう。

(『いのちの水を運ぶ者』第71信、p.209〜210)

 

進化というものは周期的に、螺旋状に進みます。もちろん、人間は自由意志を誤用して、後戻りすることはあり得ます。しかし、一度ある程度までの神性が顕現されれば、つまり一定の高みに達したら、そのような後戻りの可能性は少ないでしょう。われわれに本来備わった神性が一度達成され、実現されたら、失われる可能性はなさそうです。進化の惰性は上昇の流れであり、神の意志が究極的にその目標を達成するのです。

(『マイトレーヤの使命 第㈼巻』p.365)

 

誰も不足するもののない未来を想像しなさい。すべての人間の才能と創造性が彼らの聖なる起源を実証する未来、戦争が人間の思考の中に座をもたない未来、善意がその慈悲深い網をすべての人間の心(ハートとマインド)に投げかける未来を想像しなさい。

(電気の)光ではなく(神の)光そのものによって灯され、今日のような悲惨さや欠乏はどこにも見つけられない都市を想像しなさい。光のみによって動かされる速くて音のしない交通機関、遠く宇宙世界や星々でさえもわれわれの手の届く範囲にまでもたらされるような未来を想像しなさい。

そのような未来が、分かち合う勇気をもつ男女を待っている。そのような未来が、自由を愛する勇敢な者たちを待っている。そのような輝かしき未来が、人生の意味と目的を理解することを切望する者たちを待っている。

(『覚者は語る』─将来の青写真─ p.506〜507)

 

今ではわたしの周りに、わたしをリーダーとして、未来への案内人としてみる兄弟姉妹たちの集団が存在する。わたしは、人間の苦悩について、人間の不完全さについて、変化の必要について、彼らに語る。同時にまた、人間は神であり、神聖なる光の存在であり、いつの日かそのようなものとしてこぞって立つであろうということも語る。

選択は人間のみがなすのである。もしわたしの指す道を選ぶなら、人間の霊性はまことに輝き出るだろう。

(『いのちの水を運ぶ者』第78 信、p,228)

 

今、われわれは本質的に霊的危機に直面しているのだが、それは政治や経済の分野を通して表面化している。であるから、マイトレーヤは政治と経済の領域内で働く決意をされ、そして分かち合いの原理を強調され、それが人間の未来のすべての進歩への鍵であると言われた──「分かち合うとき、あなたは兄弟のなかに神を認める」「人間は分かち合うか死滅するか」。分かち合いは聖なる原理である。すべての機構はその内的神性を反映しなければならないことを認めるまで、われわれは進化の旅路において一歩も先へ進めないだろう。われわれがそれを認識するや否や、全く新しい状況への扉を開く。

(『マイトレーヤの使命 第㈵巻』p.120)

 

世紀から次の世紀へ、順を追って、人間の神性をますます顕現する文明を人間は築いていくだろう。聖なる創造の美のすべての様相が表現される文化をつくるだろう、それは神のイデア(理念)の栄光が映し出される鏡である。

このようにして人間は、神の大計画のもとで、ものごとの体系の中における人間の真の位置を占めるだろう。このようにして、マイトレーヤのインスピレーション(鼓舞)のもとに、人間はこの──恐怖と独断的教義と憎しみによって分裂された──世界を変容させるだろう。愛の法則が支配し、すべての人間が兄弟であり、聖なる特性にかかわるものはすべて人間の注目を引き付け、それが人生をコントロールするそのような世界に変容させるだろう。

(『覚者は語る』─新しい文明─ p.37)

 

あなた方に新しい生き方を見せてあげたい、人間に生来そなわる同胞愛に基づく生き方を、愛し、分かち合う能力と、人間の本質的な神性に基づく生き方を。

聖なる人間になる過程は、単純で自然なものであり、すべての人間に開かれている。それは、あなたがたの裡にはじめから宿るあの神を解き放つ過程である。わたしは約束しよう──もしあなたがたがわたしに従いて新しい時代に前進するならば、あなたがたの裡に宿る聖なる本質を解き放ってあげよう。

(『いのちの水を運ぶ者』第28信、p.96〜97)

 

マイトレーヤは分かち合い、正義、自由、正しい関係について語っています。それらはみな聖なる原理です。自由、正義、そして正しい関係は人生の基礎にあって、人と人との間の、そして国と国との間の正しい関係をつくります。

競争は戦争へと導き、正しい人間関係の確立を妨げます。正しい人間関係の創造が、私たちの進化における次のステップです。それを手に入れたとき、真に聖なる生活が始まります。分かち合いへの最初のステップは、あなた方の神性への最初のステップである、とマイトレーヤは言われます。これよりも単純で真実なことがあるでしょうか。

(『人類の目覚め』p.195)

 

