編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、『編集長への手紙』の保留分が非常に多数あり、それらは何年にもわたって処理され、ベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。他の手紙は新しいものである。覚者が関わっていたかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。

グループの和合

 編集長殿2017年11月28日に、私はグループのメンバーと一緒に喫茶店にいました。私たちは自分たちのグループに起こっていたことについて、それは決裂と言えるものでしたが、話し合っていました。それは何カ月も漂っていたにもかかわらず、例年のメインの講演会を通して顕在化しました。突然、私には窓にベンジャミン・クレーム氏の姿がチラッと見えて、それはあるエネルギーを伴っていました。午後4時30分くらいのことで、私は内省的な状態でした。私の右側にはっきりとしたエネルギーがありましたが、曖昧な形をしていました。エネルギーが私たちの内や周囲に注がれていたので、同席したメンバーはそれを感じていて、もうベンジャミンさんのシルエットは窓に見えていませんでした。けれども1時間ほど経って、何かに強く促されて目を閉じると、まるでビデオを見ているかのように、ベージュのジャケットを着たベンジャミンさんが動いているのが見えました。その時、曖昧な形のエネルギーが私の右側から左側へ移っていきました。
 喫茶店が午後7時に閉まるので、私たちは6時45分に帰ることにしました。私たちは長い道のりを共に歩きましたが、エネルギーはまだ私たち二人に向けられていました。その後、私たちは別れましたが、エネルギーはまだ来ていました。それは思いがけないことだったので、私は夜の予定を変更しなければなりませんでした。翌日にかけてもずっと、エネルギーはまだ注がれていて、強烈さは随分なくなっていても、私ははっきりとベンジャミンさんのエネルギーを感じ、いつもより一層彼が近くにいるかのようでした。この体験を言葉にするのは難しいことです。

匿名希望

次の手紙は喫茶店に同席していた、もう一人のメンバーからのものです。

編集長殿
 2017年11月28日に、グループのメンバーと私はルーベンスの絵画展に出かけました。そのような展示会の間にもたらされる、いつもの恵み深いエネルギーを私たちは体験しました。1時間ほどしてから、展示会のエネルギーをアースするために、お茶とケーキを求めて外に出ました。
 私たちはお茶を飲みながら、私たちが非常に重大だと考える、最近のグループ活動の問題について、グループの和合にとって何らかの影響をもたらすこととして話していました。私たちはこの問題を非常に懸念していて、難局に追い込まれたように感じていました。
 私たちの懸念や心配を話していた時、あまりにもあり得ないことが起こりました。午後5時30分のことでしたが、私たち二人共が自分たちに注がれる、活気あるエネルギーの流れを感じ始めたのです。私たちはそれぞれ違ったようにそれを体験していましたが、体験は同時に起こり、私たちはそのことについてお互いに話ができて、それは大変まれなことでした。もちろん私たちはそれ以上何についてもおしゃべりできなくなり、感じていることや解釈について、一言二言口にするだけでした。私たちはそれが自分たち二人に向けられたもので、おそらくはグループの和合についての、私たちの話し合いや懸念に関連しているのではないかと分かり始めていました。私にとってそれは頭頂のチャクラを通して流れる強力なエネルギーで、時折強度が数秒間減退し、その後再び強さが戻るのです。そのため、私たちは1時間喫茶店にいて、お茶を飲むふりをしながら、エネルギーを満喫して、時々目を閉じたりしていました。店を出ることを話し始めた時、エネルギーが減退しました。その時私が声に出して「どうぞ続けて」と言うと、エネルギーの流れはすぐに戻ってきました。
 その後、私たちは地下鉄に乗り、私にはエネルギーがかなり軽くなり、頭の周りにチクチクする感じがするだけでした。家に帰って、すぐにソファに座ると、エネルギーの流れが強力に戻ってきて、そのまま午後9時30分に就寝するまで続きました。
 私はそれがベンジャミン・クレーム氏の師からの贈り物だと信じます。私にとってエネルギーの流れは、わずかに減退しながら木曜日の夕方まで続きました。私は水曜日のほとんどと木曜日の午前中、エネルギーと統一するためにベッドで過ごしたので、日常生活をおくることはできなくなっていました。
 実際に助けられていると感じ、私のエーテル体が強められ、感情体が浄化されたようだったのは、グループの不和の後で、私はできる限り対処しようとしましたが、深い不調和を感じていたからです。腹立たしさが消えて、私のエーテル体は滋養を与えられ、再び心地良いものとなった感じがしました。1カ月ほど経つと、グループの和合の必要性が、形式的な概念から深い理解へと移行しました。

匿名希望