平和のための分かち合い

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 人は分かち合うとき成長する。今までこの単純なる真理にほとんど注意が払われなかった。多くの者にとっては、分かち合いは自然な当たり前のことである。しかしある者にとっては、その概念は異質なものであり、疑惑と苦痛に満ちている。そのような者たちにとっては、自分のものはすべて、ほとんど神聖にも近い権利によって彼らのものであり、分かち合うことは異質なばかげたことである。それでは、人類はいかで世界平和のための必須条件である分かち合いと再分配の方向に進むことができようか。

 今日どこを見ても、人間は分かち合うことのできない自分たちの無力の結果を見る。地球の至るところで何百万の人間が飢え、そして死んでいる。数え切れない人間が悲惨と絶望的貧困の中に生き、生まれた時から早期に墓に入るまで、苦しみ続ける運命にある。

 人間が地上に存在する理由を理解するようになるとき、変化はやって来るだろう──人間は広大なる進化の実験の一部であり、その目的は二、三を除いたすべてのものに隠されていることに気づくとき、彼ら自身が魂であり、唯一の超魂(オーバーソール)の部分であることを認識し、そして各々がお互いとのアイデンティティーを把握するとき、分かち合いは自然の秩序であり利己主義と貪欲は異常であることを理解するとき、分かち合うことが成長するためのチャンスとして見なされるとき、人は、彼らの悲しみと分離への訣別として、分かち合いを抱擁するだろう。

 その時は今、われわれの頭上にある。内的な力と外的な事象(イベント)の圧力が世界的規模で感じられ、人間の現状と見通しの再評価を引き起こしている。人間の無惨な搾取にさらされて、この惑星は無限に生命を支えることはもはや確かではなくなっている。核による絶滅の脅威が絶えず存在し、他方、経済競争と金融の混乱は数え切れない何千何百万の人間の日常生活をさいなむ問題を提起する。

 国家がこれらの問題を討議するために集うことは現在常識になっているが、それには大切な意味がある。そのような会合は、人間がこの惑星の執事としての責任に気づきはじめ、その状況を改善するための決定を行う用意ができていることの合図である。その決定のうちで一番初めに決められねばならないことは、分かち合う覚悟である。世界の資源がより公平に分かち合われるとき、人間の問題の半分は一夜のうちに消え去るだろう。すでに多くの者がこのことを自覚している徴候が現れており、分かち合いを呼びかける声が至るところでもちあがっている。賢者は分かち合いが永続する平和の唯一の基盤であることを予見し、そして若者たちの英雄も、彼らの人気ある声を添える。

 これは未来のために良い前兆である。なぜなら、それは人間が彼らの前にある選択──分かち合うか死ぬか──にやっと気づき、同胞愛と愛の精神で行動する用意があることを示しているから。人間はもはや彼らの運命を他人の手に──盲目で年老いた男たちの構成する政府に──任せておくことに満足せず、彼らの未来と彼らの世界を守るために直接に参加する必要を感じている。

 多くの者はいまだ恐れている。しかし「新しい時」の光は刻々と輝きを増す。多くの者が新しい時代の夜明けを希望と期待をこめて待ち、奉仕し、そして成長する機会を自覚している。彼らは自分たちが独りではなく、彼らのビジョンを分かち、同胞愛と平和を同じように待ち望む者たちに囲まれていることを知る。

 分かち合いを通してのみ、あのビジョンは実現されるだろう。分かち合いを通してのみ、あの平和は勝ち取られるだろう。それが今のこの時のメッセージである──分かち合って、神の反映となる存在へ成長しなさい。分かち合って、平和と愛の時代の幕開けをしなさい。

(シェア・インターナショナル誌1985年10月号)

編集部のコメント

 今月号が印刷に回される頃には、2月24日に近づいているだろう。1年前にウクライナでの戦争が開始された日である。世界の世論をさらに分断させた死と破壊の1年、いわゆる「核兵器の使用」が現実味を帯びる恐怖だけでなく、一層の国際的な不安定さがもたらされた1年であった。
 「裂開の剣」は、私たちが認知するしないにかかわらず、すべての人に選択を迫るという働きをし続けている。かたくなな意見もまた家族やグループを分断させる──それぞれの側が自分は英雄を支持していると確信するからである。

 空想じみているかもしれないが、裂開の剣は鋭さを増しているようである。人類に突きつけられた選択肢は一層はっきりしたものになっている。世界は選択することを求められている。最高の公共の利益、80億人全員のための協力的で健全で公正な未来を選ぶことや、正しい人間関係を創造し維持するすべてのものとそうした本来の在り方を分割し破壊するあらゆるものとを区別することが求められている。神の大計画に沿った未来、すべてのものが繁栄し地球の健康が保証されるような未来を望むならば、あらゆるものを変えるべき時であることは確かである。非常に商業化された生活様式の間違った価値観とそのあらゆる破壊的な影響を見限るべき時である。

 私たちは選ぶことを求められている。あつれきを招くひどい物質主義から抜け出せずにいるか、あるいは、すべての事柄を正しく和解させる解決策へ向けて働くか。そうした決定的に重要な選択をするとき、どちらかの「側(サイド)」を選ぶのではなく、「一つたること(ワンネス)」を、「和合」を選ぶことを目標とすべきである。平和を確実なものにするためには、多様性という現実を受け入れ、協力し交渉する方法を探ることが不可欠である。
 歴史や論理、常識といったあらゆることは、この惑星と私たち自身を含むすべての種の生存を第一の優先事項にすることが急務であり、戦争を終わらせなければならないことを示唆している。交渉が、永続的な平和への唯一の方法である。

 今月号の内容と、過去42年にわたって発行されてきたシェア・インターナショナル誌の全般的な目標や論調が、「いのち」への畏敬の念を呼び起こし、この惑星や人類同胞への愛を喚起し、さらにマイトレーヤと覚者方への、そして「神の摂理」という事実への愛と感謝の念をかき立てるのに一役買い、そのようにして私たちが和合を選択し多様性を受け入れ始めることを期待したい。

 ベンジャミン・クレームの師はそれを次のように表現しておられる。
「賢者は分かち合いが永続する平和の唯一の基盤であることを予見し、そして若者たちの英雄も、彼らの人気ある声を添える。
 これは未来のために良い前兆である。なぜなら、それは人間が彼らの前にある選択──分かち合うか死ぬか──にやっと気づき、同胞愛と愛の精神で行動する用意があることを示しているから。人間はもはや彼らの運命を他人の手に──盲目で年老いた男たちの構成する政府に──任せておくことに満足せず、彼らの未来と彼らの世界を守るために直接に参加する必要を感じている。

 多くの者はいまだ恐れている。しかし『新しい時』の光は刻々と輝きを増す。多くの者が新しい時代の夜明けを希望と期待をこめて待ち、奉仕し、そして成長する機会を自覚している。彼らは自分たちが独りではなく、彼らのビジョンを分かち、同胞愛と平和を同じように待ち望む者たちに囲まれていることを知る。
 分かち合いを通してのみ、あのビジョンは実現されるだろう。分かち合いを通してのみ、あの平和は勝ち取られるだろう。それが今のこの時のメッセージである──分かち合って、神の反映となる存在へ成長しなさい。分かち合って、平和と愛の時代の幕開けをしなさい」

三つの大きな霊的祭り――選集

The three major Spiritual Festivals ── a compilation

「三つの大きな霊的祭り」というテーマに関する引用文の選集を掲載する。引用文は、マイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』)、アリス・ベイリーを通してのジュワル・クール覚者の言葉(『キリストの再臨』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第1巻と第2巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