新しい時代が、正義と自由と平和の時代が創られつつある。来るべき時代には、すべての国々の国民は、より良き人生についての、意味と目的についての、美と理解、正しい関係と愛についての、彼らの夢と希望の成就を見るだろう。毎日毎日が内的、外的な新しい発見をもたらし、毎時間が奉仕への機会をもたらすだろう。そのようになるだろう。そのようにして、男も女も子供も、一人ひとりが、われわれすべての裡にある神を賛えるだろう。そして、神の多様な面の美をそのあらゆるバラエティーの中に顕現させるだろう。

(『覚者は語る』─束縛の終止─p.604〜605)

 

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、本物であると確認されたが、いまだ掲載されていない。

覚者方、特にマイトレーヤとイエス覚者がベンジャミン・クレームの講演会や伝導瞑想会に現れてきた。彼らはまた異なった外見でも現れている。そのような体験が、ベンジャミン・クレームの師によって本物であると認められた場合、手紙は掲載される。これらの体験は、鼓舞し、導きあるいは教えるため、またしばしば治癒や精神の高揚をもたらすために与えられる。彼らはさらに、例えば喫煙や飲酒に対する幾分凝り固まった不寛容に、愉快な方法で注意を引き付けたりもする。時に覚者方は、事故や戦時、地震や他の災害において救いの『天使』として働く。彼らは「ファミリア(似姿)」つまり想念で作った形態を使用し、それらは全くリアルに見え、それを通して覚者の考えが表現される。彼らは男性、女性、子供として意のままに現れることができる。しばしば彼らは実在の人物の『青写真』を利用するが、たいていの場合、「ファミリア」は完全に新しく創造されたものである。

自然の驚異

編集長殿

200110月の季節外れの暖かな日に、マサチューセッツの自宅から1マイル(約1.6km)足らずの州立公園の自然遊歩道へ、散歩に出かけることにしました。

あまりに唐突に一人の年配の紳士が、反対方向からやって来たところに出くわした時には、とてもびっくりしてしまいました。私は笑いながら、すっかり縮み上がりましたよと彼に言いました。彼はその日公園が騒がしいと言って、枯葉がカサカサと音を立てていることについてそう言っていたのです。この実にありふれた出会いは、それにもかかわらず興味深い印象を残しました。

10分程前に、池の美しい景色が見渡せて、遠くに山々を眺められる土手でひと休みしていました。のんびりとした午後だったので、私の思考はとりとめなく様々な物事を思っていて、シェア・インターナショナル誌先月号の、ムクテスワラ・バガヴァンの写真(本誌日本語版2001年7月号)やマイトレーヤの写真のことも考えていました。

この年配の紳士はマイトレーヤでしたか。

ジェイソン・フランシス

米国、マサチューセッツ州クラークスバーグ

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

 

海難救助

編集長殿

私が7歳(1975年)の時に起きたことについて、お尋ねしたいと思います。私は母や弟と海岸(茨城県の阿字ヶ浦)へ出かけました。私は浮き輪を持って海へ歩いて入りました。けれども遠くまで行き過ぎてしまったのです。戻ることができませんでした。

周りを見回しましたが、誰もいませんでした。

助けを求めて叫びましたが、誰にも聞こえませんでした。

突然、死が現実のものとなったのです。私は海の広大さが恐ろしくなっていました。そして死んでしまうという事実を受け入れたのです。

ちょうどその時、背後から誰かに「大丈夫?」と呼びかけられました。振り返ると、一人の男性がいました。彼は30代くらいで、普通の(日本人の)男性に見えました。彼が私を助けてくれました。彼から「遠くに行き過ぎてはいけないよ」と言われました。私は口が利けませんでした。ただうなずくだけでした。彼は海の方へ戻っていきました。そして突然姿が見えなくなりました。

けれどもその時、私は生きていると実感したのです。

彼を忘れることができません。彼は何者でしたか。彼は親切な普通の男性だったのですか。

K.N.

日本、東京

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

古くからの知り合い 

編集長殿

126日に、私たちは2017年の最初のシェア・インターナショナル誌の梱包と発送作業を終えてから、アムステルダムのインフォメーションセンターの外に、馴染みの姿を見かけました。彼はこれまで何度も私たちを訪問していて、ベンジャミン・クレーム氏の師からイエス覚者の代弁者であると確認されていました。いつものように彼は自転車に乗って現れ、キャップを後ろ前に被り、センターのすぐ外にある無料の資料を見るために立ち止っていました。いつものようにショーウィンドウを通して中を覗き込み、私たちに手を振り、歯を見せて満面の笑みを浮かべて、親指立ての仕草をして、もう一度手を振ると自転車に乗って去っていきました。近頃私たちは、代弁者の方から訪問を受けているのではないだろうかと、少し思っているのです。

