編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

永遠に続く

編集長殿
 2002年9月11日の朝8時から9時半の間に、仕事の前半分を終えたので、バック通りから、よく訪れている聖母聖堂の奇跡のメダル礼拝堂まで、散歩することにしたのです。私は38番バスに乗って、ポール・ロワイヤル天文台バス停まで行き、そこで91番バスに乗り換えました。ラッシュ時だったのでバスは満員でした。バスに乗り込む時、3メートルほど離れた別の乗客と目が合いました。
 私はドキッとしました。次に思ったのは「何てこと、あの男性はすごくきれいだわ!」ということでした。息が止まるほどの美しさだったのです。その男性はパキスタン出身のようでしたが、服装はヨーロッパ風でした。彼は黒いスーツに白いシャツを着て、ネクタイをしていました。タイの色は覚えていません。非の打ち所がない装いで、頭には黒いターバンを巻き、正面に白い小さなバッジが付いていました。
 その出会いは5分から10分程度のものでした。私は一度ならず、二度、三度彼を見ていました。彼はじっとまっすぐに私の目を見たことはありませんでした。私に向かって何か言ったりもしませんでしたが、彼の眼差しは強烈で鋭いものでした。
 私はついに目を伏せて、バスから降りる準備をしました。通りで一人になると、この朝の絶世の美男子に有頂天になりました。つかの間の予期せぬ出会いでしたが、一日中頭を離れず、その姿について手紙を書いている今でもなお心に残っていて、私の記憶に刻まれているのです。「ああ、彼はとても美しかったわ、あの見知らぬ人、厳格さを帯び、慈悲の合わさった恩寵あふれる姿だったわ」と言い続けていました。この並外れた男性はどなたでしたか。
マリー・ジョゼ・ヌクアヤ
フランス、イブリー=シュル=セーヌ
【ベンジャミン・クレームの師は、その男性がイエス覚者であったことを確認した】

次の2通は同じ人物からのものです。

動物の魔法

編集長殿
(1)数年前に私の現在(*)の仕事に関係のある夢を見ました。その当時、3年半の間無職で、子供たちと私は金銭的に非常に困窮していました。
 夢の中で私は動物園にいて、大勢の人々と一緒に立ってヒヒの群れを見ていました。一匹のヒヒが他のものより目立っていて、彼はテレビの私の好きなアニメの一つに出てくる、ヒヒのキャラクターにそっくりだったのです。
 近くにいた人たちは、そのヒヒを滑稽だと思い笑っていました。私はなぜ笑っているのか彼らに尋ねました。彼らにはそのヒヒがマイトレーヤだとわからないのでしょうか。
 まるで私がテレビのクイズ番組で賞金を勝ち取ったかのように、そのヒヒが勝利のポーズを取って、毛皮の中から一通の封筒を取り出して私に手渡してくれました。その封筒を受け取った時、開けなくても私にはお金が入っていることがわかり、正確な金額も知っていました。
 その翌日、ある団体から電話があり、そこは半年前に私が仕事の応募をしたところでした。電話の女性が言うには、彼女が自分の机を片付けたところ、私の履歴書が見つかり、ユトレヒトにある人権団体での、私に良い仕事を知っているということでした。彼女は面接委員会のメンバーで、その仕事のための面接に私を呼んでくれました。私は出かけていき、仕事を得たのです。二度目のミーティングで私の給与について話し合われ、頑張ってみましたが、私が封筒の中に『夢見た』金額の給与を、新しい雇い主から引き出すことはできませんでした。私たちは100ギルダー(2002年までの通貨、約12,000円)少ない金額で同意しました。
 最初の1カ月の終わりに、私の最初の給与小切手を受け取る時、計算を間違えたため、初めの同意額よりも100ギルダー多い額を受け取ることになると、上司から伝えられました。夢の中で、『ヒヒの』封筒にあったとわかっていた、きっかり同じ金額だったのです。
 信頼はしばしば報われるという、私の考えは正しいでしょうか。この夢はマイトレーヤによって与えられましたか。
【ベンジャミン・クレームの師は、両方の問いがそのとおりであると確認した】
(*編注:この手紙は2004年10月に受け取ったものである)

高揚感

(2)2004年11月の嵐の金曜夜に、私はユトレヒト中心部の職場から夜遅く帰りました。私の車を駐車した郊外までのバスに乗るため、バス停まで歩いていましたが、バス停に着くとバス運転手がドアを閉めて走り去ったのです。私は疲れていたので、これはひどい出来事でした。私はすっかり参ってしまいました。
 その時、赤のオペル・カデット(私の家族はしばしばこの類の車の冗談を言っています)が止まりました。運転手が窓を開けて、一部始終を見ていたと言い、車に乗っていくか尋ねられました。一瞬の躊躇もなく、私は彼の隣に乗り込みましたが、彼は作業服を着た建設業者でした。彼はその道を毎日車で通っていると言い、すぐの角を曲がった所に住んでいると言っていました。それから私たちは、ほとんどの人々がいかに配慮に欠けるかについて話して、人が他の人々の必要について考え、共感を持ったなら、苦しみはもっとずっと少なくなるだろうという話をしました。
 その夜の夕食の間、私がこの体験について子供たちと話をすると、彼らの反応(彼らは赤の他人の車に乗ってしまった私を怒っていました)を目の当たりにして初めて、それがとても奇妙なことだったとわかったのです。
その『建設業者』はマイトレーヤでしたか、なぜ私はあれほど怖くなかったのでしょうか。
エレン・ベルナルズ
オランダ、ブラリクム
【ベンジャミン・クレームの師は、その『建設業者』がマイトレーヤであったこと、そしてそのために手紙の筆者が怖くなかったことを確認した】