 毎年春が近づくと、霊ハイアラキーは4月、5月、6月の春の三つの祭りの準備をする。毎年その年が近づくと、光を求め、奉仕することを願う者が、より十分に、より効果的に奉仕することができるように、わたしたちは計画を始動させる。……
 この高まった活動の時を、わたしたちは霊的推進と呼ぶ。そしてこの期間に、すべての霊的活動は何倍にも力を強化されるだろう。あらゆる種類の霊的活動が、それがどのような伝統や信仰に起源するものであれ、この数カ月の間に高揚を見、もしこの機会を十分に利用するならば、多くのことが達成されるだろう。奉仕し、世界をより良きものにすることを願う者はすべて、これらのエネルギー(フォース)に接触し、これを使い、そしてそれらを自分たちの人生の中に顕現させることが義務である。
 わたしたちは人間の中に、責任の分かち合いについての新しい意識を確立することを求める。一致協力した行動の味を、彼らの中に目覚めさせることを求める。わたしたちはこの二つが顕現できるような条件をつくるように努め、そのようにして変化に導く。すべてがエネルギーである。エネルギーのみが存在する。人類という中心(センター)におけるこれらの高度のエネルギーの影響を通して、世界に新しい雰囲気を生み出すことを求める。

(『覚者は語る(1)』─重要な機会─より)

問 「霊的促進(スピリチュアル・プッシュ)」を通してくるエネルギーはメディアに向けられたのですか、そしてそれはマイトレーヤを世界の舞台の前面に出しますか。(1984/6)

答 「霊的促進」を通して放出されたエネルギーは特定のカテゴリーの人々に向けられたのではありません。それはむしろ、新しい雰囲気をつくり出し、そのなかで国際関係に関してより良い決議がなされることが望まれたのです。世界の緊張の緩和や状況の改善はすべてマイトレーヤの出現を促進します(彼の降臨の条件を満たしますから)。しかしエネルギーが「マイトレーヤを世界の舞台の前面に出す」と、単純に言うことはできません。……

(『マイトレーヤの使命 第1巻』)

満月

問 お祭りがなぜ満月の時に行われるのですか。(1977/5)

答 満月の時には、エネルギーがより多く得られるからです。エネルギーの導管が開かれ、より強力になり、より得やすくなるのです──この時期にだけエネルギーが強力であるというのではなく、ただ人類にとっては、最も同化しやすい時なのです。満月の時には、そのエネルギーに波長を合わせ、それと整列し、同化しやすいのです。
 ジュワル・クール覚者の言葉によると、あたかも太陽と月の間の扉が全開されたかのようであり、霊的な性質の行事を可能にさせるのです。月はいつでもそこにある。しかし、満月の時には、地球に対してその導管が最も開くので、他の時期よりも人間がハイアラキーにつながりやすくなります。

(『世界教師「マイトレーヤ」と覚者方の降臨』)

 世界中至るところで満月の時に──三大祭りの時には特に、またその他の九回の満月の祭りにも──グループが集い、この時期に特に満ちるエネルギーに波長を合わせています。満月の時には、普段流れている他のすべてのエネルギーを条件付ける独特のエネルギーがあります。特に三大祭りには、大いなる神のエネルギー、光と愛と意志のエネルギーが入手できます。祈願文や瞑想を通して多くのグループは、この時期にことさら得やすい、大宇宙と黄道帯から流れ出ずるエネルギーに波長を合わせ、地上に固定させ、伝導することを学んでいます。

 (『世界教師「マイトレーヤ」と覚者方の降臨』)

24時間伝導瞑想

問 (1)24時間続ける伝導瞑想は通常の定期的な伝導瞑想と比較してどのように違うのですか。
(2)時間帯によってはわずか3人位の人数になってしまう24時間の伝導瞑想をやるよりも、例えば10時間とか5時間位、10人か20人くらいの人数で、本当に意識を集中させてよく伝導する方がずっと良いのではありませんか。

答 (1)24時間の伝導瞑想はまず時間がずっと長いということ。またそれは1年にわずか3回、すなわちハイアラキーのとり行う春の主要な祭り、復活祭とウエサク祭と人類の祭りの時にのみ行われるということ。
(2)この質問に対する答は条件つきの肯定です。しかしながら、春の三大祭りは世界中のグループが一緒に強力なリズムを確立するためのユニークな機会を提供してくれます。24時間中、ハイアラキーはすべての活動的なグループを一緒にグローバル(全地球的)な光のネットワークに結びつけることができます。ハイアラキーは光のネットワークを絶えずつくっており、それを強化しております。また強力な心理的要素が含まれています。すなわち、この三つの祭りを祝うことで推進される志向と奉仕へのさらなる刺激です。

(『伝導瞑想』)

問 5月にウエサクの満月の祭りが行われます。正確に何が起こるのですか。

答 ウエサク祭はヒマラヤ山脈の谷間で(エーテル界のレベルで)行われ、それはとてつもない素晴らしいイベントです。この谷間に大きな石があり、その上に水を一杯に満たした大きなクリスタルのボールが置かれます。霊的ハイアラキーのメンバーのすべて──3人の大主、チョハン、覚者、イニシエートなど様々な階級を含むすべて──が勢揃いし、入り組んだパターンの儀式的なムーブメント(動き)を演じます。やがて月が地平線の上に昇ると、仏陀が(ゴビ砂漠のエーテル界上にある)シャンバラから来られて、クリスタルの器の上空を徘徊され、水を(エネルギーで)充満されます。仏陀はシャンバラのフォース(エネルギー)を3人の大主──キリスト、マヌ、マハチョハン──に放出されます。これは強力な第1光線であり、意志と目的のエネルギーです。それは3人の大主方の間で循環し、貯蔵されて、その年の終わりまでに徐々に世界の中に放出されていきます。この時が、仏陀が日常の世界に最も近づいて来ることのできる機会であります。仏陀はマイトレーヤの到来に非常に密接に関連しております。仏陀とマイトレーヤは兄弟であり、時の始まりから世界における彼らの使命のために準備されてこられたのです。

(シェア・インターナショナル誌1990年6月号)

問 双子宮(ジェミニ)の満月のキリストの祭りには、何が起こるのですか。(1977/5)

答 双子宮(ジェミニ)の満月の日がキリストの祭りです。それは人類が神に近づくのを祝うお祭りです。新しい世界宗教では、毎月満月の日に神に向かって強く統一された接近を行うでしょう。特に春の三大祭りの4月(白羊宮(エアリス))、5月(金牛宮(トラウス))、6月(双子宮(ジェミニ))において、世界中でそれらの祭りが同時に祝われるのです。……
 6月の祭り、双子宮(ジェミニ)の祭りは、まずは人類の祭りです。今日ではキリストの祭りと呼ばれていますが、これは人類兄弟の最年長の兄としてのキリスト・マイトレーヤの祭りであり、ハイアラキーのキリストだけでなく人類の代表としてのキリストです。何にもまして、それは善意の祭りであります。すべての人類の幸せを願う思いを分かち合うこと、これが善意と呼ばれるものです。

 (『世界教師「マイトレーヤ」と覚者方の降臨』)

 善意の祭り。これは人類の心──神に向かって志向し、神の意志との和合を求める心──の祭りであり、正しい人間関係の表現に献げられる。これは毎年6月の満月との関連で決められるだろう。人間の霊的な神聖な特質が認識される日であろう。(過去)2,000年の間この祭りの日に、キリストが人類を代表して霊ハイアラキーの前に立ってこられた。そしてシャンバラの目には、神人として、彼の民のリーダーとして、そして「多くの兄弟のうちの嫡子」(ロマ書8章29節)としてキリストは立たれた。毎年この日に、彼は集合したハイアラキーの前で、仏陀の最後の説教を説かれた。であるから、これは同胞愛への基本的志向と人間的霊的和合の深い祈願と訴えの祭りであろう。そして人類の意識にある仏陀とキリストの仕事の効果を代表するだろう。

(アリス・ベイリーを通してジュワル・クール覚者、
『キリストの再臨』シェア・ジャパン出版)

 三つの大きなお祭り、復活祭の祭り、1カ月後にウエサクの祭り、そしてまた1カ月後にキリストの祭りが世界中で同時に祝われるようになるでしょう。その他に九つの祭りが、一年の他の9回の満月の時に祝われるでしょう。三大祭りが新しい世界宗教の中心的な行事になり、それぞれを通して神への大接近をなす──神の光と神の愛と神の意志を請い願うことによって、それが地球にしっかりと錨を下ろし、人類に注がれるようになります。

 (『世界教師「マイトレーヤ」と覚者方の降臨』)