グループメンバー 一同

オランダ、アムステルダム

迷って見つけて

編集長殿

2001 720日に、私は今でも生き生きと心に残るような体験をしました。私はブルックリンで地下鉄に乗っていました。私は地下鉄の列車には慣れていないのですが、それは予想以上に難しいもので、列車の行き先表示がつい最近変更されたためでした。

長く感じられた時間の間、一つの方向を目指し、また別の方向へと向かい、ついには道に迷ったように感じました。それは助けがないという感覚で、年季の入ったニューヨーカーとしては、馴染みのないものでした。けれども、それは実際に意気消沈でした。

一人のターバンをした男性が私に近づいてきました。彼の顔や瞳の、何という善良さ。彼は私を見通しているかのようでした。純粋な愛が存在していました。彼が慰めの仕草で、私の手首に触れました。私は平穏さで満たされたのです。「私は聖者の面前にいるのかしら?」と思っていました。彼は階段を一つ上るようにと、穏やかに教えてくれました。階段を上った先では、優しい男性がプラットホームまで連れていってくれました。そこで私はアフリカ系アメリカ人の女性に、正しい路線にいるかどうかを尋ねました。彼女はそうだけれども、間違った方面行きにいると言いました。彼女は自分の列車をやり過ごし、私の乗る列車まで付き添ってくれました。彼女はすべてが大丈夫なのを確認するために、私と列車に乗るつもりだと言いました。彼女はその通りにしました。列車が乗換駅に着きました。彼女は私を別の列車に連れていきました。彼女も一緒に乗り込みました。彼女はすぐに若いアフリカ系アメリカ人の男性を見つけ出すと、彼に私が正しい駅で降りるのを確認するように伝えました。彼は喜んで請け合ってくれました。彼の顔は親切で、彼女と同じように輝いていました。私の駅に着くと、彼が降りるように言ってくれました。

私がブルックリンで行かなければならなかったお店は簡単に見つかりました。

ある考えが頭をよぎり、どうやってマンハッタンまでの帰り道を見つけたらいいのかというものでしたが、私が地下鉄に入ると、親切なアフリカ系アメリカ人の男性がいました。彼は自分の名前を名乗ると、私の駅までご一緒しましょうと言ったのです。彼はその通りにしました。何という愛の感覚が漂っていたことでしょう。私たちはハグをしてから、私は列車を降りました。私は至福の状態でした。

ターバンをした男性はマイトレーヤでしたか。私の道程を助けるために天使を遣わされたのですか。

H.L.

米国、ニューヨーク州ニューヨーク

【ベンジャミン・クレームの師は、『ターバンをした男性』がマイトレーヤであったことを確認した。『アフリカ系アメリカ人の女性』はイエス覚者であった、『若いアフリカ系アメリカ人の男性』もマイトレーヤで、『親切なアフリカ系アメリカ人の男性』もまたイエス覚者であった】

 

 

読者質問欄

Q 死んだ後は何が起こるのですか。魂はどこに行くのですか。

A それは個人によって違います。死において人は肉体を離れ、アストラル(情緒)体でしばらく過ごします。そして、その人の進化段階に応じて、メンタル体で過ごします──肉体と情緒体を放棄した後に。魂は常に存在します。それはどこにも行きません。どこにも行くところはありません! この世とあの世の間に距離があるというようなことではありません。距離というよりは意識の問題です。何度も転生するのは魂です。この身体、肉体は、アストラル体とメンタル体と合わせて、魂がこのレベルで顕現するための器官にすぎません。パーソナリティーもまた、魂の器にすぎません。

Q 同じパーソナリティーと同じ魂を持って生まれ変わるのですか。

A 魂が再び転生する用意ができたとき、母親の胎内に新しい肉体をつくり、それが徐々にアストラル的メンタル的性質と混ざり、魂が別の人生を、新しい肉体で始めます。時には男性として、時には女性として。そしてその人は、新しい、異なったパーソナリティーを持ちます。パーソナリティーは魂の反映です。そして魂は神のスピリット、神性の反映です。それは不変で、神的なものです。神性が魂として顕現し、魂は神性と肉体に転生した男女を時間と空間において連結させます。それは神的な仲介者です。

Q 覚者方はこの惑星ですべての経験をしたと読みました。これは正しいですか。

A 私たちは神性です。私たちは神々です。これは単なる文学的で詩的な表現ではなく、現実です! 私たちは神々のように振る舞っていません。それが世界の問題です。神々が私たちは神々であると言いながら、人間は神々のように振る舞っていません! 覚者方は、自らが神であることを知り、その神性を顕現している方々です。それが私たちの間の違いです。覚者方──マイトレーヤと他のすべての覚者方は、死を克服し、彼らの神性を顕現しています。彼らはこれを人生を通して、試行錯誤や失敗を通して成し遂げました

──あらゆる経験、あらゆる辱めや侮辱、回復するためのあらゆる努力を何度も繰り返し、あの神性を顕現してきたのです。彼らはすべてをくぐり抜けてきました。彼らがそれを成し遂げたという事実が、私たちすべてにとっての保証です。

