シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。
光の祝福
2009年10月にダミアン神父の列聖のためにローマを旅行中、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂で写真を1枚撮影しました。自宅で写真に、二人の人物が歩いているのを思わせる光の線があるのに気づきました。私が教会に滞在していた間、信徒席には祈りを捧げている男性が一人いました。写真には彼の姿が見えていませんが、彼の座っていた場所に(写真を撮った時、彼が確かにそこに座っていたことは分かっています)、光が見えているのです。私が教会にいた間中ずっと、その男性はそこに座ったままで、別の写真では彼が信者席に座っているのが分かります。私はそこで祈り、すばらしい平安を体験しました。
オランダのアーペルドールンから参加した私たち5人は、アントワープ・エギディウス信者会が、ホームレスや難民、アフリカでのエイズ問題や世界平和に取り組むことを目的としているローマの信者会と会合するための巡礼の旅に同行しました。ローマでは週に3回、無料の食事が多くの人々に提供されていて、年老いた人々のためのホームや知的障害者のための施設もありました。アントワープとブリュッセルでも、無料の食事がホームレスや難民の人たちに提供されており、貧しい地域出身の若者たちのための平和の学校もあり、ユダヤ教徒とイスラム教徒、キリスト教徒の間で対話が進展中でもあります。ローマやアントワープの信者会の例にならって、アーペルドールンの私たちも、ダミアン神父がハンセン病患者に献身的に尽くしたように、同様の活動を行っています。私たちの時代のハンセン病患者は、見捨てられた人々でもあり、ホームレスや年老いた人たち、エイズに苦しむ人たちや薬物中毒者といった人々です。私たちは友情と連帯の気持ちで彼らと親しくなりたいと思っています。
ダミアン神父の列聖は、50年にわたって存続しているローマの信者会と出会う機会であり、アーペルドールンでの私たちの活動の育みとなるものでした。願わくば、写真の光の徴が、私たちの活動と世界のエギディウス信者会の活動への、祝福であればといいと思います。
ロナルド・ダスホルスト
オランダ、アーペルドールン
二重駐車
2007年12月23日に、車でグループの伝導瞑想会場に向かっていた時、突然小型の黒い車が目の前に現れ、郵便ポストの横に停車しました。その隣にメンバーの車があったように見えました。その袋小路には他に車はありませんでした。小型の車から若い二人連れが降りてきて、手を振ると散歩に出かけていきました。私が私道に乗り入れると、他に止まっている車はありませんでしたが、二人のメンバーが瞑想室にいました。
瞑想後、参加していた他の二人のメンバーの車のうちの一台が、若い二人連れの駐車した場所に止まっていたのを見て驚いたのです。そのメンバーの車はやはり同じ場所に止まっていました。あの若い二人連れを見たのは、私だけだったと気づきました。
彼らのことが頭から離れず、立ち止まって話しかければよかったと思っているので、誰だったのか教えていただけますか。
ジーン・ドサード
米国、バージニア州バージニア・ビーチ
【ベンジャミン・クレームの師は、その『若い二人連れ』がマイトレーヤとイエス覚者であったことを確認した】
軟着陸
1997年10月に妻と私は、当時87歳だった私の母に会うためにミネソタに戻りました。母は1カ月後に亡くなりました。
母からその冬の普通でない体験についての話を聞きました。母によると、食料品の買い出しに行く途中、雪や氷がまばらに残った食料品店の駐車場に車を止めました。歩き始めると、突然ちょうど足元にあった氷の上で足が前にすべってしまい、真っ直ぐに地面に落ちて、臀部を打ったということでした。そこにいた二人の男性がすぐにやって来て、立ち上がるのを助けてくれました。そのうちの一人は「とても親切な男性」で、食料品店の入口までずっと付き添って、母が大丈夫かを確認してくれたそうです。私は転んで怪我をしたのか尋ねましたが、「いいえ、ふんわりと転んだから」と言われました。
転んだ時の助けがあったのではと疑問に思ったので、その男性たちを以前見かけたことがあったか尋ねました(母は小さな町に住んでいます)。返事は「いいえ」でした。その後彼らを見かけたかを尋ねました。再び、返事は「うーん、いいえ」でした。母は奇跡や覚者方についての話を信じないだろうと思ったので、私はただ微笑んでうなずいていました。その後、その男性たちがイエスとマイトレーヤで、駐車場を歩いて店のドアまで付き添ったのはマイトレーヤであったことを、ベンジャミン・クレーム氏の師が確認されました。私は大喜びでした! 私の母は亡くなる前にマイトレーヤにお会いしたのです!
匿名希望
米国