臨死共有体験のベールを剥ぐ──第二部

ジェイソン・フランシスによるウィリアム・J・ピーターズ氏へのインタビュー

シェア・インターナショナル誌(以下SI)2月号に掲載されたインタビューの第一部で、ウィリアム・J・ピーターズ氏は、自身の臨死体験や死期が迫っている人と接する仕事を通して、生涯にわたり、「臨死共有体験(SDE)」を探求することになった経緯について語った。SDEでは、遺族や介護士が、臨死体験のように、死期が迫っている人があの世へ旅立つ際に立ち会うものである。第二部で、ピーターズ氏は、医療関係者のSDEに対する見解、人が亡くなる前、亡くなる最中、亡くなった後に起こり得る様々な体験、SDEが介護士や遺族に与える重大な変化、癒し、慰めについて話した。

SI:医療関係者が、こうした体験を生物学的に説明したいと思う気持ちは分かります。しかし、医師や医療スタッフは、末期患者であろうと心臓発作、事故などで突然死する患者であろうと、死期が迫っている患者をケアするわけですから、時に終末期の現象に遭遇することもあるのではないでしょうか。

ピーターズ:ベテランのホスピス職員──看護師、CNA(認定看護助手)、そして死期が迫っている人と直接係わる人、この場合は介護士や故人が愛する人たち──の多くは、こうした経験を興味深い出来事として知っています。つまり、いつも経験しているわけではないのですが、ベテランのホスピス職員は気づいています。しかし、それを解明する方法はたくさんあります。医療スタッフは、こうした経験をカルテに記入するのに有効な言葉を持っていません。医学用語では、これを「終末期現象」と呼びます。そういった現象が見られるということを知ってはいますが、それに対して何もしないし、何か意味があるとも思っていません。実際、それは良い定義なのですが、視覚的に表現できないのです。「終末期現象」として文献に載ってはいますが、患者の治療には何の役にも立ちません。

 実は、それこそが肝心なのです。この終末期現象は、人間が経験することの本質を語っています。魂、精神、意識は、死後または生前のビジョン、あるいは臨検においても、こうした臨死共有体験や他の終末期現象の中で明らかにされています。私たちが知っているこうした現象はすべて、死と臨死の際に起こっています。しかしながら、医学界の主流はあまりそのことに触れようとしません。実際、死期が迫っている本人、その介護士や愛する人がこのような体験をしているのを見ると、「そんなのは幻覚だ」と疑ってしまうケースもよくあります。疑ったり、否定したり、非難したりすることがあるのです。介護士や愛する人の場合、医学的な精神鑑定が必要だ、などの非難を受けます。そうした体験は、健康的で正常な反応ではないため、深い悲しみによって起こる幻覚あるいは解離だ、と医学界の人は言うでしょう。今ではもうあまりないのですが、もし強い臨死共有体験をしたことがある人がそれを陶酔的に語り始めたら、いわゆる精神崩壊を起こしたと思われるのです。

歓迎されていること

SI:SDEでは、すでに亡くなっている家族や友人、あるいは死者を出迎える者たちが、亡くなる人を待っている姿をどれくらいよく見かけますか。

ピーターズ:臨死共有体験の報告書では、51%の人が、死期が迫っている人が死後の世界の初期段階へ旅立ったり、向かったりするのを見たと言っています。16%の人が、私が「高次元の霊的存在」と呼んでいるものを見たと報告しています。それは、霊的ガイドであったり、天使であったり、光の存在であったりします。これらの高次元の存在は様々な表現で呼ばれています。今説明したばかりの三つの形態を取り得る存在の中で、私が最も興味を持っているのは、「指揮者」と呼ばれる存在です。指揮者とは、現世から死後の世界への移行を管理する存在、または力のようなものです。その形はいろいろです。人間の特徴を持っていますが、天使や霊的存在のように見えることがあります。指揮者は目に見えないことがあります。目では見えませんが、感じることはできます。場合によっては、死者を歓迎する側は、その力が実際に死ぬ間際の人の体から霊や意識を動かして、あの世に運んでくれるのを待っているのです。SDE体験者の約13%が、亡くなった母親、父親、叔父、叔母、親友など、死ぬ間際の人以外の愛する人を見たと報告しています。

 そうした人たちはしばしば、いわゆる「お迎え」や死者を歓迎する側となっています。臨死共有を体験した人たちが、お迎えの存在を見たとか、死期が迫っている人のために、「お帰りなさい」といった趣旨のお祝いが用意されていたという報告を受けることがあります。「彼が来る、彼が来る」と言いながら駆け回るなど、それはお祭り騒ぎのようです。人が少なくても、多くてもかまいません。私が「人」と言ったのは、体験者がその人たちを、死ぬ間際にいる人の生前の姿として認識している、あるいは、もはや転生していないけれども霊魂の中に存在しているという意味で、人だからです。そのようなお迎えという形で、死ぬ間際にいる人が愛する人や友人に歓迎され、大事に思ってもらえていると知ることは、体験者にとってはとても励みになり、前向きで、肯定的な体験となります。

SI:臨死共有体験をするためには、亡くなりかけている人のベッドのそばなど、物理的に近い場所にいなければならないのでしょうか。

ピーターズ:記録されたSDEのうち、64%は遠く離れたところで起こっています。つまり、ベッドのそばではなく、死期が迫っている人の視界に入っていないということです。それは、廊下の先、家の別の場所、町の向こう側、地球の反対側かもしれません。ですから、近さは関係ありません。

継続的な絆

SI:人が亡くなる前、亡くなる時、そして亡くなった後に起こる様々な体験を「終末期体験における現象」と名付けておられますが、それについてお話しいただけますか。

ピーターズ:それは、亡くなる前に見た映像やなされた訪問と同様で、亡くなる前の兆候です。また、死後に見た映像やなされた訪問のことでもあります。死期が迫っている人の窓に鳥が集まってきたり、死の間際にいる人に近づくために猫がベッドに飛び乗ったりするなど、動物の奇妙な行動と関係があるシンクロニシティ(意味ある偶然)ということもあります。記念日や誕生日など、人々の生活の中で重要な日付がデジタル表示されるといった、珍しい電気的な事象もよくありますが、それがいつも起こるのです。私は最初、こういったことは介護士や遺族の心の中でつくられたものだと思っていましたが、偶然の一致をはるかに超えているということが、統計的な分析から分かっているので、今はもうそうは思いません。つまり、エネルギー的あるいは電気的に起こっていることがあり、どうも死を越えたコミュニケーションがなされているようなのです。

 私たちは、亡くなった方と残された遺族の方の間に、意味深長な言葉、シンクロニシティ、コミュニケーションを示唆する出来事などの形で、継続的なコミュニケーションが存在するとき、それを「継続的な絆」と呼んでいます。あるいは、鳥が今まで見たこともないような方法で、遺族の近くに飛んでくるといったような動物の行動があります。遺族は、鷹がコミュニケーションをとろうとしている、あるいは近づこうとしているように感じるでしょう。いろいろな例があります。また、私は海岸の近くに住んでいますが、人々が海岸を歩き、徴を求めると、海の哺乳類がジャンプしたり、クジラが現れたり、アザラシが型破りな方法で気持ちを表したりするなど、驚くべき壮観な行動を見ることができます。これらは、遺族と故人の関係が続いていることを示唆する、とても大切な体験です。こうした体験を尊重することは、非常に治癒的な効果となります。

SI:SDEの研究で印象的だったことの一つに、子供のときに亡くなった人が、あの世で大人になっているように見えるということがあります。それについてSDE研究ではどのような解釈がなされているのか、お聞かせください。

ピーターズ:悲しいことに、私たちの調査では、親が出産時や幼児期に子供を亡くすという話がたくさんあります。そして同様に、思春期の子供を溺死や交通事故で失う親もいれば、薬物の過剰摂取などで不幸にも突然失う親もいます。このような場合、親が、今は魂になっている子供と交流するとき、その子供は成長していることがほとんどです。彼らはどこかで自分の人生を歩んでおり、年を重ねて一人前になり、成長したことが明らかです。そのことにショックを受ける親も多いですが、もはや人間界にはいない自分の子供が、別の場所で人生を歩んでいて、進化し、成長していることを伝えるものであり、親にとっては意味があることなのです。