Q 人が再び転生するまでにどのくらいの時間が経過するのですか。

A それはその人の進化段階によります。あまり進化していない人、人生において若い人(年齢ではなく、人生経験において)は長くありません。彼らは急速に進化するために素早くたくさん転生しなければなりません。それから人々がより進化すると彼らの人生はより「濃く」なります。より多くの、幅広い経験をするようになり、より多くを「消化」します。その場合、彼らはより長い時間転生の外に留まります。後に、より進化し、弟子や特定の段階のイニシエートになると、転生経験を終えて覚者になるために急速に何度も転生するようになります。覚者方は特定の目的か意志の作用によらなければ転生しません。彼らは転生する必要がありません。

2005年、パリの講演)

 

5月号目次

   

 

-覚者より
最も輝かしい未来
ベンジャミン・クレーム筆記

編集部より

視点
多国間協力への新しい構想
メアリー・ロビンソン

共感一平和への架け橋
ヴィクトリア・ゲーターによるジョー・ベリーへのインタビュー

民衆の力の盛り上がり一選集
The rise of people power -   a compilation

マイトレーヤの優先順位
「国連創設以来の最大の人道危機」が国際的反応を求める
エルダースが新しいイスラエルの入植法に警鐘を鳴らす/核軍縮に関する国連会議

時代の徴
空の徴

「デモ活動は重要である」
民営化された年金システムに反対するチリの大規模な抗議/ロシア政府の汚職に対する抗議運動

ジェフリー・サックス箸『新しいアメリカ経済を建設する』
エリサ・グラフ

画期的な結核診断法

2016年における再生可能エネルギーの記録的な伸び
熱帯雨林のヒロインたち

編集長への手紙
救いの手 他

読者質問欄・
回答 ベンジャミン・クレーム

 

最も輝かしい未来

人間に過去のあり方—— 戦争、競争、惑星の破壊—— をやめさせて、分かち合い、正義、平和への道の創造に導くのを鼓舞するビジョンはどこから来るのか、と尋ねるかもしれない。それが実行可能だという徴を、人はあとどれだけ待たなければならないのか。彼らのかすかな希望の光でさえも、どこに探せばよいのか。この非常に望まれる出来事が可能なばかりか、保証されているということを最も確信している者を除いて、すべての人間の信が歪められるようなことが世界にたくさん起こっていることは疑いもない。

どんな根拠に基づいてそのような主張ができるのか。どれほど卓越した知識からそれが出てくるのか。この不安定な世界で、そのような自信をいかにして維持できるのか。これらの正当な疑問に対する答えは、ハイアラキー全体に知られている事実にある(しかしすべての人間にはまだ知られていない)。それはハイアラキーの長であり、リーダーであるマイトレーヤご自身が、今や何年もの間、日常世界に臨在しておられるという事実であり、ハイアラキーの傑出した兄たち(覚者たち)が同じく、再び人間と共に歩くという事実である。この事実のみが極めて先例のないことである。それは人間にとって、何か素晴らしい、そして新しいものの前兆である。数え切れない長い時を経て初めて、これらの“欠点のない男たち”が、いかにして平和と正しい関係の中で簡素に、そしてよく生きるかを、人間に教えるだろう。

かくして、人間の未来は保証されていると言えるのである。しかしながら、人間は平和のための仕組みを受け入れて、それを構築しなければならない。すべての人間が平等で、ひとつであり、一人ひとりがあらゆる存在に浸透する神性の表現であるという認知、これが明確に理解されるとき、人は平和への道を創造するのに困難を感じないだろう。そして正義と自由という神の様相について新しい意味と重要性が与えられ、資源の分かち合いが人間の現在のジレンマと争いへの答えとして自然で論理的な位置を占める時の到来が速められるだろう。

今まで、そのようなアイディアやスピリチュアルな生き方の実演は、人間によってのみなされてきた。彼らの勇敢な模範に対する反応はまさに遅々としたものであった。にもかかわらず、状況が今や異常な耐えがたい圧力を人間にかけている。人々は境遇に順応して変化しなければならない。あるいは消え去るか。

彼らが問題への答えを探すにつれて、マイトレーヤと彼の一団は反応する用意ができており、人類を危険とさらなる愚劣な行動から引き上げようとしていることを発見するだろう。人類は答えを持っているのだが、これまでのところ、その答えは彼らの目を逃れてきた。それのみで、人類種族にとって未来を、最も輝かしい可能な未来を保証する、そのような答えなのである。

(『覚者は語る』[1] 613頁)

 

編集部より

編集部より最近の数カ月間にシェア・インターナショナル誌に関して受け取った多くの肯定的で励みになるコメントに対して、私たちは感謝の意を表したい。皆さんの支えをありがたく思っている。

