編集長への手紙

 本号に掲載された手紙は、最近起きた出会いについて述べられており、したがってベンジャミン・クレームの師によって確認されていない。手紙の書き手たち自身の直観的反応に加えて、そのような体験を熟知していることから生まれる確信が、こうした出会いは個人的に、また一般的にも重要で意義があると判断できる自信を与えるのである。
 個人に関連していると特定されるような手紙もあれば、すべての人々に希望や鼓舞をもたらすことでそれ自体が語るものもある。これらの手紙は読者の考慮のために提供されている。

個人的訪問

編集長殿
 1982年にキリスト・マイトレーヤがご自身の『霊的体』に輝く白いローブをまとって私の家に現れられて、再び1987年にも、私がハンプシャーのホワイト・イーグル・ロッジを訪れた時、イエス・キリストが洋服を着た『肉体』を持ってその場におられました。
 1990年代後半に私がサイキック・ニュース誌を購入すると、そこに世界教師についての広告が出ていました。その広告を見たのは初めてのことで、その人は私に現れたのと同じ人物でした。その人についてのチラシを配ったのですが、地元で様々なトラブルになりました。トニー・ブレア首相にも世界教師について、また住宅、教育、保健や社会正義についても手紙を書きました。持久戦ですっかり神経が消耗してしまいましたが、世界教師がすべての人々のためのより良い世界に向けた使命を、間もなく開始されることを期待しています。世界教師と皆さんのご多幸をお祈りします。
リリアン・ラング
英国、チェシャー
【ベンジャミン・クレームの師は、『白いローブ姿の男性』がマイトレーヤで、『イエス・キリスト』がイエス覚者であったことを確認した】

船上の出会い

編集長殿
 2003年にフクファンホラント(オランダ)からハリッジ(英国)までのフェリーに乗っていて、自分と友人たちの席を探していました。大変混み合っていたので、明らかに一人旅をしている若い男性との相席になるテーブル席しかありませんでした。私は彼に相席で構わないかどうか尋ねてから、腰を下ろしました。
 私はその若い男性から目を離すことができませんでした。私には同じ年頃の息子がいますが、彼と以前に会ったことがあるかどうかを考え続けていて、船旅の間中ずっと、彼の姿を探している自分がいたのです。彼は多くの様々な人たちに話しかけていて、私たちがデッキから降りて車へ向かっていた時、私は彼の方を再び見て微笑むと、彼が微笑み返してくれて、その様子は私が自分の子供たち(私は里親です)に対してするような、ただ子供たちを気にかけて、大切に思っていることを知らせる仕草で、肩をすくめてにっこりとするというやり方でした。
 私は実際にはそのことについてあまり考えていませんでしたが、出会って目が離せなかった、その男性のことを娘に話していたら、彼女が即座にそれは覚者のお一人かもしれないと言ったのです。大変恐縮ですが、娘が正しいのかどうか教えていただけますでしょうか。もしそうなら、彼はママが『可愛がる男の子』としての役割を大いに楽しまれたように思います。
パット・フォレスター
英国、コルチェスター
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い男性』がイエス覚者であったことを確認した】

知らないまま

編集長殿
 2019年にスピリチュアル・フェアでの1日の活動を終えて、ちょうど片付け始めたところに、一人の女性がやって来て、私たちのブースのポスターのうちの1枚の前に立ちました。彼女はマイトレーヤの出現に関係のある、徴や奇跡の写真を吟味しているようだったので、私が彼女に近づいて、何か特に目を引いたものがあるか尋ねました。彼女はすぐに、「徴を求める者は、それを見つけるであろう。しかし、わたしの顕れ方は、もっと単純である」という引用文を指差しました。彼女はそれを大きな声で読み上げて、「これはどういう意味ですか?」と尋ねてきました。私は気落ちしてしまいました。まさにその日の朝、もし聞かれたら、どう答えたら良いのか自問してきたもので、いまだに答えは出ていないことを、彼女に伝えました。
 彼女は少しイライラとした様子で、私たちのテーブルへ移動していき、資料に向かって腕を広げて、「あら、わかりません。わかりません。何もわかりません。顕れ? どういう意味ですか? 奇術や錯覚がどこにでもたくさんあります。わかりません。わかりません」と言いました。
 彼女の注意を引く方法を何とか見つけようとして、彼女が仏教徒か尋ねました(そのような格好をしていると思いました)。「いいえ! 違います」と彼女はきっぱりと答えました。それから彼女はさらに「顕れ。顕れ。わかりません」と繰り返して、テーブルの反対側に展示してあった『いのちの水を運ぶ者』の本をさっと手に取りました。それを開くと、「ほらここに! 見て! 顕れ!」と勝ち誇って叫びました。それから彼女はまるですべての答えでもあるかのように、メッセージ第83信の終わりの文章を読み上げましたが、その時には私は要点が全くつかめませんでした。彼女は他の箇所を読み上げた時も、彼女の言っていることが理解できませんでした。彼女の熱意と確信のある様子がかえって障害になっていたようでした。けれども彼女が本の他の部分を眺め始めた時、私が納得できる、マイトレーヤの顕れ方についての質問への答えが、突然頭に浮かんだのです! どうしてそうなったかはわかりませんが、『愛』という言葉がパラパラとめくられるページから、飛び出してきたように見えたのです。私はとてもホッとしました。
 それからその訪問者はブースの他の所を見回り始め、ポスターに書かれた様々な引用文を、私にも聞き取れず、まして一緒に読んだりできないほどの速さで読み上げていました。彼女の言う『わかりません』の合間に、読み上げたすべての文章は、まるで言葉が『顕れ』の何か素晴らしい点を、証明するかのような権威の同じ雰囲気を持っていました。けれども私には効果はありませんでした。
 このことで圧倒されるような混乱した気持ちになりました。まるで私が訪問者で、提示された幅広い分野の資料から、一つの単純なつながりを何とか見つけ出そうと苦労している人のようでした。
 その女性は私を連れて、少なくとも20分間はブースにいましたが、それは知らないということの旅をしていたかのようでした。状況が変わったのは、彼女が帰ろうとしていて、彼女が私たちは皆もっと笑うべきだと言った時でした。私たちは心から賛同し、「何よりも、私たちが自分たち自身を笑う(冷静な目で見るの意)必要がありますね」と言いました。彼女はそれに本当にとても賛成だと言い、いきなり爆笑して、お別れの手を振ってくれました。
匿名希望