転機をもたらす体験

SI:他にもっと良い言葉がないのですが、どちらかと言うとありきたりのSDEであっても、もっと素晴らしいSDEと同じくらい深い印象を与え、人の見方を変えることができるのでしょうか。

ピーターズ:体験者にとっての変容や治療の価値を決めるのは、現象の強さや素晴らしさではありません。それは、個人がどのように自身のSDEと関わっていくかということに非常に関係しています。体験者は、この体験の全体像を受け入れ、この体験の豊かさ、自分自身や亡くなった大切な人との関係、そして人生そのものの本質について理解することを含む、自分自身の意味づけのプロセスに取り組むときに、最大の恩恵を受けます。これらのSDEはすべて、人間の経験や実在の本質に対する自分の信念や認識を再形成するという、かなり過激な要求を伴います。この体験を自身が完全に受け入れないと、そうした変容の体験は得られません。それは、多くの人にとって難しいことです。なぜなら、教育制度で学んだことや、何らかの信仰、伝統の中で育ってきたことと一致しないからです。そのような枠組みの中にうまく収まるかどうかは別のことなのです。

 こうした体験者の多くは、課題を抱えています。この体験を完全に受け入れれば、自分自身に対する見方、愛する人との関係、人生そのもの、そして人生の意味を深く変えることになります。なぜなら、それは間違いなく、人間の存在をより大きな現実の中に位置づけるからです。「より大きな現実」とは、死後の世界が存在するということです。そして、この次元には、私たち全員を待っている何かがあるのですが、その「何か」は、より究極でリアルな、そして「より以上」のものなのです。表現するのは難しいのですが、それが、よく耳にする究極の現実です。この人間の一生は夢です。言うならば、それこそが真の究極の次元なのです。

SI:愛する人があの世に行くのに同行するという、かなり異例なSDEを体験した場合、その人が超えられないレベルというのはあるのでしょうか。

ピーターズ:霊的領域にはいわゆる境界、あるいはボーダーと呼ばれるものがあり、それがSDEの特徴です。これはいろいろな形で出てきます。しかし、ほとんどの場合、体験者は、死の間際にいる人があの世へ向かう際にある程度付き添った後、その時点で、死の間際にいる愛する人のそばに居続けることが望まれていないことに気づきます。多くの場合、それは単なる気づきにすぎません。あの世に向かっている愛する人と残された者の間にある種のコミュニケーションがなされるときがあります。それは、「一緒に付き添ってくれてありがとう、そして、この人生を私と一緒に過ごしてくれてありがとう」というようなものです。そして、そのコミュニケーションの中で、残された者は、自分の仕事は終わった、もうこれ以上進むことはない、という感覚を持つのです。「ああ、ここまでだ」と気づいたその瞬間、人間の体に戻っているのです。そのほとんどは、体験者が得たコミュニケーションや気づきにすぎません。

 場合によっては、お迎えの存在と出会うことがあると、「お帰りを祝う歓迎の会に招かれていない」という感覚になるようです。愛する人が温かく迎え入れられるのを見たり、聞いたりすることがあるかもしれませんが、会そのものに招かれることはごくまれです。たいていは門やドアの後ろにいることになります。そうした会のことを聞いたとしても、実際にその中に入ることはできません。ただ、そうした会の部屋の中にいたけれど、会は実際のところ始まらなかったというケースもわずかながらあります。その時点で、「ああ、愛する人を歓迎する会なのに、私は招かれていない」と実感するのです。

 ソーニャという一人の女性が、親友と一緒に川を渡り、長い梯子を上って天空に向かうという素晴らしい旅に同行した例があります。それは大変な旅でした。ようやくたどり着いた部屋では、ウエイターやウエイトレスたちが歓迎の会の準備をしていました。ソーニャは、「もうすぐダンサーたちが来るけど、まだここには来ていない」「料理の準備がまだできていない」「参加者がまだ到着していない」と言っているのを聞いたと説明しています。また、自分の友人を迎える会である感じがして、友人を失うことになるという感覚があったと話しています。

 その瞬間、ソーニャは感情がこみ上げてきて、友人に対する愛を表します。その瞬間、彼女は自分の体に戻り、友人が死んだことに気づき、多くの悲しみを感じています。しかも、この体験は、遠く離れたところで、ソーニャが眠っている間に行われたため、友人が亡くなったことを彼女は知らなかったのです。これは夢ではありません。これは幻想の世界であり、その過程の中で、ソーニャはそこに友人と一緒にいます。彼女が人間界で目を覚ますと、時刻は真夜中で、友人が死んだことに気づきます。彼女は何人かの友人に電話をして、その友人がその日の早い時間に亡くなっていたことを知ります。

癒しと慰め

SI:SDEがもたらす癒しと、悲嘆に暮れているときにSDEが与える安らぎについてお聞かせください。

ピーターズ:私は心理療法士として、このような体験が介護士や遺族にもたらす癒しと治療の効果に最大の関心を寄せています。私たちの調査で分かっていることは、80%あるいは90%以上の人が、亡くなった大切な人が慈愛に満ちたあの世で元気に生きていると知っているということです。非常に多くの場合、体験者は死に対する不安が軽減されたと言っており、「私は人間の死を乗り越えて、その後、あの世に行くと知っています」と、よく口にします。心理療法では、悲嘆と悔悛〈ルビ:かいしゅん〉のプロセスと呼ばれていますが、体験者の悲しみのプロセスが強化されるのです。

 大切な人を亡くしたとき、苦しみや悲しみ、憂鬱な気持ちを抱くのは自然なことであり、当然のことです。悲しみは、深い愛の代償だから苦痛なのです。そして、悲しみは痛みを伴うことがあります。臨死共有体験では、そのような感覚はありますが、そういった情緒的な体験を「人生とはこういうものだ。これは自然の摂理であり、すべて大丈夫だ」という大きな文脈の中でとらえることができます。大切な人がどこにいるのか、大丈夫なのか、不安になることはありません。大切な人と再会できるかどうか、あれこれ考えることはありません。「ああ、どこかで再会するのだろう」という実感があるのです。悲しみと悔悛のプロセスは強化され、亡くなった大切な人が無事であることや、また会えること、そしてそれが自然の摂理であることを知ることの意味が刻み込まれます。そうすることで、悲しみがより和らぐのです。

SI:家族や友人が自身のSDEについて聞いたとき、人々はどのような反応をする傾向がありますか。

ピーターズ:それは本当に、その家族や愛する人の考え方や信条によります。SDE体験者のほとんどは、自分の体験を人と共有することに不安や警戒心を抱いていると言えるでしょう。愛する人と共有する場合、自分の体験が疑われたり、否定されたり、本物ではないと思われることを恐れたりするので、かなり抵抗があります。ですから、その経験をどう共有するかについては、非常に口が堅くなります。これまで何百人もの方にSDEについてインタビューをしてきましたが、彼らが経験を共有した人は、私たち(インタビューチームと私)が1人目、2人目、あるいは3人目かもしれないという話をよく聞きます。誰かと自身の体験を共有したり、自分の体験が何らかの形で損なわれてしまったりするというリスクを負うことに不安を感じるのです。しかし、そうした現実に関して何が悲しいかと言うと、そのような話を共有することで、人々は癒されるということなのです。もし、愛情深く、支援をしてくれて、かつ知識がある人々と自身の体験を共有するならば、「素晴らしい! あなたは本当に素晴らしい贈り物を受け取ったのですね。亡くなった大切な人がどこかで元気に生きていることを知っているなんて、とてもすてきな贈り物です」といった言葉を言ってもらえるでしょう。そのような深い話を共有した後に、愛する人からそういった言葉をもらえるなら、その経験を、悲嘆のプロセスだけでなく、自分の存在、自分自身の見方、世界との関係性と、より深く統合することが本当にできるのです。