私たちはベンジャミン・クレームが肉体として存在しないことを痛感しているが、私たちの仕事に対する彼の支援と導きが続いていることも同じくらい痛感しているということが、読者にとって歓迎すべき知らせとなることを期待する。

当然のことながら、大きな変化の時代には疑問が持ち上がり、支持者も批判者も一様に答えを望んだり期待したりする。ベンジャミン・クレームの師である覚者の記事は、難しい問題を取り扱う際にはしばしば優れた洞察の源となっており、書かれてから何年も経過して再掲載された場合でも、その途方もない適切さを証明している。

新たな状況においては、この出版物の目的と機能を再考することが重要だと思われる。シェア・インターナショナル誌は、マイトレーヤとベンジャミン・クレームの師のアイディアやインスピレーション(ひらめき)、洞察を伝える媒体である。今日の世界にマイトレーヤと知恵の覚者方がおられることを知らせる主要な手段の一つである。覚者は過去について説明し、現在を光で照らし、輝かしい未来の文明の輪郭を描かれた。私たちがマイトレーヤの優先順位を実施する措置を取るならば、その文明は人類のものになるだろう。

覚者の記事やマイトレーヤからのメッセージ、読者の質問に対するベンジャミン・クレームの回答、覚者方やその代理人との出会いについての記述、マイトレーヤと知恵の覚者方によって顕された奇跡── これらは皆、世界に希望とインスピレーションを与えてきた。

必要とされる変化が詳細に述べられ、実現可能な解決策が指摘され、困難が浮き彫りにされている。賢明な助言が与えられ、公正で良識ある世界のビジョンが掲げられている。そうした世界においては、すべての人の必要が満たされ、分かち合いと正義が普通のこととなり、私たちが潜在的にそうである神聖な存在へとすべての人が進化することが可能になる。

しかし、シェア・インターナショナル誌のもう一つの機能は、こうしたアイディアが直観的な反応を引き出すときはいつでも、メンタル界層に影響を及ぼし、敏感で創造的なマインドを持つ人々によって取り上げられるということである。アイディアは実施され、そのようにして文明は進行する。同様に、マイトレーヤと覚者方の出現についての情報が公開講演で提供されるとき、アイディアがメンタル界層へと出て行くことになる。

私たちの仕事のさらなる側面は、事実以上のものを提供し、新しい考え方の発達に寄与することであった。心(ハート)の変化によってこそ、世界が必要とする変化を人類は成し遂げていくだろう。

この雑誌の精妙な機能は次のとおりである。覚者の記事とベンジャミン・クレームによる質問への回答の中に、読者はリアリティ(実在)の性質とその偉大な生命の不可欠な部分としての自分自身の性質についての理解を深める手段を持っている。これは直観の成長と意識の拡大を促す。

覚者による記事の選択

覚者方は時間の外で生きておられる。ベンジャミン・クレームの言葉を引用すると、「覚者方は時間が全くない中でリアリティを見ます」。ベンジャミン・クレームはまた、私たち人類が時間に支配されていることについて語った。シェア・インターナショナル誌への覚者のまさしく最初の記事は、時間とは心(マインド)の状態だという事実を扱った。特定の出来事や歴史上の特定の瞬間についてのものでない限り、覚者の記事は時間を超越している。それらは私たちの視点よりもはるかに広い視点から書かれた。それらは歴史の流れや予想される人類の反応に対する洞察を含んでいる。そうした記事を改めて読み、研究するよう勧めるとき、私たちには何の躊躇もない。

特定の月や世界情勢にふさわしい記事を選ぶ際には、編集を行っている時期に世界に効果を及ぼしている主要な要因を注意深く考える必要がある。関連する現在の問題に対処するという観点から選択はなされる。幸いなことに、ベンジャミン・クレームの師は大量の記事を提供してくださった。私たちがどのようにして、なぜ特定の記事や様々な報告を提示しているかに関するより詳しい説明については、それぞれの欄の導入部をご覧いただきたい。

マイトレーヤの優先順位

マイトレーヤの優先順位── 十分な食物の供給、適切な住宅、普遍的権利としての健康管理と教育── は私たちの仕事のもう一つの主要な焦点であるが、私たちは専門家でないため、多くの著名な人物の専門的な見識を取り入れている。

編集チームは、現在の出来事とハイアラキーの洞察に沿った突破口について調査する。私たちはマイトレーヤのアイディアに最も近いアイディアを抱く専門家を選ぶ。このようにして、非常に希望に満ちた発展に注意を引き付けることができる。そうした発展は、人類がマイトレーヤの存在とインスピレーションに反応していることをはっきりと示している。

ベンジャミン・クレームの師は以前に、シェア・インターナショナル誌は将来教育的な役割を担うようになり、覚者は同誌との関わりを持続するだろうと示唆した。ベンジャミン・クレームはまた、購読することによって同誌を支え続けてくれるよう好意的な人々に訴えかけた。