 これは、シェアド・クロッシング・プロジェクトの目標の一部です。つまり、この深遠で神秘的な終末期の体験に対する認識を高めることを通して、人々の死と臨死との関係を変革することです。私たちの使命の一つは、人々が集まって終末期の体験の話を共有することで、互いにつながり、肯定し合い、そうすることで生命と宇宙の美しさと尊厳に対して感嘆の念を覚えるようにすることです。

SI:シェアド・クロッシング・プロジェクトの活動についてお聞かせください。

ピーターズ:シェアド・クロッシング・プロジェクトでは、皆さんがシェアド・クロッシング体験についてもっと学ぶためのプログラムやトレーニングを行っています。このような体験に関する教育こそが、何が可能で、どのような終末期を過ごすのが最善なのかについての人々の考えを変えることに貢献するのです。これらのプログラムは、一般の人々や医療関係者に、SDEやシェアド・クロッシングに関する幅広いリソースや情報を提供するとともに、あなた方自身やあなたの愛する人が、こうした深遠で癒しのある終末期体験をどうすればできるのかについて、私の認識やその方法を伝えるものです。興味のある方はsharedcrossing.comのストーリーライブラリーで、臨死共有体験者本人が話している動画をご覧ください。また、このサイトでは、他の有用かつ補足的なリソースを見つけることもできます。

詳細については次のサイトをご覧ください。

www.sharedcrossing.com

ウィリアム・J・ピーターズ『天国のドア──死後の世界への旅を共有することがよりよく死によりよく生きることを教えてくれる(At Heaven’s Door: What Shared Journeys to the Afterlife Teach About Dying Well and Living Better)』(サイモン& シュスター、2022年)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

覚者はすぐそばに

 2023年1月22日の日曜日、私が午前中に瞑想をしていた時、突然チベット人の覚者の顔が現れ、次にナイロビに現れた時のキリストの顔が、それから水のボウルを抱えたイエスの顔が現れました。両目はまだ閉じたままで、私が思ったのは「彼はチベット人の覚者に見える」ということでした。それから再び顔が同じ順序で現れました。私は混乱しました。彼らは私にメッセージを与えたかったのでしょうか。それとも私を励ますためでしょうか。私には分かりません。
 私に言えることは、それらの幻影がまだ私の頭に残っているということです。
 数日後の水曜日、Zoomでの伝導瞑想があり、私は参加するためにコンピューターを立ち上げました。瞑想開始の少し前までビデオを見ていたのですが、午後7時57分に誰かがトントンと机を叩いて、瞑想の時間になったことを私に知らせてくれました。この知らせがなければ、参加し損なうところでした。

テレーズ・デリッセン
ベルギー、ジャンブ(ナミュール県)

マイトレーヤと手を取り合って

 私の父の人生最後の一週間になった、今年[2022年]の5月中頃、(父は94歳になったばかりで)母のヘールチェは定期的に父のベッド脇に座って、マイトレーヤの『手』のカードを膝の上に置き、それに片手を重ねていました。もう片方の手で父の手を握っていました。それが父を落ち着かせたようでした。
 現在、母は自宅で朝と夜にケア・サービスを受けています。数人のケア担当の方たちが、時折母の隣に座って母の手を握りました。その間、母は父といた時のように、もう片方の手をマイトレーヤの手のカードの上に置いていました。そして10分間、一緒に座っているのです。ケア担当の方たちが自分自身の身体を通して、エネルギーと温かさが流れるのを感じたと言っています。とりわけ必要な場所にエネルギーが流れたそうです。同じことが時々、母を訪ねてくる他の人々にも起きています。そうした人たちは、マイトレーヤの手のカードを使うことに対して心を開いています。

イェルケ・デ・フリース、ヘールチェ・デ・フリース・クリーク
オランダ、ベルゲン

『分かち合いが世界を救う』写真展

 シェア・インターナショナル誌2023年1月号の4通の手紙を読んで、とてもうれしく思いました。フランスのメンバーたちの『分かち合いが世界を救う』写真展の準備や、開催中の体験について書かれている手紙に、私は感謝を捧げたいと思います。
 2008年の初め頃、私はまさに同じ展示目的のために、シェア・インターナショナル誌の裏表紙を選ぶ作業を数週間にわたって行いました。しかしその作業は、そうした資料の使用を希望する教師や講師に向けての支援用セットを用意するためでもありました。あの手紙の筆者たちのように、写真や引用文に向かって作業をしても、エネルギーや何か不思議なものを見たりすることはありませんでした。けれどもその数週間の探求や絶え間ない考察によって、世界資源が貪欲によってではなく必要によって分かち合われることへの切実な必要性に対して、ますます敏感に反応するようになり、さらに非常に希望に満ちて、溢れる愛を感じるようになりました。そのような感情的な苦悩にもかかわらず、私は強くもなりました。こうしたことは、長時間にわたってそのような資料に取り組んだことによる蓄積された効果としか考えられません。
 もし若い人たちがそれら[雑誌の資料]との持続した探求的な関係へと導かれたなら、私がそうだったように彼らもまた感動を覚えて、どのような世界を、なぜ望むのかについて、より意識的に考えるようになることを期待しました。しかしそのようにはなりませんでした。私たちのグループは何とかいくつかの図書館や二、三の学校で展示を行いましたが、英国では、人々の頭の中にあったのは別の物事、とりわけ株式市場の崩壊か緊縮財政のどちらかのようでした。当時、不平等の影響は、現在のように生々しくも全般的でもありませんでした。当分の間、人々の認識を高めるという広報の仕事の側面は休止状態に入りました。
 最新号のあの手紙を読んで、はっきり言って手紙で報告された体験のメッセージは、私には明確なものです。時代は急速に変化しており、写真展示の『心を開かせる』力を人々はより一層受け入れるようになっていくでしょう。

ポーリン・ウェルチ
英国、ミルトン・キーンズ

正しい住所

 2022年7月の中頃、私たちは新しい場所で伝導瞑想を始めましたが、私がこれまで行ったことのない所でした。私が建物に到着した時、玄関で正しい部屋番号とブザーを見つけようとかかりきりになっていました。ちょうどその時、一人の若い男性が私に話しかけてきて、正しいドアベルを見つける手助けをしてくれました。彼から伝導瞑想に参加するために来たのかを尋ねられたのです。それから彼は、私が探している部屋は42号室で、そこにフィリス・クレームが住んでいて、瞑想グループが集まっていると教えてくれました。
 不思議なことに、フィリスは最近その地域の建物に引っ越したばかりで、そのアパートの建物で一人か二人の人にしか会っていなかったのです。彼が今教えてくれた情報について知っている人は、そこにはいませんでしたし、フィリスはそこでの伝導瞑想を始めたばかりでした。たまたまこの体験をフィリスと他の人たちに話した時、彼女は近所の人たちに瞑想について何も伝えていなかったので、非常に驚き、心底びっくりしていました。その時居合わせた他の人たちは、その気さくで情報通の男性が代弁者で、おそらくフィリスを元気づけるためにやって来て、ハイアラキーが彼女の新しい住所をよく知っていて、彼女を応援していることを伝えていると考えていました。彼女が気がかりだったのは、引っ越しでかつての『十分にエネルギーが満ちた』伝導瞑想ルームを離れて、もしかすると新しい場所での瞑想は同じように『機能』しないかもしれないことでした。
 このことは、私が長年にわたって実践し、多くの癒しをもたらしてくれたこの瞑想法への祝福だと思いました。

ミシェル・C
英国、ロンドン

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。そのいずれもこれまでシェア・インターナショナル誌に未掲載のものです。

彗星──宇宙の織物を織る

 2023年2月1日、5万年ぶりに「グリーン彗星」が地球に接近した。5万年ぶりにそれは再び地球の近くを通過した。アメリカの宇宙機関NASAは2023年1月初旬に、天文学者が2022年3月にツヴィッキー掃天観測施設の光学望遠鏡によって初めてグリーン彗星を見たと報じた。
 読者は以下のベンジャミン・クレームによる彗星に関する質問への回答に興味を寄せるかもしれない。

コホーテク彗星

「この彗星がわれわれの太陽系を横切ったとき、強力な統合のエネルギーの力が放出されました。統合のエネルギーの力はこの惑星にも、他のすべての惑星にも同様に、非常に大きな影響を及ぼします。この彗星が統合のエネルギーを流し込んだおかげで、太陽系全体が非常に大きく前進するでしょう。今、起こっているイニシエーションのプロセスの一部です」

(『世界教師「マイトレーヤ」と覚者方の降臨』1982年)

 彗星は異なった振動のエネルギーと物質を銀河のある部分から他の部分へ運び、それによって銀河系システム全体に複雑なネットワークをつくります。それが現れるところに、未来の開発の種を播き、かくして「そのお方について何も語るべからざる御方」の、銀河系に魂を吹き込まれる想像し難いあの霊存在の、大目的を遂行しています。

(シェア・インターナショナル誌1986年1/2月号)

Q:ハレー彗星が「エーテルの織物を織っている」のだとすれば、(1)スペース・シャトルは、そのエーテルの織物の保護のため、彗星の近くを飛びことになっていた探査機を発射するのを妨げられたのですか。(2)エーテルの網の目の意味は何ですか。

A:(1)いいえ、彗星とスペース・シャトル事故の間に関連はありません。それは純粋に技術的な理由でした。(2)彗星はエーテルの織物ではなく「宇宙のカルマの織物」を織っています。異なった振動のエネルギーを銀河のある部分から他の部分へ運び、それによって様々な太陽系の未来の開発の『カルマの種子』を播いています。

(シェア・インターナショナル誌1986年3月号)

Q:彗星は太陽系間で「振動」を交換すると言われますが、惑星間で魂のグループも交換しますか。もしそうならば、ハレー彗星やコホーテク彗星もそのような機能を果たしたのですか。

A:いいえ。惑星間での魂のグループの交換は、ずっと「地方的な」レベルで起こります。彗星の活動は銀河レベルです。

(シェア・インターナショナル誌1986年9月号)

Q:それぞれの彗星は、魂を吹きこんでいるロゴスを持つのですか。

A:いいえ。太陽系と惑星だけがロゴスを持ちます。

(シェア・インターナショナル誌1994年7/8月号)

Q:英国では、多くの人々が今日、ミステリー・サークルになじみがあり、それがUFOによって作られたと信じている人々もいます。でっち上げであると言う人もいます。何が本当なのでしょうか。

A:ミステリー・サークルは最も精巧な構成を持ち、美しいデザインと無限の多様性をもつ形状であり、何らかの超技術を持つ超知性のみが作ることのできるものです。それらは正確な割合で、私たちが宇宙の兄弟たちと呼ぶ人々によってつくられています。彼らの仕事は地球の破壊を助けることであり、カルマの法則に従って、私たちが大気に流し込んでいる、人々を殺している有害な核放射線を大量に吸収し除去することです。

Q: 彼らは他の惑星から来るのですか。

A:金星や火星や木星に行っても誰も見えませんが、そこには生命がいます。私たちは小さな台車[マーズ・パスファインダー]を火星に送って写真を撮りました。そこでは誰も見えませんが、地球よりも多くの人々が住んでいます。彼らはエーテル物質をまとい、濃密な物質界よりも精妙な世界にいます。こうしたエーテル物質界が次の物質世界の段階であり、現代科学によって調査され最終的に実証されるでしょう。そしてエーテル界はリアリティとなり、より多くの人々がエーテル視力を持って生まれるでしょう。
 宇宙船は思考によってつくられます。単に考えることによってです。いつの日か、彼らを介して、しかし主にマイトレーヤと世界に公に住まれる覚者方の刺激によって、私たちもまた文明の利器を創造する機械をつくるようになるでしょう。

Q:あなたが「小さな台車」と呼ばれたものとそれを観察しているエーテル生命、知的生命、火星の住民のことを思うと笑えてきます。それは彼らにとってジョークの種に違いありません。

A:もちろん、それはジョークです。それは彼らを微笑ませるでしょう。なぜならそれは無知だからです。私たちはそこで生命の痕跡を探し、何億年も前の生命の微細な萌芽を探しています。地球にやってきて穀物サークルをつくる人々は、地球のフォースの流れの磁場のエネルギーを物質界に複製しており、それらは交差して渦を形成しています。これらの渦のそれぞれはエネルギーの貯蔵庫です。そして宇宙の兄弟たちはその渦のレプリカを作り、私たちはその磁場から直接エネルギーを利用できます。彼らはそれを穀物の中につくります。なぜなら穀物は季節的だからです。宇宙の兄弟たちはそこにいますが、同時にいないとも言えます。しかし彼らは「私たちはここにいます」と言いながら上空にいるわけではありません。彼らは一種の脱線的な挨拶を送っており、見る目のある人には見えるでしょう。

Q:私たちは、あなたの言われる台車を火星に送っているのですから、彼らが私たちの認知できる人間のような形で手を振っているような疑いのないものを示せばすっきりするのではないでしょうか。

A:あなたは「すっきりする」と言われましたが、彼らはそう考えません。それはすっきりするかどうかという話ではありません。それは法に関わることであり、彼らが行うことは法の枠内にあります。彼らは私たちの頭を叩いて「私たちはここにいる。私たちは隣人で、あなたは私たちのことが知りたいでしょう」などとは言いません。人間には自由意志というものがあり、覚者方も宇宙の兄弟たちも決して私たちの自由意志を侵しません。彼らは非常に多くの穀物サークルをつくり、私たちに少しでも良識があれば、地球以外の生命体によってそれらが作られていることを認めなければなりません。

(「ビヨンド・リーズン・ラジオ・ショー」での質疑応答を抜粋修正──米国、ナッシュビル、1997年7月)

2023年2月号目次

 

覚者より
人間の役割
ベンジャミン・クレーム筆記

S.O.P. (Save Our Planet) われわれの惑星を救え!
COP15 : 生物多様性へ向けての転換点

記録的な収益を得たエクソン社が、
EU の超過利潤税を阻止するために訴訟を起こす
ジェイク・ジョンソン

世論の流れは深海採掘への反対に転じつつある
エリッサ・グラーフ

臨死共有体験のベールを剥ぐ - 第一部
ジェイソン・フランシスによるウィリアム・J・ ピーターズ氏へのインタビュー

民衆の声
平和と共存を呼びかけるイスラエル人、他

時代の徴
奇跡が世界中に溢れる、 他

ルシル・テイラー・ハンセン著 『主はアメリカを歩めり』
ベッティ・ストックバウワーによる書評

アメリカの運命と役割 選集
The destiny and role of America – a compilation

世界情勢
安全な水の供給

私たちの脳はハッキングされている?
スマホが手放せなくなる脳のメカニズムとは
N.I.

編集長への手紙
分離はない、 他

読者質問欄
回答 ベンジャミン・クレーム

人間の役割

──覚者より
ベンジャミン・クレーム筆記

 早晩、人間は下層王国(動、植、鉱物界)との関係の真のあり方を理解するようになり、彼らの進化のために世話係の役割を喜んで引き受けるだろう。これが飼育業や農業、林業、漁業のすべての面における変容につながるだろう。今日の方式──森林と土壌の略奪、やせた土地の過度な耕作、多種の動物や魚類の貪欲で無謀な捕獲、これらは永遠に消え去るだろう。

 自然の恩賜に対するこの不浄な戦いに、直ちに停止の号令がかけられねばならない。人はもはや大地と水を毒することを許してはならない。それは人間と動物を同様に脅かすものである。運動および空気と日光に浴する基本的権利を抑制するような飼育の方式に携わることは、もはや適切でない。実験のための数え切れない生物のむごい利用の仕方は、より健全な方法の研究と知識に道を譲らねばならない。

 今日、多くの人々がこれらの問題に関心を寄せ、変えることを呼びかけている。人間の心は正しい方向へ動いており、何ものもこの勢いを止めることはできない。しかしながら、世界の生態均衡を維持するためには、直ちに非常に大きな変化が必要である。

 地球が、生きている存在として、その全体にとってそれぞれ欠くことのできない各部分をすべて整えた完全な存在として見なされるとき、新しいビジョンと新しい正常さが普及するであろう。人間は自然の秩序の世話人として自分たちを見るようになるだろう。大計画に沿って、人類の上位も下位も、それぞれの王国が関連し合い、和合と美の中に機能することを前もって定められているのである。