ベンジャミン・クレームの遺産

何年か前、ベンジャミン・クレームはあるジャーナリストから、彼が死んだとき彼の仕事はどうなるだろうかと聞かれた。彼の答えはユーモラスで明快だった。「私が長年にわたって一緒に働いてきた何千人もの人々がおります。世界中のグループの人々です。彼らは何をすべきかを知っています。この情報を知っています。マイトレーヤと覚者方の間近に迫った出現について一般大衆に知らせるというこの仕事を続けていくでしょう。彼らはそれほど幸せでないかもしれません ── 私の冗談をもう聞くことがないでしょうから。しかし、この仕事をやり続けるでしょう!」

私たちにはベンジャミン・クレームという、地に足がしっかり着いた、ユーモアあふれるお手本があったので幸運である。彼は仕事を真剣に受け止めたが、自分自身を「リーダー」にすることは決してなかった。彼は決してそうではなかったし、現在も誰もそのような立場にはいない。以下は、ジュワル・クール覚者による『秘教心理学 第二巻(下)』(AABライブラリー、258頁)からの引用である。リーダーに過度に依存するパイシス時代のグループと、もっと自己方向性を許容し、グループのメンバーが大人の弟子として責任を負う新しいアクエリアス時代のグループとの違いが描写されている。これによって仕事は確実に続いていくことになる。ジュワル・クール覚者はまた、リーダーがその死後も関与することについて述べている。

「新時代において、へその緒は[アクエリアスの]グループの生涯の早い時期に切断されるであろうが、リーダーとリーダーたちの集団は長い間、(子供の母親のように)導くインスピレーション、愛に満ちた保護する力、指導と教えの源であり続けるであろう。このような場合、リーダーが彼岸に渡ったり……したときでさえ、グループは自らの道を歩み続け、自ら方向づける媒体として自分の考えに従って生きることができる」

残された短期間に私たちが何とかやっていくことができることを覚者方は知っておられる。私たちが── ベンジャミン・クレームによってもハイアラキーによっても── 見捨てられてはいないことを私たちは知っている。大計画はマイトレーヤと覚者方の手の内にあって安全である。

 

共感 ──平和への架け橋

ヴィクトリア・ゲーターによる

ジョー・ベリー氏へのインタビュー

1984年、アイルランド共和軍(IRA)*がイギリス・ブライトンのグランドホテルに仕掛けた爆弾により、ジョー・ベリー氏の父、アンソニー・ベリー卿が死亡した。ジョーは、自分には選択肢があることを知っていた。嫌悪と怒りの感情を抱くか、理解を求めて自分の人生に平安をもたらすかである。彼女は平安を選択した。爆弾を仕掛けた罪で有罪となった男性、パトリック・マギーは、それが地域社会で目撃した抑圧や苦しみに対処する唯一の手段だと考え、熟慮の末にIRAに参加した。彼が刑務所から釈放されたことを受け、ジョーは彼と面談することを求めた。その面談以来、彼らは共感と尊敬に基づく不思議な友好関係をつくり上げ、世界中を旅して平和と理解のメッセージを広めた。

2009年にジョーは慈善団体「平和への架け橋」を設立し、世界中で暴力を理解し、非暴力的に紛争を解決するために活動している。共感は紛争を終わらせるために私たちが持つ最大の武器であると、彼女は主張する。地球規模や地元の出来事が進展すると共に政治的、宗教的、人種的な分断が深まるとき、彼女の言葉は希望のメッセージを与え、私たちすべてが他の人の中に人間性を見るように勇気づける。ビクトリア・ゲイターが本誌のために、ジョー・ベリー氏にインタビューを行った。

シェア・インターナショナル(以下 SI: あなたは、いつごろから平和について考え始めたのですか。

ジョー・ベリー:私は十代のころ、平和についてよく考えていて、どのようにしたら貢献できるのだろうかと思っていました。私は戦争や暴力的な紛争が起きていることに悩んでいました。平和をもたらすことに貢献できる職業を探しており、それを見つけられなかったことを覚えています。次に私は瞑想によって内なる平安を見いだし、それが平和をもたらす方法であるように考え、ヒマラヤに数年住み、そのことに集中しました。私は世界から完全に切り離され、それが良いことだとは全く思いませんでしたが、他に何をしてよいか分りませんでした。そして爆弾が炸裂し、それ以上、世界から切り離されていることはできなくなりました。

SI:そのときのことを、詳しくお話しいただけますか。

ベリー:私の父は国会議員で、19841012日にブライトンで保守党の党大会に参加していましたが、IRAがホテルに爆弾を仕掛け、父を含め5人が死亡しました。私は片道の航空券でアフリカに向けて出発する直前でリュックサックの荷造りをした後でしたが、爆弾がすべてを変え、私の感情の旅が始まりました。私は数日後、ロンドンのピカデリーにあるセント・ジェームス教会に行き、信者席に座り、この出来事から何か肯定的なものを探して行こうと決めたことを覚えています。つまり、意味を見いだし、父を殺した人たちを理解することです。私はそれが IRAであると知っており、彼らを理解したいと思いました。私は自分の決心を誰にも言いませんでした。それは何か違ったことをするという、静かで個人的な決心でした。私は被害者になったり、恨みがましくなったりしたくありませんでした。敵を持ちたくありませんでした。IRAは、1984年にはメディアや政治家によって、現在のISISと同じように、非人道的で邪悪な怪物として見られ、描かれておりましたが、私はそのようにしたくありませんでした。

SI:次に何が起こったのですか。

ベリー:私は、どのように進むかを知るために必要な経験を人生がもたらしてくれると信じていました。そしてそのわずか数週間後、全く途方もない、変容をもたらす体験をしたのです。私は地下鉄に乗って帰宅する途中でした。外に出るべきだという非常に強い思いを持ったため、地下鉄を降り、夜中の1時にロンドンのキングズ・クロス駅にいることになりました。自分はいったい何をしているのか、どのようにして帰宅できるのか不思議に思い、タクシーを探しました。すぐ横には若い男性がいて、彼もまたタクシーを探していました。私たちは話し始め、目的地が近いと分ったので、同乗しましょうと彼に言いました。彼は北アイルランド人だと分りました。タクシーの中で私は彼に、父が IRAに殺され、父を殺した人たちを理解したいこと、そこから何か肯定的なものを引き出したいことを伝えました。彼は言いました。「本当に偶然の一致ですが、私の兄は IRAにいて、昨年英国軍の兵士に殺されました」。つまり、そこには敵であったかもしれない二人の人物がいたのですが、平和が可能であり、誰も殺されない、誰も悪者扱いされない、そして皆が尊敬し合う世界について語り合いました。私はタクシーを降りるときに、こう思ったことを覚えています。分断に架け橋を築くことは、私が平和を実現できるかもしれない一つの方法であり、それは以前には自分に起きなかったことで、その若い男性との間につくった架け橋が、私が築いた最初の架け橋になったということです。私はこの出会いからアイディアを得ました。次に私はベルファストに行き、人々と会うことを始め、それは私が相手の人間性を回復させ、紛争について理解する助けになりました。私は、刑務所や様々なグループから講演の依頼を受け始めました。

 

SI:あなたが初めてパトリック・マギーと会ったときのことを話していただけますか。

ベリー:パトリック・マギーは、2000 年に聖金曜日和平プロセス(イギリスとアイルランドの政府間の主要な国際和平合意)の一環として刑務所から釈放されました。彼はすでに IRAのメンバーではありませんでした。私は彼とダブリンの個人宅で会いました。彼は和平プロセスに熱心に取り組んでおり、自分が害した人々と会うことにオープンであったため、私と会うことを望んでいました。彼はとても礼儀正しく丁重であり、IRAに参加した理由を私に話し、私はベルファストへの旅と父についての話を彼にしました。彼には間違いなく気配りがありましたが、私の父を殺したことを正当化し、それは聞くに耐えませんでした。しかし、それから彼は話すのをやめ、私を見てメガネを外し、目を拭って私に言いました。「私は自分が誰であるか、もはや分りません。あなたの怒りと痛みに耳を傾けたいと思います。あなたを助けるために、私に何ができますか」。そしてその瞬間、私は彼が政治的な仮面を脱いだことを知りました。後に彼が語ったのですが、彼は頭からハートに移行し、すでに正当化していなくて、そしてその時から彼は暴力を使ったことで人間性をいくらか喪失していたことを悟ったのです。後に彼は何度も、私がそこまでオープンであることを期待していなかったと語りました。それが彼の心に触れたのです。彼は私の共感によって武装解除されたのです。

SI:つまり、彼はその会合で衝撃を受けただけではなかった。何かが彼を変えたということですね。

ベリー:はい。今でも彼は、その変化が持つ意味を体験する旅の途上にあります。パトリックが私と共に公に最初に語ったことの一つは、今では私の父と一緒にお茶を飲めただろうということを知っているということでした。彼が爆弾を仕掛けたときは人間を見ていなくて、単なる標的にすぎませんでした。そしてまた、保守党政権にとっても、IRAとお茶を飲むことは議題に上がっていませんでした。しかし、彼がそう思っているという事実は非常に重要です。なぜなら、もし人とお茶を飲むことができるのなら、尊重、共感、対話、互いに話を聞くことを意味するからです。彼の話を聞くことを通して 私に起こったのは、私がもし彼の人生を生きたとしたら、私はおそらく同じ選択をしただろうという理解に達したことです。私は、敵というものは存在せず、判断も非難もなく、許すべきものもないという認識を得たのです。