 今日、自然の法則の研究に巨大な額の金が費やされている。同時に、莫大な資源が浪費され、誤用されている。これらの資源が自然の均衡を安定させるために向けられたならば、新しい世界が出現するだろう。人間に長い間、隠されていた秘密を、人間自身が所有することになろう。いままで人間の詮索好きなマインド(識心)に閉ざされていた知識の領域に入ることになろう。自然はその神秘をついに明かし、そして人間は大計画の管理者としての正当な座を占めて、創造主とのパートナーシップ(提携関係)を始めるだろう。

 人間はすべてのものを新しくすることも、あるいは世界を破滅させることもできる力を持つ。これまでに、そのような全能が人間の掌中にあったことはなかった。この力の正しい使用を保証するためには、今日めったに見られない智恵の表現が要求される。それを人間は己の裡に見いださなければならない、さもなければ死滅である。

 人類種族にとって幸いなことに、人間は孤立した存在ではない。人間生活の舞台の背後から、覚者たちの一団が、神の属性のすべてを賦与された者たちが、今、登場しつつある。彼らから長老の智恵が流れ、人間を道に沿って導き案内するだろう。彼らのインスピレーション(鼓舞)を受けて、人は自分の足どりを見直し、もう一度新たに始めるだろう。彼らの賢明な後見のもとに、人は神へと登り始める、潜在するのだが表現されていないあの神性を顕〔ルビ:あらわ〕し示すために。

 このようにして、人間は早晩、覚者となり、同じように神の大目的の奉仕人になるだろう。そうすると、人類から、大計画を進行させるためにすべてのものを共に育む普遍的な智恵の流れが注ぎ出すだろう。

(シェア・インターナショナル誌1985年12月号)

臨死共有体験のベールを剥ぐ──第一部

ジェイソン・フランシスによるウィリアム・J・ピーターズ氏へのインタビュー

ウィリアム・J・ピーターズ氏は、心理的精神的な進化の手段としての終末期、悲しみ、死別を専門とする有資格の心理療法士である。2011年、カリフォルニア州サンタバーバラを拠点に、非営利団体「シェアド・クロッシング・プロジェクト」を設立した。これは、臨死体験と似ている「臨死共有体験(SDE)」の啓蒙活動に取り組む団体である。人が死後の世界へ旅立つときに、その人の最愛の人たちや介護者たちがこうした共有体験をすることになる。この団体は、死と臨死に対する既成概念を変え、SDEがその体験者に与える癒しについて教えることを目指している。また、ピーターズ氏は「シェアド・クロッシング・リサーチ・イニシアチブ」の理事も務めている。『天国のドア──死後の世界への旅を共有することがよりよく死によりよく生きることを教えてくれる』(2022年)の著者であるピーターズ氏が、シェア・インターナショナル誌(以下SI)のためにジェイソン・フランシスによるインタビューに答えた。

SI:臨死共有体験に興味を持たれたきっかけは何ですか。

ウィリアム・J・ピーターズ:私は、成長期に霊的体験と呼ばれるものをいくつも経験しました。最初の臨死体験は、17歳のとき、高速スピードスキーで事故に遭ったときです。その体験は、ある意味深遠なもので、衝撃のあまり私は体から飛び出してしまったのです。

最初は何もかもが暗かったのですが、暗闇に気づいていました。というのも、私には意識があり、自分には闇を見たり感じたりするという面があると気づいたからです。すると突然、光が明るくなり始め、自分が動いていることに気づきました。地球から遠ざかる重力の動きが感じられたのです。スキー場が見え、そして私がいたタホ湖──パリセーズ・オリンピック・スキー・センター ──が見えました。その後、コロラド・ロッキー山脈とサンフランシスコ・ベイエリアが見えたのです。私はすっかり魅了されました。

それから、地球が見えました。すべてが心地よく、荘厳で心を奪われるようでした。そして同時に、私は人生を振り返っていました。自分のこれまでの行動がすべて何らかの形で記録されており、それが重要であることに気づきました。私の行動は波及効果をもたらしていたのです。まさにカルマの体験でした。

また、宇宙の美しさに驚きました。その後、自分がトンネルのようなものに入り込んでいることに気がつきましたが、それでも、宇宙や太陽系を見ることができました。そのとき、遠くで美しく脈打つ光を見て、〔ゴシック:「ああ、私は死ぬんだ」〕と分かり、動揺したのです。死にたくなかったので、憤りを感じていました。私はその光に対して、今世に転生した目的はまだ完了していないのです、と懇願したことを覚えています。

しかし、結局、私は完全に光の中に入り、無上の喜びを終始感じていました。この時、「私は死にたくありません。まだ、この人生ですべきことをしていません。お願いです、生き返らせてください」と神に語りかけていました。懇願していたのです。そして、神は力強く、愛に満ちた光のような存在でした。「力」という言葉だけでは通用しません。それは純粋な知性であり、神性であり、神聖さでした。それは万物の背後にある力でした。

ある時点で、私は光から遠ざかり、地球へと戻り始めたのです。私は、自分の願いが叶ったという感覚を得ました。「ああ、ありがとうございます」と言いました。その光は私に「あなたの人生を活かしなさい」と言いました。その言葉はとても印象的でしたし、実際、今でも忘れられません。私は、はるか太陽系を通り抜け、そこに行くために通ったのと同じ道を戻ってきました。スキー場にある私の体に自分自身を引き戻すエネルギーのライン上にいたのです。

その13年後くらいに、また臨死体験をすることになります。他にも経験がありましたが、この二つが私にとって非常に重要な体験でした。

臨死共有体験の紹介

SI:それらの体験が、どのようにして臨死共有体験の仕事をすることにつながったのでしょうか。

ピーターズ:サンフランシスコでエイズが流行したとき、私はHIVに感染したゲイの男性を支援することが多かったのです。彼らはコミュニティーから、場合によっては医療制度からさえも、ほとんど疎外されていました。そのため、コミュニティーで愛する人たちに囲まれて亡くなるということがよくありました。私は、こうした故人の家族が、死にゆく人たちの旅立ちを手助けするという、素晴らしく壮大で、超自然的な話を聞いていました。彼らは、死の間際にいる人が、あの世で健康で幸せそうにしている姿を見ることができたのです。

ブラッドに関する話を一つ紹介します。彼は私の常連客でした。私はサンフランシスコのテンダーロインという地区でソーシャル・ワーカーをしていたのですが、そこはスキッド・ロウ[多くの貧しい人々が暮らす社会の末端]だったのです。

ブラッドは死の助産師のようなもの──今日では〔ゴシック:死のドゥーラ〕と呼ばれる、[死の間際の]人々が死んでいくのを手助けする人──で、兄弟たちを助けていました。ブラッドは、HIVに感染した男性たちのコミュニティーをよく兄弟と呼んでいました。実際には、儀式的、精神的、心理的感情的に、兄弟の誰かが死んでいくための「場所を確保する」手伝いをしました。

ある日、彼は窮地に陥り、疲れ果ててやってきました。ランディが昨夜死んだと言いました。私はとても残念だと言いました。彼は〔ゴシック:「私もだ、だがその死はとても美しかったんだ」〕と言ったのです。なぜそう思ったのか、彼に教えてほしいと頼みました。彼の説明では、ランディは死の瞬間、自分の体から抜け出して光の筒を上がり、自分を支えてくれた兄弟的なコミュニティーであるこの野営地の真上に止まったということでした。ランディは兄弟たち全員に頭を下げて感謝を述べた後、移動して光の筒を上っていき、姿を消したそうです。

しかし、ランディはより若く見え、とても健康そうで、HIVの兆候もなく、幸せそうだった、とブラッドは言いました。だからブラッドは、彼自身が言うように、ランディがどこかで元気に生きていて、あの世でもうまくやっているのだということをとても強く感じ、知ることができたのだそうです。そして、その経験が私に大きな感動を与えてくれました。

このとき、私は自分の臨死体験について誰にも話していませんでした。ブラッドの体験は、私が最初に臨死体験をした後、そして2回目の臨死体験をする直前に起こりました。ですから、この時点で私は死と臨死にとても魅了されていたのです。

その後、サンフランシスコにある「禅ホスピス・プロジェクト」で働きました。そこは仏教の理念に基づいており、とても先進的な所です。当時も今も、私は仏教の教えを実践しています。ボランティアである私の仕事の多くは、死の間際にいる人のベッドサイドに座ることと、その愛する人たちをサポートすることでした。そこは病院の開放病棟に24床を備えた大規模な入院ホスピスでした。そのため、死の間際にいる人たちと接する機会が多くありました。彼らに必要なものは非常にたくさんありました。この公立病院に入院している人たちのほとんどが生活に困窮しており、社会の片隅で暮らしていて、多くのサポートを受けられなかったためです。他のボランティアと同様、私もホスピス病棟で多くの人と接し、すぐに関係を築くことができました。

2000年のある日の午後、私はロンにジャック・ロンドン著『荒野の叫び声』を読み聞かせていました。ロンは冒険小説が好きだったのです。そして、彼にちょうど読み聞かせているとき、私は体から飛び出して、自分の頭頂部と自分自身をずっと下に見ることができました。私は、ベッドに横たわって何日も意識がなかったロンの頭上にいました。彼がこのように無反応の状態にあるとき、何日も一緒にいたのです。

自分の身体とロンの身体を見下ろしたその瞬間、私は心地よく、安らかな気持ちでいました。そして再び、このように自分をしっかり観察し

目撃しており──意識が肉体から遊離した状態で──、誰ともつながっていないことに気づいていました。そのとき最も印象的だったのは、私が右を向くと、そこにロンがいたことです。彼も体から抜け出していました。大きくて美しい顔をして、目は幸せに輝き、安らいでいました。まるで彼が私をこの空間に招き入れてくれているようでした。私はそこで彼と一緒にいられることをとてもありがたいと感じました。

最初は驚きましたが、そのとき、臨死体験で私自身、体外離脱したことがあったので、以前ここに来たことがあることに気づきました。体験が終わった後、私は自分の体に戻りました。その後すぐに、そのことを上司に相談しました。彼は敬虔な仏教徒であったので私が体験したことはそれ以上追究しないようにと言い、私はそのとおりにしました。しかし、同じような体験を何度もすることになったのです。このようにして、この仕事に心底のめり込んでいったのです。

継続的な探求心

SI:当時、そうした経験が書かれたり、広く知られたりしていましたか。

ピーターズ:その時点では、まだこの臨死共有体験に名前はありませんでした。2009年までなかったのです。そんな時、ある学会でレイモンド・ムーディ博士[医師、精神科医、作家で、死後の世界の体験について先駆的な研究を行っている]に出会いました。ムーディ博士は、臨死体験と非常によく似た「臨死共有体験」について説明したのですが、「体験者」側が死と隣り合わせになることを除いては、臨死体験と同じでした。体験者は、一般には、介護者や故人が愛する人ですが、場合によっては、何らかの医療従事者というただの第三者だったこともあります。私は本当に魅了され、感銘を受けました。

そして、こうした体験についての認識を高めるために、シェアド・クロッシング・プロジェクトの立ち上げに取りかかりました。終末期の神秘的で超越的な体験を知ることで、人々の死と臨死への関わり方を、恐怖や不安から、少なくとも驚嘆と好奇心に変えることができると期待したからです。そして、もしかすると(可能な限り)死と臨死に対して本当に前向きな視点を持つことすらできるかもしれません。

それから、死と臨死に関するありとあらゆるグループやワークショップ、コースを運営するようになり、その中には、臨死共有体験やその他の神秘的な終末期体験についての考察が含まれていました。実際、心理療法士として臨床に携わる中で、様々な終末期体験があることを知りました。なぜなら、私が死と臨死、そしてそれに関連する超自然的な体験について進んで話そうとしていることを知った人々が、私のオフィスに押し寄せるようになったからです。

私は、クライアント(顧客)から、彼らが経験したことについてたくさん学びました。文献調査を行い、このような終末期体験は確認されているものの、文献全体を見ると、様々な名称が使われ、表現が非常にバラバラであることが分かりました。様々な分野で、これらの体験の断片と、それに対するいろいろな解釈が提示されています。しかし、学会や医療関係者のこうした終末期の体験に対する取り組み方には、まとまりがありませんでした。

医療関係者の場合、説明できないから本当は扱いたくないというように、終末期体験を少し横目で見ていました。物事を説明できないとき、それこそが医療関係者における問題なのです。終末期体験は、昔も今も意識は脳の産物であるべきだという彼らの意識に対する考え方にそぐわなかったのです。脳が死ぬと、こういう体験はできないはずです。つまり臨死共有体験は、臨死体験と同じように、人間の死を切り抜けて生き残った意識に関する報告であるため、医学的に受け入れ難いものなのです。それに、医学はそのように考えていません。臨死共有体験に対する見解を裏付けるデータはありませんが、経験上、臨死共有体験は人間の死を超えて意識が存続することです。なぜなら、故人の愛する人が、亡くなった大切な人を別の次元で体験しているからです。彼らはもはや人間界で生きているのではなく、どこか別の場所で生きているのです。

詳細については次のサイトをご覧ください。
www.sharedcrossing.com

ウィリアム・J・ピーターズ『天国のドア──死後の世界への旅を共有することがよりよく死によりよく生きることを教えてくれる(At Heaven’s Door: What Shared Journeys to the Afterlife Teach About Dying Well and Living Better)』(サイモン& シュスター、2022年)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

分離はない

次の2通は同じ人物からのものです。

(1)7年前(手紙の日付は2010年12月)、私はロンドンのカムデンにあるフレッシュ&ワイルドスーパーマーケットで、少しぼんやりしながら買い物をしていました。買い物かごを持った男性が「苺に合うクリームを探しているんだ」と言ってきました。彼は身長168センチメートルくらいで、黒い縮れ毛が後光のように広がった髪型でした。素敵な黒い瞳につややかな赤褐色の肌をしていて、少しだけ南米出身の人のように見えました。左耳に大きなトルコ石のイヤリングをぶら下げて、首周りにスカーフを美しくゆるやかに巻いていました。

 私が返事をする間もないまま、彼は後ずさって「あなたは治療家?  とてもオープンな人ですね」と言いました。私は違うと答え、伝導瞑想をしていることを伝えました。すると彼は「ああ、知っていますよ。それはマイトレーヤですよね?  分離というようなものは存在しないと言っている人ですね」と言ったのです。そして彼は私の頬に優しく片手を添えました。私たちが別れた時のことは覚えていないのです。

 私があまりにも孤独感にさいなまれていたので、これは明確な私へのメッセージでした。この思いやりある男性はマイトレーヤだったのでしょうか。
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

元気を出して!

(2)2004年の冬の終わり頃、私はカムデンで高さのあるカウンターの椅子に座ってコーヒーを飲んでいました。一人の男性が私の隣に座り、自分の大きなカップのコーヒーを指差しながら、「ひどい二日酔いだから、これが必要なんだ」と言いました。言葉とは対照的に、彼は元気いっぱいで快活そのもののように見えました。彼は澄んだ青い瞳に色艶の良い顔で、明るい茶色の髪は薄くなっていました。私たちはしばらく親しくおしゃべりをして、似通ったものの見方を楽しく思っていました。

 それから彼が「私のワインセラーがほとんど空なので、すぐに仕事を見つけなければいけなくなると思う」と言いました。私がそれは難しくないのか尋ねました。彼は「まさか。私にはある種の『何とも言えない魅力』があるからね!」と言いました。私たちは声を出して笑いました。別れる時に私が「ありがとう。本当に元気が出ました」と伝えました。
 私はしばらくの間気分が落ち込んでいたので、この陽気で前向きな男性が、本当に私の気持ちを高揚させてくれたのです。彼は覚者方のお一人だったのでしょうか。

カーラ・キャンベル
英国、ロンドン

【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

シェア・インターナショナル誌は、新しい時代の思考の二つの主な方向――政治的と霊的――を統合する。