SI:そしてあなた方は、二人で一緒に活動されているのですね。

ベリー:はい、私たちは友人になりました。これは普通ではない友人関係です。私たちは、刑務所、学校、大学のグループに対して、または会議で、ヨーロッパ中で、ルワンダで、レバノンで、イスラエルで、パレスチナで話をしました。私たちは、自分たちのストーリーを話し、話をやめたときは自由に質問を受けました。人は、私たちのストーリーから彼らが必要とするものを得ます。後に、疎遠となっている人物に連絡しようと決心する人もいるかもしれません。また人は、人生の中で私たちが加害者と呼ぶ人物への見方を変えたり、彼らの中で何かを変えたりします。あるいは、彼らが必要とする何かを行う旅を続けようと感じるかもしれません。このストーリーを持っていることは光栄です。なぜなら、人に大きな影響を与えられるからです。人々はたちまち、自分の内奥の非常に深い場所に入ります。それは象徴的です。ステージの上に二人の人がいて、彼らは敵同士であったかもしれないのに、想像するような振る舞いはありません。それは通常とは違った視点を与えます。

SI:イスラエルとパレスチナでの活動に関して、何か付け加えていただけますか。

ベリー: 私たちは、愛する人を殺された両方の側の親たちの団体「パレントサークル(親の輪)」から、そこへ行くことを依頼されました。最初の日に、「平和のための戦闘員」という驚くべきグループがありました。私は、部屋の中に葛藤があることを知っていました。私たちは私たちの話をし、こう思ったことを覚えています。「私たちはなぜここに来たのだろうか。私は何をしているのだろうか。私たちの衝突はまだましだ。この人たちのように日常的にこの種の問題があるわけではない」。しかし、私たちが話すのをやめた後で、新しい会話を始める許可と安全を確保してから、彼ら同士で彼らの問題に関する深い会話を始めました。ある男性は、私たちがここにいるという事実は、私たちが気にかけていることを意味しており、それを彼らはとても感謝していると言い、また私たちが解決策を押し付けなかったことは素晴らしいと言いました。自分たちの衝突が違った形で映し出されているのを見て、それが贈り物であったと、彼は言いました。そのときこそ、私が次のように思った瞬間でした。「私はこの過程を信頼し、続けて行かなければならない。別々の紛争を経験した人々が集まりストーリーを語り合うことは、本当に役に立つと思う。自分たちのグループで聞いたとしても、そこでは耳を持たないようなことに耳を傾けることができるのである」

SI:許すことの概念について、あなたはどのようにお考えですか。

ベリー:私は、自分が言いたいことを説明する時間がない限り、許すという言葉を使わなくなりました。許すことは犠牲者に不適切な圧力を課すことになると、私は思います。彼らが許さないとしたら、彼らは良い人ではありません。許すことは旅であり、私は実際に思うことが多いのですが、人が「あなたを許します」と言うとき、それは許された人を何か『悪い』ことを行った立場に置き、それを言った人を『良い』立場に置きます。私は良い悪いを超えて見ているので、「境界のない共感」という言葉を使うことを好みます。それは、人の行いを許すこととは何も関係なく、誰かの行いの根本原因を理解することに関係しています。おそらく世界では、共感を全く持たない精神病質者はごく少数であって、ほんとんどの人はストーリーを持っていて、そのストーリーを理解することが本当に役立ちます。また、許すことはできない、許したくないと言いながら、それが本当に良い仕事をすることを妨げない驚くべき人々を私は知っています。本当に辛いか許すかどちらかという考え方です。私はそれほど単純ではないと思います。

SI:世界中での憎悪の明らかな高まりと、あなたの今日の活動との関連について、何かお話しになることはありますか。

ベリー:非難することは、今までになく受け入れ可能なことと見られており、私たちは皆、この非難の文化に挑戦する必要があると私は思います。私たちは、根本的に同意しない人々と対話し、異なった視点を持つ人々を共に集わせ、互いに話を聞かせる安全な場所をつくる必要があります。そしてそれは可能だと思います。それが起こり、人々が変わるのを私は見ました。様々な種類の傾聴のサークルやフォーラムがあります。また、バスの停留所や店の中でも、それを行うことができます。しかし、私は家で座って何もしないことがOKだとは全く思いません。私たちは、世界に愛と思いやりをもたらす変革者である必要があります。

詳しくは次を参照: buildingbridgesforpeace.org

 

*「編注: IRAは、20世紀と21世紀における、アイルランドでの複数の軍事勢力のいずれかであり、全アイルランドが独立した共和国であるべきだという信念に捧げられており、その目的を達成するためには政治的暴力が必要だと信じている」

写真:パトリック・マギー氏(左)とジョー・ベリー氏

 

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。